2015/05/08 - 2015/05/17
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Pontakaiさん
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バス旅行の旅も今回は7日目のカッパドキアから約240kmのボアズカレへ。
紀元18世紀には鉄器を使用し始めていたヒッタイト人たちが紀元前13世紀には王国を築いたというハットゥッシャ遺跡と同じく紀元前13世紀に神殿があったというヤズルカヤ遺跡とを巡りました。我々日本人にはあまり知られていないところですが、世界遺産指定の地です。
遺跡見学の後は約210kmほど走って首都アンカラへ。ほとんど自由時間はなくただ泊まっただけというアンカラでしたが……
なお、今回の旅程などは以下のとおりです。
参加ツアー: ターキッシュエアラインズ往復直行便10日間のマル得トルコ(阪急交通社)
日程概略: 5月8日発 夜22:00
9日早朝4:00頃イスタンブール着→トロイ遺跡→アイワルク泊
10日 アイワルク発→エフェソス遺跡→パムッカレ泊
11日 パムッカレ石灰棚、ヒエラポリス遺跡見学→コンヤ観光 同地泊
12日 コンヤ発→カッパドキア 観光見学 同地区泊
13日 カッパドキア地区見学 同地区泊
☆14日 カッパドキア発→ハットゥッシャ遺跡、ヤズルカヤ遺跡→アンカラ泊
15日 アンカラ発→イスタンブール市内観光 同地泊
16日 イスタンブール市内観光
17日 イスタンブール発(深夜)→東京(成田)18:30着
旅行費用: 1人参加 12万円(全行程食事つき) 2人1組参加者は10万円
参加者数: 37名
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
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われわれのバスが分泊組のウチヒサールカヤホテルを出てボアズカレへ向うと間もなくすると今朝のバルーンツアーを終えた気球運行会社の車が折りたたんだバルーンを牽引しているのに出会いました。
カッパドキア地区ともお別れです。 -
こんな雄大な起伏に富んだ道をバスは定速で走って行きます。わたしなら120kmくらいで走りたくなってしまうような道路です。
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そうかと思うと地平線の果てまでの直線路。ほとんど車がいません。
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出発後1時間も走った頃、とあるところで運行記録チェックが行われていました。模範的な安全運転をしているわたし達の運転手さんは何の問題もなく、チェックをパス。
ガイドさんの説明に拠ると、タコメータ記録等の用紙を見せて審査を受けるそうです。長距離運行バスが多いトルコでは良く行われる光景ということでした。 -
更に1時間半くらい走るとボアズカレのハットゥッシャ遺跡の記された標識が見えてきました。もうすぐのようです。
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最初はヤズルカヤ遺跡の見学です。天然の岩ばかりが目立ちどこに何があるかさっぱり分かりませんが、とにかくガイドさんの説明について行きます。
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ありました。岩にレリーフ像が彫られています。紀元前13世紀頃ヒッタイト人によって彫られたものだそうです。男が奥さんと子供に迎えられている図柄ですが、神様なのだそうです。名前は失念しました。
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また奥の右手にはとんがり帽子をかぶった神様が12人彫られています。この岩に囲まれたところが岩も含め聖地だったようです。堅固な石を掘る鉄器(ナイフや鑿のような道具)を史上初めて創りだしたヒッタイト人の底力を感じます。その頃の日本人は何を持っていたのだろう?
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ヤズルカヤ遺跡の見学が終わって入ったレストランには日本の国旗が掲揚されていました。なんとなく嬉しくなるものです。
遠くにはボアズカレの街の赤い屋根が見えています。人口5千人ほどの小さな町ですが、その家もみな外観は立派に見えます。撮るこの地方は皆こうした景色なので、豊かに見えます。 -
次に訪れたのはハットゥッシャ遺跡。同じくヒッタイト人が城壁に囲まれた神殿を構築し、生活していた遺跡です。
写真はライオンの伏せた姿の像です。2匹の像のうち1匹しか形がありません。 -
大神殿の一部。広大な遺跡が広がっており、神殿の大きさが偲ばれます。
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これも神殿の一部
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ハットゥッシャ遺跡は広大な敷地にあり、現在も発掘作業が行われています。ところどころに目印となるように石が整然と並べ替えられています。遺跡は高地と低地とに別れており、この後、われわれはバスで高地にあるライオン門などを訪れました。
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ほとんど摩滅してしまってライオンらしさがありません。アザラシみたいな顔。反対側にレプリカ像があるがそれもほとんど猫顔にみなさん失笑。
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神殿のある頂上部の下には傾斜道のトンネルが石で△状に積まれています。この遺跡は考古学者にとってはまだまだ多くの発見の余地の多い、魅力溢れた遺跡ということのようです。
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写真は当時の城塞を復元したレプリカとその説明。
古代史に造詣の深くないわたしにはその価値はよく分かりませんが、この遺跡の中で発見された粘土板に記された文章がエジプトのカルナック神殿にある内容と同じであり、それは当時争ったエジプトとヒッタイト王国間に交わされた平和条約だった、という解説文を帰国して読んだときにはさすがに驚いたものです。
ただし、わたしたちはその粘土板なるものを見ることはありませんでした。 -
ボアズカレの古代遺跡を見た後、バスはその日の宿泊地アンカラへ向い、バスは約160km走って後50kmの所まで来ています。
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アンカラは盆地のような丘に囲まれたところで郊外の丘陵には赤屋根の家々が林立しています。建物はビルや高層マンションがほとんどです。
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町の中心に入った途端にこの有様。アンカラは政治、行政の中心都市。官僚や学校に関係する人々が住む。
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宿泊地のスルメリホテルはこの鹿の像のある公園の直ぐ近くでした。
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ホテルでの夕食を食べた後、少しだけ夜の街に出てみましたが、土地勘がないので歩いていると迷ってしまうと思い、近くのシヒエ?駅(Sihhiye)から地下鉄乗車にチャレンジ(と言うほどのことでもないが……)。
駅員さんが英語でコミュニケーションできないのには参りましたが、大学生らしき人が助けてくれました。最終電車が早いことを注意してくれ、明日も朝早いイスタンブールへの出発になるので10時にはホテルに戻ってきました。
地下鉄は今ではどこの国もほとんど同じシステムや電車を導入しています。韓国も、中国も、N.Y.、なども…… -
ホテルの近くの歩道橋の下には日本のアメヨコのような店舗が軒を並べている一角がありました。
総じて言えば、アンカラは結局寝るだけのところで終わってしまいました。
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