2015/03/11 - 2015/03/11
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アルプ・グリュムさん
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富戸駅から城ヶ崎ピクニカルコース経由で門脇灯台までを散策しました。
前回は城ヶ崎海岸駅から海洋公園までを散策しまたのでこれで城ヶ崎ピクニカルコースをすべて歩いたことになります。
このルートは伊豆急主催の全線ウォーク富戸駅?城ヶ崎海岸(4.5km 約75分)と同じです。
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富戸駅
観光客の姿はなく、駅前に店舗もありません。
駅横の大きな木はソメイヨシノですがつぼみもありません。
観光案内地図の横には寒桜だと思いますが咲いています。 -
観光案内地図には川奈駅から伊豆高原までのハイキングコースが書かれています。
富戸駅からはこれから私が歩くルートと一碧湖までのルートが記されています。 -
海に向かって住宅街を下ります。
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三島神社に寄っていきます。
由緒がある神社のようで碑がいくつか設置されています。 -
三島神社
伊東市の有形文化財に指定されている本殿は「二間社流造り」というめずらしい建築様式です。 -
手掘りです。
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ほれぼれします。
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柱部分はいたずら防止のため金網が巻いてあります。
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三島神社の参籠石(おこもりいし)
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此の浜石は当区に若衆組の組織があった当時、若衆組だけの漁をしていた折不漁の時に一週間此の下の中庭で参籠と云って火を焚き神様に祈願をした。
その際若衆は毎夜参籠の後で素足とふんどし一つの身となり区民の寝静まるのを待って海岸へ行くのである。それは人に見られないことになっているもので時として会う場合は物陰にかくれて通り過ぎるのを待つのである。
寒風吹く暗夜午前一時過ぎに一斉にとび出した若衆は海岸へ行き暗い中を手でさぐり浜石をひろうのであるが最初に手をふれたのを持つのである。 これは大きいからこれは小さいからと選んではいけないきまりになっている。大きい石を持つ者小さい石を持つ者等は神前に祈りをこめて奉納した。それだけに大漁の祈願の真心は神様に通じ一週間の終わりには必ず大漁があったと云う。
その後敗戦国となって時代は大きく変り民主主義の世の中と云うことで当区の若衆組は解散しこの行事も終わったのであるが 数回に亘る参籠に奉納された浜石は数百個にもなってこの両側に積まれていたが境内の整備その他に使用され残りは裏側に積まれてありその一部をここに積んで当時の若者の意地と度胸と、信仰の尊い精神を偲ぶと共に後世に永く伝えべく保存するものなり。 -
千鶴丸と橘
永暦一年(一一六〇)伊豆に流された源頼朝は宇佐美の宿に潜在中伊東の庄祐親の三女八重姫と音無の森で人目を忍ぶ仲となりやがて八重姫は頼朝の男子を出産し千鶴丸と名付けた。これを知った平家の官領である父祐親は清盛に知られては一大事と八重姫から千鶴丸をうばい家来に命じて伊東の八代田にある川の稚児ヶ渕(千鶴丸を沈めた後につけられた名称)に体に石をつけて沈めたのである。
この折通る道側に鎌田神社の境内にあった橘の花の香り高く匂っていたので家来はせめての慰めにと小枝を二本おって両方の手ににぎらせ沈められた千鶴丸は、やがて石がとれて川を下り海へ出てこの富戸の宇根の海岸に着いたそれは丁度朝のことここで漁をしていた富戸の住人甚之右衛門(現時生川屋[なまかわや]の先祖である)と云う人が之れを見つけひろい上げたところ生れてまもない小児であり面も衣服は立派なものをまとっており両方の手には橘の小枝がみずみずしくもにぎっていた。
甚之右衛門はこれは高貴な方の小児であると思い丁重に側にあった岩(現在産衣岩[うぶきいわ]と云う)に安置し遺体を乾かして此の地に葬ったと云う。この時にぎっていた橘の小枝をいっしょに押したところ無残にも一命を絶たれた恩念はこの橘に移ったのか見事に根付き数年成長せしも千鶴丸のもとえ帰へりしか、枯死したため昭和八年村人達はこれをおしみ同じ橘を両側へ植えたのがこの橘である。右側は病気で枯れたのであるが残ったこの橘は年々香り高い花と実を結び見る者をして亡き幼子千鶴丸の面影がほうふつとして浮かんできます。 -
県道と富戸のバス停
確かに富戸の中心はこの辺りですが富戸のエリアは海洋公園、グランパル公園、大室山に至る広大な面積があります。 -
次に向かうのは宇根展望台です。
県道のバス停近くには案内標識が設置されています。 -
宇根展望台近くには釣り客専用の有料駐車場があります。
ここを訪れるのは観光客よりも釣り客の方が多いようです。 -
宇根展望台が見えてきました。
展望台の手前には大きな産衣石があります。 -
これが産衣石ですがどこにでもある普通の石です。
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この表示がなかったら本当にだだの石です。
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産衣石
「永暦一年(1160年)伊豆に流された源頼朝は伊東祐親の三女八重姫と人目を忍ぶ仲となり男の子が生まれた。この子は千鶴丸と名付けられたが、平家の管領である祐親は清盛に知られては一大事と千鶴丸を八重姫からうばい家来に命じて伊東の八代田の川に千鶴丸の腰に石をつけて沈めて殺した(この処を後に稚児渕と云う)。沈められた千鶴丸の腰の石がとれて川を下り海に出て富戸の海岸に着きここで釣をしていた甚之右衛門が見付け引揚げた処高価な着物を身に着けておりこれは高貴な御子であると丁重に扱いこの石の上に安置し着物をかわかして念ごろに葬ったと云う、これによりこの石を産衣石と云うようになり千鶴丸は若宮八幡・氏神となりここの三島神社の御祭神三島大明神の相殿として祀られ御例祭には鹿島踊りが奉納され村人の平穏無事と五殻豊穣大漁が祈願され三島大明神と共に二年に一度神興の渡御があり御旅所として此の石に据え暫時の御休憩をし千鶴丸にも祈りが捧げられる。
又甚之右衛門は千鶴丸がにぎっていた橘の枝が余りにも見ごとであったのでこれを三島神社の社殿の前に挿した処、千鶴丸の怨念で根付いたが数年にして枯れたので同じ物を植えたのが現在に至り毎年香り高い花を咲かせ当時を偲ばせてくれる。
千鶴丸がにぎっていた橘は千鶴丸が稚児渕につれてゆかれる途中鎌田神社の境内に丁度香り高い匂いをつけた橘をせめてもの慰めにと家来が持たせたと云う。
後に知った頼朝は甚之右衛門を呼び出して賞賛の言葉と生川(うぶかわ)の姓と杯を授与されたと云う。生川(うぶかわ)の姓は今では生川(なまかわ)と云う屋号で甚之右衛門の生家は現在の三好伍郎家である。 -
宇根展望台
付近に駐車もないため訪れる観光客は稀だと思います -
宇根展望台
特別な景色が見られる訳でもありません。 -
伊豆半島ジオパークと称する案内板が設置されてあり、「こうして大地は造られる」の題材通り詳しく書かれています。
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案内板の前に広がる断崖はほとんど柱状節理と呼ばれる溶岩です。
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展望台の真下には柱状節理と呼ばれる溶岩が作りだした芸術が見えます。
案内板を見て実際にすぐ見られるので勉強となります。 -
富戸港方向を見ています。
城ケ崎の磯(磯の名前で「まえかど」)は左の先端から始まります。 -
展望台の真下にはこの先 キケン 立ち入り禁止となっています。
よく見ると手すりもあり足場もしっかりしているので先端まで行くことにします。 -
先端から展望台を見ています。
この周囲は釣りのポイントとなっていて、私は手摺の中にいますが釣り人が下に下りた形跡が残っています。 -
展望台からの景色です。
左の大きな石は産衣石で、寒桜が満開になっていました。 -
竜宮神社と呼ばれています。
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宇根展望台から県道に沿いに歩くと再びジオパークの案内板がありました。
海沿いで大変寒かったのですが寒桜が温めてくれるように咲いています。 -
ジオパークにはまた火山のことが書いているのかと思ったのですが江戸時代の出来事が書いてありました。
江戸城を築く際に石垣用の石材を取るための石切り場所です。 -
それはこの元船石と呼ばれる石です。
石の中央のくさびの跡は石を割ろうとした痕跡です。 -
大きさを見る為に周囲の景色を入れると大きさが想像できると思います。
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ジオパークにはその元船石のことが詳しく書かれていますがこの海岸の石には案内板がないので自分でそれらしい石を見つけなければなりません。
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ジオパークの説明板の横には早咲きの桜が咲いていました。
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少し位置を変えて
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伊東市内には200個が確認されたと書いてありましたが何処とはかいてありませんでした。
想像するしかないので海岸を眺めてそれらしき石を見つけるしかありません。
この石も該当するのでしょうか? -
この石も?
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この石も?
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この石も?
大きな石は皆、元船石に見えてしまいます。 -
伊豆高原駅には江戸城富士見櫓の築城石が展示されてあります。
しかし、主に伊豆の自然石が使われたとしか述べられていません。 -
江戸城富士見櫓の築城石
この横に富戸の元船石(写真でも可)があれば具体的な説得となるはずです。 -
後ろの県道側を見ると桜が咲き誇っていました。
次は県道から富戸漁港に行きます。 -
富戸漁港
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富戸漁港から見た払火山
この払火山があったためこの一帯の海には大室山からの溶岩がないのです。
この火山の真ん中を伊豆急(富戸〜城ケ崎海岸)のトンネルが貫いています。 -
富戸漁港入口にも伊豆半島ジオパークの案内板があり、「花と海といで湯の街 伊東」と称し観光案内が主に記されています。
この場所は遊覧船の乗り場とは少し離れているので見るのはダイバーが相手となります。 -
漁港の駐車場の横にある2隻の船は?
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第一温泉丸という名の廃船を利用したダイバー専用の温泉です。
こちらの船は水着に着替えれば一般の人でも入れますよと地元の方が言ってくれました。 -
ダイバー専用の温泉でした。
この寒い海の中を潜ったダイバーには最高の設備だと思います。 -
城ヶ崎遊覧船乗り場
本日は強風と波が高いので運休です。 -
漁港より宇根展望台、富戸方面を見ています。
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反対側には魚見小屋とその先の「まえかど」が見えています。
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停泊しているのは釣り船がほとんどで、ダイバーもこの船でダイビングポイントへ向かいます。
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漁港から見た富戸の町と富戸の磯
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魚見小屋が見えます。
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ダイバーが潜水の準備中です。
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いよいよ冷たい海に潜ります。
しかし、ダイバーは一言私に一度海水に浸かれば気温よりも水温の方が高いの快適ですよ。 -
富戸漁港をあとにして漁港の裏側を歩きます。
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漁港の裏から県道に出ると、ぼら納屋、城ヶ崎遊覧船、門脇吊り橋の案内板が観光客を呼んでいます。
手すりがある部分は城ヶ崎ピクニカルコースの入口の遊歩道となります。 -
ここからが城ヶ崎ピクニカルコースの入口となります。
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遊歩道に入ると途端に静かになり鳥のさえずり、タイワンリスの鳴き声が聞こえてきます。
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遊歩道の横に獣道があり進んで行くと魚見小屋が見えてきました。
立ち入り禁止の札があり躊躇しましたが歩いた跡があったので中に入りました。 -
恐る恐る足元に注意しながら近づきます。
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近づけたのこの先までで、ここにも立ち入り禁止の札が見えました。
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さすがに腐った板の上には行けません。
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魚見小屋内部には囲炉裏があるだけで、農林水産大臣からの歴史的建造物の認定証が掲示されてありました。
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魚見小屋の案内板あり、遊歩道が続いています。
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伊豆半島ジオパークの「ぼら漁の歴史を今に伝える魚見小屋」の碑がありました。
先には魚見小屋が見えています。 -
「ぼら漁の歴史を今に伝える魚見小屋」
ぼらの群れを監視して漁師に伝えるための小屋で、静岡県の有形民俗文化財に指定されています。 -
先には展望用階段、手摺が見えてます。
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しかし、松の枝が邪魔して魚見小屋の全体が見えません。
折角、展望用の手すりまで設置したのですから松の枝も伐採してほしかった。 -
またしても獣道を辿って崖を下ります。
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やっと全体が見えました。
足元は断崖絶壁の真上です。
次はぼら納屋に向かいます。 -
ぼら納屋に向かって遊歩道を歩いて行くとプールとその先の釣り掘りが見えてきました。
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ぼら納屋
ここからは皆さんのブログで紹介されているので簡単に行きます。
私は食事してもレポートは致しません、「見る」だけに徹しているからです。 -
つり掘り
誰もいませんでした。
遊歩道を進みます。 -
「まえかど」には伊豆半島ジオパーク「二手に分か流れた溶岩流」の説明板がありました。
この二手とは先ほど訪ねた富戸の町と城ヶ崎に分かれ流れた溶岩だそうです。
伊豆急の富戸駅と城ヶ崎海岸駅間はトンネルにとなっていますが古い火山の「払火山」でこの火山の溶岩のため行く手を阻まれ二手に分かれました。 -
「まえかど」の磯
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「まえかど」の磯の先に見えているブイと漂流物みたいなものはダイバーを送ってきた船が停泊する場所の目印です。
実はこの磯も釣りのポイントとなっているのですがダイバーにとてもポイントとなっています。 -
見える磯は「こずり」です。
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溶岩の中にしっかりと根を張った松の木。
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「こずり」の碑
磯の名前は昔、漁師が決めたそうです。 -
こちらは「こずり」
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こちらは「おおずり」ですが磯釣りの本には「こずり」と分けて紹介されています。
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砲台跡
何処が砲台跡なのかわかりません。 -
黒船来航(1848〜1854年、嘉永年間)の際、徳川幕府が海辺防備と巡視を命じ、沼津藩でもここ富戸、川奈に計4門の大砲を備えたそうです。その後、大砲は下田に移され、現在は砲台跡だけ残っています。
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レプリカの砲台が設置されていますが何を意味があるのか分かりません。
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この付近には地元の小学校の記念植樹が多く見られます。
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各所で見られますが古いものは文字が消えてしまっているようです。
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次の磯は「ふたまた」です。
大きな木の右側は磯へ降りる釣り人の道です。 -
奥に見えているのが「おおずり」、手前が「ふたまた」です。
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「ふたまた」の全景です。
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「ふたまた」の碑
吊り橋まで0.4Kmとありますが平地であればすぐですが階段があるため実質的にはもっと長く感じます。 -
「もずがね」
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「もずがね」の全景
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「かどかけ」の全景
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「かどかけ」の碑
磯に出るには一度下りて断崖を上がらなくてはなりません。
左に見える磯は「もずがね」です。 -
「かどかけ」の磯
ここまで磯の名前を細かく紹介しましたが磯釣りに興味がない方々にとてはどうでももよいことです。
門脇吊り橋は階段を上ると到着です。 -
観光客の皆さんはこの門脇吊り橋が目的です。
今更何も述べません。
この後、城ヶ崎海岸駅まで歩きます。
前から気になっていた事実を次のページで記します -
城ヶ崎海岸駅の標高は90m
日本中で標高がこんなに高い海岸と名の付く駅は他にあるのでしょうか?
駅から海岸(門脇吊り橋)まで徒歩で25分も歩きます。 -
伊豆高原駅の標高は72m
日本中でこんなに標高が低い高原の名の付く駅があるのでしょうか?
高原の駅が海(橋立吊り橋)まで徒歩で20分しか離れていません。
もう一つ、双方の駅の標高を比べると海岸の駅が高原の駅よりも高い場所にあるのです。
双方の駅の距離が離れていればよいのですが2kmちょっとで乗車時間は2分です。
高原の駅と海岸の駅がこれほど近い距離にあるのもここだけではないでしょうか。
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