2015/01/01 - 2015/01/01
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tsunetaさん
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1月1日、午後2時頃に多聞院から隣の神明社に初詣に行き甘酒を頂き、神楽殿で上富獅子保存会のひょっとこ踊りを見る。その後甘藷の神様で正月恒例の焼き芋を並んでもらった。
○神明社について・・・説明文による
神社由緒
当社は元禄9年(1696年)川越城主柳沢出羽守領主の節、上富村、中富村、下富村の三ヶ村を開かれた折、一寺一社の制に基づき12,500坪の地を除地せられ、鎮守のお宮として毘沙門社と多聞院を創立、後年、該院境内に神明社を勧請いたしました。時に宝暦11年(1761年)であったと伝えられます。(入間郡誌には宝暦8年と記されています)
村民一同産土神社として崇敬しましたが、明治2年に至って神仏分離令により473坪を分割し、同年社格制定の節、旧三ヶ村の鎮守であったことから、村社に列せられました。同6年、境内改正により、3,764坪を引裂き上知され、現境内地に1,009坪を第一種官有地に編入されました。
明治45年には、享保年間には幕府直轄領として開発された所沢新田、久米新田、神谷新田、堀兼新田、北田新田、岩岡新田にある七社が合祀されました。また昭和3年3月に埼玉県史蹟保存として三富開拓遺跡に指定されました。なお昭和21年2月28日に宗教法人として神社規則を設定し社格廃止され埼玉県神社庁の管轄になりました。
○甘藷の神様について・・説明文による
当地は武蔵野台地のまん中にあります。土が乾ききっているところで、夏の干ばつによる農作物の被害が特にひどいところでした。
南永井村(現在の所沢市南永井)の名主、吉田弥右衛門(よしだやえもん)はそんなところでもよくできるというサツマイモの話を聞き、その導入と普及に努めました。
関東でのサツマイモの試作に最初に成功したのは、江戸の学者、青木昆陽(甘藷先生)で、享保20年(1735)のことでした。弥右衛門の試作はそれから16年後の寛延4年(1751)のことです。そのサツマイモは最初は飢饉に備えて作られましたが、すぐ農家の自家用の食料として積極的に作られるようになりました。それだけではありません。のちには江戸にたくさん現れた焼き芋屋用のいもとして、いいかえれば商品作物としても作られるようになり、貴重な現金収入源になりました。
おかげで苦しかった人々の暮らしが楽になりました。
神明社では、当地が「川越いも」の本場であることから、平成18年11月23日、作り初め255周年を記念して、弥右衛門さんの功績を称えるとともに、関東のサツマイモ作りの元祖である甘藷先生と合わせて『甘藷乃神(いものかみ)』としておまつりさせていただくことになりました。
*写真は神楽殿のひょっとこ踊り
- 旅行の満足度
- 4.5
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神明社の初詣客の列
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この日の初詣客は200m長さの列ができるくらい沢山来ていた。
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参道横には神楽殿があり、毎年恒例の上富獅子保存会の皆さんがひょっとこ踊りや獅子舞をしてお正月を盛り上げていた。
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神明社の左横にある甘藷の神様付近では正月恒例の焼き芋が窯5個で作られ、先着1000名に配られていた。
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初芋で無病息災
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出来あがった焼き芋が配られていた。
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焼き芋の窯5個で作られていた。
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いもの神様の由来
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焼き芋を作っている人
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約30分間並んで焼き芋が貰えた。
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焼き芋を配布しているところ
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列の先端に甘藷の神様がある。
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焼き芋造りの作業現場
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焼き芋を貰うと甘藷の神様を参拝する
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甘藷の神様
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この日は雪が舞うくらいに寒く焼き芋を貰った人々は焚火のまわりで芋を食べながら楽しんでいた。
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当方が神明社に来てから約45分にもなるが初詣客の列はずっと続いていた。
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神楽殿では上富獅子保存会の方々が獅子舞やひょっとこ踊りを振舞っていた。
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神明社の初詣客のお祓いがなかで行われていた
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神明社の初詣客のお祓いがなかで行われていた
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