2013/12/06 - 2013/12/06
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junemayさん
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浜名湖は何度か行ったことがあるけれど、連れ合いの第二の故郷である浜松の街は知らない。姫街道、天竜、奥浜名、掛川も歩いてみたいと思っていたところ、たまたまオンラインで見つけたホテルが3連泊取れそうな塩梅。新幹線なら東京から1時間だけれど、なんだかそれでは旅気分が出ないので、あえて渋谷からバスで出発。思い立ってからわずか1週間余りで実現の運びとなった旅でした。
12月3日(火)東京→浜松(復興記念館、浜松城、犀ヶ崖資料館、蜆塚古墳)
12月4日(水)浜松→奥山方広寺→神宮寺→龍潭寺→気賀→長楽寺→浜松
12月5日(木)浜松→磐田→掛川→浜松
12月6日(金)浜松→西鹿島→天竜二俣→秋野不矩美術館→二股城址→鳥羽山公園→西鹿島→浜松→東京
天竜二股本町での美味しいランチを食べた後は俄然力が湧いてきました。いよいよ大詰め。ここ天竜二股町に生まれた秋野不矩美術館を見て、それから家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城 二股城址を目指します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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二股本町から再び二俣川を渡ります。今度は、先ほど渡った双竜橋より一つ上流にある橋上竜橋。
対岸のお寺のあるあたりが紅葉真っ盛りです。 -
川沿いの道はモミジ街道になっていました。
昭和初期には、磐田の中泉(家康の別荘があったところですね)と二股を結んでいた光明電鉄という短命に終わった鉄道の跡があると、町のパンフレットには書かれていたのですが、痕跡すら見つかりませんでした。
廃線ウォーク。結構好きなんですけれどね。 -
モミジ街道の向こうの小高い丘の上に墓地が見えてきました。
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こちらは、東谷山栄林寺。曹洞宗の古刹です。開祖は貞時4年(1365年)、今見えている山門は享保3年(1719年)の建立です。
白木蓮が有名なお寺ですが、今はご覧のとおり。
山門脇の戒壇石には「禁葷酒」の文字が見えますね。 -
境内を散策したかったのだけれど先を急ぎましょう。お寺や神社、教会などに入ると、人の3倍時間がかかってしまうのです。
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でもちょっとだけね!
あまりに見事なモミジに惹き寄せられてしまいました。 -
チベット仏教には必須のマニ車(摩尼車)発見!
「この車を回すとお経を読んだのと同じご加護が授かります」と書かれているので、効能はチベット仏教のそれと同じ。すべて石で作られたこちらのマニ車の大型版や、お堂内に設置された六角形の経蔵、六道車など、方々のお寺で目にするのですが、日本の仏教との関わりについて書かれているものが見つからないのが現状です。 -
栄林寺の先の道を右に折れ、上っていくと、秋野不矩画伯の美術館が見えてきました。
素晴らしい環境の中にありますよ。 -
秋野画伯が愛してやまなかったインドの女性がお出迎え。
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これは何でしょう?
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美術館が主催した「森の彫刻ワークショップ」で、地元の方々や高校生の協力で作り上げた「龍のモニュメント」なのだそうです。
素材は地元の森林組合から譲り受けた廃材の天竜材。龍の名前は「愛」、「絆」、「翔」ですって。 -
坂道を上っていくと、とても風変わりな建物が目の前に迫ってきます。
和風でも洋風でもない、木と漆喰等の自然素材を沢山使った、とても温かみのある建物です。 -
建築家の藤森照信氏により設計されたこの美術館は、平成10年(1998年)、秋野不矩の生まれ故郷を見下ろす緑あふれる丘の上にオープンしました。
自然と一体となった、素朴でありながら重々しささえ感じる人工物。人間が作ったものって素晴らしい! 一目見て、この建物にすっかり魅了されてしまいました。 -
アプローチの太い柱も素敵!
階下に見える外に出ている梁は、ネイテイヴアメリカンの日干し煉瓦の建物にも似ているような気がします。 -
中は撮影禁止だったので、パンフレットと入場券を写してみました。入り口を入ると靴を脱いで、スリッパに履き替えます。(正直に言うと、スリッパは嫌いです)
展示室は、座っても立っても寝転がっても自由。皆好きな格好で絵を鑑賞していました。明治41年(1908年)生まれの秋野不矩は、平成13年(2001年)に93歳まで亡くなるまで、精力的に絵を描き続けた方です。 -
個人的には私はインドが好きなので、50歳を過ぎてから行ったインドに魅せられた不矩の描いた風景や寺院にとても興味を覚えました。中でもインドの石仏を描いた作品はの数々は素晴らしく、家に帰ってから購入した画集を模写してしまったほど。
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展示数はそう多くはありませんでしたが、余韻を感じるのにふさわしい空間が広がっていて、壁も天井も床も優しさに満ち満ちていました。
都会にはない、「わざわざ時間を作って訪れたくなる美術館」に出逢ってしまいました。 -
現実に戻り、再び二俣川の橋(今度は二股大橋)を渡って、二股本町を横切ります。
この辺りも町歩きには最適な街なのですが、今回は目をつぶって通り抜けました。二股町から天竜市へ、そして浜松市へと合併を繰り返し、現在に至っています。
写真は二股クローバー通りという目抜き通りにあった尾張屋旅館。木材運搬華やかなりし明治の最盛期には、この通りに旅館が30軒、料理屋6軒、飲食店26軒もあったそうですよ。寂しい限りです。 -
途中「金の成る木の伝」という大きな石碑発見。
面白いので説明書きを写します。
家康があるとき小姓たちに「お前たちは金の成る木というものを知っているか」と尋ねました。ところが小姓たちは、「知りません」と言って、考え込んで誰も答えませんでした。
そこで家康は筆を取って幹の3本(なにごともほどほどに 慈悲深く 正直に)を書いて、「これをいつも信じて守っていれば、必ず金持ちになるぞ」と言いました。ちょうどそのとき細川三斎が次の間にいて、これを見て家康の前に出て、「この幹の両側へこんな具合に枝を付け加えてみられたらどんなものでしょうか」(右枝 早起き 決断力がある がまん強い 油断がない 左枝 稼ぎ 金を使わない 体を大切に 家族仲良く)とききました。家康は感心して、「両側の枝がさかえたら、もっと金持ちになるだろう。みんな写していって家族のものに教えてやれ」といったとかいうことです。 -
ピカピカで、改修したての旧二股町役場は、現在本田宗一郎の「ものづくり伝承館」となっており、郷土の偉人の「ひととなり」、「ものづくり精神」にかかわる展示や、ワークショップの開催などを行っています。
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入り口から覗き込むと・・・
豪快に笑っている本田氏の写真の下には、「私の手が語る」という展示。 -
奥の方には、ピッカピカに磨き上げられた初期の?オートバイや写真などが展示されていました。ごめんなさい。また今度にいたします。
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本田宗一郎氏の「ものづくり伝承館」のある旧二股町役場から石段をあがると諏訪神社。
今っひっそりと静まり返っている神社ですが、遠州では最大と言われる14台の豪華な屋台を勇壮に曳きまわす例大祭が夏の暑い時期に行われます。祭りの期間だけ、かつて林業と蚕で栄え、数多くの豪商を輩出した賑やかな町に戻るのだそうです。 -
神社の池伝いに歩いて、その先にある石段を上っていくと・・・
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信康山清龍寺の山門に到着です。
こちらは、一面黄色く染まっていました。 -
信康山長安院清瀧寺は浄土宗知恩院(京都)の末寺。
この寺には、天正7年(1579年)に自害した徳川家康の嫡男 徳川信康の霊廟があります。
信康の死後、家康は庵室があったこの地に信康の廟所、位牌堂、庫裡、方丈、不動堂、山門、鐘楼などを建立。山からの清水がこんこんと湧き出るのを見て、寺の名前を清龍寺と命名、信康には清瀧寺殿とおくり名をしました。 -
廟所には、こちらの階段を上っていきます。
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心なしか、もの悲しい赤のような気がします。
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トイカメラモードでズームアップ!
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山の中腹に、ひっそりと信康廟がありました。
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廟のそばにあった説明板です。
(説明によると)こちらには、殉死した吉良於初(信康の小姓を勤め、信康に殉じて切腹)、当時の二股城主 大久保七郎右衛門忠世(三方が原の負け戦の後、浜松の武田氏の陣のあった犀ケ崖を闇夜の中銃撃して大混乱に陥れた・・・こちらについては 遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (1)浜松 を参照ください! http://4travel.jp/travelogue/11020856 )、
三方が原で戦死した中根平左衛門正照、青木又四朗吉継の墓もあるそうです。 -
清龍寺から更に尾根道を歩いてしばらく行くと、静けさがすべてを支配している二股城址に着きました。実は、途中道路が工事中で、ここに来る道がわからず難儀しました。かなりの山道の上、歩いている人が一人もいないのです。
工事完成後はスムーズに辿り着くはずのこちらは、北側登城口と呼ばれています。 -
片側は急峻な崖になっていて、その下を大河天竜川が流れています。
秋野不矩が生まれたのは、確かこの城のすぐ近くのはずです。 -
見えそうで見えない天竜川。河原の石の色のせいか、水が白っぽく見えています。
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二股町版靖国神社である旭ヶ丘神社を通り過ぎ、
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北曲輪と本丸を結ぶ石橋をくぐらずに右手に進むと
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やがて山の頂に到達します。二股城本丸に到着です。敵方が容易には本丸に攻め入ることができないよう、二度折れして入る「枡形虎口」型で石垣が作られているのだそうです。
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またもや、素晴らしい紅葉が迎えてくれました。この後更に絶景を見ることになるのですが・・・
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思ったよりずっと広々とした気持ちの良い場所です。本丸の標高は80メートル。西には天竜川、南にはかつて二俣川が流れ、この辺りで天竜川に合流していました。東側も崖という天然の要塞の様を呈しています。
この城の弱点はただ一つ水の確保が容易でなかったことだそうです。 -
こんなに近くに大河が流れているのに・・・
木々に邪魔されて、なかなか見通せません。 -
野面積みの天守閣の石垣が、ほぼそのままの形で残っていました。
元服して、父である家康の「康」とともに、妻の父である信長の「信」を与えられ、「信康」と名乗った徳川家嫡男は、ここ二股城で自害させられました。
信長の陰謀とも、信康の妻徳姫の告げ口のせいとも派閥抗争とも言われていますが、真相は分かりません。 -
小規模ですが、形の美しい石灰岩を用いていて、丁寧に作ってあるという印象でした。
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そして、この後このたびのハイライトが待ち受けていました。
えっ 毎日同じようなこと書いているって?
そうなんですが、信康の哀しい話を聞いた後だけに、この山の紅葉の美しさには、どんな言葉も似つかわしくないとさえ思いました。語彙が不足している私には、この地を語る資格はありませんが、つたない写真だけでも、私の感動の一部をお届けできるのではないかと密かに願っています。
このたびを、せんてぃめんたるじゃーにーと名付けた所以です。 -
二の丸の方へ下りていく道です。
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木々の向こうに見えるのは、二の丸の稲荷神社。
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様々な赤が凝縮されたような1枚。
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まるで人の手で敷き詰めたような赤い絨毯。
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イチオシ
・・・
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イチオシ
二の丸跡です。
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言葉は要らないでしょう?
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本丸との間を行きつ戻りつ、彷徨います。
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風もなく、穏やかな日で、二股城址を訪れるに、これ以上の日はなかったと確信しています。
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二の丸から、鳥羽山公園に向かう道がなかなか見つからず、苦労しました。ようやく探し当てて、二の丸の稲荷神社付近から、西郭と蔵屋敷の間の道を下りていきました。
お楽しみいただけましたでしょうか? -
目の前に現れた雄大な天竜川の流れ。大変風格があります。
天竜川はこの先で、大きく左に90度流れを変えるのです。 -
振り返ってみた二股城址。ここからだと、あの美しいモミジの姿を想像だにできません。中央より左に、苦労して下りてきた階段が見えています。
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二俣川は江戸末期までこの辺りで天竜川に注いでいました。度重なる天竜川の逆流による洪水の被害に悩まされていた二股村の名主 袴田喜長は私財を投じて、鳥羽山の堀を割って二俣川の水を真っ直ぐに天竜川へ流す工事に着手。およそ20年かけて、今の河口に河川を付け替える難事業を完成させました。
今私が歩いているのは、1791年に作られた「締め切り堤」がその基礎となっている堤防です。旧二股川は、左の方に見える集落の中央を流れていました。
右は天竜川の流れです。
前に見えるのが鳥羽山公園。この山には、家康が二股城を攻める際に本陣を置いた鳥羽山城の遺構が残っています。 -
本日最後の難関 鳥羽山を上っていきます。
緑のシダが太陽の照り返しを受けて綺麗です。 -
標高が高くなるにつれ、ここでもモミジが増えていきました。
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鳥羽山城跡に到着です。二股城址から15分から20分くらいだったでしょうか。左側の階段を上っていくと、城の遺構と展望台などがあり、一帯は公園として整備されているそうですが、時間の都合でパスしました。ここまで来てなんと勿体ない・・・
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大きな銀杏の木の下に一台の車が停まっていました。
カメラを構えて銀杏を撮っていた男性が話しかけてきました。
「いやあ、しかし、美しいですねえ。」
「えっ私ですか? それほどでも・・・」
てなことは言いませんでしたが、ここの景色にいたく感動している風だったので、迷わず二股城址に行かれることをお勧めしました。 -
見事な銀杏の大木。もうだいぶ散り始めています。
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そうそう、この階段を上っていくと、天竜奥三河国定公園に指定されている鳥羽山公園に行くことが出来ます。
桜の季節も素晴らしいそうですよ。 -
私はここから下山します。遊歩道をぐるりと回って二股本町に戻るよりも、天竜川を渡って西鹿島に出た方が列車の便が良いと判断したのです。
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「田代家」は、代々北鹿島村で名主だった名家で、天正8年(1580年)田代家中興の祖といわれる孫丞(まごのじょう)の時、徳川家康の遠州経略を助けた功により、天竜川の筏川下げや諸役免除の特権(御朱印)を賜りました。筏川下げとは、上流地域の木材を筏で流し、遠州灘河口の掛塚まで運び出すことで、これを機に、田代家は代々、天竜川の筏問屋を経営してきました。
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田代家の参観は土日祝のみということなので、今日は外観を見るだけになりそうですが、4分で下まで下りられると書いてあったので、ちょっとほっとしました。これで、なんとか16:30のバスに間に合いそうです。
木々の間から天竜川の鉄橋が見えました。 -
下るのはあっという間、すぐに田代家に到着しました。山から下りてきたので、山側にあったこちらの建物は納戸だったような記憶。
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家の裏手には、天竜川の丸石が特徴的な石垣が山の土留めとして使われていました。
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見事にまん丸い石がゴロゴロ!
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庭では、たくさんの実をつけた静岡名産ミカンとピラカンサが見事でした。こちらのミカン、遠州最古と言われる樹齢200年の紀州ミカンのの子孫だそうです。
ミカン側から写真を撮ると、こんな具合ですが、反対側からだと・・・ -
じゃ〜ん! 大迫力でしょ!
そばにある高札に、田代家のミカンの話が書いてありましたよ。 -
最期に母屋の前にやってきました。土日祝のみの見学なので、今日は中に立ち入ることが出来ません。
母屋は手入れが行き届いていて、江戸時代の建築というよりは、もっと新しい家屋に見えました。正確には、安政6年(1859年)の創建だそうです。 -
母屋の2階左半分の窓は、虫籠窓ですね。左側の門の奥は中庭です。こちらも通せんぼがしてありました。通路にはやはり、天竜川の玉石が用いられていました。表面は綺麗に削ってあるようです。
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もう一度母屋をじっくりと眺めて、お暇いたします。
ちょっと気になったんですが、立札に書いてある「大久保彦左衛門の詫証文」って何でしょうね・・・
テレビでもお馴染みの、あの「一心太助」の物語で有名な大久保彦左衛門ですよね。 -
玉石の通路がここにも続いています。
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普通はこちらから入るのですが、今日は冠木門からお別れです。なんだか関所のような構えですが、一時期番所を兼ねていたそうです。船の積み荷に1割の税金を課し、それを取り立てる仕事ですって。
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一番最後が、通常一番最初に目にする案内図。田代家住宅は、地図上で天竜川が大きく向きを変えた角をやや過ぎた辺りにあります。
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すぐに天竜浜名湖鉄道の鉄橋にぶち当たりました。こちらには歩道はついていないので、もう少し上流にある橋を目指します。
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天浜線の鉄橋とほぼ平行に走る静岡県道152号線にかかる「鹿島橋」からの風景です。
残念ながら、橋を渡っている間に天浜線の列車は1本も通りませんでした。
橋を渡りながら、方広寺を開いた無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)が遠江の国鹿島を行脚中、増水した川に阻まれ難儀していた時、現れた龍神がその身を橋として無文元選禅師を渡した という話を思い出していました。
龍神様が現れそうな幻想的な水の色です。 -
イチオシ
橋の中央付近。本当に水の色が独特で、白みがかった青緑をしています。素晴らしい眺めです。橋を歩いて渡ろうと思わなかったら、こんな景色に出逢えなかったでしょうね。
眼下に見えるだいぶ浸食がすすんだこの白い岩の名前は何でしょう。 -
鹿島橋を渡ったところにあった椎ヶ脇神社。わぁ〜興味をそそられる石段ですねえ。
時間が・・・やはり、最終日のピクニックはきついなあ。 -
西鹿島の駅まで、天竜川沿いを歩きました。
おやっ? 天浜線の橋桁の一つが真っ赤です。 -
ズームアップすると、赤いツタに覆われた橋桁でした。手前のススキも旅情を添えます。
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まさに一級河川に相応しい、堂々とした大河でした。
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地図で見ると、ちょうど二股本町の辺りで、天竜川はU字型に蛇行しています。
こうやって見てみると、天竜二俣は、四方を水に囲まれた地形であることがよくわかります。さあてと、西鹿島の駅に着きましたよ。お疲れ様でした。 -
新浜松に戻る列車は、「遠州鉄道70周年」のエンブレムつきでした。
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1時間に平均5本も走らせている地方の私鉄なんて数少ないのではないでしょうか?
便利で正確な遠州鉄道のおかげで、30分足らずで浜松到着。コインロッカーに預けた荷物を引き出して、バス乗り場に急ぎます。 -
最期はハイウェイバス乗り場で撮った写真。浜松の循環町バス く・る・る。今回乗るチャンスがありませんでした。
浜松に費やした時間が短すぎましたね。近いからまたいつでも思い立ったら来れますよ。
というわけで、3泊4日のたび。落ちもなく、予定通り終了です。
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