2015/11/24 - 2015/11/24
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tsunetaさん
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11月24日、午前11時過ぎに多福寺を訪問した後に多聞院へ行く途中にある木の宮地蔵堂を訪問した。 この地蔵堂は姿かたちが良い建物であるために見るだけでも素晴らしく感じる。 この季節は周囲に植えられている黄色の銀杏が見られて建物との対比で見ごたえがある。
○木宮地蔵堂について・・・説明文による
古くから子授け、安産、子育てのお地蔵さまとして信仰を集めてきました。現在のお堂は安永6年(1777)に再建されたものです。本堂内には木造の地蔵菩薩が安置され、天井には107枚の貴重な植物画が描かれています。本堂の裏には石地蔵が祀られた奥の院があります。この石地蔵は寛永19年(1642)に木野目郷(いまの川越市)の長者だった杉山長五郎から寄進された、入間東部地区で最古の石地蔵です。4月23日(宵宮)、24日、8月23日(宵宮)、24日の木宮地蔵堂の縁日には、大勢の参拝客で賑わいます。
*写真は木の宮地蔵堂と銀杏の黄葉との対比が素晴らしい
- 旅行の満足度
- 4.5
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甘藷の碑の説明・・・サツマイモの試作や導入、普及に努めた青木昆陽、吉田弥右衛門の功績をたたえて三芳町の上富村の人が中心になって石碑が作られた
当地は武蔵野台地のまん中にあります。土が乾ききっているところで、夏の干ばつによる農作物の被害が特にひどいところでした。
南永井村(現在の所沢市南永井)の名主、吉田弥右衛門(よしだやえもん)はそんなところでもよくできるというサツマイモの話を聞き、その導入と普及に努めました。
関東でのサツマイモの試作に最初に成功したのは、江戸の学者、青木昆陽(甘藷先生)で、享保20年(1735)のことでした。弥右衛門の試作はそれから16年後の寛延4年(1751)のことです。そのサツマイモは最初は飢饉に備えて作られましたが、すぐ農家の自家用の食料として積極的に作られるようになりました。それだけではありません。のちには江戸にたくさん現れた焼き芋屋用のいもとして、いいかえれば商品作物としても作られるようになり、貴重な現金収入源になりました。 -
甘藷の碑
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甘藷の碑
昭和18年に上富の人が中心になり、三富の人たちにより作られた。 -
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