2015/11/05 - 2015/11/05
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ドクター白鳥さん
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残り1時間となり、あわてて本館に向かう
いいものばかりだ!
しかしあせるといいことない
落ち着いていこう!!
まあ、なれてくると、「今日の見どころ」は直感勝負です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日のラインナップ
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ウィキより
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概要
独自の踊念仏という信仰を生み出し、全国を遊行して貴賤を問わず広く念仏を勧め、民衆の布教に努めた一遍の活動を忠実に記録し、その活動のようすとともに各地の寺社や名所の景観を取り入れた点は特筆に値する。
全体的に人物を小さく扱い、背景の自然描写に大きな関心が注がれ、四季の風景を美しく描いた歌絵は名所図絵的な趣を伝える。
人物や建物の的確な描写には鎌倉時代の写実主義的な傾向が強く見られ、山水の描写には中国宋代の影響が指摘される。大和絵の伝統と外来の宋画の力強い表現を加えた作風は独得で、類似の作品が見られることなどから、「円伊派」の存在を推定する説もある。
詞書は、五彩に染めた絹布を料紙に、当時の能書家4人の筆で書きつづられる。
長時間たって編集される高僧伝と異なり、一遍死後10年に、一遍が遊行した足跡を再確認しつつ、記録を基に、聖戒が一遍に同行した時衆と共に再踏破した後に書かれた物であり、資料的価値が高い。
教団色も薄く、異母弟といわれる聖戒が、一遍の生涯の言動を記録に留めておきたいという、編集意図が推察され、後の遊行派の教団色が強く、一遍と遊行派開祖他阿真教を神格化する『遊行上人縁起絵』とは対照的である。 -
国宝本は神奈川・清浄光寺蔵(京都・歓喜光寺旧蔵)、全12巻。国宝指定名称は「絹本著色一遍上人絵伝」。第7巻の絵は後補で、元の第7巻は江戸時代後期に歓喜光寺から流出し、原富太郎(原三溪)らの所蔵を経て、第2次大戦後、現在東京国立博物館が所蔵する。
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国宝室
E国宝より引用 -
千手観音は、千の手と千の眼を持ち、生きとし生けるものを救う。11の小面と阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を頭上に置き、杖(錫杖 しゃくじょう)と武器(三鈷戟 さんこげき)を持ち、掌に眼があるとされる大きな42の手と、無数の小さい手を描く。両脇に天女姿の功徳天(吉祥天)と婆藪仙(ばすうせん)が従う三尊形式である。婆藪仙は観音に仕えるバラモン出身の仙人。
観音と功徳天のからだは細い墨線の上から朱でぼかしをかけ、観音の着衣には金箔や金泥とともに、金箔をきわめて細く切った截金(きりかね)で一面に文様をほどこしている。精緻な截金の表現は平安時代の仏画の中でも特に美しい。光背にも箔や彩色の文様を散らしている。 -
本面および頂上仏面以外に11小面と左右各21大手をとる千手観音図像は不空訳『千手観音大悲心陀羅尼経』に依拠するが,中尊と左右の功徳天・婆藪仙の組み合わせは,胎蔵界曼荼羅虚空蔵院の図像に影響を受けたものと思われる。中尊の彩色や繊細な截金技法には,藤原仏画の特質がよく示される。
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E国宝より
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羅漢は阿羅漢(あらかん)の略称で、一切の煩悩を断って修行の最高位に達し、人びとの供養を受けるに値する仏弟子や聖者をいう。16人の釈迦の高弟、すなわち羅漢が、涅槃(ねはん)に入ろうとする釈迦から、永く現世にとどまり仏法を護持して衆生を救済せよといわれ、各地で仏法を守り伝えたという。
これは滋賀県大津市の聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)旧蔵のもので、現存する十六羅漢図では最古のもの。多くの羅漢像の奇怪な相貌とは異なり、より古い唐代図像の流れを汲み、羅漢や眷属(けんぞく)の表情はおだやかである。仏堂内外の羅漢、供養者、天部、鬼神、動物などが変化のある構図の中に配され、画全体に多くの色を用いて描く。また、それぞれの図の上部に色紙形に区画を作り、羅漢の名前と住む所を記している。そこに銀泥で描かれている花鳥文の趣向や文字の書風から、平安貴族の優美な趣味がうかがえ、11世紀後半の制作と考えられる -
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ウィキより引用
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狩野 元信(かのう もとのぶ、 文明8年8月9日(1476年8月28日)? - 永禄2年10月6日(1559年11月5日)は、室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」(こほうげん)と通称された。弟は雅楽助。
父・正信の画風を継承するとともに、漢画の画法を整理(後述)しつつ大和絵の技法を取り入れ(土佐光信の娘千代を妻にしたとも伝えられる)、狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。 -
永徳のお爺さんです
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このあたりは10月に来た時と同じですが
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日本美術史ノートから引用
ちなみに、南画 というのは、日本独特のもので、大陸の南宗(これが正しいそうです)画とは若干趣が異なるようです -
彭城百川さかきひやくせん 1697-1752:名古屋の薬種商の子
明末蘇州画家盛茂燁などの影響(ケーヒル「彭城百川の絵画様式」)
線描点描を重ねる技法と大画面をこなし江戸文人画の方向性を定める
1741年《倣元人山水図》 紙本墨画淡彩 東京藝術大学
◎1747年《山水図屏風》 東京国立博物館 1 2
◎1751年旧慈門院書院障壁画 4室 奈良多武峯陶原家蔵 南宗・北宗画の折衷
1751年《冬景山水図》 紙本墨画 57×21 カリフォルニア大学
Ruth and Sherman Lee Institute for Japanese Art collection
1752年《夏景山水図》 紙本墨画 個人蔵
《銀地山水図屏風》 バークレー美術館 晩年の代表作 住友の助成で修復
→池大雅(京都銀座役人中村家の手代の子),与謝蕪村(大坂毛馬村の地主の息子)へ連なる -
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これは本当は写真禁止
どの部屋かおぼえのためのスクリーンショットですが
宗達派の素晴らしい屏風
波に舞う扇面はよくある意匠ですが、こんなにすごいのはあまりないと思います
どなたの寄託ですか? -
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貝合わせ
どんなゲームかよく知りませんが -
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山雪はいい
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これは面白いです
お手本 -
歌舞伎への誘い
から以下引用 -
鎌倉時代の曽我兄弟(そがきょうだい)による敵討ちに取材した作品で、通称『曽我の対面(そがのたいめん)』、または単に『対面(たいめん)』とよばれています。
父を工藤祐経(くどうすけつね)に討たれた曽我十郎(そがのじゅうろう)・五郎(ごろう)の兄弟は、正月に工藤の館を訪ねます。兄弟は、小林朝比奈(こばやしあさひな)の計らいによって、敵(かたき)の工藤と対面します。盃を受けた五郎は、「親の敵」と工藤に詰め寄りますが、兄の十郎は「粗相のないように」とたしなめます。工藤は、富士の裾野で行なわれる狩りの総奉行職を勤めた後で、兄弟に討たれることを約束し、年玉代わりに狩場の切手[通行手形]を渡します。
曽我兄弟が父の敵の工藤祐経を討った事件は、『曽我物語(そがものがたり)』という物語によって一般に流布し、庶民の支持を受けました。
江戸歌舞伎では、毎年正月に曽我兄弟の登場する作品を上演する慣習があり、兄弟が敵の工藤と対面する場面が必ず含まれていました。さまざまな趣向によって、繰り返し上演された「対面」の場面は、登場人物の役柄や扮装などが次第に様式化されていきました。現在の『寿曽我対面』は、1885年[明治18年]上演時の演出が元になっています。
また曽我兄弟の登場する作品は、総称して「曽我物」とよばれ、現在でもたびたび上演されています -
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ピックアップアイテムの頼朝像がどこにあるかと思ったら
仏像の中に紛れ込んでいたので
驚きました -
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中国のお方みたいな
目に特徴がありますが
実は、庶民的な家の出身で、座主まで上り詰めた方のようです -
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こちらはいかにも
日本人というか -
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蔵王権現ばやり
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西美に似たのがありました
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着物が見どころ
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終了
平成館で荷物を回収し
夕食に -
ここは生ハム食べ放題
1回やれば気が済む
ガード下 -
今夜のお目当てはここ
さすがに立ち飲みは無理
足が棒 -
お肉屋さんの、、という揚げ物やステーキの店
安いのを頼んで正解、のお店です -
ふらふらになり上野駅に
帰途に就く
腰いてえ
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