2015/12/01 - 2015/12/01
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montsaintmichelさん
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①箕面公園<前編>では箕面大滝までの道中をレポしましたが、続編では趣向を変えて神社巡りを紹介いたします。
滝道の途中で寄り道できるお寺としては、今回紹介する「箕面山瀧安寺(ろうあんじ)」と「聖天宮西江寺」があります。また、少し距離はありますが、ダルマだらけの勝負のお寺「勝尾寺」もあります。
紅葉に滝、そして神社巡りとなれば三役揃い踏みです。
箕面山瀧安寺は歴史のある修験道のお寺です。また、富くじ発祥のお寺とも言われており、年末ジャンボ宝くじで一攫千金を狙いたい方は是非お立ち寄りください。
この旅行記を読まれた方には、ご利益があるのでは…。
お寺のHPです。
http://www.nanokaichi.com/ryuanji/index.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
-
箕面山瀧安寺
滝道をスイスイ下ってくると、目印になる赤い「瑞雲橋」が見えてきます。その左右に広がっているのが箕面山瀧安寺です。
瀧安寺は、修験道聖護院派天台系の寺院です。寺伝によれば、658年(一説には650年)に役小角(えんの おづの)が箕面滝の下に草庵を創建し、本尊の滝の神格「弁才天」像を安置して「箕面寺」と命名したのが始まりです。
役行者は伝説の呪術師と言われ、七福神の一神の弁才天から啓示を受けて箕面の滝で修業しました。お寺に祀られている弁才天は水の神格で、古代インドの水の女神「サラスヴァティ」と同格です。竹生島や江ノ島、厳島と共に四弁才天のひとつとして知られ、その中でも最古と言われています。
平安時代、後白河天皇が編纂した『梁塵秘抄』には、「聖のすみかは何処何処ぞ 箕面よ勝尾よ」と詠まれています。後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王がこのお寺に帰還祈祷を依頼したとも伝わり、その後後醍醐天皇から「瀧安寺」という寺号を賜り改名しています。堂塔が織田信長によって焼き討ちされたとの伝承もありましたが、現在では『信長公記』の記述から否定され、慶長伏見大地震によって崩壊したと考えられています。その後、後水尾天皇の援助によって現在地に再建されました。
その他、山岳霊場としても栄え、空海や日蓮、蓮如が修行した他、現在も護摩法要が行われています。 -
箕面山瀧安寺 鳥居
折角ですので鳥居のある所まで下って鳥居を潜って境内へ入ることにします。
鳥居の左の柱には、「京都巳富講」の文字が刻まれています。京都の富講から寄進されたものです。富会で授かったお守りを懐に抱き、一目散に家路を急いだ講中の人の面影が浮かんでくるようです。
宝くじの起源とされる富くじは、このお寺が発祥と伝わっています。富くじは江戸時代の天正年間に流行り、番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に富箱から札を選んで「福」を授けるというものでした。藤原兼隆の歌によると富くじは950年も前から存在し、このお寺の富くじは「箕面の福富」と呼ばれ、富くじで当選した者にはお守り「大福御守」を授けました。お守りを授かった者は福運が逃げないように、道中は宿泊をせずに夜を徹して家まで帰ったそうです。また、当たらなかった者は、金銀を投じても当たった者の神札を買おうとしたそうです。
江戸時代には、幕府より「人心を乱す」として富くじ禁止令が出されましたが、それでも「箕面の福富」だけは起源も古く金銭に関係しない福富のため禁止されることはなかったそうです。しかし、明治維新後に諸般の事情により中止されました。その後、箕面有馬電気軌道株式会社の開通100周年に合わせ、2009年に箕面山瀧安寺が主体となり、地元住民によって復活され、正月三賀日に富くじが行われています。そうした由縁からか、絵馬には「宝くじが当たりますように!」と書かれたものが多く見受けられます。 -
箕面山瀧安寺
『箕面寺秘密縁起』によると、役行者が箕面に来たのは650(白雉元)年のことだそうです。箕面山の坂本で老翁に出会い、山中に滝があることを教えられて滝まで行くと、役行者が金剛山から投じた三鈷が松の上に懸かって霊光を放っていたそうです。その後、滝の上の龍穴に入って龍樹菩薩像と弁才天像を造り、草堂に安置したとあります。 -
箕面山瀧安寺 瑞雲橋
左岸には、庫裏、客殿、鳳凰閣、学問堂が建てられています。
『摂津名所図会』には岩本坊と呼ばれた坊が描かれているだけのようですので、後世に建てられたものと思われます。
赤い瑞雲橋がよいアクセントになっています。 -
箕面山瀧安寺 瑞雲橋
現在は橋を渡ることはできませんので、右岸から見るだけになります。 -
箕面山瀧安寺 山門
京都御所内にあった桜町天皇の御座所の門を光格天皇より賜り、この地に移設した格式のある門です。 -
箕面山瀧安寺 山門
御所からの移築ですので、屋根瓦紋は十六弁菊花紋になっています。 -
箕面山瀧安寺 山門
扁額の文字は、江戸時代後期の聖護院門跡宮第30代座主 盈仁法親王(えいにんほっしんのう)の筆になります。盈仁法親王は光格天皇の弟に当たる人物です。
この扁額は後醍醐天皇が元弘の乱の失敗で隠岐に流された時、護良親王が 瀧安寺に天皇還御の祈願を依頼し、天皇が隠岐を脱出することができたため、建武の中興の際に後醍醐天皇から「瀧安寺」の寺号勅額が贈られたものです。 -
箕面山瀧安寺 山門
山門の正面に観音堂が建てられています。
その奥にあるのが修験根本道場です。 -
箕面山瀧安寺 観音堂
2002年に役行者1300年遠忌を記念して再建されています。観音堂の本尊は福徳・智恵・除災として知られる如意輪観音(重文)ですが、開帳はされていません。2004年の再建完成の時に開帳されたそうですが、その後の開帳の予定は未定だそうです。
平安時代中期に祀られるようになり、弁才天同様に水に関係のある仏像です。那智 青岸渡寺の本尊も如意輪観音ですが、この像は那智の滝の滝壺で授かったとの伝承があります。一方、瀧安寺は修験道の道場のひとつとして滝を崇拝し、同じく天台宗と言う共通点もあります。こうしたことから、如意輪観音を祀るようになったと解されています。 -
箕面山瀧安寺 観音堂
観音堂の瓦紋は、何故か姫路城などに見られる揚羽蝶です。揚羽蝶は桓武平氏の家紋ですが、観音堂は秀吉の母からの寄進と伝わっています。ただし、大政所は慶長伏見大地震以前に没しているるため、秀吉か秀頼が大政所の名前で寄進したものと察せられます。秀吉は平家の血は混じっていませんから、どのような言われがあるのか興味深いところです。
揚羽蝶紋は、戦国時代には平氏の流れを汲む関氏や伊勢氏が用いました。また、織田信長も本来の家紋「織田木瓜紋」の他、平家の末裔と自称して揚羽蝶紋を用いたことが知られています。信長は、源平交替説に従って平家の末裔を自称しました。源平交替説とは、平氏→源氏→北条(平家)→足利(源氏)という武家政権の潮流から、足利の次は平家が政権を取るとの考え方です。このため、信長は、系譜を捏造し、平重盛の次男 資盛が壇ノ浦で入水後、その側室のひとりが近江国津田郷で産んだのが親実であり、その親実が越前 織田剣神社の神官の養子になり、信長はその末裔であるとしたのです。因みに、徳川家康も、源義家の孫 新田義重の末裔と詐称しています。
しかし、瀧安寺の揚羽蝶紋は、直接信長から授かったとは考え難く、一説には織田家の家臣 池田恒興(池田恒利の二男)からと言われています。一部の池田氏が揚羽蝶紋を用いており、池田恒興は、信長に反旗を翻した荒木村重が滅亡した後、村重に代わって暫く摂津国を領有していました。その折、何かの褒美として摂津国の大寺であった瀧安寺に家紋を下賜したとも考えられます。
池田家の始祖 池田恒利が信長から使用を許された揚羽蝶紋ですが、その信長が系譜を捏造して用いたことが始まりだったとは…。 -
箕面山瀧安寺 山門
このお寺は歴史的に代々の皇室との所縁が深く、「筋塀」は最高格式の五本の横筋の定規筋になっています。 -
箕面山瀧安寺 観音堂
内部には飛天女の壁絵が左右にあり、厳かな雰囲気に包まれています。 -
箕面山瀧安寺 観音堂
観音堂の仏像の一覧表を見ると、秀吉の母 大政所の像も祀られているようです。この像は、正司歌江さんの寄進だそうです。「かしまし娘」の人気に陰りのあった頃、芸能の神様でもある弁財天にお参りしたところ、直ぐに仕事が決まったそうです。五木ひろしショーで大政所の大役をいただいたそうです。それでご利益のお礼に大政所所縁の観音堂に像を寄進されたそうです。 -
箕面山瀧安寺 観音堂
蝋燭台の側面にも大きな「揚羽蝶紋」が見られます。 -
箕面山瀧安寺
役行者は、人生の大半を山岳修行に捧げた修験道の開祖です。箕面には652年の19歳の時に訪れ、箕面の滝で修業し、瀧安寺や西江寺を建立しました。役行者は、呪術や法力の使い手として知られ、日本各地に伝説が残されています。その中には、「人の身動きを止める」、「鬼神を使役した」、「海の上を歩いた」等があります。また、音羽木戸という有名な忍者が役行者を崇拝していたことから、忍者のルーツとも崇められています。
箕面の滝と役行者の馴れ初めは、「奈良の葛城山にいた時、北西の空に五色に光る雲を見つけ、それに向かって役行者が三鈷杵(さんこしょ)を投げると、箕面の大滝まで飛んで行った」ことが始まりです。五色の雲を求めて箕面山を訪れた時、麓の「坂本」で歓喜天の化身である老翁と出会い、この山は修行の霊場で龍神の秘窟であると教えられます。そして山奥に踏み分け入ると大瀧の上の松に投げた三鈷杵が掛かっているのを見つけ、それ以後滝のもとで修行を続けました。龍穴に入って龍樹菩薩を拝し、徳善太皇(本地仏薬師如来)より伝法灌頂(密教の儀式)を受けました。
しかし、66歳の時、役行者の呪術や法力を妬んだ弟子から「人々を言葉や呪術で惑わしている」とあらぬ噂を立てられ、伊豆大島に流刑されました。2年後には無罪と分かり都に迎え入れられますが、箕面に戻ってその余生を送りました。そして箕面の滝のさらに山奥にある天上ヶ岳から昇天し、68歳で現世での修行を終えています。 -
箕面山瀧安寺 護摩壇
毎月7日には修験独自の護摩供が行われ、山伏が護摩木を焼いて法要を行います。 -
箕面山瀧安寺
石燈籠が配置された石段を登ると弁天堂に至ります。 -
箕面山瀧安寺
石段の左手前には小滝があります。
通常なら山水に打たれたお不動さんが居られるはずですが、見当たりません。 -
箕面山瀧安寺
お不動さんの身代わりになって水に打たれていたのは、けなげな散り紅葉たちでした。 -
箕面山瀧安寺 本堂(弁天堂)
本尊は、60年に一度開帳される秘仏 弁才天です。
大きさは30cm程の小さな像で、前回の開帳は1988年だったそうですので、次回は2048年になります。ただし、2004年の観音堂再建完成の折には開帳されたそうですので、記念事業などがあれば開帳されることもあるようです。 -
箕面山瀧安寺 妙音菩薩
妙音菩薩(弁才天の別名)の銅像の表情は優しく、心の中を包み込んでくれるような温かみを感じます。凛とした美しい立ち姿に静かな微笑みを湛えながら、手に琵琶を持っています。
音楽で世の中を明るく照らした方ならではのふくよかな表情をなされています。 -
箕面山瀧安寺 弁天堂
後水尾天皇の寄進ですので、屋根瓦は菊花紋になっています。
この寄進も瀧安寺から授かったご利益の賜物だそうです。後水尾天皇の第8皇女 光子内親王(てるこないしんのう)の顔にはアザがあり、弁才天にお参りしてお祈りしたところ、アザが消えたそうです。そのお礼に弁天堂を寄進したとの言い伝えがあります。光子内親王は養母 東福門院(徳川和子)の薦めにより、4代将軍 徳川家綱との縁談が持ち上がったこともあるそうです。しかし、父帝 後水尾天皇の反対により、この縁談は結ばれることはありませんでした。 -
箕面山瀧安寺 弁天堂
弁天堂に掲げられている絵馬には琵琶の絵が描かれています。
瀧安寺 弁天堂の本尊は弁才天です。弁才天は、元々はインド生まれの水の神様で、インドではサラスヴァティと呼ばれています。今から1300年以上前、箕面の滝にやって来た役行者が滝の直下に草庵を結び、水の神である弁才天を祀ったことからこのお寺が始まっています。
やがて、弁才天は音楽の神として祀られるようになりました。さやさやと流れる水音が妙なる音楽だったからです。 -
箕面山瀧安寺 弁天堂
更に、音楽のみならず芸能全般の神様としても知られ、近松門左衛門や坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納しています。
竹本義太夫の碑が立ち、右手には琵琶を持った大きな妙音菩薩の銅像が立っています。 -
箕面山瀧安寺 神石
神石を撫でると、音楽をはじめ芸ごとの技芸上達のご利益を授かることができます。 -
箕面山瀧安寺
弁天堂の正面には、お百度石が置かれています。
祈願成就のためにお参りをする際、この石を基点として100回お参りするのが「お百度参り」です。 -
箕面山瀧安寺
お百度石の裏に回って寄進者の名前を見てみると、「かしまし娘」さんでした。 -
箕面山瀧安寺 大黒天堂
大黒天尊や恵比寿天尊を祀っています。
内側には琵琶の絵馬が掲げられています。 -
箕面山瀧安寺 行者堂
役行者の最初の弟子になったのは夫婦で、男の方を前鬼、女の方を後鬼と言いました。役行者が山を行く時、前鬼が行者の前を行き、手に持った斧で木の枝を払って道を開きました。後鬼は行者の後を歩き、袋に入れた草の種を蒔き、瓢箪の水を撒いて道を修復しました。
行者堂に掲げられた絵馬の役行者の下にも2人が控えています。この絵馬を見ると右側の前鬼(男)が赤色、左の後鬼(女)が青色となり、後鬼の頭には角が生えています。現代の感覚からすれば、男女が逆のような気がします。
陰陽説の解釈では、陽は太陽、昼、光、火、赤、男。陰は月、夜、影、水、青、女。ですから男が赤と言うのは分かりますが、女に角がある訳は判っていないそうです。 -
箕面山瀧安寺
妙音菩薩も目の前に迫る紅葉を愛でられているようです。
ですから微笑んでおられたのですね! -
箕面山瀧安寺
同じ境内にありながら、早々に散った紅葉もあれば、これから盛りを迎える奥手の紅葉もあります。
なんだか不思議な気分です。 -
箕面山瀧安寺
瀧安寺を参拝した後は、聖天宮西江寺と聖天展望台まで足を延ばします。
この続きは、③聖天展望台・聖天宮西江寺でお届けいたします。
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