2014/12/10 - 2014/12/10
7054位(同エリア16384件中)
ムッシュさん
朝、小雨の中、ホテルを9時に出発し、モンマルトル散策です。
今回は、ムーランルージュ前から丘に向かって上がり、途中で有名画家達が出没した辺りを巡ります。そして、最後は、サクレクール寺院正面から、パリ市内を見下ろします。
表紙フォトは、自作油絵 ”ラ・メゾンローズ” F12号を旅の記憶に載せてます。
- 旅行の満足度
- 5.0
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メトロ Branche駅前のムーランルージュ。早朝の通勤時間帯につきネオンは有りません。ここからモンマルトルの丘に向かい散策します。
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ここからモンマルトルの丘に向かって Rue Lepic通りを歩きはじめます。なだらかな坂道を登る。k
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登り始めて、最初のcross roadに、先ずは、映画”アメリ”でお馴染みのカフェ”Café des Deux Moulins”。 映画ではアメリのアルバイト先でした。
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続いて、 Rue Lepic通りを道なりにカーブしながら登ってゆく。登り坂の途中にヴィンセント・ヴァン・ゴッホがアトリエを構えた家がありました。
1886~88年の2年間居住した。
これが説明ボード。歴史的なもの有名家屋には、こんな表示がされてます。 -
元【ゴッホのアトリエ】への入口。
54 Rue Lepic 75018 Paris
ゴッホが弟のテオと暮らしていたアパートの扉。 -
更に坂道を昇る。この路地の正面左に、ルノワールの絵で有名な「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」があります。昔のような公園ではなく、洒落たレストランとなり、名前だけを踏襲してる。
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現在の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。レストランのようです
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ムランドラギャレットの正面。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット:Moulin de la Galetteは、「ギャレットの風車」の名を持つダンスホールで、現在はレストランに。入口と奥の庭など当時の風車小屋の名残をとどめ、労働者や、モデルや多くの画家も集まり非常に賑わっていたらしい。ゴッホやルノワールによる「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」やロートレックやピカソの絵画、ユトリロのリトグラフなどが名画として残っている -
ルノワールの作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
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レストランを過ぎて更に進むと、ジャン=バティスト・クレマン広場にでる。
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【洗濯船】の名で知られるピカソのアトリエ跡【Bateau-Lavoir】。
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【アトリエ洗濯船】
ピカソや多くの画家が、集まった所。
洗濯船(Le Bateau-Lavoir)は、パリのモンマルトルにあった安アパートの名前。ラビナン通り13番(13 Rue Ravignan)。 1904~1909年まで、パブロ・ピカソが恋人のフェルナンド・オリビエと共にここに住んだ。アメデオ・モディリアーニら他の貧乏な画家達もここに住み、アトリエを構えた。
ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらもここに出入りし、活発な芸術活動の拠点となったが、1914年以後は多くはモンパルナスなどへ移転した。
洗濯船と名づけたのは詩人のマックス・ジャコブ。細長い長屋風な建物で、歩くとギシギシ音がして、セーヌ川に浮かんでいる洗濯用の船とそっくりであることから名づけられたらしい。(ウイキペディアより) -
クレマン広場から、一端上りを止めて、ラビナン通りを少し下ります。程なく、アトリエ洗濯船(安アパートの名前。ラビナン通り13番(13 Rue Ravignan)でピカソが住んでいた歴史的場所)があります。
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アトリエ洗濯船の展示ウインドウ。
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アトリエ洗濯船の展示ウインドウ
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ジャン=バティスト・クレマン広場で、→の方向に進むと、モンマルトル美術館、テルトル広場、サクレクール寺院に行ける。
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振り返り、坂道下方を見る。
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アトリエ洗濯船を後にして、再びモンマルトルの丘を目指して上がります。左手にクレマン広場を見ながら狭い坂道を。
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上り切って右折すると、前方に Le Consulat Restaurant(ルコンスラ) が見える。モンマルトルの風景フォトにしばしば出ているレストラン。
ここはモンマルトルでも古くからあるお店の一つで、ピカソやシスレー、ゴッホ、モネ、ロートレック等が集ったところ。ユトリロの描いた「Le Consulat」は現在ポンピドゥーセンターに収蔵されています。
数々の映画にも登場して、ウッディ・アレンの「世界中がI Love You」に出た。かつての絵描きたちを思いながら一息つくのにいいかも知れません。 -
ルコンスラの向かい側には 【La Bonne Franquette】レストラン。
18 Rue Saint-Rustique 75018 Paris, フランス
+33 1 42 52 02 42
http://www.labonnefranquette.com/ フランス料理店
創業は1890年。
ゴッホをはじめピサロやシスレー、ロートレック、ルノワール、モネ、セザンヌ、など名だたるアーチストが集った場所。昔の名前はラ・ガンゲットといったそうです。
ゴッホはこの店の庭をラ・ガンゲットという名の絵画に残し、ルノワールもまた舟遊び仲間の昼食会 という名の絵を描いています。
この坂を左方に下ると、la maison rose があります。 -
ゴッホ関連
【カフェ・レストラン“オーヴェルジュ・ド・ラ・ボンヌ・フランケット”】 -
坂道をすこし下ると、「ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)」が見えて来ました。ブルヴォワール通り:Rue de l'Abreuvoiと、ソル通り:Rue des Saulesの角にユトリロの絵にも登場する、今は可愛らしいピンク色の建物のラ・メゾン・ローズ:?La Maison Rose?がある。当時、ルノアールやピサロがこの辺りに住み、モディリアーニやピカソ、マチスにアポリネールなどの貧乏芸術家たちがたむろしていた様です
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モンマルトルの坂道をランニングしてる人
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「ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)」
ピンクの可愛い外観ですが、ユトリロが描いたころはもっと白っぽい感じでした。 このレストランを描いた絵は今はオランジュリーにあります。 -
ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)
ブルヴォワール通り:Rue de l'Abreuvoiと、ソル通り:Rue des Saulesの角にユトリロの絵にも登場する、今は可愛らしいピンク色の建物のラ・メゾン・ローズ:?La Maison Rose?ががある。当時、ルノアールやピサロがこの辺りに住み、モディリアーニやピカソ、マチスにアポリネールなどの貧乏芸術家たちがたむろしていた様です -
ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)前の坂道。
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ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)
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ラ・メゾン・ローズ(la maison rose)
この道路を下って、次のクロスにラ・パン・アジルがあります。 -
これは、自作の「ラ・メゾン・ローズ」油彩 F12号を、旅の記憶に描いた作品。
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更に、坂を下ると、「オ・ラパン・アジル」に到着。
シャンソン酒場「ラパン・アジル」。夜はにぎやかなことでしょう。 -
オ・ラパン・アジル
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オ・ラパン・アジル
.『キャバレ・Au Lapin Agile、オ・ラパン・アジル』:常連の画家アンドレ・ジルが手鍋を飛び越すウサギの絵を描いた。このお店の常連だったピカソは食事代として道化師(アルカカン)を描いた絵を置いていったらしい。アポリヌール、プールボ、マックス・ジャコブも足繁く通ったという。ア・ラパン・アジルは、ピカソ、モディリアニ、ユトリロが描き止めた。 -
オ・ラパン・アジル(意訳=跳ねるウサギ。建物2階右壁にウサギの絵がある)
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ブドウ園。
左サン・ヴァンサン通りと右ソル通りに面する角地。
ラパン・アジルの四つ角にモンマルトル葡萄園がある。モンマルトルの丘の唯一の葡萄園。
当時は、ブドウ園でワインを作り、モンマルトル麓の酒場に供給していたとか。 -
葡萄園をサン・ヴァンサン通り沿いに歩き、次の角を右折。モンスニー通りです。モンスニー通りの階段を上がり、再びモンマルトルの丘に向かう。
階段を上り切って、下方を見る。
これが、サクレクールに向かうモンスニーの石段です。 -
サクレクール寺院が後方に小さく見えてきた。前方のデカイ塔は、貯水塔。
そのまま直進するとテルトル広場に向かう。 -
テルトル広場です。雨の午前10時頃ですが、人が居ません。12月は寒いものね。
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テルトル広場。画家のおじさん一人。準備中です。
それでは、サクレクール寺院の方に向かいます。 -
お土産ショップの先に、サクレクール寺院が見えてます。
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サクレクール寺院
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サクレクール寺院正面よりパリ市内の展望。
寒い日の雨の午前中、観光客もまだ見えません。出会ったのは数人です。
それでは、この辺でモンマルトルを離れ、ピガール広場経由で、ギュスターブ・モロー美術館、オルセー美術館に向かいます。
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