2015/09/12 - 2015/09/13
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say13さん
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4日目の今日はプラハの一日観光です。翌日はテルチ、チェスキークルムロフを経てオーストリアのウイーンへ向かいます。
チェコ共和国は1993年ソロバキアと分離独立し、人口約1050万人ほどで国土は日本の5分の1です。
一人当たりのビール消費量は世界第一のビール大国で楽しみにしています。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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マリオット・エアポート・ホテルは7階建ての近代的な建物です。セキュリテイがしっかりしています。エレベーターで客室階へ行くにはルームキーで操作が必要です。吹き抜けの広い空間です。
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ホテルはプラハ国際空港のターミナル2と屋根付きの連絡路で繋がっています。ターミナルの中にスーパーマーケットのBILLAが入っています。コンビニ感覚ですが品揃えは充実しています。ビールや水が格安で手に入り旅行者にとってはありがたいことです。
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朝食の後、9時前にホテルを出発し初めに向かうのはプラハ城です。
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プラハ城は聖ヴィート教会、聖イジー教会、旧王宮などの建物の集合体で9世紀に建設が始まり14世紀に現在の形になったようです。
フラチャニの丘の頂にあり、横幅は580mもある東西に細長い壮大なお城です。
北門から入ります。 -
北門を入ると第二の中庭になります。
奥に見える白い建物は聖十字架礼拝堂で、その手前に見える小さな鳥籠のようなところに井戸があります。 -
第二の中庭には1686年に造られたバロック様式のコール噴水が置かれています。
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第一の中庭です。中庭側からプラハ城の正門を見ます。
右に見える白い建物は、大司教宮殿です。 -
第一の中庭と第二の中庭を結ぶ門がマチアス門です。
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一旦フラチャニ広場に出て見ます。
城正門の左右に衛兵が立っています。皆さん一緒に記念撮影です。
門の上には1768年イグナーツ・プラツェルIgnaz Franz Platzer が作った彫刻、戦う巨人たちの複製が立っています。奥に見えるのがマチアス門になります。 -
マチアス門を通り、第二の中庭を東側へ進み第三の中庭に入ると、聖ヴィート大聖堂が現れます。
大聖堂の正式名称は、聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ大聖堂 St. Vitus, Václav and Vojtěch - Cathedral と言い3人の聖人を奉っています。
この教会は、925年にボヘミア公のヴァーツラフ1世によって聖ヴィートに奉げられた教会が始まりです。1060年プラハに教区が置かれ大規模な教会の建築が開始されました。現在のゴシック様式の大聖堂は1344年に設立されました。多くのボヘミア王の墓が祭ってあります。
大聖堂の西正門入り口上部にバラ窓があります。バラ窓は1925年から1927年にかけて、フランティセク・キセラによってデザインされ、聖書の創世記のシーンを表しているそうです。 -
建物の至る所に怪物のような彫刻が突き出ています。これはガーゴイルと呼ばれ、雨水を建物から離して落とす雨樋の役目をするものだそうです。
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大聖堂の内に入りました。天井の高さは34メートル、幅60メートル、奥行き124メートルの大空間です。天井のジグザグ模様が特徴的で、アーチ形に歪曲して力を分散させ重い天井を支えるための知恵が使われています。
この方法を用いると大きな壁面で支える必要がないため、壁面に大きなステンドグラスを設置することが出来るのだそうです。 -
西正門入り口上部にあるバラ窓を内側から見ています。
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1931年制のミュシャのステンドグラスです。
聖キュリロスと聖メトディウスという題材のキリスト教布教の物語が描かれているようです。 -
ステンドグラスの下部にスポンサーのチェコのスラヴィア銀行BANKA SLAVIEの名前があります。
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これもミュシャの制作によるもので、右下にハート形のプレッツエルを持った人物がいます。パン屋さんがスポンサーだそうです。
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聖ヴィート大聖堂を出てプラハ城旧王宮がある第3の中庭に移動しました。
左側にある石柱は第一次世界大戦の犠牲者の記念碑だそうです。 -
第3の中庭の南側から聖ヴィート大聖堂を望みます。
左に見える西側の塔は82メートルあり、中央に見える南側の塔は、この教会で一番高く、96.5mあります。 -
塔にある時計です。上が時を、下が分を示します。ルドルフ二世が作らせたそうです。
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黄金の門Golden Gateの上には1370年頃に造られた最後の審判のモザイク画があります。よほどの要人でない限りめったに開かない門だそうです。
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少し進むとイジー広場があり、聖イジー教会があります。教会の後ろに2本の白い尖塔が見えます。左右の太さが違います。これはアダムとイブを表すのだそうです。
プラハ城で最も古い教会で921年に建てられました。
元々はボヘミアの王の墓があった所ですが、墓を移し現在はコンサート会場として使われています。 -
聖イジー教会の右隣に聖イジー修道院(女子修道院)があります。
ファサードにマリアテレジアの名前があります。庶民向けの教育改革を行ったことで知られています。 -
教会の脇にも聖イジーをモチーフとした彫刻があります。
馬にまたがりドラゴン退治の彫刻です。 -
イジー教会の裏側です。
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もう少し進み建物をくぐり抜けます。
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プラハ城の東門に来ました。
門を出た右方向に南庭園の入り口があり、ここを通りフラチャニ広場方向に進みます。
プラハ城の南側を通リ初めに入った広場の所に戻る感じです。 -
南側の城壁です。
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真ん中に聖トーマス教会、右側に聖ミクラージュ教会が見えます。
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黒っぽく見えるのが旧市街地側に建つ橋塔でカレル橋が少し見えます。
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聖ミクラージュ教会が見えます。ちなみに同じ名前の教会が旧市街広場にもあります。
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聖トーマス教会です。背の高い細い八角形の尖塔の塔が特徴です。
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遠くの丘の上に、エッフェル塔を模したという高さ60メートルのペトシーン展望台が見えます。
この展望台は1891年のボヘミア王国安息博覧会で作られ、翌年ペトシーンの丘へ移されたものだそうです。 -
噴水もあります。
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フラチャニ広場方向を目指し進みます。右手は旧王宮のようです。
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フラチャニ広場の手前で小さな門をくぐり、Uターンするように石の階段を下りていきます。
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階段が狭くなっています。
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建物の壁にミュシャのレリーフがあります。
1911−1924住んでいた チェコの画家・グラフィックデザイナー ZDE ZIL V LETECH 1911-1924 CESKY MAlIR A GRAFIXと書かれており、Alfons Muchaのサインがあります。
先ほど聖ヴィート大聖堂で見てきたステンドグラスの制作者です。 -
ミュシャが住んだ家です。
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ミュシャの住んだ家の先を右に曲がるとマラー・ストラナ広場に出ます。
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マラー・ストラナ広場の西側に、聖三位一体の円柱があります。1713年当時流行していたペストの終焉を祈願して作られたものです。
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聖ミラージュ教会です。 FRANCISCVS CAROLVS ここにはモーツアルトが滞在時に弾いたパイプオルガンがあるそうです。
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モステッカー通りの細い道を進みます。
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マラー・ストラナ橋塔が見えます。まもなくカレル橋に続きます。
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カレル橋は神聖ローマ皇帝カール4世の時代の1402年に完成しまた。橋の長さは515m、幅は9.5mあります。1841年までは右岸のプラハ旧市街と左岸の王宮をつなぐモルダウ川に架かる唯一の橋でした。
また この地域は川が氷結し、雪解けの水で幾度となく大きな被害を受けているそうです。 -
橋脚の上流側には、氷除けのために木で組んだ小さなやぐらが置かれています
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遊覧船が見えます。
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カレル橋の両側に合計30の像があります。これらの像は17世紀末から20世紀前半に取り付けられました。
この像は聖ヨハネ又は聖ヤン・ネポムツキーとも呼ばれている人物で、十字架を手に頭上に5つの星が輝く像として1863年に作られました。この像はブロンズ製ですが他の像は砂岩で作られています。 -
台座部分のレリーフに刻まれた聖人をなでると幸運が訪れると信じられているのでピカピカに光っています。右側は、橋から投げ落とされるネポムツキーのありさまを示すレリーフです。
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色々な説があるようですが、王を怒らせた聖ヨハネは拷問を受け、1393年3月に命を落とし、その遺体はカレル橋の上から投げ捨てられました。その後川岸で発見されました。
投げ入れたと言われる場所にレリーフがあります。以外に小さいので見逃すところでした。 -
聖フランシスコ・ザビエル像です。日本にキリスト教を伝えたことで知られているフランシスコ・ザビエルはスペイン出身ですが、イエズス会の影響が強かったここプラハでも知られていたようです。
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布教先であったアジア人たちに支えられた姿になってカレル橋上に飾られています。
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カレル橋の旧市街橋塔をくぐり抜けます。
前方に見えるのは聖サルヴァートル教会で1601年建築のプラハで最初のイエズス教会です。 -
この交差点は車道と市電が左右に通っています。
まっすぐ進む人通りの多い割には歩行者用信号がすぐに赤になってしまいます。 -
カレル通りをしばらく歩くと旧市街広場に出ます。
左側の建物は旧市庁舎で、数世紀をかけて民家を買い取ったり増改築を行ったため、14世紀から19世紀の建築様式が混在した建築集合体になっています。
角のヴオルフィン館は1338年に買い取りその一部に時計塔を建て、1410年に天文時計を設置したそうです。 -
時計塔の高さは69mあり南の壁面に天文時計があります。
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広場にひときわ高くそびえる聖ミクラージュ教会の塔が見えます。
プラハ城近くのマラー・ストラナ広場にある教会と同じ名前です。 -
広場から少し南側に行くと伝統的なチェコのレストラン STARE CASY があります。今日のお昼はここです。
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オリジナルのピルスナーとダークを頼みました。
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ハンガリーが起源の牛肉シチュー料理です。
牛肉とタマネギ、パプリカなどを煮込み、味は濃厚です。白いクネドリーキは小麦粉を卵と牛乳で練って棒状にしたものを茹でたパンのようなものです。 -
昼食後再び天文時計を見に行きます。
この時計は15世紀に造られ当時のままで今も動いています。上の円盤は地球、太陽、月を表し時間を示しています。下の円盤は四季の農作業が描かれているそうです。
上の四角の小窓に毎時、仕掛け人形が現れます。動画で撮影しましたが小窓から現れる人形ははっきり見えませんでした。 -
塔に登ろうと思いインフォメーションに入りエレベーターで3階まで行きましたが、待っている人が多すぎて諦めました。時間があればと思います。
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旧市街広場にヤンフス像があります。ヤンフスは敬虔なキリスト教徒で堕落したローマ教会を批判したため1415年に火あぶりの刑に処されました。
彼の死はチェコのヤンスフ信奉者に衝撃を与え、カトリック教会と激しく対立するきっかけとなったようです。
この像はヤンフスの没後500年を記念し1915年に造られました。 -
広場から見た時計塔です。
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正式名はティーンの前の聖母マリア教会です。ティーンは税関のことで、教会の前に税関があったためです。
12世紀の創建で14世紀の改築で、現在のゴシック様式の建物になりました。高さは80メートルある2つの塔が特徴です。 -
教会の前はレストランなどの建物で囲まれており、とても教会の入り口とは思えません。
プロテスタント教会が宗教戦争によってカトリック教会に変えられた時、怒ったプロテスタント系市民が教会入り口に建物を建ててふさいでしまったからなんだそうです。 -
教会の入口はこの通路を入っていくとあります。初めに行った時はミサの最中で中に入れませんでした。時間をずらし再度訪れ中を見学しました。厳かな雰囲気がある教会です。残念ながら撮影禁止です。
また教会の入り口では、コンサートのチケットを売っているおじさんが熱心に内容を説明してくれました。 -
東方向に少し歩くと火薬塔に着きます。15世紀終わり頃に旧市街の入り口に建てられた65mの塔です。17世紀に火薬置き場として使ったことから火薬塔と呼ばれています。
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市民会館です。この建物はプラハのアール・ネーヴォーで1911年に出来た建物です。
プラハの春音楽祭のメイン会場として有名なスメタナホールがあります。 -
スメタナホールの明日コンサートのポスターです。ホールの中の雰囲気がわかります。
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SALY OBEC DOMUと書かれたドアから中に入ってみました。
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チケット売り場です。奥にショップがありました。
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市民会館の向かいのHybernia劇場です。
17世紀に教会として建てられた建物を2006年に劇場に変えたようです。
ミュージカル雪の女王DIVADLO HYBERNIAの大きなポスターがあります。 -
この先にスーパーマーケットのBILLAがあります。中に入ってみましたが品揃えが豊富な大型店です。
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大型ショッピングモールのパラデウムは市民会館の斜め向かいにあります。
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中に入ると吹き抜けの広い空間があり、様々なお店がテナントとして入っています。
ちなみにトイレは無料で使えますが少しわかりずらい場所です。 -
外へ出ると路面電車が走っていました。
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旧市街広場の方向に戻る途中に黒い聖母の家と呼ばれるキュビズム建築があります。
キュビズムは立体派と言われいろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収める手法でパブロ・ピカソらが提唱しました。建築物に応用したのがこの建物だそうです。
ガイドブックには一階がキュビズムショップで3,4階は博物館とありましたが改装中なのか不明ですが撤収してなにもありません。二階のカフェーは営業中です。 -
建物の名前の由来となった黒い聖母像が二階の角にあります。
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旧市街広場を通リ抜け旧市街地のカレル橋塔が見える川岸に戻ってきました。
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聖フランティスク教会です。
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カレル4世はボヘミア王国の王位に着き、プラハ城の聖ヴィート大聖堂の建設やカレル橋の建設などを行いました。
この像はカレル4世が1348年に設立したプラハ・カレル大学創立500周年を記念して建てられたものです。 -
カレル像がある場所から路面電車沿いに少し南に行くとレストランがあります。そのレストランのテーブルの脇を川岸方向に進むとスメタナ博物館があり、その前にスメタナの像があります。
スメタナの像は没後100年を記念して建てられたものです。
地図を頼りに来ましたが、結構分かりずらい場所にあります。 -
川岸から見るカレル橋です。
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カレル橋の奥にプラハ城が見えます。
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スメタナ博物館は市街給水所の管理棟として建てられ1936年に博物館になりました。
スメタナはチェコの作曲家で交響詩の2曲目モルダウは特に有名です。
スメタナは6年間住んでいたそうです。 -
5時で閉館したため館内に入ることが出来ませんでした。館内の様子を表すパネルで我慢です。
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歩行者用の信号を渡り、カレル通りを引き返しレストランに向かいます。
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カレル通りの土産物店で買った操り人形マリオネットです。
チェコは第一次世界大戦時ドイツによるゲルマン化が進められチェコ語を話すことを禁止されました。しかし人形劇だけは文化としてチェコ語での上映が許されていたそうです。 -
お目当てのウ・メドヴィードクーにたどり着きました。1466年創業の地元で人気のビアホールです。大きな部屋の入り口から入ったのですが、なぜか小さい部屋の方に案内されました。一組のお客さんがテーブルで食事をしており、4,5人は座れる隣のテーブルに案内されました。壁際には少し高い椅子と小さなテーブルがあり、ビールグラスを傾けて話をしています。地元の常連客のようで、ビールを飲み終えるとお金を置いて立ち去ります。落ち着いて食事ができます。
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この店の2階でビールを醸造しています。色が濃い目の少し甘いビールと普通の色のビールを頼み飲み比べてみました。
食事には普通のビールが合います。いずれにしても一杯120円位です。 -
メインで頼んだのは1kgの骨付きのローストポークです。かなりワイルドな感じでナイフが刺さったまま出てきました。パスタも頼みました。
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野菜とチーズが入ったサラダです。
そういえばすべてのメニューにグラム表示別の値段が書いてありますが、サラダ200gと書いてあってもボリュームがピンときません。 -
肉を切り分けると結構なボリュームです。とてもおいしく頂けました。
二人で、ビール4杯を飲んでチップを加え、800コルナ約4000円の支払いです。 -
宿泊ホテルまでの帰りはタクシーを利用しました。現地のガイドさんからプラハで一番有名なホテルから乗るのが安心と聞いていましたので、インターコンチネンタルホテルまで10分ほど歩きます。
途中、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のルドルフィナム・ホールを見つけました。
フロントでタクシーを頼みます。行き先を書いたメモを渡し運賃はドライバーから告げられ乗り込みました。ドライバーによるとホテル専属の車だそうでメーターは付いていません。グレードの高い車で快適です。
運賃を聞いたときチップは別と言われたので少し多めに渡したところ、お釣りを渡されました。
30分程で到着し650コルナ約3250円でした。 -
翌朝プラハの国際空港に隣接しているホテルを7時30分に出発し、南東に160?離れたテルチを目指します。
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プラハとウィーンのほぼ真ん中にあるテルチに到着です。
人口池で囲まれた天然の要塞の街です。 -
ドルニー門をくぐり街の中に向かいます。
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中に入ると細長い三角形の広場がありザハリアーシュ広場と呼ばれています。
二本の塔が見える建物はイエズス教会で、奥に見えているのは聖ヤコブ教会です。高さは60mあります。 -
広場に面している家並みです。
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テルチの町は幾度かの火災にあっています。16世紀にザハリアーシュ家によってルネッサンス・バロック様式へと改修が行われました。アーケードを造り家の高さを揃え色とりどりの装飾を施した家並みが続きます。
一瞬どこかのテーマパークかと思えるような景観です。 -
テルチの家TELCSKY DUMと書かれた看板があります。店の中にはセラミックで作った人形などが飾ってあり販売もしています。
おとぎの国と思しき展示もありました。 -
広場の南側に建っている聖ドゥハ教会です。
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テルチの街をかたどったものです。池に取り囲まれている様子がわかります。
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18世紀後半にペストの終焉を記念し建てられた聖母マリア柱像です。
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この時は観光客がほとんどいませんでした。左端の建物の壁はスグラフィートといわれる技法で模様を浮き立たせているそうです。
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広場から少し歩き池を挟んでテルチの街を見ると異なった趣です。
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テルチを後にしてバスで100?ほど移動しチェスキークルムロフにやってきました。
城に架かるブラーシュティ橋をくぐり抜けます。上の建物は城の一部で、逆光になるので橋をくっぐって南側からの写真です。 -
モルダウ川が見えてきました。川は馬蹄形に曲がりくねって流れています。
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橋を渡り街の中に入っていきます。
真ん中に小さいですが細く見える塔は聖ヴィトゥス教会です。 -
川を渡って振り返るとブラーシュティ橋の大きさがわかります。
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13世紀にボヘミアの森を開墾して城が建てられました。その後持ち主が変わるたびに城は増築・改修を重ね様々な様式が混在する独特の建築様式を完成させたようです。
余談ですがアメリカの映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏の祖先が城主だった時代もあったようです。 -
この地域の隆盛も19世紀までで産業革命の影響でボヘミアの山中の街は廃墟の道をたどり忘れ去られていました。しかし1989年のビロード革命以降の民主化によってこの地は急速に再興し、眠れる森の美女の目覚めと言われています。
長い間廃墟同然だったため当時のままの姿が残されたようです。 -
建物の中に岩が見えますが地形をそのまま取り込んでいます。
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モルダウ川でカヌーを楽しんでいる人がいます。
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今は動いていませんが家の中に水車があり水が流れています。
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建物にはMUSIC BARと書いてあり、入口にはキューバのラム酒のポスターが貼ってあります。
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木工製品のお店です。昔は木材の宝庫だったようです。
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テルチと似たような建物の景観です。
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スヴォルノスティ広場にはペストの終焉を記念して建てられたマリア記念柱があります。
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広場にあるレストランで昼食です。チェコのビールはとても美味しいです。
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マス料理が出てきました。
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昼食後お城が見える場所に向かいます。右手に見えるのは1889年創業のホテル ルージュでイエズス会神学校だった建物を利用したホテルです。
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モルダウ川が曲がりくねっています。
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川の上に張ったワイヤーロープを滑車を使って滑り降りるアトラクションです。案内板に長さ130m高さ30mと書いてあります。
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子どもさんが滑り降ります。
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下に降りるには一番早い方法ですね。
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街のどこからでも見えるのがチェスキークルムロフ城。
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市街地に入るときくぐったブラーシュティ橋が真ん中に見えます。
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チェスキークルムロフを後にして一路オーストリアのウイーンを目指します。レストハウスでトイレ休憩です。250?ほどの移動です。
明日からはウイーンの観光です。
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