2015/04/18 - 2015/04/19
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kazuuzooさん
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2015年4月18日:東京−富山−立山−富山
2015年4月19日:富山ー東京
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立山から富山に帰ってきてちょっとのんびりした後、夜やってきたのは岩瀬浜。
ここは富山湾にある海岸ですが、この時期富山湾と言えばやっぱり…
ホタルイカ!
ホタルイカの身投げの時期、砂浜に近い海でもホタルイカが獲れるということで人が集まっていました。ライトを照らしてホタルイカが居るか確認しているようでした。 -
ところどころ個体のホタルイカが身投げして海岸に打ち上がっていました。
青くキレイに光っていましたが、残念ながら写真では写せませんでした。 -
翌日フライトまでの時間、富山の街をブラブラすることにしました。
スタート地点は、富山城址公園。
この場所は昔富山城の二の丸があったところ。
昔、二の丸には時鐘所という時間を周りに伝える場所があったそうです。
ここから富山城址公園をちょっと回ることにしました。 -
二の丸から本丸へと続くお濠を貫く道を通っていざ本丸へ。
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富山城は1543年、神保長職によって築城。
この場所は戦乱の場所で色々な勢力の支配を受け、
その後豊臣秀吉が攻めてきて一度破却されてしまいます。
徳川についた加賀の前田家はその後加賀を統治。そしてその加賀藩から
分離して前田利次が富山城を居城としそれ以来13代にわたる前田家の統治が行われたそうです。
現在のお城は戦後作られたもので、富山市郷土博物館として利用されています。 -
この富山城、昔は河のすぐそばにありました。
というのも、もともと富山市を流れる神通川は今の富山を南北に分ける存在だったそうで、この川が天然のお濠として利用されていたのだそうです。 -
せっかくなので富山市郷土博物館を見学することにしました。
ちょうどこの時は期間限定で富山400年の歴史を展示。富山の薬売りの展示がちょっと興味深かったです。
展示を見終えて天守閣の上にやってきました。
まずは、先ほどやってきた二の丸から本丸への道を眼下にパチリ。 -
続いて本日のスタート地点、二の丸方面をパチリ。
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こちらは城址公園側。石垣の横に見えるのが千歳御門です。
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そして最後に西の丸方面。昔は芝生のすぐ右側を神通川が流れていましたが今は真っ正面のビルの向こうを左から右に流れています。
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博物館の見学を終えて城址公園を抜けやってきたのは天守閣の上からも見えた千歳御門。
この門は元々ここにあったわけではなくこの場所から門と反対側にあった千歳御殿から移設されたもの。
ちなみに千歳御殿は富山藩10代藩主の前田利保が隠居後に過ごした場所で、この門自体は当時からのオリジナルだそうです。 -
城址公園の隣を流れる松川へとやってきました。
ここからは遊覧船が出ていて特に川の両側に植えられた桜が満開になる時期には多くの人で賑うそうです。 -
細い水路のような松川ですが、じつは昔の神通川の名残。
富山城もこの神通川を自然のお濠として活用していたのですね。 -
松川沿いの遊歩道を歩いて安住橋までやってきました。
今はこんな感じですが、昔はこの写真の場所も神通川の一部だったのでしょう。 -
安住橋をこえて再び松川沿いの遊歩道を進み灯篭のあるこの橋までやってきました。
この灯篭は橋の標となるもので1799年に作られたそうです。
残念ながら一部かけていますが、富山大空襲でダメージをおってしまったそうです。 -
この橋の名前は"舟橋"。
その昔神通川では渡し船が行き来していたそうですが、1606年64艘の船を繋げて川を渡す橋、舟橋を作りました。江戸時代には400m以上にもなる橋の長さがあったそうで、1882年、木造の橋が完成するまでの間、富山発展に貢献してきたそうです。 -
舟橋の当時の姿がこんな感じ。その当時は越中の名所として浮世絵などでも多く描かれているそうです。
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舟橋から再び富山城へと戻ってきました。
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ちょっと上から富山城をパチリ。
奥には現在の神通川の流れが見えますが、以前は大通りの先に見える橋の少し上流である左側から神通川は蛇行を始めて富山城の裏側あたりに流れていました。
現在もその流れには松川があるのですが、ちょっと見づらいですかね。 -
富山城周辺の散策をこれくらいにして、もう少し富山市内をブラブラ。
この頃になると雨も強くなってきて、ちょっと屋内で出来ることを…ということでやってきたのは廣貫堂という薬屋さんの資料館。
富山といえば薬売り!ということで富山の薬売りの資料を見られるここにやってきました。 -
入場料無料、入って栄養ドリンクをいただいてグイッと飲み干して資料館を見学。
まずは何で富山=薬売りって話。
富山藩2代目藩主に前田正甫という殿様がいましたが、この前田正甫は非常に薬に興味があったそうで、自分でも常備薬として反魂胆という薬を常備していたそうです。
あるとき江戸城で三春藩主が体調を崩し、前田正甫が持っていたこの反魂胆を飲ませたところ体調が戻ったのだとか。
居合わせた藩主からは欲しいという要望が出て前田正甫はこの反魂胆を発明した備前岡山藩の藩薬師、万代常閑を富山に招き富山の薬商に作らせ始めました。そこから富山の薬売りが全国に広まったのだそうです。 -
富山では徐々に薬商人が増加、やがて全国展開を開始して行きます。
それに伴って富山では反魂胆役所という役所を開設、薬商人の監督管理を行うようになりました。 -
これらが富山の薬売りで利用されていた道具、原料からそれを砕いたり加工するための道具、そして売るために利用していた笠など盛りだくさんです。
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おろし金のようなこの道具は錠剤を数える道具だそうです。
大きいものから、小さいものまでこのほかにも色々な種類が展示されていました。 -
こちらは薬売りが持っていた道具の数々。
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常備薬を入れておく箱も色々あるんですね。
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富山の薬売りというとまず薬を常備して使った分だけ料金を支払うスタイル。
薬の数を管理するために利用していたのが懸場帳。 -
この懸場帳には家族構成、利用している薬の種類、そして請求、支払といった情報が記載されていたそうです。
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そろそろ帰る時間も迫ってきたので、廣貫堂さんの資料館見学をこれくらいにして富山駅へと向かいます。
その途中、池田屋安兵衛商店にちょっと寄り道。
ここでは丸薬の製造体験ができます。 -
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