2015/03/26 - 2015/04/02
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comevaさん
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5年半ぶりの姫路城リニューアルオープン前日の3月26日は業務上でのイベントが姫路郊外のホテルで行われました。
午後からは外観だけでも見てみようと姫路城に立ち寄ってみました。
そしてその1週間後に今度は早朝よりプライベートで再訪したところ桜が満開となっていました。
連日大勢の観光客が押しかける姫路城入城は時期によって時間が異なり、当日も開城30分前に訪れましたが、既に150人(天守閣優先入城整理券が配布されます。)ほどが並んでいました。
姫路城
http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/
◆国宝:大天守、東小天守、西小天守、乾小天守、い・ろ・は・に・の渡櫓(やぐら)の8棟
◆重要文化財化粧櫓、ニの櫓、折廻り櫓、備前門、水の一門、水の二門、菱の門、い・ろ・は・にの門、ぬの門など74棟
※城内説明は姫路観光情報より引用
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3月26日
当日は姫路城公園であるイベントの影響を受け姫路西ICからバイパスにかかったあたりから大渋滞に巻き込まれました。
こちらは業務上でのイベント会場のホテル上空、真上を通過するブルーインパルス。 -
舞妓の富久春(祇園東)さんと地方の豊寿さん(姫路郊外ホテルにて)
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ごごからは姫路城にも寄道してみました。(以上3月26日)
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4月2日
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4月2日
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早朝、入城30分前には既に大勢の観光客が並んでいました。
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菱の門(ひしのもん)
三の丸から二の丸に至る門で、門全体に安土桃山時代の様式が残されている、城内で最も大きな門です。両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。禅宗寺院などに使われる華灯窓が城郭に使われるのは珍しく、美しさを添えています。桁行10間、梁間4間。 -
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いの門(いのもん)
2本の本柱の上に横木を渡し、屋根をつけ、各本柱の後方部分に本屋根と直角になった一対の切妻小屋根を持つ高麗門で、城郭建築に多用される典型的な造りの門です。 -
三国堀(さんごくぼり)
菱の門内にある空壕、二の丸の本道と間道の要所をおさえる重要な位置にあります。 -
ろの門(ろのもん)
いの門と同じく高麗門で、内側には石垣と土塁によって枡形が設けられ、武者溜が造られています。 -
はの門(はのもん)
坂の上にあるはの門は、向こうに天守閣がくっきりと見え、敵に天守閣がもうすぐそこだと錯覚するように造られています。門扉の上方床面には石落としがあり、櫓の真ん中にある印象的な武者格子窓は、菱の門の内側を見通す警備の役割を果たしています。天守への侵入を防ぐ重要な門で、菱の門と連動する第二関門といわれます。 -
にの門(にのもん)
天井がかなり低くなっており、ここで敵を通りにくくしておいて、上から板をはずして槍で攻撃することができるようになっています。また、にの門の西面の唐破風の上には、秀吉に姫路城を献上したことで知られ、キリシタン宗に帰依していた黒田官兵衛義孝ゆかりの十字紋を焼きつけた鬼板瓦も見られます。 -
姥が石(うばがいし)
乾小天守の北側の石垣にある石。羽柴秀吉の築城のおり、老婆が石臼を寄進し、この噂が広まって多くの石が集まり、城の石垣が完成したと伝えられる伝説『姥が石』の石といわれています。 -
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武者隠し
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大天守より
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西の丸(にしのまる)
徳川の安泰が確かなものとなった頃、本多忠政が嫡男・忠刻と千姫がのどかに過ごすために築いたのが西の丸です。しかし、姫路城の唯一ともいえる地形上のウィークポイントをカバーするため、頑丈な塗籠めの窓、石落としのある隅櫓、廊下を区切る木の大扉と過剰なまでに無骨な造りになっています。また、南門跡近くには出陣する武者を集め、隊を編成した武者だまりがあります。しかし天守閣の西面が際立って見える庭園は、のどかで明るい広場になっています。 -
備前丸(びぜんまる)
本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所。城主・輝政が客と会見する対面所や夫人・督姫の住まう御台所などがありましたが、明治15年の火災で焼失してしまいました。備前丸の名前は、輝政と督姫の間に生まれた忠継が備前国を与えられましたが、幼いため両親とここに住んでいたためにそう呼ばれたようです。往時の備前丸には二層櫓が四棟、折廻櫓や長局もあり、本丸の南半分を占めていました。 -
大天守(だいてんしゅ) 備前丸より
天守台の東南隅に位置し、外観は5層ですが、内部は地下1階・地上6階になっており、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)が飾られています。ちなみに鯱は頭が虎で背中にトゲのある想像上の獰猛な海魚で、火を防ぐお守りとして棟飾りに使われました。天守はもともと遠くを見渡すための「望楼」が発達したもので、姫路城の天守の高さも約30m(海抜約90m)あります。この壮大な天守を支えるのは、地階から6階の床下までを直径2m近い東西2本の心柱で、当時としては進んだ工法でした。西の心柱は昭和の大修理で新材に、東の心柱は地下部分だけ取り替えられましたが、その他は築城当時のまま残されています。また、姫路城は大天守と3つの小天守が渡櫓で連結された連立式天守と呼ばれるもので、大きな特徴となっています。姫路城の大天守は外観も千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)が組み合わされ、調和のとれた非常に美しい仕上がりになっています。 -
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上山里(うえやまさと)
塀と渡櫓で囲まれた広場で下の山里と並んで秀吉時代に整備された城内ガーデン。ここにお菊井戸があります。 -
りの門(りのもん)
秀吉の妻・北政所(おね)の兄で、一時、姫路城主となった木下家定によって建てられたと伝えられます。 -
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大天守とお菊井戸(上山里より)
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お菊井戸(おきくいど)
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていました。 -
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るの門
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るの門(るのもん)
門の両側に石垣を築き、その上に櫓を乗せた城独特の櫓門で、この櫓には床板を外して石を落としたり、槍で突いたりできる仕掛けがあり、城門の種類の中でも大きく、頑丈に造られています。「菱の門」や「はの門」もこの櫓門ですが、「ぬの門」は、この櫓が二重になっており、一層左右の連雙鉄格子窓と真ん中の出格子窓が調和していて美しい。幅 6.4m、奥行3.1m。 -
西の丸より
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西の丸
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西の丸長局(百間廊下より
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西の丸長局(百間廊下)(にしのまる ひゃっけんろうか)
西の丸の中書院に当たる場所で、御殿を囲むように造られた300mもの廊下に並ぶ部屋には、千姫に仕えた侍女たちが住みました。千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。 -
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化粧櫓(けしょうやぐら)
内部は畳を敷いた御殿のような造りで、西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。 -
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この旅行記へのコメント (1)
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- おかつんさん 2015/04/22 14:56:07
- 美しい!
- 桜と青空と姫路城。このコントラストが最高に美しいですね!
私もいつか桜の季節に行きたいという気持ちが、より増しました。
ありがとうございました。
おかつん
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