2015/03/30 - 2015/07/23
192位(同エリア698件中)
やまちゃんさん
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3月末からアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、とパリを7月12日から23日と訪問しました。ついてすぐに例のケチャップ泥棒に会い、現金3万円、クレジットカードを3枚盗られました大変な目に会いました。クレジットカードの再発行という事になりました。しかし頑張って予定道理に最後まで旅を続けました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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KLM でアムステルダム経由でヴぇノウス・アイレスへ行った。
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機内食。
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機内食。
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機内食。
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私の泊まったホステル。ドミトリーで朝食付きで1000円位。
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泊まったホステル。
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サンマルチン将軍は、南米解放の基となった。
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英国塔はフォクランド紛争が起こるまでは、イギリス政府から寄贈されたもので、大切にされていたが、戦争の際は破壊された。
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イギリスから送られた塔。
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古代エジプトの記念碑オペリスコが、7月9日通地建つ。ヴぇノウス・アイレスのシンボルである。
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7月9日通に建つコロン劇場。ミラノのスカラ座に次ぐ世界第2位の大きさである。
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大統領府。1873−1894年に造られスペイン調の建物。代々ピンク色に塗られたことからカサ・ローザ(ピンクの家)と呼ばれる。
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国鉄の駅。
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国鉄の駅前の屋台食堂。
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フォークランド紛争で亡くなった人々を祀っている墓。
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べノウス・アイレスの地下鉄。
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切符。1回全線同一価格。5アルゼンチンペソ。(約40円)結構長い線もある。
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日本庭園。
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日本庭園。
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カードを盗まれたので、待っているとDHLで届いた。
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ホテルの朝食。パン、コーヒーとも飲み放題であった。
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韓国の姉妹の2人。金、カードを盗まれたために、私は彼女ら作る昼、夕飯に頼って生きたいました。幸いホステルの為に、食事を自分らで作る設備がありました。
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彼女らが作ってくれた夕食の一部。
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食事の一部。
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食事の一部。
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泊まっている間に、姉の誕生日パーテイがあった。
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パーテイの準備。
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べノウス・アイレス市内に造られたイグアスの滝。
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国会議事堂。
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このバスは空港とレテイーロ駅を結ぶ。しかし乗るにはカードが必要。
もしなければコインを用意しなければなりません。空港から市内までは
8ペソだったと記憶するが、その機械が壊れており結局はただでのれた。
コインに交換するには空港で銀行に行かねばなりません。 -
4月13日から4.15日 テイグレ(アルゼンチン)。
べノウス・アイレスのレテイーロ駅から40分位のテイグレへ行った。 -
テイグレまで6アルゼンチンペソ(約25円)。
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テイグレ駅。アルゼンチン側の終点である。
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予約をしておいたホステルが休業中。
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テイグレを英語で書くとTigreとなります。これが虎となるのですが、理由は不明。しかし虎都市となっていた。
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テイグレいえば、各都市へ行くためには水上交通網が発達している。
デルタ地帯の為、川が沢山あり、船が欠かせない。 -
ボートもあった。
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これは隣国ウルグアイへ行く船。
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泊まったホステル。これは立派なホテルですが、私が泊まったのは向かいのホステルです。同じ経営者。
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ホステルのベランダ。私?人だけでした。
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ホテルへ行って朝食を食べた。宿代は250アルゼンチンペソ(約2000円)
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ホステルの入口。
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ホステルで作った夕食。スパゲッチイとワイン。
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ホステルの食堂堂。
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ウルグアイへ行く船。約3時間かかる。舟代300アルゼンチンペソ。約3600円。
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4.16 カメロン(ウルグアイ)
カメロン港到着した。 -
カメロン港。ここは1日に2便着くだけで、少し寂しい港だった。
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私が泊まったホステル。客は私1人でした。
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ふわふわ布団でした。1泊10ドルでした。
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自転車でまわった。
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町の風景。
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町の風景。
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肉のカツを食べた。95ペソ(約450円)
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スパゲッチイを作る、野菜もついている。ワインも。
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4.17−4.18 コロニア・サクラメント(ウルグアイ)
古い遺跡があった。 -
古城の門。
古い遺跡。 -
灯台。
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古い遺跡。
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古い遺跡がある公園。
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泊まったホステル。
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4.19−4.21 モンテビデオ(ウルグアイ)
独立広場に建つアルテイガスの像。彼はウルグアイの独立戦争の英雄である。 -
その独立広場の建つランドマーク的建物。1928年にアルゼンチンの建築家マリオ・バランテイよってデザインされ、現在は高層階はテレビ塔、低層階は事務所、住居として利用されている。
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旧鉄道駅跡が、レストラン街になっている。多分4−50件はあると思われます。そしてその大部分が焼肉レストランである。
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その内部。
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その建物。
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私もステーキを食べた。1000円位です。
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町の風景。
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町の風景。海岸線。
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町の風景。
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4月22日ー4月25日 べノウス・アイレス。
再びべノウス・アイレスへ帰って来ました。バスのチケット。 -
べノウス・アイレスで金を盗られた為、韓国の姉妹2人に助けられたので、ウルグアイでドルを得られた。これを闇でといっても公然と闇両替を行っている。という事でお礼の食事に行った。これはべノウス・アイレスで一番有名なカフェ・トルトーニである。値段はステーキが80アルゼンチンペソ位であまり高くなかったが、あまりおいしくなかった。
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ステーキ。
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その内部の様子。内部の装飾は立派な豪華な物だった。
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ビールと共に。
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食後にケーキを別の店で食べた。
これはおいしかった。 -
4月26日‐4月30日 アスシオン(パラグアイ)
アスシオンへはバスで行った。夕方7時出発し、翌日11時頃着いた。
途中食事がでた。 -
バスの食事。
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マテ茶も出た。
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日本人宿ラポッポです。
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らっぽぽの部屋。4人、3人部屋があった。
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市場で食べたスープ、キャッサバ(芋の一種の様な物)15000グアラー(370円)
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町で食べたフルーツ。2000グラニュー(50円)
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19世紀後半、フランシスコ・ソラノ・ロペス大統領が、パリのルーブル美術館を模して建てらたといわれたいる。大統領府。
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旧鉄道駅。
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アスシオン市内をを行くバス。1回バス代は2500グラニュー(65円)。
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自由広場。町の中心にある。
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看板。
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郊外にあるイタウグアでの刺繍が有名である。手で編むレースである。イタウグアの名物。
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刺繍。
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その刺繍。
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ジュース。
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1772年の建物。1811年独立発祥の地である。独立の家博物館。
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その内部。
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ベルベロ博物館。1階は図書館で、2階は先住民の写真が飾ってある。
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5月1日ー5月10日 イグアス移住地(パラグアイ)
日本人移住地である一つの、イグアス移住地へ行く。シウター・デル・エステから42km、アスシオンからだと280km位です。車掌さんに42km地点というだけで通じる。そこに園田マンションがある。その他に福岡旅館、などがある。 -
ペンション園田で食べたサンマ定食。25000グラニュー(600円).
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近所にあるといっても1km離れた日本人公園。鳥居もある。
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福岡旅館でうどんを食べた。15000グラニー(375円)。
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パラグアイの花。らっぽぽという木に赤い花を咲かせる。
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日本人会に参加した。昼ご飯は1人15000グラニー(375円)で食べれた。これは婦人会の人々が作ってくれた。
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その会で踊りをして楽しんでいる。
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バス停。
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夜食を作った。
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ペンション園田のベッド。US$8.00(朝食はなし)。
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ペンション園田の横にある園田のお店でいなりずし。10000グラニー(250円)。
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イグアス移住地の日本センター。
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ラーメン屋さんもある。土曜日だけオープンしている。
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その値段表。
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ペンション園田の前で住民と。
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5月11日ー5月12日 シウダー・デル・エステ(パラグアイ)
泊まったホステル、ハミングバード・ホステル。ドミでUS$10.(朝食付き) -
泊まった近所にあった日本料理店。
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この先が国境になっている。
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町の風景。この国境に接する町は、電化製品が南米で一番安いといわれている。
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バスの切符。
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このホステルに泊まったチリの女性。
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5月13日ー5月14日 プエルト・イグアス(アルゼンチン)。
バス停に立っている客引きに連れられて行く。立派なホテルですが、私の泊まったドミは水シャワーでした。1泊100ペソ(1000円)。 -
そのドミの内部。
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歩いて行けるところにイグアスの滝になる前の川の様子。
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その三角地点。
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その地点に行く途中のインフォメーションがあった。
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イグアスの滝へ行くバス。
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イグアスの滝での電車。
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イグアスの滝。
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イグアスの滝。
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イグアスの滝。
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イグアスの滝。
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イグアスの滝。
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イグアスの滝。
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ハナグマがあらわれる。
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5月14日ー5月17日 ゴルドバ(アルゼンチン)
ドミの部屋。US$10. -
立派なゴシック建築のサン・フランシスコ教会。
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ホテルで夕食を作った。
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町の風景。
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バスターミナルのタクシー。
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5.18−5.21 ヴィラ・ファーレ(アルゼンチン)。
ヴィラ・ファーレという小さな町へ行った。宿のオウナーが好きですので3回目の訪問となった。 -
途中のバスで配られた菓子。
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メンドーサから夜行バスに乗り、サン・フアンに行き、そこからヴぇラ・フェーテルまでまたバスに乗らねばならない。そのバスが1日に3本でした。夜行バスは、8時頃に着いたので14時発のバスに乗った。
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そのホテル。バス停の前に建つホテル ラスチカ。夜の9時頃に着いた。
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そのホテルの夫妻と食事に行った。
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そのステーキを食べた。サラダが付いて1人1000円位であった。
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ホテルの朝食。
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小さな町。食料品店は3件位、あといろんなお店がある。
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小さな町のバスターミナル。
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町の離れに建つキリスト像。
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水源地ある小さな池。
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宿の主人の案内でナショナル・パークへいった。
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そのパークにて。
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先住民が使っていた粉をひくために穴を開けていた。
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このサボテンは1年にミリという単位で成長するとの事。ですからこの木は100年以上たっているとの事。
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昼御飯、焼肉であった。アサードという。ホテルの庭にて。
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町の風景。
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町の風景。
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5月22日 サン・ホアン(アルゼンチン)。
ホステル1泊10ドル。 -
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町の風景。
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町の風景。
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町の風景。
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5月23日ー5月25日 メンドーサ(アルゼンチン)。
泊まったホステル。1泊80アルゼンチン・ペソ(800円) -
インカの古い道。観光バスで1日乗った。バス代は500アルゼンチン・ペソ。
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チリとの国境に建つキリスト像。これは両国が戦った際の、武器を溶かして作ったものである。
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昼の食事。ステーキの食べ放題。食事つき。
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色のついた岩があった。
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市内から徒歩で約30分位の処にサン・マルテイン公園がある。
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アコンガグア(6960m)が途中顔を出す。
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アンデス山脈をチリに向かって超えるため、相当数の(多分27のカーブ)がある。
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トンネルもあった。
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国境で約2時間待った。ここの荷物を調べるために。このバスである。
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5月26日から6月3日 サンチアゴ(チリ)。
ホテルで肉を料理した。缶ビールと共に。 -
私の泊まったホステル・サンタルシイア。
1泊US$14. -
サンタ・ルシア公園。スペイン人征服者バルテイビアが、抵抗する先住民に対する要塞を作ったのがサンタ・ルシア公園です。
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サンタ・ルシア公園。
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サンタ・ルシア公園。
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チリ・カソリック教会の総本山サンテイアゴ大聖堂。
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サンテイアゴの地下鉄。
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大聖堂の内部。
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モネダ宮殿の前でコンサートをやっていた。
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モネダ宮殿。現在は大統領府として利用されている。モネダというのは、名前の通り元ものは造幣局として1784年に建設された。1970年サルバトール・アジェンデが、南米で初めて選挙による社会主義政権に対してアウグスト・ピノチェトがクーデターを起こし、アジェンデが自害したという歴史がある。
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モネダ宮殿前でコンサートをやっていた。
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サンチアゴ名物のスモッグ。
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博物館前。
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サンチアゴ博物館。
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博物館前。
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花市場。
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先生たちのデモがあった。
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警察は放水車で対抗していた。
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サンタ・ルシアで、日本人が昼の弁当をこのホステルで作っていた。一番左の人ともう1人と計2人で作っていた。
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焼き豚が出た。飯と汁がついて、夕飯にした。3500チリ・ペソ(175円)。
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カードの再発行は4月から5月末で切れたので、再び7月の有効期限まで新カードを発行してもらい、サンテイアゴで待って受け取った。
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6月4日ー6月11日 ビーニャ・デル・マル(チリ)。
ビーニャ・デル・マルで泊まったホステル、日本人宿 汐見荘。6500ペソ+200ペソ、
200ペソは台所使用料、合計6700ペソ(1340円)。但し朝食はなし。また宿には
表札はなし。日本人以外は泊めない。日本人同士は信用できるという理由です。 -
宿の近所。
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日本人宿から歩いて電車の一駅の処にある魚市場へ出かけた。その途中の風景。
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市場には、ペリカンがいっぱいいた。
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アジを買った。このサイズで1尾100円。
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刺身にした残りをスープにした。
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町に出かけた。シェラトンホテルが景色のよい処に建っている。
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隣の町、世界遺産になっているパルパラインへ行った。壁に絵を描くことが世界遺産になっている。
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その絵です。
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その絵です。
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パルパラインは坂が多く、このような傾斜式エレベーター、アセンソールがある。
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これは、博物館の前に建つモアイ像です。
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6月12日ー6月14日 ラ・セレナ(チリ)。
泊まったホステル。1泊20ドル。 -
バスでピクーニャへいった。
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ピクーニャには、詩人、教育者、外交官として活躍したガブリユラ・ミストラルの生地として知られる。そのミストラルをイメージしたオブジェである。
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食事の時にピスコを頼んだ。1杯1000ペソ。(500円)。
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焼肉定食。3000ペソ。(600円)。
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ラ・セレナの中心地。
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町の中心にある教会。
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6月15日ー6月18日 アリカ(チリ)。
アリカへ行く夜行バス。 -
アリカの魚市場へ。
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アザラシが我がもの顔にしていた。
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アリカ要塞。市街のシンボルになっている。高さ110mの岩山。
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市内からバスで10分位の処にある。地上絵の絵がよく見える。
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その地上絵の向こうの5分位の処に博物館がある。
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博物館にはミイラが沢山あった。
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サン・マルコス教会。エッフェル塔で有名な建築家ギュスタブ・エッフェルが設計した教会。
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6月19−6月21日 サン・ペドロ・デ・アタカマ(チリ)。」
ここは砂漠の中の町である。建物は日干しレンガ(アドべ)で造られている。チリでは最も古い町である。殆ど年中雨が降らない。 -
月の谷へツアーで行く。
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月の谷。
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ミスカンテイ湖。市内からツアーで行く。標高4200mにあるミスカンテイ湖。透き通った美しい湖。
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その山々。
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山々をバックに。
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フラミンゴの生息地があった。
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サン・サルバドール・デ・フフイ(アルゼンチン)。
バスで行った。 -
6月22日ー6月24日 サン・サルバドール・デ・フフイ(アルゼンチン).
フフイ(アルゼンチン)。 -
広場。
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広場に面して建つカテドラル。
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6月25日 ブルママルカ(アルゼンチン)。
ウマワカ渓谷という世界遺産であるこの地方の見所は、南米のグランドキャニオンといわれる岩肌がある。これは泊まったホステルである。 -
サラダを食べた。100ペソ(800円)。
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岩のグラデーションが光る山。
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岩山。
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岩山。
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6月26日 ウマワカ(アルゼンチン)。
右が泊まったホステル。80ペソ(640円)。 -
ウマワカに建つ像。
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その高台に建つサボテン類。
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ウマワカのバスターミナル。
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6月27日 ラ・キアカ(アルゼンチン)からビジャソン(ボリビア)。
アルゼンチンとボリビアの国境。 -
ビジャソンでの昼食。スープ、パン20ボリビアーノ(340円)。
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ビジャソンからオルーロまで列車に乗る。夕方4時30分発、翌日6時05分着、料金は126ボリビアーノ(約2100円)。
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ビジャソン駅。
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列車食堂車で食べる。ビールと共に約1000円。
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6月27日 オルーロ駅。
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鉱山の繁栄時代に建てられたパテイーニョの家。
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カルデラルの中心に建つ。
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ラパスのバスターミナル。
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6月28日ー6月30日 ラパス(ボリビア)。
泊まったホテル。1泊100ボリビアーノ(1700円)。 -
市場。
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市場。
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ラパスはすごい盆地為、坂道が多い。見えるのはサッカー場ですが、標高
3650mですので、地元は有利になる。そこで国際マッチは多分ここではやらないと思います。 -
市場。
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ここにも月の谷があった。
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7月1日ー7月2日 プーノ(ペルー)
プーノへバスで行った。途中でのフェッリーにバスと人が分かれて乗る。 -
プーノ町風景。
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7月?日ー7月5日 アレキバ(ペルー)。
カテドラル。 -
サン・ラサロ地区。アレキバで最も古く美しい町といわれている。1540年のアレキバ市設立の際は、礎石が置かれた場所である。
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7月6日ー7月9日 リマ(ペルー)。
リマのケネディー公園であり、ケネデイ―の像がある。 -
恋人達の公園。
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魚定食。約500円.
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7月10日ー7月23日 パリ(フランス)。
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エッフェル塔。
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モン・サン・ミッシェル。
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その内部。
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モン・サン・ミッシェルの内部。
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郊外のサンテイイへ行った。駅前の緑が綺麗だった。
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郊外のサンテイイへ行った。駅前の緑が美しかった。
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サンテイイの古城。
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セーヌ川。
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ノートルダム寺院。
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大阪へ帰る。
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