2015/09/08 - 2015/09/08
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mochimochi_kingdomさん
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5年ぶりに母方の実家(島根県隠岐諸島西ノ島)に墓参りに行きました。
前回は、墓参りだけでトンボ帰りでしたので、島前(西ノ島・知夫里島・中ノ島)と松江、安来エリアを周遊してきました。
今編は、知夫里島と中ノ島の散策です。
■日程
2015/09/05
東京→米子 泊:米子
2015/09/06
米子→七類→西ノ島 泊:西ノ島
2015/09/07
西ノ島 泊:西ノ島
2015/09/08
西ノ島→知夫里島→中ノ島 泊:中ノ島
2015/09/09
中ノ島→境港→松江→亀嵩温泉 泊:亀嵩温泉
2015/09/10
亀嵩温泉→安来→米子→東京
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
おはようございます。2015年9月8日(火)曇りです。雨は降っていませんが、台風18号の影響で外海(日本海)は時化気味です。
今日は、西ノ島を離れ、午前中に知夫里島、午後に中ノ島を訪れます。 -
内航船「いそかぜ」に乗ります。
西ノ島別府港8:23→知夫里島来居港8:49
島前間は、1時間から2時間間隔で内航船「いそかぜ」と内航フェリー「どうぜん」で結ばれており、意外と利便性は高いです。ちなみに1乗船¥300で、1日乗り放題のチケットは¥600です。 -
知夫里島に初上陸です。
観光協会で車を借ります。そして、観光協会の人が簡単に知夫里島に見どころを説明してくれました。
観光協会「知夫里島は初めてですか?」
自分「ハイ!」
観光協会「国賀海岸とか行きました?」
自分「ハイ!」
観光協会「あんな感じです」
自分「ハィ〜(それは言っちゃダメでしょっ)」 -
グングン登ります。
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国賀海岸と似ているか否か?と問われれば似ていますが、知夫里島の方が解放感があります。あと、放牧されている牛の数が桁違いに多いです。そこら中、牛だらけです。依って、道にもアレがたくさんあります。
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西ノ島と同様、牧畑が行われていました。石垣は西ノ島よりもいい状態で保存されています。西ノ島では《間垣(あいがき)》でしたが、知夫里島では《名垣(みょうがき)》と言うようです。
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《赤ハゲ山》
知夫里島の最高峰(324.5m)です。こちらは内海側です。右の山は西ノ島の焼火山です。 -
左が焼火山。右は中ノ島です。
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島前の島々は天然の防波堤になっています。
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サモア・・・・・
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この先に「サモア」があります。
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来た道を戻ります。
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島内の道路は狭いです。そのため、観光協会の人からは反時計回りでドライブする様に言われました。みんなで同じ方向で動けば車のすれ違いが少なくなるからでしょうか?
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でも彼らには関係ありません。
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《赤壁》
地元では「あかかべ」or「あかだき」と言うようです。昭和10年に国の名勝天然記念物に指定される際に、中国の「赤壁の戦」から「せきへき」と名付けられたそうです。
柵がないので落ちたら死にます。 -
《郡》
村役場のある知夫村の中心です。のどかです。 -
《一宮神社》
「いっくう」と読みます。知夫里島最古の神社です。 -
《後醍醐天皇御腰掛の石》
後醍醐天皇の隠岐での第一歩は本土に最も近い知夫里島でした。上陸後にこの石に腰掛けられ休まれたと言い伝えられています。 -
《薄毛》
これを撮りたくて来ました。10月に北海道のあの場所に行く予定です。 -
来居港に帰ってきました。ザックリ廻って2時間30分でした。
隠岐に来るときに乗った、七類港9:30発のフェリーが入港するところでした。 -
内航船「いそかぜ」に乗って中ノ島へ移動です。
知夫里島来居港12:10→中ノ島菱浦港12:28 -
知夫里島は本当にのどかです。観光というより、バカンスにはぴったりの場所です。観光協会の方!もっと知夫里島の魅力をポジティブに発信した方がいいですよ!。
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中ノ島菱浦港に到着です。
中ノ島だけは島の名前と自治体名が一致しません。中ノ島=海士町です。 -
《キンニャモニャ》
海士地方の民謡の囃子言葉らしいです。西ノ島出身の母に聞いたところ「知らない・・・」で終わりました。菱浦港のフェリーターミナルは「キンニャモニャセンター」と言いますが、内航船に乗っていた人が携帯で「いまキンセンに着いたよ」と話していました。軽く衝撃的でした。 -
《隠岐牛店》
ランチは贅沢にこちらのお店で隠岐牛のセットを頂きました。
ご飯を食べたら、レンタカーで出発です。 -
《後鳥羽院資料館》
後醍醐天皇が隠岐へ流刑になる100年以上前、後鳥羽院は承久の乱で北条義時に敗れ、中ノ島へ流刑となりました。後醍醐天皇と異なり、この中ノ島で崩御されています。
ちょうど、団体客が来たようで、学芸員の方の説明があるとの事で便乗しました。
※写真は、隠岐神社のHPから拝借しました。 -
《菊の御紋》
菊の御紋は天皇家の印ですが、権力の象徴であった刀剣がお好きであった後鳥羽院が刀剣『菊御作』に菊花紋を刻まれたことが始まりだそうです。
※写真は、隠岐神社のHPから拝借しました。 -
宮中の華やかな生活を懐かしみ、隠岐でも新年には「歌会始」を行っていました。その他『蹴鞠の際の身だしなみがなっていない(←かなりの意訳です)』ことを注意する手紙などが展示されています。
※画像は資料館のパンフレットの画像を取り込みました。 -
《隠岐神社》
後鳥羽院崩御700年に際して行われた「後鳥羽天皇七百年祭」に合わせて昭和14年に建てられました。 -
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知りませんでした。
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《村上家資料館》
海士地方の有力豪族でした。後鳥羽院のお世話をした由緒正しき家柄です。後鳥羽院崩御の後も、京都の水無瀬家と交流を行い、海士地方と京都の文化的つながりを担っていました。江戸時代には長者番付に載るほどの力があったそうです。 -
《因屋城跡》
豪族であるが故に月山富田城の尼子氏とも対立していたそうです。当時の山城の跡が残っていました。 -
《明屋海岸》
約280万年前はこの辺りは火山の火口でした。溶岩のしぶきが降り積もり鉄分が海水により急激に冷やされ酸化して赤い崖になりました。
『赤色の切り立った崖と海の緑のコントラストが美しい海岸です』と案内版に記載がありますが、急激に天候が悪化しそれどころではなくなりました。 -
《マリンポートホテル海士》
夕日スポットの木路ヶ崎に行く予定でしたが、天候が悪く夕日鑑賞は断念。今宵の宿へ向かいました。 -
部屋からは菱浦港に出入りする船が目の前を通ります。内航フェリー「どうぜん」が菱浦港に入港します。
明朝の高速船で隠岐を離れる予定ですが、心配なのが台風18号。今日も高速船は時化のため欠航しました。
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