ボアズカレ{中央アナトリアの遺跡を巡る①ボアズカレに2泊し、ヒッタイト帝国の首都・ハットゥーシャ遺跡、聖地・ヤズルカヤ遺跡、アラジャホユック遺跡を巡り、世界史上鉄器と軽戦車で一時は中近東世界をエジプトと二分したヒッタイト帝国の栄華を偲ぶ。}
2014/10/21 - 2014/10/23
8位(同エリア55件中)
地中海人さん
ボアズカレ2泊、ボアズキョイ考古学博物館を訪問し、徒歩で八ットゥーシャ遺跡、タクシーでヤズルカヤ遺跡、アラジャホユック遺跡を巡ります。
エジプトを破るほどの勢いだったが前12世紀東地中海沿岸を襲った海の民に滅ぼされたヒッタイト帝国の栄華を偲ぶ。
*******************交通機関、ホテル、主な日程
ハットゥーシャシュ、ヤズルカヤ、アラジャホユック、チヤタルホユック、クサントス、カラキョユ、アフロディスィアス、サルデス,ヒエラポリスなどの古代遺跡を訪ね、コンヤとイスタンブールの夜を歩く。
【2014年10月20日(月)】
仙台発7.45→成田Ⅰ着8.50 NH3232便
JL413便10.30→ヘルシンキⅡ着14.55
ヘルシンキⅡ発SK3409便 18.25→ISTⅠ着21.50 (TKのコードシェア便)
IST発TK2190便23.50→アンカラ着0.55
ラディソンブルホテル・アンカラまでタクシー70TL 1泊(12,087円)
【10月21日(火)】
午前 アナトリア文明考古学博物館(15TL) アンカラ城散歩
午後 アンカラ・オトガル(までホテル前からドルムシュ)→(バス 3H 25TL)→スングルル・オトガル→タクシー(100TL)→ボアズカレのアーシクオウルホテル 2泊(1泊朝食つき 30EUR)
★ 夕方 ボアズキョイ考古学博物館
★ 【10月22日(水)】
徒歩で八ットーシャ、タクシーでヤジリカヤ、アラジャホユックを巡る(タクシー150TL)
【10月23日(木)】
午前 ボアズカレ→(タクシー50TL)スングルル・オトガル→(バス25TL 3H)アンカラ・オトガル
午後 アンカラ・オトガル(ランチ後)→(3H バス27TL)→コンヤ・オトガル→(ドルムシュ2.75TL)→メブラーナ近く→(徒歩)→ヒルトン・ガーデン・イン コンヤ2泊(1泊朝食付き7,690円)
夜 コンヤの夜を歩く
【10月24日(金)】
チヤタル・ホユック日帰り(タクシー150TL)
コンヤ考古学博物館 メブラーナ博物館
コンヤの夜を歩く
【10月25日(土)】
コンヤ→(TK2037 )→IST
IST→(TK2558 )→ダラマン空港
ダラマン空港からハワシュ(15TL)でフェティエまで
フェティエ・オトガルからホテルまでタクシー
オルカ ブティックホテル2泊(朝食付き1泊 45EUR)
【10月26日(日)】
フェティエ博物館→オトガル→(バス 9TL)クサントス遺跡
クサントス郊外のチャイハナ で大休憩
【10月27日(月)】
カラキョイ遺跡
フェティエ→(32TL バス3H)→デニズリ→ パムッカレの
ヴィーナスホテル3泊(1泊朝食付き35EUR 夕食1回合計現金120EUR)
【10月28日(火)】
午前9.30 アフロディシアス遺跡日帰り(ツアーバス往復3H 遺跡内3H 30TL ホテル送迎付き) ホテル着PM3.30
【10月29日(水)】
ホテル前からドルムシュで(3.50TL)デニズリ・オトガル→(バス 25TL 3H)→サルト村
サルディス遺跡(8TL)日帰り
遺跡前からドルムシュでサリフリ・オトガル→(バス2H 20TL)デニズリ・オトガル→(ドルムシュ 3.50TL)→ホテル前通り
【10月30日(木)】
午前 ヒエラポリス散策
午後4.30 ホテルピックアップデニズリ空港までバス(1H 30TL パムッカレ社扱い )
TK259便 デニズリ発19.40→イスタンブールIST着20.45
ホテリーノ3泊(11,158円 8,781円 11,416円 1,615円)
ISTからシルケジ近くのホテリーノまでメトロ、トラムバイ(イスタンブールカード10TL分購入)
【10月31日(金)】
考古学博物館(15TL)地下宮殿(20TL)
夜街歩き タクスィム広場からガラタ橋まで歩く
【11月 1日(土)】
街歩き
午前 カドキョイ地区からハイダラバシャ駅、
午後 ウシュクダラ地区を歩く
夜 ガラタ橋の北岸を歩く
【11月 2日(日)】
午前6.00 シルケジ駅前からタクシー(40TL)でISTまで。
ISTⅠ発8.40→ヘルシンキⅡ着12.10 SK3409便
ヘルシンキⅡ発17.25 JL414便
【11月 3日(月)】
成田Ⅱ着9.50
成田ⅠからANA便10.55発仙台空港まで
***********************
費用
仙台→成田 ANAから株主優待割引で10,150円 ANApp665
成田←→IST JALから 270,770円プラス35,000マイル
NRT→ヘルシンキ JALFOP4060
(アップグレードはダイナミックパッケージと同じくJALFOPは70%)
ヘルシンキ→IST ANApp675
IST→アンカラ TK2190便 194.00TL ANApp107
TK2027便 コンヤ→IST ANApp 678
TK2558便 IST→ダラマン ANApp 694
2便で TL
デニズリ→IST TK2579便 79.00TL
*********
JAL修行 FOP
6月 ダイナミックパッケージ 成田-FRA 4,550×2
8月 ビジネスセーバー 成田-FRA 15,220×2
10月 アップグレード 成田-HEL 4,060×2
JALカード初回搭乗FLYONポイント 5,000
計52,660
(6月に最初にビジネスセーバーでFRA便に乗れば1回でクリスタルになったはずで、その後2回グレードアップ便を探す楽しみがあったかも。)
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JTB マネーTグローバルカードで引き出し
2014年10月21日 アンカラのPTT
400TL 20,119円(50,2975円/TL)
成田空港内千葉銀行で2014年10月20日両替
TL 9,974円 160TL @62,34/TL
EUR 29,328円 210EUR @139,66/EUR
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表紙は 八ットゥーシャ遺跡 王門
以下写真は全てソニーのスマホ・エクスペリア SO-01Fとこれに装着したレンズカメラSQ100。
ガイドブック 「古代都市1 ヒッタイトの都 八ットゥーシャ」
URANUS 2013年発行 136頁 25TL
翻訳 Takeko Harada
www.uranus.com.tr
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL ANA ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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2014年10月21日(火)
アンカラからバスでスングルル・オトガルまで、次いでタクシーでボアズカレ(ボアズキョイ)にやってきました。ホテルのHPからメールで予約したアーシクオウルホテルに二泊します。
人口2000人の村の大通り,片側2車線もあります。この写真の奥が村の中心、手前左に立派な博物館がある。なにしろ、ここは、世界史上有名なヒッタイト帝国の首都がありました。古名・八ットゥーシャ。 -
夕方ホテルに荷を解き,早速博物館に入ってみました。
外にはヒッタイト時代の碑文、スフインクス、ローマ・ビザンチン時代の石碑やマイルストーンなどが並んでいます。 -
2011年に新装オープンした博物館に入ると,まず、左のスフインクスはベルリンから、右はイスタンブール博物館から戻ってきて展示されています。
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年代別にわかりやすく展示されています。
この地方の森林地帯には旧石器時代、中石器時代の狩猟採集の痕跡はなく、八トゥーシャ近辺の遺跡は銅石器時代から始まるようです。 -
BC6000-3000 銅石器時代になって、この地方にも小規模の集落や農場が出現し、ゆっくりと定住していったようです。
アナトリアの時代区分は通常[前8000-5500を新石器時代]といわれていますが、近年ギョベクリテペの発掘により、アナトリアの最古の居住地は前10500年までさかのぼることが判明していると言うので、その内メソポタミアから中央アナトリアに関しては時代区分が細かく学者により変更されるかもしれません。
私が高校時代に習った世界史では、全く追いつきません。
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BC3000-2000 初期青銅器時代
ヒッタイトの前に住んでいた八ッティ人の墓から発掘された副葬品が多いようです。この時代になって急速に定住していったようです。
前3000年紀末には黒海北方からペロポネソス半島やアナトリアにかけ多くの印欧語系の民族が南下してきたようです。
前2000年ごろには、ヒッタイト人たちはアナトリアに居住していたことがアッシリア文書から判明しているという。 -
BC1945-1730 アッシリア殖民市時代
前19-18世紀、この町には、主に住む八ッティ族、他にフリル族、そして中央アナトリアに文字を持ち込み交易通商が得意のアッシリア人がカルムと呼ばれる居留地にまとまって住む、この時代の文化はもちろん同系の東方オリエントから学んだようです。
前18世紀初頭近隣の部族により襲われ破壊されたようです。 -
BC1650-1450 古ヒッタイト時代
前1720年ごろヒッタイト民族がこの八トーシャに住み着いたとの文書がシリア東部のマリで発見されたと言う。 -
BC1650-1200 ヒッタイト帝国時代
ヘレニズム時代の都市遺跡を求め捜し歩いていたフランス人探検家が1834年ここに10日間滞在しスケッチして去り、1872年に遺跡の写真が公表され、1893-94年にかけ始めて組織的に発掘され、1906-12年の本格的な発掘調査により、世界的な反響を巻き起こすに至る。
ヒッタイト王とエジプト王ラムセス?が交わした文書が発見されています。 -
BC1650-1200ヒッタイト帝国時代
大量の粘土板文書が発掘され、1915年にはヒッタイト語が解読されたことから、ヒッタイト帝国の歴史、宗教などが解明されたため、逆に海の民によって滅ぼされたその後の450年のアナトリアの暗黒時代(前1200-750)は謎が深く、興味が尽きない。 -
BC1650-1200
円形印章、スタンプ印章、楔形文字文書などヒッタイト帝国時代の遺物が多い。 -
村の中心、右側のPTT,左がドルムシュ乗り場。冬はスングルルとの間に朝夕1本?のドルムシュ。ロカンタやレストランはありません。
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アーシクオウルホテル
道路向かいにももう一軒ホテルを経営しているが、冬はこちらだけ営業している。
この日は中国人5名、仏人3名が夕食をとっていた。 -
スープ、ピデ、ビールを頂いた。
1泊 朝食付き現金30EUR、WiFi無料
(チェックアウト時、2泊と夕食1回、ガイドブック1冊(25TL) 水ビール1本全部で現金90EURを支払った。)
翌日のバスツアーをオーナーが画策したが、キャンセルとなった旨夜連絡がある。 -
2014年10月22日(水)
一人200TLというタクシーツアーを断り、2箇所徒歩で回ることにしました。
ここからまっすぐがハットゥーシャ、左へヤズルカヤ。 -
もともとハッティ族が住んでいたハットゥーシャは、前1750年ネシャ出身のアニッタによって破壊され、100年後ヒッタイト人たちがここを帝国の首都と定めたことから海の民に滅ぼされる前1200年まで栄えた。
八ットゥーシャの城壁は6キロ、日干し煉瓦64,000個で一部65メートル高さ13メートルの城壁がゲート近くに復元されています。
八ットゥーシャはボアズカレ村の南側の台地、ホテルから徒歩10分、斜面にあり4km舗道を案内板に従って歩くことができる。
入り口に自動回転ドアなど無く、ミニバスやタクシーが中へ入ってこれるようになっていて、スングルルやチョルムから(?)のツアーバスが中まで入っています。
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ゲートを入ると八ットゥーシャ 「下の町」、八ッティ人の集落跡やアッシリア人の居留区跡があるが、この写真は、その下の町の中心である大神殿跡(前14世紀)。
貯蔵庫82棟を含め本殿など全部で面積14,500?。
貯蔵庫を巡る道路は8メートル、その地下には下水道。
中近東世界をエジプトと二分したことが窺えます。
ギリシャ、ローマ世界にこんな神殿は? -
大神殿跡
ヒッタイト帝国は、エーゲ海、地中海に達し、メソポタミア、シリアまで一時は領土を広げ、エジプトと二分するところまで膨張した。
(私の妄想
ヒッタイト人がこれほど短期に強大となった原因は、鉄器と軽戦車によることもあるが、八ッティ族起源の名前の王、先住のフリル人を王妃に迎えたり、フリル語の歌い手を厚遇していることからもわかるが、ローマ人が同じラテン民族や他のラテン系以外の民族を次々と同化していったように、先住近隣の印欧語系民族のみならず東方のオリエントから来た民族をも上手に糾合したのではないか?)
-
大神殿跡 緑色の石 何のために用いられたのか不明である。
(私の妄想 パワースポットと思い、初めてここに座って自撮りしました。一人旅の時はまず自分を撮ることは無いのですが。) -
大神殿跡 水槽
水は水道で運ばれ、排水は下水道に入っていたが、何のために用いられたかわかっていないとガイドブックにある。
(私の妄想 これは、体を清めるために用いられたに違いありません。この小さいのは巫女が? ディディムのアポロン神殿内部に同じ大きさの井戸があることから連想。)
正門前にも獅子の像のレリーフがある水槽があったが、地位の高い人用か。 -
大神殿 入口
大神殿の正門には三枚の大きな一枚岩の敷居あり、この写真の大神殿の入り口にも5.75メートル36トンの巨大な石が敷居として残っていた。
中庭27×20メートル、中庭含む本殿全体は64.5×42.5mの平屋建て、神事の重要な場である祭祀の間は本殿の北側にまとまってある。(ギリシャ神殿の祭壇は東側ですが。)
神官階級は賦役や貢納は免除されていたと言う。 -
スフインクス門。
(オリジナル写真はこの旅行記のボアズキョイ博物館の欄)
東のミタンニ王国に押され、ヒッタイトの古王国時代は終焉を向かえ、中央集権的な新王国時代となった後も西の印欧後系の国が台頭してきて、苦難の時代が続いたようです。 -
スフインクス門から上の町
前14世紀半ばになり、エジプトと16年間渡り合い、前1286年ごろには、4軍団2万名のエジプト軍を3500台の戦車2万名で迎え撃ったカデシュの戦いは有名ですね。
前1269年頃の平和条約が記載された粘土板は、今国連本部に置かれているとか。 -
スフインクス門の下 イエルカプ(地中の門)。
学者は外から丸見えなので防衛のためではないとして、住民が外と出入りするためとしている。
八トゥーシャ南側を護る二重の城壁に直角に15%傾斜して場外に出る長さ71メートル高さ3メートルの地下道。
(私の妄想 突撃門。どこかで(夢で?)見た記憶が(笑)) -
王の門
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王の門の内側。左側のレリーフオリジナルはアナトリア文明博物館にある。
今では王ではなく戦士のレリーフだとされていますが、門の名前はいまだに「王の門」です。 -
二シャンタシュという大きな岩
この辺で、村唯一のタクシーが私を見つけ出した。この日一人で3時間近く遺跡内を歩いていたのは私一人。他にはツアーミニバス数台とスケールを持って写真を撮っている研究者が乗った自家用車1台、騒がしい中国人5人は大神殿あたりを歩いていたがその後は見かけず。
冬枯れの個人タクシードライバーが200TLを断った一人が日本人であると情報を仕入れ追いかけてきたに違いありません -
二シャンタシュに彫られた象形文字碑文(ヒッタイト帝国)
「偉大なる王シュッピルイルマ、偉大なる王トゥタリアの息子にして偉大なる王八トゥシリアの孫にして・・・・・」と岩の頂上に王トゥタリアの像を作って安置したと言う。
シュッピルイルマは国内の混乱を鎮めたうえ、領域をシリアまで広げた英雄。
前13世紀末東のアッシリア、西の諸民族の攻勢により衰え、ついに前1200年ごろ武装移民集団「海の民」によって滅ぼされ、東に離散し、製鉄技術が周辺諸国に伝わって、以後考古学上「鉄器時代」が始まることとなります。 -
八トーシャ遺跡から2キロ離れたヤズルカヤ遺跡。
八ットゥーシャとヤズルカヤ二箇所で70TLの言い値のところ50TLで手を打ち、タクシーで近くの八ットゥーシャの聖地ヤズルカヤまでやってきました。 -
ヤズルカヤ岩陰神殿入り口
ヒッタイト人の聖地。ヒッタイト人の故地としてあがめたのでしょう。春の新年祭に使用され、ギャラリーAにはヒッタイトの重要な神々が序列に従い彫られているという。
(私の妄想
ヒッタイト人が北方からやってきたご先祖様達は、まずここを本拠としここから?) -
自然の岩壁にヒッタイトの神々が浮き彫りにされています。
屋根は掛けられることがなかったA,B二つの屋外神殿、いわばヒッタイトの屋外パンテオン(万神殿)。
(私の妄想
「天の岩戸」伝説を想起せざるを得ませんでした。新石器時代前はこのような岩戸、洞窟に住み動物から身を護ったことでしょう。) -
ギャラリーAには66体。
左側の壁は2体を除き男神、とんがり帽子とキルト姿。爪先の跳ね上がった靴を履き、耳にはイヤリング。 -
右側の岸壁には女神達。長いスカート、円筒形の帽子。
男神は上半身をひねったように横向きに、女神は全身が横向きに描かれている。
暴風神が妻である太陽女神とその子供たちに迎えらる姿が描かれているという。 -
ギャラリーB入り口(奥行き18m、幅4乃至2m) 17体
前13世紀末にシュッピルリウマ王(前1200-1190)が父王を記念し、父の立像とともに作ったとされています。 -
Bギャラリー
ここはランダムに、鎌形の剣を持った十ニ神と、剣の神ネルガル、守護神シャルマ。 -
十二神
Aよりも鮮明に見える。
十二進法は一体いつから始まったのか? -
ギャラリーB 西側岸壁 冥土の十二神
屋根は無く東西は高く垂直な壁で塞がれていたので、保存もよい。
(A,Bとも彫られている神々は解明されており、ガイドブックには24頁にわたり神々の詳細な解説がありますが。) -
この写真の前の駐車場には、地元彫刻家が作る土産物が売られており、ここにも日本語がたいへん上手なかたが。
ここからアラジャホユック遺跡まで約40キロ(直線25キロ)ということで、タクシードライバーと全部で150TLで妥結。 -
アラジャホユック博物館
発掘が始まった1935年にはトルコ歴史学会を創設したアタチュルクがここにやってきて発掘を視察した写真がありました。
ここには、八トゥーシャと同じく銅石器時代(BC6000-3000年)からの文化層があります。 -
BC1650-1200 ヒッタイト帝国時代
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BC1650-1200 ヒッタイト帝国時代
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アラジャホユク遺跡入口
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スフインクスの門(南門)
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下段の左
リュートを弾く男と手に小動物を乗せた男
真ん中
アクロバットなど祭りの様子 -
右側が正装した神官
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祭壇と牡牛の前で礼拝する王と王妃
オルスタットのオリジナルはアナトリア文明博物館にあります。 -
双頭の鷲
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初期青銅器時代(BC3000-2000) ヒッタイトの前、ハッティ族の時代の王族の墓が13基発掘されている。
大型家畜の頭と4肢、黄金や鉄製の短剣、青銅製の牛や鹿の小像、神具、黄金の王冠やネックレス、ブローチ、ブレスレットなど副葬品が多数。(アナトリア文明博物館とチョルム博物館にある。) -
アラジャホユク遺跡
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ここに西門があり、城外とつながるトンネル
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アラジャホユク遺跡
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アラジャホユク遺跡
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アラジャホユク遺跡
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アラジャホユク遺跡
この後遺跡入り口前にあるチャイハナでチャイをタクシードライバー・オゼルさん(Siddiek OZEL Tel 0.534 891 06 53)ごちそうになり、休憩。
しばし、前1285年ヒッタイト人達がラムセス?の軍を打ち破ったカデシュの戦い、帝国崩壊後の運命に思いを致すこととなりました。
カデシュは現シリアのホムス郊外にあります。
2008年に近くを通ったことがありますが、その時は気が付きませんでした。
(シルクロードの薔薇・パルミラ2泊、遺跡散歩(2008年4月http://4travel.jp/travelogue/10772810) -
アラジャホユクからの帰り道
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中央アナトリア平原
アンカラからコンヤまでの見渡す限りの大平原ではありませんが、ところどころになだらかな丘がある。あの丘の向こうにはまだまだ遺丘が眠っているのでしょうか。 -
タクシードライバー・オゼルさんは常に100キロで飛ばします。
来年また来るなら1日か2日雇ってくれ、今これからでもチョルムまでどうか、帰りのついでにヒッタイトダムまで20TL追加でどうか、と売り込みです。
翌日ホテルからスングルルオトガルまで50TLで乗せてくれ、朝食も差し入れてくれた。その後コンヤ2泊し、前7000年の集落跡であるチヤタルホユクをタクシーで訪問します。
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