2015/01/11 - 2015/01/11
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風に吹かれて旅人さん
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(町のシンボル的存在である「みたけ華ずし」)
中山道御嵩宿において、去年同様に撮影会で
久しぶりに逢うカメラ仲間と新年の挨拶に出かけました。
前回は美濃中山道 御嵩宿と伏見宿をゆく
http://4travel.jp/travelogue/10847936
今回は、可児郡兼山町が可児市に合併して....・
兼山が生んだ戦国の若獅子、森蘭丸と御嵩宿
美童で知られる戦国時代の男子アイドルの地.若獅子森蘭丸
http://www5.ocn.ne.jp/~shiraki/
可成寺.兼山歴史民俗資料館.常照寺.西念寺.蘭丸ふる里の森へ
可成寺にて見知らぬ方・お喋りと兼山歴史民俗資料館にて
少し時間をとられ御嵩の大智山愚渓寺寄れず残念。
今回の目的地.中山道御嵩宿に立ち寄り
中山道みたけ館.商家竹屋(竹屋資料館).「みたけ華ずし」
そして,最後に可児川から粘って寒いが白鷺を撮る・
(追)「みたけ華ずし」の問いに
その様子の写真を一枚アップしました。
旅日記写真として
次回は来年は、御嵩宿を中心に次ぎの宿場町(細久手宿)を散策する予定・
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
可児市は、戦国武将・明智 光秀 公、森 蘭丸 公の生誕地で、
皮肉にも悲劇な歴史ロマンあふれる地であり、
また世界にほこるのバラ園のある「花フェスタ記念公園」を
http://4travel.jp/travelogue/10964370
はじめ「鳩吹山遊歩道」
http://4travel.jp/travelogue/10765004
そして久しぶりに「蘭丸ふる里の森」へなど
多くの花と自然を楽しむことができる街です。
可成寺 前の駐車場から歩く・兼山湊跡は今回行けず
何時か行こうと想います。
兼山湊は、木曽川上流部唯一の商用港でした。
斉藤・森氏の時代から明治に至るまで、
兼山が東濃地域の経済の中心地として繁栄したのはこの湊があった。
今も常夜灯と船着き場の石畳が名残を止めています。 -
可成寺 (かじょうじ)
元亀元年(1570)に宇佐山で戦死した森可成菩提のため、
その翌年に長可が父の名「可成」をそのまま寺号とし金山城東の寺が峰に創建。
その後、慶長5年(1600)に忠政が川中島へ転封された時、
現在地に移転さ れた。
また、昭和42年(1967)には、蘭丸、坊丸、力丸の供養塔が
八百津町中野より当寺に移され安置されている。 -
可成寺
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森家の菩提寺。蘭丸をはじめ、可成、長成、坊丸、力丸の墓があります
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺において
この地図をみて
大体計画をたてました・
可成寺.兼山歴史民俗資料館.常照寺.西念寺.蘭丸ふる里の森へ -
可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺にて
中年の男性が一人カメラも持たず
軽く会釈して
私は.急いで写真で記録しました。 -
可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
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可成寺
先程の方が.私と同じ様に本堂観てられたので
お聞きしました。
土岐の人で.これから岐阜の従兄弟の所へ用で行く途中
立ち寄られて
ここでも、いろいろお話しして
私は、これから兼山歴史民俗資料館
相手の方は、兼山湊跡を通って岐阜市へ -
可成寺
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可成寺
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15歳で織田信長に仕えた。才智に富み、容貌美麗で、信長に重用され、
美童で知られる戦国時代の男子アイドル。若獅子森蘭丸
明智 光秀 公も奇しくも同じ生誕地でありながら
おなじ信長の配下で有望な人材でありながら
歴史的には.お互い悲劇が....
本能寺の変で信長を守り、明智光秀の臣・安田作兵衛と渡り合い、討ち取られた。
その為か.歴女がここを可成寺には.....。 -
兼山歴史民俗資料館
明治18年(1885)に竣工した懸け造りの3階建てという
珍しい形態の小学校校舎を解体修理し「兼山町歴史民俗資料館」
として平成6年(1994)に開 館。
南面からは二階造り、北面からは総三階という学校建築は
極めて希でほとんど現存せず、
建物そのものが文化財として貴重なものである。
1階には歴代の金山城主に関する資料が、
地階には江戸時代以降近在近郷随一の
商業の町として栄えた頃の資料が展示してある。
東隣の生き生きプラザ1階からご入館ください。 -
姫路城、松本城、彦根城そして犬山城。
国宝指定四城の天守中でも最も創建が古いとされているのが犬山城です。
その創建時期については未だはっきりしていません。
兼山歴史民俗資料館より館長よりいろいろお聞きしました。
「金山越」(かねやまごえ)
翌慶長5年(1600)、
金山城主森忠政が川中島13万余石に転封すると、
金山城は犬山城主石川備前守光吉に与えられ
金山城と犬山城は同じ木曽川水系の至近に位置することや、
時代経過による戦略的な背景の変遷から、
その後金山城は「破城」とされました。
破城とは、城が再利用されないように石垣の角を壊すなどすることです。
当時堅固に整備された城に用いられた貴重な資材を有効利用するため、
城の移築は日常的に行なわれており、
広く東濃域を支配した森氏の豊かな経済力をもとに大城郭となった、
金山城諸施設のことごとくは犬山に移築され、
犬山城は近代城郭として拡充整備されました。 -
兼山歴史民俗資料館
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兼山歴史民俗資料館
館長が珍しい虚無僧が
急いで開けてもらったら
更にいろいろ御高説を
森蘭丸の兼山の二大イベント.春秋にありますが
特に秋は戦国武者行列もあり
私は,その時期は.おん祭MINOKAMO2014 秋の陣 太田宿中山道まつり
http://4travel.jp/travelogue/10944502
何時も同じ時期で.行けずに残念.
まつりには、館長の歴史説明もあります・
http://www5.ocn.ne.jp/~shiraki/ -
兼山歴史民俗資料館
入るといろんな資料を受け取り
館長の説明で
いろんな箇所に説明書を抜き出して
私に手渡されました・
昔の文献資料は..私には太刀打ち出来ません。
しかし、ご好意は大変嬉しかった・ -
【森蘭丸の生涯】
安土桃山時代。岐阜の美濃国・兼山(金山)にて、
森成利として生誕した森蘭丸は、
美男で有能かつ前途有望を織田信長に認められ、
小姓として召し抱えられ出 世。その後、美濃国・金山城の城主となるが、
本能寺の変で織田信長を守衛するも安田国継に討ち取られ、
その生涯を閉じました。国史跡の金山城は父の森可成を初め、
森長可・森蘭丸・森忠政と森氏が35年間に渡って城主となり、
織田豊臣政権下の拠点となりました。 -
兼山歴史民俗資料館
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兼山歴史民俗資料館
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兼山歴史民俗資料館
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兼山歴史民俗資料館
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兼山歴史民俗資料館
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兼山界隈
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兼山界隈
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常照寺 (じょうしょうじ)
妙向尼の父、林新右衛門常照菩提のため高山(現土岐市)に創建されていた
常照寺が現在地に移転。妙向尼の墓に並んで、
父新右衛門常照の墓が安置されている。当寺には蘭丸愛用と伝えられる手槍の穂先、妙向尼画像(法体・有髪)なども保存されている。 -
常照寺
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常照寺
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兼山界隈
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西念寺 (さいねんじ)
梅渓中将左衛門慰兼行の建立と伝えられる寺で、
もともとは木曽川対岸の牧野村にあったが、
その後兼山へ移り、元和5年(1619)に西念寺と号するようになった。
明治天皇の離宮を手掛けた名古屋の名工、宇野林平によって造られた庫裏が見事。 -
西念寺
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西念寺
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西念寺
大銀杏にブランコが? -
西念寺
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西念寺
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手前が西念寺
右端が常照寺の更に先に西念寺の駐車場へ -
兼山界隈
西念寺の駐車場の横の建物 -
県道381から国道19へ
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地元の英雄の看板
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ここは心と体のリフレッシュ空間
飛 騨木曽川国定公園の美しい渓谷を望む史跡金山城址の麓、
自然と思いっきりふれあうことのできる
リフレッシュ空間「蘭丸ふる里の森」。 -
可成は烏峰城を金山城と 改称。
慶長三年(1600)、徳川家康の命により森忠政が川中島海津城へ国替となるまで、
森家三代の居城となった。 -
蘭丸ふる里の森
飛騨木曽川国定公園の美しい渓谷を望む史跡金山城跡の麓。
東美濃を一望できる展望台や、
子供たちに人気のアスレチック遊具も設置されている。
春には古城山千本桜が咲き乱れ、恒例の桜まつりが開催される。 -
蘭丸産湯の井戸
織田信長の小姓として有名な森蘭丸は永禄8 年(1565年)、
金山城主の森可成とその妻、後の妙向尼との間に、兼山で生まれ育ち、
森蘭丸が生まれたときに使用した産湯の井戸が今でも残されていま す。
蘭丸ふる里の森 「蘭丸広場」 にある井戸。
この井戸が蘭丸産湯の井戸として今に伝えられている。
城は木曾川南岸の古城山の山頂に築かれている。
本丸には天守台があり、西側に大手の桝形虎口があり、
その西側に二の丸、その北に三の丸があり、西の尾根に出丸が築かれている。
全体が石垣で固められていたようであるが、その大半は完存しておらず、
出丸の石垣が一番良く残っている。
森氏に関する史跡の大半がそうであるように、
ここも「蘭丸ふるさとの森」と称した公園となっている。
森家には長可を筆頭に有力な当主が多いにもかかわらず、
蘭丸だけが、知名度あるため..
でも、それによって全国区になれば町の活性化の要因。 -
「古城山千本桜」
毎年春には千本桜が咲き乱れ、一面がピンク色に染まります。
下から見上げる桜も風情あると想います。 -
解放感たっぷりパノラマビュースポット
戦国の世の歴史ロマンを秘めたこの森は神秘的 な感覚とともに
訪れた人の心に感動と癒しをきっと与えてくれる・・・
そんな森が森蘭丸生誕地の兼山にあります。 -
1537年に斉藤道三の養子斉藤大納言正義によって
古城山の山頂に築かれた本格的山城で烏峰城と名付けられました。
1565年に森可成が織田信長からこの城を賜り、
以後森家3代の居城となっていました。
美濃金山標高277mの山頂からは東・中濃地区が見渡せます。
以前,夏に行きましたが木陰て殺風景で少し観て回りすぐに下りました。
美濃金山を領し、信濃川中島・美作を経て、播磨赤穂城主となった森家 -
(展望台)から見下ろす桜も絶景で感動的でしょう。
更に上がると
山頂には、森蘭丸をはじめとした森氏の居城である「美濃金山城跡」
やや左上の建物.兼山小学校の横県道318から南へ御嵩の共和中学校過ぎると
国道19号更に御嵩小学校を南に進み
名鉄広見線の終点御嵩駅へ..そこら辺一体が中山道の御嶽宿への 次ぎの場所・ -
美濃加茂方面
-
美濃加茂方面
-
上段.蘭丸ふる里の森のイチバン上の展望台東屋
下段.県道381号兼山町の主道路から国道19号へ -
何時も花フェスタへ行く国道21の最近出来たバイパス
-
高速道路
御嵩インターから
多治見へ -
常照寺.西念寺.
兼山歴史民俗資料館. -
この道を南に行けば
花フェスタ記念公園です・
始めて.このイチバン上の展望台から
広角が多い写真ですが
900ミリの望遠で.. -
現在の地名表記は「御嵩」である。宿の名前は昔は「御嶽」が使われた。
天下分け目の戦い「関が原の戦い」に勝利した徳川家康は、
早速街道整備に取りかかり、慶長6年(1601)に東海道を整備後、
慶長7年(1602)中山 道の整備に着手した。
御嶽宿本陣であった野呂家には、慶長7年2月24日付けの
「御嶽宿伝馬掟朱印状」が届けられている。
後に江戸から49番目の宿場とな る御嶽宿はいち早く宿場として指定された。 -
名鉄御嵩駅南側に誕生したさんさん広場。
美濃焼のセラミックボールを利用した足癒は
地元の人々の語らいの場として親しまれてしる。
日曜日には宿の市等の 物産販売や楽しいイベントなどに利用されている。
日が暮れるとともにLED照明が優しく辺りをつつんでいる。
御嶽宿の入口にあり、願興寺も目の前であ る。 -
中世から「願興寺」の門前町として栄えていた町で、
天台宗祖「最澄」が東国巡錫の砌、この地に布施屋を建立し、
自刻の薬師如来を奉納安置したのが起源とされる。
その後、一条天皇の皇女とされる行智尼 (ぎょうちに)が
最澄自刻の薬師如来を朝夕と礼拝されていたところ、
南西の尼が池から数千の沢蟹の背に乗った一寸八分の
金色の尊像が顕現したという。
これ が天聴に達し、勅命により七堂伽藍が建立された。
その後、多くの僧、権力者、そして何よりも民衆に支えられて現存している。
現在、本堂並びに、本尊薬師如来及び日光月光両脇持、四天王像、十二神将、
釈迦如来三像、阿弥陀如来立像、坐像の24体が
国指定の重要文化財に指定されている。
弘仁6(815)年、伝教大師によって創建されたという天台宗の古刹「願興寺」。 -
願興寺の門前町
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御嵩宿
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御嵩宿本陣
代々野呂家が本陣を務めた。
建坪181坪、前棟、奥棟合わせて室数24、畳数172畳あった。
非常の場合は北側の藪を抜けて5町離れた「宝積寺」へ避難できたという。
母屋は明治10年頃建替えられたが、往時の雰囲気を偲ぶことはできる。
この先の大湫宿、細久手宿への難所を控えた宿場としても賑わっていた。
開設は慶長7年(1602年)と古く、
町並みは、上町、仲町、下町と続いていた。
本陣1 脇本陣1 旅籠28 -
ひときわ古い旧家は「商家竹屋」。
主屋は明治10年頃の建築と推定され、
金融業、繭・木材・綿布の取扱いなど、
幅広い商売を手がけた豪商であった。
江戸時代の建築様式を色濃く残す建物で、
現在は一般公開されているが、月曜日で閉館。 -
平成15年3月に開館した。現在は「中山道御嶽宿商家竹屋」と名づけられ、
御嶽宿の資料館として利用されている。明治10年ごろの建築とされるが、
江戸時代の様式を色濃く残す建物で、商家としての機能が分かりやすい。
商家竹屋は本陣の野呂家の分家が経営していた。
明治10(1877)年建築の「商家竹屋」。
江戸期に本陣・野呂家より分家し、
明治以降はさまざまな職を幅広く手掛ける「総合商社」の先駆けとして栄えた。
町指定重要文化財。 -
「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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商家竹屋 玄関.店帳場
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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茶屋と庭園
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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土蔵方向へ
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「中山道御嶽宿商家竹屋」
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「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
凄く寒いのか緊張されたのか表情が?
後半から和やかな仕草行動様式表情で
少し撮らせて貰いました・ -
「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
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「中山道御嶽宿界隈」
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中山道みたけ館
御嵩町の歴史や文化財を一堂に集めた郷土館御嵩町のこれまでの歴史、
足跡を示した資料や文化財を収集、保管を行っている郷土館と図書館の複合施設。それらの情報を一般に公開し、
郷土の歴史に関する学習活動の拠点としての役割も担う。
館内では縄文・弥生・古墳時代の出土品 を映像や音を伴うディスプレイや
パネルで学べるほか、平安時代から明治時代までの御嵩の役割も知る。
本陣の隣で、脇本陣の跡に建てられている。
町立の図書館と郷土館の複合施設。
御嶽宿・伏見宿に関する資料が豊富で、宿場の模型を通してみる御嶽宿の 様子、大名食の復元。皇女和宮通行の折の下賜品など紹介している.....、 -
「中山道みたけ館」ここは無料で
係りの方にカメラ撮影禁止を教えて貰い
二階の郷土館はNGと言う事で
先程の兼山歴史民俗資料館は200円入場
カメラ撮影禁止を聞くと一カ所駄目と言う事で
それから館長の説明が始まり
犬山城の謎,安土信長.赤穂などネタが増えたが
ここは、何の説明も無く
一階は、図書館だからでしょう。 -
「中山道みたけ館」
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「中山道みたけ館」
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「中山道みたけ館」
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「中山道みたけ館」
日野商人「景気回復!福助サミット」を想いだしました。
http://4travel.jp/travelogue/10423214 -
細久手宿から御嶽(嵩)宿に至る途中の謡坂(うとうざか)村にあった
「木賃宿(きちんやど)」が描かれたと考えられている。
木賃宿は米を持参して自炊するための木賃(薪代)だけを支払えば
宿泊できる宿で、囲炉裏(いろり)を囲んだ笈摺(おいずる)姿の女巡礼、
膝を抱えた旅人た ちの和やかな会話の様子、
そして今まさにこの宿に着いて草鞋(わらじ)を脱ごうとする旅人など、
いかにも生き生きとした表現描写が当時を彷彿(ほうふつ) とさせる。
左に描かれた背負子(しょいこ)に荷物を乗せて来る女性の上半身だけの表現は、この木貨宿が峠の上部に位置していることを示すとともに、さり気 なく雌雄一番(ひとつがい)の鶏を配している点など、広重らしさがかいま見える。
旅情に加え人と人との一時のふれあいを実にうまく表現している作品 -
「中山道みたけ館」
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「中山道みたけ館」
-
「中山道みたけ館」
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中山道みたけ館(御嵩町郷土館)
1階は図書館で2階が郷土を紹介する郷土館になっており、
先史時代から現代までを歴史の流れに沿って展示、解説。
中山道みたけ館
岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1
TEL0574-67-7500 FAX 0574-68-0005
●開館時間
火曜日〜金曜日 午前10時〜午後6時
土曜日・日曜日・祝祭日 午前 9時〜午後5時
●休館日
毎週月曜日 毎月第3火曜日
毎月最終金曜日 年末年始(12月28日〜1月4日)
●名鉄広見線「御嵩駅」下車、徒歩3分
●中央自動車道「土岐インター」より車で20分
●東海環状自動車道可児御嵩インターより車で10分 -
「みたけ華ずし」。
町のシンボル的存在であり
願興寺(がんこうじ)の寺紋である
「蟹牡丹」がデザインの素となった。
それは、来てみて頂ければ...と想います。 -
「みたけ華ずし」
-
「みたけ華ずし」とは?お問い合わせて゜
行って見て御嵩に寄って頂ければ
と想いましたが
この様な寿司です。
値段は..となれば..足を運んで下さい・ -
「みたけ華ずし」
-
「みたけ華ずし」
-
「みたけ華ずし」や、新ご当地グルメ「元祖みたけとんちゃん」など、
地域住民が中心となった特産品の開発も活発。
当時の面影を偲ばせる宿場町には、
新しい魅力もどんどん顔を見せはじめている。 -
「中山道御嶽宿界隈」
-
1200年の歴史を誇る大寺山願興寺の山門正面に位置するわいわい館には、
地元の物産も展示販売しており、
喫茶コーナーでは地元中学校が生産するお茶やコーヒーで
旅の疲れを癒しながら、旅の思い出を語るのに最適な趣がある。
来訪者のおもてなしと交流をテーマに建てられた
「御嶽宿わいわい館」。
御嵩町の特産品の販売や、
地元住民が作った髪飾りなど
作品展示も行われている。 -
可児川の寒い風に当たりながら
白鷺の動向の観察 -
私に注視ているが
可児川只今ハンティング -
少し動いた事が警戒心をそそり
可児川の中間地点へ向かうので
追いかけたら.... -
可児川
-
急いで堤防から橋を渡ると...
今年も,カメラ仲間に逢う為に
御嵩に来ました。
去年行きましたが
御嵩の大智山愚渓寺寄れず・心残りでした・
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 潮来メジロさん 2015/01/29 22:55:07
- ダイサギですね。ヾ(^o^)
- 風に吹かれて旅人さん、こんばんは! ヾ(^o^)
毎度、訪問ありがとうございました。
この白鷺は、ダイサギ(大鷺)という種類の鳥さんです。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
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