2015/08/01 - 2015/08/02
23位(同エリア97件中)
naoさん
異常な猛暑の中、8月1日から2日にかけて富山と石川を訪れました。
旅の行程
8月1日 五箇山:菅沼集落、相倉集落、上梨集落
8月2日 白山市白峰、加賀市加賀東谷
石川県南部に位置する加賀市の、南東部に広がる山間を流れる二本の主要河川のうち、主に大聖寺川沿いは西谷、動橋川(いぶりばしがわ)沿いは東谷と呼ばれ、江戸時代には、これら谷筋を中心に多くの集落が点在していました。
この頃の東谷には、荒谷・今立・大土・菅生谷・四十九院・中津原・滝・杉水・西住・市谷・上新保・二ッ星・小坂・横北・水田丸・柏野・須谷・塔尾の集落がありましたが、明治22年以降、荒谷から上新保までの11集落が東谷奥村に、また、二ッ星以下の集落が東谷口村となります。
さらに、昭和30年には東谷奥村が山中町と、昭和33年には東谷口村が加賀市と合併したため、東谷という地名は無くなってしまいましたが、地元の皆さんの間には「加賀東谷」と云う呼び方が通称として残っています。
近年の豪雪災害による離村や、大聖寺川における我谷ダム及び九谷ダムの建設による水没など、消滅する集落が少なくない中、加賀東谷の、荒谷、今立、大土、杉水の4集落は、今も里山ならではの風情豊かな景観を保っています。
かつて、これらの集落には茅葺屋根の平屋建て民家が点在していたようですが、明治時代の人口増加に伴い、赤褐色の桟瓦葺き屋根の妻入り2階建て民家への建替えや新築が進められ、現在見られる姿が整いました。
これら4集落は、加賀藩の支藩である大聖寺藩の命により木炭の生産を主要産業として以来、昭和20年代まで営々と炭焼きを続けてきましたが、家庭用燃料のLPガス化により木炭の需要が減少したのをきっかけに過疎化が進み、現在では空家が目立つようになっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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動橋川の谷筋の、かつて東谷奥村に属していた、荒谷、今立、大土、杉水の4つの集落がある加賀東谷へやってきました。
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時代の変遷とともに消滅する集落が少なくない中、これら4集落は今も昔ながらの里山風景を見せています。
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では、先ずは加賀東谷4集落の入口にあたる、県道153号線沿いの荒谷集落を訪れます。
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これら4集落には、かつて茅葺屋根の平屋建て民家が点在していたようですが・・・
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明治時代の人口増加により、赤褐色の桟瓦葺き屋根の民家への建替えや新築が進められ、現在の姿が整いました。
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集落の民家は、ほぼ赤褐色の桟瓦葺き屋根で統一されています。
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県道153号線を少し北に外れた所にある、荒谷集落の守り神、荒谷神社です。
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人の生活する気配が伝わってくる民家。
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空家の隣では、改修工事も進められています。
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荒谷集落を貫いている県道153号線です。
この先の今立集落へと続いています。 -
2階の窓下には、鯉の滝登りをモチーフにした細工瓦がつけられています。
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家々で装飾のモチーフは異なるものの、2階窓下の細工瓦は多くの民家で見られます。
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細工瓦とともに、煙出しの腰屋根も一般的なようです。
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荒谷集落を訪れるうえで、地図上の貴重な目印となる「荒谷町集会場」です。
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この民家も見る角度を変えると・・・
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自然の中に溶け込んだ、素晴らしい里山風景へと様変わりします。
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この民家は人の気配を感じますが・・・
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さすがにこの民家は空家でしょうね・・・。
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加賀東谷には公共交通機関が通っていないので・・・
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日常生活するうえで車は欠かすことができず、皆さん所有しておられます。
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幾重にも屋根を架けた民家は・・・
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新旧二つの玄関を備えています。
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下見板張りの外壁をしつらえた民家がありました。
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荒谷集落の中程に、古民家を再生した「山野草カフェ」があります。
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このカフェは、加賀東谷の住民の皆さんでつくる「山中温泉ひがしたに地区保存会」の女子部が運営されており、地元の食材を使ったメニューが提供されます。
ちなみに、毎週日曜日のみ営業されています。 -
では、荒谷集落を後に、お隣の今立集落へ向かいます。
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県道153号線を東に向かって走っていると、ひまわりの向こうに今立集落が見えてきました。
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道路脇に古い地名表示板がありました。
なお、今立集落の現在の正式な地名は、平成17年10月の合併により、加賀市山中温泉今立町と変更されています。 -
この民家の1階開口部には雪囲いの様なものが見えます。
積雪時以外は塀として機能しているんでしょうね・・・。 -
あれっ、ひまわりの花がなくなってる!
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今立集落の町並みです。
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この民家1階の角材の横桟も雪囲い用なんでしょうか・・・。
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加賀東谷では、ほとんどのお宅に土蔵があります。
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こちらも地図上の貴重な目印である「今立町民会館」です。
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統一感のある、赤褐色の瓦屋根が連なる町並みです。
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町並みの中で、アクセントになっているのが荒壁の民家です。
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ほとんど窓をとっておられないので、土蔵造りに準じているんでしょうね。
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県道153号線沿いの町並みを振り返ったところです。
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ここからは、県道153号線を外れ脇道を歩いてみました。
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このたくましい荒壁の民家は、風雪を耐え抜いた、歴史の重みを感じさせてくれます。
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こちらの民家が主屋で、荒壁の民家は付属屋だと思われます。
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玄関前のひまわりが首を垂れています。
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やっぱり、ひまわりはこうでなくっちゃ・・・。
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こんなに間口のある民家なのに、2階の桁行き面には窓が1ケ所しかついていません。
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県道153号線沿いの町並みに戻ってきました。
こちらの民家は、玄関脇の窓に雨戸がつけられています。 -
玄関前に積み上げられた薪が、冬の寒さを教えてくれているようです。
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県道153号線の東側の町並みです。
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この民家では、先ほどまでかわいいおチビちゃん達が遊んでいました。
今立集落は、お年寄りだけの集落ではないんですね・・・。 -
こちらの民家の煙り出しの腰屋根は、今風に改修されています。
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この趣豊かな民家は空家のようです。
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頑丈な雪囲いの骨組みが見えています。
これくらい頑丈でないと、圧力に耐えられないんでしょうね・・・。 -
頑丈な雪囲いのある民家の東側の外観です。
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少し奥まった高台にある民家。
里山らしい風景です。 -
石碑にある辻政信は、明治35年(1902年)に今立の炭焼きの家に生まれ、旧日本陸軍参謀として太平洋戦争に参戦、その戦争体験を題材に、戦後はベストセラー作家となります。
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しかし、作家として人生を終わることをよしとしなかった辻は、国会議員への転身を図り、見事当選を果たします。
国会議員となった辻は、ラオス、ベトナムにおける内戦停止の実情を調査すると云う目的で渡航するが、ラオスのビエンチャンから徒歩で高原地帯に消えていったのを最後に、今も消息は定かではないとのことです。 -
屋敷林の中にひっそりとたたずむ民家。
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玄関前をブルーシートで覆って、何か手入れされているんでしょうか・・・。
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そろそろ今立集落も終わりのようです。
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次に、動橋川の最上流部にある大土集落へ向かいます。
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今立集落の先で南下する県道153号線と別れて、さらに東へ走ると、県民の森へ至る道路との分岐点があります。
この分岐点から、左手の1車線の狭い道路を進んだ先に大土集落があります。 -
建物が見えてきたので、大土集落に差し掛かったようです。
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大土集落に到着しました。
戸数わずか10戸の大土集落は、動橋川最上流部の、斜面の傾斜が緩くなっている所に広がっています。 -
大土集落の奥の、一番高い所にあるこの民家は「うえの家」と呼ばれているようです。
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「うえの家」の手前の民家の、納屋と・・・
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主屋です。
主屋の横にも、先ほどのものと違う納屋があります。 -
1階の窓を雪囲いで守っている民家は・・・
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外壁に杉皮を張っておられます。
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先ほどの民家の正面玄関です。
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大胆に下した下屋の中に玄関のある民家。
これも雪対策でしょうね・・・。 -
ここで振り返ると、こんな光景が広がっています。
では、こちらへ向かいます。 -
里山風景の中で、赤いパラソルがアクセントになっています。
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こちらの民家の庭先では・・・
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ムクゲの花が出迎えてくれました。
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赤いパラソルは、単なるアクセントではなく、家族団欒の場になっているようです。
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大きな樹木の先に、荒壁の土蔵が2棟建っているので・・・
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行ってみます。
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この民家は、屋根にブルーシートが掛かっていますが、瓦が傷んだんでしょうか・・・。
この民家を右側に入った所に2棟の土蔵が建っています。 -
そして、左側には赤いパラソルが・・・。
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土蔵の前には、おそらくチェーンソーで作ったと思われる木彫が置いてあります。
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悲しげな表情を浮かべる木彫。
頭のベールは修道女のようです・・・。 -
この恐ろしい顔は、妖怪でしょうか・・・。
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大土集落は、昭和12年(1937年)に集落中を全焼する程の大火に見舞われていますが、これら2棟の土蔵は辛うじて焼失を免れたそうです。
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さて、これで大土集落も一通り見て回りました。
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では最後に、杉水集落へ向かいます。
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大土集落から、県民の森への山道を経由して、杉水集落へやってきました。
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これまでの3集落は動橋川の谷筋に点在していましたが、杉水集落は、大聖寺川の支流の、杉の水川の上流部に位置しています。
県道153号線から杉の水川を渡って、東側の町並みへ向かいます。 -
橋を渡った東側には、2軒の宿とそば工房があります。
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こちらは「蔵やど与平」さんです。
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福井県の古い土蔵を移築、再生し、平成23年にオープンされています。
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1棟丸々貸し出す、1日1組限定の宿だそうです。
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「蔵やど与平」さんのお向かいにあるこちらは、「そば工房 権兵衛」さんです。
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その「そば工房 権兵衛」さんの横にあるのが・・・
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「古民家の宿 忠平」さんです。
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「古民家の宿 忠平」さんでは、この石燈籠が出迎えてくれます。
では、県道153号線へ戻ります。 -
県道153号線へ戻ってきました。
県道153号線沿いにも、数軒の民家が建っています。 -
雪囲いと目隠しを兼ねて、波板が張られています。
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間口の広い民家は、下屋の屋根は金属板で葺かれています。
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新しく建てられたと思われる民家です。
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1階の窓のある部分すべてに、雪囲いの柱が用意されています。
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こちらの民家は内部の改修工事中で、職人さんが一人で作業されていました。
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これだけ大きな家ですから、職人さんもやり甲斐があるでしょうね・・・。
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杉水集落の西の外れには吉備神社が鎮座しています。
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吉備神社の鳥居の扁額と注連縄。
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さて、これで加賀東谷の4集落を全て見てまわりました。
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加賀市の南東部に広がる山間にあって、今も里山ならではの風情豊かな景観を保っている加賀東谷の、荒谷、今立、大土、杉水の各集落は、時代の流れとともに過疎化は避けられず、空家が目立っています。
このような過疎化が著しい集落を、世間では「限界集落」と称して、やもするとマイナスのイメージで語られています。
しかし、今回加賀東谷を歩いて感じたことは、ここに暮らす人々にとっては、将来に亘って生活の基盤であり、決して限界なんかではないと云うことです。
おそらくここに暮らす皆さんは、厳しい環境ではあるものの、ここの生活を楽しんでおられるに違いなく、「限界集落」なんて、失礼この上ない言い方です。 -
さて、今回はとても良い二日間を過ごすことができました。
では、この旅の記憶を胸に家路につきます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 一歩人さん 2015/10/10 03:19:19
- 古民家の醍醐味が遺憾無く発揮されています。
- とてもデープな古民家探訪で、満喫しました。冬をしのぐ為の工夫を感じますが、
それだけとても厳しさが建物の造形にでているのですね。tvの百年名家を見ているようで、とても心地好いテンポでした。
ありがとうございました。
失礼しま〜す。
突き出た下家に囲まれた玄関がとても印象的でわすれられません。
郷里の実家は、百年続く
- naoさん からの返信 2015/10/11 12:19:01
- 用の美
- 一歩人さん、こんにちは。
いつも投票ありがとうございます。
加賀東谷は、雪深い山里だからこその工夫を凝らせた民家が印象的でした。
これは古から継承してきた生活の知恵で、いわば「用の美」ですね。
深い山道に分け入って訪れた甲斐がありました。
nao
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