2015/03/09 - 2015/03/18
34位(同エリア602件中)
YUMEさん
今回の旅では、世界遺産の数が世界一を誇るイタリアの文化遺産、遺跡、美術品、建築物、風土、イタリア人に触れることにあります。
所要日数は10日間で主要な中世の街を訪れる旅行の記録です。
これから行かれる方の参考になればと思います。
(日程)
①3月9日(月):出発 成田発14:10(AZ0785便)アリタリア航空直行便
所要時間:約12時間50分
到着 ローマ(19:00)→ナポリ(22:00)
バス移動 所要時間:約3時間(約216km)
宿泊 HOLIDAY INN NAPLES
②3月10 日(火) : 出発(ナポリ発07:00)朝食:イタリア式お弁当
午前:カリブ島街歩き&青の洞窟観光
高速船 所要時間:約45分(船)
昼食:カプリ島 島内レストラン
午後:マテーラ街歩き
バス移動 所要時間:約3時間40分(約250km)
宿泊:アルベロベッロ;GRAND HOTEL OLINPO
バス移動 所要時間:約1時間30分(約70km)
③3月11日(水)出発 (ホテル発07:45)
午前:徒歩、アルベロベッロの街歩き
昼食:カンデーラのレストラン(11:30~12:30)
午後:アマルフィー観光
バス移動 所要時間:4時間半(約316km)
ナポリへバス移動 所要時間:2時間(約70km)
ローマへ移動(ユーロスター)所要時間:1時間10分
宿泊:ローマ;MERIA AURELIA ANTICA
アマルフィー;
アマルフィの起源は実は古く、古代ローマ時代までさかのぼります。海に面していた上、海岸線が入り組んでいたため、外敵の進入を防ぐのに適していました。839年にはナポリ公国から独立してアマルフィ公国となって、さらに勢力を広げ、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配するまでに至りました。その後、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの海洋都市国家が力を付け、ピサ人の侵略やノルマン、フランス、スペインなどの外国勢力よる支配も続きアマルフィの繁栄は終焉を遂げます。不運なことに1343年の嵐では津波により都市の大部分が破壊され、地盤沈下により土地が海中に沈んでしまいました。現在はその温暖な気候、美しい街並み、風光明媚な景色で世界中の人々を魅了し、イタリアで屈指のリゾート地として名をはせています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
海岸中央桟橋
アルベロベッロから途中のランチタイムを挟んで名高い風光明媚なアマルフィーの海岸までやってきました。到着したのは例によって夕方なので急いで自由解散となります。そこで桟橋の先端まで走り街全体を眺めることにしました。アマルフィ海岸 海岸・海
-
海岸中央桟橋
ここアマルフィーの商人はイタリアに始めて製紙技術を伝えその活躍はめざましかったようです。山には紙つくりに欠かせない清流が流れていて、木綿を使った最高級の紙の産地としても有名だったようです。このアマルフィーペーパーは、丈夫で品質が良いので好んで公文書や高級な本に用いられ、かつてはこの街には製紙工場がたくさん立ち並んでいたようです。(これは帰国後に残念ながら気づきました。)アマルフィ海岸 海岸・海
-
海岸東側(向かって右側)
ナポリの南、カンパーニア州にあるソレントからサレルノまでの全長40キロの海岸線は、コスティエラ・アマルフィターナ(Costiera Amalfitana)と呼ばれ、世界でもっとも美しい海岸線と言われています。
ティレニア海、ソレント湾を望む入り組んだ海岸は、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。アマルフィ海岸 海岸・海
-
海岸東側(向かって右側)
海岸線には美しい町が点在しています。切り立った崖に張り付いたような町はとてもかわいらしく、まるで海に落ちないように踏ん張っているかのようです。
西のソレントから東のサレルノにかけて、ポジターノ(Positano)、プライアーノ(Praiano)、フローレ(Furore)、アマルフィ(Amalfi)、ラヴェッロ(Ravello)、ミノーリ(Minori)、マイオーリ(Maiori)、ヴィエトリ・スル・マーレ(Vietri sul Mare)と珠玉の町が続いています。
途中アマルフィの西にあるコンカ・デイ・マリーニ(Conca dei Marini)の近くにはエメラルドの洞窟(Grotta di Smeraldo)という美しく奇妙な洞窟もあります。アマルフィ海岸 海岸・海
-
海岸西側(向かって左側)
急カーブが続く海岸線は道がとても狭く、バスで行くと窓から下は断崖絶壁という光景が味わえます。慣れた地元のドラーバーは狭いカーブ手前ではクラクションを鳴らして勢いよく走り抜けます。海側の席に座るとジェットコースターに乗っている気分が味わえるでしょう。怖くなるような崖と美しいコバルトブルーの海を見ることができます。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Piazza Flavio Gioia(フラヴィオ・ジョイア広場)
ヨーロッパで最初に羅針盤を使用したのがアマルフィーですが、それを発明したのがフラヴィオ・ジョイアで彼の銅像です。
噴水の海側の駐車場の地下に有料トイレがあります。アマルフィ海岸 海岸・海
-
聖アンドレアの泉(Fontana di Sant'Andrea)
ドゥオモ広場(Piazza Duomo)西側にある1760年に作られた噴水です。中央上部に斜め十字を背にし、左手に福音書を抱いた聖アンドレア(Sant'Andrea Apostolo)の像があります。アマルフィの守護聖人アンドレアはキリストの12使徒のひとりで、ヨハネ(Gionvanni)とともに最も早くキリストに付き従ったとされる漁師と船乗りの守護神です。
ポポロ(市民・民)の泉(Fontana del Popolo)とも呼ばれる噴水は当初、大階段下あたりにあったが19世紀末に移設されてます。アマルフィ 散歩・街歩き
-
アマルフィーの街風景
観光地だけありレストランやホテルや薬局等の親切な案内があります。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
大聖堂を背に右側の通りを歩いて行くと両側に土産物屋やレストランが並んでます。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
ひときわ目立つ黄色の瓶がレモンのリキュールのレモンチェロです。
カプリで少し飲みましたが色のイメージとは異なり度数の高い強烈な感じです。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
レモンチェロを中に入れた甘いお菓子もあります。(中段左側)
レモンチェロボンボン風です。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
ハムやチーズ等様々な物を販売するスーパーマーケットです。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
陶器製品専門店、レモンのデザインがさすがに多いです。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Lorenzo D'Amalfi(ロレンツオ・ダマルフィー通り)
まっすぐ歩いて左側に大聖堂があります。
建物の壁にオシャレな街灯がついています。アマルフィ海岸 海岸・海
-
ポルターマリーナ 海の門(旧市街入口)
この通りをまっすぐ行くと海岸の通り(Via Matteo Camera)に出ます。アマルフィ海岸 海岸・海
-
聖アンドレア大聖堂 /(Cattedrale di Sant'Andrea)
:アマルフィのドゥオーモ(Duomo di Amalfi)
987年に立てられた当時は三廊式の二つの教会がありましたが、13世紀始めに一つの教会へと改築され、珍しい五廊式の教会となりました。
大聖堂は町の守護聖人聖アンドレアが祀られていて、地下クリプタ(Cripta:地下聖堂)には聖人の遺骸も納められています。ドゥオモ広場の噴水も聖アンドレアの像となっています。
金色に輝くファザードは新ゴシック様式で、隣の鐘楼との調和を考慮しながら、19世紀にEnrico Alvinoによって作り直されました。夕暮れ時になるとファザードが金色に輝くため、別名「黄金のドゥオモ」とも呼ばれています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
イチオシ
聖アンドレア大聖堂 /(Cattedrale di Sant'Andrea)
ファサード (facciata)
アマルフィの景観を代表する現在のファサードは、1861年に崩壊したバロック様式のものに代えて、1891年に新たに作られたものです。
ファサードの下部にはゴシック様式の壁がんに12使徒(Dodici Apostoli)がそれぞれ描かれています。ファサードの屋根は修復の時期の違いのためか、左右で勾配が異なっています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
イチオシ
聖アンドレア大聖堂 /(Cattedrale di Sant'Andrea)
ファサードの破風には、ヨハネ黙示録に由来するキリストとその前にひれ伏す者たちの姿が、ドメニコ・モレッリ(Domenico Morelli)によるモザイクで描かれています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
聖アンドレア大聖堂 /(Cattedrale di Sant'Andrea)
大聖堂の玄関廊は、尖塔アーチでゴシック様式の列柱回廊になっています。
アトリウム (Atrio)
正面の大階段からつながるアトリウム(柱廊玄関)は、13世紀初めに増築されたものです。アトリウムの正面は、ムーア様式のアーチが大理石の細い柱に支えられた美しい構図をなし、内壁は二色の凝灰岩のブロックで造られています。
柱廊内部の壁には、ドメニコ・モレッリの弟子、パオロ・ヴェトリ(Paolo Vetri)による、キリストと聖アンドレアを示す福音書の場面のフレスコ画があります。聖堂内部へ入る中央の入口は人物像と花柄の幾何学模様で飾られた大理石の扉口に、1060年コンスタンチノープルで鋳造された青銅の扉が嵌めこまれています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
聖アンドレア大聖堂 /(Cattedrale di Sant'Andrea)
大聖堂正面の玄関中央
中央のブロンズの扉はコンスタンティノープル(Constantinopolis / Κωνσταντινούπολις )で鋳造され、イタリアへと運ばれ、1065年に取り付けられたと言われています。アマルフィの有力貴族パンタレオーネから寄附され、当時の海運共和国アマルフィの財力と力の象徴です。
中央で4つに区分された装飾で注目に値し、ギリシャ語で頭文字の書かれたキリストと聖マリア、ラテン語で書かれた聖ピエトロと聖アンドレアの素晴らしいビザンチン様式の4つの人物像があったそうです。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年)
入り口。ドゥオモを見学するにはまず天国の回廊から見ることになります。
入場料は5ユーロです。
1266〜1286年の間にアマルフィーも貴族達、上流階級市民のための墓地として建設されました。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年)
見事な回廊が巡る中庭はまさに「天国」といえるほど神秘的で、白い柱廊と、庭の緑のコントラストがまぶしい。この緑の庭園は地中海風に造られています。天国の回廊 寺院・教会
-
天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年)
この回廊には、アラブ様式の120本もの列柱が美しい装飾と共にあり訪れた者を惹き付けます。天国の回廊 寺院・教会
-
天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年)
壁面の交差した曲線はやがてまとまり規則性のある列柱にまとまっています。天国の回廊 寺院・教会
-
天国の回廊(Chiostro del Paradiso, 1268年);鐘楼 (Campanile、1180年〜1276年)
鐘楼は1180年より建設が始まり完成するまで100年以上かかりました。4つの小さな塔を含む鐘楼はムーア様式、イスラーム建築様式となっておりマジョルカ焼きのタイルで装飾され、下のロマネスク様式とは好対照です。また鐘楼は戦争時は見張り台の役割も担っていたそうです。天国の回廊 寺院・教会
-
小礼拝堂
当初は三廊式の構造でしたが、山側の側廊は天国の回廊を建設する際に取り壊され、中央の広い身廊と海側の側廊が残されています。身廊の山側には13世紀から14世紀のフレスコ画が描かれた2つの礼拝堂が並んでいます。
写真は1250年〜1300年にかけてジョットー様式を広めカンパーニアで活躍していた芸術家ロベルト・ドデリージョの作品の小礼拝堂。
キリスト、聖母マリア、ヨハネ、マクダラのマリア、アンジュー家の武具を備えた兵士達、そして良い悪党の魂を受け取る天使達が描かれています。
古い初期キリスト教会跡の壁、中世のフレスコ画で、中には顔だけが削り取られている画もあります。天国の回廊 寺院・教会
-
十字架上のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)
この聖堂が596年に創建されて、当時はここが大聖堂とされていました。
後に、バロック様式に改築されましたが、1994年に完了した修復により元のロマネスク様式へ復元されました。
この聖堂は、現在では、司教冠や聖杯、聖遺物箱等の、教会に縁のある展示物を陳列した博物館となっています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
ドゥオモ博物館(Museo Diocesano)
十字架上のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)
1994年に終了したこの聖堂の修復で、バロック様式の外観を排除し、ほれぼれするほど美しい光を通し拡散する尖塔アーチ窓のついたビザンチン様式となりました。女性と子供用の歩廊といった中世の構造上目立った重要部分が復元されています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
高位聖職者が制式に儀式を執り行うときにかぶるミトラ(冠)などをはじめ、カトリックの儀式ではイエスの血を表す赤ワインをいれるカリス(聖杯)など、数点の展示物があります。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
聖体顕示器、この聖体顕示器は銀とイエスから流れ出た血をおのめかすようなルビー色のガラスが本来飾られていた18世紀の物です。(中央の丸い部分)アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
アンジュー家の司教冠と13世紀の聖杯、司教冠は1297年にナポリのアンジュー朝によって実現された素晴らしい宝飾細工です。王チャールズ2世の息子でありトゥールルーズの司教であったルドヴィーコにあてられてます。金、色々な宝石、ユリの紋章の飾られた追う簡易約2万粒の真珠が豪華に装飾されている中世時代類まれな王の作品です。
奥右に見えるのが切り子面を刻んだ価値ある宝石で装飾された八画形の美しい聖杯です。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
正面の金製の7体は未確認。(上段中央は聖マリア?)
写真右の小さな箱と奥の大きな箱は、14世紀後半から15世紀後半にかけてジェノヴァのエンブリアーキ家の工房で造られた牛骨製の聖遺物箱。
奥の大きい箱は、豪華で装飾も華美で、聖コズマと聖ダミアーノ(聖コスマスと聖ダミアス、2人はおそらく双子の兄弟で、伝説ではシリアで学び,キリキアで内科医として活躍し、治療費をとらず奉仕活動をして多くの人々がキリスト教に改宗したようです。後にキリスト教徒の大迫害で皇帝の命により打ち首にされてます)の人生と殉教の場面の装飾がされています。
彼らの聖遺物がこの箱の中に含まれているようです。
小さい箱は地下聖堂の中にあったもので聖なる液体マンナを保存していたようです。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
聖杯アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館(Museo Diocesano)
聖アンドレア(Sant'Andrea's bronze statue);聖アンドレアの祭り(La Festa di S. Andrea)があります。毎年6月27日と11月30日、アマルフィと沿岸の守護聖人、聖アンドレア(Sant'Andrea)の偉業を祝した祭がある。1544年の海賊赤ひげ(Barbarossa)の追討とイスラム軍(Saraceno)に対する大勝利への聖人の多大な加護を記念して始められました。
かつてはドゥオモ広場の泉に立つ聖人像(Fontana di S. Andrea)の下に、漁師たちが獲れたての魚で一杯の籠を置き市民に無償で振舞っていましたが、近年は銀細工や木製の小さな魚が聖人像の左手に吊り下げられるようになりました。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館
大司教アンドレア・デ・パレアレアの遺体を納めた大理石の石棺?アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂 博物館
単純な木製の枠で屋根を支えてますアマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
旧聖堂の側廊?
人物不明アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂(Cripta)
地下礼拝堂はアマルフィーの心臓です。なぜならここにイエスの初めての信徒である聖アンドレアの頭と骨が保存されているからです。
聖アンドレアが祀られている地下祭壇は贅を尽くした大理石の装飾で埋め尽くされていて圧巻です。神聖な雰囲気と豪華な装飾が重々しくのしかかってきます。
豪華でエレガントな化粧しっくいに散りばめられたイエスの受難の場面などが描かれた1660年のフレスコ画です。美しいアーチ型ヴォールト式天井です。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
イチオシ
地下礼拝堂(Cripta)
アマルフィのドゥオーモ(Duomo di Amalfi)の地下礼拝堂は、このドゥオーモの名称(聖アンドレア大聖堂 / Cattedrale di Sant'Andrea)にもなっているアマルフィ(Amalfi)の守護聖人で、イエスの初めての使徒でもある、聖アンドレア(Sant'Andrea Apostoro)の聖遺物を納めるクリプタ(Cripta)です。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂(Cripta)
アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂(Cripta)
中央祭壇はドメニコ・フォンターナによる大理石の祭壇です。
筋骨隆々とした、逞しげな聖アンドレアの彫像で、作者の師匠であるミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)作のモーゼを彷彿とさせます。この像は弟子のナッケリーノ・ミケランジェロ(Michelangelo Naccherino)という彫刻家により、1604年に彫られた作品です。2.36メートルの高さで800kgの重さがあります。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂(Cripta)
アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂(Cripta)
この地下礼拝堂は13世紀に造られています。ロシアまで広がるほどギリシャで福音を説いていた信徒アンドレアはパトラスで十字架にかけられます。彼の遺体はコンスタンティノーブルに運ばれ、続いて4番目の十字軍聖戦時、枢機卿ピエトロ・カプリアーノのよってアマルフィーに運ばれます。1208年5月8日に街の人々から祝典とともに聖アンドレアの遺体が迎えられ、同枢機卿によって造られた地下聖堂に隠されます。今日の地下礼拝堂は、1600年にスペイン王フェリペ?世(Filippo III di Spagna)によって、バロック様式で修復されたものです。
祭壇の真後ろには聖アンドレアの聖遺物(頭蓋骨)を納めた入れ物があります。
巡礼者には箱を開けて祈りを捧げるようです。その他の骨は祭壇の下に保存され、大きな大理石の平板で覆われています。
クリスタルの小瓶が埋葬地の上部に置かれており、そこに聖アンドレアの祭日の前夜とその他の特別な状況にみられる聖なる液体マンアが集められます。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
地下礼拝堂を出ると、再び階段となり、大聖堂へと至ります。
十字架に架けられたイエスの像に見守られつつ、一歩一歩踏みしめて階段を上ります。階段を上りきった正面を右へ曲がると、大聖堂です。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
987年、総督マンソーネ1世(Mansone I)によって建てられた。当初は内部を円柱で区切られた3廊式の建築構造でしたが、旧聖堂と接続することにより、6つの身廊をもつ広大で特異な構造となっています。
ちょうど多くの学生が大聖堂を見学にきていました。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
後陣。1712年に完成した主祭壇にはポジターノ(Positano)のサンタマリア・アッスンタ教会(Ch.di S.Maria Assunta)の前身であったサンタマリアとサンヴィート修道院(Abbazia di Santa Maria e San Vito)の古い祭壇の大理石が使われ、側面の17世紀の説教壇には12世紀の説教壇のモザイクが利用されています。祭壇正面の聖アンドレアの十字架上の聖アンドレア、殉教(Martirio del S.Andrea)画と、後陣の小ドームのフレスコ画は1715年のデル・アスタ(Del Asta)の作品です。
パエストゥムからの御影石でできた壮大な古代の柱がありアプシスの凱旋門を支えています。(奥)アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
ドゥオモの内部は18世紀に改築されたバロック様式。細かい装飾と金色がふんだんに使われていて豪華絢爛な造りとなっています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
パイプオルガン。右側にイエスの生誕の場面を再現したプレセーピオ(Presepio)がありますが撮影してません。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
大聖堂の側廊。左右の側廊には10の小礼拝堂があり、17〜18世紀の宗教画とさまざまな時代の大理石や木製の彫像が配されています。左の側廊の礼拝堂の間には壁に塗りこめられた2つの扉の跡があり、中世にはここが旧聖堂に接続されていました。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
奥左手の側面に見えている四角がプレセーピオです。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
聖マリアアマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
イエスアマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
主祭壇の両脇には12〜13世紀に造られた説教壇と燭台が置かれています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂 (Duomo)
正面にある57段の石段に大分建物の陰が落ちて夕方になりました。
同じく見学の学生たちは石段でまだ休憩しています。アマルフィ ドゥオーモ 寺院・教会
-
大聖堂は複雑な構造と多彩な建築様式が、建設と改装修復、再現に関わるアマルフィの宗教的、文化的な歴史を物語っていました。この感慨深い大聖堂をあとにしてバスの待っている駐車場に向かいます。
アマルフィ海岸 海岸・海
-
Piazza Flavio Gioia(フラヴィオ・ジョイア広場)
海岸駐車場に戻りました。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Piazza Flavio Gioia(フラヴィオ・ジョイア広場)
右側が駐車場でさらに右は海岸となります。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Piazza Flavio Gioia(フラヴィオ・ジョイア広場)
中央の海岸に面したところにはホテルがあります。
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g187780-d316804-Reviews-Residence_Hotel-Amalfi_Amalfi_Coast_Campania.htmlアマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Matteo Camera(マテオ・カメラ通り)
海から見て海岸の中央から右手、桟橋から右手の方まで歩いてきています。アマルフィ海岸 海岸・海
-
Via Matteo Camera(マテオ・カメラ通り)
同じく右手の方にきています。アマルフィ海岸 海岸・海
-
アマルフィー海岸
小さな子供が追いかけっこをして遊んでいます。アマルフィ海岸 海岸・海
-
アマルフィー海岸
海岸に降りて来た方向を眺めてます。カプリ同様透明度の高い海岸でゴミも全く落ちてません。アマルフィ海岸 海岸・海
-
アマルフィー海岸
バスが通って来た方向の山の上の道を眺めます。
上の方まで建物が建っています。 -
アマルフィー海岸
バスの駐車場を出発して、ポジターノ方面に向けて、ナポリに向けて移動します。
すっかり夕方になり西に太陽が沈みつつあります。 -
やっと車同士がすれ違いができる狭い海岸沿いの道を上って行くと夕陽は海に沈む直前です。
アマルフィーに来てみて、今まで映画「アマルフィー 女神の報酬」のロケ地とかガイドブッルに取り上げられた「世界で最も美しい海岸」のイメージだけがついていました。
実際に訪れてみて、大聖堂はアマルフィの歩んだきた歴史と栄華が色濃く凝縮された貴重な建築、交易のあったビザンチン(Bizantino)、イスラム(Saraceno)からの影響を受けた建築であり、長い歴史を刻んで来た建築であることをつくづく実感しました。
大聖堂は時代と文化の背景が構造や様式に反映された、宗教建築の複合体と考えたほうが良いのかもしれません。聖アンドレの遺骨がこの地で眠り、世界中から多くの巡礼者がこの地に来ることは、単に風光明媚な美しい海岸であるだけではないことを表しているのではないでしょうか?大聖堂を訪れキリスト教の歴史やアマルフィーが海洋王国の覇者として栄えた歴史の一端に触れたことはまさに大きな収穫であったように思います。
これからナポリ駅に向かい一行は高速鉄道ユーロスター、イタローで永遠の都ローマに向かいます。そこで思いも寄らぬアクシデントが起こります。
⑥ローマの休日に続きます。 -
アマルフィー散策地図
提供クラブツーリスム
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
-
- たらよろさん 2015/06/04 12:37:05
- アマルフィ☆
- こんにちは、YUMEさん
アマルフィ、日本では某映画で有名になりましたよね〜
やっぱり、アマルフィといえば、
この断崖と海岸線。。。。
路地を囲むようにあるお店とか、
海を見渡すカフェとか、、、
素敵な町並みを臨めるって感じだけれど、
建築物や美術品など、やっぱりそういうのも楽しめるんですね〜
さすが、美術の宝庫、イタリア☆
海風を感じつつ、、、、
レモンチュッロを生かしたドリンク飲みたいな〜
後、風景を楽しみながら泳ぎたいなぁ〜〜(笑)
たらよろ
- YUMEさん からの返信 2015/06/04 14:00:55
- : アマルフィ☆ はへんぴな高級リゾート地
- たらよろさん
お元気でお過ごしですか?
今日の関東地方は北風が吹いて爽やかな快晴の気持ちの良い日になっています。
仕事しているなんてもったいないお天気です。
>
> アマルフィ、日本では某映画で有名になりましたよね〜
> やっぱり、アマルフィといえば、
> この断崖と海岸線。。。。
> 路地を囲むようにあるお店とか、
> 海を見渡すカフェとか、、、
> 素敵な町並みを臨めるって感じだけれど、
> 建築物や美術品など、やっぱりそういうのも楽しめるんですね〜
> さすが、美術の宝庫、イタリア☆
アマルフィー近辺にはとても広い庭のある高級ホテルがいっぱいあるみたいです。
船からも一部見えましたが、見えないところにも庭にギリシャ彫刻をあしらった見晴らしの良いホテルがあります。
昼間の景色も素晴らしいですが、夜もともし火があるベランダや庭から見た景色も素晴らしいものがあります。
大聖堂周辺では美術品を見たので今度は断崖の上のホテルに一泊してみたいと思います。
高くて無理な場合にはランチだけかな?
何せ行きたいと思ったホテルは一泊15万から30万で、庶民にはとても手が出ません。世界のセレブしか泊まれないですね。
>
> 海風を感じつつ、、、、
> レモンチュッロを生かしたドリンク飲みたいな〜
> 後、風景を楽しみながら泳ぎたいなぁ〜〜(笑)
時期を間違わなければ非常に良いところで「たらよろさん」ばっちしお似合いの場所だと思います。
ホテルの庭でパラソルのしたでゆったりしている姿やオープンカーに乗ったがたらよろさんの姿が想像に浮かびます。是非、先に行かれ体験しブログ化して下さい。
私のほうはチョイ前に宮崎県高千穂峡を制覇したので残る2県の鹿児島県と和歌山県の旅が先かもしれません。
夢
-
- 白い華さん 2015/05/29 06:17:20
- 「南イタリア・・・らしい! アマルフィ散策」は、 晴れ。。。
- お早う御座います。
「マテーラ & アルベロベッロ」の 奇岩の 町めぐり!を 後・・・にし、やって来た! 『 世界遺産 アマルフィ海岸 』 は、狭〜い! バスのすれ違い・・・も、怖い、印象が ありました。が、
「わざわざ・・・訪れる。価値が ある」と 思える、私も、お気に入り!の 場所・・・です。
YUMEさん、まず・・は、「海辺!の 最先端(防波堤)に 立ち、町を 眺めた」のですね〜。
迫りくる! 岩山・・・に、へばりつくみたい!に 建っている家々。
迷路みたい・・・な アマルフィ・タウンを 「ワクワクしながら、歩いた」のを 思い出し、
ーーー南イタリア・・・良かったなぁ〜。と 感慨にふけってしまう!私です。 (笑)
大聖堂は、入場せず・・・、ひたすら、町歩き!と なりました。ので、
YUMEさんの、旅行記を 拝見して、「大聖堂の 内部!の 歴史・風格は、『 貿易で、財を成した! アマルフィの成功(の 時代)」を しみじみ、感じられて、
また、「歴史好き!の YUMEさん。には、満足な・・・大聖堂だったことだろう」と 思う・・・のでした。
ツアーだと、やっぱり、「大都会の ホテル・ステイ」が 多くなりますよね〜。
ナポリ・・・まで、バスで 行ってしまう。とか。。。
YUMEさんは、ナポリから、高速列車で、ローマまで・・・、一気に、行かれて、今夜の ホテル。へ・・・。と なったのですね〜。
南イタリア・アマルフィは、やっぱり・・・「お天気が いい〜」。
この日は、好天に 恵まれて、何より・・・でした。
続く・・・ローマ編。も、 楽しみ!に しています。
これからもよろしくお願いします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
YUMEさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
3
66