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千葉方面にお住いのカメラ仲間の先輩3人からお誘いを頂き、松戸にある徳川家・戸定邸とあじさい寺・本土寺へ行ってきました。<br />我が家からは遠い松戸、なかなか行く機会はありませんが、サンデー毎日の先輩3人が私の休みに合わせて日程調整をしていただき、久々に4人で集まることが出来ました。<br />当初は、本土寺の紫陽花を楽しんだ後に飲むと言う企画だったのですが、私が参加させていただくことになり、折角なので松戸徳川家の戸定邸を案内していただくことになりました。<br /><br />(コメントはパンフレットとHPを参照しています。)

松戸の徳川家・戸定邸~あじさい寺・本土寺

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2015/06/10 - 2015/06/10

107位(同エリア464件中)

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67

morino296

morino296さん

千葉方面にお住いのカメラ仲間の先輩3人からお誘いを頂き、松戸にある徳川家・戸定邸とあじさい寺・本土寺へ行ってきました。
我が家からは遠い松戸、なかなか行く機会はありませんが、サンデー毎日の先輩3人が私の休みに合わせて日程調整をしていただき、久々に4人で集まることが出来ました。
当初は、本土寺の紫陽花を楽しんだ後に飲むと言う企画だったのですが、私が参加させていただくことになり、折角なので松戸徳川家の戸定邸を案内していただくことになりました。

(コメントはパンフレットとHPを参照しています。)

  • 松戸市戸定歴史館<br /><br />松戸駅に13時集合、東口から徒歩10分ほどで到着です。<br />松戸まで我が家から電車で2時間半ほど、名古屋よりも遠い感じです。

    松戸市戸定歴史館

    松戸駅に13時集合、東口から徒歩10分ほどで到着です。
    松戸まで我が家から電車で2時間半ほど、名古屋よりも遠い感じです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 松戸市戸定歴史館の門<br /><br />戸定(とじょう)とは古く中世の城郭に起源を持つ地名だそうです。

    松戸市戸定歴史館の門

    戸定(とじょう)とは古く中世の城郭に起源を持つ地名だそうです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 表玄関<br /><br />戸定邸は、最後の水戸藩主であった徳川昭武の屋敷で、明治17年(1884)建築の木造平屋一部2階建の建物(面積728?)。<br />明治前期の大規模な上流住宅の姿を残すものとして建物は国重要文化財に指定されています。

    戸定邸 表玄関

    戸定邸は、最後の水戸藩主であった徳川昭武の屋敷で、明治17年(1884)建築の木造平屋一部2階建の建物(面積728?)。
    明治前期の大規模な上流住宅の姿を残すものとして建物は国重要文化財に指定されています。

  • 戸定邸 内倉<br /><br />玄関を入った左側に土蔵があり、刀などの大切なものが保管されていたそうです。<br /><br />現在置かれている葵紋付長持は、高松宮喜久子妃殿下が徳川慶喜家から高松宮家に嫁ぐときにととのえた婚礼調度品の一つでだそうです。

    戸定邸 内倉

    玄関を入った左側に土蔵があり、刀などの大切なものが保管されていたそうです。

    現在置かれている葵紋付長持は、高松宮喜久子妃殿下が徳川慶喜家から高松宮家に嫁ぐときにととのえた婚礼調度品の一つでだそうです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 客間と二の間<br /><br />ボランティアの方が解説をされているところでした。<br />

    戸定邸 客間と二の間

    ボランティアの方が解説をされているところでした。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 客間の床の間<br /><br />華美な装飾を意識的に排除した書院造。<br />皇太子時代の大正天皇や最後の将軍徳川慶喜も座ったそうです。

    戸定邸 客間の床の間

    華美な装飾を意識的に排除した書院造。
    皇太子時代の大正天皇や最後の将軍徳川慶喜も座ったそうです。

  • 戸定邸 客間からの眺め(南側)<br /><br />庭園は、ゆるやかな起伏のある芝生に丸い樹木の刈り込みを配する和洋折衷式庭園の初期の作例だそうです。

    戸定邸 客間からの眺め(南側)

    庭園は、ゆるやかな起伏のある芝生に丸い樹木の刈り込みを配する和洋折衷式庭園の初期の作例だそうです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 客間からの眺め(西側)<br /><br />西側眼下には江戸川、天気の良い日には富士山も見ることができることから、平成17年に「関東の富士見百景」の一つに選ばれています。

    戸定邸 客間からの眺め(西側)

    西側眼下には江戸川、天気の良い日には富士山も見ることができることから、平成17年に「関東の富士見百景」の一つに選ばれています。

  • 戸定邸 客間と二の間<br /><br />客間は戸定邸の中で一番格式の高い部屋。<br /><br />徳川昭武没後の1911年、戸定邸は昭武の子・武定(松戸徳川家初代)に譲られ、松戸徳川家の本邸となり、1951年に松戸市に寄贈されました。<br /><br />

    戸定邸 客間と二の間

    客間は戸定邸の中で一番格式の高い部屋。

    徳川昭武没後の1911年、戸定邸は昭武の子・武定(松戸徳川家初代)に譲られ、松戸徳川家の本邸となり、1951年に松戸市に寄贈されました。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 客間と二の間の間の欄間<br /><br />葵の透かし彫りが施されています。

    戸定邸 客間と二の間の間の欄間

    葵の透かし彫りが施されています。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 南側の庭園から見た全景<br /><br />

    戸定邸 南側の庭園から見た全景

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 庭から見た客間棟<br /><br />

    戸定邸 庭から見た客間棟

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸の庭からの眺め<br /><br />スカイツリーも見えます。<br />この日は富士山は見えませんでした。

    戸定邸の庭からの眺め

    スカイツリーも見えます。
    この日は富士山は見えませんでした。

  • 戸定邸 縁の下<br /><br />礎石の上に柱が乗せられています。

    戸定邸 縁の下

    礎石の上に柱が乗せられています。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 書斎(左半分)

    戸定邸 書斎(左半分)

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 居間(八重の間)<br /><br />戸定邸の主・昭武の部屋であったが、昭武が客間棟の一室を居間にしていたため、後妻・斎藤八重の居間として使われていたそうです。

    戸定邸 居間(八重の間)

    戸定邸の主・昭武の部屋であったが、昭武が客間棟の一室を居間にしていたため、後妻・斎藤八重の居間として使われていたそうです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 離座敷(秋庭の間)<br /><br />昭武の生母・秋庭(しゅうてい)の居間。<br />戸定邸の一番奥にあって、とても落ち着いた部屋。

    戸定邸 離座敷(秋庭の間)

    昭武の生母・秋庭(しゅうてい)の居間。
    戸定邸の一番奥にあって、とても落ち着いた部屋。

  • 戸定邸 離座敷(秋庭の間)の欄間<br /><br />蝶があしらわれているのも女性の部屋らしいく優しい感じです。

    戸定邸 離座敷(秋庭の間)の欄間

    蝶があしらわれているのも女性の部屋らしいく優しい感じです。

  • 戸定邸 湯殿<br /><br />当初、木製の風呂桶であったものが、昭和初期にタイル張りになったそうです。<br /><br />

    戸定邸 湯殿

    当初、木製の風呂桶であったものが、昭和初期にタイル張りになったそうです。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定邸 使者の間<br /><br />8畳2間。<br />欄間には魔除けのコウモリがあしらわれています。

    戸定邸 使者の間

    8畳2間。
    欄間には魔除けのコウモリがあしらわれています。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定が丘歴史公園の夏ツバキ<br /><br />現在、戸定邸を含む旧松戸徳川家の敷地は戸定が丘歴史公園として整備されていて、平成19年に「日本の歴史公園100選」に選ばれています。<br />

    戸定が丘歴史公園の夏ツバキ

    現在、戸定邸を含む旧松戸徳川家の敷地は戸定が丘歴史公園として整備されていて、平成19年に「日本の歴史公園100選」に選ばれています。

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定が丘歴史公園の紫陽花

    戸定が丘歴史公園の紫陽花

    戸定邸 名所・史跡

  • 戸定が丘歴史公園 ビヨウヤナギ(美容柳、未央柳)

    戸定が丘歴史公園 ビヨウヤナギ(美容柳、未央柳)

    戸定邸 名所・史跡

  • 松戸市立戸定歴史館の前の紅葉

    松戸市立戸定歴史館の前の紅葉

    戸定邸 名所・史跡

  • 松戸市立戸定歴史館<br /><br />戸定邸に隣接する博物館。<br />ここでは、松戸徳川家の伝来品の展示を中心に、昭武が最後の将軍徳川慶喜の名代として派遣された1867年パリ万博関係資料や、幕末から明治にかけての古写真についての企画展特別展が開催されます。<br />

    松戸市立戸定歴史館

    戸定邸に隣接する博物館。
    ここでは、松戸徳川家の伝来品の展示を中心に、昭武が最後の将軍徳川慶喜の名代として派遣された1867年パリ万博関係資料や、幕末から明治にかけての古写真についての企画展特別展が開催されます。

    戸定邸 名所・史跡

  • 松戸市立戸定歴史館<br /><br />館内は撮影禁止でした。<br />館内には、徳川家の家系図も展示されていましたが簡単に。<br /><br />徳川慶喜<br />江戸幕府最後の将軍。水戸藩主徳川斉昭の7男で、昭武の16歳上の異母兄。<br />徳川一橋家を相続後、29歳で将軍となる。<br />明治維新により、私人となり、度々訪問した戸定邸で写真や狩猟などを楽しんだそうで、慶喜が撮影した写真も展示されています。<br /><br />徳川昭武<br />最後の水戸藩主。徳川斉昭の18男で慶喜の実弟。13歳でパリ万博に派遣され、ヨーロッパ各国を歴訪、その後、パリに留学。<br />明治維新により帰国、最後の水戸藩主となる。<br />1883年29歳で水戸徳川家当主の座を退き、翌年戸定邸に住み始めた。<br /><br />14:20頃、戸定邸を失礼しました。<br /><br /><br />

    松戸市立戸定歴史館

    館内は撮影禁止でした。
    館内には、徳川家の家系図も展示されていましたが簡単に。

    徳川慶喜
    江戸幕府最後の将軍。水戸藩主徳川斉昭の7男で、昭武の16歳上の異母兄。
    徳川一橋家を相続後、29歳で将軍となる。
    明治維新により、私人となり、度々訪問した戸定邸で写真や狩猟などを楽しんだそうで、慶喜が撮影した写真も展示されています。

    徳川昭武
    最後の水戸藩主。徳川斉昭の18男で慶喜の実弟。13歳でパリ万博に派遣され、ヨーロッパ各国を歴訪、その後、パリに留学。
    明治維新により帰国、最後の水戸藩主となる。
    1883年29歳で水戸徳川家当主の座を退き、翌年戸定邸に住み始めた。

    14:20頃、戸定邸を失礼しました。


    戸定邸 名所・史跡

  • 流山市にあるあじさい通り<br /><br />戸定邸から、次の目的地・本土寺へ向かう途中、流山市内のあじさい通りに寄り道しました。<br /><br />松戸から南柏駅まで電車で移動し、20分ほど歩いて、あじさい通りへ。

    流山市にあるあじさい通り

    戸定邸から、次の目的地・本土寺へ向かう途中、流山市内のあじさい通りに寄り道しました。

    松戸から南柏駅まで電車で移動し、20分ほど歩いて、あじさい通りへ。

  • 流山市 あじさい通り<br /><br />市民の皆さんたちが面倒を見ていらっしゃるようです。

    流山市 あじさい通り

    市民の皆さんたちが面倒を見ていらっしゃるようです。

  • 流山市 あじさい通り<br /><br />ちょうど見ごろだったようです。

    流山市 あじさい通り

    ちょうど見ごろだったようです。

  • 流山市 あじさい通りにて

    流山市 あじさい通りにて

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />純白の花が徐々に色づくようです。

    流山市 あじさい通りにて

    純白の花が徐々に色づくようです。

  • 流山市 あじさい通りのガクアジサイ<br /><br />小さな方が花で、大きな方は咢なんですね。<br />大きな萼に目を囚われがちですが、ガクアジサイが見頃というのは、この小さな花が咲いたころなのでしょうね。<br /><br />

    流山市 あじさい通りのガクアジサイ

    小さな方が花で、大きな方は咢なんですね。
    大きな萼に目を囚われがちですが、ガクアジサイが見頃というのは、この小さな花が咲いたころなのでしょうね。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />この紫陽花は徐々に青さが増すのでしょうか。

    流山市 あじさい通りにて

    この紫陽花は徐々に青さが増すのでしょうか。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />白いガクアジサイも、花が咲き始ています。

    流山市 あじさい通りにて

    白いガクアジサイも、花が咲き始ています。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />こちらの紫陽花もまだ若い感じですね。

    流山市 あじさい通りにて

    こちらの紫陽花もまだ若い感じですね。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />鮮やかな紫色の咢をもつガクアジサイ。<br />子の状態は、花はまだ咲いていないというのでしょうか。

    流山市 あじさい通りにて

    鮮やかな紫色の咢をもつガクアジサイ。
    子の状態は、花はまだ咲いていないというのでしょうか。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />密度が濃いガクアジサイ。

    流山市 あじさい通りにて

    密度が濃いガクアジサイ。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />このガクアジサイは満開かな。<br />

    流山市 あじさい通りにて

    このガクアジサイは満開かな。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />お世話をされている地元の皆さんに感謝ですね。

    流山市 あじさい通りにて

    お世話をされている地元の皆さんに感謝ですね。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />アナベルでしょうか?

    流山市 あじさい通りにて

    アナベルでしょうか?

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />ちょっと珍しい色合いの紫陽花ですね。

    流山市 あじさい通りにて

    ちょっと珍しい色合いの紫陽花ですね。

  • 流山市 あじさい通りにて<br /><br />これはウズアジサイでしょうか。

    流山市 あじさい通りにて

    これはウズアジサイでしょうか。

  • 本土寺へ向かう途中の田圃 16時頃<br /><br />流山市内にはまだ水田が残っています。

    本土寺へ向かう途中の田圃 16時頃

    流山市内にはまだ水田が残っています。

  • 本土寺へ向かう途中の葱畑<br /><br />流山市と松戸市の境に近い畑です。

    本土寺へ向かう途中の葱畑

    流山市と松戸市の境に近い畑です。

  • 松戸市のマンホール<br /><br />流山市から松戸市に入りました。<br />松戸市のマンホールの図柄は「矢切の渡し」です。

    松戸市のマンホール

    流山市から松戸市に入りました。
    松戸市のマンホールの図柄は「矢切の渡し」です。

  • 本土寺 仁王門 16:10頃到着<br /><br />間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式。<br />参道の正面に「長谷山」の扁額を掲げた朱塗りの高楼。<br />慶安年間(1648〜1651)、日慧上人の発願による建築。<br />階上には金色の千体佛が祀られているそうです。<br />

    本土寺 仁王門 16:10頃到着

    間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式。
    参道の正面に「長谷山」の扁額を掲げた朱塗りの高楼。
    慶安年間(1648〜1651)、日慧上人の発願による建築。
    階上には金色の千体佛が祀られているそうです。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 山門を潜ると青もみじが迎えます。<br /><br />ここは紅葉の名所としても知られます。

    本土寺 山門を潜ると青もみじが迎えます。

    ここは紅葉の名所としても知られます。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の紫陽花<br /><br />境内には、十種類以上の紫陽花が5万本以上あるそうです。<br />入山は16:30まで、閉山は17時ということで、慌ただしく境内の紫陽花を見て回りました。

    本土寺 境内の紫陽花

    境内には、十種類以上の紫陽花が5万本以上あるそうです。
    入山は16:30まで、閉山は17時ということで、慌ただしく境内の紫陽花を見て回りました。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 五重塔と紫陽花<br /><br />平成三年に、日像菩薩650遠忌記念として建立された、高さ18mの塔。

    本土寺 五重塔と紫陽花

    平成三年に、日像菩薩650遠忌記念として建立された、高さ18mの塔。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 五重塔<br /><br />インドのネール首相より贈られた真仏舎利の一粒を納め、千体佛と共に祀られているそうです。

    本土寺 五重塔

    インドのネール首相より贈られた真仏舎利の一粒を納め、千体佛と共に祀られているそうです。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 鐘楼<br /><br />二間四面、茅葺。<br />梵鐘は建治4年(1278)の鋳造銘があり、千葉県下第二の古鐘だそうです。<br />昭和五十二年に国重要文化財に指定された実物は宝物殿の中に保管されています。<br />

    本土寺 鐘楼

    二間四面、茅葺。
    梵鐘は建治4年(1278)の鋳造銘があり、千葉県下第二の古鐘だそうです。
    昭和五十二年に国重要文化財に指定された実物は宝物殿の中に保管されています。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 本堂<br /><br />当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治3年(1277)に領主の曽谷教信の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂としたのが始まり。<br />後に日蓮聖人より長谷山本土寺と寺号を授かりました。<br />池上の長栄山本門寺、鎌倉比企ヶ谷の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれます。<br />宗門屈指の大山として山内には四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇ったそうですが、度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動のために衰減し、今は昔の偉容は伺えないとのこと。<br /><br />しかしながら、三聖人(平賀家の三兄弟:日朗聖人、日像聖人、日輪聖人)出生の聖跡として、開運、安産、乳出子育、学業増進、所願成就のご霊験で知られる名刹といわれます。

    本土寺 本堂

    当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治3年(1277)に領主の曽谷教信の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂としたのが始まり。
    後に日蓮聖人より長谷山本土寺と寺号を授かりました。
    池上の長栄山本門寺、鎌倉比企ヶ谷の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれます。
    宗門屈指の大山として山内には四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇ったそうですが、度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動のために衰減し、今は昔の偉容は伺えないとのこと。

    しかしながら、三聖人(平賀家の三兄弟:日朗聖人、日像聖人、日輪聖人)出生の聖跡として、開運、安産、乳出子育、学業増進、所願成就のご霊験で知られる名刹といわれます。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 本堂前の紫陽花<br /><br />間口八間、奥行十間、木造銅板葺、御本尊は一尊四士。<br /> 慶安四年(1651)に小金城主一族の恵了院日修が息女の菩提を祈って<br />造立したと記録されている。<br />もともとは祖師堂であったが、明治十五年宗祖六百遠忌に場所を移し本堂とし、<br /> 昭和五十二年宗祖七百遠忌に時に五間四面の拡大改造され今日に至る。

    本土寺 本堂前の紫陽花

    間口八間、奥行十間、木造銅板葺、御本尊は一尊四士。
    慶安四年(1651)に小金城主一族の恵了院日修が息女の菩提を祈って
    造立したと記録されている。
    もともとは祖師堂であったが、明治十五年宗祖六百遠忌に場所を移し本堂とし、
    昭和五十二年宗祖七百遠忌に時に五間四面の拡大改造され今日に至る。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 徳川家康の側室・秋山夫人の墓<br /><br />秋山夫人は、甲斐武田一族の秋山虎康の娘で、15歳で家康の側室となり、家康の第5子万千代君を生んだ。<br />万千代君は、後に武田信吉を名乗り小金城の城主となった。<br />この墓石は、信吉の甥である水戸光圀が貞享元年(1684)に建立したものだそうです。

    本土寺 徳川家康の側室・秋山夫人の墓

    秋山夫人は、甲斐武田一族の秋山虎康の娘で、15歳で家康の側室となり、家康の第5子万千代君を生んだ。
    万千代君は、後に武田信吉を名乗り小金城の城主となった。
    この墓石は、信吉の甥である水戸光圀が貞享元年(1684)に建立したものだそうです。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の紫陽花

    本土寺 境内の紫陽花

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の紫陽花<br /><br />後ろに広がるのはショウブ苑

    本土寺 境内の紫陽花

    後ろに広がるのはショウブ苑

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内のショウブ苑<br /><br />花菖蒲は5千本あるそうですが、見頃を過ぎたのでしょうか花付きはよくありませんでした。<br />

    本土寺 境内のショウブ苑

    花菖蒲は5千本あるそうですが、見頃を過ぎたのでしょうか花付きはよくありませんでした。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の花菖蒲

    本土寺 境内の花菖蒲

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の花菖蒲

    本土寺 境内の花菖蒲

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 妙朗堂と紫陽花<br /><br />妙朗堂は、日朗上人の母・妙朗尼を祀る。<br />大正末期の建築で、昭和28年に現在の場所へ移築。<br />

    本土寺 妙朗堂と紫陽花

    妙朗堂は、日朗上人の母・妙朗尼を祀る。
    大正末期の建築で、昭和28年に現在の場所へ移築。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 瑞鳳門と紫陽花<br /><br />瑞鳳門は、文政4年(1821)建立。<br />旧輪蔵院の門で、以前は現在の像師堂前にあったが移築されたもの。<br />

    本土寺 瑞鳳門と紫陽花

    瑞鳳門は、文政4年(1821)建立。
    旧輪蔵院の門で、以前は現在の像師堂前にあったが移築されたもの。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 日像菩薩石像<br />

    本土寺 日像菩薩石像

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 像師堂<br /><br />京都開教の祖日像上人の日像菩薩像が祀られています。<br />「日像菩薩誕生水」と合わせて「子安乳出の日像様」として信仰を集め、最盛期には参道まで祈願者が列をなしたそうです。<br />

    本土寺 像師堂

    京都開教の祖日像上人の日像菩薩像が祀られています。
    「日像菩薩誕生水」と合わせて「子安乳出の日像様」として信仰を集め、最盛期には参道まで祈願者が列をなしたそうです。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 像師堂の右横に立つお地蔵さん<br />

    本土寺 像師堂の右横に立つお地蔵さん

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 乳出の霊水<br /><br />「日像菩薩誕生水」とも言われ、日像上人がお生まれになったとき、清水が湧き出て、それを産湯として使ったとされます。<br />後に井戸とし、その水を飲むと病気が治り、たちまちに乳の出がよくなるという<br />不思議なご利益により当時は参詣祈願の列が絶えなかったそうです。<br />

    本土寺 乳出の霊水

    「日像菩薩誕生水」とも言われ、日像上人がお生まれになったとき、清水が湧き出て、それを産湯として使ったとされます。
    後に井戸とし、その水を飲むと病気が治り、たちまちに乳の出がよくなるという
    不思議なご利益により当時は参詣祈願の列が絶えなかったそうです。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 境内の紫陽花<br /><br />あじさい寺といわれる本門寺、失礼ながら、感激するほどの見頃ではなかった気がします。<br />

    本土寺 境内の紫陽花

    あじさい寺といわれる本門寺、失礼ながら、感激するほどの見頃ではなかった気がします。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 本土寺 仁王門と青もみじ 16:45頃<br /><br />ここから常磐線北小金駅まで徒歩15分ほど。<br />この後は、先輩たちが行きつけの北小金駅近くにあるの串揚げ屋さんで、打ち上げをしました。(これが目的と言っても良いかも知れませんね。)<br />滅多に行くことのない松戸・流山、案内いただいた先輩方々、有難うございました。<br /><br />長々と電車に乗って私が家に着くころ、先輩Oさんは、早々と就寝されるところでした。<br /><br />(おしまい)

    本土寺 仁王門と青もみじ 16:45頃

    ここから常磐線北小金駅まで徒歩15分ほど。
    この後は、先輩たちが行きつけの北小金駅近くにあるの串揚げ屋さんで、打ち上げをしました。(これが目的と言っても良いかも知れませんね。)
    滅多に行くことのない松戸・流山、案内いただいた先輩方々、有難うございました。

    長々と電車に乗って私が家に着くころ、先輩Oさんは、早々と就寝されるところでした。

    (おしまい)

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

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  • 旅猫さん 2015/06/26 16:35:46
    本土寺!
    morino296さん、こんにちは。

    松戸、懐かしいなぁ。
    20年近く住んでいた街なので。

    戸定公園も何度か訪れました。
    変わっていませんね。

    本土寺もとても懐かしいです。
    最近は、紫陽花や紅葉でずいぶん有名になりましたが、
    私が住んでいた頃は、静かで趣のあるお寺さんでした。
    10代の頃ですけどね。

    懐かしい景色を、ありがとうございました。
    旅猫

    morino296

    morino296さん からの返信 2015/06/26 17:42:27
    RE: 本土寺!
    旅猫さん

    こんにちは。
    いつも有難うございます。

    松戸に長くお住いでしたか。
    私は、松戸は2度目ですが、ほとんど何も知らずに、
    松戸徳川家などと言うのも初めて知りました。

    松戸在住の友人に話したら、本土寺は以前は拝観料もなかったと
    言っていました。

    先輩たちからは、紅葉狩りにも誘われていますが、
    ちょっと遠いので、どうなりますやら。

    morino296

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