2015/02/21 - 2015/02/26
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akkiy363672さん
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第2日目。 ホーチミン市内に残る、ベトナム戦争の足跡を訪ねて、街を歩きます。
そこで遭遇した一大事! その顛末やいかに?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前8時、「オスカーサイゴン」の朝食ビュッフェです。
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フォーは、このおかぁさんがつくってくれます。
向こうのおじさんは、卵焼きの係です。 -
食事をしながら外を見ると、眼下に工事中のグエンフェ通りが…。
通りの右手突当りの建物は「ホーチミン中央委員会庁舎」です。 -
午前11時、街歩きに出かけます。
ホテルの前の通りは工事中で、塀が立っていて、歩道はご覧の通りの狭さ…。工事終了は2018年とのことですから、それまでの辛抱ですね。
でも、完成の暁には、ホテルの料金も跳ね上がっているかもしれない。 -
右手は、昨日も紹介した「サイゴン・オペラハウス(市民劇場)」。
その左向こうの建物は「コンチネンタル・ホテル」。
いずれも、フランス統治時代の1800年代に建てられたコロニアル建築の、昔をしのばせる建造物です。 -
ベトナム名物「シクロ」。街路樹の通りを、風に吹かれながらゆっくりと行く旅もいいですね。
でも、旅行書などによると「料金トラブルなどが多いので、利用は避けたほうが無難」などと書いてあって、ベトナムは初めてだった今回は利用しませんでした。 -
町中の駐車場です。
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「ホーチミン市人民委員会庁舎」にやって来ました。
中には入れません。実は、撮影も禁止なのですが、「まぁ、風景写真を撮るぐらいなら…」といういつもの調子で、パシャパシャと撮ってきました。 -
庁舎の前から、工事がはじまっています。
青く見えているのは、ブルーシートに覆われた工事現場です。
向こう建物は、筋向いの東南角にある「レックスホテル」。 -
振り返ってパチリ…。 夜はライトアップされて一段とエレガンスな姿になるのですが、それはまた今夜のお楽しみに…。 -
しばらく行くと「スタバ」のコーヒーショップがありました。
館内は冷房も聞いているのですが、若者たちの多くはテラス席で…。
僕も、テラス席でアイスコーヒーを飲みました。6万ドン(≒330円)…だったかな。 -
「スタバ」を出てしばらく行くと、路上喫茶がありました(笑)。
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これは「幼稚園」です。
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大きな公園に出ました。
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若者たちが通路に座るのは、日本と同じ…?
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公園の横に、赤レンガ造りの教会がありました。
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ふたつの尖塔を持つ「サイゴン大教会」…、正式名称は「聖母マリア教会」です。。
いつでも内部を見物できるらしいのですが、僕は入り口がわからなかったのか、お昼の休憩時間だったのか、中へ入ることはできずにスルーしてきました。 -
教会の向こうに、黄色の建物が見えています。
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中央郵便局です。
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内部の天井は、美しいアーチになっています。
局内は冷房が効いているので、街歩きの観光客は椅子に腰を下ろしてしばらく休憩です。 -
正面に、ホー・チ・ミンの肖像画が飾ってありました。
中央のデスクにも、両側カウンターの窓口にも、ほとんど局員が居ません。
時刻は12時45分…、お昼休みなのかなぁ? -
入口の左右には、土産物売り場がありました。
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でも、ごった返していて、中へ入ることができませんでした。
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郵便局を後にします。
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道端には、ごみ箱が設置されています。
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今年は1968年から47周年…という、戦意高揚の張り幕ですね。
1968年は、1月にベトナム戦争(1965-75)において、南ベトナムの共産ゲリラが蜂起した年です。テト(春節)攻勢が開始され、ベトナム全土の各市で北ベトナム共産軍の大反撃が始まりました。 -
「統一会堂」…、旧南ベトナム大統領官邸が見えてきました。
入場料は3万ドン≒約165円。 -
1962年から建設が始められ、66年に完成しています。
大小100以上の部屋と、屋上にはヘリポート、地下にはベトナム戦争時に使用された軍事指令室・通信室などがあります。 -
敷地内に、ここ「大統領官邸」に突入してベトナム戦争を終結させた、ソ連製の戦車「Т-54」が展示されていました。
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玄関です。北ベトナム軍の突入を、当時の南ベトナム大統領チャン・バン・フォンはこのテラスから眺めていたのでしょうか。
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内部は、会議などの行事がなければ、公開されています。
1階、「内閣会議室」です。 -
同じく1階、「バンケットルーム(宴会場)」。
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部屋の説明とともに、ここで会合が行われた時の写真も展示されていました。
1階にはほかに、講堂・内閣会議室などがあります。 -
2階、「大統領応接室」。豪華な調度品が目を奪います。
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2階、「国書提出室」、各国の大使が大統領に国書を呈上した部屋です。
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2階にある中庭です。
2階にはほかに、大統領執務室・大統領作戦室・副大統領応接室、また大統領官邸として大統領寝室・食堂などがあります。 -
3階の娯楽室。麻雀台、カードテーブル、ビリヤード台などがありました。
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映画劇場もありました。
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ヘリポートです。
3階にはほかに、大統領夫人応接室・図書室、4回にはダンスルーム・バーなどがありました。 -
屋上の売店でコーラを買い、飲みながら前庭を見下ろしました。
目の前に伸びるレユアン通りを進んできたТ54型戦車が、正面のフェンスの入り口に突入して、11年に及んだベトナム戦争が終わったのですね。 -
地下へ降りて、「作戦司令室」に入りました。
壁に貼られた地図、資料などが、当時のようすを伝えていました。 -
通信室です。
暗号解読室やアメリカと連絡を取り合った放送施設もあったとか。 -
大統領の寝室です。
ものの本によると、北ベトナム軍はアメリカ・南ベトナム軍との戦いに、200Kmに及ぶトンネルを掘ってゲリラ戦を行いました。トンネル内では、将軍の部屋もたいへん狭いものであったとか。
それに対して南ベトナム軍最高司令官はふかふかのベッド…。戦いに立ち向かう構えで、南ベトナム軍は負けていますね! -
出口のところの部屋に飾られていた写真です。
北ベトナム軍の戦車が、大統領官邸のゲートを突破したところです。
この瞬間に、11年にわたったベトナム戦争が終結しました。 -
これらの映像は「一つの国が消滅する瞬間」として全世界に配信され有名となりました。
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出口の前に、大木がありました。
この木は、壮絶なベトナムの歴史を見てきたことでしょうね。 -
敷地内に、オープンカフェがありました。
コーヒーでも…と思いましたが、ベトナム戦争の余韻の冷めやらぬうちに、「戦争証跡博物館」へ急ぐことにしました。 -
「統一会堂」から北へ5分、ベトナム戦争の足跡を展示する、「戦争証跡博物館」です。
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前庭には、ベトナム戦争で使われた、戦車や大砲、爆弾などが展示されていました。
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アメリカ軍の戦闘機やヘリコプターもありました。
拷問の島と呼ばれたコンソン島の牢獄…通称「トラの織」を忠実に復元した展示物もありました。
南ベトナム、ゴ・ジン・ジェム独裁政権は、政権に反対する人々をこの島に閉じ込め、激しい拷問を加えたのです。
その凄惨な様相は、日本での展示物ならばとてもここまでは…と思わされるものでした。 -
北ベトナム軍の武器です。
この銃で、アメリカの戦闘機を撃墜したといわれました。 -
さまざまな展示物が、実物で…、映像で…、パネルで…、展示されていました。
ホルマリン漬けの、枯葉剤による奇形胎児のケースなど、思わず目を背けるほどのものでした。 -
日本の戦場カメラマン沢田教一氏の一枚、「FREE TO SAFETY(安全への逃避)」はあまりにも有名。
ベトナム戦争を撮り続けた石川文洋氏の写真集・使用されたカメラ・着用していた迷彩服や、カンボジア・アンコールワットの近くでクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されたという一ノ瀬泰三氏が使用していたカメラとともに展示されていました。
沢田教一氏は、1970年10月、カンボジアの国道上で狙撃されて一命を落としました。
「安全への逃避」を果たしたこの女の子は、今、母となっています。 -
展示は、今のベトナム軍の活躍も伝えています。
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日本のベトナムを支援するポスター、出版物も見かけられました。あのころの日本では、「ベトナム戦争反対」と叫んでいれば、何とか飯が食えた時代でしたね。
アメリカ軍の蛮行を警発する展示物は溢れていましたが、ベトナム戦争下での韓国軍の残虐さや中越戦争の中国軍の無法振りを取り上げたものは見られませんでした。 -
帰り道、学校のようです。
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「村山富市記念日本語学校」とありました。
クレイトン高校の中に設置した、日本語習得を志望する学生を受け入れる日本語学校です。
HPを覗いてみると、「2009年は230人の高校生、100人の社会人有料学生を受け入れている」と記されていました。 -
このホテルは何かというと…。
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表のこの看板に釣られて入ったのです。
ちょっと歩き疲れて、フット―ボディマッサージ70分25万ドン(≒1300円)。きれいなホテルのマッサージ店だから間違いないだろうと踏んだのです。
若い男の子のマッサージで、結構しっかりと揉んでくれました。チップ10万ドン(≒550円)はちょっと奮発しすぎたかな -
マッサージのあとふらふらと歩いていたら、道に迷ってしまいました。
運よく「丸亀うどん」のホーチミン一号店に出くわし、店頭で呼び込みをしていた店長くん(日本人)に道を聞きました。
ベトナムでは3店目、ホーチミンは1号店です…と店長くんは張り切っていました。僕は道を聞いただけでしたが、店内は満席。日本のうどんがベトナムのフォーを凌駕するか! -
教えてもらった道をしばらく行くと、「ペンタイン市場」にたどり着きました。
ここは、何でもそろう、ホーチミン最大の市場です。でも、このとき時刻は午後6時40分。市場の終業が7時ですから、ほとんどの店が閉店準備に入っていました。
市場内の店が閉まると、周りに屋台が出てひしめき合います。 -
市場前の春節祭り会場へと足を運びました。
入口のモニュメントにカメラを向けて、パチリとシャッターを切った瞬間、ズボンの後ろポケットに違和感が…!!!
ン、手をやると後ろポケットに入れていた財布がない。 『スリだ!』
後ろを振り返ったけれどごった返す人混みで、誰がスリかなんて全くわからない。 -
財布の中には、小分けにした現金とクレジットカード。カードはすぐに日本へ連絡したので被害なし、現金は500万ドン少々≒3万円足らず。
今まで世界の各地を歩いてきて、結構危ないところも平気で足を踏み入れていたのに、被害に遭ったことがないので、全く備えをしていませんでした。勉強代ということです。
ただ、旅先で知り合った人やお世話になった方の、住所や連絡先を書いてもらったメモを一緒に掏られてしまったことが残念です。 -
歩くしかないか…と空きっ腹を抱えてホテルへ向かって歩き出したら、すぐに日本料理店が…。 でも、文無し!
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「人民委員会庁舎」、ライトアップされた姿も素敵でしょう。 意気消沈していても、素晴らしいものには感動しますね。
向こう側の近代的なビルとのコントラストも、ベトナムの躍進を物語っています。 -
シェラトンの春節飾りもきらびやか…、でも、なぜか虚しい(苦笑)。
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てなことを言いつつ、午後9時30分、「オスカーサイゴン・ホテル」に着きました。
フロントの女の人は、「財布を掏られた」という僕の説明にもさほど驚くことはなく、「では、ルームカードをお作りします」と再発行してくれました。『警察に届けるなんて無駄なこと、論外…』という感じです。
金庫から分けて置いていた現金を引っ張り出し、フロントで両替えしてもらって、再度夜の町へ繰り出しました。
腹ごしらえして、明日の「メコン川クルーズとミト―ツアー」に備えなければ…。
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