2015/03/31 - 2015/03/31
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しんちゃんさん
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816年・弘法大師空海が高野山の地に修禅の道場を開きました。
平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録された高野山は、平成27年、開創1200年を迎えます。
4月2日から50日間、[1200年記念大法会]がとり行われます。
混雑すると見込んで大法会の2日前に高野山へ行って来ました。
172年ぶりの再建された中門も2日後に白い幕を取り払うだけになっていました。中の四天王は見られず残念でしたが・・ゆっくり見て回ることが出来ました。
険しい山々と深い谷の合間を、電車とケーブルカーを乗り継いで到着する標高約867mの高野山の町は周囲約25km、小高い山に囲まれた広大な盆地状平地です。多くの人々が訪れ、祈り、発展した高野町には高野山真言宗の総本山・金剛峯寺を中心に117の寺院があり、約3500人の人々が暮らし、小学校〜大学校、役場や病院、消防署や警察などがあり、まさに「天空の都市」とも言えます。
なんと行ってみて分かったのですが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのだそうです。
春めいた一日、清々しい気持ちになれた良い日となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR西日本の〈春の関西1デイパス〉高野山まで乗車できるチケット付切符を最寄駅で購入
さぁ出発!
自宅→大阪駅→環状線新今宮から急行に乗ること約50分で・
-
南海電鉄・橋本駅に着きました。
駅は標高92mに在ります。 -
停車しているのは鮮やかな色彩の特急「こうや」。
なんば駅から高野山麓の極楽橋駅まで、南海電鉄が直通で結んでいる電車。 -
[高野山開祖1200年]の金字が目立ちます。
今回乗るのは特急「こうや」ではなく・ -
観光展望列車「天空1号」10時15分発に乗ります。
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ホーム内で座席指定券を買います。
乗ってみたかったので4日前に電話予約しました。 -
天空は全座席指定です。こちらはボックス席の4人掛け用。
車内はかなりゆったりしています。 -
2号車に乗車し、外向きの座席とワイドな車窓から険しい山間の風景を一望・・
乗車券プラス510円で盛り上がる旅気分♪
この2号車後方に吹き抜けの展望デッキもあり、春休みの学生たちの賑やかな声が聞こえています。 -
座席シートは高野山内に生息するモリアオガエルの絵柄。
-
橋本駅→紀伊清水駅と進行し
次の駅は・ -
学文路駅(かむろえき)と読みます。「学問(文)の路に入る」という読み方が出来る事から、受験生の縁起かつぎに人気があるそうです。
それにしても美しい桜!満開。
受験生の皆さんも「サクラサク」であってほしいですね。 -
次の「九度山駅」に戦国武将の真田幸村のイラストが。
九度山に、真田昌幸・幸村父子が隠れ住んでいた屋敷が在ったゆかりからです。
電車はだんだんと深い山合いに入り・・ -
やがて[竜王渓]という渓谷の美しい所に。木々の緑が清々しく自然あふれ・・
高野線から眺める沿線風景は格別です。 -
橋本駅から極楽橋駅までの約20キロに
24ものトンネルがあります。 -
飾り窓から見る「紀伊細川」
やがて・ -
朱塗りの極楽橋が見えてきました。
-
極楽橋を渡り不動坂を登って行くと、かつて高野山参詣の
主要ルートのひとつとして賑わった女人堂を経て山内の中心部へたどり着く、いにしえの道があります。 -
そして・もぅ〜・
山岳路線の終着駅「極楽橋」。着いてしまいました(-_-)
ケーブルカーの乗り換え駅です。 -
天空を降り、木造の連絡橋を歩くこと1分・・
-
ケーブルカーに乗り継ぎ・
-
この凄い!!急勾配を約5分で一気に昇り・・
-
午前11時。約330mの標高差がある高野山駅に到着。
高野山はなんと標高867mに在り・
降り立つと温度の違いに身が引き締まる。
駅前バス停から高野山内行きバスに乗り・
では、参りましょう〜か・ -
最初は金剛峯寺へ。千手院橋バス停で降り徒歩5分の所にあります。
高野山真言宗の総本山で、全国3,600の末寺の宗務を執っています。
豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立した青巖寺・興山寺を合併し金剛峯寺と改称。
宗派にとらわれず、たくさんの参拝客が訪れるところです。 -
正門は、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、
今日まで建っています。 -
本殿は江戸時代末期の文久3年(1863年)に再建されました。
屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっています。 -
その屋根の上に、桶が置かれています。天水桶といいます。
これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生した時火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割をします。 -
大玄関と小玄関
囲いがされた入り口が見えます。ここは金剛峯寺の表玄関に当たる所で大玄関と言います。
この門は天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。 -
大玄関を通り過ぎると、もう一つ玄関があり小玄関と呼ばれ、上綱職の方々が使用されます。
一般の僧侶は、昔は裏口より出入りましたが、現在は一般参詣入口を利用されてます。 -
門をくぐって右手にある鐘楼は、金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼で大主殿などの建物と共に鐘楼も元治元年(1864年)に再建されたもの。
袴腰付入母屋造り(はかまごしつきいりもやづくり)の形式で、県指定文化財。 -
4月2日から始まる「開創1200年記念大法会」の際は、記念してご本尊の特別公開や
さまざまな行事で、この広い境内も人で埋め尽くされるのでしょうか?
では、お堂の中へ・・ -
奥之院霊木の高野杉が展示。
樹高 57m
直径 2,7m
根本周囲 9m -
樹齢は何年なのか?
-
では、順路に従って拝観します。
歴史に名を残す絵師が描いた襖絵で飾られた部屋や、
豊臣秀次切腹の間などがあります。柳が描かれているので柳の間と呼ばれている部屋です。 -
ここまでは、撮影禁止でした。
この先に・ -
休憩所「新別殿」があり、お茶のお接待をうけました。お菓子も付いています。
高野山の僧侶のお話も聞け、広い畳の間でゆっくりさせていただきました。
そして、新別殿の先には・・ -
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されている石庭があります。 -
2,3平方メートルの石庭は、国内で最大級。龍を表す石は、弘法大師の出身地四国の
花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。 -
奥殿[非公開]
この建物は本山の貴賓室で、昭和9年(1934年)の弘法大師御入定・1100年御遠忌に建立。
もともとこの地は木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)の興山寺(こうざんじ)跡で、
奥殿、別殿が建立されるまでは高野山大学、中学がありました。 -
弟子の真然の御廟
-
-
台所
江戸期以降、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所です。柱や梁も煤で真っ黒になっています。大きな「かまど」は現在も使われます。炭をおこす場所には防火対策として大きな煙突が配置されています。
一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいて、三つで一度に二石(約2,000人分)のご飯を炊けます。
金剛峯寺はこのへんにして・・さて次に行くのは・・ -
壇場伽藍です。
空海が高野山開創の際に最初に伽藍を建てた場所です。
歩いているこの道は「蛇腹道」といいます。 -
伽藍(ガラン)とは・・梵語の音訳で、本来僧侶が修行をする関静清浄な所と言う意味です。
この壇場伽藍には、密教思想に基づく金堂・大塔・西塔など多くの御堂があります。
では、道に沿って順番に拝観いたしましょう。 -
壇場伽藍/東塔
大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建。
不動明王・降三世(ごうさんぜ)明王の脇侍(きょうじ)2体と共に尊像は創建当時のもの。
[建立:1127年 再建:1984年] -
東塔
-
壇場伽藍/三昧堂(さんまいどう)
西行法師が1177年移建した。
[再建:1816年] -
三昧堂(さんまいどう)
-
三昧堂の前の桜は、西行法師手植えの桜として、西行桜と呼ばれています。
伝説にはこのお堂を修造した記念に植えられたそうです。 -
壇場伽藍/大会堂
鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。
[再建:江戸時代末期・嘉永元年1848年] -
壇場伽藍/愛染堂
後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。
[建立:建久元年1334年] -
愛染堂
-
壇場伽藍/不動堂(ふどうどう)
壇場最古の建造物で国宝に指定されています。
行勝上人の建立と伝えられる。
[建立:建久8・1197年] -
不動堂
住宅風の仏堂です。
不動堂から先の杉の木の側に「町石」が建っています。 -
壇場伽藍/大塔の鐘
大師が発案され、真然が完成させました。
現在の鐘は戦国時代の天文16年(1547年)に鋳造。
直径が212?あり、当時は全国で4番目の大きさで、「高野四郎」の名がつけられた。 -
毎日5回(午前4時、午後1時、午後5時または6時、午後9時、午後11時)
時鐘が突かれています。 -
壇場伽藍/根本大塔
空海が密教道場のシンボルとして建設を始めた、日本で最初の多宝塔。
完成は弟子の真然の代、887年頃と伝えられています。
現在の塔は昭和12年(1937年)の再建で、高さは約50m。
内部には胎蔵界大日如来、金剛界四仏が祀られています。立体の曼荼羅世界が 広がります。 -
壇場伽藍/根本大塔
大きく鮮やかな朱色が遠くからも目立ちます。 -
三鈷の松の伝承
空海は唐から帰国する際に、真言密教の布教に相応しい土地を探してほしいという願いをこめて、法具の三鈷杵(さんこしょう)を日本に向けて投げました。
後に空海が高野山の付近に来たところ、ある猟師(実体は狩場明神)から夜になると光る松のことを教えられ紀州犬に案内されて丹生明神に会い、高野山を譲り受けた空海はこの場所で松に掛かっている三鈷杵を見つけます。
これこそが唐で投げたあの三鈷杵であり、空海はここに真言密教の道場を開くことを決断。高野山の開創となりました。 -
三鈷の松
御影堂と金堂の間、赤い玉垣で丸く囲まれた松の木。 -
壇場伽藍/御影堂(みえどう)
空海の肖像(御影)が安置されているため、壇場伽藍で最も重要な聖域とされている。
真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。 -
御影堂
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壇場伽藍/准胝堂(じゅんていどう)
本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。 -
准胝堂(じゅんていどう)
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壇場伽藍/孔雀堂
東寺長者延杲が孔雀法を用いて雨を降らせ旱魃に苦しむ都を救ったことに対して 後鳥羽上皇はこの堂を建てて報謝しました。 -
孔雀堂
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壇場伽藍/西塔
弘法大師の伽藍建立計画案である『御図記』に基づき、真然大徳によって建立。
西北の隅に位置し、根本大塔の鮮やかな朱色に対し年代を重ねて古色蒼然とした白木造りの塔です。本尊は金剛界大日如来、胎蔵界四仏。
[建立:886年 再建:1834年] -
壇場伽藍/御社
弘法大師が弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました。
[建立:819年 再建:1522年] -
壇場伽藍/山王院(さんのういん)
入母屋造りのお堂は御社の拝殿として創建。
[建立:1171年 再建:1845年] -
壇場伽藍/六角経蔵
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため
紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。 -
壇場伽藍/金堂
総本堂で、年中行事の大半がここで勤修される。
壇場伽藍の中央に位置する。[建立:819年 再建:1932年] -
金堂
2日後の4月2日に落慶法要が営まれる為、
準備中でお堂には入れませんでした。
金堂 ご本尊の薬師如来が御開帳されます。 -
蓮池
干ばつに苦しむ人々を救うために善女竜王像と仏舎利を祀った池です。 -
蓮池
-
壇場伽藍/中門
開創1200年を記念して170年ぶりに再建。
持国天(じこくてん)像・多聞天(たもんてん)像・広目天(こうもくてん)像・増長天(ぞうちょうてん)像の四天王を安置する。
壇場伽藍にある数多くのお堂拝観し終えて・・・
さて次は・・ -
壇場伽藍から歩いて15分参道を行くと、辺りは老杉がそびえ・・
やがて立派な門が・・ -
「大門」です。
高さ25メートルもある2階2層の入り母屋造りで、堂々たる楼門です。
現在の大門は江戸時代の1705年に再建されたものです。 -
両脇では金剛力士像がにらみを利かせています。
-
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高野山指定建造物に指定されています。
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高野山の入り口にそびえる大門。もとは現在地から下方のあった物を1,140年移され、現在の建物は1,705年の再建のもの。高野山の西端にあります。
大門から壇場伽藍、金剛峯寺、苅萱堂などを通って東に向かう参道が高野山のメインストリートで、その終点は奥の院です。 -
大門のそばに建つ町石。信仰の道とされてきた高野山町石道の道しるべです。
次回に来ることがあれば町石をたどって歩いてみたいと思います。
そして大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)が祀られているそうです。片道25分掛るので・・こちらも次回に。
最後は・千手院橋からバスに乗り女人堂へ・・ -
女人堂
明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。
高野山への7つの街道の入り口は「高野七口」とよばれ
それぞれに「女人堂」がありましたが・・ -
今は不動坂にあるこの一つだけが面影をとどめています。
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弘法大師への強い信仰心は多くの女性を高野山へと導き、祖廟を伏し拝み、真言を唱え
滅罪と即身成仏を祈るための籠堂(こもりどう)として女人堂は大きな役割を果たしました。 -
金剛峰寺・女人堂のご朱印。
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「お竹地蔵」女人堂の向かいにあるお地蔵さんです。
再び女人堂前からバスに乗り・・
曲がりくねった道を通り・ -
午後3時半、高野山駅に戻ってきました。
今回は日帰りなので奥の院には行けませんでしたが、奥の院、町石道などを歩くならもう1〜2日は最低見ておきたいところです。
高野山山上には52カ所の宿坊もあるので泊ってみるのも・・良いですね。 -
ヤマトの柿の葉ずし・大門の近くにあった南峰堂の力餅を買って帰りました。
押しがきつくない柿の葉ずし、鯖も美味しかったです。
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