2015/06/10 - 2015/06/10
8位(同エリア71件中)
ももんがあまんさん
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- 旅行記342冊
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フランス編 ?です、本日の目的地は、地中海の海の近く、かのフランス王ルイ九世が、「十字軍遠征」の基地として造ったと言われる「エーグ・モルト」の町です・・・時は、1240年ころ、完成には約30年を要したのだとか・・・ルイ九世は、この地から1248年と1270年、二度の遠征に出発し・・・ついにめでたく大願成就、アフリカ(チュニス)で病に倒れ、「殉教」することとなりました。
中世の人々にとって、人生の最高の目的は「聖人」になる事なのだと、ものの本で読んだことが有るけれど (かの、アベラールとエロイーズの往復書簡の中にも出てきます)・・・特に、王侯や貴族たちは、自らの家系の中に「聖人」を得るために、せっせと、法王や高位聖職者に付け届けをしたのだとか (教会や修道院を建てたのもそのためで、司教や修道院長などの高位聖職者で、死後に「Saint」などと呼ばれることになった聖職者は、全て、王侯・貴族の出身で、ジャンヌ・ダルクの出現まで、一般庶民で、聖人になった人は、いないのだとか・・)・・・キリスト教会にとって、理想の君主と言われたルイ九世にとっても、「殉教」して「聖人」に成る事は、その満ち足りた人生に残る、最後の、そして、究極の「夢」だったのかも・・・そんな「中世人の夢」に思いをはせる、旧い町です・・・
でも日本では、つい70年ほど前に、「殉国」して「死ぬ」ことが「美化」されていたし・・・今現在でさえも、「靖国神社」等という、偽者の神社に浮かれている人々のいることを思うとき (国家によって、犬死を、強制されただけなのに・・)・・「英霊」とか「軍神」とか・・・全く、この国では、「中世」が未だに続いているのです・・・いい加減に、目を覚ませよ・・・と、ワタクシは願う・・・「ルイの夢」は、中世と言う時代の中でこそ、それなりの意味もあるのです (中世にも、フィリップ・オーギュストのような、リアリストはいたけれど) ・・・世界的視座で見れば、20世紀の日本の場合は、愚かで、時代錯誤な「悲劇」でしか有りません、21世紀まで持ち越すとすれば、そんなものは、もはや「喜劇」以下の「猿芝居」・・・
表紙の写真は、その「エーグ・モルト」の南側城壁、一番高い塔は「Porte des Marine」(海の門)、過っては、この門から、海へ出る運河が有ったらしいのですけれど、今や、影も形も無く、草茫々の草原です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 船 自転車 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6月10日(水) トゥールーズ 〜 モンペリエ
宿題も終えて、本日からは、いよいよ今回の旅の目的地の一つ、プロヴァンス方面へ向かいます・・・とまれ、「トゥールーズ」から自転車で走ると、少し時間がかかりすぎるので、「モンペリエ」までは、鉄道で移動します・・・「モンペリエ」から、目指す「エーグ・モルト」までは、約35km、マア手ごろな距離です・・・道に迷わなければ、もっと先まで行けるかも・・・? -
Montpellier モンペリエ 鉄道駅 ラングドック・ルション
到着しました・・・モンペリエは、古くからの大学の町、結構、文化的な町なのだそうです・・・そういえば、中世に人気のあった聖人の「サン・ロシュ」さんは、この町の出身だったですね・・・ -
モンペリエ 鉄道駅 ラングドック・ルション
駅も大きいです・・・ギリシャ・ローマ風のファサードですね・・・さすが、大学の町・・・ -
モンペリエ 鉄道駅前
突然現れた、まだらの「芋虫」・・・いえ、「路面電車」(トラム)でした・・・派手ですね〜・・・ -
モンペリエ 鉄道駅前
また来ました、やたらと走ってます・・・なかなか、個性的なデザイン・・・次から次へと、カラフルなデザインのトラムが走ってます。 -
モンペリエ 鉄道駅前
コテコテの派手なのもありますけど・・・シンプルなのもあります。 -
モンペリエ
「モンペリエ」は、南国風の街です・・・南フランスへ来たなあ〜・・という雰囲気。 -
モンペリエ コメディ広場
ソコソコ大きな町なので、建物もデカい・・・ -
モンペリエ
コメディ広場を過ぎて・・・トラムの線路沿いを町の中心あたりへ・・・特に、見物したかった町ではないけれど、けっこう明るくて、良い町なのです・・・中世以来の学生の街のせいか、何となく、若々しい感じの街です。 -
モンペリエ
このあたりから先が「旧市街」の雰囲気です。 -
モンペリエ 旧市街
建物はデカくて、比較的新しいけれど・・・人通りも多いし、カフェやレストランも多い・・・悪くない雰囲気の通りです・・・ガイドブックにも載ってない町ですけど、一日くらいなら滞在しても、退屈しないと思う。 -
モンペリエ Hotel de Ville
町の「市役所」です。 -
イチオシ
モンペラエ Port du Peyrou ペイルー凱旋門
1691年に建てられた「凱旋門」なのだとか・・・パリのより古いのだそうで(ルイ14世時代)、パリよりは、ずっと小ぶりですけど・・・淡いイエローで、なかなか、お洒落です。 -
モンペリエ la promenade du Peyrou.
突き当りに「広場」がありました。 -
プロムナード・ペイルー château d'eau
広場の中央の建物です、直訳すると「水の城」・・・建物の前後に「プール」があるだけですけど・・・「ピトー管」と呼ばれる風速計を発明した、「Henri Pitot」という発明家が、1768年に建てたのだとか。ペルー公園 建造物
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プロムナード・ペイルー l'aqueduc
広場からは、「水道橋」が見えます・・・プロヴァンスへ来たんだなあという感じ(実際はまだ、ラングドック・ルションの内)・・・ローマ時代の「建造物」かと思ったら、18世紀に造られたものなのだとか(コクリコさんの旅行記に書かれてました)、先ほどの建物の「プール」に水を送っていたらしい・・・ペルー公園 建造物
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モンペリエ ラングドック・ルション
歴史のある建物も残ってそうな、赤屋根の街並みが見えます・・・ -
モンペリエ
モンペリエの下町を抜けて、「エーグ・モルト」に向かいます・・・けれど、どちらへ行ったらよいのやら・・・なかなか、町を抜けるのに難儀しました・・・
町の印象 ★★★★ 通り過ぎただけなので、評価するのも気が引けるのですけど・・・印象は、良かったです、明るさを感じる町・・・カラフルでコテコテの「トラム」は、見ているだけで楽しいです。 -
ラングドック・ルション D 132号線
ようやく、方角を確認して、海沿いの道を東へと走ります。 -
ラングドック・ルション D 132号線
白い馬がいました・・・まだまだ、カマルグ地方ではないのですけど・・・飼われてるようです。 -
ラングドック・ルション
南フランス風の建物です・・・別荘かも? -
イチオシ
Carnon Plage ラングドック・ルション
海沿いの、「運河」のある町・・・ -
La Grande Motte ラングドック・ルション D 59号線
走りやすい、サイクリングロードもあります・・・快適・快適・・・ -
ラングドック・ルション D 59〜D 255号線
海沿いの「サイクリングロード」です・・・ところどころに、リゾートマンションのような建物が建ってます・・・一部屋くらい欲しいですね・・・ -
ラングドック・ルション D 62号線
遠くの方に、「塔」と「城壁」が見えてきました・・・多分、あれが、本日の目的地「エーグ・モルト」ですね・・・ -
Aigues-Mortes ラングドック・ルション
「エーグ・モルト」とは、「死んだ水」という意味で、この町が出来る以前から、このあたりの湿地帯を、そう呼んでいたのだとか・・・昔は、蚊が多かっただろうし、伝染病もあったでしょうね・・・ -
エーグ・モルト ラングドック・ルション
町の手前の運河と「コンスタンスの塔」です、「塔」は1248年の完成なのだとか・・・まあ、特別美しいというモノでもない、実用的な感じのズンドウです。 -
エーグ・モルト
「運河」には、ずらっと、モーターボートが並んでます・・・マア、運河ですので、水は綺麗じゃないけれど、「死んだ水」と言われるほど臭くはないです。 -
エーグ・モルト Port de la Gardette
こちらは、一番大きな、町の「城門」、貫禄があって、いかにも「中世風」の無骨な門・・・こういう愛想のないのは、わりと好きです。 -
エーグ・モルト Église Notre-Dame-des-Sablons.
町の中央に位置する「ノートルダム教会」です、マア、30年ばかりで作った町の教会ですので、教会としては「やっつけ仕事」ですね・・・ -
エーグ・モルト
天井は木造だし、柱も細いし・・・レリーフなどの細工も、特に見当たらず・・・いかにも「やっつけ仕事」という感じの、粗末な教会・・・でも、雰囲気は悪くない・・・ルイ九世も、ここで祈りをささげてから出陣したのでしょうね・・・たぶん? -
エーグ・モルト
当然の「聖王ルイ」の像です・・・フランスの王様としては、ただ一人「Saint」となった方、当時フランスではほとんど争いが無く、ルイ九世は「統治者」としては、かなり優秀な人物であったのだとか・・・娑婆での名声には飽きたのかもしれませんね・・・残る望みは、キリスト教徒として、「聖人」になること・・・ルイの脳裏に、そんな「欲望」が湧いてきたとして不思議はないかも・・・ -
エーグ・モルト サン・ルイ広場
教会の横にある町の広場です、もちろんここにも、ルイさんの像が立ってます・・・十字軍に出陣した王様は数あれど (フィリップ二世・獅子王リチャード・フリードリッヒ一世等、主に第三回十字軍が有名ですけど)、このルイさんだけが「聖王」と呼ばれるようになりました・・・イギリスのリチャードなどは、一番頑張ったと思うのですけれどね・・・マアでも、「聖王リチャード」より「獅子王リチャード」のほうが、かっこいいですけどね・・・ -
エーグ・モルト
町(城壁)の外には、草原が広がっています・・・
因みに、第一回十字軍で、実質的なリーダーとして活躍し、エルサレムを奪回した「ゴドフロワ・ド・ブィヨン」は「聖ゴドフロワ」には成れませんでした・・・ローマ法王への、付け届けをする余裕も無かったでしょうしね・・・元もと、ベルキーの片田舎の。貧乏貴族だったし・・・ -
エーグ・モルト Port de Organeau
出入り口の「城門」は全部で十か所あり、「塔」の数は、合計六つ、海に面した南側には、このような「城門」が五か所・・・海に向けて、開かれた町なのですね。 -
エーグ・モルト
昔は、城壁の外には、堀があり、「Port de la Marine」と呼ばれる城門からは、海に向けての水路があり、平底船で、往来が出来たらしいのですけれど・・・その姿は、今は見えません・・・一面の草原となっています・・・ -
イチオシ
エーグ・モルト Porte des Moullin
南側の、一番大きな門です・ -
エーグ・モルト
人工的に作られた町なので、道路は真っ直ぐで、碁盤の目状になってます・・・フランスにはあちこちに、こうした、人工的に作られた「要塞都市」が有りますけれど、多分、南フランス各地にある、アルビジョワ十字軍時代のものが、その最初の頃のものではないかと思います・・・こちらの「要塞都市」は、その後のもので、「要塞都市」としては、かなり巨大で、だんだん作り慣れてきたという感じがします・・・ -
エーグ・モルト
大西洋岸の「ラ・ロシェル」の町の近くに、ユグノー戦争時代(17世紀初頭)i作られた「Brouage」という「要塞都市」があって、平たんな街並みは、少し似てますけど、スケールは、圧倒的に、こちらが大きいです・・・13世紀半ばの、時代を考えると、かなりすごい・・・・18世紀のヴォーバンの要塞群を考えても、城壁のつくりなどは貧弱ですけれど、スケール的には負けてないです。 -
エーグ・モルト
「聖王ルイ」の名とともに、今は、立派な観光都市ですので、通りのあちこちに、レストランやらホテルやらがあって、人工都市という、単純な街並みではあるけれど、ぶらぶらしても、退屈はしません・・・ -
エーグ・モルト
緑の多い一角もあります・・・暑いですのでね、ホッとします。 -
エーグ・モルト
路上パフォーマー・・・この、暑いさなかに良くやります・・・・熱中症にならぬよう、お気を付けください・・・ -
エーグ・モルト コンスタンスの塔
町の建設とともに、1248年に完成した「塔」、この町の「ランドタワー」、兵士の宿舎として、使われていたのだとか・・・ -
エーグ・モルト
「コンスタンスの塔」からの眺めです・・・ -
エーグ・モルト
同じく「コンスタンスの塔」からの眺め・・・良い眺めです・・・ルイさんの時代とは、違うと思うけど・・・ -
エーグ・モルト
「コンスタンスの塔」の天辺です・・・ルイ九世のこの時代、隣のプロヴァンス(マルセイユ)は、王弟のシャルル・ダンジュー(シチリア王&アンジュー伯)が支配し、モンペリエは、アラゴン王国の領土であったのだとか・・・つまり、フランス王が、直接、地中海に出るのには、この土地しかなかったのだとか・・・ -
エーグ・モルト
城壁の外にも、赤屋根の町が広がります・・・良い眺めです・・・ -
エーグ・モルト
「塔」から見る「要塞都市」の街並み・・・遠くの方に、海岸線が見えます。 -
イチオシ
エーグ・モルト
ズーム・アップです・・「ノートルダム教会」と「海の門=Port de la Marine」が見えます・・・ -
エーグ・モルト コンスタンスの塔
「コンスタンスの塔」の内部です・・・塔の内部は、三階建て(三層)になっており、これはその三階・・・ -
エーグ・モルト コンスタンスの塔
こちらは、三階から眺めた二階・・・ -
エーグ・モルト コンスタンスの塔
三階の天井は、こんな感じ・・・ -
イチオシ
エーグ・モルト
次は、城壁の上を歩いてみます・・・賑やかな町の様子が良く見えます。 -
エーグ・モルト
町の家並です・・・テレビのアンテナが邪魔ですけど・・・良い眺めです。 -
エーグ・モルト Port St. Antoine
城壁の長さは、全長約1600m、写真を撮ったり、林立する塔の内部を見物したり、のんびり歩けば、一時間はかかります・・・今日はこちらで、宿を探すつもりなので、ワタクシはのんびり派・・・ -
エーグ・モルト Port St. Antoine
街を囲む城壁は、ルイ九世が作ったものではなく、実は、彼の子の、フィリップ三世の時代(1272〜)に造られたものなのだそうです・・・前にも書きましたけど、当時となりの「モンペリエ」は、アラゴン王国の所領であり、プロヴァンスは、アンジュー伯領でもあったので、この地の更なる「要塞化」が必要となったのでしょうか・・・ -
エーグ・モルト
どこだつたか忘れてしまったけれど、「塔」の一つで「ルイ九世」の十字軍について、説明があります・・・これはエジプトまで行っているので、最初の遠征ですね・・・このときは、そこそこ頑張るのですけれど、作戦の失敗で、ルイ王自身が捕虜になってしまい・・・挫折します・・・ -
エーグ・モルト
同じ「塔」にあった「聖王・ルイ」の像・・・ピンボケですけど・・・聖王ルイは、フランスでは「名君」であったと言われてはいるけれど、12才で即位し、実際上の権力は、摂政としての母親の「ブランシュ・ド・カスティーユ」にあったと言われています (ブランシュの叔母は、イングランドの「アリエノール・ダキテーヌ」で、元々、政治好きの、女傑の一族なのです)・・・つまり、ルイが一人前に成人した時には、フランスはすでに平定され、やることが無かったとも言えるので・・・十字軍としての遠征は、そんな、母を超えたいとの、自立願望だつたのかも・・・因みに、母「ブランシュ↓」は、彼の遠征には、終始反対だったのだとか・・・
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=36193159 -
エーグ・モルト
多分?「Port St. Antoine」から眺めた「Port de Marine」だと思います・・・真っ直ぐな一本の道が、障害物も無く通ってます・・・ -
イチオシ
エーグ・モルト
城壁と壁際の風景・・・駐車場が無いのですね・・・ -
エーグ・モルト
「塔」の内側から眺めた風景・・・やたらと「塔」が多いので、何処で撮ったか、忘れてしまいました。 -
エーグ・モルト
城壁より高い家が無いのは「申し合わせ」でしょうか・・・それとも常識を共有しているだけなのか? -
エーグ・モルト Tour de la Poudriere
町の四隅にある「塔」の一つです・・・ -
イチオシ
エーグ・モルト
町の家並みと、遠くに見える「コンスタンスの塔」・・・良い眺めです。 -
エーグ・モルト
ゴシックのガーゴイルのいる「塔」・・・ -
エーグ・モルト Tour des Bourguignons
実は、これらの「塔」の一つに「ブルゴーニュの塔」と呼ばれる「塔」があって、英仏百年戦争時代の後半(15世紀)に、ブルゴーニュ軍によって占領されていた町を、シャルル七世軍が奪還した際に、ブルゴーニュ軍の死体を詰め込んで、死臭がしないよう「塩」を振りかけて「塩漬け」にした「塔」があるのだとか・・・この「塔」かも・・・? -
エーグ・モルト
城壁から見える「エーグ・モルト」の海です・・・遠くに「塩」の山が見えます、ブルゴーニュ軍の死体の山をを塩漬けにした、「塩」の産地なのです・・・ -
エーグ・モルト
最後の一まい、城壁からの眺めです・・・似たような写真が沢山あります・・・このあたりで、おしまい。 -
エーグ・モルト ラングドック・ルション
町のすぐ近くに「Camping」があったのですけれど、二泊以上でないとダメなのだとか・・・一見さんお断りの、お高く留まった「Camping」・・・こんなのがあるとは、夢にも思わなかったです・・・仕方がないので、次の目的地「サント・マリー・ド・ラ・メール」方面に向かって、田舎道を走ります。 -
エーグ・モルト ラングドック・ルション
田舎の田舎の、そのまた田舎へ・・・小さな「Camping」の看板に導かれて走ります・・・ほんとにあるのかな・・・? -
Saint Laorent d`Aigouze 今宵の宿 Camping
ラングドック・ルション
野中の一軒家という感じのおうちが経営している「Camping」・・・プールだとかレストランだとか、そんなものは何もなし・・・果樹園か何かを夏の間「キャンプ場」として利用している感じ・・・秋になったらリンゴが生るかも・・・?
キャンプ場の評価 ★★★ テントは何処にはつてもOKの、お気楽な「キャンプ場」、お客は三組・・・お百姓さんの、こずかい稼ぎの感じですね・・・でも、一応、シャワーやトイレは有ります。
本日の走行距離 36km/累計232km 明日はいよいよ「プロヴァンス」です。
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この旅行記へのコメント (10)
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- マリアンヌさん 2016/01/03 13:19:31
- エーグ・モルト☆
- ももんがあまんさん、あけましておめでとうございます。
エーグ・モルトってこんな街なんですね。
中世の佇まいを残したいい感じの街です。
「オクシタニア」「ローマ人亡き後の地中海世界」?何で覚えがあるのかわからなくなりましたが、実際に見せていただき楽しいです。
「十字軍の物語」「フリードリヒ2世」も文庫化を待っているのですが…
今年も楽しく旅行記拝見しつつ、勉強させていただきますね。
マリアンヌ
- ももんがあまんさん からの返信 2016/01/03 21:01:42
- RE: エーグ・モルト☆
- おめでとうございます、マリアンヌさん。
> エーグ・モルトってこんな街なんですね。
> 中世の佇まいを残したいい感じの街です。
> 「オクシタニア」「ローマ人亡き後の地中海世界」?何で覚えがあるのかわからなくなりましたが、実際に見せていただき楽しいです。
エーグ・モルトは、良い町ですよ、ほぼ、作られた当時の区画だと思うし、ほぼ原形が残ってます、フランスには、こういう「要塞都市」が、あちこちに在ります、いわゆる、中世の「城塞都市」とは、また違うカテゴリーですね。
> 「十字軍の物語」「フリードリヒ2世」も文庫化を待っているのですが…
> 今年も楽しく旅行記拝見しつつ、勉強させていただきますね。
「十字軍の物語」は読みました、「フリードリヒ2世」は、買ったけれど、ただいま「積ん読」状態・・・イタリアに行く前には読まねば・・・ですね。
今年もよろしく、お願いしま〜す。
by ももんがあまん
-
- コクリコさん 2015/11/10 17:39:49
- モンペリエ、エーグ・モルト
- こんにちは!
モンペリエの芋虫さん、私が行った時より車体のデザインが増えていますね。
派手になったけれど、以前のブルー&白や可愛い花柄が健在で安心しました。
19世紀の水道橋ですが100年もたつとローマ時代の水道橋と見分けがつかなくなるほど貫禄が出てきますね。
モンペリエはラングドック、エーグ・モルトはプロヴァンスとは言えどちらも南仏の抜けるような青い空ですね。
エーグ・モルトは↓でwizさんの書き込みに書いたと思いますが、数年前のBSの番組「世界わが心の旅」でヨーロッパ中世史研究家の木村尚三郎さんが訪れている回が録画してあるのでまた見ていますが、番組では城壁内には入っていないのです(コンクやエクスアンプロヴァンス、カルカソンヌなどは時間をさいていましたが)。
残念に思っていましたが、ももんがあまんさんの旅行記で見られました!
カルカソンヌを小規模にした感じ。
無骨で素朴な城壁に囲まれて内部は現在ではしゃれた観光地になっているのですね。
十字軍の船に兵士たちは一人ずつ自分のトランク兼寝床兼お棺にもなる大きな箱と飲料水用の小樽、食料、尿瓶を持って乗船し、船中で死ねばその箱に入れられて海に投げ捨てられたという、まさにももんがあまんさんがおっしゃる中世の闇の部分ですね。
アングレームの旅行記を書く時に読んだ本にアングレームの大聖堂の大きな装飾的ファサードはサン・ジルに共通していると書いてありましたが、サン・ジルもいらっしゃったのですよね。
アルルは20年以上前に行ったのですが、その頃は特にロマネスクに興味なかったのでサン・トロフィーム教会には行きましたが、行ったということしか覚えていません。
ももんがあまんさんのアルルじっくり見せていただきます。
ロマネスクに興味なかった頃とはいえ、アルルは大変気に入った町でした!
- ももんがあまんさん からの返信 2015/11/10 23:48:05
- RE: モンペリエ、エーグ・モルト
- 今晩は、コクリコさん。
> モンペリエの芋虫さん、私が行った時より車体のデザインが増えてい
ますね。
> 派手になったけれど、以前のブルー&白や可愛い花柄が健在で安心しました。
とても派手で、印象的な「イモムシ」でした、コクリコさんの乗られた「イモムシ」も健在でしたね・・ハハ・・
> 19世紀の水道橋ですが100年もたつとローマ時代の水道橋と見分けがつか
なくなるほど貫禄が出てきますね。
ただの石ですのでね・・・100年も、1000年も、あまり関係ないのかも・・・彫り物でもあったら、磨滅の仕方で、多少は違うのかもしれないけど・・・でも、コクリコさんの旅行記を読んだので・・・恥をかかなくて、良かった〜・・ハハ・・・
> モンペリエはラングドック、エーグ・モルトはプロヴァンスとは言えど
ちらも南仏の抜けるような青い空ですね。
「エーグ・モルト」も、まだ「ラングドック」なんですよ・・・お隣の、「サント・マリー・ド・ラ・メール」からが「プロヴァンス」・・・「サン・ジル」がまた「ラングドック」で、「アルル」が「プロヴァンス」・・・ややこしいのですね・・・しばらくは、「ラングドック」とプロヴァンス」を行ったり来たりの旅行記になります・・・・でも、気候は、何処も「地中海性気候」って感じですね、北フランスとは、かなり違います。
> エーグ・モルトは↓でwizさんの書き込みに書いたと思いますが、数年前の
BSの番組「世界わが心の旅」でヨーロッパ中世史研究家の木村尚三郎さん
が訪れている回が録画してあるのでまた見ていますが、番組では城壁内に
は入っていないのです(コンクやエクスアンプロヴァンス、カルカソンヌ
などは時間をさいていましたが)。
> 残念に思っていましたが、ももんがあまんさんの旅行記で見られました!
> カルカソンヌを小規模にした感じ。
> 無骨で素朴な城壁に囲まれて内部は現在ではしゃれた観光地になっている
のですね。
「エーグ・モルト」は、なんといっても、フランス王としては、ただ一人の聖人「ルイ」の街ですのでね、結構人気があると見ました・・・それに、町の敷地自体は、「カルカッソンヌ」よりも、大きいように感じました?・・・でも、「カルカッソンヌ」ほど、大きな建物は無いし、城も無ければ、教会もショボイ、堀も埋まってて無いので、城壁も貧弱に見えます、それに、平たんな土地なので、「カルカッソンヌ」のようには、見た目が、かっこよくないのですね・・ハハ、ボロクソですね・・でも、南フランスの日差しは明るいし、広々とした土地なので、見晴らしは、とてもいいです・・ハハ、良いところも有ります・・・
> 十字軍の船に兵士たちは一人ずつ自分のトランク兼寝床兼お棺にもなる
大きな箱と飲料水用の小樽、食料、尿瓶を持って乗船し、船中で死ねば
その箱に入れられて海に投げ捨てられたという、まさにももんがあまん
さんがおっしゃる中世の闇の部分ですね。
いつの時代にも、光があり、影があるのでしょうし、人も社会も、進歩しているようで、決して、この世の問題を、解決できない生き物だとは思うのですけれど (それは、いやでも問題が生じてくるから・・・) でも、過去の過ちや愚かさは、過去を顧みて、学びさえすれば、解ることだと思うし、同じ過ちをしないよう改めることは、出来ることだと思うのですね (それは、一人一人の人生でも同じだから・・・) 今の日本と日本人の過ちは、歴史(過去)に目をつぶり、歴史(過去)から学ばないこと・・・都合の悪いことには、全てに目をつぶり、何一つ責任を取らず、ただひたすらに、日本(己れ)を美化し、妄想していることだと思いますね・・・一人の人間としても、こんなナルシストの、気持ちの悪い奴は、信用できないし、付き合いたいとは思わない・・・そうなんじゃないでしょうか・・・こうして日本は、過って「孤立」の道を歩んだし・・・今も、世界が日本をどう見ているか・・・外国への、旅を愛するものとしては、うすら寒くなる思いです・・・
> アングレームの旅行記を書く時に読んだ本にアングレームの大聖堂の大き
な装飾的ファサードはサン・ジルに共通していると書いてありましたが、
サン・ジルもいらっしゃったのですよね。
「アングレーム」の旅行記拝見しました・・・でも、「サン・ジル」との共通点は・・・?・・・という感じに見えました・・・建物も、遥かに「アングレーム」が大きそうですし・・・「アングレーム」は、見た感じ、確かに「装飾的」ですね・・・確かに、「サン・ジル」にも、一部に、そんな「レリーフ」が無いことも無いけれど、スケールは、ずっと小さいですね・・・
> アルルは20年以上前に行ったのですが、その頃は特にロマネスクに興味な
かったのでサン・トロフィーム教会には行きましたが、行ったということ
しか覚えていません。
> ももんがあまんさんのアルルじっくり見せていただきます。
> ロマネスクに興味なかった頃とはいえ、アルルは大変気に入った町でした!
「アルル」の「サン・トロフィーム教会」は、想像以上に素晴らしかったです・・・教会のスケールは、驚くほど小さな教会ですけれど、入口の「彫像群」は、良く保存されているし、綺麗に修復されていましたし、回廊の「柱頭彫刻」や柱側面の「彫像」や「レリーフ」は、他に比べても、かなり上位ランクの出来栄えでした・・・乞うご期待!ですね。
by ももんがあまん
- コクリコさん からの返信 2015/11/11 21:42:03
- RE: 新・映像の世紀
- こんばんは!
旅行記とは関係ない事ですが、
> いつの時代にも、光があり、影があるのでしょうし、人も社会も、進歩しているようで、決して、この世の問題を、解決できない生き物だとは思うのですけれど (それは、いやでも問題が生じてくるから・・・) でも、過去の過ちや愚かさは、過去を顧みて、学びさえすれば、解ることだと思うし、同じ過ちをしないよう改めることは、出来ることだと思うのですね (それは、一人一人の人生でも同じだから・・・) 今の日本と日本人の過ちは、歴史(過去)に目をつぶり、歴史(過去)から学ばないこと・・・都合の悪いことには、全てに目をつぶり、何一つ責任を取らず、ただひたすらに、日本(己れ)を美化し、妄想していることだと思いますね・・・一人の人間としても、こんなナルシストの、気持ちの悪い奴は、信用できないし、付き合いたいとは思わない・・・そうなんじゃないでしょうか・・・こうして日本は、過って「孤立」の道を歩んだし・・・今も、世界が日本をどう見ているか・・・外国への、旅を愛するものとしては、うすら寒くなる思いです・・・
ももんがあまんさんの↑のコメントを読んで思い当たったもので。。。
10月からNHK総合で月に1回放映される『新・映像の世紀』ごらんになりました?
すでに見てたらごめんなさい。
10月25日に放映された第1回は「百年の悲劇はここから始まった(第1次世界大戦)」でした。
録画したので見たのですが、身震いするほどでした。
百年前のカメラが捉えていた第1次世界大戦とそれに関係のある世界の出来事・・・ヨーロッパ、ロシア、オスマン帝国・・が残酷で悲惨なシーンもありますが偏りなく、冷静に淡々と語られています。
私たちの良く知っているあの時代の有名人たちが動いている(変な言い方?)、語っている場面も興奮しました。
現在の難民、中東問題の根は第1次世界大戦から始まったと言っても良いですね。
ノーベル物理学賞なんて、一歩間違えれば恐ろしい。
イギリスやアメリカの英雄「アラビアのロレンス」のアラブへの裏切り、、、ロレンスはイギリスに最後は絶望してたようですが。
共産主義の英雄レーニンの残虐性。
ドイツは今、難民問題で大変ですが、第1次世界大戦からして多くの難民を出したドイツなので、ドイツが難民問題で先頭にたつのは当然なのですね。
第1次世界大戦の反省する間もなく第2次大戦に突入した各国の思惑・・・もんがあまんさんの書かれたように過去の過ちから学ぶということの難しさがわかったような気がしました。
第1次世界大戦後ヨーロッパを視察した当時の日本の皇太子は、その悲惨さを目にし、このようなことを起こしてはいけないという内容の歌を詠んでいましたが、それを防ぐことはできませんでしたね。
「新・映像の世紀」2回は11月29日(日)でテーマは『グレートファミリー(超大国アメリカの出現)』です。
番組のHP貼っておきますね。
http://www.nhk.or.jp/special/eizo/
私は1995年に放映された「映像の世紀」も見ていました(録画したり、するの忘れたりしましたが)。
1995年版も今回も加古隆さん作曲のテーマ曲が流れていて、それもとても番組に相応しい素晴らしい曲だと思っています。
同じ曲で良かった!
- ももんがあまんさん からの返信 2015/11/12 00:19:32
- RE: RE: 新・映像の世紀
- こんばんは! コクリコさん。
ワタクシの面倒くさい「独り言」に、お付き合いいただきまして、有難うございます・・・ハハ・・・無視していただいて、良いんですよ・・ハハハ・・
> 「新・映像の世紀」2回は11月29日(日)でテーマは『グレートファミリー
(超大国アメリカの出現)』です。
> 番組のHP貼っておきますね。
> http://www.nhk.or.jp/special/eizo/
有難うございます、新作でしょうか? 昔、BSで見た記憶があるのは、前作の「映像の世紀」でしょうね?・・・最近、NHKは、全く見ないので (地上波自体を全く見ないのです)・・目が潰れて、脳が腐る気がするので・・ハハ・・
でも、これは面白そうなので、見てみますね・・・NHKは、時々、良い番組も作るらしいけれど、日本の事となると、まったく、過去の「批判的検証」を、しようとしないのですね・・・ずいぶん昔に「地上の星」という、評判の良い番組があったですけど・・・ワタクシは、あの「ナルシズム」には耐えられなかったです (中島みゆきの歌は良い歌だと思うけど・・ハハ)・・・あの番組の「ナルシズム」が、もうすでに、日本の「病状」を先取りして表していたのですね・・・今は、そう見えます。
ヘーゲルによれば、「失敗は、二度しなければ、人は過去から学ばない」らしいのですけれど、その伝でいけば、今日のドイツは、二度の失敗のおかげということになるので、日本も、もう一度、失敗しないと解らないかもしれないのですけれど・・・ワタクシは、もうすでに、二度失敗していると思います・・・一度目は、今上天皇の言い方に従えば、「満州事変に始まる15年戦争」、そして、二度目は、「福島原発の被災」ですね (ともに、「神話」を作り出し、その「神話」に、騙された)・・・ともあれ、今度失敗したら、もう日本は「国破れて山河なし」ということになるかも?・・・体に巻きつけた原発が、もう一つ二つ爆発すれば (事故だけでなく、戦争で、電源が喪失することは、十分にあり得るので)・・・そうなれば、もう、この日本列島は、「核のゴミ捨て場」にするしか、利用価値がなくなるかも・・?・・今でも、福島を中心とした「関東地方」は、世界基準で言えば「放射能管理地域」で、普通なら、人は住めない土地なのですから・・・もう、二度・三度、失敗するような余裕は、日本には無いと、ワタクシは思うのです。
悲観的過ぎると、思われるかもしれないけれど・・・今の日本の政治家や官僚の、知性と理性のお粗末さは、尋常ではないと思うので・・・このままでは、間違いなく、日本は滅ぶと思います・・・
by ももんがあまん
-
- wiz さん 2015/11/07 22:34:22
- ラングドックやプロヴァンスは
- ももんがあまんさん、Bonsoir!
エーグ・モルト/モンペリエ、サント・マリー・ド・ラ・メール/サン・ジル編拝見しました。
ももんがあまんさんのエーグ・モルトやサン・ジル(目と鼻の先のアルルはプロヴァンスだけどサン・ジルはラングドック)のコメントでもあるように、このあたり(ラングドックやプロヴァンス)は、この当時のフランス王領だった地を、地図を見て思い出さないとなかなか難しいですね〜。
今、佐藤賢一氏の『カペー朝』に載っている「1229年の南フランス」や「ルイ9世死没時(1270)のフランス」の地図、それから、エーグ・モルトの話題がたしか載っていたなぁ・・と、紅山雪夫著『フランスものしり紀行』を開きながら、ももんがあまんさんのお写真見ています^^; 「ブルゴーニュ人の塔」のことも書かれていました〜(城壁の西南隅を固めている塔とのこと)。
(1240年頃)当時フランス王に直属している港が一つもなかったところで、エーグ・モルトは、ルイ9世がどうしても欲しかった自前の根拠地となったわけですね〜。 ももんがあまんさんの旅行記で、しっかり頭に入りました!
12世紀後半にはゴシックの大聖堂建設時代が来ていたわけだし、ルイ9世の頃(13世紀)には建築的にも随分発展していたんでしょうね〜。 ももんがあまんさんのコメント「だんだん作り慣れてきたという感じがします・・・」という部分に注目しました。
サン・ジルの教会は、大きそうに見えるけれど、それほどでもないんですね?!
wiz
- ももんがあまんさん からの返信 2015/11/08 01:56:09
- RE: ラングドックやプロヴァンスは
- Bonsoir! wizさん。
> ももんがあまんさんのエーグ・モルトやサン・ジル(目と鼻の先のアルルはプ
ロヴァンスだけどサン・ジルはラングドック)のコメントでもあるように、この
あたり(ラングドックやプロヴァンス)は、この当時のフランス王領だった地
を、地図を見て思い出さないとなかなか難しいですね〜。
「サン・ジル」を中心にしたこのあたりは、もともとは、「トゥールーズ伯領」だったんだそうです、ルイ九世の少し前、フィリップ二世とルイ八世の時代(13世紀前半、アルビジョワ十字軍時代)に、フランス領になったようです・・・多分?・・・ルイが王に即位して後は、母ブランシュが摂政として、十字軍を継続して、このあたりのフランス領を守ったたのだとか・・・ルイが成人するころには、戦争も終結し、領土も確定して、何もやることが無くなっていたようですね・・・あとは、「聖地奪回」あるのみ・・・ハハ。
> サン・ジルの教会は、大きそうに見えるけれど、それほどでもないんです
ね?!
「サン・ジル」の教会は、入口が三つあるし、手前に階段がついてるので、見た目は大きく見えるんですけれど、奥行きは、あまり感じなかったので、、多分、モワサックやボーリューの教会と、建物全体のスケールは、それほど違わないかと思います・・・モワサックや、ボーリューは、入口は一つですけれど、その一つが、結構、立派な作りをしてましたしね・・・でも、三つの入り口(三位一体の表現?)等は、ゴシックの教会で、良く見られるパターンですし、ずらっと並んだ聖人の像も、ゴシックの入り口の立像を思わせます (あまり細長くは無いです)・・・その意味では、時期的に、過渡期?を思わせるような、貴重なものを見た気がしてます・・・勘違いかもしれないけれど、ファサードなどは、1120〜1160年ころの作のようなので・・多分ですね?
by ももんがあまん
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- たぽじいさん 2015/11/04 14:10:40
- つい、懐かしくて……
- ももんがあまん様
こんにちは。ご無沙汰しております。
モンペリエはよく耳にする街ですが、エーグ・モルトは初めて耳にする名前です。このような街があった(作られた)とはちょっと驚きです。歴史に無知な私ですので当然と言えば当然ですが。
全く的外れな話ですが、「ピトー管」が出てきてびっくりです。ピトーってのは多分発明者の名前だろうとは思っておりましたが、フランス人であのような建物を作ったとは、まさに知りもしませんでした。
子供の頃から飛行機が好きで、漫画みたいなものを描いていましたが、忘れずピトー管を描き加えて「どうだ!!、お前ら知らないだろう」と優越感に浸っておりました。
ずっと忘れていたコトバを思い出させてくださり感謝です。
- ももんがあまんさん からの返信 2015/11/04 20:33:47
- RE: つい、懐かしくて……
- 今晩は、たぼじいさん、お久しぶりです。
たぼじいさん、飛行機マニアだったんですか?
「ピトー管」なんて、ワタクシも全く知りませんでした(文科系なので・・ハハ)・・・飛行機には、とても大事なもののようですね・・・でも、事故のもとになっていたり・・・扱いを間違えると、かなり大変な代物のようですね。
また、お便りください。
by ももんがあまん
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