その他の都市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
4月のサンクトペテルブルク滞在中の週末、オーストリア、グラーツに在住のフランス人の知人を訪ねたついでに、グラーツから約60km、列車で約1時間の距離にあるスロヴェニアのマリボルを訪れた。スロヴェニアへの入国は初めて、53ヶ国目の訪問国になる。マリボルはスロヴェニアの第2の都市で人口約11万人、1919年に「マルブルクの血塗られた日曜日」事件が発生した街である。スロヴェニアの首都リュブリヤナよりもグラーツの方が近く、文化、経済的な関係も深い。<br /><br />スロヴェニアとスロヴァキアは紛らわしいが、更にソ連崩壊後に旧ユーゴスラヴィアから独立した国名を全て言える人は少ないと思う。正解はセルヴィア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、マケドニア共和国、スロヴェニア、モンテネグロ、およびコソヴォの7ヶ国である。<br /><br />ユーゴスラヴィアと言えば「バルカンの火薬庫」、近代ヨーロッパの不安定の中心であり、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件、コソヴォ紛争、各国のユーゴからの分離独立戦争など、きな臭い歴史ばかりが思い出される。しかし西側先進国のオーストリアやイタリアに隣接し、比較的経済力もあり、カトリックを主とするスロヴェニアは比較的安定した国であって、1991年独立を達成、首都は前述のリュブリヤナであり、旧市街はユネスコ世界遺産に登録されている。<br /><br />一方の第2の都市、今回訪れたマリボルは、世界遺産にこそ登録されていないが、様々な文化が行きかった歴史を感じさせる美しい旧市街を有し、決して他の世界遺産の街並みに劣らない。街の歴史は古く、1164年マルヒブルヒで知られる城が記録に登場する。その後、マリボルは1918年までハプスブルク家の支配下にあった。<br /><br />第一次世界大戦以降の歴史は極めて複雑である。オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後の1918年、マリボルはドイツ・オーストリアに併合された。その翌年の1919年、スロヴェニア軍がマリボルの市民広場で、非武装のドイツ人とアメリカの和平代表団を攻撃、「マルブルクの血塗られた日曜日」事件が発生。その結果、マリボルはスロヴェニア軍の支配下となり、ユーゴスラヴィア王国に属することになる。<br /><br />1941年、ついにナチス・ドイツがこの地を支配、ヒットラーは『この国を再びドイツの手に』と支持者を鼓舞、マリボルで地元ドイツ人らによって熱狂的に歓迎される。占領後すぐに、ナチス・ドイツはスロヴェニア人大量追放に着手、隣国のクロアチア、セルヴィア、後には強制収容所に送り込んだ。そして第二次大戦後に突入、軍需産業の中心地であったマリボルは、大戦末期に連合国の徹底的な空襲を受ける。戦後、多くの地元ドイツ人たちはマリボルを追放された。<br /><br />ソ連の崩壊後、1991年にスロヴェニアは独立を宣言、それに対しユーゴスラヴィア軍は軍事的攻撃を行ったが、わずか10日の戦闘後、スロヴェニアは独立を達成した。その後の困難な時期を乗り越え、2004年にEUに加入し、2007年には通貨ユーロを導入した。<br /><br />前置きが長くなったが、マリボルの旧市街は国鉄中央駅から徒歩圏内、まずツーリストインフォメーションで見所を聞いた。英語、ドイツ語が堪能な彼女に聞くと、若い人々はやはり英語、歴史的背景のためか、ドイツ語を学ぶ人は少ないそうだ。すぐ隣にあるフランシスコ会教会を見た後、15世紀に建設されたマリボル城の博物館とモニュメントも近い。しばらく行くと、聖ヨハネ(マリボル)大聖堂(12世紀、ゴシック様式)が印象的だ。その周りには、マリボル大学、郵便局、劇場など特徴ある建物が並ぶ。その後、ドラヴァ川沿いに出て、市庁舎(ルネサンス様式)、400年以上前からあるという、世界最古のワイン用ブドウスタラ・トルタを通り過ぎてシナゴーグ、市庁舎前広場の花を撮影して駅前に戻り列車に飛び乗った。グラーツ駅前に15時に約束した、旧友との再会の時間に遅れてはいけない。

スロヴェニア第2の都市マリボル : ドイツと旧ユーゴスラヴィアが奪い合った要衝の街

39いいね!

2015/04/18 - 2015/04/18

4位(同エリア101件中)

0

40

ハンク

ハンクさん

4月のサンクトペテルブルク滞在中の週末、オーストリア、グラーツに在住のフランス人の知人を訪ねたついでに、グラーツから約60km、列車で約1時間の距離にあるスロヴェニアのマリボルを訪れた。スロヴェニアへの入国は初めて、53ヶ国目の訪問国になる。マリボルはスロヴェニアの第2の都市で人口約11万人、1919年に「マルブルクの血塗られた日曜日」事件が発生した街である。スロヴェニアの首都リュブリヤナよりもグラーツの方が近く、文化、経済的な関係も深い。

スロヴェニアとスロヴァキアは紛らわしいが、更にソ連崩壊後に旧ユーゴスラヴィアから独立した国名を全て言える人は少ないと思う。正解はセルヴィア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、マケドニア共和国、スロヴェニア、モンテネグロ、およびコソヴォの7ヶ国である。

ユーゴスラヴィアと言えば「バルカンの火薬庫」、近代ヨーロッパの不安定の中心であり、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件、コソヴォ紛争、各国のユーゴからの分離独立戦争など、きな臭い歴史ばかりが思い出される。しかし西側先進国のオーストリアやイタリアに隣接し、比較的経済力もあり、カトリックを主とするスロヴェニアは比較的安定した国であって、1991年独立を達成、首都は前述のリュブリヤナであり、旧市街はユネスコ世界遺産に登録されている。

一方の第2の都市、今回訪れたマリボルは、世界遺産にこそ登録されていないが、様々な文化が行きかった歴史を感じさせる美しい旧市街を有し、決して他の世界遺産の街並みに劣らない。街の歴史は古く、1164年マルヒブルヒで知られる城が記録に登場する。その後、マリボルは1918年までハプスブルク家の支配下にあった。

第一次世界大戦以降の歴史は極めて複雑である。オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後の1918年、マリボルはドイツ・オーストリアに併合された。その翌年の1919年、スロヴェニア軍がマリボルの市民広場で、非武装のドイツ人とアメリカの和平代表団を攻撃、「マルブルクの血塗られた日曜日」事件が発生。その結果、マリボルはスロヴェニア軍の支配下となり、ユーゴスラヴィア王国に属することになる。

1941年、ついにナチス・ドイツがこの地を支配、ヒットラーは『この国を再びドイツの手に』と支持者を鼓舞、マリボルで地元ドイツ人らによって熱狂的に歓迎される。占領後すぐに、ナチス・ドイツはスロヴェニア人大量追放に着手、隣国のクロアチア、セルヴィア、後には強制収容所に送り込んだ。そして第二次大戦後に突入、軍需産業の中心地であったマリボルは、大戦末期に連合国の徹底的な空襲を受ける。戦後、多くの地元ドイツ人たちはマリボルを追放された。

ソ連の崩壊後、1991年にスロヴェニアは独立を宣言、それに対しユーゴスラヴィア軍は軍事的攻撃を行ったが、わずか10日の戦闘後、スロヴェニアは独立を達成した。その後の困難な時期を乗り越え、2004年にEUに加入し、2007年には通貨ユーロを導入した。

前置きが長くなったが、マリボルの旧市街は国鉄中央駅から徒歩圏内、まずツーリストインフォメーションで見所を聞いた。英語、ドイツ語が堪能な彼女に聞くと、若い人々はやはり英語、歴史的背景のためか、ドイツ語を学ぶ人は少ないそうだ。すぐ隣にあるフランシスコ会教会を見た後、15世紀に建設されたマリボル城の博物館とモニュメントも近い。しばらく行くと、聖ヨハネ(マリボル)大聖堂(12世紀、ゴシック様式)が印象的だ。その周りには、マリボル大学、郵便局、劇場など特徴ある建物が並ぶ。その後、ドラヴァ川沿いに出て、市庁舎(ルネサンス様式)、400年以上前からあるという、世界最古のワイン用ブドウスタラ・トルタを通り過ぎてシナゴーグ、市庁舎前広場の花を撮影して駅前に戻り列車に飛び乗った。グラーツ駅前に15時に約束した、旧友との再会の時間に遅れてはいけない。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
鉄道 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • スロヴェニアとオーストリアの国境で機関車を入れ替える

    スロヴェニアとオーストリアの国境で機関車を入れ替える

  • 数少なくなったコンパートメントの客車

    数少なくなったコンパートメントの客車

  • マリボル中央駅

    マリボル中央駅

  • パルチザン通りからフランシスコ会教会の眺め

    パルチザン通りからフランシスコ会教会の眺め

  • フランシスコ会教会のファサード

    フランシスコ会教会のファサード

  • 市内観光用列車

    市内観光用列車

  • フランシスコ会教会の内部

    フランシスコ会教会の内部

  • フランシスコ会教会の祭壇

    フランシスコ会教会の祭壇

  • 裏手からフランシスコ会教会を見る

    裏手からフランシスコ会教会を見る

  • スヴォボディ広場のマリボル城博物館と民族解放記念碑

    スヴォボディ広場のマリボル城博物館と民族解放記念碑

  • グラスキー広場のマリボル城博物館とマリア柱

    グラスキー広場のマリボル城博物館とマリア柱

  • グラスキー広場近くの街並み

    グラスキー広場近くの街並み

  • マリボル大学前のアントン・マルティンのモニュメント

    マリボル大学前のアントン・マルティンのモニュメント

  • マリボル大学の堂々たるファサード

    マリボル大学の堂々たるファサード

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂のファサード

    洗礼者ヨハネ大聖堂のファサード

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂の祭壇

    洗礼者ヨハネ大聖堂の祭壇

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂のステンドグラス

    洗礼者ヨハネ大聖堂のステンドグラス

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂のステンドグラス近景

    洗礼者ヨハネ大聖堂のステンドグラス近景

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂の内部

    洗礼者ヨハネ大聖堂の内部

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂のキリスト像

    洗礼者ヨハネ大聖堂のキリスト像

  • 洗礼者ヨハネ大聖堂のマリアとキリスト像

    洗礼者ヨハネ大聖堂のマリアとキリスト像

  • 堂々たる郵便局の建屋のファサード

    堂々たる郵便局の建屋のファサード

  • マーケットの人々

    マーケットの人々

  • 元気な子供達

    元気な子供達

  • ドラヴァ川沿いにあるJudgement Tower

    ドラヴァ川沿いにあるJudgement Tower

  • ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋と白鳥

    ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋と白鳥

  • ドラヴァ川の白鳥

    ドラヴァ川の白鳥

  • ドラヴァ川沿いの建物

    ドラヴァ川沿いの建物

  • ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋のたもとの建築

    ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋のたもとの建築

  • ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋のたもと

    ドラヴァ川にかかるグラヴニ橋のたもと

  • ドラヴァ川の給水塔

    ドラヴァ川の給水塔

  • 旧市街の特徴ある建物

    旧市街の特徴ある建物

  • ソヴィエト時代の建物は味気ない

    ソヴィエト時代の建物は味気ない

  • 市庁舎前広場

    市庁舎前広場

  • 市庁舎

    市庁舎

  • シナゴーグ(ユダヤ教会)のファサード

    シナゴーグ(ユダヤ教会)のファサード

  • シナゴーグの入り口

    シナゴーグの入り口

  • 市庁舎前広場のモニュメント

    市庁舎前広場のモニュメント

  • 旧市街の街並

    旧市街の街並

  • グラスキー広場のマリボル城博物館とマリア柱

    グラスキー広場のマリボル城博物館とマリア柱

この旅行記のタグ

関連タグ

39いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

スロベニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
スロベニア最安 517円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

スロベニアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP