2015/05/31 - 2015/05/31
32位(同エリア139件中)
ミズ旅撮る人さん
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2015年5〜6月にかけて、東欧ルーマニアとブルガリアを訪れました。
2は、ルーマニアのシナイアにある国王の夏の離宮だったペレシュ城を単独で掲載します。
なにしろ、離宮だけあって、見所満載です。
内部を見学するには、当日現地に行って内覧ツアーの申込をしなければなりません。
個人的に見て回ることは出来ないのです。予約も出来ないため運が悪いと、1時間以上待つことになります。
たまたま私たちは15分程度の待ち時間で入城することが出来ました。
西欧の豪華絢爛とは一味違う東欧の離宮をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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-
1で、正面の建物の中をくぐってカフェテラスとお花畑にまで到達しました。
とにかく一面のお花畑です。どれも雑草の類ですが、白と黄色の小さな花がどこまでも続いている様はおとぎ話の入り口のようです。
ペレシュ城は、ここから画面右側を手前方向に、少し上り坂を歩いて行きます。 -
しつこくお花畑です。奥の木はマロニエです。
日本では栃の木で知られています。
白い花の束がツンと上を向いて咲きます。
遠目にはアカシアかと思われますが、
アカシアは白花が房になって垂れ下がります。
あちこちの花が香りを放つので、歩いていると匂いに包まれます。
お花畑を右手に見ながら、城への道は坂を上って行きます。 -
城の手前にこんな物がありました。24時間稼働のATMです。
こんな場所で24時間稼働の必要があるのか?
それより何より、野原の真ん中になぜ設置するのか?
先ほどのカフェテラスの方がいいと思うのですが・・・
ペレシュ城の入場料はATMに駆け込むほどには高くありません。内覧ツアーは20R(600円)です。
しかしカメラ代は、なんと32R(960円)、
ビデオは53R(1,590円)です。
なかなかすごい値段です。ルーマニア国内最高値ではないでしょうか。
でも、カメラ代は払う価値があります。がまんしましょう。 -
さあ、ペレシュ城が見えて来ました。
大きな木が邪魔で、真正面に行くまで全景は見えません。
中央の巨木の足元の薄紫色の花は、ライラック(リラ)です。 -
城の足元の木陰で、おじさんがギターを弾いています。
なかなかの腕前なのですが、弾いている曲が「アルハンブラの思い出」。
ペレシュ城の曲はないのか、知名度がないのか、同じ「城」の曲ということで、スペインのアルハンブラなのでしょうか。
でも、スペインにおけるイスラムの最後の城として憂愁漂うアルハンブラに比べて、ペレシュは王制は無くなったものの(自称国王は健在ですが)、暗いイメージはありません。
もともとルーマニア王国は、歴史が67年しかない短いものだったからでしょうか。 -
ペレシュ城全景です。
1875年にルーマニア王国初代国王カロル1世が、夏の離宮として建設を始め、1883年に完成しました。
ドイツで有名なノイシュバンシュタイン城が、1869年建設開始、1886年に工事中止となったので、同年代の城ということになります。
ノイシュバンシュタインは未完成の城のため、内部はあまり見所がなく、単に外見が美しく大規模な城となってしまったのに比べ、
ペレシュは、外観も美しく内部は更に美しい興味深い城となっています。 -
ペレシュ城の入り口は、中央の時計塔の下にある通路の中にあります。
内覧ツアーの申込をして、指定時間まで待つことになります。
すぐに入れることはオンシーズンでは、まずないので、暑い時期には辛いでしょう。
幸い、5月末のこの日は、日差しはかなり強いものの、湿度が低いので日影では過ごしやすく、待ち時間も短かったので、苦にはなりませんでした。
写真の場所は、城の中庭で、カメラ代の支払いは奥の窓口で行います。
紙のチケットをもらい、それを求められた時にはいつでも提示できるようにしておくことになります。 -
中庭から見上げた二階部分です。時計塔の通路を通り、中庭に入って右(東)側の壁には、見事な壁画が描かれています。
明るくて華麗で繊細な絵柄です。
この城が夏の離宮という性格を持つ、政治や戦争とは縁のない別荘だからでしょう。
ひたすらどこも美しいです。 -
こちらの壁画には、壁画の中に絵画があり、狩猟の様子を描いています。
ペレシュ城は一応ドイツ・ルネッサンス様式と言われていますが、内部にはドイツだけでなく、フランス・イタリア・トルコの様式も取り入れられており、この絵画の華やかさはロココ調の香りがします。 -
中庭の中央にある噴水です。
今は水は出ていませんが、ヨーロッパの彫刻にはよく見られる顔がここにも付いていました。
ネプチューンなのかなと思いましたが、よく見るとヤギの角が生えているんです。
牧羊神パーンにしてはおじさん過ぎます。
ろくな知識はないけれど、いろいろ想像するのは楽しいです。 -
壁画の下の窓に付いている窓枠?です。
こうした見事な窓枠はドイツの旧市街などでよく見掛けます。
硬い鉄がレースのような飾りになっているのは、素晴らしいです。
ちなみに、中庭への通路を入って対岸の左奥にはトイレがありました。
カメラチケット窓口の左手です。 -
扉を挟んで左右に2枚の王の顔のプレートがあります。
左が、初代国王カロル1世とその甥、2代目国王フェルディナンド1世です。
ルーマニア王家を継ぐのは男子だけという規定があり、カロル1世には息子がいなかったため、ホーエンツォレルン家の兄の次男にあたるフェルディナンドが後継者となりました。
ルーマニア王家は、ルーマニア国民とは婚姻を認められておらず、そのために何度も恋愛問題が起きて、フェルディナンドの息子カロル2世は、王位継承権を放棄しています。 -
こちらが、3代目ミハイ1世と4代目カロル2世です。
ややこしい話ですが、カロル2世は女性問題から王位継承を放棄し、フェルディナンド1世の死後、息子のミハイが6歳で即位しました。しかし、わずか3年後にカロルは帰国し、息子から王位を取り上げて自分が即位しました。
その後、10年ほどで王位を追われ、再びミハイ1世が5代目国王となりました。
ミハイ1世は、第2次世界大戦の終結と共に連合国側から退位を迫られ、スペインなどで亡命生活を送りました。
ルーマニア社会主義共和国が崩壊し、1997年以降、母国に在住しています。
ルーマニア王国は1881年からの67年のうちに5代、4人の国王を戴いて、
1947年に終結しました。(ルーマニア公国成立は1866年) -
ペレシュ城の前にある噴水です。日曜日なので、観光客がいっぱいです。
おそらく、内覧ツアーの時間待ちの人もかなりいるのでしょう。
団体は、個人より優先してもらえるので、彼らがどのくらい待つのかはわかりません。
でも、その間、外観や前庭にも、ゆっくり見て周る価値があります。 -
年間を通して国王が鎮座する王宮と違い、離宮と言うのは別荘、趣味の館という性質があるので、どこまでも華麗で美しいです。
創建者カロル1世がドイツの出身なので、ドイツ・ルネサンス様式を主体としています。
そうはいうものの、質実剛健なドイツの城と、やはり違うと思うのです。 -
城の右前面にある前庭です。
こちらは内覧が終わった後に、少しだけ見に行くことが出来たので、後ほど掲載します。 -
内覧の予約時間が来ると、時計塔下の通路から入ります。
まず、リュックなどの大きな荷物は預けます。
入場者は靴の上から、青いビニールをかぶせます。
準備が出来たら、この階段の下で待ちます。
ツアーは前のツアーがいると、先には進めません。
階段下で前のツアーが移動するまで待ちます。
この小部屋がまず絢爛豪華で、待ち時間がもっと長ければと思うほど、様々な調度品に溢れています。 -
こんな写真ですみません。狭い部屋に大勢が詰め込まれるので、モブシーンにならないように撮るのが難しいのです。
華麗な部屋の雰囲気だけでも、わかりますか? -
階段下の小部屋の暖炉です。さすがに19世末に建てられたので、暖炉も華麗な装飾品になっています。
後に訪れるドラキュラのモデルの城、ブラン城は、14世紀末の建設のため、暖炉は巨大な陶器のかまどでした。 -
天使の彫刻は魅惑的です。本来はもっと白いのですが、照明を電球色に調節しても、なんとなく赤っぽく写ってしまいます。
後ろの階段を降りて来る人々が写っています。
城内を一周して来ると再びここに戻って来るのです。 -
前が空いたので、そろそろ階段を上る頃です。
こうやって写真を撮っていると、恰幅のいい女性監視員に声を掛けられます。
どうも英語でもないようなのですが、言いたいことはわかります。
すかさず、バッグからカメラチケットを取り出して見せます。
女性はチラッと見て、そのまま黙ってそばを離れて行きました。 -
階段を上ると急に広い部屋に出ます。
平面的に広いだけでなく、4階までの吹き抜けなので、ものすごく広く感じます。
小部屋からの移動で感じる、実際以上の感覚のギャップを上手く利用してあると思います。
写真は今上って来た階段を振り返って見ています。 -
胸像は、初代国王カロル(ドイツ名カール)1世と、妻のエリザベートです。
カロル1世は、ワラキラ公国とモルダヴィア公国の合併で生まれたルーマニア公国の初代国王となるべく招聘され、1866年即位しました。
1877年にオスマントルコからの独立を宣言し、ルーマニア王国が成立しました。
エリザベートはドイツの王家の娘で、カロルが即位する前から会っており、即位後の1869年に結婚しました。
一人娘を3歳で亡くし、以後、女性の高等教育や慈善事業に勢力を費やしました。
また芸術方面でも名を残しています。 -
この部屋は「名誉のホール」と呼ばれ、ドイツ人やオーストリア人が携わった、諸様式合体の傑作です。
-
まったくもって、すばらしいホールです。
たった8年で、ここまで出来るものなのでしょうか?
黒い部分は、まるで黒檀のように見えます。 -
3階から4階へと見事な螺旋階段が伸びています。
馬鹿みたいに「すごい」の一言ばかり言ってしまいます。
それにしても、3階部分の青緑色の壁は涼やかで明るくて夏の離宮にぴったりです。
ここを設計したチェコの建築家カレル・リーマンはすごいです。
彼の他の作品が見てみたい。 -
2階の武器を展示する部屋には、勲章の数々が収められたケースがあります。
ルーマニアは、第1次世界大戦の折、同盟国側であったにも関わらず、最後に連合国に組して戦勝国となり、「大ルーマニア」と呼ばれる史上最大の国土を有することになりました。
ただ、それも第二次世界大戦での敗戦で失い、現在に至ります。 -
この部屋は、中世の武器を陳列しているので、この城の時代とは異なります。
お城に鎧・兜は付き物ですね。 -
馬用の鎧もあります。
鎧は重くて、落馬したら殆ど一人では起き上がれなかったといいます。
なにしろ、この下に鎖帷子(くさりかたびら)まで着ていたのですから。 -
この部屋の内装は、意外とシンプルです。
博物館になる以前は、何に使われていたのでしょうか。 -
部屋と部屋の間の小さな空間に、このようなステンドグラスが嵌められていました。
-
ツアーはどんどん進みます。のんびりカメラを構えていると置いて行かれます。
部屋ごとに扉があり、その団体が通り過ぎると閉めてしまって、次の団体を入れるので、扉が閉められそうになるとあわててすり抜けます。
切羽詰ってシャッターを切るので、こんな斜め位置で撮る羽目になりました。 -
貴婦人が子供をおんぶしている絵を、初めて見ました。
もしかして3歳で亡くなった娘マリアとエリザベートでしょうか。
もうツアーの説明と自分のいる位置がずれていて、まったく説明が耳に入って来ません。
ああ、忙しい。 -
暖炉上部の紋章は、ルーマニア王家のものです。
その下には、戦勝パレードでしょうか。
今はのどかな印象のルーマニアですが、バルカン半島は、20世紀初頭「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたきな臭い場所でしたし、南のブルガリアや西のハンガリー、大国ロシアと度々領土争いをして来ました。 -
図書室です。
蔵書がたくさんあると言うことは一種のステイタスですから、図書室は立派です。
ここに埋もれて過ごしたい・・・ -
図書室に秘密の階段見〜っけ。わくわくしますね。
きっと絶好の隠れ場所がありますよ。 -
窓辺で読書をしている人を見つけました。
図書室にピッタリの彫像ですね。
こんな読書スタンド、本当にあったのでしょうか。欲しい・・・ -
執務室でしょうか。
イヤホンガイドというのもあるようです。
とても聞いている余裕はないのですが。 -
絵画の多いステキな部屋です。エリザベートの部屋でしょうか?
エリザベートは、詩人で小説家、楽器もたしなむ芸術家でした。 -
上部の絵を捕らえてみました。
ボヘミア調のような、ふんわりと優しい感じの絵です。
今までお城や宮殿でこのような絵が掛けられているのを見たことがありません。
この部屋の主の趣味なのでしょう。気が合いそう。 -
ピアノの先には、ステンドグラスのステキな窓が。
一枚だけ開いていて、外の緑が見えるのもいい感じです。
この部屋は本当に住む人を表して、じんと来ます。
部屋の様子を見ているだけで、エリザベートに会っているような気がします。
彼女の結婚は不幸なもので、娘を亡くしたことで、更に悲惨なものになりました。
彼女が生きがいを求めたのが、芸術であり、慈善事業だったのですね。 -
ステンドグラスの大写しです。
ただの綺麗なステンドグラスかと思いましたが、右側2枚は物語になっていました。
左上で結婚式を挙げ、右上で二人の子供が授かります。
しかし、二人は亡くなってしまい両親は悲嘆に暮れます(左下)。右下では、亡くなった子供が昇天した様子が描かれています。
娘を失ったエリザベートのせめてもの救いなのでしょうか。
エリザベートの苦しみがどれほどのものであったか、胸に沁みます。 -
螺鈿細工のように見えます。
これまでのものとは趣の異なる部屋に入りました。 -
天井が金襴緞子のように、びっしりと金ぴかです。
天井付近には、小さな天使と動物の絵が、一枚一枚はめ込まれています。 -
豪華な部屋の豪華な鏡には、それはそれは豪華で美しいシャンデリアが写っていました。
-
そのシャンデリア本体です。この部屋は、フィレンツェ風の部屋だそうで、ムラーノグラスの鏡と対になっています。
日本ではヴェネチアングラスとして有名なガラス製品ですが、本来はムラーノ島で手作りされていたので、イタリアではムラーノグラスと呼びます。 -
金ぴかの枠に縁取られた扉は、寄木細工のような細工がしてあります。
「ARS」と「SCIENTIA」と足元に書いてあります。
「ARS」はラテン語で芸術(元々は技術)を表します。
「SCIENTIA(スキエンティア)」はラテン語で「知識」です。
英語の「SCIENCE(サイエンス)」の語源で、日本語では「科学」と訳されますが、
本来の意味は確かな知識を指します。
二人の女性はそれぞれの象徴なんですね。 -
彫刻が壁から浮き出しています。面白い彫像です。
美術館に展示されているより、こうして実際に使われている方が遥かに現実的で魅力的です。 -
この女性の何と軽妙なことか。
足元の天使もそうですが、サンダルを履いた足が軽やかです。 -
この女性像に梟が止まっていれば、アテナだと思うのですが。
アテナは、ギリシャ神話の神で、知恵・芸術をつかさどる神、都市を守護する神として崇められています。 -
この部屋は、スペインのアルハンブラ宮殿を模した部屋だそうです。
突き当たりのミフラーブは大理石で出来ており、実際に水を流すことが出来るそうです。
ミフラーブとは、モスクに必ずあるカアバの方向を示すキブラ壁に設置された窪みで、カアバは聖地メッカにあるイスラム教最高位のカアバ神殿のことです。
この宮殿のミフラーブがちゃんとカアバに向いているのかは不明です。 -
シャンデリアまでがイスラム風です。
ルーマニアは、オスマントルコに長い間統治されていました。
こういう部屋を造ることに抵抗はなかったのでしょうか。
スペインと思えばOKなのかな? -
こうしたタペストリーもあります。
-
赤が主体の明るい部屋は、トルコ風の内装です。
水パイプなどをくゆらせたそうです。 -
食堂です。ボヘミアングラスとドイツのローゼンタールの食器を使用していたそうです。
奥には、料理運搬用のエレベータがあるそうです。 -
廊下も調度品でいっぱいですが、見ている時間はありません。
-
これもムラノガラスです。
この辺は巨大な鏡があって、自分撮りには絶好の場所です。 -
アールヌーヴォー調の魅力的な絵画が描かれています。
-
この部屋には、もっと有名な絵があるのですが、私はこちらの方が好きなので、後回しになってしまいます。
-
ガイドの聞きかじりに寄ると有名なのはこの天井画のはずなんですが、誰の作やらわかりません。ごめんなさい。
これで、再び「名誉のホール」に戻って、出口に向かいます。 -
外へ出て、再び見る中庭はやはりすてきです。
城内には160を越える部屋があるそうです。今回見られたのは2階部分だけ。
名誉のホールの螺旋階段を上って上の階に行ってみたいなあ。
ガイドブックによると各種オプショナルツアーありとなっているので、もう少したくさん見て周れるツアーもあるようです。 -
正面の時計塔です。
どうやら、この時計は動いていないようです。 -
少しだけフリータイムです。
前庭に行ってみます。 -
惜しいなあ。元は綺麗な白い石造のはずなのに。
汚れちゃったら、美人が台無し。 -
白いお花畑の正体はこの花。レースフラワーです。
-
甲高い声で鳥が鳴いています。目の前の木に止まっていました。
なかなかの歌唱力です。お聞かせできないのが残念です。 -
魅力的な僕の前で記念写真とは、目が高いぞ。
こら!自分撮りか? -
時計塔全景。これは、前庭に降りてから撮るのがいいみたい。
残念ながら背景の雲が厚くなって来た。 -
カロル1世の立像。前庭に立っています。
-
ガイドブックやパンフレットは全部、この角度。
やっぱり様になってるね。一番、美しさが際立っています。 -
裏庭への階段はロープが張られています。
-
そろそろ時間なので、正面入り口に戻ります。
-
噴水が上がっているわけでもないのに、どうして皆、覗き込んでるの?
噴水の中にはたくさんのコインが。あら〜ここも投げ込んじゃうのね? -
これは、ペレシュ城の隣に建っているペリショール城への道です。
もうそこに見えているのに、添乗員は出口へとスタスタ・・・
カロル1世の狩猟用の城で、ポスターにもよく起用されるといいます。
せめて、外観だけでも見たかったのに。
まだ成田からずっと休みなしだから、機転が利かない。
ああ、後悔。ちょっと声を掛けて見て来れば良かった。
ペリショール城の奥にはチャウシェスクの豪華な別荘もあるのだそう。 -
ピンクのレースフラワーもきれいです。
これで、ペレシュ城ともお別れです。 -
ペレシュ城へ入るカフェレストランのあった建物を抜けると、木の間隠れにペリショール城が見えました。
なんだ、こんなところにあったのか。ならば、ペレシュ城の帰りに、ペリショール城の前を通って来ることは出来たんだ。
ああ、そうわかっていれば・・・それにしても、ちょっとコースを変えることは出来なかったのかしら?気が利かない。
ついつい、八つ当たりでございました。
最後の最後で不満足なペレシュ城の見学でした。
次回は、シナイアを出て、ブラショフに向かいます。
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