2015/02/27 - 2015/02/27
18位(同エリア27件中)
目黒警部さん
チャマ・ティーウィー寺院は、通称ワット・クードットと呼ばれています。
仏歴1298(西暦755)年にラヴォ一様式で創建。
インドのビハール州にある仏教の聖地ブッダガヤのチェディに似た正方形のチェディは、周囲に60もの仏像が納められ、チャマ・ティー・ウィー王妃の遺骨が祀られています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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2015年2月27日
ランプーン -
旧市街の堀です。
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ランプーン観光案内板
観光名所は離れており、車での移動になります。 -
地元のニットさんの案内にての観光です。
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市街地から車で10分、到着しました。
入口を守るライオン。 -
ワット・チャマ・ティーウィー です。
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チャマ・ティーウィー寺院は、通称ワット・クードットと呼ばれています。
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仏歴1298(西暦755)年にラヴォ一様式で創建。 -
ナーガ
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インドのビハール州にある仏教の聖地ブッダガヤのチェディに似た正方形のチェディは、周囲に60もの仏像が納められ、チャマ・ティー・ウィー王妃の遺骨が祀られています。
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ランプーンは、かつては「ハリプンチャイ」と呼ばれた北タイ最初の王室都市で、タイ北部では最も古く繁栄した場所でした。
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それ以前の「サマントラ国」(Samantraprathet)衰退後、661年(現在では750年頃と考えられている)に「ハリプンチャイ・ナコーン」として復活し、663年には女王「チャーマ・ティーウィー」に始まる「チャーマ・ティーウィー王朝」はおよそ620年の間ハリプンチャイを統治しました。
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仏教、政治、経済、芸術などランナーの全ての文化の起源であったハリプンチャイ、ハリプンチャイの文字も、古代モン族や400年後のスコータイ時代に発明されたタイ文字のアルファベットの起源でもあり、ビルマ語にも影響を及ぼし、更に北タイのランナーの文字の起源でもあるようです。
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1281年にはランナータイ王国に吸収され、16世紀にはランナータイ王国とともにその後200年以上にも及ぶビルマの支配下に入ります。
底辺一辺15・35m, 高さ21mの階段ピラミッド状のこの仏塔ククット。
各段には一遍3対の仏像が安置され、3体x4辺x5段 = 60体の仏像が祭られていることになります。 -
11795年にジャ・バーン王(King Ja Baan)とカウィラ王(King Kawila)がチェンマイをビルマから奪還し、荒廃したハリプンチャイを「ランプンチャイ」と改名して再興しようとします。
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カウィラ王はチェンマイ、ランパーンの人々に加え、北のシブソン・パンナ(SibsongPanna)から10,000人のタイ・ルー族の人々を迎えて町が復興されます。
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ラーマ5世の統治下の1894年には行政改革が行われ、チェンマイ、ランパーン、ナーン、プレー等と共に北の都市は1つの地区(パヤップ Payap)にまとめられ、1929年の改定により県となって現在のランプーンとなります。
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ハリプンチャイでは、インド、ローマ、モン、クメール、ラヴォ、タイ・ルー、ヨン、シャン、中国等々、様々な人種が住み、同時期の他の王国と比べると、ハリプンチャイ・ナコーンがどれほど人種が混在していたかがわかります。
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現在のランプーンにおいても、タイ・ルー、モン、ヨノック、カレン、ラワ、ヨン、シャン等の民族が伝統的な生活を送っています。
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伝説によれば、仏陀がこの地を訪れた際にターミナリア科の植物のサモール(Samor)と呼ばれる果物を僧からもらい、その時、やがてここで「ハリプンチャイ・ナコーン」という名の町を興す人が現れるでしょう、といった予言をしたとか。
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後にワステープ(Wasuthep)とスッカタンタ(Sukkatanta)という名の二人の僧がこの地に「ハリプンチャイ・ナコーン」という名の町を作った。
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時は661年(仏歴1204年)、「ハリ」は”サモールの果実”、「プンチャイ」は”消費する”、「ナコーン」は”市”。
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ハリプンチャイ時代以前、人々は「ピー・プ・セ・ヤ・セ」Phii Pu Se Ya Se と呼ばれる先祖の霊を崇拝していましたが、後にヒンズー教がもたらされ、マハヤナ仏教(大乗仏教)が北タイに初めて成立し、テラワーダ仏教(上座部仏教 or 小乗仏教)、ランカ・ウォン、ラマン・ウォン、シホル等に変化していったようです。(タイはテラワーダ仏教、日本はマハヤナ仏教ですね)
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仏教の最初の盛隆はワット・プラタート・ハリプンチャイで仏陀の髪が見つかった時に起こり、アティッタヤラート王(957年ぐらいの時)の時代に、北タイで最初に仏陀の髪を収めた仏塔を建設。
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伝統的にすべてのハリプンチャイ王朝の王は戴冠式の前にはその仏塔を参拝しなければならなかったと言われ、またヒマラヤのチベットの僧でさえ、この仏塔を毎年参拝に訪れなければならなかったほどであったということから、ランプーンは周辺一帯の仏教の中心であったようです。
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ワット・プラタート・ハリプンチャイの仏塔は最も古い仏塔として認識されており、ラーマ4世はタイの最も有名な8つの仏塔の1つとして言われました。
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ランプーンの重要性は様々なレベルにあり、ユネスコの世界遺産レベルと言われ、ランプーンの人々は文化遺産の保存に非常に気を配っています。
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ハリプンチャイの職人は世界の芸術家や芸術の歴史家に古代の芸術品の最も優れた芸術家と賞賛されているとか。
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ランプーンの歴史的町の特徴は建築にあると言われ、建設は、ランナー、スコータイ、アユタヤなどの上部や下部の地域の原型となっており、独自の仏塔があります。
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この寺院の八角形のピラミッドもその一つです。
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ランプーンの文化遺産はユネスコ世界遺産登録レベルにあると言われ、その内、独特の仏塔としては以下が挙げられていますが、この内2つがこの寺院の階段ピラミッドと八角系ピラミッドです。
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正面にお祀りされている仏像 仏像の手前ほどにお祀りされている僧。
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本堂内部は、華やかな空間が広がっています
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境内は結構広い。
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ナーガ、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のことである。
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チャマ・ティー・ウィー王妃の人形が左側にあります。
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王妃の衣装の復元でしょう。
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みやびです。
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美しい
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ニットさん
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入口周りには綺麗に仏画で装飾されてます。
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ナーガ
釈迦が悟りを開く時に守護したとされ、仏教に竜王として取り入れられて以来、仏法の守護神となっている。 -
こちらがもう1つの有名な八角形の形状をした仏塔「ラタナ」。
本殿横にあるこの仏塔、建築様式から仏歴17世紀から18世紀(西暦11世紀から12世紀ごろか)のハリプンチャイ王国の黄金期に「プラ・ヤー・サッファスィット」(Pha Ya Sapphasit)建てられたものと推測されているもの。
直径4.4m, 高さ11.5mで、一段目には立仏像、2段目には瞑想している仏像を祀り、それらはタイ中央のトヴァラヴァディの影響を受けたハリプンチャイ様式の仏像と言われています。
ドヴァラヴァティは6世紀から11世紀ごろに栄えたモン族の王
タイ政府観光局H.P参照
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