2015/05/27 - 2015/05/27
31位(同エリア144件中)
ベームさん
5/27(水)、9日目。
その1の続きです。フッゲライからマキシミリアン通りを歩きました。
写真はシェツラー宮殿の祝祭広間。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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元芸術アカデミー。1609年。
市庁舎前広場から西にバーフューサー通りを入った所。 -
アオフ・デム・ライン通り。
ここを左に入るとベルト・ブレヒト・ハウスがあります。 -
ベルトルト・ブレヒト記念館。
ドイツの劇作家。1898~1956年。
代表作:三文オペラ、肝っ玉母さん、など。 -
ベルト・ブレヒト記念館。
この古い職人の家で1898年2月10日、オイゲン・ベルトルト・ブレヒトは生まれた。 -
ブレヒトハウス。
アウフ・デム・ライン通り。 -
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更に少し西に歩くとフッゲライがあります。
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日時計。
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1521年ヤコプ・フッガーが建築した世界最初の社会福祉住宅。
ここに入れる条件。
1、アウクスブルク市民であること。2、カトリック教徒であること。3、前科の無いこと。4、生活困窮者であること。5、1日3回フッガー家のために神に祈りを捧げること。 -
フッガー家に限らず昔の金持ちは金儲けだけに走るのではなく、儲けた金の一部を社会に還元しました。商売してお金を儲けられるのも神のおかげと考えていたのです。
大富豪が社会に寄付をするという話は西洋ではよく聞きますが、日本ではどうでしょうか。日本は貧富の格差が少なく大富豪なんていないのかも知れません。 -
現在も老人用アパートとして使われており家賃は今でも当時と同じ年0.88ユーロだそうです。
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フッゲライ。
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入口から入って今人の居る所がカッセ/切符売り場です。
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フッゲライには教会もあります。聖マルクス教会。1582年。
入ってすぐ左に礼拝堂。 -
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入口と教会方向。
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入口から奥の方。
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先の大戦の空襲でかなり破壊されましたが復旧しました。
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泉。
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モデルルーム。
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現在の住居。
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極質素ですが安い家賃で安住できるのなら良いでしょう。
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一番左の扉が博物館。その右、白い大きなプレートが架かっている緑の扉がフランツ・モーツアルトが住んでいた所。
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この家に1681~1693年まで左官フランツ・モーツアルトが住んでいた。
このフッゲライの市民はそのひ孫ヴォルフガンク・アマデウス・モーツアルトというシュヴァーベン地方から出た最大の音楽家を人類にもたらした。
フランツの孫がレオポルトでその息子がアマデウス。 -
博物館。
一番上:ヤーコプ・フッガー2世/通称富者フッガー。1459~1525年。デューラー作。
フッガー家を当時ヨーロッパ一の金持ちに育て上げた功績者。イタリアとの交易(織物、香辛料)、金融業、金銀鉱山の取得で財をなし、その資金力でローマ教皇、ハプスブルク家など王侯の金庫番となった。
1519年神聖ローマ帝国皇帝マキシミリアン1世の死去に伴う皇帝選挙ではハプスブルク家のスペイン国王カルロス1世(マキシミリアンの孫)とフランス国王フランソワ1世が争ったが、カルロスはフッガー家から莫大な資金を借りることにより皇帝位を獲得、皇帝カール5世となった。ヤーコプ・フッガー宛のカール5世直筆の借用証もあるそうです。 -
昔の住居。
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小さなベッド。
昔の人は上半身枕にもたせて寝たそうです。 -
戦争でかなりの被害を受けています。
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博物館。
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手押しポンプ。
水の補給のためフッゲライの各所にポンプが設置されていました。 -
フッゲライからトラムで市庁舎前広場に戻りメインストリートのマキシミリアン通りを南に歩きました。
モーリッツ広場のモーリッツ教会。 -
織物商のギルドハウス。1389年。
壁面のフレスコ画は1961年塗りなおしています。 -
市内を走るトラム。
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フッガーハウス。
1515年ヤーコプ・フッガーが建築。大戦後に再建されています。
間口69mもあるという大邸宅。今はフッガー銀行が入っています。 -
正面の扉を閉めると神聖ローマ帝国の紋章双頭の鷲が扉一杯に描かれています。
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1518年10月、この場所でマルチン・ルターは教皇の使節カエタンに対し自説の撤回を拒否した。
1517年ルターの95か条の提題発表以来始まったローマ教皇とルターの対立はこれで決定的となり、教皇によるルターの破門、皇帝カール5世によるルターの帝国追放刑、宗教改革の拡がりとなって行きました。 -
フッガー銀行。
フッガー候プライベートバンクとなっています。ヤーコプ・フッガーは爵位まで貰っているのですね。それを今でも名乗るなんてプライドが高い。
二つの百合はフッガー家の家紋。 -
ヘラクレスの泉。
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マキシミリアン通りの突き当りに聖ウルリヒ・アフラ教会が見えます。
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通りの中ほどにあるシェツラー宮殿。
銀行家リーベルト・フォン・リーベンホーフェンにより1765~1770年に建てられたロココ調の邸宅。
今はドイツバロック絵画館とバイエルン州立絵画館になっています。 -
以下収蔵品です。12~18世紀のアウクスブルクとシュヴァーベン美術を見ることが出来ます。
バーテル・ベーハム:化粧する婦人。1502年。 -
ヨハネス・ケーニヒ:万聖節。
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ヨハン・ハインリヒ・シェーンフェルト:ダイアナへの生贄。
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マテアス・ギュンター:聖ヤコブと聖レオンハルトを連れた聖母マリア。
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ヨハン・ティッシュバイン:ある婦人の肖像。
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アントン・グラーフ:ヨハンナ・ヤコビーナ・マグダレーナ。
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館内。
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アントン・ラファエル・メングス:アウグストゥスとクレオパトラ。
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ゼバスチャン・シュトスコプフ:ルーカス・クラーナハ描くメランヒトンの絵のある静物画。
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クリスチャン・ベレンツ:飲み物を載せた盆と大きなデカンターのある静物画。
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華麗な祝祭広間。
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天井画。
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ルーカス・クラーナハ:サムソンとデリラ。
クラーナハ得意の画題です。 -
父ハンス・ホルバイン:ウルリヒ・シュヴァルツの奉納画。
ホルバインには同名の息子ハンス・ホルバインがいます。父が専らアウクスブルクで祭壇画を描いたのに対し、息子はヨーロッパ各地の王侯貴族の肖像画を描いていて、作品の知名度からいえば息子の方が有名なようです。 -
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父ハンス・ホルバイン:
左キリスト降架、中十字架のキリスト、右キリストの埋葬。 -
トマン・ブルックマイアー:十字架の発見と検証。
題名を直訳するとこうなんです。
ベームの推理:行方不明になっていたキリストが架けられた十字架が発見され、それが細かく分けられ各地で聖遺物になったのではないか。 -
ハンス・ブルクマイアー:万聖節祭壇。
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父ハンス・ホルバイン:女子修道院長ヴェロニカ・ヴェルザー。
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アルブレヒト・デューラー:富者ヤーコプ・フッガー。
いかにも成功しそうな精悍な面構えです。 -
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父ホルバイン:聖カタリーナの殉教。1512年。
聖カタリーナ:3世紀ころのエジプト、アレキサンドリアの貴族の娘。
キリスト教徒を迫害する時のローマ皇帝と論争をし皇帝を論破した。カタリーナをものにしようとした皇帝は断られ彼女を捕え車輪に結わえつけて処刑しようとした。ところがどの車輪もカタリーナが触ると壊れてしまう。ついにカタリーナは斬首された。
聖カタリーナの絵には大概車輪が描かれています。 -
マルティン・シャフナー:竜を退治する聖ゲオルク。
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マルティン・シャフナー:キリストとマリアの別れ。
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受胎告知。
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宮殿の庭。
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マキシミリアン通り。
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通りの南端。手前がプロテスタントの聖ウルリヒ教会。当初1457年、1710年改築。
奥の高い塔がカトリックの聖アフラ教会。1607年。
新旧両教会が同じ敷地に造られているのは、アウクスブルクが両派和解の地となったことに由来しているそうです。 -
聖ウルリヒ教会。
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聖アフラ教会。
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聖アフラ教会。
ウルリヒ教会の方は閉まっていました。 -
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聖ウルリヒ教会からのマキシミリアン通り。
これでアウクスブルクは終わり。明日はランツベルクからショーンガウまで行きます。 -
夕食はホテルから駅の方に少し戻った所にある中華料理店で。
豆腐の味噌汁。味は二の次、味噌汁にありつけたのが嬉しい。でも味も悪くなかった。 -
日本茶。
なぜか砂糖が付いていました。
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