2014/10/18 - 2014/10/19
493位(同エリア1444件中)
naoさん
岡山県倉敷市は、かつて僅かばかりの漁師や水夫などが住んでいた、瀬戸内海に浮かぶ小島だった鶴形山を取り込むように、高梁川が運んできた土砂の沖積作用により生まれた干拓地に起源を発するもので、この干拓地を流れていた水路が、現在、倉敷川として美観地区を流れています。
江戸時代初期、倉敷はすでに備中各地から高瀬舟の水運によってもたらされる米の集散地として繁栄していて、13軒の豪農(古録派)が庄屋、年寄り、百姓代などの村役人を世襲し、経済的にも政治的にも牛耳っていました。
寛永19年(1642年)、江戸幕府の直轄地である「天領」となって以降、新田開発された干拓地では、塩分を含んだ土壌のため稲作には不向きなことから、水と肥料さえあれば容易に栽培できる綿花が盛んに栽培されるようになり、これを扱う綿花や木綿の仲買などにより財を成した新興商人達が台頭します。
古録派に対して新録派と呼ばれたこれら25軒の新興商人達は、13軒の古録派が牛耳っていた村役人の要職を要求するようになり、寛政2年(1790年)から文政11年(1828年)にかけて繰りひろげられた壮絶な勢力争いの結果、ついに新録派が勝利を納めます。
現在、美観地区を中心とした倉敷の町で見ることができる、本瓦葺に白漆喰塗り籠めやナマコ壁をしつらえた堂々たる町家は、これら新録派の商人達の建物だそうです。
明治時代に入り、仲買人として自らが扱っていた綿花を利用して紡績工業を興し、倉敷を発展させようという機運が盛り上がり、大原家を中心とした有志たちによって倉敷紡績所(現在のクラボウ)が設立されます。
この倉敷紡績所で成功を納め、大原美術館の設立をはじめとして、産業界や文化事業への尽力を通じて倉敷の発展に大いに貢献した、大原家の住宅が、美観地区の今橋のたもとに残っています。
寛政7年(1795年)建築の主屋は、本瓦葺の二階建てで、一見入母屋造に見える屋根が架かっていますが、実際は妻側に出の短い庇が付いた切妻屋根となっています。
また、倉敷窓(虫籠窓の一種)や倉敷格子といった倉敷独特の意匠や、外壁は腰に貼った瓦を白漆喰の目地で押さえたなまこ壁で仕上げられ、美観地区の景観を特徴づける、代表的な建物となっています。
大原家住宅をはじめとして、美観地区に連なる堂々たる町家は、倉敷川両岸に植えられた柳並木と相まって、風情ある町並みを形成しており、さすがに一級品たるにふさわしい景観を見せています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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二日目に先ず訪れたのは、倉敷を代表する美観地区と呼ばれる町並みです。
人気の観光地なので、人混みを避けるため朝一で訪れましたが、これが功を奏したようで、人通りの少ないうちに入ることが出来ました。
「早起きは三文の徳」です。 -
倉敷の銘菓として知られる、「むらすずめ」を創作したお店。
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こちらのナマコ壁に虫籠窓のある伝統的な町家は、民芸品を扱うお店です。
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その横の風情ある路地の奥には、江戸期の老舗旅館跡を再生した食の空間、「奈良萬の小路」がオープンし、高梁川流域や瀬戸内海など地元の食材を使った、倉敷らしい食文化の発信拠点として期待されています。
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民芸店の向かいにあるお土産物屋のお店。
こちらも風情あるたたずまいを見せています。 -
お土産物屋さんの先を曲がると、倉敷川が見えてきます。
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風情ある町家が続いています。
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ある意味で倉敷の顔とも云うべき、50年以上の歴史がある喫茶店、「エル・グレコ」です。
「大原美術館を訪れる人たちが休憩できる場所がほしい」との大原家の思いを受け、昭和34年に開店しました。 -
萩の花が川面に枝垂れかかっています。
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こちらは、云わずと知れた倉敷の顔、大原美術館です。
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今橋のたもとに建つのは、倉敷紡績所で成功を納めた大原家の住宅です。
寛政7年(1795年)建築の主屋は、倉敷窓(虫籠窓の一種)や倉敷格子といった倉敷独特の意匠や、外壁は腰に貼った瓦を白漆喰の目地で押さえたなまこ壁で仕上げられ、美観地区の景観を特徴づける、代表的な建物となっています。 -
今橋から見た東側の倉敷川の景観。
見えている橋は中橋です。 -
川面に枝を伸ばすモミジを横目に泳ぐ白鳥。
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今橋の北側には・・・
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有隣荘があります。
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有隣荘は病弱な奥様のために大原家の主が立てた別邸で、別邸として使われなくなった後は、来賓館として使われました。
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倉敷川沿いの町並み。
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川沿いに植えられた柳の木は・・・
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水辺の景観に欠かせないものとなっています。
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こちらは、江戸時代中期の建築と云われる、倉敷の名家の建物を再生した旅館です。
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中橋が見えてきました。
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倉敷川で群れ遊ぶ錦鯉たち。
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かつては高瀬舟による水運が盛んだったので、通行しやすいように橋脚の幅が広く造られています。
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中橋から見た倉敷川西側の景観。
正面に見えているのは今橋です。 -
青空をバックにした中橋のシルエット。
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中橋の下から、高瀬舟の準備に忙しい船頭さんの姿が見えています。
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中橋を渡って、倉敷川の反対側へ来ました。
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右手前に見えるのが、倉敷の名家の建物を再生した旅館です。
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倉敷川対岸の光景です。
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旅館の横の路地から見た倉敷川の景観。
クラシックな街灯がワンポイントアクセントとしての効果を発揮しています。 -
右側に見えているのが今橋です。
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クラシックな街灯は対岸の倉敷館とマッチしています。
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船頭さんが高瀬舟を漕ぎだしてきました。
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倉敷川は中橋の東側で南北方向に曲がっていますが、折れ曲がった角から見た南側の景観です。
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川岸の春日灯籠の先に高瀬舟の乗場があります。 521
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対岸の倉敷館は倉敷観光案内所になっています。
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こちらは江戸時代後期に建てられた米倉を活用した倉敷民芸館です。
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こちらも同様に米倉を活用した日本郷土玩具館です。
館内には、全国各地の特色を生かした、昔懐かしい玩具たちが展示されています。 -
川岸に植えられた桜の葉が色付き始めています。
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青空が映りこむ川面で揺れる・・・
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ナマコ壁の町家群。
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こんな景観の中で、川沿いの床机に座ってボンヤリするのも一興です。
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こんな状態になりながらも、立派に葉を付ける樹木の生命力には脱帽ですね。
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川面に映った町並みを見ていると・・・
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倉敷川とともに歩んできた歴史を感じさせてくれるような気がします。
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美観地区の南端に架かる高砂橋。
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高砂橋から見た北西側の町並み。
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正面に見えるナマコ壁の建物は倉敷考古館です。
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こちらは北東側の景観です。
美観地区の南端まできたので、次は倉敷川の一本東側にある通りへ向かいます。 -
倉敷川の東側の町並みにやって来ました。
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店先に置かれたススキの穂が、秋の風情を湛えています。
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こちらの通りには、お土産物屋さんなどのお店が軒を連ねています。
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店先に並べられた、備前焼きの緋襷(ひだすき)の湯飲み。
この景色は、窯の中で土と稲わらが反応して産みだされます。 -
通りから少し入ったアイビースクエア内にある、児島虎次郎記念館のレンガ壁と倉紡記念館の漆喰壁。
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明治時代、大原家を中心とした有志たちによって設立された倉敷紡績所の工場を再生した「アイビースクエア」の名のとおり、蔦の絡まる建物があります。
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店先に飾られた和傘の、鮮やかな紫色に惹かれてしまいます。
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ひと際にぎやかなお店が連なる一角に・・・
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落ち着いた雰囲気の町家があります。
こちらは個人住宅なんでしょうか? -
本町通りを抜けて大原家の裏側に戻って来ました。
通りにはリズミカルで規則正しい竹柵がしつらえてあります。 -
通りの両側を、大原家のナマコ壁の土蔵が占めています。
この姿を見ると、倉敷を代表する豪商の勢いの凄さが思い知らされます。 -
大原家住宅と有隣荘の間を抜けて、大原美術館が見える倉敷川沿いへ出てきました。
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倉敷川に目をやると、折しも、中橋をくぐって観光客を乗せた高瀬舟がこちらに向かってきます。
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川岸に咲く萩が見つめる前を・・・
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高瀬舟が通りすぎて行きます。
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かつて、積荷を積んで日常的に行き来していた高瀬舟は、形を変えながらも倉敷川の水運で繁栄した当時の姿をしのばせています。
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では、美観地区はこれくらいにして、私の心を捉えて放さない、「もう一つの倉敷」とも呼べる町並みへ向かいます。
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