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2月4日、午前11時30分過ぎに人形町にある需要家訪問の序に、人形町付近を歩いた。その後、日本橋蛎殻町の方へ行き、銀杏八幡、茶の木神社を訪ねた。<br /><br /><br /><br /><br />*写真は茶の木神社

久しぶりに人形町を散策する②味な老舗と茶の木神社他

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2015/02/04 - 2015/02/04

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tsuneta

tsunetaさん

2月4日、午前11時30分過ぎに人形町にある需要家訪問の序に、人形町付近を歩いた。その後、日本橋蛎殻町の方へ行き、銀杏八幡、茶の木神社を訪ねた。




*写真は茶の木神社

旅行の満足度
4.5
  • 魚久・・・説明文による<br />大正十三年、魚久商店の一員として福島から働きに上がったのが、魚久二代目となる廣田年尾でした。 年尾は生来の生真面目さと器用さから下働きの中でも頭角を表し、久蔵の右腕として鮮魚の見極めや保存食となる粕漬の製法、日本料理などを学んでいきました。 年尾に嫁ぎ、後に魚久の名女将となる廣田トメと出会ったのはこの頃です。<br />昭和十二年、年尾は久蔵の遺志を受けて魚久商店を継承します。 鮮魚商の傍ら仕出し料理も出し、トメと共に店を大きく発展させた年尾は、昭和十五年に「江戸風割烹魚久」を開店させました。 鮮魚中心の会席料理は引きも切らないお客を招き、特に年尾が粕床の味にこだわって漬け込んだ粕漬が味にうるさい米の仲買商の間で評判となりました。 <br /><br />魚粕漬け・・説明文による<br />魚久の代名詞ともいえる酒粕漬は、割烹料理屋時代に二代目が完成させた漬床の調合を継承しています。1級の酒粕と調味料を贅沢に使って漬け込まれた切り身は芯まで濃厚な味が染み込み、「粕漬の概念を変える味」と評されています。

    魚久・・・説明文による
    大正十三年、魚久商店の一員として福島から働きに上がったのが、魚久二代目となる廣田年尾でした。 年尾は生来の生真面目さと器用さから下働きの中でも頭角を表し、久蔵の右腕として鮮魚の見極めや保存食となる粕漬の製法、日本料理などを学んでいきました。 年尾に嫁ぎ、後に魚久の名女将となる廣田トメと出会ったのはこの頃です。
    昭和十二年、年尾は久蔵の遺志を受けて魚久商店を継承します。 鮮魚商の傍ら仕出し料理も出し、トメと共に店を大きく発展させた年尾は、昭和十五年に「江戸風割烹魚久」を開店させました。 鮮魚中心の会席料理は引きも切らないお客を招き、特に年尾が粕床の味にこだわって漬け込んだ粕漬が味にうるさい米の仲買商の間で評判となりました。

    魚粕漬け・・説明文による
    魚久の代名詞ともいえる酒粕漬は、割烹料理屋時代に二代目が完成させた漬床の調合を継承しています。1級の酒粕と調味料を贅沢に使って漬け込まれた切り身は芯まで濃厚な味が染み込み、「粕漬の概念を変える味」と評されています。

  • 酒悦・・・説明文による<br />「酒悦」さんの創業は1675年(延宝3年)です。江戸時代のはじめになります。<br /> 創業以来350年ほどになります。<br /> 「酒悦」創業者の初代「野田清右衛門」は伊勢山田の出身で山田屋と号し本郷元町に店を構えました。<br /> やがて店を上野池之端に移し「うに」「このわた」等の珍味類などを扱い、上野近辺にある寺々に出入りしました。<br /> こうしたなかで、寛永寺のご住職の輪王寺宮が大変高く評価し「酒悦」と名づけてくれたそうです。<br /><br />【福神漬けの元祖】 <br /> 「酒悦」といえば、福神漬けの考案で有名です。<br /> 「福神漬」を考案したのは、15代目の野田清右衛門だそうです。<br /> 「福神漬」は明治10年頃発明しましたが。野田清右衛門の苦労した処は塩漬しかなかったそれまでの漬物を醤油を使ったものにすることだったそうです。<br /> 彼は日夜蔵にこもり3回漬けする等工夫をし、みりんを加え満足出来る醤油漬にするまで約10年もかかりました。<br /><br />

    酒悦・・・説明文による
    「酒悦」さんの創業は1675年(延宝3年)です。江戸時代のはじめになります。
     創業以来350年ほどになります。
     「酒悦」創業者の初代「野田清右衛門」は伊勢山田の出身で山田屋と号し本郷元町に店を構えました。
     やがて店を上野池之端に移し「うに」「このわた」等の珍味類などを扱い、上野近辺にある寺々に出入りしました。
     こうしたなかで、寛永寺のご住職の輪王寺宮が大変高く評価し「酒悦」と名づけてくれたそうです。

    【福神漬けの元祖】 
     「酒悦」といえば、福神漬けの考案で有名です。
     「福神漬」を考案したのは、15代目の野田清右衛門だそうです。
     「福神漬」は明治10年頃発明しましたが。野田清右衛門の苦労した処は塩漬しかなかったそれまでの漬物を醤油を使ったものにすることだったそうです。
     彼は日夜蔵にこもり3回漬けする等工夫をし、みりんを加え満足出来る醤油漬にするまで約10年もかかりました。

  • 板倉屋・・説明文による<br />江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃、人形芝居などで賑わった人形町。創業から百年余り、昔ながらの味を守り続けているのが「人形焼本舗板倉屋」だ。もともとは「焼きまんじゅう」という名前で、芝居見物に訪れる人たちに愛されていた。その後、初代が人形町の名前にちなんで「人形焼」と命名したという。<br /> <br /><br />

    板倉屋・・説明文による
    江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃、人形芝居などで賑わった人形町。創業から百年余り、昔ながらの味を守り続けているのが「人形焼本舗板倉屋」だ。もともとは「焼きまんじゅう」という名前で、芝居見物に訪れる人たちに愛されていた。その後、初代が人形町の名前にちなんで「人形焼」と命名したという。


  • 板倉屋・・人形焼

    板倉屋・・人形焼

  • 人形町の由来

    人形町の由来

  • 人形町付近の名所、旧跡案内<br /><br />明治座<br />加茂真淵県居の跡

    人形町付近の名所、旧跡案内

    明治座
    加茂真淵県居の跡

  • 人形町付近の地図

    人形町付近の地図

  • 次の需要家訪問のために茅場町方面に行く

    次の需要家訪問のために茅場町方面に行く

  • 茅場町方面へ

    茅場町方面へ

  • 途中に八幡宮が見られたので立ち寄る<br /><br />銀杏八幡宮・・・説明文による<br />御創建は不詳、大正12年(1923)9月の関東大震災で社殿が焼失する。御祭神を社殿にお祀りしたのは安永4年(1775)9月27日だが、当時境内には天空を覆ううっそうとそびえたつ大銀杏があり、その樹齢は300-400年と見られていたことから、御創立はそれ以前と考えられます。

    途中に八幡宮が見られたので立ち寄る

    銀杏八幡宮・・・説明文による
    御創建は不詳、大正12年(1923)9月の関東大震災で社殿が焼失する。御祭神を社殿にお祀りしたのは安永4年(1775)9月27日だが、当時境内には天空を覆ううっそうとそびえたつ大銀杏があり、その樹齢は300-400年と見られていたことから、御創立はそれ以前と考えられます。

  • 銀杏稲荷神社

    銀杏稲荷神社

  • 銀杏八幡宮

    銀杏八幡宮

  • 茶の木神社・・・説明文による<br />茶の木神社は、下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷にあった守護神として祀られていました。社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから社名が名付けられました。屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、火伏の神と崇められました。昭和60年には布袋尊を遷座して、日本橋七福神の布袋尊としても信仰を集めています。

    茶の木神社・・・説明文による
    茶の木神社は、下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷にあった守護神として祀られていました。社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから社名が名付けられました。屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、火伏の神と崇められました。昭和60年には布袋尊を遷座して、日本橋七福神の布袋尊としても信仰を集めています。

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