2015/04/23 - 2015/04/23
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風 魔さん
2015年は徳川家康公が死去してから400年が経過したため、静岡市では「家康公顕彰400年記念事業」が、関連施設を中心に開催されています。
☆ 家康公は、元和2年4月17日(1616年6月1日)駿府城内にて他界する。享年:75才。
本日は、かっての居城である駿府城祉の跡地につくられた「駿府城公園」を散策して、徳川幕府の長い歴史に想いを寄せる。
駿府城は、外堀〜中堀〜内堀と水面により三重の防護がなされ、天守閣は日本最大の大きさでしたが、1607年(慶長12年)に完成直後の天守閣や本丸御殿などが、城内からの失火により焼失したまま現在に至ります。
外堀の中の広大な敷地内には、文教地区として幼小中高校の校舎が 6校あり、さらに県庁舎(県警)〜税務署〜市立病院〜市民会館〜体育館〜地方裁判所〜法務局などがあり、中心部は市民憩いの「駿府城公園」として親しまれています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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JR静岡駅より県道27号線を北西に進み、徒歩15分ほどで駿府城公園に到る。
左手の白いドーム型建物が、静岡市・葵区役所です ⇒
次の信号を右折すると、静岡県庁〜駿府城公園に到ります。 -
静岡県警本部の大きな庁舎がそびえ立つ。
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城代橋から見た外堀の風景。
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城代橋より入城して、初めて目につくものは「巽櫓」と「常夜燈」です。
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駿府城の案内板。
駿府とは、駿河国(するがのくに)の国府が置かれた都であり
⇒ 「 駿」河国「府」中の略称です。
また政令指定都市として静岡市の行政区は、江戸時代の呼称にちなみ 「葵区・駿河区・清水区」です。 -
東御門の一角に建つ巽櫓。
外堀内は文教地区のため学校が多く( 6校 )、巽櫓の前面にある静岡市立城内中学校に入学した三浦知良さん( J2・横浜FC所属 )は、「城内FC」でサッカーの練習に励みました。 -
駿府城は、「日本の名城100選」に選定され、正しく日本の城の風景です。
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中堀の風景。
本日は、「東御門」を起点にして時計回りに駿府城を周遊する。 -
巽櫓を背景に、十返舎一九(駿府出身)著作の滑稽本・「東海道中膝栗毛物語」に登場する、主人公の弥次さんと喜多さんの銅像です。
東海道五十三次の宿場町としては、江戸から歩いて「蒲原・由比・興津・江尻・府中・鞠子」(現静岡市内)と下ります。 -
静岡学問所の跡地。
この場所には、元・府中藩の「藩校」としての学問所が創設されていました。 -
当初「府中学問所」は、徳川家(府中藩)の人材育成を目的に明治元年(1868年)に開校しましたが、その後明治2年には府中藩の静岡藩への改称に伴い「静岡学問所」と名称を変更したものです。
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現代の城・21階建て県庁別館(静岡県警本部庁舎)。
この建物は高さ110mの県警本部庁舎であり、桜田門・警視庁本部庁舎の建物
(83.5m)より高く周辺に威容を誇っています。
この建物施設は、地震、防災のヘリポート付き中心センターの役割を果たしています。
さらに誰でも入場できる最上階の展望ロビーからは、富士山?伊豆箱根?南アルプスの山々?駿河湾など360度の眺望を見ることができます。 -
道路の突き当りには、外堀越しに静岡市・葵区役所庁舎が見えました。
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カメさんの日向ぼっこ。
濠の中は水量が豊富で、大きな錦鯉や亀が泳いでいます。
しかしよく観察してみると、通行人がエサを与える「東御門」付近の水面に、多く回遊しているようです。 -
駿府は、山葵(ワサビ)発祥の地です。
☆ 原産地=静岡市葵区有東木(安倍川の上流)
山葵の葉は、三つ葉葵の徳川家・家紋に通じるところがあります。 -
土地改良区の記念碑。
徳川政権の事実上の副都として機能した駿府城南西面の一丁四方の整然とした土地区画は、今でも家康公の行った当時の城下町割りとほとんど変わっていません。 -
駿府古絵図から見ると、当時の城下町割りに比べて駿府城の広大さがよくわかります。
家康公は二代目将軍・秀忠公に将軍職を譲り、「大御所」として駿府城に居住し江戸幕府に対して政治的にはつよい力をもっていたので、当時の駿府は江戸と並び政治・経済の重要な中心地としての役割を果たしていました。 -
毎年春先には、「駿府城公園」を周回する「市民マラソン大会」が開催されます。
静岡市は江戸時代から、町名が史跡や業種に由来するものが多いところです。
駿府城下町の葵区内では、今でも葵町、駿府町、駿河町、追手町、城内町、紺屋町、呉服町、七間町、城東町、茶町、土太夫町、大工町、大鋸町、上桶屋町、研屋町、屋形町、梅屋町、車町、通車町、金座町、銭座町、両替町、鷹匠町、伝馬町など、ほとんどが江戸時代からの古い呼び名の町名です。 -
南側の最も広い二之丸橋からは、大手門より二の丸 ⇒三の丸 ⇒本丸と入城します。
駿府城には、「東西南北」から堀を渡り入城できる4つの橋があります。 -
アート作品の指人形銅像。
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元「静岡城内西尋常小学校」の校址碑。
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南西角に位置する「二之丸坤櫓」(ヒツジサルヤグラ)。
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干支の未申にちなみ、2014年に再現された「二之丸坤櫓」(ヒツジサルヤグラ)は、資料館として一般に公開されました。
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青空に映える直線的な鋭角の城と石垣の姿に、「 日本の城のデザイン性の機能美 」を感じます。
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静岡地方裁判所の大きな建物。
中堀の周辺は文教地区ですが、さらに地裁、家裁、検察庁、法務局など法務関連施設も多いところです。 -
アート作品の銅像。
中堀の遊歩道脇には、各種アート作品の展示が見られます。 -
中堀沿いには、静岡雙葉学園(女子校)の中学~高校の校舎が立ち並んでいます。
一方通行の道を時計回りに進行すると、左手には静岡市立・葵小学校があります。 -
西門橋。
駿府城公園へ入園するには、一番近くの橋です。 -
天守閣の跡地には、風水学的なパワー・スポットの石が置いてありました。
この中に立つと、よい運気を授かるという。 -
駿府城公園内をしばらく歩くと、家康公の像と向いには「家康公お手植えの紀州みかんの木」が見えました。
甘いみかんは小ぶりですが、毎年冬には収穫し袋に小分けして、JR静岡駅などで観光客や市民に配られます。 -
鷹狩をする家康公の銅像。
今でも、静岡鉄道の「新静岡駅」(=ショッピングモール・セノバ施設の建物)には、鷹匠という地名が残っています。住所 = 静岡市葵区鷹匠1丁目。
☆ 家康公の好んだもの … (お正月の初夢)
1.富士 = フジサン
2.鷹 = タカガリ
3.茄子 = ナスビ -
徳川家康公と駿府(静岡県)との係わりの系譜。
幼年期 … 6才~18才 今川家の人質時代に駿府に居住(幼名:竹千代)
青壮年期 … 17年間 浜松城主として天下取りの準備期間
老年期 … 10年間 江戸幕府に対し「大御所政治」を執行する
家康公は75年間の生涯の中で、40年以上を静岡県内で過ごしました。
今年の命日の4月17日には、家康公が祀られる「久能山東照宮」(平成22年に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された)において、恒例の「例大祭」が開催されました。 -
江戸・天正期に駿府城の拡張、修築のため、全国の諸藩を動員して「駿府城の天下普請」を行わせた際、石垣には家紋が刻印されています。
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戦国時代には各大名に命じて築城を行わせ、史跡として諸藩の刻印が残っています。
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諸藩の家紋は、なにかの記号のようであるが判読不能でした。
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北御門の正面は、静岡市立体育館です。
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北御門橋。
早朝に中堀に沿ってウオーキングして一周するには、最適の場所です。 -
駿府城公園は一周すると約1.8kmあり、およそ徒歩30分の長さです。
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北御門には、大きなものと小さな石垣が積み上げられています。
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かって江戸時代には、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震が発生しました。
この大地震=安政東海地震 (1854年:嘉永7年)による石垣の崩落では、小さな石積みの方が耐久性がありました。 -
茶室のある「紅葉山庭園」の入り口。
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駿府城は、三重の堀を持つ「輪郭式平城」として築城され、天守台は石垣天端で約55m×48m(五層七階)あり、日本城郭史上では最大の天守閣でした。
しかし城郭完成直後の1607年(慶長12年)には、天守閣や本丸御殿などが城内からの失火により焼失したまま現在に至りました。今では官民による「天守閣再建」の機運がもち上がっていますが、資金面から進展がみられません。 -
「徳川家康公・顕彰400年記念事業」を掲示するのぼり旗。
「徳川家康公・顕彰400年記念事業」は、家康公と縁の深い静岡市・浜松市・岡崎市においても、同期間中に同様の各種行事、イベントなどが展開されています。 -
現存する内堀跡( 2ヵ所 )の風景。
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この水路は江戸時代に市内を流れる「巴川」から、小舟で日用品、物資、食糧などを駿府城へ搬入するため利用した運河跡です。
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東京・銀座のしだれ柳の二世。
江戸銀座と駿府銀座のつながり ⇒
もともと「江戸銀座」(貨幣の鋳造所)の原形は、府中(静岡市・現地名:両替町一・二丁目)にあり「駿府銀座」と呼ばれました。
しかし、江戸幕府により慶長17年(1612年)に「駿府銀座」の機能は江戸へ移転しましたが、後の1800年に蛎殻町(現在の日本橋人形町付近)に再び移転するまで、銀貨の鋳造が行われたものです。 -
日露戦争当時、駿府城内にあった静岡歩兵第34連隊(軍神・橘中佐所属)の練兵場跡地です。
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静岡歩兵第34連隊の練兵場跡地にある記念碑。
軍神・橘中佐を称える軍歌( 日露戦争:明治37年 )
遼陽城頭 夜は闌けて 「敵の陣地の 中堅ぞ
有明月の 影すごく 先ず首山堡を 乗っとれ」と
霧立ちこむる 高梁の 三十日の 夜深く
中なる塹壕 声絶えて 前進軍令 たちまちに
目覚めがちなる 敵兵の 下る 三十四連隊
胆驚かす 秋の風 橘大隊 一線に -
中堀に沿って城内を周遊する遊歩道・「雙葉葵の小径」。
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「雙葉葵の小径」の説明板。
フタバアオイは、京都・賀茂神社の神紋であり徳川家・家紋の「三つ葉葵」の紋様のモデルとなったウマノスズクサ科の多年草です。 -
「雙葉葵の小径」にあるフタバアオイ。
静岡市と「アオイ」のつながり・・・
☆ 静岡市の花 = タチアオイ
☆ 静岡市葵区・葵町・葵タワー・市立葵小学校・AOI館(静岡音楽館エーオーアイ=アオイ 館:中央郵便局のビル内)・静岡市立旧図書館の「葵文庫」。 -
遊歩道の脇にはフタバアオイが植えてあり、山葵の葉に似ていますが、徳川家の家紋は架空の「三つ葉アオイ」です。
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公園内を一巡して、東御門に到りました。
東御門は平成8年に復元され、徳川幕府記念資料館として公開・見学できます。 -
東御門の入場門の横木は、太い台湾檜( 略称:台檜・タイヒ )が使用されています。
これ程大きな日本古来の檜は、国内においては殆ど伐採できず東御門復元の際、台湾から入手したものです。 -
東御門の枡形の門内には侵入する敵兵に向けて、弓矢や鉄砲を射る小窓が配置されています。
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落ち着いた中堀の風景。
中堀沿いには、文教地区として右手に教育関連施設・2ヵ所、中学校・2校があります。 -
東御門を出て、中堀にある東御門橋から眺める。
☆ 駿府城の復元の歴史。
1989年(平成元年) 巽櫓復元、資料館として公開。
1996年(平成8年) 東御門復元、資料館として公開。
2014年 (平成26年) 二之丸坤櫓復元、資料館として公開。 -
昔から共に「治安と警備」を担う、県警本部庁舎と巽櫓。
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巽櫓の正面に位置した、今はなき元・静岡市立青葉小学校の跡地。
以前には、北側に静岡市立図書館の「葵文庫」がありました。 -
「葵文庫」の前庭に残る青葉小学校の校歌。
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昔の道徳の教科書に載っていた、農作業の合間に籠を背負い寸暇を惜しんで読書に励む「二宮金次郎(尊徳)」の銅像。
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