2014/06/28 - 2014/06/28
62位(同エリア195件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 190,798アクセス
- フォロワー41人
個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
奇岩大好き人間として、見逃せないと思ったのがモンセラ。日本語ではモンセラットと呼ぶようですが、最後のTは殆んど聞こえないので、ここではモンセラと呼ばせていただきます。バルセロナに着いた日に、コロンブス記念塔の下にある観光案内所で、往復割引切符を手に入れました。バルセロナの地下鉄1日乗り放題券とカタルーニャ鉄道の往復切符、往復のケーブルカー(日本式には、これはゴンドラ、またはロープウィイと呼ぶ代物)、モンセラでの2本の登山電車(フニクラール これを普通、日本ではケーブルカーと言いますよね)、そして小さな博物館の入場券が込みになって27.5ユーロでした。
他に、ケーブルカーの代わりにカタルーニャ鉄道のもう少し先の駅からの登山電車がセットになった券もありました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
カタルーニャ鉄道の出発駅であるエスパーニャ広場Plaça d'Espanyaに到着。モンセラ行きの電車は1時間に1本の割合でこの広場の地下ホームから出ています。少し時間があったので、地上に出て、広場をうろつきます。
この広場は、1929年に行われた国際博覧会に合わせて作られたそうです。右に見える塔が広場の中心。左に見えるのは、アレーナス・デ・バルセロナArenas de Barcelona。1977年まで実際に闘牛場として使われていましたが、2011年に一大ショッピングセンターとして生まれ変わりました。
カタルーニャでは闘牛は禁止されているんですって。スペインの文化を好まないカタルーニャ人気質の表れなのかな? それにしても闘牛場のショッピングセンターというのは驚き。時間があったら中を見てみたかったです。 -
レイナ・マリア・クリスティーナ通りの入口には、ベネチア風の塔が2本、毎年開かれている見本市会場(Fira de Barcelona)への道しるべとして立っています。Fira de Barcelonaの会場は、塔のすぐ後ろに見える平屋の建物です。
作られたのは1927年から29年、、高さは47mあり、ベネチアのサン・マルコ寺院の鐘楼を真似て作られたそうです。単なる見本市入口の門にしては立派過ぎ!
この道をまっすぐ進むと、突き当りにカタルーニャ国立美術館があります。
ほんの少しの時間でしたが、エスパーニャ広場を体験しました。 -
おっとぉ・・・広場に見とれていて、もう少しで乗り過ごすところでした。10時36分発にぎりぎりセーフで飛び乗りました。土曜日のせいか、車内は満員。危うく1時間立って行くところでしたが、なんとか1席確保。
-
幸いにして、進行方向左側に座席をゲット。カタルーニャ鉄道は最初は地下を走り、外に出てその後は暫く面白くもない住宅地を通りますが、40分ほどたつと、左側にご覧のようなごつごつした岩山が、まるで地上から浮き上がっているように見えてきます。モンセラとは、のこぎり山という意味だそうで、カリブ海にあるモンセラという火山島は、クリストファー・コロンブスがアメリカ発見の旅の最中にこの山の名前からつけたのだそうです。
-
主峰は、サン・ジェロニ山 Sant Jeroni (1236 m)、モングロス山 Montgrós (1120 m) そしてミランダ・デ・レス・アグリェス Miranda de les Agulles (903 m)の3つ。想像していたよりもずっと大きな山の連なりで、幅が5km、長さはなんと10km以上あるそうです。航空写真で見ると、ごっつい失敗したクロワッサンのような形をしています。
周りの景色とはおよそかけ離れていて、そこだけ別個の世界が浮かび上がったような、ギリシャのメテオラを初めて見たときにも似た畏敬の念を抱きました。
そういう場所に、人は寺や教会、庵、修道院を作るだなと妙に納得してしまいます。 -
およそ1時間でモンセラ・アエリMontserrat Aeri駅に到着。私はケーブルカーを選んだのでここで下車しますが、登山電車を選んだ観光客のほうが若干多いようでした。
カタルーニャ鉄道とケーブルカー(何度も言いますが、日本ではゴンドラまたはロープウェイと呼ばれている乗り物です)はほぼ接続しているようで、スムーズな乗換えが出来ました。
ケーブルカーの駅では、15カ国語で書かれた「ようこそ」のプレートが迎えてくれます。全くわからない国旗が沢山ありました・・・3列目、4列目全滅です・・・ -
山の中腹のモンセラ・モナステリMontserrat Monasteri駅までおよそ12分。満員の客を乗せたゴンドラは・・・
-
赤くにごったジョブレガット川を越えて・・・
-
あっという間に、カタルーニャ鉄道やケーブルカーの山麓駅から遠ざかっていきます。
-
岩は殆んどがピンクがかった堆積岩の礫岩だそうです。思ったより緑があるのには驚きました。モンセラは、スペインで最初の国立公園に指定されています。
-
ジョブレガット川の両側に道路が何本も延びているのが良くわかりますね。
-
丸みを帯びた、のこぎりの歯が姿を現し始めました。岩の崩れている断面を見ると、ホント、きれいなピンク色をしていますよ。どうしてこんな山が出来たのでしょうね。
-
岩の付け根付近に十字架発見!
-
モンセラ・モナステリからなんと! 下ってくるフニクラールの駅がありました。ケーブルカーから更に乗り継いで上へというパターンはよくありますが、下りは珍しいですよね。
-
モナステリ駅到着。早速モンセラ修道院の信仰の対象、黒いマリア様la Morenetaが出迎えてくれました。もちろん、本物じゃあありませんが。
今回のたびで、ロカマドールに続いて2つ目の黒い聖母子像です。今までにも色々な国で黒いマリア様を見てきましたが、特にヨーロッパ中西部には、かなりの数が存在するそうです。単に蝋燭ですすけたとかではなく、黒と言う色が信仰の対象であったとか、キリスト教以前の女神信仰がキリスト教と結びついたというような説もあるようです。 -
モンセラ・モナステリ駅から見た景色です。ここで海抜700m位です。
-
ケーブルカーの写真をとり損ねたので、出発を待って1枚。ほぼ丸に近い12角柱という形は珍しいですよね。
-
修道院のある地点までは少し上ります。見上げると、こんな景色が広がっていました。いやあ、これもまさしく、「ここだけにしかない景色」です。日本人なら、すぐさま岩の一つ一つに名前をつけそうですが、カタルーニャではどうなんでしょう?
-
先ほどケーブルカーから見た「下りる」フニクラールがゆっくりと急勾配のレールを下りていきます。良く見ると、天井がガラス張りで、外の景色が良く見えそうですね。
-
何も調べないで来てしまいましたが、歴史ある修道院という雰囲気はなく、現代的な新しい建物が立ち並んでいる様には少々がっかりです。ロカマドールやメテオラとはえらい違いです。
-
更に上っていくと、私が下りたカタルーニャ鉄道モンセラ・アエリの次の駅モニストロル・デ・モンセラMonistrol de Montserratからやって来た登山電車の駅がありました。行きがケーブルカーなら、帰りは登山電車というルートが選べるように出来ればいいのに、気が利きませんね。経営団体が異なるのかもしれません。
-
ピンクの礫岩の連なりを背後に、岩の色に似た建物がびっしりと建っています。崩落した跡が沢山見られますが、建物に被害が出たりしないのでしょうか?地震国から来ると、そういうことばかり気になってしまいます。
少しは景色を楽しめって? いやぁ、言うことないです。素晴らしすぎて・・・ -
左前方にあるのが、先ほど見た登山電車の駅です。この駅はわかりやすいのですが、ケーブルカーの駅はここから良く見えないので、帰り道、どこから降りたら駅に行かれるのかわからなくなってしまい、少々手間取りました。ケーブルカーで行かれる方はご用心。
右側の奥の建物の中にインフォメーションがあったので、切符の使い方をレクチャーしてもらいました。モンセラで見るべき場所は5箇所だそうです。
1.黒いマリア様のいる教会
2.上に行くフニクラールに乗って山頂へ
3.下に行くフニクラールに乗って、黒いマリア様が発見された洞窟へ
4.モンセラの美術館
5.オーディオヴィジュアル博物館
私の購入した切符には、4を除く全てが含まれていました。美術館は、写真の右側の手前の建物の中にありましたが、結局行く時間はありませんでした。 -
登山電車の駅前では、観光客向けに兵隊さんのパレードの準備が行われていました。お父さんと一緒に手をつないでやって来たちびっこ兵隊さんが可愛いい!!
-
さて、5.のオーディオヴィジュアル博物館です。
簡単なモンセラの文化、歴史、自然、成り立ちなどについての展示がありました。時間があれば、全体像をつかむにはもってこいの場所です。 -
こちらはモンセラの岩石礫岩を磨いたサンプル。かなり大きな礫が固結しているのがわかります。
-
修道院の内部のイメージ画像なども見ることが出来ました。これは展示品のひとつですが、詳細は忘れてしまいました。
-
正式名称をカタルーニャ語ではモンセラの聖母Mare de Déu de Montserratと言う黒いマリア様は、12世紀後半に作られた木製ロマネスク様式の彫刻です。
ベネディクト会の修道士が修道院を建てる際に、この小さな95cmの像を動かそうとしても重くて持ち上がらなかったという伝説が残っているそうです。ヴィザンチン様式の影響が感じられるマリア様の体つきは華奢で、顔が長く、右手に大きな玉を持っています。幼子キリストは、その右手が東洋風の祝福のポーズだと書かれていました。確かに仏陀やヒンドゥの神様の手のポーズを連想させますね。 -
オーディオヴィジュアル博物館では、このほかに天使の声と言われている少年聖歌隊の映像(歌も!)を見る(聞く)ことが出来て、思いのほか良かったです。
では、今度は1.の教会に参りましょう。まずは、高い塔のある建物に向かって進みます。右手の広場は、修道院広場と呼ばれています。 -
広場の左側に建っているのはホテルAbat Cisneros。人が多すぎて、厳かな雰囲気には程遠いですが、朝早くとか夜遅くには、この景色を独り占めできそうなロケーションです。1563年の建設当時には、宿泊客はすべて巡礼者でした。今ではもっぱら観光用。岩をそのまま使った天井、壁のあるダイニングルームが有名だそうです。少し怖いけれど・・・
-
この高い塔のある建物がベネディクト会のサンタ・マリア・モンセラート修道院です。5つあるアーチをくぐると、中庭を経て、大聖堂へと入ることが出来ます。
-
素晴らしい奇岩に見とれて、どうしても視線は上目遣いになります。何度見ても、見飽きませんねえ。
-
門楼の隣には、瀟洒な1476年に作られたゴシック様式の回廊(の一部? )がありました。こちらは1955年に、断片的に残っていた回廊部分をつなぎ合せて再構築したのだそうです。
庭に植えられている木々は、それぞれマリア様をシンボリックに象徴しているものだそうです。ヤシの木は美しさを、オリーブは平和と多産を、糸杉は沈黙と祈りを、そして、月桂樹は名誉を! それにしても、たった1本の槍のように尖った細い糸杉は見事ですね。 -
下に5つのアーチを持つ門楼は1942年から1968年にかけての建造。建物の上部には3つのアーチがあり、それぞれサン・ベネディクト、聖母被昇天と教皇ピオ十二世、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディとスペイン内戦の際に非業の死を遂げた修道僧たちのレリーフが彫られていました。
-
アーチをくぐると、その先に大聖堂が見えてきました。
-
こちらが大聖堂です。ルネッサンス様式を取り入れたカタルーニャ風ゴシック様式と言われています。今建っている中庭はアトリウムと呼ばれています。
黒いマリア様を祭る現在の大聖堂は1592年に建造され、巡礼地として大勢の信者を集め、大いに繁栄しましたが、1811年から12年にかけて、ナポレオン軍により焼き討ちにあってしまいます。この時、修道院の重要な書類や宝物が多く失われたようです。1858年から再建工事が始まり、現在のファサードは1900年頃から工事を開始しました。しかし、スペイン内戦によって、再び修道院は暗黒の時代を迎えます。このため、キリストと12人の使徒の彫像がずらりと並ぶ見事なファサードが完成したのは、内戦終結後の1968年のことだそうです。 -
アトリウムの両側には、アーチのあるロッジアが続いています。こちらのストゥッコは、モンセラの命の木かな? いやいや、どうやら、奇跡が起こった場所のようです。ポルトガルのファティマ、フランスのルルド・・・あとはわかりませんが、奇跡と言うのは古今東西、どこででも起こりますね。
-
大聖堂に向かって右側のロッジアに行列が出来ていたので、思わず並んでしまいました。混雑は避け、行列は並ばない私としては非常に珍しいケースですが、何故かこの時は、黒いマリア様に会わなければと言う気がしたのです。
行列に並びながら山側を眺めます。なんだか中途半端な塔が見えますね。1551年建造の八角形の鐘楼です。周りの建物に対して、低すぎる印象です。ここから見ると、屋根がないように見えるけれど、どうやら塔の先端はガラス張りのようです。1995年に金属枠が取り付けられたそうです。 -
壁には、このような彫刻が並んでいますが、あまり古いものではありません。こちらは1957年にフレデリック・マレスFrederic Marèsが制作した教皇グレゴリウス1世像です。グレゴリウス1世は、修道院の創始者サン・ベネディクトの伝記作家で、カトリックや東方教会では聖人。グレゴリオス聖歌の作成でも有名です。
この写真を撮ったのは、ご主人様を見上げている犬?の毛が、魚のうろこ状になっているのが興味深かったからです。 -
行列はなかなか前に進みません。どの位かかるかも全くわかりません。
入口には、教皇レオ13世 Leo XIIIにより、「モンセラの聖母をカタルーニャの聖人と宣言してから100周年記念 1881年−1981年」 と書かれた、半月型の石のプレートが掲げられていました。これは、1776年に パウ・セラPau Serraにより作られたバロック様式のプレートで、古い聖堂の入口を飾っていたものだそうです。黒い聖母子と修道僧、二人の少年の背後には、モンセラの山々が描かれています。 -
行列は、大聖堂の右側、聖ペドロ、ロヨラの聖イグナティウス、聖マルティヌス、聖ジョセ デ・カラサンスに捧げられた礼拝堂の奥をゆっくりと進んでいきます。これは、聖ペドロだったかな?
聖堂内の様子は、礼拝堂の鉄格子越しに見ることが出来ます。 -
礼拝堂の右側には、美しいステンドグラスが。こちらは、ステンドグラスの真下から撮ったので、全体が入りきりませんでした。キリスト生誕のシーンですね。
-
大聖堂内が、拍手喝采でなにやら騒がしいなと覗きに行ったら、結婚式を執り行っている最中でした。参列した皆さんの拍手だったんですね。おめでとうございます!
-
行列は、大聖堂の奥まで進んで、今度は階段を上るようです。大理石の彫像で飾られたとても豪華なアーチの中を、行列はゆっくりと進んでいきます。
並んでいる周りのどの人を見ても、巡礼者というよりは観光客。土曜日なので子供連れも多く、神聖な雰囲気には程遠かったです。中には、「ねえ、十字ってどう切るの?」と隣の友人に訊いている人もいましたよ。私も知らなかったので、真似させていただきました。 -
行列から、大聖堂の祭壇が良く見えました。左側に大きなパイプオルガンがありました。カタルーニャでは一番大きなオルガンで、ヨーロッパでも最大級のものの一つだそうです。
-
こちらのステンドグラスはマリアとヨゼフの結婚式のシーン。
-
ようやく階段の下まで到着。この階段は、1944年に黒いマリア像を祭る「玉座の間」を新しく作る際に一緒に構築されたそうです。プロジェクトは、建築家フランセスク・フォルグェラFrancesc Folgueraと画家ジュゼップ・オビオルスJosep Obiolsの総指揮の元、彫刻家、建築家、芸術家、宝石商などを公募して行われました。
こちらは、天使の扉と呼ばれるアラバスター石製のアーチ。エンリック・モンジョEnric Monjo の作品です。 -
工事は、1947年4月の完成を目指して開始されましたが、実際に全ての工事が終了したのはそれから7年後、1954年のことだったそうです。
-
階段の両側には、アラバスター石のレリーフ、その奥にはモザイク画の聖人達が並んでいました。モザイク画はベネット・マルティネス神父のデザイン、サンティアゴ・パドロスSantiago Padrós の制作です。
-
マリア様に近づくにつれ、少しずつ敬虔な気持ちになるよう、コントロールされているようです。先ほど、大聖堂の入口の日本語の案内には、次のように書かれていました。
聖母マリアは、人生の光
そして案内人として、
息子のキリストを
皆様に捧げます。
みなさまを歓迎するこの家は
すべての人の家なのです。
お互いを思いやる心を大切に。
そして、どうぞ滞在中は、
平穏にお過ごし下さいませ。 -
階段の左側には聖母達the sainted mothers、そして、右側には処女達the virginsという配列になっているようです。その中でも、こちらは聖母マリア様に違いありません。
-
天井もモザイク。花や鳥、星などが描かれています。
-
ようやく、階段の上までのぼってきました。
-
階段の上の部屋には、以前はモンセラに巡礼に来た人々がご利益を得て奉納した供物が置かれていたそうですが、現在は、旗の入った戸棚がぽつんと置いてあるだけでした。
-
黒いマリア様の「玉座の間」に入る直前にあった部屋は、壁も天井もフレスコ画で覆われていました。
流石に、このあたりまで来ると、皆おしゃべりをしなくなりました。 -
そして、ようやくお目にかかることが出来ました。マリア様の頭を覆うベールにも細かな色使いが施されているのが見て取れます。とても穏やかな気持ちにさせてくれるマリア様でした。
-
この礼拝堂は壁も天井もすべてモザイク画で覆い尽くされています。ジュゼップ・オルビオスのデザインで、モザイクの制作者は、階段と同じサンティアゴ・パドロスです。
ここまで来るのに優に40分以上はかかりました。 -
マリア様の玉座の背後には、建築家フランセスク・フォルグェラがデザインしたイタリア・ルネッサンス調の細かい彫金細工の衝立が輝いていました。彼女の右手に抱かれた玉(オーヴ)は、宇宙の象徴なのだそうです。幼子キリストが左手に持っているのは、松ぼっくりでしょうか?
自分の番になると、ぎこちなく短いお祈りをしてから、それまでの観光客がやっていたのを真似て、次の人にカメラを渡し、写真を撮ってもらいました。その間わずか15秒から20秒位・・・
後で確認したら、マリア様の穏やかさとは対照的に、恐ろしく緊張してこわばった顔をした私が写っていました。トホホ・・・ -
待ったあげくに、あっけなく終わってしまったマリア様とのランデブー。もう引き返すわけにも行かないので、とぼとぼ出口に急ぎます。
モンセラの岩をくりぬいたところに、沢山の蝋燭が奉納されていました。ここは、アヴェ・マリアの道と呼ばれている場所です。 -
岩間にはめ込まれたマジョルカ焼きのタイル画は、陶芸家ジョアン・ギヴェルノJoan Guivernauの作品です。この絵の中では、幼子キリストは、両方の手に玉を持っています。高く掲げた右手の玉からは、新芽が出ているのがわかります。松ぼっくりには見えないですね。何かの実かしら? それとも、生命の木でしょうか?
-
マジョルカ焼きのタイルは他にも何枚かありました。花が美しいこのタイルは、何かの60周年記念と書かれていますが、その何かがわからない・・・
-
アヴェ・マリアの道というタイルもみつけましたよ。
-
赤と黄の蝋燭が煌いています。
-
こちらのタイル画が一番大きな作品。この絵では、マリア様が玉から咲かせているのは百合の葉かな? マリア様の純潔を表す百合。回答がわからないまま、色々想像して楽しませていただきました。
-
アヴェ・マリアの道を終えて、大聖堂に入ります。マリア様に会うのにとても時間がかかってしまったので、少々焦り気味です。これから山頂に行って、黒いマリア様が発見された洞窟にも行きたいと思っていたからです。
ナポレオン軍により、大きく傷つけられたこの聖堂は、1858年から再建工事が行われました。身廊の長さは58m、幅は18mあります。
壁から吊り下げられた多くの飾りキャンドルは、カタルーニャの人々からの奉納品です。これらは、人々がマリア様の足元に確かにいるという証のようなものなのだそうです。 -
聖堂内からは拝めないと思い、40分以上かけてわざわざ会いに行ったマリア様でしたが、平等に誰でも聖堂内から見上げることが出来ました。
でも、祈りを捧げる人が絶え間なく続くので、全体像を捉えるのはなかなか難しいです。お傍で会えて良かったということで、大聖堂は滞在時間3分でした。 -
アトリウムに出てきました。大理石の床に注目。ラテン語の碑文で縁取られた円の中には、グレイの大理石の中に白い水生動物達が悠然と泳いでいます。これは、ミケランジェロが制作したローマのカンピドリオ広場を忠実に模倣したと言われています。
こちらも、階段のモザイク画を手がけたベネット・マルティネス神父のデザインです。 -
最後に、もう一度大聖堂のファサードを見上げて別れを告げます。
キリストと12人の使徒の彫像は、発音がわかりません! Agapit Vallmitjanaの作品だそうです。
その上の・・・しまったぁ!大きな丸窓のステンドグラスを中から写すのを忘れていましたよ!
長くなりましたので、この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その67 モンセラ(2)で。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
68