モンセラット旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。<br /><br />日程表<br />6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア<br />6月4日(水) ベネチア<br />6月5日(木) ベネチア<br />6月6日(金) ベネチア→フレンツェ<br />6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ<br />6月8日(日) フィレンツェ<br />6月9日(月) フィレンツェ<br />6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア<br />6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア<br />6月12日(木) ラスペチア→サンレモ<br />6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ<br />6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ<br />6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊<br />6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)<br />6月17日(火) 船中泊(Le Lot)<br />6月18日(水) 船中泊(Le Lot)<br />6月19日(木) 船中泊(Le Lot)<br />6月20日(金) 船中泊(Le Lot)<br />6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール<br />6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール<br />6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス<br />6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス<br />6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス<br />6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ<br />6月27日(金) バルセロナ<br />6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ<br />6月29日(日) バルセロナ<br />6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→<br />7月1日(火)  →羽田<br /><br />黒いマリア様にお目にかかるのに、随分と時間を使ってしまいました。今日は自然の中を歩きたいと思ってやって来たので、そろそろ山の上に参るとしましょう。<br />

イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その67 モンセラ(2)

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2014/06/28 - 2014/06/28

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junemay

junemayさん

 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。

日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火)  →羽田

黒いマリア様にお目にかかるのに、随分と時間を使ってしまいました。今日は自然の中を歩きたいと思ってやって来たので、そろそろ山の上に参るとしましょう。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 山を見上げると、ふたつの峰の間にフニクラールの線路が光って見えます。あそこをのぼっていくんですね。すごい角度〜!頂上付近に駅舎の建物もありますね。<br /><br />左側の峰は岩の割れ目がまるで松ぼっくりみたい・・・

    山を見上げると、ふたつの峰の間にフニクラールの線路が光って見えます。あそこをのぼっていくんですね。すごい角度〜!頂上付近に駅舎の建物もありますね。

    左側の峰は岩の割れ目がまるで松ぼっくりみたい・・・

  • その前に、修道院広場からの絶景を楽しみましょう。地理がわからないので確信はありませんが、この先にバルセロナがあるはず・・・

    その前に、修道院広場からの絶景を楽しみましょう。地理がわからないので確信はありませんが、この先にバルセロナがあるはず・・・

  • マリア様に会う前に買ってしまった、モンセラ修道院の名物だというCoquesという長〜くて平たくて甘いパン。30cm以上の長さがあるので、こんな立派な紙袋に入れてくれたのですが、山歩きの邪魔になりそうなので写真を撮って申し訳ないけれどゴミ箱へ。<br /><br />あっ! 肝心の中身の写真を撮るのを忘れました!

    マリア様に会う前に買ってしまった、モンセラ修道院の名物だというCoquesという長〜くて平たくて甘いパン。30cm以上の長さがあるので、こんな立派な紙袋に入れてくれたのですが、山歩きの邪魔になりそうなので写真を撮って申し訳ないけれどゴミ箱へ。

    あっ! 肝心の中身の写真を撮るのを忘れました!

  • 先ほど大聖堂で結婚式を終えたばかりのカップルが現れると、どこからともなく拍手が沸き起こりました。パチパチパチ!!<br /><br />末永くお幸せに!!

    先ほど大聖堂で結婚式を終えたばかりのカップルが現れると、どこからともなく拍手が沸き起こりました。パチパチパチ!!

    末永くお幸せに!!

  • Coquesでお腹を満たしてSant Joan行きフニクラールで山頂へ向かいます。最後尾の車両に乗り込んで、修道院が瞬く間に小さくなっていく様を眺めます。先ほどまで景色を楽しんでいた画面中央付近の修道院広場とその先端の展望台わかりますでしょうか?<br /><br />これは丁度、下りの車両とすれ違ったあたりですね。このフニクラール、最大傾斜はなんと65%を越えているそうです。<br />

    Coquesでお腹を満たしてSant Joan行きフニクラールで山頂へ向かいます。最後尾の車両に乗り込んで、修道院が瞬く間に小さくなっていく様を眺めます。先ほどまで景色を楽しんでいた画面中央付近の修道院広場とその先端の展望台わかりますでしょうか?

    これは丁度、下りの車両とすれ違ったあたりですね。このフニクラール、最大傾斜はなんと65%を越えているそうです。

  • およそ7分で山頂駅に到着です。モンセラで一番高いSan Jeroni峰(1236 m)への道順が示されていました。

    およそ7分で山頂駅に到着です。モンセラで一番高いSan Jeroni峰(1236 m)への道順が示されていました。

  • 山頂駅前にあるこの地図はフニクラールの山頂駅の方が画面の低い位置に描かれているので、意外とわかりにくかったです。現在地Us trobeu aquí というカタルーニャ語の表示をやや暫くしてから見つけて、ようやく納得。San Jeroni峰までは約1時間10分の道のりのようです。往復2時間半はちときついので、早々とパス。<br /><br />でも折角なので、フニクラールの名前にあるサン・ジョアン礼拝堂Capella de Sant Joanまでハイキングしましょう。

    山頂駅前にあるこの地図はフニクラールの山頂駅の方が画面の低い位置に描かれているので、意外とわかりにくかったです。現在地Us trobeu aquí というカタルーニャ語の表示をやや暫くしてから見つけて、ようやく納得。San Jeroni峰までは約1時間10分の道のりのようです。往復2時間半はちときついので、早々とパス。

    でも折角なので、フニクラールの名前にあるサン・ジョアン礼拝堂Capella de Sant Joanまでハイキングしましょう。

  • ここでは、修道院のあるモンセラとは反対側の景色を楽しむことが出来ます。海抜976m。風が涼しくて気持ちよいです。!<br /><br />断崖の道が続いていますが、柵なぞは勿論ありませんのでご用心。左側は丸っこくてなだらかな峰が、右側には切り立った尾根が続いていて、左右で印象が全く異なります。

    ここでは、修道院のあるモンセラとは反対側の景色を楽しむことが出来ます。海抜976m。風が涼しくて気持ちよいです。!

    断崖の道が続いていますが、柵なぞは勿論ありませんのでご用心。左側は丸っこくてなだらかな峰が、右側には切り立った尾根が続いていて、左右で印象が全く異なります。

  • 歩き始めて10分。山の中腹に、小さな祠が見えてきました。あれがサン・ジョアン礼拝堂かな? 写真ではわかりづらいけれど、祠の右横にある丸い岩には、横に切れ目が幾筋もついていて、その切れ目の一つに沿って、何かあるみたい・・・

    歩き始めて10分。山の中腹に、小さな祠が見えてきました。あれがサン・ジョアン礼拝堂かな? 写真ではわかりづらいけれど、祠の右横にある丸い岩には、横に切れ目が幾筋もついていて、その切れ目の一つに沿って、何かあるみたい・・・

  • 礼拝堂の建設は意外と新しく、1893年だそう。礼拝堂の建っている場所が海抜1025mだから、フニクラールの駅から50m弱上って来た計算になります。

    礼拝堂の建設は意外と新しく、1893年だそう。礼拝堂の建っている場所が海抜1025mだから、フニクラールの駅から50m弱上って来た計算になります。

  • 礼拝堂までの道中には、大きなパネルがあって、モンセラの山の歴史などを勉強することが出来ます。ちらっとしか見ていませんが、繰り返し、何層にも海底に積もった礫岩が、海が干上がって地上に出てくるまで、気の遠くなるような年月を要しました。今からおよそ2300万年〜3000万年前、ピレネー山脈を押し上げた力と同じ地球内部の力がモンセラを生み出しました云々という内容だったと思います。

    礼拝堂までの道中には、大きなパネルがあって、モンセラの山の歴史などを勉強することが出来ます。ちらっとしか見ていませんが、繰り返し、何層にも海底に積もった礫岩が、海が干上がって地上に出てくるまで、気の遠くなるような年月を要しました。今からおよそ2300万年〜3000万年前、ピレネー山脈を押し上げた力と同じ地球内部の力がモンセラを生み出しました云々という内容だったと思います。

  • 礼拝堂の前では、陽気なコロンビアとチリから旅行でやって来たという姉弟(と姉の息子)と暫し会話を交わしました。この3人組とは、何故か縁があって、それからも色々な場所でばったり!

    礼拝堂の前では、陽気なコロンビアとチリから旅行でやって来たという姉弟(と姉の息子)と暫し会話を交わしました。この3人組とは、何故か縁があって、それからも色々な場所でばったり!

  • あの、岩の切れ目には、何かがあるようなのだけれど、下から見上げる限りでではよく見えません。建物の類があるようには思えません。

    あの、岩の切れ目には、何かがあるようなのだけれど、下から見上げる限りでではよく見えません。建物の類があるようには思えません。

  • なおも姉弟とおしゃべりしているうちに、彼らが帰るというので、私も一緒に帰ることにしました。

    なおも姉弟とおしゃべりしているうちに、彼らが帰るというので、私も一緒に帰ることにしました。

  • 途中で同じ道を帰るのはつまらないかなと姉弟と別れ、脇道に入ってみます。途中からとても狭い急な階段になっていて、やめればよかったかなと何度も後悔しましたが、前を行った若者達の後を追っかけていくと・・・なんと崖っぷちに細い道が続いているではありませんか?

    途中で同じ道を帰るのはつまらないかなと姉弟と別れ、脇道に入ってみます。途中からとても狭い急な階段になっていて、やめればよかったかなと何度も後悔しましたが、前を行った若者達の後を追っかけていくと・・・なんと崖っぷちに細い道が続いているではありませんか?

  • 幅50cmくらいしかない、細い道を行くと、途中でここが先ほど下から見上げた岩の切れ目だということに気がつきました。

    幅50cmくらいしかない、細い道を行くと、途中でここが先ほど下から見上げた岩の切れ目だということに気がつきました。

  • この場所は、先ほどのサン・ジョアン礼拝堂より更に標高が高いので、遠くまで見晴らしがききます。バルセロナ近郊には、他にあまり高い山はないようで、平地にはどこまでも町が広がっていました。

    この場所は、先ほどのサン・ジョアン礼拝堂より更に標高が高いので、遠くまで見晴らしがききます。バルセロナ近郊には、他にあまり高い山はないようで、平地にはどこまでも町が広がっていました。

  • 暫く行くと、かなり奥行きのある場所に出ました。ご覧のとおり、腕白3人兄弟なら、楽々立てるほどの高さもあります。どうやら、ここがサン・ジョアン、サン・オノフレの庵ermita de sant joan、 Sant Onofreと呼ばれている洞窟のようです。

    暫く行くと、かなり奥行きのある場所に出ました。ご覧のとおり、腕白3人兄弟なら、楽々立てるほどの高さもあります。どうやら、ここがサン・ジョアン、サン・オノフレの庵ermita de sant joan、 Sant Onofreと呼ばれている洞窟のようです。

  • 落書きが痛々しいけれど、この洞窟は紀元1000年頃、モンセラが宗教的に注目された時期に人の手で作られたものだそうです。昔の絵を見ると、洞窟には壁があり、雨露をしのげるようになっていましたが、荒れるに任せていたのをごく最近になってからハイキングコースとして整備したようです。今では外壁は全くありません。<br /><br />洞窟の壁には、明らかに人の手で掘られたようなニッチが残っていました。トルコのカッパドキアの洞窟でも同じようなものを見たような記憶があります。

    落書きが痛々しいけれど、この洞窟は紀元1000年頃、モンセラが宗教的に注目された時期に人の手で作られたものだそうです。昔の絵を見ると、洞窟には壁があり、雨露をしのげるようになっていましたが、荒れるに任せていたのをごく最近になってからハイキングコースとして整備したようです。今では外壁は全くありません。

    洞窟の壁には、明らかに人の手で掘られたようなニッチが残っていました。トルコのカッパドキアの洞窟でも同じようなものを見たような記憶があります。

  • 洞窟の奥は祭壇かしら? 焚き火をした跡も見られるけれど、これは明らかに古いものではありませんね。野宿する人がいるのかしら?<br /><br />その昔は、人里離れた山中で、一人こもって修行するには理想的な瞑想場所だったのかもしれません。<br /><br />

    洞窟の奥は祭壇かしら? 焚き火をした跡も見られるけれど、これは明らかに古いものではありませんね。野宿する人がいるのかしら?

    その昔は、人里離れた山中で、一人こもって修行するには理想的な瞑想場所だったのかもしれません。

  • 洞窟の前のテラスからは、素晴らしい眺めが待っていました。先ほど訪れたサン・ジョアン礼拝堂からもう少し上って来れば、直接ここに来られたんですね。<br /><br />帰り道、途中で横道にそれて、ここまで上ってこられて本当にラッキーでした。危うく最高の眺めを見逃すところでした。

    洞窟の前のテラスからは、素晴らしい眺めが待っていました。先ほど訪れたサン・ジョアン礼拝堂からもう少し上って来れば、直接ここに来られたんですね。

    帰り道、途中で横道にそれて、ここまで上ってこられて本当にラッキーでした。危うく最高の眺めを見逃すところでした。

  • 左の大きな岩の上には、二人の人影が・・・どうやって上ったのかな? ロッククライミング? 

    左の大きな岩の上には、二人の人影が・・・どうやって上ったのかな? ロッククライミング? 

  • ズームアップしてみると、う〜ん、腰に装備をつけているのがわかりました。さすがに、脚だけじゃあ上れませんよね。真似する気はさらさらありませんが、凄〜い!

    ズームアップしてみると、う〜ん、腰に装備をつけているのがわかりました。さすがに、脚だけじゃあ上れませんよね。真似する気はさらさらありませんが、凄〜い!

  • ロープを伝って、こんな階段を下りて来ました。普通の町歩きの服装と靴で、良く下りてきたもんだと自分でも感心。

    ロープを伝って、こんな階段を下りて来ました。普通の町歩きの服装と靴で、良く下りてきたもんだと自分でも感心。

  • フニクラールの山頂駅を背に左側には、少し上った後、サン・ミゲル礼拝堂経由でモンセラ修道院へと下りていくルートがありました。このルートが一番簡単だと案内図には書いてありました。こちらも大勢の人達の姿が見えます。

    フニクラールの山頂駅を背に左側には、少し上った後、サン・ミゲル礼拝堂経由でモンセラ修道院へと下りていくルートがありました。このルートが一番簡単だと案内図には書いてありました。こちらも大勢の人達の姿が見えます。

  • 再びズームアップ!人が大勢立っているあたりまでは、20分ほどで行くことが出来そうですが、山から下りてきたばかりなので遠慮しておきましょう。

    再びズームアップ!人が大勢立っているあたりまでは、20分ほどで行くことが出来そうですが、山から下りてきたばかりなので遠慮しておきましょう。

  • フニクラールを乗り継いで、今度は、修道院エリアから下がるSanta Cova行きのフニクラールに乗車。

    フニクラールを乗り継いで、今度は、修道院エリアから下がるSanta Cova行きのフニクラールに乗車。

  • 前の旅行記でも紹介したけれど、天井がガラス張りで、外の景色が良く見えます。山頂行きでは眼下にみえた修道院が、今度は頭上に見えるのがなんとも不思議な気分。

    前の旅行記でも紹介したけれど、天井がガラス張りで、外の景色が良く見えます。山頂行きでは眼下にみえた修道院が、今度は頭上に見えるのがなんとも不思議な気分。

  • サンタ・コヴァ駅に到着です。一気に海抜400m辺りまで下がってきました。駅のすぐ近くを麓と修道院を結ぶロープウェイが通過していきます。ぴんとはられたロープの角度を測ると、ひぇ〜! 45度はありそうな感じ。調べてみると、ピンポン! Aeriのロープウェイの最大斜度は45度と書いてありました。ゾクゾクしてきました! 乗っているときより、見るほうがよほど怖い気がします。

    サンタ・コヴァ駅に到着です。一気に海抜400m辺りまで下がってきました。駅のすぐ近くを麓と修道院を結ぶロープウェイが通過していきます。ぴんとはられたロープの角度を測ると、ひぇ〜! 45度はありそうな感じ。調べてみると、ピンポン! Aeriのロープウェイの最大斜度は45度と書いてありました。ゾクゾクしてきました! 乗っているときより、見るほうがよほど怖い気がします。

  • サンタ・コヴァの礼拝堂への道筋です。<br /><br />サンタ・コヴァの伝説が初めて文書に記載があったのは1293年のこと。話は紀元880年に遡ります。ある土曜日の黄昏時、羊飼いの子供達が山で巨大な光が差し込み、美しい音楽が奏でられるのを見聞きしたのです。翌週の土曜日、子供達は両親と共に山に行き、再度同じ現象を経験しました。なんとこの現象は、それから4週にわたり毎土曜日に起こりました。たまたまその場に居合わせた近くの町オレサの教区牧師がマンレサの司教に知らせ、司教は洞窟の中でマリア様を発見したのでした。最初、彼は部下の者たちと共にマリア様をマンレサの町まで運んでいこうとしましたが、どうしても動かすことが出来ませんでした。そこで、彼らはこれは神の思し召しだと考えました。マリア様はモンセラで崇拝されるべきもの、動かすわけにはいかないと。<br /><br />それ以来、モンセラの洞窟は何世紀にも渡って、人々が訪れる巡礼地となりました。毎年、何万と言う人々がマリア様に祈りを捧げ、救いを求めてやってきます。

    サンタ・コヴァの礼拝堂への道筋です。

    サンタ・コヴァの伝説が初めて文書に記載があったのは1293年のこと。話は紀元880年に遡ります。ある土曜日の黄昏時、羊飼いの子供達が山で巨大な光が差し込み、美しい音楽が奏でられるのを見聞きしたのです。翌週の土曜日、子供達は両親と共に山に行き、再度同じ現象を経験しました。なんとこの現象は、それから4週にわたり毎土曜日に起こりました。たまたまその場に居合わせた近くの町オレサの教区牧師がマンレサの司教に知らせ、司教は洞窟の中でマリア様を発見したのでした。最初、彼は部下の者たちと共にマリア様をマンレサの町まで運んでいこうとしましたが、どうしても動かすことが出来ませんでした。そこで、彼らはこれは神の思し召しだと考えました。マリア様はモンセラで崇拝されるべきもの、動かすわけにはいかないと。

    それ以来、モンセラの洞窟は何世紀にも渡って、人々が訪れる巡礼地となりました。毎年、何万と言う人々がマリア様に祈りを捧げ、救いを求めてやってきます。

  • 良く聞く奇跡の話ではありますが、実際にこの山に来ると、不思議なことが起こってもおかしくない偉大な「自然の力」を感じます。

    良く聞く奇跡の話ではありますが、実際にこの山に来ると、不思議なことが起こってもおかしくない偉大な「自然の力」を感じます。

  • フニクラールの駅から道は更に下っていきます。振り向くと、急傾斜のロープを伝って、黄色いロープウェイが上ってくるのが見えました。

    フニクラールの駅から道は更に下っていきます。振り向くと、急傾斜のロープを伝って、黄色いロープウェイが上ってくるのが見えました。

  • 洞窟までの道中、ロザリオの祈りに関連したモニュメントを目にしました。こちらは2月2日の聖燭祭のレリーフ。<br /><br />ロザリオの祈りという、カトリックの伝統的な祈りには、福音書の中に記されているキリストに起こる主な出来事が登場します。ロザリオの祈りには、喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義の3種類があり、それぞれが第一玄義から第五玄義で成り立っています。今回この祈りのことを初めて知りましたが、登場する出来事に関しては、カトリックの信者でなくともわかる内容で、日常的に絵画や彫刻で繰り返し目にしている場面が殆んどでした。これを覚えておくと、今後宗教画や中世の絵画を見るときに大いに参考になりそうなので、長くなりますが転記しますね。<br /><br />喜びの玄義<br />第一玄義 受胎告知<br />第二玄義 マリア様のエリザベート訪問<br />第三玄義 生誕<br />第四玄義 聖燭祭<br />第五玄義 神殿で見出されるキリスト<br /><br />苦しみの玄義<br />第一玄義 ゲッセマネの園で苦しむキリスト<br />第二玄義 鞭打たれるキリスト<br />第三玄義 茨の冠を被せられるキリスト<br />第四玄義 十字架を担われるキリスト<br />第五玄義 十字架にかけられるキリスト<br /><br />栄えの玄義<br />第一玄義 キリストの復活<br />第二玄義 キリストの昇天<br />第三玄義 聖霊の降下<br />第四玄義 聖母被昇天<br />第五玄義 聖母戴冠<br /><br />聖燭祭とは、喜びの玄義のうちの第二玄義にあたるもので、キリストが生誕した12月25日から40日後に、マリア様が神殿で出産の穢れを祓った日(2月2日)であり、またキリストが神の子として初めて聖堂に現れた日とされているそうです。1904年、Joan Martorell i Montellによる作品です。

    洞窟までの道中、ロザリオの祈りに関連したモニュメントを目にしました。こちらは2月2日の聖燭祭のレリーフ。

    ロザリオの祈りという、カトリックの伝統的な祈りには、福音書の中に記されているキリストに起こる主な出来事が登場します。ロザリオの祈りには、喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義の3種類があり、それぞれが第一玄義から第五玄義で成り立っています。今回この祈りのことを初めて知りましたが、登場する出来事に関しては、カトリックの信者でなくともわかる内容で、日常的に絵画や彫刻で繰り返し目にしている場面が殆んどでした。これを覚えておくと、今後宗教画や中世の絵画を見るときに大いに参考になりそうなので、長くなりますが転記しますね。

    喜びの玄義
    第一玄義 受胎告知
    第二玄義 マリア様のエリザベート訪問
    第三玄義 生誕
    第四玄義 聖燭祭
    第五玄義 神殿で見出されるキリスト

    苦しみの玄義
    第一玄義 ゲッセマネの園で苦しむキリスト
    第二玄義 鞭打たれるキリスト
    第三玄義 茨の冠を被せられるキリスト
    第四玄義 十字架を担われるキリスト
    第五玄義 十字架にかけられるキリスト

    栄えの玄義
    第一玄義 キリストの復活
    第二玄義 キリストの昇天
    第三玄義 聖霊の降下
    第四玄義 聖母被昇天
    第五玄義 聖母戴冠

    聖燭祭とは、喜びの玄義のうちの第二玄義にあたるもので、キリストが生誕した12月25日から40日後に、マリア様が神殿で出産の穢れを祓った日(2月2日)であり、またキリストが神の子として初めて聖堂に現れた日とされているそうです。1904年、Joan Martorell i Montellによる作品です。

  • まだまだ道は下ります。こちらのレリーフも上と同じJoan Martorell i Montellと彫刻家Josep M. Barnadas i Mestresの作品。喜びの玄義のうちの第五玄義「神殿で見出されるキリストと医者達」の場面が描かれています。<br /><br />キリストが12歳のとき、マリアとヨゼフは彼を連れて過ぎ越しの祭りを見にエルサレムにやって来たのですが、どうしたわけか、彼を置いて旅立ってしまいました。途中で彼がいないことに気づき、町に戻って探し続け、3日後にようやく、並居る医者達と論議を戦わしていたキリストを発見したときの場面だそうです。

    まだまだ道は下ります。こちらのレリーフも上と同じJoan Martorell i Montellと彫刻家Josep M. Barnadas i Mestresの作品。喜びの玄義のうちの第五玄義「神殿で見出されるキリストと医者達」の場面が描かれています。

    キリストが12歳のとき、マリアとヨゼフは彼を連れて過ぎ越しの祭りを見にエルサレムにやって来たのですが、どうしたわけか、彼を置いて旅立ってしまいました。途中で彼がいないことに気づき、町に戻って探し続け、3日後にようやく、並居る医者達と論議を戦わしていたキリストを発見したときの場面だそうです。

  • こちらは、苦しみの玄義の第一玄義「ゲッセマニの園で苦しむキリスト」です。苦しみの玄義は、キリストの受難と死がテーマです。そのためか、この像は、モンセラの山から多くの雨が川となって流れ落ちる最も過酷な場所に位置しています。キリストが神への信仰を試す最後の試練を経験したというゲッセマニの園については、内容を初めて知りました。<br /><br /><br />

    こちらは、苦しみの玄義の第一玄義「ゲッセマニの園で苦しむキリスト」です。苦しみの玄義は、キリストの受難と死がテーマです。そのためか、この像は、モンセラの山から多くの雨が川となって流れ落ちる最も過酷な場所に位置しています。キリストが神への信仰を試す最後の試練を経験したというゲッセマニの園については、内容を初めて知りました。


  • 苦しみの玄義の第二玄義より、「鞭打たれるキリスト」。この像は建築家Francesc de Paula Villar i Carmonaと彫刻家Agapit Vallmitjanaによる作品。1898年。

    苦しみの玄義の第二玄義より、「鞭打たれるキリスト」。この像は建築家Francesc de Paula Villar i Carmonaと彫刻家Agapit Vallmitjanaによる作品。1898年。

  • 奇妙な岩達がおしくらまんじゅうしているように見える絶景が近づいてきました。先端に十字架が立っているのが見えます。もう、10分ほど歩いてきましたが、サンタ・コヴァの洞窟はまだかな?

    奇妙な岩達がおしくらまんじゅうしているように見える絶景が近づいてきました。先端に十字架が立っているのが見えます。もう、10分ほど歩いてきましたが、サンタ・コヴァの洞窟はまだかな?

  • 苦しみの玄義の第四玄義より、「十字架を担われるキリスト」。1899年作。Joan Martorell i Montells と彫刻家Venanci Vallmitjana の作品です。

    苦しみの玄義の第四玄義より、「十字架を担われるキリスト」。1899年作。Joan Martorell i Montells と彫刻家Venanci Vallmitjana の作品です。

  • 振り返ると、切り立った崖すれすれに、修道院の建物が立っているのが見えました。岩肌が日に映えて、ピンク色に輝いています。突き出した岩の上には、「天国への階段」が小さく見えます。

    振り返ると、切り立った崖すれすれに、修道院の建物が立っているのが見えました。岩肌が日に映えて、ピンク色に輝いています。突き出した岩の上には、「天国への階段」が小さく見えます。

  • ようやく、十字架のある場所までたどり着きました。この十字架は苦しみの玄義の最終第五玄義です。建築家 Josep Puig i Cadafalch と彫刻家 Josep Llimona の作品。素晴らしく精巧なアール・ヌーボーの作品で、今まで見てきたモニュメントの中で傑出した出来だと思います。尖った鉄の茨が、キリストの受難を増幅させ、見ている者の心にも突き刺さってくるような衝撃を覚えました。

    ようやく、十字架のある場所までたどり着きました。この十字架は苦しみの玄義の最終第五玄義です。建築家 Josep Puig i Cadafalch と彫刻家 Josep Llimona の作品。素晴らしく精巧なアール・ヌーボーの作品で、今まで見てきたモニュメントの中で傑出した出来だと思います。尖った鉄の茨が、キリストの受難を増幅させ、見ている者の心にも突き刺さってくるような衝撃を覚えました。

  • 栄えの玄義は、キリストとマリア様の勝利を表しています。第一玄義は、「キリストの復活」です。このキリスト像はなんと! アントニ・ガウデイのデザイン、彫刻はJosep Llimona作です。この両腕を高く挙げたキリストの復活像は、アール・ヌーボー時代に作られたキリスト像の最高の描写の一つと言われているそうです。

    栄えの玄義は、キリストとマリア様の勝利を表しています。第一玄義は、「キリストの復活」です。このキリスト像はなんと! アントニ・ガウデイのデザイン、彫刻はJosep Llimona作です。この両腕を高く挙げたキリストの復活像は、アール・ヌーボー時代に作られたキリスト像の最高の描写の一つと言われているそうです。

  • 栄えの玄義の第二玄義である「キリストの昇天」は建築家 Bonaventura Bassegodaと彫刻家Josep Reynésによる作品。1903年の制作。大きな白い大理石を中心に、周りをアール・ヌーヴォー様式で飾られた祭壇画となっています。使徒達のいる下半分ははっきりと深く彫られているのに対し、キリストの姿は極めてデリケートに浅彫りで表現されていて、それがかえって天国への飛翔を人々に印象付けるよう仕上がっています。

    栄えの玄義の第二玄義である「キリストの昇天」は建築家 Bonaventura Bassegodaと彫刻家Josep Reynésによる作品。1903年の制作。大きな白い大理石を中心に、周りをアール・ヌーヴォー様式で飾られた祭壇画となっています。使徒達のいる下半分ははっきりと深く彫られているのに対し、キリストの姿は極めてデリケートに浅彫りで表現されていて、それがかえって天国への飛翔を人々に印象付けるよう仕上がっています。

  • 今歩いている山道には日が差し込まず、お陰で快適なハイキングが楽しめていますが、日の当たっているところには容赦なく真夏の太陽が降り注ぎます。時刻は夕方の4時40分。まだまだ暑い時間帯です。

    今歩いている山道には日が差し込まず、お陰で快適なハイキングが楽しめていますが、日の当たっているところには容赦なく真夏の太陽が降り注ぎます。時刻は夕方の4時40分。まだまだ暑い時間帯です。

  • こちらは、栄えの玄義の第三玄義 聖霊の降下です。1904年の制作で、建築家Joan Martorell i Montellsとモザイク画家の Mario Maraglianoの作品です。背景に使われている金箔のモザイクはベネチア製だそうです。

    こちらは、栄えの玄義の第三玄義 聖霊の降下です。1904年の制作で、建築家Joan Martorell i Montellsとモザイク画家の Mario Maraglianoの作品です。背景に使われている金箔のモザイクはベネチア製だそうです。

  • ようやく道のかなたに、サンタ・コヴァ礼拝堂が見えてきました。岩にしがみついて、ほぼ山と一体化したように見える小さな祠のようです。

    ようやく道のかなたに、サンタ・コヴァ礼拝堂が見えてきました。岩にしがみついて、ほぼ山と一体化したように見える小さな祠のようです。

  • 最初にご紹介した伝説によれば、ここが羊飼いの子供達がマリア様の像を発見した洞窟のある場所です。礼拝堂の建設は17世紀から18世紀にかけて行われました。

    最初にご紹介した伝説によれば、ここが羊飼いの子供達がマリア様の像を発見した洞窟のある場所です。礼拝堂の建設は17世紀から18世紀にかけて行われました。

  • 入口を入ってすぐのところに、岩を削って作られたと思われる、聖なる洞窟の礼拝堂がありました。壁の窪みに、黒いマリア様の複製が置かれているだけのシンプルな礼拝堂です。

    入口を入ってすぐのところに、岩を削って作られたと思われる、聖なる洞窟の礼拝堂がありました。壁の窪みに、黒いマリア様の複製が置かれているだけのシンプルな礼拝堂です。

  • 礼拝堂の窓からはダイナミックな景色が楽しめます。岩がまるでピラミッドのように垂直にそそり立つ絶景のはるか下には、カタルーニャ鉄道とロープウェイの駅舎も見ることができました。

    礼拝堂の窓からはダイナミックな景色が楽しめます。岩がまるでピラミッドのように垂直にそそり立つ絶景のはるか下には、カタルーニャ鉄道とロープウェイの駅舎も見ることができました。

  • 礼拝堂の奥には、簡単な展示のある部屋、巡礼者のための部屋、聖具室などがありました。

    礼拝堂の奥には、簡単な展示のある部屋、巡礼者のための部屋、聖具室などがありました。

  • こちらは小さな回廊。見上げれば、モンセラの山の頂の一つを望むことができます。

    こちらは小さな回廊。見上げれば、モンセラの山の頂の一つを望むことができます。

  • 回廊の中央には、良く手入れがされた小さな庭がありました。ここで小休止。心が和む可愛いお庭でした。

    回廊の中央には、良く手入れがされた小さな庭がありました。ここで小休止。心が和む可愛いお庭でした。

  • 再び聖なる洞窟の礼拝堂を抜けて外に出ます。ステンドグラスには、モンセラの山が描かれていて、日本人だからでしょうか? 山そのものへの信仰を感じてしまいます。

    再び聖なる洞窟の礼拝堂を抜けて外に出ます。ステンドグラスには、モンセラの山が描かれていて、日本人だからでしょうか? 山そのものへの信仰を感じてしまいます。

  • 蝋燭のともし火の分だけ、心の温もりが与えられるような気がします。

    蝋燭のともし火の分だけ、心の温もりが与えられるような気がします。

  • 礼拝堂の前庭から見上げたモンセラの修道院です。世界中探してもここにしかない景色ですねえ。

    礼拝堂の前庭から見上げたモンセラの修道院です。世界中探してもここにしかない景色ですねえ。

  • 手前にある十字架のほかに、奥にも小さなクーポラの上に十字架が立っているのに気がつきました。あのクーポラのある場所が建物の中心。ちょうどギリシャ十字(縦と横の長さが同じ)の形をしています。礼拝堂は、森林火災や大雨などにより、何度も修復されていますが、建物の形状については、オリジナルのままだそうです。

    手前にある十字架のほかに、奥にも小さなクーポラの上に十字架が立っているのに気がつきました。あのクーポラのある場所が建物の中心。ちょうどギリシャ十字(縦と横の長さが同じ)の形をしています。礼拝堂は、森林火災や大雨などにより、何度も修復されていますが、建物の形状については、オリジナルのままだそうです。

  • 十字架の場所まで戻ってきました。帰り道は殆んどが緩い上り道なので、結構疲れます。日のあるうちになんとか全行程を終えられそうで、ほっとしました。モンセラでやるべきことのうち、美術館を除いては制覇です。あっすっかり忘れていたけれど、大聖堂での天使の歌声も聞きそびれましたね。

    十字架の場所まで戻ってきました。帰り道は殆んどが緩い上り道なので、結構疲れます。日のあるうちになんとか全行程を終えられそうで、ほっとしました。モンセラでやるべきことのうち、美術館を除いては制覇です。あっすっかり忘れていたけれど、大聖堂での天使の歌声も聞きそびれましたね。

  • 山頂とは異なり、サンタ・コヴァへの道は観光客の数が少なく、少々寂しい道です。これで暗くなったら、怖いですよね。

    山頂とは異なり、サンタ・コヴァへの道は観光客の数が少なく、少々寂しい道です。これで暗くなったら、怖いですよね。

  • サンタ・コヴァ礼拝堂から約15分くらいで無事フニクラールの駅に到着です。このフニクラールは時刻表も表示していません。客が集まり次第出発という適当な運行のようです。

    サンタ・コヴァ礼拝堂から約15分くらいで無事フニクラールの駅に到着です。このフニクラールは時刻表も表示していません。客が集まり次第出発という適当な運行のようです。

  • 駅前の広場を右に行くとモンセラ修道院への登山道があるようです。かなりの険しい道らしいので、下りはともかく、上りはお勧めしません。

    駅前の広場を右に行くとモンセラ修道院への登山道があるようです。かなりの険しい道らしいので、下りはともかく、上りはお勧めしません。

  • モンセラ修道院行きのフニクラールの中です。今度は前の方に陣取って、ひたすら線路のケーブルをみつめていました。

    モンセラ修道院行きのフニクラールの中です。今度は前の方に陣取って、ひたすら線路のケーブルをみつめていました。

  • モンセラ修道院駅に到着。ここでも、黒いマリア様が出迎えてくれました。さあ、後はロープウェイで下るだけです。

    モンセラ修道院駅に到着。ここでも、黒いマリア様が出迎えてくれました。さあ、後はロープウェイで下るだけです。

  • いきなりですが、もうロープウェイの中、急降下中です。ピンクの礫岩もこれで見納めかな・・・

    いきなりですが、もうロープウェイの中、急降下中です。ピンクの礫岩もこれで見納めかな・・・

  • 風化に強いという礫岩ですが、岩に入った亀裂が戻ることはありません。景色はどんどん変わっていくんですねえ。

    風化に強いという礫岩ですが、岩に入った亀裂が戻ることはありません。景色はどんどん変わっていくんですねえ。

  • 地上にある建物がこんなにはっきりと見えてきました。もうじき到着のようです。

    地上にある建物がこんなにはっきりと見えてきました。もうじき到着のようです。

  • カタルーニャ鉄道のAeri de Monserrat駅ホームから撮った、モンセラ最後の1枚は、逆光の中ですが、なかなか気に入っています。面白いものが沢山見られて、はるばるやって来た甲斐があったというもの。自然の中を歩けて、マイナスイオンを大量に吸い込むことが出来ました。山頂からSan Jeroni峰を目指すのなら、朝早い出発をお勧めします。

    カタルーニャ鉄道のAeri de Monserrat駅ホームから撮った、モンセラ最後の1枚は、逆光の中ですが、なかなか気に入っています。面白いものが沢山見られて、はるばるやって来た甲斐があったというもの。自然の中を歩けて、マイナスイオンを大量に吸い込むことが出来ました。山頂からSan Jeroni峰を目指すのなら、朝早い出発をお勧めします。

  • さあ そろそろバルセロナ行きの電車がやってきますよ。2014年3月から10月の時刻表では、ロープウェイの最終がモンセラ修道院発17:45(平日は18:30発 所要時間15分)、アエリ・デ・モンセラ駅では18:05(平日は18:45)に接続しています。今日はぎりぎり17:45発に間に合いました。<br /><br />実はこれから買い物をしようとしています。明日の日曜日がバルセロナ最後の日となりますが、日曜日は買い物が出来ないことに気がついたからです。<br />ちょっとくたびれたけれど、カタルーニャ広場に寄って行く事にしましょう。

    さあ そろそろバルセロナ行きの電車がやってきますよ。2014年3月から10月の時刻表では、ロープウェイの最終がモンセラ修道院発17:45(平日は18:30発 所要時間15分)、アエリ・デ・モンセラ駅では18:05(平日は18:45)に接続しています。今日はぎりぎり17:45発に間に合いました。

    実はこれから買い物をしようとしています。明日の日曜日がバルセロナ最後の日となりますが、日曜日は買い物が出来ないことに気がついたからです。
    ちょっとくたびれたけれど、カタルーニャ広場に寄って行く事にしましょう。

  • プラサ・デ・エスパーニャ行きの電車がやってきました。かなり混んでいるけれど、何とか席は確保できそうです。これはバタンキューかも。掏りに気をつけていねむりしましょうね! なんのこっちゃ?<br /><br />バルセロナ最終日はモデルニスモの建物を求めて彷徨い歩きます。この続きはイタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その68 バルセロナ(7)で。

    プラサ・デ・エスパーニャ行きの電車がやってきました。かなり混んでいるけれど、何とか席は確保できそうです。これはバタンキューかも。掏りに気をつけていねむりしましょうね! なんのこっちゃ?

    バルセロナ最終日はモデルニスモの建物を求めて彷徨い歩きます。この続きはイタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その68 バルセロナ(7)で。

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