2015/02/11 - 2015/02/11
43位(同エリア115件中)
naoさん
大阪府にある唯一の村、千早赤阪村は、南北朝時代の武将、楠木正成生誕の地として知られたところで、地元の皆さんが親しみを込めて「楠公さん」と呼んでいる、楠木正成にまつわる史跡や没後600年を記念して建てられた「奉建塔」があります。
そんな楠木正成ゆかりの地を訪れる人々をもてなそうと、平成11年、千早赤阪楠公史跡保存会の皆さんが「奉建塔」の北西に広がる棚田の一角に、約5万株のニホンスイセンの球根を植えたのを始まりとして、今では、規模は小さいながらも「スイセンの丘」と呼び親しまれるまでになっています。
厳しい寒さが和らいだこの日、春の息吹を求めて「スイセンの丘」を訪れると、私同様、穏やかな気候に誘われるように家族連れやカップルで賑わっており、皆さん満開のスイセンを楽しんでおられました。
では、別名を日本一かわいい道の駅と呼ばれている、「道の駅 ちはやあかさか」に車を停めて、私もスイセンの花を愛でることにします。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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道の駅から南へ徒歩3分ほどのところにある「スイセンの丘」へやって来ました。
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前日の天気予報では一日中曇り空だと報じられていたのが・・・
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あにはからんや、青空の見える良いお天気になってくれました。
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しかも、これまでの厳しい寒さはどこへ行ったの?、と思わせるような穏やかさです。
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後で知ったところによると、3月並の気温だったとか・・・。
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「スイセンの丘」は、地元の皆さんが親しみを込めて「楠公さん」と呼んでいる、南北朝時代の武将楠木正成の、没後600年を記念して建てられた「奉建塔」の北西に広がる棚田の一角にあります。
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高台に位置する「スイセンの丘」からは、PL教団の大平和祈念塔が望めます。
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この「奉建塔」は、徳島県の画家が発起人となり、全国の志ある小中学校生に寄付を募って、昭和15年に建てられたものです。
塔の高さは、楠公さんが戦死した時の年齢である43才にちなんで、当時の尺貫法で43尺(約13m)になっているそうです。 -
塔に刻まれた「非理法権天」は、楠公さんが旗印として用いていた文字で、「非は道理に勝てず、道理は法に勝てず、法は権力に勝てず、権力も天には勝てない」という意味があるそうです。
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「スイセンの丘」は、楠木正成ゆかりの地を訪れる人々をもてなそうと・・・
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平成11年に、千早赤阪楠公史跡保存会の皆さんが約5万株のニホンスイセンの球根を植えたのが始まりです。
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この「スイセンの丘」の存在は、年とともに広くクチコミで知られるところとなり・・・
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今では、規模は小さいながら多くの人々に親しまれています。
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写真の左端に、わずかに「奉建塔」が見えていますが・・・
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左手にある階段を上った所にあります。
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厳しい寒さが和らいだこの日の「スイセンの丘」は・・・
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家族連れやカップルで賑わっています。
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穏やかな陽の光を浴びるスイセンの花。
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スイセンの原産地は、地中海沿岸から中近東一帯にかけてで、約50種の原種が知られています。
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現在、ニホンスイセンが遠く離れた中国南部や日本に分布していますが、これは本来の原種ではなく、原産地からアジアを経由して中国に広まり、その後日本に渡来したものだと云われています。
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日本へ渡来したのも諸説あって、中国南部から黒潮に乗って海岸に漂着したものが自生したと云う説があります。
事実、九州から関東にかけての太平洋沿岸と、対馬海流が流れる山陰や北陸の日本海沿岸に、点々と自生地が分布していることから、有力な説だと考えられています。 -
また、南宋時代に修行僧が日本に持ち帰ったとされる説も伝えられていて、鎌倉時代に中国名の「水仙」をそのまま音読みにして「スイセン」と呼ぶようになったとも云われています。
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なお古代中国では、水辺に繁茂する清らかな植物を「水の仙人」と呼んでいたようで、清らかなスイセンは、これになぞって「水仙」と呼ぶようになったと伝えられています。
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青空を背にたたずむスイセンは・・・
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まさに、「水の仙人」たるにふさわしい清楚な姿をしています。
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「スイセンの丘」は、元々棚田だった所を利用しているので、園路などは整備されておらず、通路にムシロを敷いて歩き易くするなど、地元の方の「お・も・て・な・し」の精神にあふれています。
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スイセンは葉の中心から高さ20〜40cmの花茎を伸ばし、芳香のある花を横向きに咲かせます。
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白い花弁の中心部に黄色い副花冠があり、その中にしべを持っています。
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陽の光が白い花びらを透かせています。
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背比べをするスイセン。
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冬枯れの木にも、もうすぐ芽出しの時期が訪れます。
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スイセンにも、背の高いものや低いものがあるようです。
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一本の花茎につく花の数も、2〜7個位とバリエーションがあります。
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少ない花数ながら、この花は負けじと咲いています。
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畑の菜の花に虫がとまっていたので、もっと近寄ってみようと動いた途端に・・・
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逃げられちゃいました。
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「奉建塔」へ上る階段です。
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切り立つような急勾配の、西側法面を覆うスイセン。
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それに引き替え・・・
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北側の法面はとても緩やかです。
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所々に植えられているアジサイが、新芽を膨らませています。
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地元の方々が手作りされた「スイセンの丘」は、規模は小さいながら、とても温もりが感じられるところでした。
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では、満開のスイセンに後ろ髪を引かれながら、道の駅へ戻ります。
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千早赤阪村の汚水枡の蓋。
村の花と木の「山百合」と「楠」に、楠公さんの名を轟かせる「太平記」の文字が金剛山のシルエットの中に見えます。 -
道の駅に隣接して、楠公誕生地があります。
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明治8年にこの地を訪れた大久保利通から、楠公さんの史跡の保護と顕彰を勧められたのを受け・・・
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「楠公誕生地」の石碑が建てられたそうです。
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灯籠の屋根に生した苔を見ると、楠公さんの生きざまを見続けてきたような錯覚に陥ります。
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