2015/03/03 - 2015/03/03
17位(同エリア260件中)
こあひるさん
かつて仙台市内には歴史を伝える数々の地名があった。昭和40年代に入り、その多くが新町名に切り替わっていったが、若林区内には今でもたくさんの歴史的地名が残されている。
地下鉄河原町駅周辺の一帯は、旧仙台城下南東端に位置、奥州街道沿いとして栄えた。
城下町の境には柵がめぐらされ、南の玄関口(河原町)には、丁切根(ちょうぎんね)と呼ばれる、城下への出入りを制限する扉のついた木戸が設けられ、朝夕に開閉されて城下に出入りする人々で賑わった。
江戸中期以降には、豪商の家が並ぶ城下でも有数の商人町となった。
現在も、城下町風情の家並みが連なって残っている・・・なんて光景は残念ながら見られないのだが、所々に往時を偲ばせる町割りや店蔵などが残されている。
そんな若林区内で「うれし楽し蔵deひなまつり」と称したひなまつりイベントが3月1日〜5日まで(会場により異なる)催された。
昨年、訪れてみようと思いながらも、「塩竈deひなめぐり」にだけしか行く時間がとれなかったので、今年こそ・・・と思い、出かけてみた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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1860年ころの仙台城下の概略図。現在私がいるのは、城下町の南東端にあたる河原町と南材木町の境目あたり。
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現在の河原町周辺の地図。赤いラインが奥州街道です。往時、どんな人たちが住んでいたのか想像できるような町名が残っていていいですよね〜。
今日はひなまつりがメインですので、ひなまつり会場となっている建物がある、河原町、南材木町、舟丁あたりを歩きました。
道に迷ったため・・・五十人町や三百人町あたりまで、無駄に足を延ばしてしまいましたが(ノД`)・゜・。 -
若林区内エリアのひなまつり会場は、10ヶ所・・・といっても、かなり離れている会場もあるので、徒歩で全部まわるのは無理ですね。
まずは・・・地下鉄河原町駅南口から最も近い「旧丸木商店」の店蔵からスタート。
河原町駅を境に、こちらは南材木町になります。
町名のとおり、木材の専売権を許された町で、寛永年間(1624〜43)、若林城(伊達政宗公の隠居城で、政宗の没後は廃城とされた)が造営された際に、その城下町として割り出されました。
その頃は若林材木町と呼ばれ、南材木町と呼ばれるようになったのは、若林城が廃されてからです。
延宝3年(1675)までは、材木のほかに煙草の専売権も持っていました。
佐藤家「旧丸木商店」は、市内最古の蔵(1781年築)で、仙台台市景観重要建造物に指定されています。
佐藤家は江戸時代以来の薬問屋で「丸木」の屋号で知られてきました。現在も舟丁で薬店を営み、現在で7代目だそうです。うれし楽し 蔵deひなまつり 祭り・イベント
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店蔵の1階・・・店舗部分だった部分から、会場となっている2階へ上がるようです。
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狭くて急な階段は、日本の古い家屋にはつきもの・・・。
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2階は、作業場であった板の間と、従業員の休憩部屋であった畳部屋と2室に分かれていました。
作業場の板の間には、狭くて急な階段を昇り降りすることなく、荷物を1階との間でやりとりできる仕組みがあります。1階の天井=2階の板の間の床に開いた穴から、滑車に巻いた綱を利用して、上げ下げします。格子の引き戸を開閉できるようになっています。
村田町の店蔵にも同じような仕組みがありました。 -
板の間には、型絵染めの着物など展示されています。
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佐藤家は、昭和47年までこの蔵でお店をやっていましたが、それ以降は、別の場所に引っ越してしまい、この店蔵は、閉め切ったまま放置していたそうです。解体するにのもかなりお金がかかるので、朽ち果てるまま・・・にしておいたそうです。
現在では、市の景観重要建造物等指定建物になったことや、蔵を生かした町づくりの動きにより、大震災後に外観もキレイに修復され、イベントなどの際に利用されるようになりました。 -
なんだか価値のありそうなアンティーク物がありますね。
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お座敷に入ってみます。
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従業員さんの休憩部屋だったので、当時のアイドルの写真などが貼られて・・・そのままになっています。
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お座敷から板の間を見た画。
入れ替わり立ち代わり、けっこう人が訪れていて賑やかです。 -
木目込みの内裏雛は、今年92歳のお母さま(佐藤家の奥様の)が、39年前に初孫のために手作りしてくれたものだそうです。器用ですね〜〜(*'▽')!!
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堤人形のお雛さま。
堤人形とは、城下町の北端にある堤町(足軽が住んでいた町)で作られていた土人形です。河原町では農家をやったり、堤町では焼き物をやったり、江戸時代の足軽たちは、内職をしないと生活が大変だったんですね。 -
この内裏雛は、江戸時代(弘化2年)に、京都から供侍と稚児人形とともに、ひとりの人に背負われて運ばれてきたものだそうです。
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古今雛かな。豪華な冠〜。
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(奥さまの)お父様が、終戦後に、市内の古道具屋さんで購入した江戸時代頃の内裏雛だそう。
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旧家に飾られた、旧いお雛さまを見ることができるのがとても嬉しいです。
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さて、次の会場に行きましょう。
おひなさま会場のマップをプリントしてきたのですが・・・実際のところ、ここら辺の道路は碁盤の目になっておらず、大きな道路も真っ直ぐでなかったり・・・東京の下町みたいに狭い路地はないのですが・・・イラスト的に描いた地図と実際の道路の様相が全く異なるので、すごく分かりづらく、方向音痴の私泣かせです〜。
商店街に入りました。この商店街に、メイン会場があるはず。
写真右側の和菓子「つぼや」は、昔は糸屋さんだった建物だそうです。 -
商店街沿いの「仙南堂薬店」が、若林区内エリアのメイン会場になります。
白漆喰の土蔵造りは、100年ほど前に建てられたもので、こちらも仙台市景観重要建築物に指定されています。もともと砂糖問屋の店として建築されたものだそうです。 -
わ〜!華やかなつるし飾りが目を惹きますね〜!こちらも女性サークルの人たちで作ったもののよう。
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七夕飾りみたい〜〜!これは初めて見るなぁ〜〜(*^▽^*)。
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申込制で、可愛らしいものをつくるサロンも開催されています。私はこういうの全くできないんです〜〜。
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子供たちが作ったお雛さまも展示されています。
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大正時代のお雛さま。御殿は、このお雛さま用のものではないので、ちょっと大きさが合っていませんが・・・。
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こちらは・・・最初から犬の散歩姿ではなかったんでしょうが・・・なかなかいいですね!
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こちらの会場では、色々な方が所蔵しているお雛さまを持ち込んで展示しているので、新旧さまざまなものがあって、楽しいです。
こちらは、山形県庄内地方(今は宮城野区にいらっしゃる方のご実家)に伝わっている明治初期頃の瓦人形。瓦人形も、堤人形と同じ土人形のことです。 -
土人形も、古い時代のものはいい味を出しています。保存状態の良いものは、鮮やかな色彩がそのまま残っていて目を惹きます。土人形は、素朴な作りが温かい感じですね〜。
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古今雛。
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江戸時代のお雛さまは、着物の刺繍がほつれてしまってわずかばかりしか残っていなかったり、着物の色が褪せてしまっているものが多いですが、このお雛さまは、かなり保存状態がいいようで・・・着物の刺繍の柄がかなり美しいままです〜。
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冠も、飾りがほとんど取れておらず、キレイなままです。豪華ですね〜。
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こちらの土人形は、堤人形。江戸時代から代々受け継がれてきたものだそうです。
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黒漆塗りの源氏枠雛御殿は、大正〜昭和初期のもの。納められているお雛さまたちは、もっと新しいものです。
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こちらは・・・古今雛・・・かな?
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享保雛。古今雛に比べると、身体のつくりが四角っぽいです。内裏雛を飾ってある箪笥も年代物ですね〜。
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堤人形。
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大正時代の芥子(けし)雛。享保年間、人々の消費を規制するために、大型の雛人形が規制されましたが、それを逆手にとって、小さく精巧な雛人形が流行しました。
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様々なお家の貴重なお雛さまがお披露目されていますね〜。
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ひな壇に飾られる小さくて精巧なお道具が、子供ころにはけっこう気になりました。
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明治時代の鴻巣人形。
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こちらは昭和30年代の御殿飾り。
御殿飾りは、江戸時代後半に京都で流行し、特に関西で好まれました。
こちらのものは、静岡あたりで昭和初期から40年ころまで盛んに作られたものと思われます。徳川家の影響か、京都のものよりぐっと派手なデザインとなっています。 -
色々なお雛さまが所狭しと混在して並べられているので、あとから写真を見てもどれがどれだかわかんなくなっちゃいますが、じっくり眺めるとなかなか見ごたえがある会場でした。
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雛人形の始まりは、立ち雛だったと聞いたことがあります。
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屏風のデザインも、お内裏様に合わせて色々なんですねぇ。
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呉服店を営んでいた旧家の大正時代のひな壇飾り。
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昭和初期のお雛さま。東京大空襲、岩手宮城内陸地震、東日本大震災を体験したお雛さまだそうです。
足りなくなったお道具は、児童館の子供たちが手作りしてくれたそうです。 -
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「旧仙南堂薬店」は、メイン会場だけあって、なかなか見ごたえがあって、堪能できて満足でした。江戸時代のお雛さまもたくさんあり、この会場だけでも充分!と思えるほどでした。
外に出ると、脇の空き地で「おソトdeほっこりカフェ」と称して、温かいものなどが販売されています。 -
おしるこ(100円)を頂いてちょっぴり休憩。
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次の会場へ向かう途中、ちょっと入ってみたいな〜と思うイタリアンレストランがありました。
お腹が空いていないし、まだ休憩するタイミングではありませんでしたが、なかなかよさげです。今、HP見たら夜の営業だけみたいです。
イタリアン食堂ムジカ
http://www.wine-ate.com/musica/index.html -
住宅街を通り抜けて・・・次の会場へ・・・。
駐車場の脇に、使われていなさそうな蔵がありました。 -
崩れかけちゃっています・・・ね。
若林区の中で、これまでに解体してしまって、現存していない古い家屋や蔵はいくつもあるようです。 -
昭和市電通りという大きな通りに出ました。また古い家屋を発見!
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3つめの会場「大正バナナ屋敷(旧山口商店)」が見えました。広瀬川はすぐそこです。
ヤマサンの屋号を掲げた浅野家。かつてバナナの問屋さんでした。先代は神戸出身。大正10年ころ現在地に移ってから、いちご、バナナ、ミカンなどの果物問屋を開業したそうです。
バナナは昔は高級なもので、仙台市内の大手の八百屋さんでも、一回の仕入量は1〜2房でした。
バナナの問屋や卸売市場ではムロ(室)と呼ばれる貯蔵庫を持っていて、ここで青いバナナを熟成させてから販売しました。浅野家では、夏期は氷、冬期は都市ガスの熱を利用して温度調節をしていたそうです。 -
蔵の脇にある門から奥へ入るようです。
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裏手の通り道には、昔使っていた看板が・・・。
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裏手から蔵に入ると・・・たくさんの人が訪れていました。火鉢の柄がステキです。
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時代の異なる七段飾りが3つ置かれています。
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大正〜昭和初期の御殿雛飾り。お雛さまを出すときに、御殿を組み立てるのが一番大変だったそう。
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子供時代の鮮やかな着物。現在、七五三とかで見かける子供の着物とはちょっと雰囲気が違いますね。
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さくら湯を振舞って頂きました。
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こちらはお正月っぽい。
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昭和50年代の七段飾り。
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バナナ屋敷3代目、一人息子さんの五月人形(昭和20年代)だそうです。
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お邪魔しました〜〜!
蔵の裏手に、母屋や庭などがあります。 -
ちょっと広瀬川まで行ってみます。広瀬川のすぐそばにある「桃源院」。
いまから200年前、数度の冷害や大凶作により、多くの人々が飢餓で命を落としました。
仙台藩は、広瀬橋の近くに「お救い小屋」を設けて、粥をふるまって救いの手を差し伸べましたが、多くの人が川の前で力尽き衰弱死したそうです。
飢饉による餓死者を供養するため、安永3年(1774)に7代藩主伊達重村夫人が、黄檗宗(浄土教と結びついた臨済禅宗)の寺として開いたものです。
毎年8月に行われている「広瀬川灯ろう流し」は、飢饉で亡くなった人々の供養のために、ここで行われたのが始まりと言われています。 -
境内には「叢塚(くさむらづか)」があります。
飢餓で亡くなった者が余りにも多くて火葬できず、叢(くさむら)に大きな穴を掘り、死者を投げ込んだのが、桃源院にある叢塚だと言います。
本堂の脇あたりに・・・普通のお墓と同じような形式の新しい墓石がありました。叢塚のことは、この旅行記を作っていて初めて知ったので、誰かのお墓がこんなところにあるのかな・・・(墓地は、本堂の裏手なので)くらいにしか思わず、ちゃんと見てきませんでした。最近、墓石を新しいものに替えたようで、艶のある黒いキレイなお墓でした。
無礼さ100%でずうずうしいですが・・・仏像については積極的に写真を撮りたいですが・・・お墓についてはあんまり積極的に撮りたくはない・・・かな。 -
広瀬橋から眺めた広瀬川。
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白鳥がたくさんいます。
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広瀬橋のたもとには、「大正バナナ屋敷」の奥様に教えてもらった「橋姫明神社」と「橋供養碑」。
橋供養の石碑は、文政6年(1823)に建立されてものと伝えられています。
藩政時代、この地に初めて永町橋(今の広瀬橋)を架けることになりましたが、長雨続きで広瀬川は氾濫し、橋を架けようにも架けられない状態でした。これは竜神様のお怒りに違いないとして、信心深い若い娘を人柱にしないと橋は架けられないという噂が広まりました。その時、長町根岸の長者の一人娘が「私が参ります」と申し出ました。娘は、儀式に従って、十八夜観音堂に籠って断食をした後、川べりの木箱に入り埋められました。祈りの声と鉦の音はしばらく続きましたが、やがてそれも消えるように途絶えました。すると、川に光が射し、大水は見る見る間に引いて、無事に橋を架けることができました。娘は、橋姫として、今も地元で供養が行われているそうです。 -
さて、昭和市電通りを戻り・・・次の目的地に向かいます。
あまりにも道が分かりづらいので、前の会場を出る時に、次に行きたい場所の位置を尋ねてからいくようにしました。
二股に分かれている道・・・曲がりくねっている左側の道につい、入り込んでみたくなりますが・・・欲望を抑えてまっすぐ昭和市電通りを北上します。 -
最初に訪れた「旧丸木商店」の前を通り、南材木町に入って、奥州街道を北上します。
奥州街道沿いにある「旧針惣(はりそう)旅館」。昭和26年(1951)から62年(1987)までは旅館だったそうです。市川房江、幸田文、角川源義をはじめ、東北大学での講義のため来仙した教授たちが多く宿泊したそうです。
店蔵の後ろ側にある木造の母屋は、昭和初期の建築。
江戸時代には、河原町木戸番を務めていました。 -
「旧針惣旅館」の向かいには「小林薬局」。明治2〜3年頃の建築だといわれています。
昭和38年まで味噌醤油の醸造を行い、明治時代には主人の小林八郎右衛門が秋保電鉄を開通させています。
かつて、この奥州街道沿いには、こうした店蔵をもつ豪商が軒を連ねて活気があったんでしょうね〜。
現在は、町割りにその雰囲気が残っていたり、修復した家屋で元は蔵だったのかなぁ・・・みたいなのはあったりしますが・・・こちらの2軒のように、明らかに当時の店蔵として残っているものは明らかに少なくなっており、マンションや現代家屋の家並みとなっています。 -
南材木町の真ん中を横切る用水路にぶつかりました。この用水路は「七郷堀」と呼ばれます。
広瀬川の愛宕堰から引き込まれた用水路です。
名取川河口から広瀬川を経て舟で運ばれてきた米や木材などは、堰場(どうば)を通って七郷堀に入り、舟丁周辺に置かれた蔵にいったん集められ、その後、奥州街道などを経て各地へ運ばれていきました。
七郷堀沿いのお蕎麦屋さんの家屋も、近代的に改修されているようですが、昔ながらの風情がいい感じです。七郷堀 名所・史跡
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七郷堀沿いに、下流に向かって少し歩くと、「舟丁橋」。舟丁橋のほとりにあるのが次の目的地「石橋屋」。こちらの建物も、仙台市景観重要建造物に指定されています。
「石橋屋」あたりは舟丁という町名で、奥州街道沿いからはやや外れます。
春には枝垂桜が咲き、風情たっぷりの建物とのコラボは、仙台の桜の名所の一つです。 -
「石橋屋」は、明治18年創業の仙台駄菓子製造販売のお店。
あれ?こちらは、特にひなまつりっぽい目印もないけれど・・・一応、若林区内エリアの会場のひとつなんです。
お店にお雛さまが飾ってあるだけ・・・ってパターンかな・・・。駄菓子は・・・あまり好みでもないですが・・・せっかくわざわざここまで来たので入ってみようかな。石橋屋 グルメ・レストラン
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店内です。
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傷んでいますが、襖絵がアンティークな感じ〜。
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明治18年創業ですが、お雛さまは昭和のもの。ちょっと残念かな・・・。
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お店のおばさんは、あんまり愛想がなかったので・・・次に行きたい会場(けっこう離れている)への道のりを聞き損ねました・・・。
・・・外に出たものの・・・ひなまつりマップは、かなりいい加減で大雑把なイラストだと、河原町に来てからわかったので・・・どっちの方向へ歩み出せばいいのかすらわからない・・・。
もう充分かなぁ・・・って気にもなっていたので、一か八か・・・もし行き着けなくてもいいから行ってみるか・・・(こういう場合、たいがい真反対方向へ行ってしまうことが多い私・・・)。
これほどマップが大雑把なものだとわかっていれば・・・グーグルで調べてきたのに・・・。
ひなめぐり・・・といっても、先に訪れてきた4軒だけは近くてOKだけど、あとはちょっと遠いし分かりづらいね。
七郷堀に沿って歩きます。堀の向こう側に、明治時代の建築「越後谷染物店」があります(今、知りました)。
このあたりは南染師町という町で、伊達家お抱えの染物師たちが住んでおり、七郷堀の水を使って染物をしていました。南染師町では、主に木綿の染物を扱っていました。
(主に上級武士の絹物を扱っていた染物師たちは、上(北)染師町に住んでいました) -
南染師町の「永勘染工場」。こちらのお店は創業は明治20年、この南染師町にやってきたのは戦後のことらしいです。
お店は・・・やっているのかやっていないのかよくわからず・・・とっても入りにくく・・・そのまま素通りするしか・・・。
オーダーメイドの半纏、手ぬぐい、のれんなどを作っているようです。 -
七郷堀ぞいに進んでいたら、用水路は続いているのに、道が行きどまってしまいT字路となってしまいました・・・。
アバウトなひなマップによれば、七郷堀沿いに次の目的地があるはずなのですが・・・東北本線と新幹線の高架下をくぐり・・・七郷堀を再び見つけなければ・・・。
六十人町に入りました。足軽組60人衆が設置された町だそうです。
今では、閑静な住宅地。
う〜〜ん・・・ひなまつりイベントって雰囲気もしないし・・・全くもってお手上げです。 -
こうやって雑誌が売られているのって、なんだか懐かしいな〜。
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七郷堀・・・どこ行っちゃった?
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七郷堀・・・見つかりました。ほっ・・・。
今、グーグルで見ていたら、結局行きつけなかった会場のお家を発見しました〜!
驚いたことに、私、ここのお家の前庭を覗いたんです〜〜(;゚Д゚)。
というのは、ここのお家の前庭に、ひなまつりのポスターが掲げられていたので、現在地でも示してあるかな〜と思って見たのですが、現代風の立派なお宅だったので、まさかここが会場とは思いもせず(←ここだっつ〜のに、あまりにも鈍感・・・?)、表札を見なかったんですね〜。
住宅街の中の、すごく普通の個人宅なので・・・お邪魔するのに勇気要りそうだけどなぁ・・・。
こちらのお家(洞口家)のお雛さまは、昭和初め頃のものが飾られているようでした。 -
自分が見事なまでの大失敗を仕出かしているのにも気づかず・・・くたくたになったので(住宅地すぎてカフェなんか無いし・・・)、どこか大通りに出て、最寄りの駅にたどり着こう・・・と、自分がどこにいるのかわからないまま、七郷堀沿いに歩きます。
・・・こういう時、スマホ使えばいいのよね・・・全く思いつかなかったわ・・・。
でも、昔の町名がついていて興味深いし、ひょいと往時の名残りを発見したりするのが楽しい。
七郷堀沿いには、桜の木が植えられていますので、春の散策にもいいかも・・・。 -
こちらも・・・昔は広い敷地のお屋敷だったって感じが残っています。
そして・・・大通りに出たものの・・・最寄りの駅はどこでどっち?
あんまり疲れてくると涙目になるよね・・・。
ダラダラ、グルグル歩いているうちに、三百人町という町に出て・・・ファミマで道を尋ねることにしました。店員さんがすごくわかりやすい地図を書いてくれて(口頭では複雑すぎる道程だったので)、そのとおりに歩いたら、無事に河原町駅にたどり着くことができました〜。ほんとにわかりやすい地図だった・・・ありがとうございました。
「石橋屋」を出たあと、約1時間ほど歩いたけれど、結局、お雛さまを見ることはなかったです〜。雛人形めぐりだけだったら、最初に訪れた4軒で終わり・・・でよかったな・・・。
でも、城下町の名残りを探して歩くのは楽しかったです。
しかし・・・仙台城下・・・さすがに広い・・・。 -
ついにカフェに巡り合わなかったので・・・帰りに仙台駅の駅ビルの甘味処であんみつを食べて・・・やっと休めました。
かなり疲れたひなめぐり(めぐってないよね・・・)となりました。
そして・・・若林区の城下町の名残りを求めて・・・さらにもっと歩いてみたいと思っています。玉澤総本店 エスパル店 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (10)
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- akikoさん 2015/03/08 22:55:44
- 歴史を感じる素敵な雛飾り
- こあひるさん、こんにちは
私はまだ仙台を訪れたことがないのですが、城下町の風情が残る昔の商家や民家がところどころに残り維持管理されているのですね。以前から仙台は食べ物が美味しいし、大変住みやすい町だとは聞いていましたが、また別の魅力も発見した気がします。
3月と言えば、やはりまず"ひなまつり"ですよね。タイトルにも"うれし楽し"と入っていますが、いくつになっても何だかウキウキする女性ならではのイベントです。我が家でも娘たちが小学生くらいまで7段飾りの雛飾りを飾り、ちらし寿司や雛ケーキを手作りしお祝いしたことが懐かしく思い出されます。
今回、仙台での"蔵deひなまつり"を巡られたのですね。木目込みの内裏雛さま、陶器や瓦で出来たもの、いろんな雛飾りを見ることができ、とても楽しく拝見しました。中でも、表紙も出ていた江戸時代のお雛さまはとても上品で優しいお顔をしていて素敵です!冠飾りは見たことがない繊細で立派なものですね。大変貴重なものだということがわかります。
東京大空襲、岩手宮城内陸地震、東日本大震災を体験したお雛さまも飾られていたそうですね。一部お道具は児童館の子供たちの手作りと書かれていますが、菱餅がそうなんだろうなと思いながら見せてもらいました。よくぞ残ってくれました。子供たちの思いもあわさってまた復活しましたね(*^^*)
仙台の歴史を感じる素敵な雛飾りをたっぷり見せてもらい、"うれし楽し"気分を味わえました♪
akiko
- こあひるさん からの返信 2015/03/11 14:31:03
- RE: 歴史を感じる素敵な雛飾り
- akikoさん、こんにちは〜!
仙台の中心地は空襲で焼けてしまい、旧い建物はほとんど残っていないのですが、ちょっと外れたあたりでは、ところどころ、城下町の面影が残っているようですね〜。私も、あまり知りませんでした。62万石もの城下町だったのに・・・昔の名残りが少なすぎて寂しいな〜とは思いますが・・・。
最近では、どこの町でもひなまつりイベントが盛んになってきて、訪れる者としては嬉しいですね〜。
普段は入れない旧家の中に入ってお茶をいただいたり、江戸〜大正時代あたりの古いお雛さまを見せていただいたり・・・新鮮です。
私の子供のころのひな祭りの記憶って・・・あまりないのですが・・・ガラスケースに入ったコンパクトな段飾りだったのはよく覚えています。そして、3月3日過ぎると、薄い紙に包んで(実家ではそうしていましたね)仕舞うのですが、その薄い紙に包んで仕舞うのが何だか好きだったような・・・(←自分でもよくわからない、子供心)。
今回の雛人形の中で、あの古今雛はなかなか素晴らしいものでした。あんなに保存状態がよい古今雛って初めて見ました。今年は、いつもよりもお雛さまの顔をじろじろ見つめる時間が長かったせいか、古い雛人形にすごく魅せられてしまいました。
こあひる
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- みかりさん 2015/03/06 22:59:27
- 知らなかった仙台の風景
- こあひるさん、こんばんは!
ちょっぴりご無沙汰しています。ここ1ヶ月くらいバタバタしていて
そのまま旅行に突入し、帰って来てからもバタバタで今に至っています。
まとめて旅行記を拝見しました♪
こあひるさんの旅行記から日本の伝統美を感じ、これからはそんなのも
意識して街歩きするのも素敵だな〜なんて思いながら見ていました。
仙台のひなめぐり・・・仙台の街って実は駅周辺くらいしか良く知らないから
地方都市だけど活気があってけっこう都会的・・・
そんなイメージを持っていたのですが、こんな城下町風情が残った場所も
沢山あるんですね。知りませんでした。
古い建物に、雛飾り・・・昔は何とも思わなかったけれど、改めてみると
とても華やかで、綺麗なもんだなぁ〜と思ってしまいます。
我が家にも七段飾りのお雛様や羽子板・五月人形などがあったので
ちょっぴり懐かしくも思ったり・・・(こんな豪華じゃないだろうけど。笑)
城下町の名残がある仙台の街は、まだまだ色々な魅力がありそうです♪
みかり
- こあひるさん からの返信 2015/03/09 10:52:57
- RE: 知らなかった仙台の風景
- みかりさん、こんにちは!
やっぱり旅行にお出かけなさっていたんですね〜!そうだろうな〜と思っていました。
みかりさんの旅行記のほうが、十分に日本の伝統美を意識されているような気がしますよ〜。
仙台って、空襲で古い建物は焼失してしまってもともとほとんど残っていないのですけが、中心からやや外れたところは免れたところがあるようで、古い家屋が残ったんだなぁ・・・と知りました。
まぁ・・・でも、家並みごと残っているわけじゃないんですよね・・・。仙台って、どちらかというと、残っていた古い風情のある建物を壊して新しい街づくりをする・・・って方針だったみたいなので・・・今となっては残念なところもありますが・・・。
雛人形は、やっぱり古い家屋に似合うので・・・こういうイベントで、旧家の中にお邪魔して見せていただけて、お話が聞けたりするのは楽しいですね。関西には、家並みごと残っている町が多くあるので、4トラを見ていると、日本にはまだまだそういう風情ある町並みが残っているんだなぁ・・・と改めて日本を見直しちゃいます。
こあひる
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- mintさん 2015/03/06 19:04:48
- 知らなかった ひな祭り。。。
- こあひるさん こんばん。。
河原町・南染師町・穀町・南鍛治町・など等
昔の町名は変わらずに残っていて、いいですよね
しかしながら、仕事でよく歩いてる街ですが「蔵deひな祭り」を
開催されてたのは知りませんでしたね〜。
さすがに、こあひる様 情報が速いですね。
お雛様の時期はバタバタと忙しくなるので。。。
次の街歩き。。。楽しみにしてますネ。
ぴっちゃん
- こあひるさん からの返信 2015/03/08 15:11:40
- RE: 知らなかった ひな祭り。。。
- ぴっちゃん、こんにちは!
あのあたりは、空襲から免れたんですね〜。
昔の町名が残っているのは風情あるし、そこがどんな場所だったのかがわかるのでいいですよね〜。
このあたり、ぴっちゃんよく歩いてるの〜〜?案内してくださいよ〜〜、道がわかりづらくって・・・方向音痴泣かせです。
近いうちに、ひなまつりは関係なく、もう一度、あのあたり・・・昔の名残りを求めてブラついてみたいです。
こあひる
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- るなさん 2015/03/06 12:54:58
- 日本の伝統
- こんにちは、こあひるお姉ちゃま。
未だ風邪の治らぬるなっちでござる。
年取ると復活力なくて困るね(>_<)声が出ないぃ....
いつも大作だけど、特に最近のこあひるさんの旅行記は日本の和の伝統がいっぱいで見応えありますねぇ〜
吊るし雛もすごい!!
お雛様のイベントはわりとどこもやってるみたいだけど、やはり古い街並みと古い家屋とのコラボがいいね。
埼玉の飯能でもやってるからホントは明日、行こうかな?って思ってたんだけど、また寒いって言うし、この体調で風邪こじらせても困るので行かないと思います。
こあひる家はまめにお出かけしてるから感心しちゃいます(*^^)v
最近じゃ家も狭いし、顔つきとか飾り方もオシャレに近代的なお雛様に変わりつつあって、何だか違和感あるなぁ〜とも思っています。
お雛様だけじゃなく、仏壇とか和装も今風になってたりするでしょ?
時代は移り変わると言うことなのかしらね?今の若い世代にはこの古い伝統はウケないってことか?(オババくさいこと言ってる?笑)
古い物を維持していくのはホントに大変だと思う。
だから朽ち果てるまま...わかるような気がするね。でも、やっぱりいつまでも残して欲しいよね。
るなっち
- こあひるさん からの返信 2015/03/08 15:07:38
- RE: 日本の伝統
- るなっち、こんにちは!
あら〜〜、風邪、すっかりこじれちゃったのね・・・。免疫力ダウンしているのかなぁ。無理して出歩いちゃだめだよ〜〜〜!気分が乗ってないと写真にも出ちゃうだろうしね〜〜〜!
奈良に行ってから、仏像についてもっと知識を得ないと・・・と痛感し、じゃあ、仏教って?と今さら思い始め、仏教初心者向けの簡単な本などを読んでみたりしているので、旅行記にもその傾向が出てるかも・・・。
お雛様イベントは、るなっちの言う通り、やっぱり古い日本家屋に飾られているものを見せていただく・・・ってのが好みだよね〜。
最近のお雛さまって、顔つきがちょっとハーフっぽい感じのすらあるよね〜。美人すぎる〜〜!着物も、昔は朱色っぽいものが多かったけど、今は、渋い微妙なトーンやパステルっぽいものなんかも多いし、バラエティに富んでいるような感じがします。いいな〜と思うのはすごい値段だけど・・・。
雛人形って、時代をよく反映しているよね。
現代風になっているといえば、花火大会や七五三なんかで見かける子供を見ると、え〜〜!?ってビックリするようなのが多いですよね、最近。着物というスタイルも、ああいう着物が当たり前の世代が大人になると、だいぶ変わっていっちゃうのかなぁ。気軽に簡単に楽しめる・・・って点ではいいことなんだろうな〜とは思いますが・・・。
常に変わりゆくのが世の中とはいえ・・・やっぱり伝統は大切に残していってほしいですよね。一度途絶えると蘇らすのは難しい・・・。古いお家や家並みも・・・。
こあひる
-
- aoitomoさん 2015/03/06 12:16:13
- 雛巡り
- こあひるさん
『佐藤家「旧丸木商店」』
日本の古い家屋に昔の雛壇は最高の相性です。
フォトジェニックです。
お母さんがに初孫のために手作りしたお雛様というのが感動しました。
『旧仙南堂薬店』
つるし飾りがまた凄い。
表紙の江戸時代のお雛さまは、見事な保存状態で大切にされてきた事が分かります。表情も素敵です。
お雛様の表情はやや下側から見ると笑顔に見えて、上から見ると暗い感じになると淡嶋神社の宮司さんが言ってました。
それからというもの、お雛様の顔を色々な角度から見るようになりましたよ。(笑)
『おソトdeほっこりカフェ』の写真を見て現実に引き戻された感じがしました。写真にのめり込んでしまいました。
『大正バナナ屋敷』
その当時のバナナはとんでもなく高価な果物だったのでしょうね。
バナナは温度変化で痛みやすいので温度管理が本当に大変なんですよね〜
大正時代のバナナの価格が気になります。(笑)
御殿を組み立てるのが一番大変だった雛壇の三人官女の中央の方。
口を開けた官女の顔の表情がいいですよね。(笑)
『桃源院』
建物だけ見ても何も気づきませんが歴史を知ると重たい話です。
過去の現実を知る上でも貴重な建物ですね。
勉強になります。
『雛巡り』
気合いを入れて、雛巡りしているこあひるさんの姿が思い浮かびます。
これがいい写真を撮る原動力ですよ。
広い城下町には、色々お宝スポットがあるのでしょうね〜
新たな発見期待しております。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/03/08 14:53:32
- RE: 雛巡り
- aoitomoさん、こんにちは!
4トラでは、おもに関西あたりの旧い家並みで開催されるひなまつりを見ることができて、雰囲気あっていいな〜なんて思いながら見ていますが、身近では、あそこまで家並みが残っているところは少ないので、ちょっと羨ましくもあり・・・。
旧仙南堂薬店の古今雛は、今まで見た中で一番保存状態が良かったんじゃないかと思うくらい見事で・・・何度も見つめてしまいました。古今雛は、享保雛に比べて、表情が和かなところもホッとします。
aoitomoさんのおっしゃる通り、お雛さまの顔って、見る角度によって表情が違うんですよね〜。実際に見ているときにはあまり気づかなかったんですが、あとから写真で見ると、あら?って思いました。真正面のものと、やや斜め横からのものとでは、全く違います。微笑んでいるように見えたりそうでもなかったり・・・。
バナナは、保存に失敗してしまう事も多かったらしく、傷んでしまうと、房全部売り物にならないので、食べられる部分だけでも近所に無料で配ったそうです。その代わりに、近所からは農作物を頂いたりしたそう・・・。
御殿飾り・・・御殿が組み立て式になっていた・・・なんて初耳でした。御殿飾り、私のまわりではあまり見かけなかったので、ひなめぐりをするようになってあんな豪華な飾りがあるんだ〜と知ったんです。
江戸時代には、大きな大飢饉だけでも3度あって、その地区の住民全員が亡くなってしまうほど酷かったようです。さらにいにしえの頃から、飢饉や伝染病で多くの人が亡くなっていくような絶望的な環境にいると、せめて極楽浄土にいけますように・・・と願った庶民の切ない気持ちが理解できるような気がします。
河原町は、ひなめぐり・・・と言えるほどスポットが集まってもいなくて、ちょっと拍子抜けしましたが・・・あのあたりは、仙台中心から外れていたので、空襲から免れたのか、ところどころに城下町の名残りが残っているので、探してブラブラするのも楽しそうです。なにより、町名がそのままなのが風情あっていいですよね〜。
こあひる
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