2014/09/29 - 2014/09/29
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緑に包まれた ささやかな傾斜地に、“にっぽんの原風景”が ひっそりと…
人里が 現れては すぐに流れ去る、長閑な車窓が続いた道端で ひとり、 バスを途中下車。降りた そこは、もはや県境に近い “六合(くに)赤岩”集落の入口。
赤岩は、伝統的な養蚕集落の特徴を 今に残す、希少な集落。
入口から、やや遠くに佇む その小さな集落を眺めているだけで、「自分は今、こんなところにいる!うひゃぁ」 と、思わず頬が緩んで。(←傍から見ると ただの変なおじさん;)
高揚のダムが決壊して、“だっふんだ!”と踊り出してしまう前に;、集落へとお邪魔し、ゆるゆると 和やかに散策。
古びた土蔵のほか、巨大な養蚕家屋が 散在する光景に、時に 目を見張らせながら…
そして運良く (単に たまたまか…;それでも有難き)、土地のガイドの方に 案内頂く機会にも恵まれて。
その方は、一本道に続く家並みが やがて途切れると 脇道へと逸れて、道沿いに 広がる田畑だけの光景についても、「あそこはお蕎麦の畑で、こっちは…」と 嬉しそうに、また誇らしげに 解説。
それは、伝統的な養蚕農家の町並み のみならず、神社や田畑の配置までを含め “日本の典型的な山村集落の景観 を保っている”、という赤岩の複合的価値を、まさに 余すことなく(郷里への愛着も)、ガイドの方は 伝えてくれたのであった。本当に感謝。
ゆったりと流れる午後の ひと時、群馬の 素朴な白眉を 存分に堪能して、往路と同じ運転手さんが迎えるバスで帰路に。時は夕暮れ、山峡に佇む赤岩集落は 束の間の西日に照らされ、眩かった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
JR長野原草津口駅 発 ・ 野反湖 行き路線バス
親水した 白井宿(渋川市)の町歩きから、郷原の散策を スキマに詰めて、その足で さらに群馬の辺境へ。
目指す 赤岩集落へは、真摯な運転手さんに導かれて。そのバス会社は、地方に そぐわぬ “ローズクィーン交通” と シャレこんでいるが、その対応は 実に誠実で 丁寧。
乗り込むと すかさず、「どちらまで?」に はじまり、赤岩までの運賃、散策後の 復路に適したバス停と その時刻まで、スラスラと教えて頂き 安心な滑り出し。
【バス運転手さんオブザイヤー】を勝手に 選出するならば、まさにこの運転手さんで決まりである。 -
長野原草津口 → 六合赤岩(野反湖 行き)
折り重なって続く、山の腰を スイスイと駆け抜ける ローカルバス。 小さなそれは、他に 土地の方?ひとりと、笑顔の“くにっこちゃん”コンビ(雑技団的、超絶 着席ぶり)を乗せて。
約10分ほどで、赤岩集落が右窓に 近づいてきた。 -
六合赤岩(中之条町)
赤岩集落への、最寄りバス停は “南大橋”。
マップによれば 国道292号沿いに、集落の展望スポットが あるようだが、乗ったバスは そこまでのサービス精神はなく(当たり前だ;)、そこを通過…
でも、この入口からでも 十分の景色で、
誰もいないことをいいことに、ひとり悦に入り 深呼吸。 -
六合赤岩
まず、六合を流れる 白砂川を大きな橋で 渡る。 その深く切り立った 河岸段丘上の緑豊かな地に、赤岩の家並みが伸びる。
白砂川に架かる 南大橋の完成は、約40年前のこと。それまでは、河の ほとりから架かる 小さな橋が、集落の生活を 支えていたという。
そこはぜひ 往時の営みを偲ぶべく、崖を下りて 河辺に肉薄して……
と考えたが、あらゆる斜面で ダダ滑り;(ん、場面か;)… という特技が脳裏を かすめ、やむなく断念; -
六合 赤岩
“お蚕さんの里”と 記された看板に迎えられ、バス停から 歩いて5分で 集落入口に到着。
その近くにある 日帰り温泉施設、「長英の隠れ湯」からの 野趣に富む景色。
白砂川を挟んで 対面の国道側を 見下ろす…
=バス停からは 赤岩集落の全貌は 把握できない、という 焦らし感が逆に、どんなところなのだろうと、ワクワクを 増幅させたのだった。 -
赤岩
そして嬉しい、見事な青空、町歩き日和。 -
赤岩 ・ 上の観音堂
まず目に付いたのは、鬱蒼とする中に 古い観音堂。
家並みから やや離れたそれは、宝暦14年(1704)の建築で、赤岩で最古の建築物。この観音堂が 最古なのは、集落を襲った大火(1806年)で、 家々が焼け落ちてしまったことが大きい とのこと。
住民により大切に維持されている「上の観音堂」は、赤岩で現存する 唯一の茅葺き屋根でも ある。 -
赤岩
「上の観音堂」から 集落を眺めて。 -
赤岩
家並みに 寄添うように、ささやかな 花畑や菜園が ひろがる。 -
赤岩
その調和が、素朴な味わいを 醸し出していて 実に ほのぼの。 -
お蚕さんの里 展示館(左)+ 赤岩ふれあいの家(右)
集落内の 主な観光施設は、先の「長英の隠れ湯」と この施設のみ。
それらが 小規模なこともまた、背伸びを していなくて 好印象を受ける。
「赤岩ふれあいの家」には 直売所も。 -
お蚕さんの里 展示館
養蚕に用いる器具や 工程を紹介する 無料施設。
きれいな繭(まゆ)。 -
お蚕さんの里 展示館
ふむふむ
“完全変態”という文言に、すかさず一方的 親近感が湧くが、
…そういう意味じゃ ないですね 失礼しました;… -
お蚕さんの里 展示館
レトロな字体も目を引く 「毛羽取機」。
他にも、“蚕まぶし”という展示があって ふと、ひつまぶし が食べたくなる;…。 -
お蚕さんの里 展示館
「給飼作業」
この工程は 下の段が…… ってコメントできるほどの 知識に乏しく; -
赤岩
「お蚕さんの里 展示館」を出ると、土地の おじぃさんに 声を掛けられて。
住人であり ガイドさんでもあるという その方から、『まもなく 団体がやって来て、集落を案内するから、どうぞ一緒に』 と嬉しい お誘い。
お言葉に甘えて、15名弱の 団体さんの輪に慎んで交じり、賑やかに散策開始。 -
赤岩
先に触れた、享和3年(1803)の大火の教訓から、土壁造りが 多い家並み。
土壁造りの蔵は、用途別に 30以上を数える。その中には 大火の烈しさを物語る、炎の赤い跡も。 -
赤岩
先の観光施設は 場末に あるため、集落は 住民が運転する車の往来が たまにあるだけで、ひっそりと 静か。
富岡製糸場の世界遺産登録により、ぐんま絹遺産は萌芽期に あるようだが、この赤岩の集落は このままの、 静かなままであってほしい… -
赤岩 ・ 湯本家
幕末から昭和にかけての2階、3階建ての養蚕家屋が よく残る赤岩地区。代表するのが、左手に 見えてきた 立派な造りの「湯本家」。
“サンカイヤ” と呼ばれる 三階建ての、近代養蚕農家跡。湯本家 名所・史跡
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赤岩 ・ 湯本家
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赤岩 ・ 湯本家
「お蚕さんの里 展示館」 から歩くこと5分、集落でも ことさら存在感を放つ 「湯本家」に。
湯本家は、文化3年(1806)に まず2階建てで 建築され、3階部分は 養蚕のために、明治30年(1897)に 増築されたという。
江戸期には 医者を務め、幕末には “高野長英”(長崎で シーボルトに学んだ蘭学者)が 脱獄の際に一時 かくまわれていたことがあった…、という歴史の舞台にも。湯本家 名所・史跡
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赤岩 ・ 湯本家
2階には実際に、「長英の間」と 呼ばれる部屋が 残されていて、町の文化財にも。
頑丈に そびえる2階と3階部分は 養蚕に用いられ、正面は ベランダのような “出梁”が 特徴的の外観。置屋根形式、そして 地区唯一の主屋が 土壁造り。湯本家 名所・史跡
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赤岩
赤岩本道を 再び進むと、家並みの中に “火の見櫓”。
その華奢ながら 空へ高く伸びるそれが、生まれ育った地区に無く、馴染みが薄いこともあって、つげ義春 氏が描く、田舎のセカイを 想起してみたり…
ああ、西伊豆の松崎に 行きたい。。 -
赤岩
築かれた石垣上 に、家々が 肩を寄せ合う。
屋敷地は 農作業を行う前庭を中心に、主屋と蔵、小屋などを周囲に配置。
主屋は、切妻造平入の2階建が 多い。 -
赤岩
古い石垣も のびる、集落の表通りは 1.5車線分と 狭い。そして時折、上へ下へと 路地が伸びる。
また表通りは 坂になっていたり、ゆるやかに カーブしていたりと、短いながらも 変化に富んでいて。始終、心が浮立つ 町歩き。 -
赤岩
そんな“高低差付き 集落ツアー”のため、団体の おばぁさんが ひとり、また ひとりと 徐々に足並みが ズレていく;…。
『もう くたびれた』 と言い残して、バスが停まる 起点へと戻る おばぁさんも;
【旅は マイペースに限る…】という、人生の先輩から贈られた 無言のメッセージと受け取り、ひしひしと 胸に刻む…。 -
赤岩 ・ 稚蚕飼育所跡
表通りから 山側へと路地を入り、ガイドさんが 案内してくれたのが「稚蚕飼育所跡」。
昭和37年(1962)頃の建築で、内部には 養蚕用の温度調節設備も 残る。
卵から かえったばかりの蚕の飼育は、 大変難しいために共同飼育の手法が とられ、そうした養蚕技術を 伝える貴重な施設。 -
赤岩 ・ 関家
赤岩が属した 六合村は 最盛期には、養蚕農家が276戸あり、 繭(まゆ)収穫量31tを記録したという。
そんな養蚕業の一端を担った、また違う 屋敷地 内へ。 -
赤岩 ・ 関家
江戸期から営み、住み込みの職人もいたという、集落随一の大型農家。 -
赤岩 ・ 関家
かつては 4階建て(現3階)だったという 頑丈な主屋。穀蔵、新蔵、作業小屋等も 昔のまま併設する、まさに お屋敷。
ついつい内部探検したい気持ちが 湧くが、まだまだ現役の住宅。日(場合)によっては 見学できるそうだが、今回のガイドツアーで 間近に 見学できただけでも 有難く。 -
赤岩 ・ 関家
規模のみならず、養蚕に最適な 「出梁」と「せがい」の特徴的な構造。
「出梁」… 家の梁が 外壁より外側に持ち出された構造
「せがい」… 出梁 が二重に張り出し、出梁の上に 桁が設置される構造
これで 外側の柱が家の骨格を成し、上階ほど 床が広くなっているという。
正面に 伸びる ベランダのごとく空間が 実に壮観で、かつて 桑の葉が干されたように 手足を伸ばして、かっぴかっぴと ならんばかりに 寝っころがりたい… -
赤岩
重伝建地区とあって、赤岩本道の ここまでは 電柱が露出せず、開放的な景観。
それも写真の この一角までで、そこから先の 家並みは対照的に 窮屈そうで…。
費用6千万円という電柱 地中化は、東日本大震災を境に 途中でストップ。東京電力の あの事故が、この小さな集落にも 影を落としている…。 -
赤岩
-
赤岩
集落で 目に付く、漆喰の その風合いが
素朴な趣深さを 助長していて。 -
赤岩
なかなかの傾斜地だが、石垣で整地された土地に 家々が並び、その下には 畑が広がる… -
赤岩
そんな景観も 価値あるもので、 屋敷や農家の利用形態、宗教施設や墓地の配置といった 集落の骨格が、江戸時代以来の歴史を そのまま伝え続けている。
平成18年(2006)、保存地区に選定。ちょうど修景中という お家もあり、あざやかな土壁造りが 集落に お目見えしていた。 -
六合 赤岩(中之条町)
稲穂の お隣には蕎麦畑…
のどかな 村里…
赤岩集落を含めた 六合(くに)地区は かつて単独の “村”で、「日本で最も美しい村」 連合加盟地区にも。 -
赤岩
緑と澄んだ空気に包まれて育った、お米…
美味なのは明白、ぜひともそれを、炊きたてのそれを、 ひつまぶしで食したい…(ってまたかい;)
食欲(とかく郷土料理)は 旅不足のバロメーター。 -
赤岩
ここにきての 集落マップ。タイミング遅し;…
向かって左側が、バスを降りて 渡った南大橋からの入口。
そこから程近い「赤岩ふれあいの家」から ガイド周遊が はじまり、寄り道しつつ 本道を30分ほど進んだところで、脇道へと(下=右手)曲がって 起点の方へ戻り、集落を1周するという 約45分の行程だった。
丁寧なご案内、ありがとうございました! -
赤岩
再び ひとりで、赤岩 本道沿いを 見学。
滲み出る、生活の息遣いも 存分に味わい、再びバス停がある 国道へ。
気付けば バスの時間が迫っていて、「赤岩神社」の参拝は 断念…
家並みは途切れ、さらに野趣あふれる道を 足早で進む;。 -
赤岩
というのも、16時台の そのバスが最終で;…
道が下りに さしかかり、さらにスピードアップして〜
というところに、まるで 何か命が宿ったような、異彩を放つ 道端の光景があって 思わず立ち止まる。
あそこに すっぽり溶け込んで、ポーズとったりしたら 愉しそう…。ん、今見たら これは スーパーサイヤ人ごっこ に最適がな(最近よくみる メッツCMの影響受け過ぎ;)。 -
赤岩
坂道を 下りきると 国道に合流し、赤岩神社 入口の場末から 15分ほどで バス停に到着。
真摯な あの同じ運転手さんに拾われ、ようやく 人心地つく。
西日で さらに煌めく赤岩を 後にしたバスは、落ち着いたのも束の間に 終点・JR長野原草津口駅へ。 -
JR吾妻線 ・ 岩島駅
岩島駅に架かる 跨線橋からの 風景。
この日は ちょうど、八ッ場ダム建設に伴う 線路付替工事のため、岩島駅 以遠は運休で バス代行となっていた。
それもあってバス乗車は、この日だけで 計5回。思いがけず、いつもと少し違う 移動の愉しみも 得られたのだった。(ギリギリマスターゆえ、乗り遅れ回避の スリルも;…) -
小野上温泉
今宵の宿泊は 高崎市だが、JR吾妻線を 途中下車して、駅前すぐのナイス立地な 日帰り温泉施設「小野上温泉 さちのゆ」 へ。
レンタカーのような、滞在時間ごとの料金設定が 新鮮ながらも まず戸惑う。翌日の“上牧温泉” も同様で、群馬、北関東は これが主流なのかな。
ささっと 短く済ます人には 親切な設定なのか。ただ、寒さと雪に覆われ、屋内娯楽に偏る 地元・北海道では どうだろうか;…
大浴場での記憶は もはや全く無いが、脱衣場の光景は よく覚えている。
というのも、大きな リュックを置く場に 少々思案していると すかさず、「ここに入れな」と親切な おじぃさん。訪ねた白井宿や 赤岩の話となり、さらに もう一方が 輪に加わる。翌日に行く、小幡(甘楽町)は やはり、桜咲く時期が良いと教えてくれた。小野上温泉 温泉
-
小野上温泉駅
温泉を出ると、すっかり 夜の帳が下りていて、ホームの灯りだけが 煌々と周囲を照らす駅で ひとり、上り電車を待つ。
線路の向こう側が 道路のようで、時たま 車の走行音が 聞こえてくるだけの 静寂…。
すると不意に、駅前の植え込みが ガサゴサ…;
静かになっても またガサガサ…… 息を忘れて注視していると、
暗闇から 現れたのは、意表をついて “にゃんこ” だった。
付かず離れず…… やや無愛想ながらも、待ち時間を ほのぼの埋めてくれて。
電車の到着が もうまもなく、という ところで にゃんこは去った。駅に 立ち寄るのが ルーティーンなのか、よそ者が ひとりで…を不憫に思ったのか; その真意とは……
新しい情報が入り次第、現場から中継で“お”伝え“し”て“まい”り・・・
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この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2015/06/18 06:24:43
- 緩やかな時が流れて
- tokotokoさん お早うございます。
派手な観光地ではなく、奇を衒う建造物も案内板もなく、日常な集落、お天気に恵まれてトコトコと歩く・・・・
誰もいないような道を幸せを噛み締めながら、ほくそ笑みながら歩く。端から見たらちょっと近づきたくない怪しさ、私の想像力はそんな方向へと広がっていきます。
いいですね〜 地域の人の暖かさ、バスの運転手の親切さ・・・思い出に残りますね。
pedaruの母の実家は栃木県の鄙びた農村ですが、山間ではないので平凡な景色しかありませんが、やはり多くの農家が養蚕をしていました。母の家も牛小屋の横の小さな坂を上がると広い何もない庭の先に、母屋があり、縁側の横のガラス戸を開けると、ひんやりとした空気を感じる土間がありました。
二階は養蚕のための部屋で子供の頃、恐る恐る階段を登って覗いたものでした。叔父は農業のかたわら蚕を集める仕事をしていて、各農家を回っては町まで届けていました。
何年か前、自転車旅行の際偶然その近くを通ることがあり、寄ってみましたが、子供の頃急な坂に思えた入り口は平らにちかい勾配で、家も子供のころに思ったより大きくはなかったのが不思議でした。
出払って、誰もいない懐かしの家をしばらく眺めていたのを思い出します。
tokotokoさんの旅行記からこんなことも思い出して、横道にそれてしまい、失礼しました。
pedaru
- tokotokoさん からの返信 2015/06/22 13:09:05
- RE: 養蚕家屋
- pedaruさん こんにちは。
不安と高揚が入り混じる中、住空間ながら非日常の光景が待つ階上へ……
その姿が 脳裏に自然と浮かんできました。どのような景色に映り、その空間はどんな香りだったのでしょうか…。気になる物語です☆
その家屋が現存しているとなると、築年数は相当古いのでしょうね。
この時の旅では、年季が入りながらの立派な養蚕家屋の数々に、目を見張る町歩きでした。その姿は、近づきたくない怪しさ…、まさにご想像通りですが;、それでも良くして頂いた 群馬の方々の暖かさは、実に有難いものでした。
養蚕家屋の見学は、本州を旅したならではのもの、と 勝手(無知;)に思っていましたが、地元・北海道にも、茅葺き屋根の養蚕民家が 文化財として保存されているではありませんか(旭川市)。知りませんでした・・;
ひとつの旅が、また次なる旅へと派生する予感…… って私も横道に それてしまい、また返信が遅れて失礼しました。拙い記事をご覧くださり、ありがとうございます! tokotoko
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