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 金剛寺という必見スポットを発見し、なんとか主目標である弘川寺に着く。朝から雨だったので、9時過ぎ駐車場はがらがらであった。ここにくるまで309号線千早赤阪奈良の県境からの道を来たが、細い道で大変であった。このあたりの原風景を見たような気がした。できたらワールド牧場から入るほうが正解である。<br /> ここから妄想の世界に入る・・・<br /> 多分、土門入江両先生も撮っているのだろうが、桜の時期忙しいのだろう。若い案内の人が待っていた。いよいよ新キャラの登場だろうか。<br />「Bakanekoさんですね。」<br />20歳ぐらいの好青年である。<br />「佐藤です。今日はこれから雨は降りませんので傘はいいですよ」<br />まずは本堂から案内します。ということで案内される。<br /><br /> 弘川寺は、天智天皇の4年(665)に役行者が法華経二十八品に配して金剛・葛城の連山に28ケ所の霊場を開かれた随一で、大阪府史蹟指定の古名刹である。天武天皇白鳳5年(676)の夏、天皇は同寺に請雨の祈願を命じ、白鳳8年(679)の春行幸し、勅願寺となった。その後天平9年(737)には行基が同寺で修行し、弘仁3年(812)には弘法大師が嵯峨天皇の命によって中興され、密教の霊場と定められた。文治4年(1188)後鳥羽天皇が御病気の時、同寺の座主空寂上人は宮中に於て尊勝仏頂の法を修し回癒したので、その功により奥の院善成寺を建て、寺号の勅額を賜わった。また、歌聖西行法師が晩年の文治5年(1189)、空寂上人の法徳を慕って来、ここに居住し、翌年2月に73才で入寂された。寛正4(1463)年、河内国畠山氏の戦いの際、堂宇を焼失したが、本尊薬師仏、勅額などは兵火を免れ、今日に現存奉安している。<br />

南大阪桜紀行 その3 謎の案内人と弘川寺で桜を愛でる 「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」

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2015/04/11 - 2015/04/11

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bakaneko

bakanekoさん

 金剛寺という必見スポットを発見し、なんとか主目標である弘川寺に着く。朝から雨だったので、9時過ぎ駐車場はがらがらであった。ここにくるまで309号線千早赤阪奈良の県境からの道を来たが、細い道で大変であった。このあたりの原風景を見たような気がした。できたらワールド牧場から入るほうが正解である。
 ここから妄想の世界に入る・・・
 多分、土門入江両先生も撮っているのだろうが、桜の時期忙しいのだろう。若い案内の人が待っていた。いよいよ新キャラの登場だろうか。
「Bakanekoさんですね。」
20歳ぐらいの好青年である。
「佐藤です。今日はこれから雨は降りませんので傘はいいですよ」
まずは本堂から案内します。ということで案内される。

 弘川寺は、天智天皇の4年(665)に役行者が法華経二十八品に配して金剛・葛城の連山に28ケ所の霊場を開かれた随一で、大阪府史蹟指定の古名刹である。天武天皇白鳳5年(676)の夏、天皇は同寺に請雨の祈願を命じ、白鳳8年(679)の春行幸し、勅願寺となった。その後天平9年(737)には行基が同寺で修行し、弘仁3年(812)には弘法大師が嵯峨天皇の命によって中興され、密教の霊場と定められた。文治4年(1188)後鳥羽天皇が御病気の時、同寺の座主空寂上人は宮中に於て尊勝仏頂の法を修し回癒したので、その功により奥の院善成寺を建て、寺号の勅額を賜わった。また、歌聖西行法師が晩年の文治5年(1189)、空寂上人の法徳を慕って来、ここに居住し、翌年2月に73才で入寂された。寛正4(1463)年、河内国畠山氏の戦いの際、堂宇を焼失したが、本尊薬師仏、勅額などは兵火を免れ、今日に現存奉安している。

旅行の満足度
5.0

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  • 桜は、散り初めであろうか。しかし山桜は葉が先に出て花が咲くのでややこしい。

    桜は、散り初めであろうか。しかし山桜は葉が先に出て花が咲くのでややこしい。

  • 弘川寺縁起

    弘川寺縁起

  • さてここの名物隅屋桜

    さてここの名物隅屋桜

  • これです。<br />「佐藤さん。うれしそうに見てますねえ」<br />佐藤「わかりますか」

    これです。
    「佐藤さん。うれしそうに見てますねえ」
    佐藤「わかりますか」

    弘川寺 寺・神社・教会

  • 佐藤「Bakanekoさんセンターすぎますよ」<br />私「美的感覚がないので・・・佐藤さんにカメラを持たせたら・・・すごいんやろうな」

    佐藤「Bakanekoさんセンターすぎますよ」
    私「美的感覚がないので・・・佐藤さんにカメラを持たせたら・・・すごいんやろうな」

  • 私見ですが ここも近所まで住宅が押し寄せる。こじゃれた緑の多い庭を持つ住宅たちである。自然が多いところに住みたいと思う連中こそ、自然を破壊し地球を滅ぼす亡者どもである。都会に住むほうがまだ自然に優しい。<br />佐藤「人間どこにいっても何をしても馬鹿ですからねえ」

    私見ですが ここも近所まで住宅が押し寄せる。こじゃれた緑の多い庭を持つ住宅たちである。自然が多いところに住みたいと思う連中こそ、自然を破壊し地球を滅ぼす亡者どもである。都会に住むほうがまだ自然に優しい。
    佐藤「人間どこにいっても何をしても馬鹿ですからねえ」

  • 佐藤「さあ山に登りましょうか」<br />私「へっ・・・・山ですか」<br />佐藤「たいしたことはありません」

    佐藤「さあ山に登りましょうか」
    私「へっ・・・・山ですか」
    佐藤「たいしたことはありません」

  • 一番標高の高いところにある駐車場付近は、梅やら桜やら大変なことになっている。まだ山を登る。

    一番標高の高いところにある駐車場付近は、梅やら桜やら大変なことになっている。まだ山を登る。

  • かすかに霞が出る

    かすかに霞が出る

  • 早朝なら、もう少し霧がかかったようになっただろうが。入江先生ならどのように撮るのだろうか。

    早朝なら、もう少し霧がかかったようになっただろうが。入江先生ならどのように撮るのだろうか。

  • このあたりもどう撮れば、うまく撮れるかわからない

    このあたりもどう撮れば、うまく撮れるかわからない

  • 山桜いとおかし

    山桜いとおかし

  • 歩きながら、山桜を見る

    歩きながら、山桜を見る

  • どの程度カメラを引けばいいのか

    どの程度カメラを引けばいいのか

  • 駐車場の上に行くとこのような風景になります。<br />本来は、寺の境内から西行堂にいくのですが、<br />佐藤さんは、山道をどんどん進んでいきます。

    駐車場の上に行くとこのような風景になります。
    本来は、寺の境内から西行堂にいくのですが、
    佐藤さんは、山道をどんどん進んでいきます。

  • 西行法師を慰める為に、西行の墓のまわりに植えた桜がきれいに咲いています。

    西行法師を慰める為に、西行の墓のまわりに植えた桜がきれいに咲いています。

  • 佐藤「どこかの法師が西行をしたって、全山に桜を植えたようです」

    佐藤「どこかの法師が西行をしたって、全山に桜を植えたようです」

  • やっと道に遭遇。それまで泥に滑りながら、道なき道を行ったので皆さんは、境内から行くことを勧めます。

    やっと道に遭遇。それまで泥に滑りながら、道なき道を行ったので皆さんは、境内から行くことを勧めます。

  • この似雲が桜を植えたそうです。<br />佐藤「奇特な人ですね」

    この似雲が桜を植えたそうです。
    佐藤「奇特な人ですね」

  • 似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門。安芸国の出身。<br /><br /> 1709年(宝永6年)安芸宮島の浄土真宗光明院で出家し、法号は初め如雲と称したが、のちに似雲(西行の好んだ桜のことか)に改めている。翌1710年(宝永7年)上洛して、歌道を公家の武者小路実陰に学び、実陰の歌論を書き取って『詞林拾集』と著している。公家の実陰を通し公家や皇族とも親交があり、とくに歌人である一乗院宮尊賞親王とは親しかった。<br /> 平安時代後期の歌僧である西行を慕って諸国をめぐり、河内国の弘川寺に西行塚があるのを見つけ、西行堂を建立している。また、似雲も西行と同じく、弘川寺に葬られている。<br />歌集に『としなみ草』がある。<br /><br />

    似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門。安芸国の出身。

     1709年(宝永6年)安芸宮島の浄土真宗光明院で出家し、法号は初め如雲と称したが、のちに似雲(西行の好んだ桜のことか)に改めている。翌1710年(宝永7年)上洛して、歌道を公家の武者小路実陰に学び、実陰の歌論を書き取って『詞林拾集』と著している。公家の実陰を通し公家や皇族とも親交があり、とくに歌人である一乗院宮尊賞親王とは親しかった。
     平安時代後期の歌僧である西行を慕って諸国をめぐり、河内国の弘川寺に西行塚があるのを見つけ、西行堂を建立している。また、似雲も西行と同じく、弘川寺に葬られている。
    歌集に『としなみ草』がある。

  • 佐藤「これが西行の墓です。古墳のようなものですか」

    佐藤「これが西行の墓です。古墳のようなものですか」

  • これが西行法師の石碑、墓といったほうが良いのでしょうか。<br />佐藤「これじゃあ、西行さんも墓から出て、あちこち動かないとみれないですね」と笑う。

    これが西行法師の石碑、墓といったほうが良いのでしょうか。
    佐藤「これじゃあ、西行さんも墓から出て、あちこち動かないとみれないですね」と笑う。

  • 西行墳のアップ

    西行墳のアップ

  • 木々に埋もれる。しかし夜は寂しいのではないか。<br />佐藤「静寂は安住ですよ」

    木々に埋もれる。しかし夜は寂しいのではないか。
    佐藤「静寂は安住ですよ」

  • 西行墳を背にして

    西行墳を背にして

  • 墓を降りて<br />佐藤「これを降りたら、西行堂、その下は本堂です。」<br />にやっと笑い、<br />「人の動きと逆行してしまいました。これもおもしろし」

    墓を降りて
    佐藤「これを降りたら、西行堂、その下は本堂です。」
    にやっと笑い、
    「人の動きと逆行してしまいました。これもおもしろし」

  • 振り向くとええ感じです。この右手に西行墓があります。

    振り向くとええ感じです。この右手に西行墓があります。

  • 静寂と寂寞というのか人も少なく鶯だけが鳴きます。

    静寂と寂寞というのか人も少なく鶯だけが鳴きます。

  • 佐藤「これが西行堂です。似雲法師が建てたそうです。」

    佐藤「これが西行堂です。似雲法師が建てたそうです。」

  • ワンルームだろうか・・・ここでは西行法師もピザの宅配はたのめんだろう・・・

    ワンルームだろうか・・・ここでは西行法師もピザの宅配はたのめんだろう・・・

  • 薄暗い林の中から下界を望む。下司い住宅が並ぶなか、かつての風景を思いたたずむ。

    薄暗い林の中から下界を望む。下司い住宅が並ぶなか、かつての風景を思いたたずむ。

  • 佐藤「さあ行きましょうか」

    佐藤「さあ行きましょうか」

  • 本堂に戻ってきました。

    本堂に戻ってきました。

  • 私「佐藤さんまたへらへら笑ってますよ」<br />佐藤「桜いいっすねえ。最高だわ」<br />私「佐藤さん 桜マニア?」

    私「佐藤さんまたへらへら笑ってますよ」
    佐藤「桜いいっすねえ。最高だわ」
    私「佐藤さん 桜マニア?」

  • この山桜もいい

    この山桜もいい

  • しばらく佐藤さんと惚けたように山桜を見る

    しばらく佐藤さんと惚けたように山桜を見る

  • 現物はもっといい。ここに霧が来ればパーフェクト

    現物はもっといい。ここに霧が来ればパーフェクト

  • 佐藤「ならひありて 風さそふとも 山桜 尋ぬるわれを 待ちつけて散れ<br />」 <br /><br />訳 風に散るのが桜のならいではあるが、風が「散れ、散れ」と誘っても、山桜よ、桜を尋ねて訪れる私が行くのを待って、その後で散るようにして欲しい。<br /><br />私「佐藤さん、欲が深すぎでっせ。欲が深いと世の中大変です。出家でもせなあかん様になりまっせ。<br /> それと佐藤さんは趣が深くてしかも心に訴えるものがことさらに深いから、めちゃすごい傑出した人だろうと思っている。生まれながらにしての歌詠みの人なのだと感じいった。志なくぼんやりとした歌を習う人が習うべき歌ではない。やっぱり説明のできないほどの歌の名手なんや。」

    佐藤「ならひありて 風さそふとも 山桜 尋ぬるわれを 待ちつけて散れ
    」 

    訳 風に散るのが桜のならいではあるが、風が「散れ、散れ」と誘っても、山桜よ、桜を尋ねて訪れる私が行くのを待って、その後で散るようにして欲しい。

    私「佐藤さん、欲が深すぎでっせ。欲が深いと世の中大変です。出家でもせなあかん様になりまっせ。
     それと佐藤さんは趣が深くてしかも心に訴えるものがことさらに深いから、めちゃすごい傑出した人だろうと思っている。生まれながらにしての歌詠みの人なのだと感じいった。志なくぼんやりとした歌を習う人が習うべき歌ではない。やっぱり説明のできないほどの歌の名手なんや。」

  • 佐藤「山桜魅せますねえ・・・」

    佐藤「山桜魅せますねえ・・・」

  • この時期のここの風景は驚嘆すべきものがあります

    この時期のここの風景は驚嘆すべきものがあります

  • 竹と桜 一度撮ってみたかったのです。

    竹と桜 一度撮ってみたかったのです。

  • 佐藤「西行記念館にいきましょうか」

    佐藤「西行記念館にいきましょうか」

  • 佐藤「ここです。昔の河内の風情が残っているでしょう。昭和40年台まではこんな風景ばっかりでした」

    佐藤「ここです。昔の河内の風情が残っているでしょう。昭和40年台まではこんな風景ばっかりでした」

  • かいどうは、まだ5分咲きでした。

    かいどうは、まだ5分咲きでした。

  • 私好みの額縁撮影です。

    私好みの額縁撮影です。

  • 佐藤「ここが西行記念館です。」 <br />

    佐藤「ここが西行記念館です。」

  • もっと青空が欲しい。<br />ここの桜は、すばらしく何枚も撮ってしまいました

    もっと青空が欲しい。
    ここの桜は、すばらしく何枚も撮ってしまいました

  • 砂摺り桜とでも言うのでしょうか

    砂摺り桜とでも言うのでしょうか

  • 青空が出ないと画になりにくい

    青空が出ないと画になりにくい

  • 私「佐藤さんにこにこしていますねえ」<br />佐藤「ほんまに桜いいっすねえ」

    私「佐藤さんにこにこしていますねえ」
    佐藤「ほんまに桜いいっすねえ」

  • 西行記念館の桜は見事といえます。砂に這うような形です。

    西行記念館の桜は見事といえます。砂に這うような形です。

  • この砂摺りの桜。

    この砂摺りの桜。

  • 西行直筆という

    西行直筆という

  • 西行像です

    西行像です

  • この一本の桜でここまで撮ってしまいました。<br />佐藤「bakanekoさん酔狂ですね。その姿勢ええですよ」<br />私「才がないゆえ苦労します」

    この一本の桜でここまで撮ってしまいました。
    佐藤「bakanekoさん酔狂ですね。その姿勢ええですよ」
    私「才がないゆえ苦労します」

  • 記念館を出てさらに30分くらい撮っていました。

    記念館を出てさらに30分くらい撮っていました。

  • 私「ところで佐藤さんは大阪出身?」<br />佐藤「生まれは和歌山。」

    私「ところで佐藤さんは大阪出身?」
    佐藤「生まれは和歌山。」

  • 人がたくさん来ましたが、その合間を縫って撮ります。<br />佐藤「好きですねえ。趣味人ですね」

    人がたくさん来ましたが、その合間を縫って撮ります。
    佐藤「好きですねえ。趣味人ですね」

  • 向きを変えて<br />私「ところで佐藤さんは、何のお仕事を?」<br />佐藤「警備関係です」<br />私「はあ。大変ですね」<br />佐藤「いやいや。人間関係が大変ですわ。」

    向きを変えて
    私「ところで佐藤さんは、何のお仕事を?」
    佐藤「警備関係です」
    私「はあ。大変ですね」
    佐藤「いやいや。人間関係が大変ですわ。」

  • いくら撮っても満足できません

    いくら撮っても満足できません

  • そろそろこの桜も見納めです。来年良い天気なら来たいと思います。その前に桜の紅葉かも

    そろそろこの桜も見納めです。来年良い天気なら来たいと思います。その前に桜の紅葉かも

  • さあ撤収です。ここで佐藤さんの携帯が鳴る。<br />佐藤「トバさんが歌するから来いって?いま河内やから京都まで時間かかるで。大阪へいっぺんでてから阪急で行くわ」

    さあ撤収です。ここで佐藤さんの携帯が鳴る。
    佐藤「トバさんが歌するから来いって?いま河内やから京都まで時間かかるで。大阪へいっぺんでてから阪急で行くわ」

  • 私「佐藤さん京都でカラオケでっか」<br />車で佐藤さんを富田林まで送ることにします

    私「佐藤さん京都でカラオケでっか」
    車で佐藤さんを富田林まで送ることにします

  • 私「いやー今日はありがとうございました。この桜並木もええですなあ」<br />佐藤「bakanekoさんも桜好きやねえ。」<br />私「吉野も行きたいんですよ。案内お願いします。<br />願はくは花の下にてまた会わん やよいの頃の吉野山にて」<br />佐藤「了解。これからノリって呼んでください」<br />私「ええですが、何でですか。」<br />佐藤「下の名が義清(のりきよ)なんですよ。じゃまた電話ください」<br />ということでした。

    私「いやー今日はありがとうございました。この桜並木もええですなあ」
    佐藤「bakanekoさんも桜好きやねえ。」
    私「吉野も行きたいんですよ。案内お願いします。
    願はくは花の下にてまた会わん やよいの頃の吉野山にて」
    佐藤「了解。これからノリって呼んでください」
    私「ええですが、何でですか。」
    佐藤「下の名が義清(のりきよ)なんですよ。じゃまた電話ください」
    ということでした。

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