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ひさかたぶりの旅行記は、遅ればせながら、<br />初詣からはじまり、はじまり。<br /><br />神田明神へ行ってまいりました。<br /><br />社名の明神号は、明治政府の神社政策で、禁止になり、<br />明治元年(1868年)からは、神田神社と改められています。<br /><br />御祭神は、由来によれば、<br />大己貴命(おおなむちのみこと)天平二年創建(730年)<br />少彦名命(すくなひこのみこと)明治七年合祀(1874年)<br />平将門命(たいらのまさかどのみこと)延慶二年合祀(1309年)<br />なので、<br />表題は、だいこく様、えびす様、まさかど様とお呼び致します。<br /><br />まず、本編は、大手町のまさかど様です。

神田明神様は、まさかど様、将門首塚の巻

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2015/01/05 - 2015/01/06

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一歩人

一歩人さん

ひさかたぶりの旅行記は、遅ればせながら、
初詣からはじまり、はじまり。

神田明神へ行ってまいりました。

社名の明神号は、明治政府の神社政策で、禁止になり、
明治元年(1868年)からは、神田神社と改められています。

御祭神は、由来によれば、
大己貴命(おおなむちのみこと)天平二年創建(730年)
少彦名命(すくなひこのみこと)明治七年合祀(1874年)
平将門命(たいらのまさかどのみこと)延慶二年合祀(1309年)
なので、
表題は、だいこく様、えびす様、まさかど様とお呼び致します。

まず、本編は、大手町のまさかど様です。

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  • 1 千代田線大手町駅に近い旧跡 将門首塚<br /><br />例年、初仕事の時期は、神田神社は、混むので、<br />久しぶりに、大手町へ行ってきました。でも。<br />地下通路を出て、日比谷通りの日本橋川にある神田橋方面を歩きます。

    1 千代田線大手町駅に近い旧跡 将門首塚

    例年、初仕事の時期は、神田神社は、混むので、
    久しぶりに、大手町へ行ってきました。でも。
    地下通路を出て、日比谷通りの日本橋川にある神田橋方面を歩きます。

  • 2 将門首塚案内板<br /><br />案内板の方向を見れば、首塚は、ビル群の真っただ中。<br />その昔、ここにあった神田明神は、後に神田橋外、<br />神田山(今の駿河台)、湯島台と転々して、現在の外神田(旧湯島)へ移転。<br />はてな?初詣となるかしら。

    2 将門首塚案内板

    案内板の方向を見れば、首塚は、ビル群の真っただ中。
    その昔、ここにあった神田明神は、後に神田橋外、
    神田山(今の駿河台)、湯島台と転々して、現在の外神田(旧湯島)へ移転。
    はてな?初詣となるかしら。

  • 3 都旧跡 将門塚 <br /><br />社の創建は、天平二年(730年)武蔵国豊島郡芝崎村で、<br />現、大手町のことだとか。<br /><br />将門公の誕生は、延喜3年(903年)。<br />平安時代中ごろに関東で大規模な反乱(天慶の乱)を起こした平将門。

    3 都旧跡 将門塚 

    社の創建は、天平二年(730年)武蔵国豊島郡芝崎村で、
    現、大手町のことだとか。

    将門公の誕生は、延喜3年(903年)。
    平安時代中ごろに関東で大規模な反乱(天慶の乱)を起こした平将門。

  • 4 神社の仮テント(向かい側から撮影)<br /><br />正月なので、右側に神社から白い仮テントが設けられておりました。<br />ということは、初詣でにぎわうということでしょうか?<br /><br />慶長5年(1600年)、関ケ原の戦の際、徳川家康公のために、<br />戦勝祈祷を斎行し、お守りを授与と。<br />だから、縁起のお守り、「勝守」も販売されておりました。

    4 神社の仮テント(向かい側から撮影)

    正月なので、右側に神社から白い仮テントが設けられておりました。
    ということは、初詣でにぎわうということでしょうか?

    慶長5年(1600年)、関ケ原の戦の際、徳川家康公のために、
    戦勝祈祷を斎行し、お守りを授与と。
    だから、縁起のお守り、「勝守」も販売されておりました。

  • 5 初詣 神田明神の幕<br /><br />この地は神田明神創建の地でもあり、<br />毎年9月彼岸の日には「将門塚例祭」が執り行われ、<br />また5月の神田祭の時には、必ず神輿が渡御して神事が<br />行われる重要な場所。と。

    5 初詣 神田明神の幕

    この地は神田明神創建の地でもあり、
    毎年9月彼岸の日には「将門塚例祭」が執り行われ、
    また5月の神田祭の時には、必ず神輿が渡御して神事が
    行われる重要な場所。と。

  • 6 会社員の初詣の風景<br /><br />徳治二年(1307年)遊行二世真教上人が江戸に行脚した折、<br />将門塚が荒れていたため塚を修復し、板石塔婆を建てて傍らの日輪寺に<br />おいて供養した。(日輪寺は、現在、浅草へ。あとでご紹介します))<br />その霊は神田明神において祀られ、神田明神が移転した後も塚は<br />この地に残りました。と。

    6 会社員の初詣の風景

    徳治二年(1307年)遊行二世真教上人が江戸に行脚した折、
    将門塚が荒れていたため塚を修復し、板石塔婆を建てて傍らの日輪寺に
    おいて供養した。(日輪寺は、現在、浅草へ。あとでご紹介します))
    その霊は神田明神において祀られ、神田明神が移転した後も塚は
    この地に残りました。と。

  • 7 南無阿弥陀仏の板碑(正面から)<br /><br />真教上人が蓮阿弥陀仏と法号(戒名)を授与し、南無阿弥陀仏の板碑を建立。<br />

    7 南無阿弥陀仏の板碑(正面から)

    真教上人が蓮阿弥陀仏と法号(戒名)を授与し、南無阿弥陀仏の板碑を建立。

  • 7 南無阿弥陀仏の板碑(横から)<br /><br />板碑の奥には、塚でしょうか。<br />

    7 南無阿弥陀仏の板碑(横から)

    板碑の奥には、塚でしょうか。

  • 8 初詣の行列<br /><br />実は、ほどなくして、行列が。<br />ここで、退散します。

    8 初詣の行列

    実は、ほどなくして、行列が。
    ここで、退散します。

  • 9 御茶ノ水駅へ移動<br /><br />ここで、どうも、本家本元の神田神社が気になりましたので、<br />千代田線大手町駅から御茶ノ水駅へ移動することにしました。<br /><br />地下鉄を出て、御茶ノ水橋から聖橋をみました。<br />あいにくの駅の工事仲で、神田川の工事現場が美しい橋を<br />かくしています。

    9 御茶ノ水駅へ移動

    ここで、どうも、本家本元の神田神社が気になりましたので、
    千代田線大手町駅から御茶ノ水駅へ移動することにしました。

    地下鉄を出て、御茶ノ水橋から聖橋をみました。
    あいにくの駅の工事仲で、神田川の工事現場が美しい橋を
    かくしています。

  • 10 外神田の神田神社前<br /><br />ほら、やっぱりというか、想像以上の会社員の方々。<br />懐かしいなあ、サラリーマン時代。<br />というか、かっこよく、バブルの企業戦士と自画自賛。<br />今は、ただの隠居のおせっかいやき?

    10 外神田の神田神社前

    ほら、やっぱりというか、想像以上の会社員の方々。
    懐かしいなあ、サラリーマン時代。
    というか、かっこよく、バブルの企業戦士と自画自賛。
    今は、ただの隠居のおせっかいやき?

  • 11 神田神社は入れません<br /><br />一般人は、入るのは無理のようです。<br />以上、ここまでが、1月5日の顛末でした。

    11 神田神社は入れません

    一般人は、入るのは無理のようです。
    以上、ここまでが、1月5日の顛末でした。

  • 12 (追補1)日輪寺(にちりんじ)のこと<br /><br />実は、この後、首塚の傍らにあったという、日輪寺が<br />浅草へ移転していることを知り、行ってみました。<br />浅草ビューホテルの近くにあります。

    12 (追補1)日輪寺(にちりんじ)のこと

    実は、この後、首塚の傍らにあったという、日輪寺が
    浅草へ移転していることを知り、行ってみました。
    浅草ビューホテルの近くにあります。

  • 13 日輪寺の正面<br /><br />江戸時代の神田明神祭礼では、日輪寺の僧侶が<br />読経してから神輿を出す例となっていた。と。<br />ただし、入れません。

    13 日輪寺の正面

    江戸時代の神田明神祭礼では、日輪寺の僧侶が
    読経してから神輿を出す例となっていた。と。
    ただし、入れません。

  • 14 時宗の念仏道場の碑<br /><br />天台宗の古刹ですが、時宗の念仏道場に改めた。と。<br /><br />ここからが、なぞときというか、まとめです。<br /><br />芝崎村には、天慶の乱で天慶三年(940年)に将門が戦死し、<br />将門の墳墓が築かれたが、のちに荒廃。<br /><br />将門の亡霊が村民を悩ますようになり、<br />嘉元年中(1303〜6)に時宗二祖他阿真教(たあしんきょう)上人が<br />村民の求めにより、丁重に供養して亡霊を鎮め、<br />その霊魂を神田明神に祀った。村には、平和がたちまち戻り、<br />上人は、村民に請われ時宗の念仏道場に改めた。と。<br /><br />この本編は、将門塚の板碑の戒名から謎解きをしてみました。<br />動機は、初詣したが、例年、会社員時代から神田明神へのお参りは<br />欠かせませんでした、引退して、今年も混むなあと思いながら、<br />将門塚を見学してからと思い立ったが、吉日とあいなりました。

    14 時宗の念仏道場の碑

    天台宗の古刹ですが、時宗の念仏道場に改めた。と。

    ここからが、なぞときというか、まとめです。

    芝崎村には、天慶の乱で天慶三年(940年)に将門が戦死し、
    将門の墳墓が築かれたが、のちに荒廃。

    将門の亡霊が村民を悩ますようになり、
    嘉元年中(1303〜6)に時宗二祖他阿真教(たあしんきょう)上人が
    村民の求めにより、丁重に供養して亡霊を鎮め、
    その霊魂を神田明神に祀った。村には、平和がたちまち戻り、
    上人は、村民に請われ時宗の念仏道場に改めた。と。

    この本編は、将門塚の板碑の戒名から謎解きをしてみました。
    動機は、初詣したが、例年、会社員時代から神田明神へのお参りは
    欠かせませんでした、引退して、今年も混むなあと思いながら、
    将門塚を見学してからと思い立ったが、吉日とあいなりました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ゴアさん 2015/04/12 10:54:01
    こんにちは ゴアと申します
    こんにちは ゴアと申します
    旅行記に投票いただき、ありがとうございました。
    神田、御茶ノ水エリアの旅行記を拝見し、1度歩いてみたいと思いました。
    特に、将門の首塚!!話には聞くけれどなかなか行く事ができずにおりましたので、写真付の旅行記、とても興味深く読ませて頂きました。
    また、訪問させていただきますね!
    これからも、どうぞよろしくお願い致します♪

    ゴア

    一歩人

    一歩人さん からの返信 2015/04/13 07:01:55
    RE: こんにちは ゴアと申します
    ゴアさんへ

    はい、ありがとうございます。

    学生時代に、ローマやフィレンツエへ。
    以来、トレビの泉が忘れられないこのごろです。

    週二回浅草を散策していますが、あれこれ、
    調べるうちに時間だけが過ぎるこのごろです。

    浅草の展望編の次は、地上編?と思いつつ、
    タワー編に切り替えて、練り直しております。

    失礼しま〜す♪

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