浜北・引佐旅行記(ブログ) 一覧に戻る
浜名湖は何度か行ったことがあるけれど、連れ合いの第二の故郷である浜松の街は知らない。姫街道、天竜、奥浜名、掛川も歩いてみたいと思っていたところ、たまたまオンラインで見つけたホテルが3連泊取れそうな塩梅。新幹線なら東京から1時間だけれど、なんだかそれでは旅気分が出ないので、あえて渋谷からバスで出発。思い立ってからわずか1週間余りで実現の運びとなった旅でした。<br /><br />12月3日(火)東京→浜松(復興記念館、浜松城、犀ヶ崖資料館、蜆塚古墳)<br />12月4日(水)浜松→奥山方広寺→神宮寺→龍潭寺→気賀→長楽寺→浜松<br />12月5日(木)浜松→磐田→掛川→浜松<br />12月6日(金)浜松→西鹿島→天竜二俣→秋野不矩美術館→二股城址→鳥羽山公園→西鹿島→浜松→東京<br /><br />龍潭寺に長居をしすぎて、お腹がすきました。今日中に、姫街道を歩いて、浜名湖畔まで行きたいと思っているのですが、計画は途中でとん挫することが常。ひとまず腹ごしらえをしてから考えましょう・・・<br /><br />

遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (4)細江 長楽寺

18いいね!

2013/12/04 - 2013/12/04

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junemay

junemayさん

浜名湖は何度か行ったことがあるけれど、連れ合いの第二の故郷である浜松の街は知らない。姫街道、天竜、奥浜名、掛川も歩いてみたいと思っていたところ、たまたまオンラインで見つけたホテルが3連泊取れそうな塩梅。新幹線なら東京から1時間だけれど、なんだかそれでは旅気分が出ないので、あえて渋谷からバスで出発。思い立ってからわずか1週間余りで実現の運びとなった旅でした。

12月3日(火)東京→浜松(復興記念館、浜松城、犀ヶ崖資料館、蜆塚古墳)
12月4日(水)浜松→奥山方広寺→神宮寺→龍潭寺→気賀→長楽寺→浜松
12月5日(木)浜松→磐田→掛川→浜松
12月6日(金)浜松→西鹿島→天竜二俣→秋野不矩美術館→二股城址→鳥羽山公園→西鹿島→浜松→東京

龍潭寺に長居をしすぎて、お腹がすきました。今日中に、姫街道を歩いて、浜名湖畔まで行きたいと思っているのですが、計画は途中でとん挫することが常。ひとまず腹ごしらえをしてから考えましょう・・・

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 龍潭寺に入る前に覗いた曳馬路といううどん屋さんに入ります。<br /><br />曳馬(ひくま)とは、古代から中世にかけて遠州にあった地名、宿駅のようです。曳馬路、曳馬野等 この二文字がついた商店を多く見かけました。<br /><br />うどん屋さんはお昼時を過ぎたせいか、先ほどの混雑が嘘のよう。<br />

    龍潭寺に入る前に覗いた曳馬路といううどん屋さんに入ります。

    曳馬(ひくま)とは、古代から中世にかけて遠州にあった地名、宿駅のようです。曳馬路、曳馬野等 この二文字がついた商店を多く見かけました。

    うどん屋さんはお昼時を過ぎたせいか、先ほどの混雑が嘘のよう。

  • 五目うどんを食べましたが、具材豊富でなかなか良いお味でした。龍潭寺の感動の余韻に浸りながら、ゆっくり箸を動かしました。<br /><br />おだしは澄んでいました。浜松はもう関西圏みたいです。

    五目うどんを食べましたが、具材豊富でなかなか良いお味でした。龍潭寺の感動の余韻に浸りながら、ゆっくり箸を動かしました。

    おだしは澄んでいました。浜松はもう関西圏みたいです。

  • さて、バス便も相変わらずない様ですので、てくてくと2.8kmほど離れた旧細江町気賀まで歩くことにしました。<br /><br />途中の県道320号線は、特に楽しい道ではありませんでしたが、たわわに実ったかんきつ類の畑が多く目につきました。<br /><br />これは何でしょう? ずっしりと重そうです。

    さて、バス便も相変わらずない様ですので、てくてくと2.8kmほど離れた旧細江町気賀まで歩くことにしました。

    途中の県道320号線は、特に楽しい道ではありませんでしたが、たわわに実ったかんきつ類の畑が多く目につきました。

    これは何でしょう? ずっしりと重そうです。

  • 途中で唐突に現れた、「いぼ観音とはたごの池」の説明板。古くからこの地に伝わる話についての説明が書かれていましたが、肝心の観音様の所在については、何の記載もありませんでした。<br /><br />いぼでお困りの方に朗報です。ここの観音様の岩の窪みにたまった水で顔を洗うと、きれいに治るそうですよ。

    途中で唐突に現れた、「いぼ観音とはたごの池」の説明板。古くからこの地に伝わる話についての説明が書かれていましたが、肝心の観音様の所在については、何の記載もありませんでした。

    いぼでお困りの方に朗報です。ここの観音様の岩の窪みにたまった水で顔を洗うと、きれいに治るそうですよ。

  • そうそう。ここは「ほそえ」・・・現在は浜松市に合併されましたが、元々は引佐郡細江町だったところです。<br /><br />姫様道中のまち とありますが、これは、昭和27年に当時の細江町が観光事業の一環として始めたパレードのこと。毎年桜の咲く頃、姫君様のご一行がゆる〜いと噂の高い気賀関所を出発し、姫街道や細江町中心部の通り、桜吹雪の舞う都田(みやこだ)川堤を練り歩くのだそうです。今年(2015年)も4月4日、5日に第63回姫様道中が開催されたそうですよ。

    そうそう。ここは「ほそえ」・・・現在は浜松市に合併されましたが、元々は引佐郡細江町だったところです。

    姫様道中のまち とありますが、これは、昭和27年に当時の細江町が観光事業の一環として始めたパレードのこと。毎年桜の咲く頃、姫君様のご一行がゆる〜いと噂の高い気賀関所を出発し、姫街道や細江町中心部の通り、桜吹雪の舞う都田(みやこだ)川堤を練り歩くのだそうです。今年(2015年)も4月4日、5日に第63回姫様道中が開催されたそうですよ。

  • 右、半僧坊・・・そのあと読めず・・・○平 <br />左 豊川、三ヶ日 <br /><br />でしょうか?<br /><br />どうやら、この辺で姫街道と合流したみたいです。

    右、半僧坊・・・そのあと読めず・・・○平 
    左 豊川、三ヶ日 

    でしょうか?

    どうやら、この辺で姫街道と合流したみたいです。

  • きゃっほ〜!<br />今日は旧引佐町に続いて、旧細江町のマンホールを見ることが出来ました。マンホールは寿命が長いため、市町村合併後もそのまま使われているケースが多いので、デザインの素敵なものに出会うと、単純に嬉しいです。<br /><br />旧細江町は、日本有数の銅鐸の出土地だそうで、銅鐸と桜のデザインです。銅鐸の真ん中のあるのは、旧町章の澪標(みおつくし)。澪標って海路標識のことなんですってね。ご存知でしたか? 今は大阪市の市章として有名みたいですが、全国にあったんですね。その昔、ここ細江でも都田川の河口に立っていたそうです。ちなみに、都田川は、気賀から1km程先で浜名湖へと注いでいます。

    きゃっほ〜!
    今日は旧引佐町に続いて、旧細江町のマンホールを見ることが出来ました。マンホールは寿命が長いため、市町村合併後もそのまま使われているケースが多いので、デザインの素敵なものに出会うと、単純に嬉しいです。

    旧細江町は、日本有数の銅鐸の出土地だそうで、銅鐸と桜のデザインです。銅鐸の真ん中のあるのは、旧町章の澪標(みおつくし)。澪標って海路標識のことなんですってね。ご存知でしたか? 今は大阪市の市章として有名みたいですが、全国にあったんですね。その昔、ここ細江でも都田川の河口に立っていたそうです。ちなみに、都田川は、気賀から1km程先で浜名湖へと注いでいます。

  • 気賀の町中に入ってきました。お店のシャッターに描かれた絵に注目。はて、藺草? 藺草ってあの畳に使うイグサのことかな??<br /><br />この絵は、お百姓さんたちが藺草を献上している場面でしょうかねえと単純に考えていたら、実はこんなお話が隠されていました。<br /><br />明応の大地震(1498年)により、海との間の口が開いて、浜名湖はそれまでの淡水湖から汽水湖へと変貌を遂げました。その後も多くの地震とともに、<br />津波が押し寄せましたが、中でも宝永4年(1707年)の地震の後の津波では(これは富士山の宝永噴火の年ですね。)、湖の一番奥のこの辺りでは、田畑がすべて海水に浸かり、稲が全滅。お百姓さんたちの窮状をみて、当時の気賀領主 近藤縫殿助用隨(こんどう ぬいのすけ もちゆき 読み方難しい!!)が塩に強い豊後の藺草を取り寄せ、領内の田に植えさせたのが藺草作りの始まりなのだそうです。<br /><br />地元では「琉球藺」と呼ばれ、それからというもの、藺草を使った畳表の製織が盛んになったということです。ということは、このお店は畳屋さんだったんだ!

    気賀の町中に入ってきました。お店のシャッターに描かれた絵に注目。はて、藺草? 藺草ってあの畳に使うイグサのことかな??

    この絵は、お百姓さんたちが藺草を献上している場面でしょうかねえと単純に考えていたら、実はこんなお話が隠されていました。

    明応の大地震(1498年)により、海との間の口が開いて、浜名湖はそれまでの淡水湖から汽水湖へと変貌を遂げました。その後も多くの地震とともに、
    津波が押し寄せましたが、中でも宝永4年(1707年)の地震の後の津波では(これは富士山の宝永噴火の年ですね。)、湖の一番奥のこの辺りでは、田畑がすべて海水に浸かり、稲が全滅。お百姓さんたちの窮状をみて、当時の気賀領主 近藤縫殿助用隨(こんどう ぬいのすけ もちゆき 読み方難しい!!)が塩に強い豊後の藺草を取り寄せ、領内の田に植えさせたのが藺草作りの始まりなのだそうです。

    地元では「琉球藺」と呼ばれ、それからというもの、藺草を使った畳表の製織が盛んになったということです。ということは、このお店は畳屋さんだったんだ!

  • 姫街道、気賀関所の大きな看板のあるところが、気賀四つ角。国道362号線(姫街道)はここから西に折れて、豊川の方に向かいます。

    姫街道、気賀関所の大きな看板のあるところが、気賀四つ角。国道362号線(姫街道)はここから西に折れて、豊川の方に向かいます。

  • 浜名湖に来た以上、ウナギを食べたいと思っていたのですが、水曜日は奥山方広寺でも経験しましたが定休日の店が多い。調べてきた気賀の名店の誉れ高い清水家さんも本日はお休み。残念でした。

    浜名湖に来た以上、ウナギを食べたいと思っていたのですが、水曜日は奥山方広寺でも経験しましたが定休日の店が多い。調べてきた気賀の名店の誉れ高い清水家さんも本日はお休み。残念でした。

  • ウナギのほかにも名物有。林立する「みそまんじゅう」の幟に誘われて、そのうちの1軒のお菓子屋さんに入ってみました。作り立てのみそまんじゅうは、ほんわかふっくらしていて美味しい! みその味はしないので、女将に尋ねたら、「みその色をしているからみそまんじゅう」なのだそうです。彼女相手に世間話をしながら、店先で頂きました。ご馳走様。

    ウナギのほかにも名物有。林立する「みそまんじゅう」の幟に誘われて、そのうちの1軒のお菓子屋さんに入ってみました。作り立てのみそまんじゅうは、ほんわかふっくらしていて美味しい! みその味はしないので、女将に尋ねたら、「みその色をしているからみそまんじゅう」なのだそうです。彼女相手に世間話をしながら、店先で頂きました。ご馳走様。

  • ゆる〜い関所には寄らずに、そのまま町の北側に戻ります。先ほどマンホールで見た銅鐸、そして姫街道についての資料館がある細江神社に向かいました。<br /><br />おお〜見事な銀杏発見! 細江神社の鳥居の間から見た景色です。

    ゆる〜い関所には寄らずに、そのまま町の北側に戻ります。先ほどマンホールで見た銅鐸、そして姫街道についての資料館がある細江神社に向かいました。

    おお〜見事な銀杏発見! 細江神社の鳥居の間から見た景色です。

  • こちらが細江神社。別名「地震の神様」。<br /><br />蘭草のところで書いたように、明応の大地震により、淡水湖から汽水湖となった浜名湖。そして、地震による地盤沈下で水没した海に近い角避比古神社の御神体が、津波とともに伊目(浜名湖を挟んで気賀の対岸に当たる)に流れ着いたのです。そしてそれから12年後、再び起こった地震による大津波で、御神体は、ここ細江に流れ着いたのだそうです。地震の神様と呼ばれる所以です。<br /><br />湾の一番奥に位置するこの辺り、さぞかし津波の威力はすざまじかっただろうと想像してしまいます。

    こちらが細江神社。別名「地震の神様」。

    蘭草のところで書いたように、明応の大地震により、淡水湖から汽水湖となった浜名湖。そして、地震による地盤沈下で水没した海に近い角避比古神社の御神体が、津波とともに伊目(浜名湖を挟んで気賀の対岸に当たる)に流れ着いたのです。そしてそれから12年後、再び起こった地震による大津波で、御神体は、ここ細江に流れ着いたのだそうです。地震の神様と呼ばれる所以です。

    湾の一番奥に位置するこの辺り、さぞかし津波の威力はすざまじかっただろうと想像してしまいます。

  • 左手の説明書きには、二度の津波を乗り越えた奇跡の御神体が祀られている「地震厄除けの神社」とあります。<br /><br />境内には、本殿のほかにも、たくさんの境内社がありました。その中には、気が付きませんでしたが、「藺草神社」もあったそうです。なんでも神様にしてしまう国民性ですが、この場合は、近藤用隨(もちゆき)公に捧げる感謝の気持ちというところでしょうか。

    左手の説明書きには、二度の津波を乗り越えた奇跡の御神体が祀られている「地震厄除けの神社」とあります。

    境内には、本殿のほかにも、たくさんの境内社がありました。その中には、気が付きませんでしたが、「藺草神社」もあったそうです。なんでも神様にしてしまう国民性ですが、この場合は、近藤用隨(もちゆき)公に捧げる感謝の気持ちというところでしょうか。

  • 細江神社脇にあった浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館。時間を気にして、マンホールの図案にもあった、さっさと銅鐸の写真だけ撮って、出てきてしまったようです。<br /><br />向かって右が、マンホールの図案の銅鐸ですね。鹿と鳥(鶴?)の絵が印象的です。確か、中学高校の日本史の教科書にも出ていましたね。細江町悪ヶ谷出土の銅鐸で、オリジナルは東京の国立博物館にあります。

    細江神社脇にあった浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館。時間を気にして、マンホールの図案にもあった、さっさと銅鐸の写真だけ撮って、出てきてしまったようです。

    向かって右が、マンホールの図案の銅鐸ですね。鹿と鳥(鶴?)の絵が印象的です。確か、中学高校の日本史の教科書にも出ていましたね。細江町悪ヶ谷出土の銅鐸で、オリジナルは東京の国立博物館にあります。

  • 沢山の赤い鳥居が目立っていた、境内の社のひとつ天王稲荷神社の参道。<br /><br />あっ 私の影も写ってる!

    沢山の赤い鳥居が目立っていた、境内の社のひとつ天王稲荷神社の参道。

    あっ 私の影も写ってる!

  • 姫街道をなおも進みます。<br /><br />何も説明はありませんでしたが、ここが本陣前公園かな? 噴水のある池に立つ姫様の銅像がポツンと立っていました。

    姫街道をなおも進みます。

    何も説明はありませんでしたが、ここが本陣前公園かな? 噴水のある池に立つ姫様の銅像がポツンと立っていました。

  • この噴水、前触れなく、突如として噴出を始めるので、ちょっとびっくり!<br /><br />姫様は、逆光なのでこれが精いっぱい。表情は窺いしれません。

    この噴水、前触れなく、突如として噴出を始めるので、ちょっとびっくり!

    姫様は、逆光なのでこれが精いっぱい。表情は窺いしれません。

  • 本陣前公園の向かい(肝心の本陣はどこにもないんですけれど・・・)には、「観世音33か所 弘法大師第19番霊場」と書かれた正明寺がありました。気賀の本陣中村家の菩提寺です。なんでも浜名湖岸新四国八十八か所霊場とのことですが、聞いたことありませんでした。<br /><br />その27番は有名なお寺です。舘山寺!です。

    本陣前公園の向かい(肝心の本陣はどこにもないんですけれど・・・)には、「観世音33か所 弘法大師第19番霊場」と書かれた正明寺がありました。気賀の本陣中村家の菩提寺です。なんでも浜名湖岸新四国八十八か所霊場とのことですが、聞いたことありませんでした。

    その27番は有名なお寺です。舘山寺!です。

  • 少々古いガイドブックには、「古い宿場町の面影が残る」と書かれていた辺りに差し掛かりましたが・・・

    少々古いガイドブックには、「古い宿場町の面影が残る」と書かれていた辺りに差し掛かりましたが・・・

  • ・・・

    ・・・

  • 活民院殿参道と書かれた石標がありました。この道を上っていくと、蘭草をこの地にもたらした気賀の領主 近藤縫殿助用隨の墓があります。墓所は気賀の街を見下ろせる高台にあって、今もこの地を守っているそうです。

    活民院殿参道と書かれた石標がありました。この道を上っていくと、蘭草をこの地にもたらした気賀の領主 近藤縫殿助用隨の墓があります。墓所は気賀の街を見下ろせる高台にあって、今もこの地を守っているそうです。

  • 気賀の鎮守様 諏訪神社を通り過ぎると、

    気賀の鎮守様 諏訪神社を通り過ぎると、

  • 突然、道端に座り込んでいるこのお方を発見! 名を見ると、なんと二宮尊徳翁像ではありませんか。二宮尊徳と言えば、薪をしょった格好で本を読んでいる姿しか想像できないのですが、なぜまたここに? そして呉石学校跡地とは一体何でしょう? <br /><br />調べてもよくわかりませんでした。どなたかご存知でしたらお教えください。

    突然、道端に座り込んでいるこのお方を発見! 名を見ると、なんと二宮尊徳翁像ではありませんか。二宮尊徳と言えば、薪をしょった格好で本を読んでいる姿しか想像できないのですが、なぜまたここに? そして呉石学校跡地とは一体何でしょう? 

    調べてもよくわかりませんでした。どなたかご存知でしたらお教えください。

  • 暮石地区を抜け、左手に大きな工場のある道を北に向かって進みます。気賀から歩き始めて30分ほど。ようやく進行方向右手に浜名湖岸新四国八十八か所霊場の赤い幟が見えてきました。<br /><br />本日3番目の訪問先長楽寺です。浜名湖岸新四国八十八か所霊場の中では、先ほど通った19番の正明寺のひとつ前の札所 第18番でした。

    暮石地区を抜け、左手に大きな工場のある道を北に向かって進みます。気賀から歩き始めて30分ほど。ようやく進行方向右手に浜名湖岸新四国八十八か所霊場の赤い幟が見えてきました。

    本日3番目の訪問先長楽寺です。浜名湖岸新四国八十八か所霊場の中では、先ほど通った19番の正明寺のひとつ前の札所 第18番でした。

  • 急な石段を40段上り終えると、ようやく山門に到着です。<br /><br />平安時代は大同年間(806年〜809年)に弘法大師によって開かれたという由緒あるお寺です。こちらの境内にある庭園も小堀遠州作と伝えられているので、本日二つ目の小堀遠州です。

    急な石段を40段上り終えると、ようやく山門に到着です。

    平安時代は大同年間(806年〜809年)に弘法大師によって開かれたという由緒あるお寺です。こちらの境内にある庭園も小堀遠州作と伝えられているので、本日二つ目の小堀遠州です。

  • 「長楽寺」と書かれた扁額は読めますが、左右の柱の表札は消えかかっていますね。ここの入場が午後4時までと聞いていたので、焦ってやってきた次第です。<br /><br />門をくぐって、寺の中に入りました。ここで出会ったのは、還暦を過ぎてからこの寺を訪れた際、あまりの荒廃ぶりに胸を痛め、次の日には、お寺を管理している浜松の鴨居寺の住職を尋ねて、自ら管理人(庭番)を志願したというご夫婦。<br /><br />「宗教のことも植木のことも全くわからない状態から始めて、住み込んでやっと2年半がたちました」と淡々と今までのいきさつをお話下さいました。お寺の管理、檀家の行事、観光客への案内はもとより、ヴォランティアの人たちと一緒にお庭の剪定、手入れ、清掃まですべてこなしていらっしゃるとのこと。真に頭の下がる思いです。

    「長楽寺」と書かれた扁額は読めますが、左右の柱の表札は消えかかっていますね。ここの入場が午後4時までと聞いていたので、焦ってやってきた次第です。

    門をくぐって、寺の中に入りました。ここで出会ったのは、還暦を過ぎてからこの寺を訪れた際、あまりの荒廃ぶりに胸を痛め、次の日には、お寺を管理している浜松の鴨居寺の住職を尋ねて、自ら管理人(庭番)を志願したというご夫婦。

    「宗教のことも植木のことも全くわからない状態から始めて、住み込んでやっと2年半がたちました」と淡々と今までのいきさつをお話下さいました。お寺の管理、檀家の行事、観光客への案内はもとより、ヴォランティアの人たちと一緒にお庭の剪定、手入れ、清掃まですべてこなしていらっしゃるとのこと。真に頭の下がる思いです。

  • そして、案内されたのが、こちらのお部屋。寺にはすでに本堂はなく、こちらは庭を愛でるための客殿なのでしょうか。目の前に、見事な満天星つつじのお庭が現れました。<br /><br />・・・<br /><br />あまりの美しさに声が出ません。

    そして、案内されたのが、こちらのお部屋。寺にはすでに本堂はなく、こちらは庭を愛でるための客殿なのでしょうか。目の前に、見事な満天星つつじのお庭が現れました。

    ・・・

    あまりの美しさに声が出ません。

  • 山の中腹に白い巨石が見えますね。ズームしてみたけれど、これではまだ分かり難いですが・・・これを目にされた弘法大師が、ここを霊場とみたて、お寺を開かれたという言い伝えが残っています。<br /><br />今は残っていない長楽寺の本堂は、あの白い巨石の辺りに建っていたのだそう。

    山の中腹に白い巨石が見えますね。ズームしてみたけれど、これではまだ分かり難いですが・・・これを目にされた弘法大師が、ここを霊場とみたて、お寺を開かれたという言い伝えが残っています。

    今は残っていない長楽寺の本堂は、あの白い巨石の辺りに建っていたのだそう。

  • 後ろの山にちょうど夕日が差す時間で、山全体が光り輝いています。<br /><br />手前の暗い池から始まって、緑の松と赤い満天星、モミジ、そして木々の間から光あふれる黄金の山へと続く傾斜のある風景が、目の前一杯に広がっていきます。

    後ろの山にちょうど夕日が差す時間で、山全体が光り輝いています。

    手前の暗い池から始まって、緑の松と赤い満天星、モミジ、そして木々の間から光あふれる黄金の山へと続く傾斜のある風景が、目の前一杯に広がっていきます。

  • 透明水彩ヴァージョン。<br /><br />ここからだと、わかりませんが、今年は、残暑が厳しく、長く続いたせいで、満天星つつじの一部には紅葉せずに落葉してしまったものもあるそうです。<br /><br />

    透明水彩ヴァージョン。

    ここからだと、わかりませんが、今年は、残暑が厳しく、長く続いたせいで、満天星つつじの一部には紅葉せずに落葉してしまったものもあるそうです。

  • 数年前には荒れ果てていたというのも、にわかには信じられませんでした。毎日毎日、直接木々と向き合って真摯に手入れすることで、ここまで見事なお庭が再生できるんですね。

    数年前には荒れ果てていたというのも、にわかには信じられませんでした。毎日毎日、直接木々と向き合って真摯に手入れすることで、ここまで見事なお庭が再生できるんですね。

  • 窓ガラスへの反射光まで美しく撮れた(自己満足?) ので、もう1枚!

    窓ガラスへの反射光まで美しく撮れた(自己満足?) ので、もう1枚!

  • 「ご本尊の馬頭観音の頭の馬が取れてしまったんですよ」と言って、管理人の奥様が見せてくださったのがこちら。白い馬の飾りです。おお〜 貴重なものを!<br /><br />ご本尊の馬頭観音は、鎌倉時代に作られたもので、「頭上に白馬をいただき、頭髪は逆立ち、三眼で三面八臂、忿怒の形相をしている」と書かれています。<br />その頭上の白馬です。<br /><br />私が訪れた後、2014年から2015年にかけて、京都で修復作業を行い、その後無事に寺に戻って、今年(2015年)5月31日に落慶法要が営まれたということを、管理人さんのブログで知りました。良かったぁ!

    「ご本尊の馬頭観音の頭の馬が取れてしまったんですよ」と言って、管理人の奥様が見せてくださったのがこちら。白い馬の飾りです。おお〜 貴重なものを!

    ご本尊の馬頭観音は、鎌倉時代に作られたもので、「頭上に白馬をいただき、頭髪は逆立ち、三眼で三面八臂、忿怒の形相をしている」と書かれています。
    その頭上の白馬です。

    私が訪れた後、2014年から2015年にかけて、京都で修復作業を行い、その後無事に寺に戻って、今年(2015年)5月31日に落慶法要が営まれたということを、管理人さんのブログで知りました。良かったぁ!

  • 少し右手に目をやると、確かに葉っぱが落ちてしまった満天星もちらほら見受けられます。手入れの難しさを実感しました。

    少し右手に目をやると、確かに葉っぱが落ちてしまった満天星もちらほら見受けられます。手入れの難しさを実感しました。

  • こちらは、山門に続く、寺の前のお庭です。雰囲気がガラッと違いますね。

    こちらは、山門に続く、寺の前のお庭です。雰囲気がガラッと違いますね。

  • 「もう一か所お見せしたい」と管理人さんに言われて、ついていった先がこちらの部屋。集会室として使われているのかな?<br /><br />お言葉に甘えて、畳に座って、ゆっくりと鑑賞させていただきました。

    「もう一か所お見せしたい」と管理人さんに言われて、ついていった先がこちらの部屋。集会室として使われているのかな?

    お言葉に甘えて、畳に座って、ゆっくりと鑑賞させていただきました。

  • ここで集会を開いても、私だったら、外の景色に気を取られて、集中できないと思われます。<br /><br />

    ここで集会を開いても、私だったら、外の景色に気を取られて、集中できないと思われます。

  • 外に出て、鐘楼に向かいました。長楽寺には、静岡県指定文化財(静岡県に残っているものの中では、2番目に古い鐘で、嘉元三年(1305年)作)になっている梵鐘がありますが、こちらの鐘楼は、それとは異なります。

    外に出て、鐘楼に向かいました。長楽寺には、静岡県指定文化財(静岡県に残っているものの中では、2番目に古い鐘で、嘉元三年(1305年)作)になっている梵鐘がありますが、こちらの鐘楼は、それとは異なります。

  • 鐘楼の梁の先には、なんと象さんがいました! 象を見たこともない人が彫ったそうですが、バッチリ象に見えます。この鐘楼は、古くなって壊された本堂の柱や梁をそのまま利用して作られたのだそうです。<br /><br />

    鐘楼の梁の先には、なんと象さんがいました! 象を見たこともない人が彫ったそうですが、バッチリ象に見えます。この鐘楼は、古くなって壊された本堂の柱や梁をそのまま利用して作られたのだそうです。

  • 欄間の部分もそのまま利用しています。

    欄間の部分もそのまま利用しています。

  • 護摩堂に安置されているご本尊の馬頭観音。ブレブレで済みません。ご本尊の脇の立像(不動明王と毘沙門天)は現在修復中だそうで、それが終わり次第、ご本尊の修復がはじまることになっています。(註:2015年6月現在、どちらも修復済みです)

    護摩堂に安置されているご本尊の馬頭観音。ブレブレで済みません。ご本尊の脇の立像(不動明王と毘沙門天)は現在修復中だそうで、それが終わり次第、ご本尊の修復がはじまることになっています。(註:2015年6月現在、どちらも修復済みです)

  • 案内は以上で、ここからは、一人で歩きます。私が「姫街道を歩いて来て、まだ浜名湖を見ていない」と言ったら、奥様が、「庭の一番高いところから浜名湖が見えますよ」とおっしゃってくださったので、そこを目指すことにします。

    案内は以上で、ここからは、一人で歩きます。私が「姫街道を歩いて来て、まだ浜名湖を見ていない」と言ったら、奥様が、「庭の一番高いところから浜名湖が見えますよ」とおっしゃってくださったので、そこを目指すことにします。

  • 申し訳ないけれど、ここでは、石仏より満天星が主役。立派な灯篭ですら、お庭のアクセントに過ぎないように思われてきます。

    申し訳ないけれど、ここでは、石仏より満天星が主役。立派な灯篭ですら、お庭のアクセントに過ぎないように思われてきます。

  • アングルが悪いけれど、ご勘弁!

    アングルが悪いけれど、ご勘弁!

  • 緩やかな傾斜がとても良いですね。こうして、この貴重なお庭を実際に歩けるということもまた格別です。

    緩やかな傾斜がとても良いですね。こうして、この貴重なお庭を実際に歩けるということもまた格別です。

  • お庭から客殿を望みます。最後に訪れたお部屋は、本殿の先に見えるあの赤い屋根の部分でしょうか?<br /><br />この辺りの満天星は、赤が際立っていますね。

    お庭から客殿を望みます。最後に訪れたお部屋は、本殿の先に見えるあの赤い屋根の部分でしょうか?

    この辺りの満天星は、赤が際立っていますね。

  • 奥様が、「とても良いお顔をしている」と褒めていらした石仏がありました。こちらの仏像は、江戸時代のもので、気賀の領主近藤氏の菩提寺宝林寺に収められている石仏と同じ作者が彫ったものだそうです。

    奥様が、「とても良いお顔をしている」と褒めていらした石仏がありました。こちらの仏像は、江戸時代のもので、気賀の領主近藤氏の菩提寺宝林寺に収められている石仏と同じ作者が彫ったものだそうです。

  • 小さいけれど、白く輝く石発見! 弘法大師が霊場と見立てたあの巨石と同じ種類の石でしょうか?

    小さいけれど、白く輝く石発見! 弘法大師が霊場と見立てたあの巨石と同じ種類の石でしょうか?

  • トイカメラモードにすると、白い石の輝きが増します。

    トイカメラモードにすると、白い石の輝きが増します。

  • 紅葉の盛りは過ぎたようですが、こうして巡り会えたことに感謝!<br /><br />200株の満天星は、春は白い花、秋は紅葉、冬は枯枝と、季節ごとにその眺めは趣を変えた美しさを見せてくれるそうです。別の季節にもぜひ再訪したいと思いました。

    紅葉の盛りは過ぎたようですが、こうして巡り会えたことに感謝!

    200株の満天星は、春は白い花、秋は紅葉、冬は枯枝と、季節ごとにその眺めは趣を変えた美しさを見せてくれるそうです。別の季節にもぜひ再訪したいと思いました。

  • そして、管理人さんのお話の通り、お庭の最高地点で、遠くに夕映えの浜名湖が見えました。今日は姫街道を歩いて、小引佐で浜名湖を見ようと目論んでいましたが、今からではとても間に合わない。師走の日の入りは早いのです。<br /><br />でも、ここでこうして見ることが出来て、大満足です。

    そして、管理人さんのお話の通り、お庭の最高地点で、遠くに夕映えの浜名湖が見えました。今日は姫街道を歩いて、小引佐で浜名湖を見ようと目論んでいましたが、今からではとても間に合わない。師走の日の入りは早いのです。

    でも、ここでこうして見ることが出来て、大満足です。

  • オレンジ色のモミジが美しい坂道を下りていくと、別のお庭が現れました。

    オレンジ色のモミジが美しい坂道を下りていくと、別のお庭が現れました。

  • こちらは、石庭のように、多くの石で構成されています。

    こちらは、石庭のように、多くの石で構成されています。

  • そろそろ満天星のお庭ともお別れのようです。客殿から眺めたお庭全景と、こうして歩いて回ったお庭では、まったく印象が異なりました。最初に全体像を見ることの大切さが伝わってきたような気がしましたよ。

    そろそろ満天星のお庭ともお別れのようです。客殿から眺めたお庭全景と、こうして歩いて回ったお庭では、まったく印象が異なりました。最初に全体像を見ることの大切さが伝わってきたような気がしましたよ。

  • オレンジ色のモミジも忘れられない美しさでした。

    オレンジ色のモミジも忘れられない美しさでした。

  • オレンジが主流ですが、1本の木に、緑から深紅まで、色とりどりの葉のあることに、今更ですが驚いてしまいます。

    オレンジが主流ですが、1本の木に、緑から深紅まで、色とりどりの葉のあることに、今更ですが驚いてしまいます。

  • これが、長楽寺最後の写真。<br /><br />朝一番の奥山方広寺から始まって、龍潭寺、長楽寺と感動の三連発。とても充実した1日となりました。

    これが、長楽寺最後の写真。

    朝一番の奥山方広寺から始まって、龍潭寺、長楽寺と感動の三連発。とても充実した1日となりました。

  • 欲張りな私が立てた当初の計画は、ここから姫街道を歩いて、道祖神に詣で、小引佐で浜名湖を眺め、西気賀へと至るコース。道半ばでとん挫ですが、浜名湖もちらっと見たことですし、一番近いバス停から浜松駅方面に戻ることにしましょう。<br /><br />長楽寺入り口の誰もいないバス停で暫し佇んでいると、三ヶ日発のバスがやってきて、私を拾ってくれました。バスに乗って1時間で浜松駅到着です。

    欲張りな私が立てた当初の計画は、ここから姫街道を歩いて、道祖神に詣で、小引佐で浜名湖を眺め、西気賀へと至るコース。道半ばでとん挫ですが、浜名湖もちらっと見たことですし、一番近いバス停から浜松駅方面に戻ることにしましょう。

    長楽寺入り口の誰もいないバス停で暫し佇んでいると、三ヶ日発のバスがやってきて、私を拾ってくれました。バスに乗って1時間で浜松駅到着です。

  • 浜松駅近くの喫茶店で一休み。店主に名物浜松餃子のお勧めの店を尋ねると、駅新幹線口(メインとは反対側の出口)から歩いて3分のところにある、「むつぎく」という答えが返ってきました。<br /><br />で早速訪問。

    浜松駅近くの喫茶店で一休み。店主に名物浜松餃子のお勧めの店を尋ねると、駅新幹線口(メインとは反対側の出口)から歩いて3分のところにある、「むつぎく」という答えが返ってきました。

    で早速訪問。

  • 餃子もよいけれど、ラーメンも食べたい! とあれこれ迷って・・・

    餃子もよいけれど、ラーメンも食べたい! とあれこれ迷って・・・

  • 結局、餃子8個、半ラーメンのセットメニューに落ち着きました。もやしがついているのは、浜松餃子の特徴なのだそうです。<br /><br />餃子の並べ方にやや難ありだけれど、野菜の甘みが優しい、さっぱり系の味で、もっと食べられそうでしたよ。16個はきついけれど、12個は行けちゃうかも!<br /><br />2日目はこれにて終了。<br />明日は、磐田、掛川を回ります。続きは、遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (5)磐田 で

    結局、餃子8個、半ラーメンのセットメニューに落ち着きました。もやしがついているのは、浜松餃子の特徴なのだそうです。

    餃子の並べ方にやや難ありだけれど、野菜の甘みが優しい、さっぱり系の味で、もっと食べられそうでしたよ。16個はきついけれど、12個は行けちゃうかも!

    2日目はこれにて終了。
    明日は、磐田、掛川を回ります。続きは、遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (5)磐田 で

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