2011/08/24 - 2011/08/24
206位(同エリア461件中)
滝山氏照さん
JR常磐線又は新京成線松戸駅から徒歩7分、駅周辺の平地を展望する丘陵地にある相模台城(さがみだいじょう、千葉県松戸市岩瀬)を訪問しました。
建長元年(1241)、鎌倉幕府第6代執権北条長時(ほうじょう・ながとき、1230~1264)が当地に居館を構えた事に始まります。その後歴代の執権が度々利用しますが第15代最後の執権となった相模守である北条高時(ほうじょう・たかとき、1304~1333)が当地に居住したことにより彼の「相模守」が名前の由来になったそうです。
鎌倉幕府崩壊後は当然ながら相模台城も陥落、以降足利尊氏と新田義徳とで当地を巡る争奪戦が繰り返されます。
永禄7年(1538)、当地は第一次国府台合戦の戦場となります。即ち小田原から北上した北条氏綱・氏康親子の軍が江戸川を渡り松戸から攻め、対する足利義明(あしかが・よしあき、不詳~1538)を主とする小弓公方軍は相模台城で迎え撃ち、城の周辺では激しい死闘が展開され、その結果義明と嫡子義純は討ち死についに小弓公方は滅亡します。
相模台周辺は駅に近く市街化が進みスーパー、マンションの他松戸中央公園、相模台公園、裁判所、法務局、聖徳大学、相模台小学校などが建ち並び当時を示すものは少ない中、城跡であったと思われる聖徳大学構内に「相模台戦跡碑」と書いた石碑と当合戦で落命した義明父子たち戦士を弔った「経世塚」を見学できた事は嬉しい限りです。
尚、当該石碑については正門脇に駐在の警備員にその旨申し込めば入場及び見学が可能です。
2022年4月4日追記
大学構内設置の石碑脇に設置された説明板にか下記の通り記載されています。
「 経世塚
天文7年(1538)、10月7日、この相模台上において、千葉生実の小弓公方足利義明と小田原の北条氏綱との合戦があった。
結果戦いは氏綱の勝利となり、公方義明(古河公方義晴の叔父)と御曹司義純らはこの地に憤死する。
小金井本土寺過去帳によると「千余人戦死」とある。経世塚はこれらの戦死者を葬った跡と伝えられている。
なお、この塚は事情あって昭和54年に現在地に移動したものである。 」
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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相模台公園入口
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急峻な階段
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城郭の一部
階段を登ると広場が見えます。 -
土塁の一部
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崩れた土塁
この先はフェンスが施され法務局関係の住宅のようです。 -
長い土塁
遊園設備の奥に長手の土塁らしきものが見えますが真偽のほどはわかりません。 -
松戸中央公園入口
旧陸軍工兵学校正門門柱が使用されています。煉瓦造りの門柱で貴重な建物だそうです。 -
警備の歩哨哨舎
当初は木造でしたが後年コンクリート製になりました。 -
門柱の説明板
左下の写真は当時の状況を写しています。 -
当時写真の拡大
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相模台の変遷説明板
国府台合戦の激戦地だったそうです。 -
公園内部
静寂なたたずまいです。 -
公園内部
過去に何もなかったかのような雰囲気です。 -
聖徳大学正門付近
正門左に守衛所があり、守衛さんに事情を話して入れて頂きました。 -
聖徳大学学舎
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イチオシ
相模台戦跡碑
事情があって昭和54年に他所から移転したそうです。 -
経世塚
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経世塚
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経世塚説明板
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法務局前の道路
空掘跡の雰囲気が伝わります。 -
相模台公園入口
左側が相模台城跡の一部です。 -
相模台公園遠望
中央部階段が公園入口となります。 -
相模台公園遠望
市街化されています。
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