2015/08/02 - 2015/08/09
69位(同エリア1068件中)
愛吉さん
旧満州を巡る旅も最終の旅順を迎えました。
旅順は日露戦争を代表する激戦地で、明治37年8月から12月に架けて戦われ、日本軍15400名、ロシア軍約16000名の戦死者を出しました。
今回はこの古戦場を中心に回ります。
表紙の写真は203高地より眺めた旅順口の展望
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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8月8日、朝の哈爾濱西駅です。
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この列車で大連に戻ります。
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3時間13分で大連北駅に到着しました。
直前の豪雨で駅前広場は水浸し、降客は靴を脱いで道を渡ります。
私たちは暫く待った後、2階の乗車口に移動、駐車場に向かいます。 -
大連は降水量の少ない地区なので、豪雨には弱いそうです。
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旅順水師営に到着しました。
日本時代に設置された碑が置かれています。 -
会見場の入口。
明治38年1月5日、この場所で乃木大将とステッセル将軍が会見し、正式に旅順開城が決まりました。
戦後”水師営の会見”として歌に歌われ一躍有名になります。 -
庭の棗の木、3代目です。
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会見場の建物。現在の建物は1996年の再建。
入って左側の部屋が会見場所です。 -
部屋に入ると、粗末な机と椅子が置かれています。
記録によると机は、包帯所の手術台でした。机の表面には乃木大将の漢詩が墨書されているのが、かすかに読み取れます。でも多分レプリカでしょう。
乃木大将が向側、ステッセル将軍がこちら側に座りました。 -
部屋には、乃木大将の漢詩が置かれています。
勿論当時は在りません。 -
庭にはこんな碑もあり、ここが包帯所であった事が判ります。
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次は東鶏冠山北堡塁へ向かいます。
遺跡の入口。 -
要塞らしくなって来ました。
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北堡塁
203高地と並ぶ、旅順攻城最大の激戦地。
旅順要塞の正面を占め、最大の防御陣地を施していました。
これに対し日本軍は、あくまでも正面突破を狙う正攻法で、第1回、2回、3回の総攻撃共この堡塁を目指します。 有名な白襷隊もここが目標でした。 -
激戦の跡が見えて来ます。
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岩に大きな穴が開いています。
日本軍砲撃の跡でしょう。 -
同上
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要塞内の厨房跡。
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要塞内部、こんなペトンに守られていたのですね。
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ここは指揮部の跡。
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ロシヤの現場指揮官、コンドラチェンコ少将戦死の地。
彼の死後ロシヤ兵の士気は急速に衰えたそうです。 -
要塞内部、宿舎跡2段ベッドでした。
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東鶏冠山の頂上に建つ記念碑。日本が建てたものです。
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碑につけられた説明板、読んで下さい。
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碑の横には日本軍に向けられたロシヤの大砲。
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最後に来たのが、旅順落城のきっかけとなった203高地です。
要塞の西の外れに在り、明治37年12月4日そこに総攻撃を掛け、激戦の末に奪取したのです。 -
麓に説明板があります。日本語の部分を読んでみてください。
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往時を偲びながら、坂道をゆっくり登り頂上を目指します。
当時はここも激戦場で塹壕が掘られ、銃弾が飛び交い、多くの日本兵が倒れた現場なのでしょう。 -
ここにも説明板があります。
こちらも日本語部分を読んでみてください。 -
頂上です。日本の忠霊塔が建っています。
この塔は、戦場に散っていた武器、薬莢を集め鋳造し直して作成されました。
形は当時の小銃弾の形です。爾霊山の文字は203高地から取って、乃木大将が命名しました。 -
203高地から旅順港を眺めて見ました。
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日本軍が観測所を設けた地点から改めて港を眺めます。
ここからの指示により、港に停泊中のロシヤ艦隊を全て撃沈します。 -
日本軍に向けられたロシヤの大砲。
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203高地の紹介図
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日本軍の280ミリ榴弾砲。
現在は山の上に在りますが、本来は麓に設置され、この観測所よりの指示で山越えで港を射撃しました。 -
日本兵が突撃し、駆け上ってきた来た斜面。
当時は砲火で禿山となり、一木一草在りませんでした。
当時を偲び、この道を下ってみたかったです。 -
中腹に乃木大将の次男、陸軍中尉乃木保典氏戦死の所碑があります。満22歳。
戦後乃木夫人が息子の死を悼んで建てました。 -
市内何処からでも見える白玉塔。
白玉山の頂上に建ち、旅順港、市内の眺望が素晴らしい。
塔は日露戦後、東郷元帥、乃木大将2名の発案で建てられた元表忠塔。
残念ながら、遠くから眺めるのみで行けませんでした。 -
港に面してこんな塔もあります、 多分戦勝記念碑。
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日本名川島芳子氏の旧居跡
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玄関
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建物全体
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旅順博物館。
1917年、日本統治時代に造られました。
京都西本願寺の住職、大谷光瑞師の大谷探検隊が集めた仏教関連の文物は、大谷コレクションとして有名です。
同探検隊がシルクロードで発掘したミイラも展示されていますが、撮影禁止でした。
又江戸から明治に掛けての日本画も大量に所蔵します。 -
内部の様子。展示ケースも時代を感じます。
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同上
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元代の鐘、バックは2階への階段。
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旧関東軍司令部。
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旅順監獄址。
ロシヤ、日本の統治時代の監獄です。 -
内部の様子。
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ロシヤ時代に造られた旅順駅。
1903年東清鉄道の最南端の駅として、ロシヤが造りました。 -
ロシヤ風で可愛らしい駅舎ですね。
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駅の向かいは軍港です。
旅順の予定個所はこれで終了、これからホテルに向かいます。 -
8月9日 午前6時旅順のホテルを発ち、大連空港8時40分発のCZ629便で日本に戻ります。
今回旧満州を旅する中で、中国にとっても満州は忘れる事の出来ない土地であり、時代であった事、又経済的、文化的、社会的、その他諸々のの面に於いて日本は永遠のライバルであり続けた事等がよく判り、意義のある8日間でした。
ではこれにて、旧満州をを旅してを終了します。
お読み頂き有難うございました。 完
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