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2年ぶりの同窓会が大阪に決定。<br />せっかく大阪まで行くのだから京都はすぐそこ。<br />京都には中学校の修学旅行以来数え切れないほど訪れているのですが、まだまだ行ってみたい場所が盛りだくさん。<br />わずか1日半の滞在ですが、まずは銀閣寺から哲学の道を辿って南禅寺まで、<br />八坂神社を経て祇園まで歩きます。<br /><br /><br />

同窓会のついでに京都へ(1)銀閣寺から哲学の道を歩く

30いいね!

2014/09/11 - 2014/09/11

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52

クッキー

クッキーさん

2年ぶりの同窓会が大阪に決定。
せっかく大阪まで行くのだから京都はすぐそこ。
京都には中学校の修学旅行以来数え切れないほど訪れているのですが、まだまだ行ってみたい場所が盛りだくさん。
わずか1日半の滞在ですが、まずは銀閣寺から哲学の道を辿って南禅寺まで、
八坂神社を経て祇園まで歩きます。


旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 銀閣寺道前のバス停で降りてすぐ見えてきた哲学の道。<br />ここを歩くのは後回しにして、まずは銀閣寺に向かいます。

    銀閣寺道前のバス停で降りてすぐ見えてきた哲学の道。
    ここを歩くのは後回しにして、まずは銀閣寺に向かいます。

  • 銀閣寺に行く途中にある「ふろうえん」<br />ここでランチをと考えていたのですが、駅ビルでごく簡単に済ませました。<br />なにしろこの日の午後は、めいっぱい歩くつもりですから。

    銀閣寺に行く途中にある「ふろうえん」
    ここでランチをと考えていたのですが、駅ビルでごく簡単に済ませました。
    なにしろこの日の午後は、めいっぱい歩くつもりですから。

  • もうこの辺りから修学旅行生や一般観光客の姿がいっぱい。<br /><br /> 「義政は、自らの庭園のための候補地を物色する中、東山のとある土地と運命的な出会いを果たします。しかし、この土地は、浄土寺の墓地だったのです。<br />銀閣寺の傍らを流れる白川流域には、奈良時代から、法然院をはじめとする多くの古寺があります。さらに平安時代には数多くの天皇陵、そして日本初の火葬場が設けられていました。すなわち、このあたり一帯は、古来、葬送の場所として位置づけられてきたのです。そもそも、浄土寺の浄土という言葉がそれを物語っているのです。<br />1964年、銀閣寺東求堂解体修理の際、人骨とともに庭石や排水路が出土し、この地が浄土寺墓地跡であることが裏付けられています。<br /><br />義政は、この禁断の墓地に魅了され、無断でこの地へ作庭を施したのです。浄土寺の本山である延暦寺は、この義政の狂気ともとれる行為に対し、「仏罰に値する」と、強く抗議したといいいます。<br />銀閣寺は西芳寺を模して造られましたが、西芳寺庭園こそは、無縁仏の亡骸を供養した穢土寺と、あの世である西方浄土を意図する西方寺の地に作庭されているのです。<br />西芳寺庭園をこよなく愛していた義政は、そうした西芳寺の由来を知ったうえで、批判をものともせず、あえて墓地を作庭の敷地に選び、銀閣寺を造ったのです。」<br /><br />

    もうこの辺りから修学旅行生や一般観光客の姿がいっぱい。

     「義政は、自らの庭園のための候補地を物色する中、東山のとある土地と運命的な出会いを果たします。しかし、この土地は、浄土寺の墓地だったのです。
    銀閣寺の傍らを流れる白川流域には、奈良時代から、法然院をはじめとする多くの古寺があります。さらに平安時代には数多くの天皇陵、そして日本初の火葬場が設けられていました。すなわち、このあたり一帯は、古来、葬送の場所として位置づけられてきたのです。そもそも、浄土寺の浄土という言葉がそれを物語っているのです。
    1964年、銀閣寺東求堂解体修理の際、人骨とともに庭石や排水路が出土し、この地が浄土寺墓地跡であることが裏付けられています。

    義政は、この禁断の墓地に魅了され、無断でこの地へ作庭を施したのです。浄土寺の本山である延暦寺は、この義政の狂気ともとれる行為に対し、「仏罰に値する」と、強く抗議したといいいます。
    銀閣寺は西芳寺を模して造られましたが、西芳寺庭園こそは、無縁仏の亡骸を供養した穢土寺と、あの世である西方浄土を意図する西方寺の地に作庭されているのです。
    西芳寺庭園をこよなく愛していた義政は、そうした西芳寺の由来を知ったうえで、批判をものともせず、あえて墓地を作庭の敷地に選び、銀閣寺を造ったのです。」

  • 参道の脇に停められているのはレンタサイクルでしょうね。<br /><br /> 「造営には、多額の費用と人夫が必要となります。<br />第一に、費用。幕府は、大名と寺社と農民にそれぞれ、銀閣寺造営のための臨時税を課しています。最初は臨時税の予定でしたが、造営の長期化から、毎年課せられるようになりました。<br />第二に、労働力。戦乱と大飢饉のなか、税が集まらなくなると、幕府は税だけではなく、直接の労働力となる人夫の徴用を寺社に要求しました。銀閣寺庭園の樹木や石、木材の運搬を担当し、下敷きとなって犠牲となる者も少なくありませんでした。」<br /><br /><br />

    参道の脇に停められているのはレンタサイクルでしょうね。

     「造営には、多額の費用と人夫が必要となります。
    第一に、費用。幕府は、大名と寺社と農民にそれぞれ、銀閣寺造営のための臨時税を課しています。最初は臨時税の予定でしたが、造営の長期化から、毎年課せられるようになりました。
    第二に、労働力。戦乱と大飢饉のなか、税が集まらなくなると、幕府は税だけではなく、直接の労働力となる人夫の徴用を寺社に要求しました。銀閣寺庭園の樹木や石、木材の運搬を担当し、下敷きとなって犠牲となる者も少なくありませんでした。」


  • 銀閣寺の総門まできれいな石畳が続いています。<br /><br /> 「義政は、単なる庭好きの域を超えて、作庭家といっていいほどの知識と経験を身につけていたことも明らかになっています。彼は自らが発端をつくった応仁の乱によって大打撃を受けた数多くの庭園を丹念に見てまわり、修復についての具体的なアドバイスを与えたりする一方、自らの庭園造営にあたり、京都周辺のもっとも優れた石や植木を掠奪し、銀閣寺へ運ばせたのでした。<br /><br />その壮絶な掠奪行為は、記録に詳細を極めています。<br />京都の等持院から大量の松を没収して、銀閣寺に移植。<br />奈良の長谷寺より無数のヒノキを掠奪し、建築材に用いました。<br />京都の東寺からも蓮を大量に徴発、蓮池の名所がただの池になってしまうほどでした。<br />さらには義満の造った金閣寺までが犠牲となり、義政一流の観賞眼で選ばれた庭石10個が銀閣寺へ運ばれました。<br />天皇の隠居場所である仙洞御所などからも、義政の眼にかなった石や松などが抜き取られたのです。<br />京都の大乗院から梅2本と松、奈良の西南院から松1本、一乗院からも松1本、などすべて義政の意に叶った樹齢100年以上の傑出したものだけを選んで掠奪しました。<br />しかし、義政がこよなく愛した西芳寺庭園からは、掠奪をまったく行なっていないのです。<br /><br />こうして、奈良・京都の銘木、名石を奪い尽くし、移し集めた結果、「じつに西方浄土と言うべし」といった光り輝く風景が生み出され、<br />建設中の観音殿(銀閣)のほか、超然亭、東求堂、西指庵、弄清亭、夜泊船、漱蘇亭、釣秋亭、会所、御末、台所、総門などが建ち並び、現在の規模とはまったく比較にならない広大さを誇っていました。」<br />

    銀閣寺の総門まできれいな石畳が続いています。

     「義政は、単なる庭好きの域を超えて、作庭家といっていいほどの知識と経験を身につけていたことも明らかになっています。彼は自らが発端をつくった応仁の乱によって大打撃を受けた数多くの庭園を丹念に見てまわり、修復についての具体的なアドバイスを与えたりする一方、自らの庭園造営にあたり、京都周辺のもっとも優れた石や植木を掠奪し、銀閣寺へ運ばせたのでした。

    その壮絶な掠奪行為は、記録に詳細を極めています。
    京都の等持院から大量の松を没収して、銀閣寺に移植。
    奈良の長谷寺より無数のヒノキを掠奪し、建築材に用いました。
    京都の東寺からも蓮を大量に徴発、蓮池の名所がただの池になってしまうほどでした。
    さらには義満の造った金閣寺までが犠牲となり、義政一流の観賞眼で選ばれた庭石10個が銀閣寺へ運ばれました。
    天皇の隠居場所である仙洞御所などからも、義政の眼にかなった石や松などが抜き取られたのです。
    京都の大乗院から梅2本と松、奈良の西南院から松1本、一乗院からも松1本、などすべて義政の意に叶った樹齢100年以上の傑出したものだけを選んで掠奪しました。
    しかし、義政がこよなく愛した西芳寺庭園からは、掠奪をまったく行なっていないのです。

    こうして、奈良・京都の銘木、名石を奪い尽くし、移し集めた結果、「じつに西方浄土と言うべし」といった光り輝く風景が生み出され、
    建設中の観音殿(銀閣)のほか、超然亭、東求堂、西指庵、弄清亭、夜泊船、漱蘇亭、釣秋亭、会所、御末、台所、総門などが建ち並び、現在の規模とはまったく比較にならない広大さを誇っていました。」

  •  「現在、銀閣寺に残る義政時代の建物は、わずかに銀閣と東求堂のふたつに過ぎません。 <br />義政の死後、義政が掠奪したものを、元の持ち主が取り返しにきたのです。<br />義政に掠奪された材木を取り返そうと、建物が破壊されて部材が持ち去られたり、めぼしい庭石はすべて引き移されたり、その他さまざまなかたちで、銀閣寺の破壊が行なわれました。<br />さらに1558年には、銀閣寺一帯が戦場となり、残されていた建物も大部分が焼失してしまいました。<br />1569年には、織田信長までが、須弥山を表したという有名な九山八海石を運び出しています。ちなみに、九山八海石は、その後点々として現在は金閣寺の池中に浮き石として残されています。<br /><br />このようにして、義政の死後、80年にしてすでに銀閣寺は奪い尽くされ、破壊され尽くしたのです。」<br /><br />      〈 Deep Kyoto より要約 〉

     「現在、銀閣寺に残る義政時代の建物は、わずかに銀閣と東求堂のふたつに過ぎません。
    義政の死後、義政が掠奪したものを、元の持ち主が取り返しにきたのです。
    義政に掠奪された材木を取り返そうと、建物が破壊されて部材が持ち去られたり、めぼしい庭石はすべて引き移されたり、その他さまざまなかたちで、銀閣寺の破壊が行なわれました。
    さらに1558年には、銀閣寺一帯が戦場となり、残されていた建物も大部分が焼失してしまいました。
    1569年には、織田信長までが、須弥山を表したという有名な九山八海石を運び出しています。ちなみに、九山八海石は、その後点々として現在は金閣寺の池中に浮き石として残されています。

    このようにして、義政の死後、80年にしてすでに銀閣寺は奪い尽くされ、破壊され尽くしたのです。」

          〈 Deep Kyoto より要約 〉

  • 銀閣寺・総門をくぐり右に折れると、切りそろえられた銀閣寺垣が待っています。<br />銀閣寺垣は総門から中門に至る50mほどの間を低い石垣、低い建仁寺垣、それに樫、椿などの常緑樹の高い生垣から構成されており、四季折々季節ごとに花や身がつき、その姿が微妙に変化していくそうです。<br />左右の造りが異なっていて風情たっぷり。<br /><br />狭い参道と高い垣根の目隠し効果で、次に現れる景色に期待が膨らみます。<br /><br />

    銀閣寺・総門をくぐり右に折れると、切りそろえられた銀閣寺垣が待っています。
    銀閣寺垣は総門から中門に至る50mほどの間を低い石垣、低い建仁寺垣、それに樫、椿などの常緑樹の高い生垣から構成されており、四季折々季節ごとに花や身がつき、その姿が微妙に変化していくそうです。
    左右の造りが異なっていて風情たっぷり。

    狭い参道と高い垣根の目隠し効果で、次に現れる景色に期待が膨らみます。

  • 中門を入って左手が庫裡。

    中門を入って左手が庫裡。

  • 一枚の葉も落ちておらず、日々の手入れが大変でしょうね。

    一枚の葉も落ちておらず、日々の手入れが大変でしょうね。

  • 中庭越しの庫裡。<br /><br />室町幕府8代将軍足利義政の時代、部下の対立や義政の妻日野富子の政治への口出し等で政局は混乱し、後継者争いから応仁の乱が起こりました。<br />義政は政治に嫌気を感じたようで、政治の世界から逃れ静かな生活を送るため、応仁の乱で焼失した浄土寺の跡地に、文明14年(1482年)に東山殿を造営。東山殿を築造するに当たり、義政は祖父である3代将軍義満の北山殿金閣に劣らぬ建築を意図しました。<br /><br />義政は建築を始めた翌年(1483年)にはここに移り住み、別荘としてだけでなく表向きの仕事にも使っていました。<br />義政は東山山荘の完成を待たず1490年1月に死去しました。義政の菩提を弔うため東山殿は寺に改められ、相国寺の末寺として慈照寺が創建されました。

    中庭越しの庫裡。

    室町幕府8代将軍足利義政の時代、部下の対立や義政の妻日野富子の政治への口出し等で政局は混乱し、後継者争いから応仁の乱が起こりました。
    義政は政治に嫌気を感じたようで、政治の世界から逃れ静かな生活を送るため、応仁の乱で焼失した浄土寺の跡地に、文明14年(1482年)に東山殿を造営。東山殿を築造するに当たり、義政は祖父である3代将軍義満の北山殿金閣に劣らぬ建築を意図しました。

    義政は建築を始めた翌年(1483年)にはここに移り住み、別荘としてだけでなく表向きの仕事にも使っていました。
    義政は東山山荘の完成を待たず1490年1月に死去しました。義政の菩提を弔うため東山殿は寺に改められ、相国寺の末寺として慈照寺が創建されました。

  • 銀閣は木造2階建ての楼閣建築で、銀閣の一層(一階)は心空殿とよばれ書院風の造りに、二層(二階)は潮音閣とよばれ花頭窓を多く用いた禅宗仏殿造りになっているのだそうです。<br />閣上には青銅鳳製の鳳凰が置かれています。<br /><br />「銀閣」とはいうものの、銀箔は張られておらず、張られていた痕跡もありません。<br />

    銀閣は木造2階建ての楼閣建築で、銀閣の一層(一階)は心空殿とよばれ書院風の造りに、二層(二階)は潮音閣とよばれ花頭窓を多く用いた禅宗仏殿造りになっているのだそうです。
    閣上には青銅鳳製の鳳凰が置かれています。

    「銀閣」とはいうものの、銀箔は張られておらず、張られていた痕跡もありません。

  • 金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のこと。<br /><br />銀閣の東側に広がる錦鏡池(きんきょうち)。

    金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のこと。

    銀閣の東側に広がる錦鏡池(きんきょうち)。

  • 豊かな植栽と背後の山の借景。<br />月待山という名前が付けられています。<br />銀閣寺の本当の姿は月明かりが差し込んだときに現われるのかもしれません。<br /><br />政治からの隠遁生活を送るには、これ以上のものはないと思われるような世界。

    豊かな植栽と背後の山の借景。
    月待山という名前が付けられています。
    銀閣寺の本当の姿は月明かりが差し込んだときに現われるのかもしれません。

    政治からの隠遁生活を送るには、これ以上のものはないと思われるような世界。

  • 銀閣寄りのところに白砂を円錐状に盛り上げ、頂部を水平にした富士山状の「向月台」があります。

    銀閣寄りのところに白砂を円錐状に盛り上げ、頂部を水平にした富士山状の「向月台」があります。

  • 方丈への玄関の前にある「花頭窓」という窓。禅宗寺院のお堂でよく使われるデザインなのだとか。<br /><br />銀沙灘 (ぎんしゃだん)の向こうに、<br />秋の紅葉、冬には雪、春には桜といった四季の景色が、この小さな窓の中に表現されるのですね。<br /><br /><br />

    方丈への玄関の前にある「花頭窓」という窓。禅宗寺院のお堂でよく使われるデザインなのだとか。

    銀沙灘 (ぎんしゃだん)の向こうに、
    秋の紅葉、冬には雪、春には桜といった四季の景色が、この小さな窓の中に表現されるのですね。


  • 政治と、悪妻と評されている日野富子から逃げ出した義政が晩年、諸芸の達人を集め東山文化の集いを開き、茶道、華道、能などの伝統文化を生み出した場所がこの東求堂(とうぐどう)です。<br /><br />東求堂は一重入母屋造、檜皮葺きで、1486年の建立、現存する最古の書院造の建物です。

    政治と、悪妻と評されている日野富子から逃げ出した義政が晩年、諸芸の達人を集め東山文化の集いを開き、茶道、華道、能などの伝統文化を生み出した場所がこの東求堂(とうぐどう)です。

    東求堂は一重入母屋造、檜皮葺きで、1486年の建立、現存する最古の書院造の建物です。

  • 東求堂同仁斎は、中学生泣かせの単語ですが、<br /><br />「東求堂において特に注目すべきなのは、書斎として使われていた同仁斎である。この部屋の北側には、書物を置く為の違棚(ちがいだな)と、読み書きを行う為の付書院(つけしょいん)が備わっている。これらは後に定型化する書院造において不可欠な座敷飾であり、同仁斎はその現存最古の例である。<br />書院造は安土桃山時代に武家住宅の書院や客殿として発展し、ひいては現代における和風住宅の原型ともなるものだ。<br />また同仁斎の間取りは、後にわびさびの空間を演出する草庵茶室の間取りとして用いられる四畳半の原型でもあり、すなわちこの同仁斎を有する東求堂は、それら書院造、草庵茶室の源流を示すものとして、日本建築史上極めて価値の高い建築なのである。」<br />だそうです。<br />

    東求堂同仁斎は、中学生泣かせの単語ですが、

    「東求堂において特に注目すべきなのは、書斎として使われていた同仁斎である。この部屋の北側には、書物を置く為の違棚(ちがいだな)と、読み書きを行う為の付書院(つけしょいん)が備わっている。これらは後に定型化する書院造において不可欠な座敷飾であり、同仁斎はその現存最古の例である。
    書院造は安土桃山時代に武家住宅の書院や客殿として発展し、ひいては現代における和風住宅の原型ともなるものだ。
    また同仁斎の間取りは、後にわびさびの空間を演出する草庵茶室の間取りとして用いられる四畳半の原型でもあり、すなわちこの同仁斎を有する東求堂は、それら書院造、草庵茶室の源流を示すものとして、日本建築史上極めて価値の高い建築なのである。」
    だそうです。

  • こじんまりとした庭ですが、美が凝縮されたように思える庭です。

    こじんまりとした庭ですが、美が凝縮されたように思える庭です。

  • 白砂を敷きつめ表面に縞模様をつけた銀沙灘 。<br /><br />これらは、銀閣が造られた当時からあったものではなく、江戸後期に造られたものであるといわれており、義政の意向に沿ったものではないそうです。<br /><br />江戸時代の流行だったんでしょうか。

    白砂を敷きつめ表面に縞模様をつけた銀沙灘 。

    これらは、銀閣が造られた当時からあったものではなく、江戸後期に造られたものであるといわれており、義政の意向に沿ったものではないそうです。

    江戸時代の流行だったんでしょうか。

  • 銀閣の前にある錦鏡池を中心に広がる池泉回遊式庭園。<br /><br />池越しに見える銀閣。<br />松の枝ぶりが長年の手入れの良さを感じさせます。

    銀閣の前にある錦鏡池を中心に広がる池泉回遊式庭園。

    池越しに見える銀閣。
    松の枝ぶりが長年の手入れの良さを感じさせます。

  • 池に流れ込む一筋の滝が落ちるこの泉は洗月泉。

    池に流れ込む一筋の滝が落ちるこの泉は洗月泉。

  • 銀閣寺は金閣寺に比べて地味で質素なものだと、ずっと思い込んでいましたが、この造りこまれた庭の素晴らしさと言ったら・・・<br /><br /><br />

    銀閣寺は金閣寺に比べて地味で質素なものだと、ずっと思い込んでいましたが、この造りこまれた庭の素晴らしさと言ったら・・・


  • 木々の緑、苔の緑が目にも鮮やか。<br /><br />京都の西芳寺は「苔寺」として有名ですが、この銀閣寺の苔もけっして引けを取らないほどよく手入れがされているようです。<br />

    木々の緑、苔の緑が目にも鮮やか。

    京都の西芳寺は「苔寺」として有名ですが、この銀閣寺の苔もけっして引けを取らないほどよく手入れがされているようです。

  • 平面の庭だけかと思っていたら、庭園の奥に続く山道がありました。<br />石畳と竹の柵に趣があります。

    平面の庭だけかと思っていたら、庭園の奥に続く山道がありました。
    石畳と竹の柵に趣があります。

  • 竹垣の風情が素敵。<br />頭上の木々は山もみじでしょうか。<br />

    竹垣の風情が素敵。
    頭上の木々は山もみじでしょうか。

  • さらに石段を上がって行きます。<br />自然の高低差を利用した庭園なんですね。

    さらに石段を上がって行きます。
    自然の高低差を利用した庭園なんですね。

  • 義政公愛用のお茶の井跡で、水質も豊かで、現在もお茶会などの飲料水として利用されているそうです。<br />泉辺の石組みは、当時のままであり、茶庭の蹲手水鉢前の源流とされています。

    義政公愛用のお茶の井跡で、水質も豊かで、現在もお茶会などの飲料水として利用されているそうです。
    泉辺の石組みは、当時のままであり、茶庭の蹲手水鉢前の源流とされています。

  • さらに上へ。

    さらに上へ。

  • 展望所からの眺め。<br />眼下に慈照寺境内 左は銀閣、右方は手前から東求堂、本堂、庫裡ですね。<br /><br />奥に見えるのは嵐山。

    展望所からの眺め。
    眼下に慈照寺境内 左は銀閣、右方は手前から東求堂、本堂、庫裡ですね。

    奥に見えるのは嵐山。

  • 竹垣の向こうは借景ということでしょうか。<br /><br />空が曇り、雨粒が落ちてきました。<br />幸いにも、木陰で雨宿りしているうちに止んだので、また歩き始めます。

    竹垣の向こうは借景ということでしょうか。

    空が曇り、雨粒が落ちてきました。
    幸いにも、木陰で雨宿りしているうちに止んだので、また歩き始めます。

  • 木々の間に見えている銀閣。<br />二層にある花頭窓がきれいに見えます。

    木々の間に見えている銀閣。
    二層にある花頭窓がきれいに見えます。

  • 銀閣の屋根の上には東面した鳳凰が置かれているのが見えます。この鳳凰は銀閣に祀られている観音菩薩を守るという意味があるそうです。<br /><br />銀閣寺の庭を彩る桜、モミジ、ツツジ、サツキ、椿、カキツバタ等々数えきれないほどの植栽。<br />

    銀閣の屋根の上には東面した鳳凰が置かれているのが見えます。この鳳凰は銀閣に祀られている観音菩薩を守るという意味があるそうです。

    銀閣寺の庭を彩る桜、モミジ、ツツジ、サツキ、椿、カキツバタ等々数えきれないほどの植栽。

  • 斜面全体を覆う緑鮮やかな苔。<br />行き届いた手入れの賜物でしょうが、このあたりの地質、水質にもよるのかもしれません。<br />このあと訪れた桂離宮では、苔の衰退が嘆かれていました。

    斜面全体を覆う緑鮮やかな苔。
    行き届いた手入れの賜物でしょうが、このあたりの地質、水質にもよるのかもしれません。
    このあと訪れた桂離宮では、苔の衰退が嘆かれていました。

  • 順路はこちらの門へと続きます。

    順路はこちらの門へと続きます。

  • 門の外へ。<br />

    門の外へ。

  • 参道に並ぶたくさんのお土産物屋さん。<br />こんな可愛い看板と、

    参道に並ぶたくさんのお土産物屋さん。
    こんな可愛い看板と、

  • 可愛いうさぎさん達に惹かれて入ってみると、

    可愛いうさぎさん達に惹かれて入ってみると、

  • たくさんのうさぎさんが、様々なポーズをとっています。<br />小さなお月見のうざぎを買い求めました。

    たくさんのうさぎさんが、様々なポーズをとっています。
    小さなお月見のうざぎを買い求めました。

  • いよいよ哲学の道を歩きます。

    いよいよ哲学の道を歩きます。

  • こんな石に彫られた案内の方が素敵。

    こんな石に彫られた案内の方が素敵。

  • 哲学の道を歩いていたのですが、山側の道はうっそうとした緑の中の静かな道だと聞いていたので、そちらの道を進んでみます。<br />法然院への入口が見えます。<br /><br />9月の日差しが暑い。

    哲学の道を歩いていたのですが、山側の道はうっそうとした緑の中の静かな道だと聞いていたので、そちらの道を進んでみます。
    法然院への入口が見えます。

    9月の日差しが暑い。

  • 和風の民家が立ち並ぶ通りを進んで、

    和風の民家が立ち並ぶ通りを進んで、

  • 霊巌寺辺りまで。<br />一つ一つ訪れるほどの時間はないので、ここも素通りです。<br />ここから坂道を下りて、哲学の道へ向かいます。

    霊巌寺辺りまで。
    一つ一つ訪れるほどの時間はないので、ここも素通りです。
    ここから坂道を下りて、哲学の道へ向かいます。

  • 哲学の道に戻ってきました。<br />木立が通りを覆うように茂り、民家のお庭と一体化して見えます。

    哲学の道に戻ってきました。
    木立が通りを覆うように茂り、民家のお庭と一体化して見えます。

  • 水路に架かる石橋が、いい雰囲気です。

    水路に架かる石橋が、いい雰囲気です。

  • 石橋の向こうには大豊神社。<br />

    石橋の向こうには大豊神社。

  • 水路脇に沿って続く哲学の道。<br />一人で、あるいは家族連れで歩く観光客の姿も多く見られます。<br />残念ながら水路の水は、清流とは言えないものですが、周囲の緑の木立は素敵。

    水路脇に沿って続く哲学の道。
    一人で、あるいは家族連れで歩く観光客の姿も多く見られます。
    残念ながら水路の水は、清流とは言えないものですが、周囲の緑の木立は素敵。

  • 木立に囲まれた寺社の庭を流れる水のせせらぎ。<br />

    木立に囲まれた寺社の庭を流れる水のせせらぎ。

  • 水路の向こう側には、竹垣に囲まれた風情のある料亭。

    水路の向こう側には、竹垣に囲まれた風情のある料亭。

  • 永観堂禅林寺の北門。<br />紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれているそうです。

    永観堂禅林寺の北門。
    紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれているそうです。

  • 門前のもみじの枝ぶりが素敵です。<br />もみじが紅葉する頃に訪れてみたいものです。

    門前のもみじの枝ぶりが素敵です。
    もみじが紅葉する頃に訪れてみたいものです。

  • 野村美術館の手前、石垣の上の築山が素敵。<br /><br />このような光景が次々と現れる哲学の道に大満足。

    野村美術館の手前、石垣の上の築山が素敵。

    このような光景が次々と現れる哲学の道に大満足。

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  • こあひるさん 2015/02/14 17:08:40
    落ち着きがあっていいエリアですね〜
    クッキーさん、こんばんは。

    折しも、先ほどTVで、銀閣寺から哲学の道を歩くコースの番組をやっていて、お店もあって適度に賑やかだし、そのわりには落ち着いた雰囲気で、ブラブラと歩くってのもいいなぁ・・・と思って観ていたところなんです。

    銀閣寺、改めてどんなお寺なのか紹介していただいて、よくわかりました。武家ならではの美が詰まっているようなところなんですね。

    哲学の道・・・桜のシーズンも有名ですが、新緑のシーズンなんかもよさそうですね〜。

    こあひる

    クッキー

    クッキーさん からの返信 2015/03/21 10:01:26
    RE: 落ち着きがあっていいエリアですね〜
    こあひるさん、こんにちは。

    哲学の道のコースは、途中で脇道にそれるコースを歩きましたが、たぶんそのまま直進するコースの方がいいだろうと思います。
    こあひるさんなら、素敵なお店を発見したりするんじゃないかな。

    桜、新緑、紅葉の時期とそれぞれ楽しめそうな小路ですよ。

    銀閣寺を訪れるなら、是非上にも上がってみてくださいね。
     
       クッキー

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