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お正月の短い休みを利用してヘルシンキまで行ってきました。日本航空が成田ヘルシンキ線を開設し、Boeing787-8を同路線で運用していたことから、国際線使用のB787-8型機に乗ってみたかったのがその大きな理由の一つです。1月のヘルシンキは、夏の白夜とは反対に、日中も薄暗い感じです。さすがにオーロラまでは見れませんでしたが、冬の北欧を体験できて満足です。

ヘルシンキ弾丸旅行

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2014/01/03 - 2014/01/05

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Zurich Grahamslayer

Zurich Grahamslayerさん

お正月の短い休みを利用してヘルシンキまで行ってきました。日本航空が成田ヘルシンキ線を開設し、Boeing787-8を同路線で運用していたことから、国際線使用のB787-8型機に乗ってみたかったのがその大きな理由の一つです。1月のヘルシンキは、夏の白夜とは反対に、日中も薄暗い感じです。さすがにオーロラまでは見れませんでしたが、冬の北欧を体験できて満足です。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
航空会社
ブリティッシュエアウェイズ JAL
旅行の手配内容
個別手配
  • 成田空港ターミナル2の日本航空カウンターです!<br />預ける荷物は無かったので、手荷物を持って、手荷物検査場に出発です。

    成田空港ターミナル2の日本航空カウンターです!
    預ける荷物は無かったので、手荷物を持って、手荷物検査場に出発です。

  • 成田空港ターミナル2出発ロビーです!<br />画像左下の所には、マイレージ・クラブの上級会員等ようの手荷物検査場がありました。一般の手荷物検査場はすごく混んでいたようなので、助かります。

    成田空港ターミナル2出発ロビーです!
    画像左下の所には、マイレージ・クラブの上級会員等ようの手荷物検査場がありました。一般の手荷物検査場はすごく混んでいたようなので、助かります。

  • 成田空港ターミナル2の日本航空ラウンジのエントランスです!<br />中に入って出発までの時間をここで過ごすこととしました。

    成田空港ターミナル2の日本航空ラウンジのエントランスです!
    中に入って出発までの時間をここで過ごすこととしました。

  • 成田空港ターミナル2の日本航空ラウンジの内部です!<br />けっこう空いています。

    成田空港ターミナル2の日本航空ラウンジの内部です!
    けっこう空いています。

  • 成田空港日本航空ラウンジのダイニングルームのフードコートです!<br />今から飛行機に乗るわけで、機内では離陸してほどなくして何か食べ物が運ばれて来るはずで、本来ここで何かを食べなければならないわけではないのですが、つい、フードコートをのぞいてしまいました。

    成田空港日本航空ラウンジのダイニングルームのフードコートです!
    今から飛行機に乗るわけで、機内では離陸してほどなくして何か食べ物が運ばれて来るはずで、本来ここで何かを食べなければならないわけではないのですが、つい、フードコートをのぞいてしまいました。

  • 成田空港日本航空ラウンジのダイニングルームのテーブル席です!<br />けっこう空いていました。

    成田空港日本航空ラウンジのダイニングルームのテーブル席です!
    けっこう空いていました。

  • 成田空港日本航空ラウンジで食べたカレーです!<br />以前、機内で就寝中に、カレーの臭いがビジネスクラスから漂ってきたことがありました。カレーが急に食べたくなってお願いすると、キャビンアテンダントさんがカレーを持ってきてくれました。美味しかったです。それ以降、日本航空の国際線に搭乗すると、カレーを頼むようにしています。今回のカレーも美味しかったです。

    成田空港日本航空ラウンジで食べたカレーです!
    以前、機内で就寝中に、カレーの臭いがビジネスクラスから漂ってきたことがありました。カレーが急に食べたくなってお願いすると、キャビンアテンダントさんがカレーを持ってきてくれました。美味しかったです。それ以降、日本航空の国際線に搭乗すると、カレーを頼むようにしています。今回のカレーも美味しかったです。

  • 成田空港ターミナル2の62番ゲートです!<br />ロンドン行きの日本航空401便は11時45分の出発、搭乗開始時間は11時15分であることが表示されています。

    成田空港ターミナル2の62番ゲートです!
    ロンドン行きの日本航空401便は11時45分の出発、搭乗開始時間は11時15分であることが表示されています。

  • 日本航空JL401便1K席です!<br />新型のシートです。やはりフルフラットな状態で眠れるというのはとてもありがたいです。JAL SKY SUITE 777(スカイスイート777)に乗ってみたいと思っていました。目的地はヘルシンキですが、成田 ー ロンドン線の片道を押さえることができたので、往路はロンドン経由で行くことにしました。

    日本航空JL401便1K席です!
    新型のシートです。やはりフルフラットな状態で眠れるというのはとてもありがたいです。JAL SKY SUITE 777(スカイスイート777)に乗ってみたいと思っていました。目的地はヘルシンキですが、成田 ー ロンドン線の片道を押さえることができたので、往路はロンドン経由で行くことにしました。

  • JL401便1K席のモニターと足置きです!<br />モニターのサイズは23インチです。これぐらいのサイズだと安心して見れます。今、家庭のテレビモニターのサイズがどんどん大きくなっているので、23インチでも特に大きくは感じませんが、一昔前のことを考えるとすごいことだと思います。<br />下の段、足置きの上にはクッションとリラクシングウェアが見えています。

    JL401便1K席のモニターと足置きです!
    モニターのサイズは23インチです。これぐらいのサイズだと安心して見れます。今、家庭のテレビモニターのサイズがどんどん大きくなっているので、23インチでも特に大きくは感じませんが、一昔前のことを考えるとすごいことだと思います。
    下の段、足置きの上にはクッションとリラクシングウェアが見えています。

  • ベッドと化したJL401便1K席のシートです!<br />アメリカン航空もそうでしたが、日本航空の場合、ベッドメイクをする際にマットレスをフラットになったシートの上に敷いてくれはするのですが、その上にシーツをかけるというところまでは至っていません。ブリティッシュ・エアウェイズやエール・フランス、スイス航空であれば、必ずシーツをかけてベッドメイクをしてくれます。この点についてはサービスの改善の検討が必要なように思います。<br />ベッドメイクが行われた後のシートの上には、シートベルトがはっきりと見えていました。これもあんぜん確保のためのキャビン・アテンダントさんのマニュアルにあるのかもしれません。

    ベッドと化したJL401便1K席のシートです!
    アメリカン航空もそうでしたが、日本航空の場合、ベッドメイクをする際にマットレスをフラットになったシートの上に敷いてくれはするのですが、その上にシーツをかけるというところまでは至っていません。ブリティッシュ・エアウェイズやエール・フランス、スイス航空であれば、必ずシーツをかけてベッドメイクをしてくれます。この点についてはサービスの改善の検討が必要なように思います。
    ベッドメイクが行われた後のシートの上には、シートベルトがはっきりと見えていました。これもあんぜん確保のためのキャビン・アテンダントさんのマニュアルにあるのかもしれません。

  • ヒースロー空港ターミナル3で見かけたパキスタン航空機です!<br />パキスタン航空は日本には路線を持っていません。したがって、私もヒースロー空港で初めて見ました。そこで画像に収めることにしました。パキスタン航空の画像右隣にはエア・カナダ樹が見えています。

    ヒースロー空港ターミナル3で見かけたパキスタン航空機です!
    パキスタン航空は日本には路線を持っていません。したがって、私もヒースロー空港で初めて見ました。そこで画像に収めることにしました。パキスタン航空の画像右隣にはエア・カナダ樹が見えています。

    ブリティッシュ エアウェイズ クラブラウンジ (ヒースロー空港) 空港ラウンジ

  • ブリティッシュ・エアウェイズのラウンジのスープです!<br />ヒースロー空港で日本航空機から降機した後、ヨーロッパ域内線用のブリティッシュ・エアウェイズのラウンジまで移動してきました。ブリティッシュ・エアウェイズの長距離国際専用のラウンジはけっこう良く整備されているということのようですが、こちらのラウンジは、とても簡素な施設でした。食べ物といえばスープとパンくらい。とりあえず2種類あったスープをとってきてみました。ラウンジに入ってきた別の外国人旅行客の会話が聞こえてきたのですが、何も無いけどスープはあるからスープをもらっておこうと言っていました。そこで私もスープにチャレンジです。<br />アルコール類のドリンクは皆無でした。さすがはブリティッシュ・エアウェイズです。シュウェップスを代わりにもらってきました。

    ブリティッシュ・エアウェイズのラウンジのスープです!
    ヒースロー空港で日本航空機から降機した後、ヨーロッパ域内線用のブリティッシュ・エアウェイズのラウンジまで移動してきました。ブリティッシュ・エアウェイズの長距離国際専用のラウンジはけっこう良く整備されているということのようですが、こちらのラウンジは、とても簡素な施設でした。食べ物といえばスープとパンくらい。とりあえず2種類あったスープをとってきてみました。ラウンジに入ってきた別の外国人旅行客の会話が聞こえてきたのですが、何も無いけどスープはあるからスープをもらっておこうと言っていました。そこで私もスープにチャレンジです。
    アルコール類のドリンクは皆無でした。さすがはブリティッシュ・エアウェイズです。シュウェップスを代わりにもらってきました。

    ブリティッシュ エアウェイズ クラブラウンジ (ヒースロー空港) 空港ラウンジ

  • ブリティッシュ・エアウェイズのiPhoneアプリで見る予約便のカウントダウンです!<br />便利です。ただ、ブリティッシュ・エアウェイズのマイレージクラブの会員になって、ブリティッシュ・エアウェイズの名前での航空券の取得でないと、機能は完全には使えないようでした。従って、シート・ナンバーの表示はありません。

    ブリティッシュ・エアウェイズのiPhoneアプリで見る予約便のカウントダウンです!
    便利です。ただ、ブリティッシュ・エアウェイズのマイレージクラブの会員になって、ブリティッシュ・エアウェイズの名前での航空券の取得でないと、機能は完全には使えないようでした。従って、シート・ナンバーの表示はありません。

  • ロンドン(LHR)からヘルシンキ(HEL)までのEチケットです。<br />ブリティッシュ・エアウェイズはPass Bookに対応しているので、わたしもモバイル用のEチケットを利用することにしました。便利です。<br />日本航空の機材はLHRではターミナル3に到着します。ブリティッシュ・エアウェイズのヘルシンキ行きの機材もターミナル3から発着します。そこでBAを利用してヘルシンキまで移動することとしました。<br />ロンドン18時25分発のBA0798便は、ヘルシンキに23時25分に到着の予定でしたが、30分ほど出発が遅れ、ヘルシンキへの到着は24時でした。日付変更線を回っています。従って、当然のことながら、ヘルシンキ中央駅にたどり着いたときは1時を前にしていました。困ったものです。こうして私の短いヘルシンキ滞在が始りました。

    ロンドン(LHR)からヘルシンキ(HEL)までのEチケットです。
    ブリティッシュ・エアウェイズはPass Bookに対応しているので、わたしもモバイル用のEチケットを利用することにしました。便利です。
    日本航空の機材はLHRではターミナル3に到着します。ブリティッシュ・エアウェイズのヘルシンキ行きの機材もターミナル3から発着します。そこでBAを利用してヘルシンキまで移動することとしました。
    ロンドン18時25分発のBA0798便は、ヘルシンキに23時25分に到着の予定でしたが、30分ほど出発が遅れ、ヘルシンキへの到着は24時でした。日付変更線を回っています。従って、当然のことながら、ヘルシンキ中央駅にたどり着いたときは1時を前にしていました。困ったものです。こうして私の短いヘルシンキ滞在が始りました。

    ロンドン ヒースロー空港 (LHR) 空港

  • ロンドン発ヘルシンキ行き BA0796便の機内食です!<br />日本航空の機内である程度しっかり食べてしまっていたので、「食べるべきか。食べざるべきか。」と悩みましたが、結局は食べてしまいました。この飛行機のビジネスクラスを利用する乗客が私だけだったのもその理由です。なんだか悪い気がして。乗客が少ないのは、やはり深夜にヘルシンキに到着する便だからでしょうか。<br />シェンゲン協定適用域内線に関しては、シート、食事、等についていうと、ブリティッシュ・エアウェイズのほうが、エール・フランス、ルフトハンザ等と比較するとはるかに上のように思いました。それなりに快適に過ごすことができました。

    ロンドン発ヘルシンキ行き BA0796便の機内食です!
    日本航空の機内である程度しっかり食べてしまっていたので、「食べるべきか。食べざるべきか。」と悩みましたが、結局は食べてしまいました。この飛行機のビジネスクラスを利用する乗客が私だけだったのもその理由です。なんだか悪い気がして。乗客が少ないのは、やはり深夜にヘルシンキに到着する便だからでしょうか。
    シェンゲン協定適用域内線に関しては、シート、食事、等についていうと、ブリティッシュ・エアウェイズのほうが、エール・フランス、ルフトハンザ等と比較するとはるかに上のように思いました。それなりに快適に過ごすことができました。

  • ヘルシンキ中央駅です!<br />フィンランド航空のエアポート・リムジンに乗って、ヘルシンキ空港からヘルシンキ中央駅までやって来ました。空港と市内中心部とを連絡する交通機関としては、やはりフィンランド航空のエアポート・リムジンが一番便利が良いようです。私もそのエアポート・リムジン・バスを利用しました。<br />ヘルシンキ中央駅の時計塔の針は12時40分を回っています。ロンドンからヘルシンキまで飛行機でいどうして、空港から街中に出るまでに日付が変わっていたようです。はるばるここまで、よくやって来たなあと思いました。<br />時計塔といい、正面入口の半円形のドームといい、とても個性的なデザインだと思います。そういえば、独創的なデザインが特徴の、イッタラもマリメッコもこの国のメーカーであったなあと思い出していました。

    ヘルシンキ中央駅です!
    フィンランド航空のエアポート・リムジンに乗って、ヘルシンキ空港からヘルシンキ中央駅までやって来ました。空港と市内中心部とを連絡する交通機関としては、やはりフィンランド航空のエアポート・リムジンが一番便利が良いようです。私もそのエアポート・リムジン・バスを利用しました。
    ヘルシンキ中央駅の時計塔の針は12時40分を回っています。ロンドンからヘルシンキまで飛行機でいどうして、空港から街中に出るまでに日付が変わっていたようです。はるばるここまで、よくやって来たなあと思いました。
    時計塔といい、正面入口の半円形のドームといい、とても個性的なデザインだと思います。そういえば、独創的なデザインが特徴の、イッタラもマリメッコもこの国のメーカーであったなあと思い出していました。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅に停車中のフィンランド国鉄の車両です!<br />ヘルシンキ郊外のキルッコヌンミ行きの車両のようです。キルッコヌンミはヘルシンキの郊外、南西部にある街です。ヘルシンキの都市圏人口はおよそ130万人、最北の大都会です。この電車は、近郊行きの終電ということかなあと思いました。<br />鉄道車両も国によってスタイルや雰囲気は多種多様です。しかしこの先頭車両のデザインを見ると、◯◯戦隊△△レンジャーのグリーンといった感じがします。面白いなあと思います。

    ヘルシンキ中央駅に停車中のフィンランド国鉄の車両です!
    ヘルシンキ郊外のキルッコヌンミ行きの車両のようです。キルッコヌンミはヘルシンキの郊外、南西部にある街です。ヘルシンキの都市圏人口はおよそ130万人、最北の大都会です。この電車は、近郊行きの終電ということかなあと思いました。
    鉄道車両も国によってスタイルや雰囲気は多種多様です。しかしこの先頭車両のデザインを見ると、◯◯戦隊△△レンジャーのグリーンといった感じがします。面白いなあと思います。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅のホームです!<br />時間は午前1時、ヘッドライトが点灯した何両かの列車は、乗客を乗せるために待機しているかのようでした。<br />画像右の赤色の先頭車両は、その正面に「VR」のロゴを掲げています。これはフィンランド鉄道のロゴだそうです。フィンランドの鉄道路線は、一定以上の本数が走る都市型近郊路線はヘルシンキ周辺のみに限られるようです。この列車はエスポー行きのようでした。エスポーには、携帯電話の製造で有名なノキアがあります。<br />フィンランドの東部には、鉄道の車窓から森と湖の美しい風景を堪能できる路線が多いようで、旅行客には好評のようです。私もいつか、夏のフィンランドで鉄道の旅をしてみたいです。

    ヘルシンキ中央駅のホームです!
    時間は午前1時、ヘッドライトが点灯した何両かの列車は、乗客を乗せるために待機しているかのようでした。
    画像右の赤色の先頭車両は、その正面に「VR」のロゴを掲げています。これはフィンランド鉄道のロゴだそうです。フィンランドの鉄道路線は、一定以上の本数が走る都市型近郊路線はヘルシンキ周辺のみに限られるようです。この列車はエスポー行きのようでした。エスポーには、携帯電話の製造で有名なノキアがあります。
    フィンランドの東部には、鉄道の車窓から森と湖の美しい風景を堪能できる路線が多いようで、旅行客には好評のようです。私もいつか、夏のフィンランドで鉄道の旅をしてみたいです。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅の正面の入口です!<br />フィンランド語(左)とスウェーデン語(右)とでヘルシンキと表示されています。

    ヘルシンキ中央駅の正面の入口です!
    フィンランド語(左)とスウェーデン語(右)とでヘルシンキと表示されています。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ国立劇場です!<br />ヘルシンキ国立劇場はお城のような外観の建物です。ヘルシンキ国立劇場は、ヘルシンキ中央駅に隣接した場所で、ヘルシンキ中央駅とどうよう、ライトアップされて美しく輝いていました。

    ヘルシンキ国立劇場です!
    ヘルシンキ国立劇場はお城のような外観の建物です。ヘルシンキ国立劇場は、ヘルシンキ中央駅に隣接した場所で、ヘルシンキ中央駅とどうよう、ライトアップされて美しく輝いていました。

    国立劇場 劇場・ホール・ショー

  • 夜のヘルシンキ中央駅付近のイルミネーションです!<br />とてもきれいです。<br />通りに掲げられているイルミネーションのAの文字は、かってのロシア皇帝にしてフィンランド大公であった、アレクサンダー2世の頭文字ではないかと思います。<br />宿泊先のホテルは、駅近くのビジネスホテルでした。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港からヘルシンキ中央駅まではフィンランド航空のエアポートリムジンで移動することとし、駅からホテルまでは歩いて行くことにしました。その際、ヘルシンキの街のライトアップ、イルミネーションを目にすることができました。日の昇らない時間の長い冬をすごさなければならない北欧、フィンランドならではの景観かもしれないと思いました。<br />画像左の建物に「GLO」の文字が見えます。私の宿泊したホテルの名前はGLO Hotel Kluuviでしたが、その理由は、ヘルシンキ中央駅一帯の地名がクルーヴィであり、またホテルの前の通りの名前がフィンランド語でクルーヴィ通り、スウェーデン語でグロー通りであることに由来するものかもしれないことが解りました。地図を見ることも大切なようです。

    夜のヘルシンキ中央駅付近のイルミネーションです!
    とてもきれいです。
    通りに掲げられているイルミネーションのAの文字は、かってのロシア皇帝にしてフィンランド大公であった、アレクサンダー2世の頭文字ではないかと思います。
    宿泊先のホテルは、駅近くのビジネスホテルでした。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港からヘルシンキ中央駅まではフィンランド航空のエアポートリムジンで移動することとし、駅からホテルまでは歩いて行くことにしました。その際、ヘルシンキの街のライトアップ、イルミネーションを目にすることができました。日の昇らない時間の長い冬をすごさなければならない北欧、フィンランドならではの景観かもしれないと思いました。
    画像左の建物に「GLO」の文字が見えます。私の宿泊したホテルの名前はGLO Hotel Kluuviでしたが、その理由は、ヘルシンキ中央駅一帯の地名がクルーヴィであり、またホテルの前の通りの名前がフィンランド語でクルーヴィ通り、スウェーデン語でグロー通りであることに由来するものかもしれないことが解りました。地図を見ることも大切なようです。

    ヘルシンキ中央駅

  • GLOホテル・クルーヴィ・ヘルシンキです!<br />ヘルシンキでの宿泊はこのGLOホテル・クルーヴィ・ヘルシンキでの一泊のみです。といっても、1時を回ってのホテル到着、2時を回っての就寝、次の朝からの観光のスタートを考え、ヘルシンキ中央駅近くのこのホテルに宿をとることとしました。<br />機能的にできているホテルで、駅に近く、観光にも便利と言うことで、とても良いホテルだと思います。<br />因に、地図で見ると、すぐ隣には、「夢」という名前の現代アジア料理レストランがあるようです。このホテルに出入りしたのが深夜と朝早く、そして荷物をピックアップしに来たのは夕方で、しかもまわりもよく見ずの出発でしたので、実際には、自分が足を運んだ時には、そんなレストランがあるとは気づきませんでした。しかし、本当にヘルシンキには日本食関係のレストラン、特に寿司屋が多いような気がします。不思議です。

    GLOホテル・クルーヴィ・ヘルシンキです!
    ヘルシンキでの宿泊はこのGLOホテル・クルーヴィ・ヘルシンキでの一泊のみです。といっても、1時を回ってのホテル到着、2時を回っての就寝、次の朝からの観光のスタートを考え、ヘルシンキ中央駅近くのこのホテルに宿をとることとしました。
    機能的にできているホテルで、駅に近く、観光にも便利と言うことで、とても良いホテルだと思います。
    因に、地図で見ると、すぐ隣には、「夢」という名前の現代アジア料理レストランがあるようです。このホテルに出入りしたのが深夜と朝早く、そして荷物をピックアップしに来たのは夕方で、しかもまわりもよく見ずの出発でしたので、実際には、自分が足を運んだ時には、そんなレストランがあるとは気づきませんでした。しかし、本当にヘルシンキには日本食関係のレストラン、特に寿司屋が多いような気がします。不思議です。

    ホボ ヘルシンキ ホテル

  • GLOホテル・クルーヴィで私が宿泊した部屋のベッド・ルームです!<br />大きなベッドです。一人で寝るには十分です。<br />ただ、二人が寝るように、二枚のマットレスがベッドの台座の上に置かれる形で成り立っているダブルベッドですので、中央部で大の字で眠るには適していません。やはりコストパフォーマンスの高いそれなりのお値段のホテルなので、この点はいたしかたないのかもしれませんが、少し残念です。

    GLOホテル・クルーヴィで私が宿泊した部屋のベッド・ルームです!
    大きなベッドです。一人で寝るには十分です。
    ただ、二人が寝るように、二枚のマットレスがベッドの台座の上に置かれる形で成り立っているダブルベッドですので、中央部で大の字で眠るには適していません。やはりコストパフォーマンスの高いそれなりのお値段のホテルなので、この点はいたしかたないのかもしれませんが、少し残念です。

    ホボ ヘルシンキ ホテル

  • GLOホテル・クルーヴィで私が宿泊した部屋のリヴィング・ルームです!<br />机の上で多少の事務仕事はできそうです。

    GLOホテル・クルーヴィで私が宿泊した部屋のリヴィング・ルームです!
    机の上で多少の事務仕事はできそうです。

    ホボ ヘルシンキ ホテル

  • ヘルシンキ中央駅です!<br />この画像は、午後、もう一度ヘルシンキ中央駅まで足を運んで撮影しました。<br />「RautatIieasema」とは、フィンランド語で「鉄道駅」を意味する言葉のようです。つまり、フィンランドの「ザ・鉄道駅」、ヘルシンキ中央駅を意味しているのであろうなあとこの表示を見て思いました。

    ヘルシンキ中央駅です!
    この画像は、午後、もう一度ヘルシンキ中央駅まで足を運んで撮影しました。
    「RautatIieasema」とは、フィンランド語で「鉄道駅」を意味する言葉のようです。つまり、フィンランドの「ザ・鉄道駅」、ヘルシンキ中央駅を意味しているのであろうなあとこの表示を見て思いました。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンク1です!<br />画像右にはヘルシンキ国立劇場が見えています。<br />ジュネーブの街中で冬期に開かれる青空スケートリンクも同様ですが、リンクの端に塀はありません。リンクの端の塀に掴まらなければ、スケート靴を履いては立てない人は滑るなということでしょう。<br />画像左に見えているのはヘルシンキ中央駅です。<br />ヘルシンキ中央駅の駅舎の前にはバスが何台も停車しているのが見えます。ここは路線バスのターミナルになっているようです。ヴァンター国際空港とヘルシンキ中央駅とを結ぶフィン・エアー・バスは、この駅舎の向こう側にあるバスターミナルから発着しています。

    ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンク1です!
    画像右にはヘルシンキ国立劇場が見えています。
    ジュネーブの街中で冬期に開かれる青空スケートリンクも同様ですが、リンクの端に塀はありません。リンクの端の塀に掴まらなければ、スケート靴を履いては立てない人は滑るなということでしょう。
    画像左に見えているのはヘルシンキ中央駅です。
    ヘルシンキ中央駅の駅舎の前にはバスが何台も停車しているのが見えます。ここは路線バスのターミナルになっているようです。ヴァンター国際空港とヘルシンキ中央駅とを結ぶフィン・エアー・バスは、この駅舎の向こう側にあるバスターミナルから発着しています。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンク2です!<br />この画像はヘルシンキ中央駅の側から撮影しました。<br />画像中央右にスケート靴の貸靴屋が見えています。

    ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンク2です!
    この画像はヘルシンキ中央駅の側から撮影しました。
    画像中央右にスケート靴の貸靴屋が見えています。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンクのスケート靴の貸靴屋です!<br />私が店先を覗いた時、ちょうど若いカップルが靴を借りようとしていました。

    ヘルシンキ中央駅隣のスケートリンクのスケート靴の貸靴屋です!
    私が店先を覗いた時、ちょうど若いカップルが靴を借りようとしていました。

    ヘルシンキ中央駅

  • ヘルシンキ駅前通りを走るヘルシンキ市電です。<br />冬のヘルシンキは日中でも薄暗い感じです。冬の時期は、北極圏では日の沈まない夏の白夜の反対で、日の昇らない極夜となります。さすがにヘルシンキは北極圏ではないので、極夜とまではいきませんが、日中、お昼でも薄暗い感じです。この画像も明るさを上げてみました。

    ヘルシンキ駅前通りを走るヘルシンキ市電です。
    冬のヘルシンキは日中でも薄暗い感じです。冬の時期は、北極圏では日の沈まない夏の白夜の反対で、日の昇らない極夜となります。さすがにヘルシンキは北極圏ではないので、極夜とまではいきませんが、日中、お昼でも薄暗い感じです。この画像も明るさを上げてみました。

    ヘルシンキ中央駅

  • ハーヴィス・アマンダの銅像です!<br />ヘルシンキ港の側にある露店商店街のある広場、カウパットリの端に、「バルト海の乙女の像」こと、この「ハーヴィス・アマンダ像」はあります。1906年の建立です。「バルト海の乙女」とは、ヘルシンキの街の別称のようです。つまり、この裸婦像はヘルシンキの街を象徴しているということです。<br />この銅像は、一般的に「ハーヴィス・アマンダ」と呼ばれていますが、海のニンフ、つまり海に住む女性の精霊がスウェーデン語で「ハーヴィス・アマンダ」、フィンランド語で「ハーヴィストン・マンタ」と呼ばれているのがその名前の由来のようです。一方、制作者であるヴァルグレンは、この銅像のことを「メレネイト(「人魚」という意味)」と呼んでいたようです。そして何時の頃からか、「ハーヴィス・アマンダ」がこの銅像の通称となってしまいました。<br />ハーヴィス・アマンダ像は、設立当初は、現在地よりももう少し南西の場所に建てられていたようです。<br />パリ在住のフィンランド人芸術家、ヴィル・ヴァルグレンによって制作されたこのハーヴィス・アマンダ像は、裸婦像であるため、着衣をしていないこと、着衣をしていない女性の銅像をヘルシンキで最も人の集まる場所に建てることについて大きな論争を呼んだようです。フィンランドでは国民の約8割が福音主義教会ルター派に属しており、またフィンランド正教会も地域社会において強い存在感を示しています。保守的なキリスト教的価値観が一般多数の人々の心を支配している国の首都の、しかもその中心地に、当時、時代の最先端であったアール・ヌーボー様式の銅像を、しかも裸婦像を設置したことは、世間の注目と論争・反発とを集めたであろうことは想像に難くありません。<br />私が見たハーヴィス・アマンダ像は、荒縄のリングを纏い、その荒縄はハーヴィス・アマンダの鼻に付けられた鼻輪で固定されているように見えました。荒縄のリングは、ハーヴィス・アマンダを辱め、女性たる者、慎みを持って、胸を隠すべきであるという主張を示しているかのようでした。なんだかハーヴィス・アマンダがかわいそうです。誰かがこのハーヴィス・アマンダ像にいたずらをしたということではないかと思います。価値観に相違があるにせよ、このようなことは決して為されるべきでは無いように思いました。<br />上で述べたとおり、ハーヴィス・アマンダとは誰ぞやと思って調べてみると、人魚であることが解りました。ハーヴィス・アマンダ像は水中から浮かび上がった水草の上に立ち、その足元は水を吐き出す魚によって固められています。ハーヴィス・アマンダ像の四方にはアシカが座り、ハーヴィス・アマンダ像を見つめ、水を吐きかけています。海から生まれ、海の女王たるハーヴィス・アマンダを海は守り、祝福しているかのようです。<br />ハーヴィス・アマンダの下半身は既に魚ではなく、人間の二本の足に変わっています。ハーヴィス・アマンダは海の世界に別れを告げた存在であることを示しているように見えます。<br />またハーヴィス・アマンダは前をまっすぐ向くのではなく、後ろを振り返っています。別れを告げた海の世界に名残りを惜しむかのようです。<br />バルト海の要衝であるヘルシンキ、そしてフィンランドという国自体がバルト海に恵みを受けた土地、バルト海に祝福された土地であり、それ故その利益を狙う周辺国から度重なる侵略を受け、占領され、支配されるという苦難の歴史を歩んできました。でもバルト海にのみ国家及び都市の運命を委ねるのではなく、苦難の末に乗り越えて来た過去と決別し、進むべき新たな道を探し、希望を持って、新たな気持ちで前を向いて歩いて行こうとしているヘルシンキの街、そしてフィンランドという国を、ハーヴィス・アマンダ像は象徴しているような気がします。であるからこそ、過去に捕われない姿、ありのままの姿、裸の姿でハーヴィス・アマンダは立っているのではなかろうかと、この銅像を見て思いました。実際、制作者であるファルグレンは、このハーヴィス・アマンダ像で以てヘルシンキの街の再生を表したかったようです。<br />ハーヴィス・アマンダ像の慎重は194?。大柄な人の多いフィンランドに相応しく、大柄な人魚姫のようです。

    ハーヴィス・アマンダの銅像です!
    ヘルシンキ港の側にある露店商店街のある広場、カウパットリの端に、「バルト海の乙女の像」こと、この「ハーヴィス・アマンダ像」はあります。1906年の建立です。「バルト海の乙女」とは、ヘルシンキの街の別称のようです。つまり、この裸婦像はヘルシンキの街を象徴しているということです。
    この銅像は、一般的に「ハーヴィス・アマンダ」と呼ばれていますが、海のニンフ、つまり海に住む女性の精霊がスウェーデン語で「ハーヴィス・アマンダ」、フィンランド語で「ハーヴィストン・マンタ」と呼ばれているのがその名前の由来のようです。一方、制作者であるヴァルグレンは、この銅像のことを「メレネイト(「人魚」という意味)」と呼んでいたようです。そして何時の頃からか、「ハーヴィス・アマンダ」がこの銅像の通称となってしまいました。
    ハーヴィス・アマンダ像は、設立当初は、現在地よりももう少し南西の場所に建てられていたようです。
    パリ在住のフィンランド人芸術家、ヴィル・ヴァルグレンによって制作されたこのハーヴィス・アマンダ像は、裸婦像であるため、着衣をしていないこと、着衣をしていない女性の銅像をヘルシンキで最も人の集まる場所に建てることについて大きな論争を呼んだようです。フィンランドでは国民の約8割が福音主義教会ルター派に属しており、またフィンランド正教会も地域社会において強い存在感を示しています。保守的なキリスト教的価値観が一般多数の人々の心を支配している国の首都の、しかもその中心地に、当時、時代の最先端であったアール・ヌーボー様式の銅像を、しかも裸婦像を設置したことは、世間の注目と論争・反発とを集めたであろうことは想像に難くありません。
    私が見たハーヴィス・アマンダ像は、荒縄のリングを纏い、その荒縄はハーヴィス・アマンダの鼻に付けられた鼻輪で固定されているように見えました。荒縄のリングは、ハーヴィス・アマンダを辱め、女性たる者、慎みを持って、胸を隠すべきであるという主張を示しているかのようでした。なんだかハーヴィス・アマンダがかわいそうです。誰かがこのハーヴィス・アマンダ像にいたずらをしたということではないかと思います。価値観に相違があるにせよ、このようなことは決して為されるべきでは無いように思いました。
    上で述べたとおり、ハーヴィス・アマンダとは誰ぞやと思って調べてみると、人魚であることが解りました。ハーヴィス・アマンダ像は水中から浮かび上がった水草の上に立ち、その足元は水を吐き出す魚によって固められています。ハーヴィス・アマンダ像の四方にはアシカが座り、ハーヴィス・アマンダ像を見つめ、水を吐きかけています。海から生まれ、海の女王たるハーヴィス・アマンダを海は守り、祝福しているかのようです。
    ハーヴィス・アマンダの下半身は既に魚ではなく、人間の二本の足に変わっています。ハーヴィス・アマンダは海の世界に別れを告げた存在であることを示しているように見えます。
    またハーヴィス・アマンダは前をまっすぐ向くのではなく、後ろを振り返っています。別れを告げた海の世界に名残りを惜しむかのようです。
    バルト海の要衝であるヘルシンキ、そしてフィンランドという国自体がバルト海に恵みを受けた土地、バルト海に祝福された土地であり、それ故その利益を狙う周辺国から度重なる侵略を受け、占領され、支配されるという苦難の歴史を歩んできました。でもバルト海にのみ国家及び都市の運命を委ねるのではなく、苦難の末に乗り越えて来た過去と決別し、進むべき新たな道を探し、希望を持って、新たな気持ちで前を向いて歩いて行こうとしているヘルシンキの街、そしてフィンランドという国を、ハーヴィス・アマンダ像は象徴しているような気がします。であるからこそ、過去に捕われない姿、ありのままの姿、裸の姿でハーヴィス・アマンダは立っているのではなかろうかと、この銅像を見て思いました。実際、制作者であるファルグレンは、このハーヴィス・アマンダ像で以てヘルシンキの街の再生を表したかったようです。
    ハーヴィス・アマンダ像の慎重は194?。大柄な人の多いフィンランドに相応しく、大柄な人魚姫のようです。

    バルト海の乙女像 モニュメント・記念碑

  • ヘルシンキ市電のカウパットリ電停です!<br />電停の壁にはトイ・ストーリーのウッディ、バズ・ライトイヤー、カーズのマックイーン、メーター、ティンカーベルにアリエル、ディズニーのスター達の絵が描かれていました。ディズニーのキャラクター・ショップの宣伝ポスターのようです。<br />カウパットリ電停の背後に見えている青い建物はヘルシンキ市庁舎のようです。これがドイツ語文化圏であれば、さしずめカウパットリはマルクト広場といったところでしょうか。それでいうと、露店商店街がカウパットリにひろがっているのも当然といったところかもしれません。ヘルシンキ市庁舎の画像左、背後にはヘルシンキ大聖堂も見えています。

    ヘルシンキ市電のカウパットリ電停です!
    電停の壁にはトイ・ストーリーのウッディ、バズ・ライトイヤー、カーズのマックイーン、メーター、ティンカーベルにアリエル、ディズニーのスター達の絵が描かれていました。ディズニーのキャラクター・ショップの宣伝ポスターのようです。
    カウパットリ電停の背後に見えている青い建物はヘルシンキ市庁舎のようです。これがドイツ語文化圏であれば、さしずめカウパットリはマルクト広場といったところでしょうか。それでいうと、露店商店街がカウパットリにひろがっているのも当然といったところかもしれません。ヘルシンキ市庁舎の画像左、背後にはヘルシンキ大聖堂も見えています。

  • ヘルシンキ港です!<br />シリヤ・ラインの客船が画像右に見えています。かってはシリヤ・ラインはヘルシンキとエストニアの首都タリンとを結ぶ一大動脈でした。もちろんヘルシンキとストックホルムとを豪華客船で結ぶ路線も昔から有していました。が、現在は、シリヤ・ラインの客船は、ヘルシンキとストックホルムのみを結んでいるようです。時代の流れの中で、需要と供給とのバランス、会社の経営の統廃合があったということのようです。<br />このヘルシンキ港ですが、実際に足を運んで来るまでは、青い海がただただ広がっている港をイメージしていました。ところが実際に目の前に広がっていたのは茶色い水のみでした。少しガッカリするとともに、産業用の大きな港ではそれも当然のこととして受けとめざるをえないと感じながら、単に観光目的、リゾート気分で来た私にとっては、「何で?」という気持ちが生じざるをえませんでした。<br />やっぱり、海は青い方がいいと思います。それを考えると、今の東京の海は優秀だと思います。お台場海浜公園の前の海、隅田川から連なる江戸前の海もいちおう青いです。いや、海や川の水まできれいにできるだけのゆとりが、産業経済の発展と熟成とともに、日本にももたらされたということかもしれません。<br />お台場の東京テレポート駅のホームに、「東京リゾー島」の宣伝表示板がありました。「東京リゾー島」は、お台場のとあるショッピングモールの別名です。これを見た時、「そうか、レインボーブリジを越えたら、そこはシティー・リゾートだったんだ!」と思いました。ホテル日航東京等も、シティ・ホテルというよりは、リゾート・ホテルのたたずまいです。そしてリゾート地ですから、当然、海も空も青くないといけません。<br />昨今の北京や上海の空を見るにつけ、空や海の青さも国力を示しているものの一つなのかもしれないと思いました。

    ヘルシンキ港です!
    シリヤ・ラインの客船が画像右に見えています。かってはシリヤ・ラインはヘルシンキとエストニアの首都タリンとを結ぶ一大動脈でした。もちろんヘルシンキとストックホルムとを豪華客船で結ぶ路線も昔から有していました。が、現在は、シリヤ・ラインの客船は、ヘルシンキとストックホルムのみを結んでいるようです。時代の流れの中で、需要と供給とのバランス、会社の経営の統廃合があったということのようです。
    このヘルシンキ港ですが、実際に足を運んで来るまでは、青い海がただただ広がっている港をイメージしていました。ところが実際に目の前に広がっていたのは茶色い水のみでした。少しガッカリするとともに、産業用の大きな港ではそれも当然のこととして受けとめざるをえないと感じながら、単に観光目的、リゾート気分で来た私にとっては、「何で?」という気持ちが生じざるをえませんでした。
    やっぱり、海は青い方がいいと思います。それを考えると、今の東京の海は優秀だと思います。お台場海浜公園の前の海、隅田川から連なる江戸前の海もいちおう青いです。いや、海や川の水まできれいにできるだけのゆとりが、産業経済の発展と熟成とともに、日本にももたらされたということかもしれません。
    お台場の東京テレポート駅のホームに、「東京リゾー島」の宣伝表示板がありました。「東京リゾー島」は、お台場のとあるショッピングモールの別名です。これを見た時、「そうか、レインボーブリジを越えたら、そこはシティー・リゾートだったんだ!」と思いました。ホテル日航東京等も、シティ・ホテルというよりは、リゾート・ホテルのたたずまいです。そしてリゾート地ですから、当然、海も空も青くないといけません。
    昨今の北京や上海の空を見るにつけ、空や海の青さも国力を示しているものの一つなのかもしれないと思いました。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • ヘルシンキ港に停泊中のシリヤラインの客船です!<br />ヘルシンキとストックホルムとを結んでいます。<br />一度、この客船に乗って、ヘルシンキからストックホルムまで船旅を楽しんでみたいものです。しかし船旅は、多くの場合、時間がゆっくりある人にしか楽しめない旅でもあります。ヘルシンキにも2泊3日で来るような弾丸トラベルが精一杯の私には、豪華客船に泊る船旅は高嶺の花ですが、いつかはチャレンジしてみたいなあと思います。近距離の路線であっても、海の中を進んで行く船の旅はワクワクする気分が味わえます。宿泊や食事をともなう船旅であればなおさらです。

    ヘルシンキ港に停泊中のシリヤラインの客船です!
    ヘルシンキとストックホルムとを結んでいます。
    一度、この客船に乗って、ヘルシンキからストックホルムまで船旅を楽しんでみたいものです。しかし船旅は、多くの場合、時間がゆっくりある人にしか楽しめない旅でもあります。ヘルシンキにも2泊3日で来るような弾丸トラベルが精一杯の私には、豪華客船に泊る船旅は高嶺の花ですが、いつかはチャレンジしてみたいなあと思います。近距離の路線であっても、海の中を進んで行く船の旅はワクワクする気分が味わえます。宿泊や食事をともなう船旅であればなおさらです。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • ヘルシンキ港に停泊中のスオメンリンナ行きの船です!<br />スオメンリンナは一度訪問してみたい場所です。世界遺産だそうです。対ロシアの国家防衛のための砦です。東京のお台場といったかんじでしょうか?ぜひ訪ねてみたかったのですが、今回は時間が十分にはないので、スオメンリンナ行きの船の画像をゲットするところで止めておこうと思います。

    ヘルシンキ港に停泊中のスオメンリンナ行きの船です!
    スオメンリンナは一度訪問してみたい場所です。世界遺産だそうです。対ロシアの国家防衛のための砦です。東京のお台場といったかんじでしょうか?ぜひ訪ねてみたかったのですが、今回は時間が十分にはないので、スオメンリンナ行きの船の画像をゲットするところで止めておこうと思います。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • ヘルシンキ港側のマーケットです!<br />食品から観光客向けのお土産物、衣類、さまざまなものがありました。<br />画像左上に見えているのがウスペンスキー大聖堂です。ヘルシンキ大聖堂は、この画像には写ってはいませんが、画像左手の方になります。画像右手の方は、やはり写ってはいませんがヘルシンキ港です。<br />マーケットを少し素見した後、ウスペンスキー大聖堂に移動しました。

    ヘルシンキ港側のマーケットです!
    食品から観光客向けのお土産物、衣類、さまざまなものがありました。
    画像左上に見えているのがウスペンスキー大聖堂です。ヘルシンキ大聖堂は、この画像には写ってはいませんが、画像左手の方になります。画像右手の方は、やはり写ってはいませんがヘルシンキ港です。
    マーケットを少し素見した後、ウスペンスキー大聖堂に移動しました。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • タオル、トレーナー等の土産物屋です!

    タオル、トレーナー等の土産物屋です!

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • マグネット、キーホルダーとヌイグルミの店です!<br />私はこの店でマグネットを買いました。店員のお兄さんが言うのには、ここで売られているマグネットの画像は、彼が撮影したものなのだそうです。なんだか手作りのお店みたいな感じです。

    マグネット、キーホルダーとヌイグルミの店です!
    私はこの店でマグネットを買いました。店員のお兄さんが言うのには、ここで売られているマグネットの画像は、彼が撮影したものなのだそうです。なんだか手作りのお店みたいな感じです。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 花と果物の店です!<br />必ずしも観光客相手であるとは思えないようなお店も、この露店商店街には散見されました。でも、こんな店が露店商店街の中に混ざっているといいなあと思います。

    花と果物の店です!
    必ずしも観光客相手であるとは思えないようなお店も、この露店商店街には散見されました。でも、こんな店が露店商店街の中に混ざっているといいなあと思います。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 露天マーケットの商店街の風景です!

    露天マーケットの商店街の風景です!

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 手袋屋さんです!

    手袋屋さんです!

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 八百屋さんです!

    八百屋さんです!

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 帽子/マフラー/手袋屋さんです!

    帽子/マフラー/手袋屋さんです!

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 葉巻と錫製のワイングラス屋さんです!<br />ガラス製ではなく、錫製というところがオシャレです。「ワインは、10度から15度くらいの温度のものを飲むのが一番美味しいんだ!」といいながらグラスをかたむけるような人が、「葉巻はテーブルを移動してからではなくてはね!」と言って紫煙をくゆらせるような人が、これらの品を買うのだろうなあと思いました。

    葉巻と錫製のワイングラス屋さんです!
    ガラス製ではなく、錫製というところがオシャレです。「ワインは、10度から15度くらいの温度のものを飲むのが一番美味しいんだ!」といいながらグラスをかたむけるような人が、「葉巻はテーブルを移動してからではなくてはね!」と言って紫煙をくゆらせるような人が、これらの品を買うのだろうなあと思いました。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • フクロウと木のパズルです!<br />ヘルシンキ港の側のテントの建ち並ぶマーケットで購入しました。<br />都合6枚のパズルを買いました。因に、この画像のパズルは日本円で六千円ほどします。その前に近くの露店でマグネットを購入した際にはキャッシュで支払ったのですが、パズルを購入する現金を持っていなかったので、「クレジットでよければ買えたのだが残念だ。」と言うと、「ちょっと20分ほど待ってくれ。」と言われ、クレジット決済で売ってくれました。言ってみるものです。このパズルを売っていた老人は、以前、東京に行ったことがあると言っていました。元保育園の先生だそうです。総て手作りで、木を切るのも、色を塗るのも総て自分でやったと言っていました。つまり、商品は総て一点ものだそうです。結局、4万円足らずのお金をパズルにつぎこんでしまいました。反省です。

    フクロウと木のパズルです!
    ヘルシンキ港の側のテントの建ち並ぶマーケットで購入しました。
    都合6枚のパズルを買いました。因に、この画像のパズルは日本円で六千円ほどします。その前に近くの露店でマグネットを購入した際にはキャッシュで支払ったのですが、パズルを購入する現金を持っていなかったので、「クレジットでよければ買えたのだが残念だ。」と言うと、「ちょっと20分ほど待ってくれ。」と言われ、クレジット決済で売ってくれました。言ってみるものです。このパズルを売っていた老人は、以前、東京に行ったことがあると言っていました。元保育園の先生だそうです。総て手作りで、木を切るのも、色を塗るのも総て自分でやったと言っていました。つまり、商品は総て一点ものだそうです。結局、4万円足らずのお金をパズルにつぎこんでしまいました。反省です。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 海と島と鳥のパズルです!<br />上で取り上げたフクロウと木のパズルも同様ですが、パズルの構成は、1層の平面ではなく、3層に別れた構造になっています。私にとっては非常に斬新で新鮮なものでした。思わず、即買いです。

    海と島と鳥のパズルです!
    上で取り上げたフクロウと木のパズルも同様ですが、パズルの構成は、1層の平面ではなく、3層に別れた構造になっています。私にとっては非常に斬新で新鮮なものでした。思わず、即買いです。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 動物大集合のパズルです!<br />すごく優しい感じが出ています。

    動物大集合のパズルです!
    すごく優しい感じが出ています。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 猫のパズルです!<br />いろんな色のいろんな猫が狭い空間に同居しています。すごく面白いとおもいました。

    猫のパズルです!
    いろんな色のいろんな猫が狭い空間に同居しています。すごく面白いとおもいました。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 工具セットのパズルです!<br />「これもパズルなの?」と制作者(店のおやじさん)に尋ねると、「これも立派なパズルだよ!」といって、ネジ回しで板上のネジを回し、トンカチでやはり板上の釘をたたいてみせてくれました。3歳以下のこどもにはけっこううけるはずだと言っていました。確かに面白いと思ったので、私も二つゲットしました。

    工具セットのパズルです!
    「これもパズルなの?」と制作者(店のおやじさん)に尋ねると、「これも立派なパズルだよ!」といって、ネジ回しで板上のネジを回し、トンカチでやはり板上の釘をたたいてみせてくれました。3歳以下のこどもにはけっこううけるはずだと言っていました。確かに面白いと思ったので、私も二つゲットしました。

    マーケット広場 (カウッパトリ) 市場

  • 下から見上げたウスペンスキー大聖堂です!<br />露天のマーケットを通り抜け、ここまで歩いて来ました。<br />ウスペンスキー大聖堂は小高い丘の上に建てられています。露天のマーケットからもこのウスペンスキー聖堂はその姿をはっきり確認することができます。ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキの中心街に目を光らせるためのものであるようにも見えます。<br />ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキ大聖堂、テンペリアオキオ教会、聖ヨハネ教会、カンピ礼拝堂、カリオ地区教会、等と並んで、ヘルシンキを象徴する特徴的な建築物です。聖堂内部の豪華さや建築の意匠の複雑さ、高度さは、テンペリアオキオ教会やヘルシンキ大聖堂の及ぶ所では全くありません。であるが故に、またウスペンスキー大聖堂がフィンランドのロシア帝政支配と、文化的側面に於けるロシアのフィンランドに対する圧倒的な優越性とを象徴するものであるが故に、フィンランドの国政を動かすヘルシンキの街の官庁街、クルーヌンハカを見下ろす場所に大聖堂を建てたのかもしれません。<br />岩上のウスペンスキー大聖堂は少し寂しそうでした。

    下から見上げたウスペンスキー大聖堂です!
    露天のマーケットを通り抜け、ここまで歩いて来ました。
    ウスペンスキー大聖堂は小高い丘の上に建てられています。露天のマーケットからもこのウスペンスキー聖堂はその姿をはっきり確認することができます。ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキの中心街に目を光らせるためのものであるようにも見えます。
    ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキ大聖堂、テンペリアオキオ教会、聖ヨハネ教会、カンピ礼拝堂、カリオ地区教会、等と並んで、ヘルシンキを象徴する特徴的な建築物です。聖堂内部の豪華さや建築の意匠の複雑さ、高度さは、テンペリアオキオ教会やヘルシンキ大聖堂の及ぶ所では全くありません。であるが故に、またウスペンスキー大聖堂がフィンランドのロシア帝政支配と、文化的側面に於けるロシアのフィンランドに対する圧倒的な優越性とを象徴するものであるが故に、フィンランドの国政を動かすヘルシンキの街の官庁街、クルーヌンハカを見下ろす場所に大聖堂を建てたのかもしれません。
    岩上のウスペンスキー大聖堂は少し寂しそうでした。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂です!<br />ウスペンスキー大聖堂の南側は展望広場となっていました。画像左の階段を上がって行くと、入口があります。<br />屋根の上には金のタマネギが載っています。典型的な東方教会の建築物です。現在ではフィンランド正教会の教会となっていますが、創立当初にはフィンランド正教会は存在していませんので、ロシア正教会の聖堂として建てられたのではないかと思います。<br />典型的な東方教会の建築物と書きましたが、その理由は、正十字の形状を教会堂の本殿が採っているからです。本殿からは隣接する塔に回廊が延びていますので、これも併せればラテン十字であるとも言えるかもしれません。が、ウスペンスキー大聖堂は東方教会、フィンランド正教会の教会堂ですので、やはりこれは正十字の形の教会堂として把握するのが正しいように思います。<br />ウスペンスキー大聖堂は、レンガ造りの赤味を帯びた外観をしています。ロシアの首都モスクワには、「赤の広場」と呼ばれる広場がありますが、ここにおける「赤」とは「美しい」ということを意味しています。ウスペンスキー大聖堂の赤い外観にも、ロシアの主張と誇りとを感じます。<br />ウスペンスキー大聖堂は、フィンランドがロシア帝国の支配下にあった時代、1868年に建てられました。ウスペンスキー大聖堂の創立が1868年であるということは、つまり1852年に完成したニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)と比べると、ウスペンスキー大聖堂の方が新しく建てられた聖堂であるということです。<br />ウスペンスキー大聖堂を設計したのはロシアの建築家、アレクセイ・ゴルノスターエフです。内部は金や大理石を使った豪華な造りになっており、福音主義教会の聖堂であるが故に装飾の無い非常にシンプルな造りになっているヘルシンキ大聖堂とは全く別物の聖堂となっています。<br />また、この聖堂の建設を命じたフィンランド大公国の君主、ロシア皇帝アレクサンドル2世を讃える記念銘板も大聖堂の中には設置されていたりします。フィンランド大公国がロシア帝国の属領であることを内外に知らしめるための記念碑的建造物、それがこのウスペンスキー大聖堂であると言えます。つまり、ヘルシンキの街に最も良く文化の香りを香らせていたであろうこのウスペンスキー大聖堂も、ロシア革命にともなってフィンランドがロシアから独立をする以前は、フィンランド正教会の管轄下ではなく、ロシア正教会の管轄下にあったということです。言い換えれば、ロシア側からすれば、ロシア帝国が大金をかけて、様々な点で効率の良い、近代風の美しい街に造り変えたヘルシンキの街も、そのシンボルの一つである壮麗なウスペンスキー大聖堂も、聖ニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)も、フィンランドの独立の名の下に、ロシア帝国、若しくはソビエト社会主義連邦共和国から、そしてロシア正教会から奪われてしまったということになります。<br />フィンランド共和国の側からすると、ヘルシンキ大聖堂(ニコライ聖堂)を核とするヘルシンキの中心街と、それらを見下ろす要衝を、ヘルシンキの街の人々、ひいてはフィンランド国民の精神的拠り所を支えるための場所を、ロシア帝国、若しくはソビエト社会主義連邦共和国から取り戻したということではないかと思います。立場により、見方、価値観は異なりそうです。が、基本的にここはフィンランド人の土地、フィンランド人の国ですから、受け容れられなければ現地の人々、社会に還すのがやはり筋かもしれません。<br />現在、フィンランド空軍の主戦戦闘機はアメリカ製のFA18ですが、その前はロシア製のミグ21、スウェーデン製のサーブ35 ドラケンを併用していました。ソ連とスウェーデンの両方の顔を見比べ、双方に配慮しながらでないと生存できなかったフィンランドという国の状況を、この戦闘機の配備の在り方は示しています。この豪華なウスペンスキーは、大国の側で小さな民族国家が独立して生きていくことの難しさを暗示しているかのようです。

    ウスペンスキー大聖堂です!
    ウスペンスキー大聖堂の南側は展望広場となっていました。画像左の階段を上がって行くと、入口があります。
    屋根の上には金のタマネギが載っています。典型的な東方教会の建築物です。現在ではフィンランド正教会の教会となっていますが、創立当初にはフィンランド正教会は存在していませんので、ロシア正教会の聖堂として建てられたのではないかと思います。
    典型的な東方教会の建築物と書きましたが、その理由は、正十字の形状を教会堂の本殿が採っているからです。本殿からは隣接する塔に回廊が延びていますので、これも併せればラテン十字であるとも言えるかもしれません。が、ウスペンスキー大聖堂は東方教会、フィンランド正教会の教会堂ですので、やはりこれは正十字の形の教会堂として把握するのが正しいように思います。
    ウスペンスキー大聖堂は、レンガ造りの赤味を帯びた外観をしています。ロシアの首都モスクワには、「赤の広場」と呼ばれる広場がありますが、ここにおける「赤」とは「美しい」ということを意味しています。ウスペンスキー大聖堂の赤い外観にも、ロシアの主張と誇りとを感じます。
    ウスペンスキー大聖堂は、フィンランドがロシア帝国の支配下にあった時代、1868年に建てられました。ウスペンスキー大聖堂の創立が1868年であるということは、つまり1852年に完成したニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)と比べると、ウスペンスキー大聖堂の方が新しく建てられた聖堂であるということです。
    ウスペンスキー大聖堂を設計したのはロシアの建築家、アレクセイ・ゴルノスターエフです。内部は金や大理石を使った豪華な造りになっており、福音主義教会の聖堂であるが故に装飾の無い非常にシンプルな造りになっているヘルシンキ大聖堂とは全く別物の聖堂となっています。
    また、この聖堂の建設を命じたフィンランド大公国の君主、ロシア皇帝アレクサンドル2世を讃える記念銘板も大聖堂の中には設置されていたりします。フィンランド大公国がロシア帝国の属領であることを内外に知らしめるための記念碑的建造物、それがこのウスペンスキー大聖堂であると言えます。つまり、ヘルシンキの街に最も良く文化の香りを香らせていたであろうこのウスペンスキー大聖堂も、ロシア革命にともなってフィンランドがロシアから独立をする以前は、フィンランド正教会の管轄下ではなく、ロシア正教会の管轄下にあったということです。言い換えれば、ロシア側からすれば、ロシア帝国が大金をかけて、様々な点で効率の良い、近代風の美しい街に造り変えたヘルシンキの街も、そのシンボルの一つである壮麗なウスペンスキー大聖堂も、聖ニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)も、フィンランドの独立の名の下に、ロシア帝国、若しくはソビエト社会主義連邦共和国から、そしてロシア正教会から奪われてしまったということになります。
    フィンランド共和国の側からすると、ヘルシンキ大聖堂(ニコライ聖堂)を核とするヘルシンキの中心街と、それらを見下ろす要衝を、ヘルシンキの街の人々、ひいてはフィンランド国民の精神的拠り所を支えるための場所を、ロシア帝国、若しくはソビエト社会主義連邦共和国から取り戻したということではないかと思います。立場により、見方、価値観は異なりそうです。が、基本的にここはフィンランド人の土地、フィンランド人の国ですから、受け容れられなければ現地の人々、社会に還すのがやはり筋かもしれません。
    現在、フィンランド空軍の主戦戦闘機はアメリカ製のFA18ですが、その前はロシア製のミグ21、スウェーデン製のサーブ35 ドラケンを併用していました。ソ連とスウェーデンの両方の顔を見比べ、双方に配慮しながらでないと生存できなかったフィンランドという国の状況を、この戦闘機の配備の在り方は示しています。この豪華なウスペンスキーは、大国の側で小さな民族国家が独立して生きていくことの難しさを暗示しているかのようです。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂内部祭壇です!<br />東方教会特有の、イコンが祭壇に用いられています。とても豪華です。イコン、礼拝の対象となる聖なる画像は、金色の「額縁」の中に納められていました。東方教会の信徒の方々にとっては、このイコンは、自らを神の国へと結びつけてくれるもの、「天国に向かって開かれた窓」足りうるものなのかもしれないと思いました。<br />コンピュータのOSでもっともメジャーなものは「WINDOWS」です。「WINDOWS」とは、すなわち「窓」を意味する言葉です。コンピュータというツールを通じて果てし無き知の世界に誘ってくれる案内人が「WINDOWS」というOSであるとも言えます。「WINDOWS」の名前の由来は別にイコンにあるわけではないであろうとは思いますが、何だかちょっと不思議です。<br />画像上では青く光ってしまっていますが、真中、一番上の大きな窓に描かれているのはおそらくイエス・キリストではないかと思われます。その下、扉との間の空間に描かれた小さな絵は、最後の晩餐の様子を示しています。中央の扉の両側の窓に描かれている4人の天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使であると思われます。そしてこの祭壇に設けられたその他の窓の中に描かれている他の聖人達は、おそらく十二使徒ということになるのではないかと思います。<br />私は、最初はウスペンスキー大聖堂というのは、聖ウスペンスキーなる誰か聖人がいて、その人を祈念した聖堂なのであろうかと思っていました。日本に帰って良く調べてみると、ウスペンスキー大聖堂とは生神女就寝大聖堂、つまり簡単に言うと聖母マリアが天国に召されたことを祈念する聖堂であるということが解りました。イスラエルの「帰還法」を省みますと、ユダヤ人とはユダヤ人の母を持つ人間であると定義されています。ユダヤ人の王であり、神の子であるイエス・キリストの母マリアは、やはり特別な存在であり、そうあらねばならないということではないかと思います。生神女とは聖母マリアのことであり、聖母マリアの死後、その遺体は残されたまま、イエス・キリストによって聖母マリアの魂のみが天国に導かれたということで、生神女就寝大聖堂となっているようです。ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキ以外にも見られます。少し違いますが、カトリックに於けるノートルダム大聖堂と似通った部分があるようなきがします。<br />このウスペンスキー大聖堂のイコンですが、この中にあったミラのニコラオス(サンタクロースのモデルであると言われています。)のイコンは、2007年の8月16日に盗難され、現在に至るまでまだ見つかっていません。2010年の6月には幼子イエスを抱く聖母マリアのイコンが盗まれ、2011年の2月に取り戻されています。いろんな意味で受難を潜り抜けてきた来た教会堂、それがウスペンスキー大聖堂のようです。

    ウスペンスキー大聖堂内部祭壇です!
    東方教会特有の、イコンが祭壇に用いられています。とても豪華です。イコン、礼拝の対象となる聖なる画像は、金色の「額縁」の中に納められていました。東方教会の信徒の方々にとっては、このイコンは、自らを神の国へと結びつけてくれるもの、「天国に向かって開かれた窓」足りうるものなのかもしれないと思いました。
    コンピュータのOSでもっともメジャーなものは「WINDOWS」です。「WINDOWS」とは、すなわち「窓」を意味する言葉です。コンピュータというツールを通じて果てし無き知の世界に誘ってくれる案内人が「WINDOWS」というOSであるとも言えます。「WINDOWS」の名前の由来は別にイコンにあるわけではないであろうとは思いますが、何だかちょっと不思議です。
    画像上では青く光ってしまっていますが、真中、一番上の大きな窓に描かれているのはおそらくイエス・キリストではないかと思われます。その下、扉との間の空間に描かれた小さな絵は、最後の晩餐の様子を示しています。中央の扉の両側の窓に描かれている4人の天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使であると思われます。そしてこの祭壇に設けられたその他の窓の中に描かれている他の聖人達は、おそらく十二使徒ということになるのではないかと思います。
    私は、最初はウスペンスキー大聖堂というのは、聖ウスペンスキーなる誰か聖人がいて、その人を祈念した聖堂なのであろうかと思っていました。日本に帰って良く調べてみると、ウスペンスキー大聖堂とは生神女就寝大聖堂、つまり簡単に言うと聖母マリアが天国に召されたことを祈念する聖堂であるということが解りました。イスラエルの「帰還法」を省みますと、ユダヤ人とはユダヤ人の母を持つ人間であると定義されています。ユダヤ人の王であり、神の子であるイエス・キリストの母マリアは、やはり特別な存在であり、そうあらねばならないということではないかと思います。生神女とは聖母マリアのことであり、聖母マリアの死後、その遺体は残されたまま、イエス・キリストによって聖母マリアの魂のみが天国に導かれたということで、生神女就寝大聖堂となっているようです。ウスペンスキー大聖堂は、ヘルシンキ以外にも見られます。少し違いますが、カトリックに於けるノートルダム大聖堂と似通った部分があるようなきがします。
    このウスペンスキー大聖堂のイコンですが、この中にあったミラのニコラオス(サンタクロースのモデルであると言われています。)のイコンは、2007年の8月16日に盗難され、現在に至るまでまだ見つかっていません。2010年の6月には幼子イエスを抱く聖母マリアのイコンが盗まれ、2011年の2月に取り戻されています。いろんな意味で受難を潜り抜けてきた来た教会堂、それがウスペンスキー大聖堂のようです。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂のイコンの側の磔刑像です!<br />画像左手に、十字架に磷付になったイエス・キリストと、その足元で見守る二人の人物がいる。おそらく男性の方は、イエス・キリストの磔刑を見守ったヨハネ、そして女性の方はマグダラのマリア、若しくは聖母マリアということになるのではないかと思いますが、聖母マリアがイエス・キリストに次ぐ神性を有する存在であるとするならば、マグダラのマリアがこれに当たるのかもしれません。イエス・キリスト、ヨハネ、マグダラのマリア、三者とも、神の祝福を得た者として、頭部に後光が描かれています。<br />しかし、東方教会の教会堂は豪華です。特にこの聖堂は、ロシア帝国の国威を、つまり政治力や軍事力だけではなく文化においても卓越した存在であることを、ロシアはフィンランドの人達に知らしめようとしてウスペンスキー大聖堂を建立したのではないかと思います。それ故、建設当時のフィンランド大公であったロシア皇帝アレクサンダー2世を祝福する銘板も聖堂の内部に設置されているようです。私はその銘板を見つけることができませんでした。もしかすると、中央の祭壇、イコンの背後に設置されているのかもしれません。それであれば、このウスペンスキー大聖堂は、ロシア皇帝に捧げられた特殊な聖堂ということになるのではないかと思います。したがって、なおのこと豪華に、参拝する人々に畏敬の念を抱かせる物にする必要があったのかもしれません。

    ウスペンスキー大聖堂のイコンの側の磔刑像です!
    画像左手に、十字架に磷付になったイエス・キリストと、その足元で見守る二人の人物がいる。おそらく男性の方は、イエス・キリストの磔刑を見守ったヨハネ、そして女性の方はマグダラのマリア、若しくは聖母マリアということになるのではないかと思いますが、聖母マリアがイエス・キリストに次ぐ神性を有する存在であるとするならば、マグダラのマリアがこれに当たるのかもしれません。イエス・キリスト、ヨハネ、マグダラのマリア、三者とも、神の祝福を得た者として、頭部に後光が描かれています。
    しかし、東方教会の教会堂は豪華です。特にこの聖堂は、ロシア帝国の国威を、つまり政治力や軍事力だけではなく文化においても卓越した存在であることを、ロシアはフィンランドの人達に知らしめようとしてウスペンスキー大聖堂を建立したのではないかと思います。それ故、建設当時のフィンランド大公であったロシア皇帝アレクサンダー2世を祝福する銘板も聖堂の内部に設置されているようです。私はその銘板を見つけることができませんでした。もしかすると、中央の祭壇、イコンの背後に設置されているのかもしれません。それであれば、このウスペンスキー大聖堂は、ロシア皇帝に捧げられた特殊な聖堂ということになるのではないかと思います。したがって、なおのこと豪華に、参拝する人々に畏敬の念を抱かせる物にする必要があったのかもしれません。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の参列者席と祭壇です!<br />ウスペンスキー大聖堂は、西欧型の長い身廊を持った聖堂ではないので、なんとなく少し小さく感じてしまいますが、実際にはなかなかどうして大きな聖堂です。そのことは、参列者席を見直してみると改めて実感できます。<br />画像からは、正面向かって左手にも、幾つかの礼拝堂がも蹴られているのが解ります。改めてこのウスペンスキー大聖堂が、礼拝設備の整った大聖堂であることに気づかされます。

    ウスペンスキー大聖堂の参列者席と祭壇です!
    ウスペンスキー大聖堂は、西欧型の長い身廊を持った聖堂ではないので、なんとなく少し小さく感じてしまいますが、実際にはなかなかどうして大きな聖堂です。そのことは、参列者席を見直してみると改めて実感できます。
    画像からは、正面向かって左手にも、幾つかの礼拝堂がも蹴られているのが解ります。改めてこのウスペンスキー大聖堂が、礼拝設備の整った大聖堂であることに気づかされます。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂に設置されていた白い棺です!<br />ガラスのケースに入れられて保護されていました。<br />おそらく、何らかの聖遺物が納められているのではないかと思われます。フィンランド語ができれば良かったなあと思いました。<br />白い棺の側面には、磷付となった十字架から降ろされたイエス・キリストの様子が描かれています。聖母マリアの心とともに、イエス・キリストの心をも祀った聖堂がこのウスペンスキー大聖堂なのかもしれません。

    ウスペンスキー大聖堂に設置されていた白い棺です!
    ガラスのケースに入れられて保護されていました。
    おそらく、何らかの聖遺物が納められているのではないかと思われます。フィンランド語ができれば良かったなあと思いました。
    白い棺の側面には、磷付となった十字架から降ろされたイエス・キリストの様子が描かれています。聖母マリアの心とともに、イエス・キリストの心をも祀った聖堂がこのウスペンスキー大聖堂なのかもしれません。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の天井です!<br />ウスペンスキー大聖堂には、その中心部にクーポラが設けられています。例に漏れずこのウスペンスキー大聖堂のクーポラも、明かり採りの役割を担っていました。やはり大きな聖堂ですので、クーポラが設けられていることで内部の明るさはかなり向上します。<br />そのクーポラを中心に、ウスペンスキー大聖堂の天井を見上げてみました。シャンデリア、彩色、彫刻、細かい所にまで装飾が施され、デザイン的にすごく手がかけられている建築物です。

    ウスペンスキー大聖堂の天井です!
    ウスペンスキー大聖堂には、その中心部にクーポラが設けられています。例に漏れずこのウスペンスキー大聖堂のクーポラも、明かり採りの役割を担っていました。やはり大きな聖堂ですので、クーポラが設けられていることで内部の明るさはかなり向上します。
    そのクーポラを中心に、ウスペンスキー大聖堂の天井を見上げてみました。シャンデリア、彩色、彫刻、細かい所にまで装飾が施され、デザイン的にすごく手がかけられている建築物です。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の窓と天井です!<br />ファサードに配置された窓の配置が特徴的だなあと思いました。<br />これがパリのノートルダム大聖堂のようにカトリックの大聖堂であれば、薔薇窓がついているのであろうかと思いました。

    ウスペンスキー大聖堂の窓と天井です!
    ファサードに配置された窓の配置が特徴的だなあと思いました。
    これがパリのノートルダム大聖堂のようにカトリックの大聖堂であれば、薔薇窓がついているのであろうかと思いました。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の赤の棺です!<br />赤の棺と書きましたが、自宅に帰って画像を見直してみると、赤色の布がかけられた白い棺でした。実際にはウスペンスキー大聖堂の内部は薄暗いので、赤い布の下の棺の色が白だったということは現地では解りませんでした。やはり現在のデジカメの性能はすごいなあと思います。<br />棺の四隅は天使によって支えられており、磔刑に処せられたイエス・キリストとそれを見守る使途達やマグダラのマリアの姿が描かれています。この棺の中にも、何らかの聖遺物が納められていることでしょう。<br />フィンランド語の解らない私にとって、ウスペンスキー大聖堂は謎だらけの聖堂です。本当に、ウスペンスキー大聖堂のガイドブックがあれば買って帰ったのになあと思います。

    ウスペンスキー大聖堂の赤の棺です!
    赤の棺と書きましたが、自宅に帰って画像を見直してみると、赤色の布がかけられた白い棺でした。実際にはウスペンスキー大聖堂の内部は薄暗いので、赤い布の下の棺の色が白だったということは現地では解りませんでした。やはり現在のデジカメの性能はすごいなあと思います。
    棺の四隅は天使によって支えられており、磔刑に処せられたイエス・キリストとそれを見守る使途達やマグダラのマリアの姿が描かれています。この棺の中にも、何らかの聖遺物が納められていることでしょう。
    フィンランド語の解らない私にとって、ウスペンスキー大聖堂は謎だらけの聖堂です。本当に、ウスペンスキー大聖堂のガイドブックがあれば買って帰ったのになあと思います。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂正面右の礼拝堂です!<br />黄金のアーチの内側の窓の中に描かれている人物の顔はよく見えません。しかもその人物の顔の前にはベルが設置されており、さらに見えないようになっています。この人物こそ、「来たるであろう者」、造物主である神を現しているのではないかと思います。<br />その上、丸窓の中には美しい女性が描かれています。この女性こそ、このウスペンスキー大聖堂が捧げられた相手、聖母マリアではないかと思われます。<br />本当に、ウスペンスキー大聖堂のガイドブックがあれば買って帰ったのになあと思います。まだ観光という側面においては未開の地、それがヘルシンキ、いやフィンランドという土地なのではないかと思います。

    ウスペンスキー大聖堂正面右の礼拝堂です!
    黄金のアーチの内側の窓の中に描かれている人物の顔はよく見えません。しかもその人物の顔の前にはベルが設置されており、さらに見えないようになっています。この人物こそ、「来たるであろう者」、造物主である神を現しているのではないかと思います。
    その上、丸窓の中には美しい女性が描かれています。この女性こそ、このウスペンスキー大聖堂が捧げられた相手、聖母マリアではないかと思われます。
    本当に、ウスペンスキー大聖堂のガイドブックがあれば買って帰ったのになあと思います。まだ観光という側面においては未開の地、それがヘルシンキ、いやフィンランドという土地なのではないかと思います。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の前から見下ろしたヘルシンキの街並です!<br />画像中央に、緑色の丸屋根を頂いている白い建物は、ヘルシンキのシンボル、ヘルシンキ大聖堂です。ヘルシンキ大聖堂を含め、ヘルシンキの街の中心部の街並は新古典主義様式で建物が整備されているのがよく解ります。<br />ヘルシンキは1808年の大火で、街を焼失してしまいます。また、スウェーデンによるフィンランド支配時代から首都であったトゥルクも、1827年に大火に遭い、街を焼失してしまいます。フィンランド大公でもあったロシア皇帝アレクサンダー1世は、このトゥルク大火を契機に、フィンランドの首都をトゥルクからヘルシンキへと遷都しました。クルーヌンハカの辺りに首都機能を果たすための建物群を建て、街並を整備しました。それが現在のヘルシンキの街の中心部です。これがヘルシンキ大聖堂を含め、ヘルシンキの町の中心街の街並が、新古典主義の建築様式を採用した建物群で構成されている理由です。こうしてヘルシンキの街並は近代ロシア風の街並へと変貌を遂げました。まさかヘルシンキの大火がロシアによって意図的に引き起こされたわけではないとは思いますが、文化的な側面からフィンランド人の心の根底を支配していこうという帝政ロシアの意図が感じられるようなきがします。<br />ヘルシンキの街の中心部は、とても整った感のある街並ですが、その美しい街並が整えられていった背後には、スウェーデンとロシアという大国の狭間で揺れ動くしかなかった小国フィンランドの悲哀を感じます。

    ウスペンスキー大聖堂の前から見下ろしたヘルシンキの街並です!
    画像中央に、緑色の丸屋根を頂いている白い建物は、ヘルシンキのシンボル、ヘルシンキ大聖堂です。ヘルシンキ大聖堂を含め、ヘルシンキの街の中心部の街並は新古典主義様式で建物が整備されているのがよく解ります。
    ヘルシンキは1808年の大火で、街を焼失してしまいます。また、スウェーデンによるフィンランド支配時代から首都であったトゥルクも、1827年に大火に遭い、街を焼失してしまいます。フィンランド大公でもあったロシア皇帝アレクサンダー1世は、このトゥルク大火を契機に、フィンランドの首都をトゥルクからヘルシンキへと遷都しました。クルーヌンハカの辺りに首都機能を果たすための建物群を建て、街並を整備しました。それが現在のヘルシンキの街の中心部です。これがヘルシンキ大聖堂を含め、ヘルシンキの町の中心街の街並が、新古典主義の建築様式を採用した建物群で構成されている理由です。こうしてヘルシンキの街並は近代ロシア風の街並へと変貌を遂げました。まさかヘルシンキの大火がロシアによって意図的に引き起こされたわけではないとは思いますが、文化的な側面からフィンランド人の心の根底を支配していこうという帝政ロシアの意図が感じられるようなきがします。
    ヘルシンキの街の中心部は、とても整った感のある街並ですが、その美しい街並が整えられていった背後には、スウェーデンとロシアという大国の狭間で揺れ動くしかなかった小国フィンランドの悲哀を感じます。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • ウスペンスキー大聖堂の前から見下ろしたヘルシンキ大聖堂です!<br />上の画像の単純なアップです。今回の旅行で使用したカメラはSONYのDSC-RX100、望遠が効くのは光学で3.6倍が限度、したがってこれが目一杯のズームインです。<br />やはりヘルシンキ大聖堂は、この街のシンボル、ランドマークだけあって、よく目立ちます。ヘルシンキ港に船で海から入ってくると、正面にこのヘルシンキ大聖堂がよく見えるそうです。

    ウスペンスキー大聖堂の前から見下ろしたヘルシンキ大聖堂です!
    上の画像の単純なアップです。今回の旅行で使用したカメラはSONYのDSC-RX100、望遠が効くのは光学で3.6倍が限度、したがってこれが目一杯のズームインです。
    やはりヘルシンキ大聖堂は、この街のシンボル、ランドマークだけあって、よく目立ちます。ヘルシンキ港に船で海から入ってくると、正面にこのヘルシンキ大聖堂がよく見えるそうです。

    ウスペンスキー大聖堂 寺院・教会

  • 電車通りから見たヘルシンキ大聖堂です!<br />ヘルシンキ大聖堂の前にひろがっているのは元老院広場です。広い元老院広場がその前にあるおかげで、ヘルシンキ大聖堂の勇姿、全体像がよく見えます。以前、アメリカのホワイトハウス、大統領官邸は、ワシントンを訪れた外国人がホワイトハウスの優美さ、荘厳さ、大きさに圧倒され、アメリカと戦う元気を無くし、アメリカに敬意を払うようになるようにするために造られたという話を聞いたことがあります。このヘルシンキ大聖堂も、その姿をみることでフィンランド大公であるロシア皇帝の権威に圧倒され、ロシア皇帝に無条件にフィンランド国民が従わざるをえない心理状態にするために造られたのが、かって当時のロシア皇帝の名前を冠し、聖ニコラス聖堂と呼ばれた、このヘルシンキ大聖堂であったのではないかと思いました。現在、ヘルシンキ大聖堂はルター派の教会となっています。ルター派の教会であることは、その設立当初より変わってはいません。というよりも、ヘルシンキ大聖堂以前に存在したウルリカ・エレオノーラ聖堂においても同様です。福音主義教会においては、その長を領邦君主、若しくは国王が兼ねるのが通例です。帝政ロシアの支配下におけるフィンランドの福音主義教会ルター派においても、その長はフィンランド大公、つまりロシア皇帝が務めることとなります。それ以前、スウェーデンの統治下においては、フィンランドの福音主義教会ルター派の長はスウェーデン国王であり、スウェーデン国王がフィンランド福音主義教会ルター派の監督を兼ね、政治的な側面からだけではなく宗教的・精神的側面からもフィンランド国民を支配していたということになるのではないかと思います。したがって、スウェーデンからフィンランドの国土を新たに奪取した帝政ロシアとしては、フィンランドからスウェーデン支配の名残を消し去り、ロシア的に再構築された福音主義教会ルター派の聖堂を建て、その監督の座にロシア皇帝が座ることで、ロシア皇帝によるフィンランド支配の正当性を高め、支配を盤石なものとしようとしたのではないかと思います。であればこそ、このネオクラシック様式に基づくロシア風の荘厳な大聖堂、聖ニコライ聖堂は誕生したのではないでしょうか。<br />また、このヘルシンキ大聖堂が、フィンランドの帝政ロシア支配を象徴するものであるからこそ、フィンランド福音主義教会ルター派へのロシア皇帝並びにロシア帝国のくびきを断ち切り、ロシア正教から距離を保ち、フィンランドがロシアから自立した独立国家としての歴史を刻んでいけるようにするために、この教会の名前は聖ニコラス大聖堂からヘルシンキ大聖堂へと置き換えられたのではなかろうかと思います。<br />その一方で、聖ニコラス大聖堂の名残り、聖ニコラス教会は、現在でもヘルシンキ市街の西部、ヒエタニエミに存在しています。その聖ニコラス教会は、フィンランド正教会の管轄下ではなく、ロシア正教会モスクワ大司教区の管轄下にあるようです。ここに、ロシアのフィンランドに対する現在も継続している領土的野心の臭いを感じます。そしてヘルシンキの中心街を見渡す位置に鎮座したウスペンスキー大聖堂は、ロシア正教の管轄下ではなく、現在はフィンランド正教会の管轄下となっています。ロシアに強奪された東カレリアの地には、東方正教会の信者が多く住んでいました。東カレリアがロシアに割譲され、フィンランドでなくなった際、東方正教会信徒である多くのフィンランド人が現在のフィンランド領内に移住せざるをえなかったことでしょう。したがって、抑圧され、移住を余儀なくせざるをえなかったフィンランド人正教徒にとって、ロシア正教の下に納まるわけにはいかなかったのではないかと思います。<br />宗教の問題は、純粋な信仰上の問題だけではなく、実際的には、その背後に複雑な政治的・国家的利害関係がある場合が多々あります。この福音主義教会ルター派であるヘルシンキ大聖堂、その近隣にあるフィンランド正教のウスペンスキー大聖堂、ヒエタニエミにあるロシア正教会の聖ニコラス教会そしてコルケアヴォーレンのスウェーデン教会、聖ヨハネ教会の存在は、フィンランドが経て来ざるをえなかった国際的な政治的闘争の歴史を物語っているようです。なかなか宗教問題は、そしてその裏に隠された政治的な力と力のぶつかり合いの問題は、その真の姿が垣間見えると、やはり難しいところがあるような気がします。<br />ウスペンスキー大聖堂からここ、ヘルシンキ大聖堂まで歩いて来ました。本当に、ヘルシンキはその中心部がほぼ総て歩いて観光して回れる、首都にしては珍しいコンパクトな街だと思います。

    電車通りから見たヘルシンキ大聖堂です!
    ヘルシンキ大聖堂の前にひろがっているのは元老院広場です。広い元老院広場がその前にあるおかげで、ヘルシンキ大聖堂の勇姿、全体像がよく見えます。以前、アメリカのホワイトハウス、大統領官邸は、ワシントンを訪れた外国人がホワイトハウスの優美さ、荘厳さ、大きさに圧倒され、アメリカと戦う元気を無くし、アメリカに敬意を払うようになるようにするために造られたという話を聞いたことがあります。このヘルシンキ大聖堂も、その姿をみることでフィンランド大公であるロシア皇帝の権威に圧倒され、ロシア皇帝に無条件にフィンランド国民が従わざるをえない心理状態にするために造られたのが、かって当時のロシア皇帝の名前を冠し、聖ニコラス聖堂と呼ばれた、このヘルシンキ大聖堂であったのではないかと思いました。現在、ヘルシンキ大聖堂はルター派の教会となっています。ルター派の教会であることは、その設立当初より変わってはいません。というよりも、ヘルシンキ大聖堂以前に存在したウルリカ・エレオノーラ聖堂においても同様です。福音主義教会においては、その長を領邦君主、若しくは国王が兼ねるのが通例です。帝政ロシアの支配下におけるフィンランドの福音主義教会ルター派においても、その長はフィンランド大公、つまりロシア皇帝が務めることとなります。それ以前、スウェーデンの統治下においては、フィンランドの福音主義教会ルター派の長はスウェーデン国王であり、スウェーデン国王がフィンランド福音主義教会ルター派の監督を兼ね、政治的な側面からだけではなく宗教的・精神的側面からもフィンランド国民を支配していたということになるのではないかと思います。したがって、スウェーデンからフィンランドの国土を新たに奪取した帝政ロシアとしては、フィンランドからスウェーデン支配の名残を消し去り、ロシア的に再構築された福音主義教会ルター派の聖堂を建て、その監督の座にロシア皇帝が座ることで、ロシア皇帝によるフィンランド支配の正当性を高め、支配を盤石なものとしようとしたのではないかと思います。であればこそ、このネオクラシック様式に基づくロシア風の荘厳な大聖堂、聖ニコライ聖堂は誕生したのではないでしょうか。
    また、このヘルシンキ大聖堂が、フィンランドの帝政ロシア支配を象徴するものであるからこそ、フィンランド福音主義教会ルター派へのロシア皇帝並びにロシア帝国のくびきを断ち切り、ロシア正教から距離を保ち、フィンランドがロシアから自立した独立国家としての歴史を刻んでいけるようにするために、この教会の名前は聖ニコラス大聖堂からヘルシンキ大聖堂へと置き換えられたのではなかろうかと思います。
    その一方で、聖ニコラス大聖堂の名残り、聖ニコラス教会は、現在でもヘルシンキ市街の西部、ヒエタニエミに存在しています。その聖ニコラス教会は、フィンランド正教会の管轄下ではなく、ロシア正教会モスクワ大司教区の管轄下にあるようです。ここに、ロシアのフィンランドに対する現在も継続している領土的野心の臭いを感じます。そしてヘルシンキの中心街を見渡す位置に鎮座したウスペンスキー大聖堂は、ロシア正教の管轄下ではなく、現在はフィンランド正教会の管轄下となっています。ロシアに強奪された東カレリアの地には、東方正教会の信者が多く住んでいました。東カレリアがロシアに割譲され、フィンランドでなくなった際、東方正教会信徒である多くのフィンランド人が現在のフィンランド領内に移住せざるをえなかったことでしょう。したがって、抑圧され、移住を余儀なくせざるをえなかったフィンランド人正教徒にとって、ロシア正教の下に納まるわけにはいかなかったのではないかと思います。
    宗教の問題は、純粋な信仰上の問題だけではなく、実際的には、その背後に複雑な政治的・国家的利害関係がある場合が多々あります。この福音主義教会ルター派であるヘルシンキ大聖堂、その近隣にあるフィンランド正教のウスペンスキー大聖堂、ヒエタニエミにあるロシア正教会の聖ニコラス教会そしてコルケアヴォーレンのスウェーデン教会、聖ヨハネ教会の存在は、フィンランドが経て来ざるをえなかった国際的な政治的闘争の歴史を物語っているようです。なかなか宗教問題は、そしてその裏に隠された政治的な力と力のぶつかり合いの問題は、その真の姿が垣間見えると、やはり難しいところがあるような気がします。
    ウスペンスキー大聖堂からここ、ヘルシンキ大聖堂まで歩いて来ました。本当に、ヘルシンキはその中心部がほぼ総て歩いて観光して回れる、首都にしては珍しいコンパクトな街だと思います。

    ヘルシンキ大聖堂 寺院・教会

  • 階段下から見上げたヘルシンキ大聖堂です!<br />私のでジタルカメラの調子が悪くて偽色が発生しているのではないかと思っていたのですが、やはりCCDを当して見ると、ヘルシンキ大聖堂の本殿が下側から赤色の光で照射されているように見えます。赤外線、若しくはなんらかの光でこのヘルシンキ大聖堂の本殿は照らされているようです。ひょっとすると赤外線かもしれません。<br />冬、日中も薄暗い極夜を超えなければならないのが、北緯60度という北極圏まであと少しという場所にあるこのヘルシンキという街です。したがって、その薄暗い冬を乗り切るための照明が日中も施されているということを、デジカメで撮影した際に現れたこの赤い色はしめしているのではないかと思いました。<br />聖堂の前に雪の結晶を象ったハート形のオブジェが見えています。ヘルシンキの冬期の降水量を調べてみると、多くて60mm程度だということが解ります。つまりあまり雪は降らないということのようです。雪が無いというのは、少しロマンチックなものを期待しようと思うと当てが外れることになるかもしれませんが、日常生活を行う上では、ビジネスの街としては、とても過ごしやすい街だということになるのではないかと思います。<br />このヘルシンキ大聖堂の前の元老院広場では、クリスマス・ツリーが設置され、毎年、クリスマス・マーケットが盛大に催されるようです。一度、そのクリスマス・マーケットを見にヘルシンキの街に足を運んでみたいです。

    階段下から見上げたヘルシンキ大聖堂です!
    私のでジタルカメラの調子が悪くて偽色が発生しているのではないかと思っていたのですが、やはりCCDを当して見ると、ヘルシンキ大聖堂の本殿が下側から赤色の光で照射されているように見えます。赤外線、若しくはなんらかの光でこのヘルシンキ大聖堂の本殿は照らされているようです。ひょっとすると赤外線かもしれません。
    冬、日中も薄暗い極夜を超えなければならないのが、北緯60度という北極圏まであと少しという場所にあるこのヘルシンキという街です。したがって、その薄暗い冬を乗り切るための照明が日中も施されているということを、デジカメで撮影した際に現れたこの赤い色はしめしているのではないかと思いました。
    聖堂の前に雪の結晶を象ったハート形のオブジェが見えています。ヘルシンキの冬期の降水量を調べてみると、多くて60mm程度だということが解ります。つまりあまり雪は降らないということのようです。雪が無いというのは、少しロマンチックなものを期待しようと思うと当てが外れることになるかもしれませんが、日常生活を行う上では、ビジネスの街としては、とても過ごしやすい街だということになるのではないかと思います。
    このヘルシンキ大聖堂の前の元老院広場では、クリスマス・ツリーが設置され、毎年、クリスマス・マーケットが盛大に催されるようです。一度、そのクリスマス・マーケットを見にヘルシンキの街に足を運んでみたいです。

    ヘルシンキ大聖堂 寺院・教会

  • 元老院広場です!<br />これがドイツだったら、ここもさしずめマルクト広場といったところだなあと思いながら、この広場を見下ろしていました。<br />階段を上り、ヘルシンキ大聖堂の前から撮影しました。<br />画像右上に、二本の尖塔が並び立っているのが見えます。これは聖ヨハネ教会の教会堂の尖塔です。聖ヨハネ教会は、福音主義教会ルター派の教会です。設計者はスウェーデンの建築家、アドルフ・メランダーです。石造りの教会堂としては、収容可能人員数2600人を誇る、フィンランド最大の教会堂です。ロシアが占領する前までは宗主国であったスウェーデンのフィンランドとの結びつきの深さと、フィンランドに於けるスウェーデンの強烈な存在感を示す中で、かって宗主国であったことを示す痕跡がロシアによって消し去られていったことへのスウェーデンの意地とを感じます。スウェーデンとフィンランドとの結びつきの強さは、ヘルシンキ中央駅の駅名表示板にフィンランド語だけでなくスウェーデン語でも表記が為されていることからもうかがえます。実際、スウェーデン語を話す国民もいるわけではありますが。<br />画像右端の建物はヘルシンキ大学の建物です。19世紀にヘルシンキが首都になるまでは、スウェーデンとの間に横たわる海、ボスニア海に面したトゥルクがフィンランドの都でした。ヘルシンキ大学は、旧都トゥルクにあったスウェーデン王立アカデミーにその発祥の由来を求めることができます。1640年設立のフィンランド最古の大学です。1828年のトゥルク大火を受け、当時、フィンランドを支配する宗主国のロシアへの変遷に伴い、スウェーデン王立からロシア帝国立に変っていたトゥルク帝国アカデミーは、首都のヘルシンキへの移転もあり、ヘルシンキへと移転しました。その後、1917年のフィンランド独立と共に現在のヘルシンキ大学となったようです。<br />画像右に青い仮設の建物が見えています。この画像では陰になっていてその顔を確認することは物理的には不可能ですが、その背後には、ロシア皇帝アレクサンダー2世の銅像があります。<br />1809年にロシア皇帝アレクサンダー1世はスウェーデンからフィンランドを奪い取り、ロシアの属領としてのフィンランド大公国を立ち上げます。そこからロシアのフィンランド支配が始ります。元老院広場に銅像が建立されているアレクサンダー2世も、ロシア皇帝であり、フィンランド大公であった人物です。 アレクサンダー2世のフィンランドに対する寛容な治世の感謝のしるしとしてこの銅像が1894年にこの場所に建立されたようです。<br />もっとも、この元老院広場を造ったのはこのアレクサンダー2世ではありません。アレクサンダー1世です。1808年のヘルシンキの大火で、旧市街のかなりの数の建物が焼失しました。1809年にフィンランドを支配することとなったアレクサンダー1世は、これを契機に市街を碁盤の目状に整備し、空間を造って、元老院広場を整備したということのようです。であれば、この広場の名称は、アレクサンダー広場であっても良かったのではないかと思うのは私だけでしょうか。もっともそのアレクサンダーの名は、このヘルシンキの街の目抜き通りに付けられていますのでそれで十分ということかもしれませんが。<br />因に、ニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)が建てられる前にあった聖堂、ウルリカ・エレオノーラ聖堂は、厳密にはヘルシンキ大聖堂の現在地にではなく、現在、元老院広場となっているこの場所にありました。火災に乗じて街を整備し直す中で、スウェーデンの色彩を強く示すウルリカ・エレオノーラ聖堂の地上げを行うことにロシアは成功したと言えるのかもしれません。またウルリカ・エレオノーラ聖堂に代わって建てられた聖ニコライ聖堂も、福音主義教会ルター派の聖堂であるにもかかわらず、典型的な東方法教会の建築様式で建てられた聖堂です。ここにも文化的なレベルでの侵略行為があったと言えるような気がします。<br />また、現在ヘルシンキがフィンランドの首都となっていますが、それ以前の都、トゥルクは、旧宗主国のスウェーデンに距離的に近すぎるという理由で、ロシアの治世下となった後で、ヘルシンキが新たにフィンランドの首都に選ばれたようです。しかしヘルシンキが首都となり、ヘルシンキとタリン、サンクトペテルスブルク間の海上交易路の大動脈が確立していく中で、バルト海に於けるフィンランドの存在感もさらに増したことではなかったかと思います。この元老院広場を見回すだけでも、現在のフィンランドという国の建国の歴史と、その背景と、そしてその悲哀とが伝わってくるようです。であればこその元老院広場なのかもしれません。

    元老院広場です!
    これがドイツだったら、ここもさしずめマルクト広場といったところだなあと思いながら、この広場を見下ろしていました。
    階段を上り、ヘルシンキ大聖堂の前から撮影しました。
    画像右上に、二本の尖塔が並び立っているのが見えます。これは聖ヨハネ教会の教会堂の尖塔です。聖ヨハネ教会は、福音主義教会ルター派の教会です。設計者はスウェーデンの建築家、アドルフ・メランダーです。石造りの教会堂としては、収容可能人員数2600人を誇る、フィンランド最大の教会堂です。ロシアが占領する前までは宗主国であったスウェーデンのフィンランドとの結びつきの深さと、フィンランドに於けるスウェーデンの強烈な存在感を示す中で、かって宗主国であったことを示す痕跡がロシアによって消し去られていったことへのスウェーデンの意地とを感じます。スウェーデンとフィンランドとの結びつきの強さは、ヘルシンキ中央駅の駅名表示板にフィンランド語だけでなくスウェーデン語でも表記が為されていることからもうかがえます。実際、スウェーデン語を話す国民もいるわけではありますが。
    画像右端の建物はヘルシンキ大学の建物です。19世紀にヘルシンキが首都になるまでは、スウェーデンとの間に横たわる海、ボスニア海に面したトゥルクがフィンランドの都でした。ヘルシンキ大学は、旧都トゥルクにあったスウェーデン王立アカデミーにその発祥の由来を求めることができます。1640年設立のフィンランド最古の大学です。1828年のトゥルク大火を受け、当時、フィンランドを支配する宗主国のロシアへの変遷に伴い、スウェーデン王立からロシア帝国立に変っていたトゥルク帝国アカデミーは、首都のヘルシンキへの移転もあり、ヘルシンキへと移転しました。その後、1917年のフィンランド独立と共に現在のヘルシンキ大学となったようです。
    画像右に青い仮設の建物が見えています。この画像では陰になっていてその顔を確認することは物理的には不可能ですが、その背後には、ロシア皇帝アレクサンダー2世の銅像があります。
    1809年にロシア皇帝アレクサンダー1世はスウェーデンからフィンランドを奪い取り、ロシアの属領としてのフィンランド大公国を立ち上げます。そこからロシアのフィンランド支配が始ります。元老院広場に銅像が建立されているアレクサンダー2世も、ロシア皇帝であり、フィンランド大公であった人物です。 アレクサンダー2世のフィンランドに対する寛容な治世の感謝のしるしとしてこの銅像が1894年にこの場所に建立されたようです。
    もっとも、この元老院広場を造ったのはこのアレクサンダー2世ではありません。アレクサンダー1世です。1808年のヘルシンキの大火で、旧市街のかなりの数の建物が焼失しました。1809年にフィンランドを支配することとなったアレクサンダー1世は、これを契機に市街を碁盤の目状に整備し、空間を造って、元老院広場を整備したということのようです。であれば、この広場の名称は、アレクサンダー広場であっても良かったのではないかと思うのは私だけでしょうか。もっともそのアレクサンダーの名は、このヘルシンキの街の目抜き通りに付けられていますのでそれで十分ということかもしれませんが。
    因に、ニコライ聖堂(ヘルシンキ大聖堂)が建てられる前にあった聖堂、ウルリカ・エレオノーラ聖堂は、厳密にはヘルシンキ大聖堂の現在地にではなく、現在、元老院広場となっているこの場所にありました。火災に乗じて街を整備し直す中で、スウェーデンの色彩を強く示すウルリカ・エレオノーラ聖堂の地上げを行うことにロシアは成功したと言えるのかもしれません。またウルリカ・エレオノーラ聖堂に代わって建てられた聖ニコライ聖堂も、福音主義教会ルター派の聖堂であるにもかかわらず、典型的な東方法教会の建築様式で建てられた聖堂です。ここにも文化的なレベルでの侵略行為があったと言えるような気がします。
    また、現在ヘルシンキがフィンランドの首都となっていますが、それ以前の都、トゥルクは、旧宗主国のスウェーデンに距離的に近すぎるという理由で、ロシアの治世下となった後で、ヘルシンキが新たにフィンランドの首都に選ばれたようです。しかしヘルシンキが首都となり、ヘルシンキとタリン、サンクトペテルスブルク間の海上交易路の大動脈が確立していく中で、バルト海に於けるフィンランドの存在感もさらに増したことではなかったかと思います。この元老院広場を見回すだけでも、現在のフィンランドという国の建国の歴史と、その背景と、そしてその悲哀とが伝わってくるようです。であればこその元老院広場なのかもしれません。

    元老院広場 広場・公園

  • ヘルシンキ大聖堂の内部です!<br />典型的な東方正教会の建築物であるウスペンスキー大聖堂とは異なり、福音主義教会ルター派の聖堂らしく、非常にシンプルな内装の大聖堂でした。私が訪れた日は、ちょうどこれからコンサートがあるらしく、その準備のため、奥まで入ることはできませんでした。残念です。またの機会にもう少し良く見てみたいと思います。

    ヘルシンキ大聖堂の内部です!
    典型的な東方正教会の建築物であるウスペンスキー大聖堂とは異なり、福音主義教会ルター派の聖堂らしく、非常にシンプルな内装の大聖堂でした。私が訪れた日は、ちょうどこれからコンサートがあるらしく、その準備のため、奥まで入ることはできませんでした。残念です。またの機会にもう少し良く見てみたいと思います。

    ヘルシンキ大聖堂 寺院・教会

  • ヘルシンキ大聖堂の内陣奥に架けられたキリストの十字架降下の絵と説教壇です!<br />画像左手には説教壇が見えています。十字架降下図の前にはひな壇が形作られ、合唱団が練習を開始しようとしていました。<br />ヘルシンキ大聖堂の内陣の奥には、イエス・キリストの十字架降下の大きな絵が架けられています。イエス・キリストに寄り添い、降ろしているのは、アリマタヤのヨセフとニコデモでしょう。ヨハネによる福音書の中に、この二人がイエス・キリストの遺体を引き取ったという記述があります。理不尽で絶望的な戦いの中で多くの兵士が祖国のために命を捧げざるをえなかったフィンランドであればこそ、人類のために命を捧げたイエス・キリストを象徴するこのキリストの十字架降下図は、より重みを持って受け止められるものかもしれません。

    ヘルシンキ大聖堂の内陣奥に架けられたキリストの十字架降下の絵と説教壇です!
    画像左手には説教壇が見えています。十字架降下図の前にはひな壇が形作られ、合唱団が練習を開始しようとしていました。
    ヘルシンキ大聖堂の内陣の奥には、イエス・キリストの十字架降下の大きな絵が架けられています。イエス・キリストに寄り添い、降ろしているのは、アリマタヤのヨセフとニコデモでしょう。ヨハネによる福音書の中に、この二人がイエス・キリストの遺体を引き取ったという記述があります。理不尽で絶望的な戦いの中で多くの兵士が祖国のために命を捧げざるをえなかったフィンランドであればこそ、人類のために命を捧げたイエス・キリストを象徴するこのキリストの十字架降下図は、より重みを持って受け止められるものかもしれません。

    ヘルシンキ大聖堂 寺院・教会

  • 元老院広場から見上げたヘルシンキ大聖堂です!<br />最後に振り返って見たヘルシンキ大聖堂は、やはり堂々とした姿を現していました。<br />画像左端には、ヘルシンキの街を整備した時のロシア皇帝にしてフィンランド大公、アレクサンダー2世の銅像が見えています。多くの人がその周囲に集まって記念撮影をしていました。<br />ヘルシンキ大聖堂は、ヘルシンキの街の中心地であるクルヌンハカに隣接する場所にあります。ヘルシンキ大聖堂は1830年から1852年にかけて建築されました。設立当初は、フィンランド大公にしてロシア皇帝であったニコラス1世を祈念する聖堂として建てられました。フィンランドがロシアから独立した1917年までヘルシンキ大聖堂は聖ニコラス聖堂として、知られていました。<br />その聖ニコラス聖堂、つまり現在のヘルシンキ大聖堂の建てられている場所には、かって、現在のヘルシンキ大聖堂より少し小さめな別な教会堂が建てられていました。その教会堂の名前はウルリカ・エレオノーラ聖堂です。この聖堂に冠された名前、ウルリカ・エレオノーラとは、ロシアがフィンランドを支配下に置く前にフィンランドを支配していたスウェーデン王国の女王、ウルリカ・エレオノーラ(在位:1718 - 1720)のことです。2000年代にはこのウルリカ・エレオノーラ聖堂を模した雪像が、元老院広場に建てられていた時期があるようです。<br />フィンランドの支配者がスウェーデンからロシアに替わるとともに、旧支配者の存在を想起させるウルリカ・エレオノーラ聖堂は取り壊され、新支配者であるロシア帝国の意向に添って、ロシア皇帝を祈念する新たな大聖堂、聖ニコラス聖堂が建設されることとなりました。新たな聖堂、聖ニコラス聖堂が完成するまでの期間、福音主義教会ルター派のウルリカ・エレオノーラ聖堂教区の教会活動を支えるために、カンピに隣接する場所に、1824年から1826年にかけてヘルシンキ旧教会が建築されました。この教会は現在も存続・活動しています。このヘルシンキ旧教会ですが、ウルリカ・エレオノーラ聖堂の残存している画像を見ると、屋根の上に設けられたドームを除くと、旧教会と良く似た形状をしていることがよく解ります。やはり新古典主義の建築様式で建てられています。ここにもかっての宗主国スウェーデンの意地を感じます。<br />ヘルシンキ大聖堂は、四つの小さなドームを従えた中央の大きな緑色のドームと、新古典主義の建築様式とが特徴的な、ロシア正教をはじめとする東方教会に特有の建築様式です。しかし、実際にはヘルシンキ大聖堂は福音主義教会ルター派の教会であり、東方教会の教会ではありません。このヘルシンキ大聖堂は、元老院広場の奥の階段を昇りきった所に配置されています。 ヘルシンキの街の景観の中でも特に目を引く印象的な建物です。<br />福音主義教会ルター派の聖堂をあえてロシア正教会の香りのする建築様式で建てたところに、ロシア皇帝のフィンランド支配への強い意欲を、そしてフィンランド国民をロシア正教徒化していこうという意思を感じます。<br />ヘルシンキ大聖堂の設計者はカール・ルートヴィッヒ・エンゲル。ヘルシンキ大聖堂は、彼の設計したロシア的な新古典主義の他の様々な建物によって産み出された街並に囲まれて、元老院広場の奥にそびえています。<br />ヘルシンキ大聖堂はギリシャ十字、正十字の形に建てられています。四つある正面は列柱とペディメントを有する、古代ギリシャ神殿風の建築様式となっています。エンゲルは、祭壇のある東端の反値側、西端を正面玄関とするべく、 当初は、 西端の入口の列柱を2列にしようと考えていたようです。が、実際にはその計画は実現してはいません。<br />当初、カール・ルートヴィッヒ・エンゲルによって建築が始ったヘルシンキ大聖堂の堂宇は、エルンスト・ロールマンにその仕事が受け継がれ完成することとなります。エルンスト・ローマンは、当初のプランに変更を加え、四つの小さなドームを中央のドームの周囲に配置します。このデザインは、世界第4位の規模の聖堂建築物である、サンクト・ペテルスブルクの聖イサク聖堂の建築様式に影響を強く受けたものであるといえます。サンクト・ペテルスブルクの聖イサク聖堂は、正十字の形に延びた建物の中央に巨大なドームを配し、その周辺、四方にはより小さなドームを配し、四つの正面はペディメントと列柱を備えたギリシャ神殿建築のような装いを呈した、ロシア・ビザンチン建築の建築様式で建てられています。エルンスト・ロールマンによって、聖ニコラス聖堂(現ヘルシンキ大聖堂)は、美術的な観点から、言い換えれば視覚的な観点から、ロシア帝国及びロシア皇帝の権威をヘルシンキ市民、そしてフィンランド国民に強く示すための構造物として再構築したということではないかと思います。元老院広場から見上げるヘルシンキ大聖堂、旧称聖ニコラス聖堂の荘厳な姿からは、文化的にフィンランド国民を圧倒することでフィンランド国民をロシア正教会の信徒に改宗させ、文化的な側面、及び宗教的な側面からもフィンランド国民の精神を支配していこうという野望を感じるような気がします。<br />ロールマンはまた、聖堂の北側と南側とに、聖堂を中心として対照的な位置にそれぞれ鐘楼を追加して建てています。さらに四つある正面の屋根の中心と両端、計十二箇所に十二使徒の真鍮製の像を建てました。こうして現在のヘルシンキ大聖堂の外観は形作られたようです。<br />ヘルシンキ大聖堂は、フィンランド福音主義教会ルター派のヘルシンキ教区を管轄する大聖堂です。スウェーデンによる征服とともにフィンランドはキリスト教化され、スウェーデンの国教のカトリックから福音主義教会ルター派への改宗に伴い、フィンランド国民のほとんどがプロテスタント化されました。が、ロシアの支配下になった後もフィンランド人の多くはロシア正教に改宗することは無く、福音主義教会ルター派に留まっています。そして東方教会の信徒もフィンランド正教会なるものも立ち上げています。ロシア的なものを受け容れつつ、ロシア正教会の信徒となること無くルター派の信仰を、非ロシア化を守ってきたフィンランド人の心の在り方を示しているのが、正にこのヘルシンキ大聖堂であるような気がします。<br />ヘルシンキの街のランドマークであるヘルシンキ大聖堂を見てみると、北方十字軍に始るスウェーデンによる征服、キリスト教(カトリック)化、ロシアの支配を経て、現在のフィンランド共和国が成立したという歴史が、それにあわせてヘルシンキの街のたどってきた歴史が、垣間見えるような気がします。ヘルシンキ大聖堂は、潰えたロシア帝国の領土的な野望の残骸といえるかもしれません。

    元老院広場から見上げたヘルシンキ大聖堂です!
    最後に振り返って見たヘルシンキ大聖堂は、やはり堂々とした姿を現していました。
    画像左端には、ヘルシンキの街を整備した時のロシア皇帝にしてフィンランド大公、アレクサンダー2世の銅像が見えています。多くの人がその周囲に集まって記念撮影をしていました。
    ヘルシンキ大聖堂は、ヘルシンキの街の中心地であるクルヌンハカに隣接する場所にあります。ヘルシンキ大聖堂は1830年から1852年にかけて建築されました。設立当初は、フィンランド大公にしてロシア皇帝であったニコラス1世を祈念する聖堂として建てられました。フィンランドがロシアから独立した1917年までヘルシンキ大聖堂は聖ニコラス聖堂として、知られていました。
    その聖ニコラス聖堂、つまり現在のヘルシンキ大聖堂の建てられている場所には、かって、現在のヘルシンキ大聖堂より少し小さめな別な教会堂が建てられていました。その教会堂の名前はウルリカ・エレオノーラ聖堂です。この聖堂に冠された名前、ウルリカ・エレオノーラとは、ロシアがフィンランドを支配下に置く前にフィンランドを支配していたスウェーデン王国の女王、ウルリカ・エレオノーラ(在位:1718 - 1720)のことです。2000年代にはこのウルリカ・エレオノーラ聖堂を模した雪像が、元老院広場に建てられていた時期があるようです。
    フィンランドの支配者がスウェーデンからロシアに替わるとともに、旧支配者の存在を想起させるウルリカ・エレオノーラ聖堂は取り壊され、新支配者であるロシア帝国の意向に添って、ロシア皇帝を祈念する新たな大聖堂、聖ニコラス聖堂が建設されることとなりました。新たな聖堂、聖ニコラス聖堂が完成するまでの期間、福音主義教会ルター派のウルリカ・エレオノーラ聖堂教区の教会活動を支えるために、カンピに隣接する場所に、1824年から1826年にかけてヘルシンキ旧教会が建築されました。この教会は現在も存続・活動しています。このヘルシンキ旧教会ですが、ウルリカ・エレオノーラ聖堂の残存している画像を見ると、屋根の上に設けられたドームを除くと、旧教会と良く似た形状をしていることがよく解ります。やはり新古典主義の建築様式で建てられています。ここにもかっての宗主国スウェーデンの意地を感じます。
    ヘルシンキ大聖堂は、四つの小さなドームを従えた中央の大きな緑色のドームと、新古典主義の建築様式とが特徴的な、ロシア正教をはじめとする東方教会に特有の建築様式です。しかし、実際にはヘルシンキ大聖堂は福音主義教会ルター派の教会であり、東方教会の教会ではありません。このヘルシンキ大聖堂は、元老院広場の奥の階段を昇りきった所に配置されています。 ヘルシンキの街の景観の中でも特に目を引く印象的な建物です。
    福音主義教会ルター派の聖堂をあえてロシア正教会の香りのする建築様式で建てたところに、ロシア皇帝のフィンランド支配への強い意欲を、そしてフィンランド国民をロシア正教徒化していこうという意思を感じます。
    ヘルシンキ大聖堂の設計者はカール・ルートヴィッヒ・エンゲル。ヘルシンキ大聖堂は、彼の設計したロシア的な新古典主義の他の様々な建物によって産み出された街並に囲まれて、元老院広場の奥にそびえています。
    ヘルシンキ大聖堂はギリシャ十字、正十字の形に建てられています。四つある正面は列柱とペディメントを有する、古代ギリシャ神殿風の建築様式となっています。エンゲルは、祭壇のある東端の反値側、西端を正面玄関とするべく、 当初は、 西端の入口の列柱を2列にしようと考えていたようです。が、実際にはその計画は実現してはいません。
    当初、カール・ルートヴィッヒ・エンゲルによって建築が始ったヘルシンキ大聖堂の堂宇は、エルンスト・ロールマンにその仕事が受け継がれ完成することとなります。エルンスト・ローマンは、当初のプランに変更を加え、四つの小さなドームを中央のドームの周囲に配置します。このデザインは、世界第4位の規模の聖堂建築物である、サンクト・ペテルスブルクの聖イサク聖堂の建築様式に影響を強く受けたものであるといえます。サンクト・ペテルスブルクの聖イサク聖堂は、正十字の形に延びた建物の中央に巨大なドームを配し、その周辺、四方にはより小さなドームを配し、四つの正面はペディメントと列柱を備えたギリシャ神殿建築のような装いを呈した、ロシア・ビザンチン建築の建築様式で建てられています。エルンスト・ロールマンによって、聖ニコラス聖堂(現ヘルシンキ大聖堂)は、美術的な観点から、言い換えれば視覚的な観点から、ロシア帝国及びロシア皇帝の権威をヘルシンキ市民、そしてフィンランド国民に強く示すための構造物として再構築したということではないかと思います。元老院広場から見上げるヘルシンキ大聖堂、旧称聖ニコラス聖堂の荘厳な姿からは、文化的にフィンランド国民を圧倒することでフィンランド国民をロシア正教会の信徒に改宗させ、文化的な側面、及び宗教的な側面からもフィンランド国民の精神を支配していこうという野望を感じるような気がします。
    ロールマンはまた、聖堂の北側と南側とに、聖堂を中心として対照的な位置にそれぞれ鐘楼を追加して建てています。さらに四つある正面の屋根の中心と両端、計十二箇所に十二使徒の真鍮製の像を建てました。こうして現在のヘルシンキ大聖堂の外観は形作られたようです。
    ヘルシンキ大聖堂は、フィンランド福音主義教会ルター派のヘルシンキ教区を管轄する大聖堂です。スウェーデンによる征服とともにフィンランドはキリスト教化され、スウェーデンの国教のカトリックから福音主義教会ルター派への改宗に伴い、フィンランド国民のほとんどがプロテスタント化されました。が、ロシアの支配下になった後もフィンランド人の多くはロシア正教に改宗することは無く、福音主義教会ルター派に留まっています。そして東方教会の信徒もフィンランド正教会なるものも立ち上げています。ロシア的なものを受け容れつつ、ロシア正教会の信徒となること無くルター派の信仰を、非ロシア化を守ってきたフィンランド人の心の在り方を示しているのが、正にこのヘルシンキ大聖堂であるような気がします。
    ヘルシンキの街のランドマークであるヘルシンキ大聖堂を見てみると、北方十字軍に始るスウェーデンによる征服、キリスト教(カトリック)化、ロシアの支配を経て、現在のフィンランド共和国が成立したという歴史が、それにあわせてヘルシンキの街のたどってきた歴史が、垣間見えるような気がします。ヘルシンキ大聖堂は、潰えたロシア帝国の領土的な野望の残骸といえるかもしれません。

    ヘルシンキ大聖堂 寺院・教会

  • ヘルシンキの街の通りを飾るイルミネーションとAの文字です!<br />このAの文字には、ヘルシンキの街、ひいてはフィンランドの国を外敵から守るための何らかの呪術的な祈りが込められているのであろうかと思いながら、独特の美しいイルミネーションを見ていました。<br />この画像に写ってはいませんが、この画像右手の方向には元老院広場、そしてその奥にはヘルシンキ大聖堂があります。現在のヘルシンキの街の基礎を造ったロシア皇帝にしてフィンランド大公であったアレクサンダー2世の頭文字のAがこのAを意味しているのかもしれません。

    ヘルシンキの街の通りを飾るイルミネーションとAの文字です!
    このAの文字には、ヘルシンキの街、ひいてはフィンランドの国を外敵から守るための何らかの呪術的な祈りが込められているのであろうかと思いながら、独特の美しいイルミネーションを見ていました。
    この画像に写ってはいませんが、この画像右手の方向には元老院広場、そしてその奥にはヘルシンキ大聖堂があります。現在のヘルシンキの街の基礎を造ったロシア皇帝にしてフィンランド大公であったアレクサンダー2世の頭文字のAがこのAを意味しているのかもしれません。

  • カイサニエミ駅に停車中のヘルシンキ市電です!<br />ヘルシンキ大聖堂を見学した後、テンペリアオキオ教会に向かう前に、もう一つ気にかかっていた教会、カリオ地区教会に向かうべく、このカイサニエミ駅から市電に乗車することにしました。

    カイサニエミ駅に停車中のヘルシンキ市電です!
    ヘルシンキ大聖堂を見学した後、テンペリアオキオ教会に向かう前に、もう一つ気にかかっていた教会、カリオ地区教会に向かうべく、このカイサニエミ駅から市電に乗車することにしました。

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  • 正面から見たカリオ地区教会の聖堂です!<br />ヘルシンキの街のランドマークの一つと成っている、非常に特徴的な建造物です。設計者はラルス・ソンクです。アール・ヌーボーの様式の影響を受けた、民族主義的ロマン主義に基づく建造物です。丘の上に建っている教会堂の尖塔は、遠くからでもよく見え、とても目立ちます。

    正面から見たカリオ地区教会の聖堂です!
    ヘルシンキの街のランドマークの一つと成っている、非常に特徴的な建造物です。設計者はラルス・ソンクです。アール・ヌーボーの様式の影響を受けた、民族主義的ロマン主義に基づく建造物です。丘の上に建っている教会堂の尖塔は、遠くからでもよく見え、とても目立ちます。

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  • カリオ地区教会のパイプオルガンです!<br />大きく立派なパイプオルガンがこの教会にも設置してありました。地区教会というのは、教区教会の下にあるもう少し小さい単位の教会のようです。<br />しかし、地区教会にしてはかなり大きな聖堂です。携わった建築家も有名な人物です。なにより、高い丘の上に建てられている所はモンマルトルのイメージとだぶります。

    カリオ地区教会のパイプオルガンです!
    大きく立派なパイプオルガンがこの教会にも設置してありました。地区教会というのは、教区教会の下にあるもう少し小さい単位の教会のようです。
    しかし、地区教会にしてはかなり大きな聖堂です。携わった建築家も有名な人物です。なにより、高い丘の上に建てられている所はモンマルトルのイメージとだぶります。

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  • カリオ地区教会の聖堂の内部です!<br />大きく長い身廊です。日曜日には大勢の人がお参りに来るのかもしれません。<br />内陣の近くにもパイプオルガンがもう一つ設置されていました。すごいです。

    カリオ地区教会の聖堂の内部です!
    大きく長い身廊です。日曜日には大勢の人がお参りに来るのかもしれません。
    内陣の近くにもパイプオルガンがもう一つ設置されていました。すごいです。

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  • カリオ地区教会のイエス誕生のオーナメントです!<br />このプレセピオは、イエスの誕生したという馬小屋の中の様子を再現しているようでした。もっとも、このオーナメントには馬は登場しておらず、そのかわりに画像左下に山羊が見えています。山羊は、乳を飲むこともできますし、その肉は貴重なタンパク源となります。山羊の良いところは、荒れ地、草のあまり生えていない所や、標高の高い所でも生存でき、その皮は衣服や敷物にもできます。肉は少なく筋張って固いですが、山羊は当に万能の家畜です。馬ではなく、山羊を連れているというのがリアルです。<br />ベッドに寝かされているイエス・キリストを見守っているのはヨセフとマリアでしょうか。このプレセピオの背後はでは、神であるイエス・キリストの降誕を祝すかのごとく、青い光が上(天)に向かって真っ直ぐ延びていました。

    カリオ地区教会のイエス誕生のオーナメントです!
    このプレセピオは、イエスの誕生したという馬小屋の中の様子を再現しているようでした。もっとも、このオーナメントには馬は登場しておらず、そのかわりに画像左下に山羊が見えています。山羊は、乳を飲むこともできますし、その肉は貴重なタンパク源となります。山羊の良いところは、荒れ地、草のあまり生えていない所や、標高の高い所でも生存でき、その皮は衣服や敷物にもできます。肉は少なく筋張って固いですが、山羊は当に万能の家畜です。馬ではなく、山羊を連れているというのがリアルです。
    ベッドに寝かされているイエス・キリストを見守っているのはヨセフとマリアでしょうか。このプレセピオの背後はでは、神であるイエス・キリストの降誕を祝すかのごとく、青い光が上(天)に向かって真っ直ぐ延びていました。

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  • カリオ地区教会の聖堂の祭壇です!<br />祭壇は、クロッシングのすぐ後方、シュヴェの手前にありました。この祭壇があるため、シュヴェには私は近よることはできませんでした。<br />福音主義教会ルター派の教会堂らしく、祭壇はシンプル、十字架も小さなものが使われています。通常、福音主義教会では大きな十字架を祀ることは無いと思っていましたので、クロッシングのエリアに巨大な十字架が吊り下げられていたのには驚きました。画像上に見える、上から伸びている棒状のものは、十字架の足です。<br />祭壇の十字架の後ろには、主イエス・キリストとそれを囲む人々が描かれているようですが、このレリーフに描かれている人は、イエスの右に4人、左に4人、足元にすがりついているひとが1人です。つまり、このレリーフは最後の晩餐を意味しているものではないようです。<br />イエス・キリスト以外の人達は、箒、スコップ、手押し車を手にした人々、子どもの世話をするひと、全て皆フィンランドで生活する労働者の人達のようです。フィンランド国民に与えられた試練と運命とを神の手に委ね、性別や、思想信条や、職業の違いを乗り越えて、皆で力を合わせて、ひたむきに国難に立ち向かっていこうというメッセージをこのレリーフからは感じます。<br />祭壇とキリストのレリーフの背後にはクリスマス・ツリーがそびえていました。ツリーの頂上にきらめく星は、主イエス・キリストを象徴するかのようです。小高い丘の上から、イエス・キリストの救いの光がヘルシンキの街を包んで護ってもらえますようにという願いがかけられているのであろうかと思いました。

    カリオ地区教会の聖堂の祭壇です!
    祭壇は、クロッシングのすぐ後方、シュヴェの手前にありました。この祭壇があるため、シュヴェには私は近よることはできませんでした。
    福音主義教会ルター派の教会堂らしく、祭壇はシンプル、十字架も小さなものが使われています。通常、福音主義教会では大きな十字架を祀ることは無いと思っていましたので、クロッシングのエリアに巨大な十字架が吊り下げられていたのには驚きました。画像上に見える、上から伸びている棒状のものは、十字架の足です。
    祭壇の十字架の後ろには、主イエス・キリストとそれを囲む人々が描かれているようですが、このレリーフに描かれている人は、イエスの右に4人、左に4人、足元にすがりついているひとが1人です。つまり、このレリーフは最後の晩餐を意味しているものではないようです。
    イエス・キリスト以外の人達は、箒、スコップ、手押し車を手にした人々、子どもの世話をするひと、全て皆フィンランドで生活する労働者の人達のようです。フィンランド国民に与えられた試練と運命とを神の手に委ね、性別や、思想信条や、職業の違いを乗り越えて、皆で力を合わせて、ひたむきに国難に立ち向かっていこうというメッセージをこのレリーフからは感じます。
    祭壇とキリストのレリーフの背後にはクリスマス・ツリーがそびえていました。ツリーの頂上にきらめく星は、主イエス・キリストを象徴するかのようです。小高い丘の上から、イエス・キリストの救いの光がヘルシンキの街を包んで護ってもらえますようにという願いがかけられているのであろうかと思いました。

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  • カリオ地区教会のクロッシングとそこに掲げられた磔刑像です!<br />普通、福音主義教会の聖堂では、磔刑像は祀らないと思っていたので驚きました。福音主義、カトリック、オーソドックス、総ての会派を超えて、フィンランド人としてこの国の平和と安全とを神に祈るための教会、それがこのカリオ地区教会であったのであろうかとこの磔刑像、並びに祭壇の背後のレリーフを見ながら思いました。

    カリオ地区教会のクロッシングとそこに掲げられた磔刑像です!
    普通、福音主義教会の聖堂では、磔刑像は祀らないと思っていたので驚きました。福音主義、カトリック、オーソドックス、総ての会派を超えて、フィンランド人としてこの国の平和と安全とを神に祈るための教会、それがこのカリオ地区教会であったのであろうかとこの磔刑像、並びに祭壇の背後のレリーフを見ながら思いました。

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  • カリオ地区教会の祭壇の前に設置されていた棺のオーナメントです!<br />棺の上には薔薇の花が載せてありました。オーナメントと書いたのは、実際の人間の入る棺としては幅が狭すぎる(フィンランド人と比べて身体の小さい日本人が入るとしても)と思われたからです。<br />祖国フィンランドのために命を捧げた人達の心を象徴しているのかもしれません。機会があれば、もう一度よく調べてみたいと思います。

    カリオ地区教会の祭壇の前に設置されていた棺のオーナメントです!
    棺の上には薔薇の花が載せてありました。オーナメントと書いたのは、実際の人間の入る棺としては幅が狭すぎる(フィンランド人と比べて身体の小さい日本人が入るとしても)と思われたからです。
    祖国フィンランドのために命を捧げた人達の心を象徴しているのかもしれません。機会があれば、もう一度よく調べてみたいと思います。

  • シュヴェの側から見たカリオ地区教会です!<br />やはり壮大です。<br />カリオ地区教会は、小高い丘の上に建てられていますが、シュヴェの先、身廊の延長線上は道路が一直線につながっており、下の平地からこのカリオ地区教会の堂々たる姿がよく見えます。単なる地区教会以上の迫力を以て、存在感をアピールしているのがこのカリオ地区教会です。

    シュヴェの側から見たカリオ地区教会です!
    やはり壮大です。
    カリオ地区教会は、小高い丘の上に建てられていますが、シュヴェの先、身廊の延長線上は道路が一直線につながっており、下の平地からこのカリオ地区教会の堂々たる姿がよく見えます。単なる地区教会以上の迫力を以て、存在感をアピールしているのがこのカリオ地区教会です。

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  • 坂下から見上げるカリオ地区教会です!<br />カリオ地区教会は丘の上にありますが、シュヴェから一直線に下に向かって坂道が延びています。<br />高い尖塔を持った丘の上の教会ですので、よく目立ちますし、遠くからでも確認できます。カリオ地区教会を見上げながら、パリのサクレクール寺院を思い出していました。いわゆるヘルシンキの郊外に建てられているところもいわゆるパリの郊外に建てられたサクレクールと類似しています。また、サクレクール寺院は普仏戦争で傷ついたフランス国民の心を癒す役割を担いましたが、カリオ地区教会も、坂を下って行った先で見かけた戦争記念碑のことを考えると、ロシアとの戦争で傷ついたフィンランド国民の心を癒し、自信を回復させる目的で建てられたような気もしなくはりません。あくまでも勝手な想像ですが。<br />サクレクール寺院とは、キリストの聖なる心を祀った寺のようです。このカリオ地区教会にも、フィンランドの独立のために命を捧げた人達の心が祀られているような感じがしました。

    坂下から見上げるカリオ地区教会です!
    カリオ地区教会は丘の上にありますが、シュヴェから一直線に下に向かって坂道が延びています。
    高い尖塔を持った丘の上の教会ですので、よく目立ちますし、遠くからでも確認できます。カリオ地区教会を見上げながら、パリのサクレクール寺院を思い出していました。いわゆるヘルシンキの郊外に建てられているところもいわゆるパリの郊外に建てられたサクレクールと類似しています。また、サクレクール寺院は普仏戦争で傷ついたフランス国民の心を癒す役割を担いましたが、カリオ地区教会も、坂を下って行った先で見かけた戦争記念碑のことを考えると、ロシアとの戦争で傷ついたフィンランド国民の心を癒し、自信を回復させる目的で建てられたような気もしなくはりません。あくまでも勝手な想像ですが。
    サクレクール寺院とは、キリストの聖なる心を祀った寺のようです。このカリオ地区教会にも、フィンランドの独立のために命を捧げた人達の心が祀られているような感じがしました。

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  • 1939〜1945フィンランド戦争記念碑です!<br />フィンランド語は読めないので、この碑に刻まれている文字の意味はもう一つ正確には解りませんが、戦没者慰霊碑なのかもしれません。台座の石の上で斜めに建てられている石柱は墓標のようにも見えます。<br />碑を囲むように、いや支えるように建てられている2枚の石のプレート上には、それぞれ兵士と、機銃と思しき絵が掘られています。<br />フィンランドは、ロシア、スウェーデン、ポーランド、ドイツと、大国に挟まれ、その運命、歴史を翻弄されてきた国です。絶体絶命の中で国を護るために多くの兵士が殉職していきました。ロシアやドイツ、スウェーデンからいかに理不尽で酷い目に遭わされようと、国際社会から見て見ぬ振りをされ、腹をくくって独力で敵に立ち向かう他に選択肢は無く、そのあげくにドイツに加担したとして、第二次世界大戦では枢軸国側に位置づけられ、現在でも、国連憲章の敵国条項の対象国であると受け止められているようです。フィンランドという国が背負わされてきた悲しみと怒りとやるせなさとを、この記念碑は象徴しているかのようです。

    1939〜1945フィンランド戦争記念碑です!
    フィンランド語は読めないので、この碑に刻まれている文字の意味はもう一つ正確には解りませんが、戦没者慰霊碑なのかもしれません。台座の石の上で斜めに建てられている石柱は墓標のようにも見えます。
    碑を囲むように、いや支えるように建てられている2枚の石のプレート上には、それぞれ兵士と、機銃と思しき絵が掘られています。
    フィンランドは、ロシア、スウェーデン、ポーランド、ドイツと、大国に挟まれ、その運命、歴史を翻弄されてきた国です。絶体絶命の中で国を護るために多くの兵士が殉職していきました。ロシアやドイツ、スウェーデンからいかに理不尽で酷い目に遭わされようと、国際社会から見て見ぬ振りをされ、腹をくくって独力で敵に立ち向かう他に選択肢は無く、そのあげくにドイツに加担したとして、第二次世界大戦では枢軸国側に位置づけられ、現在でも、国連憲章の敵国条項の対象国であると受け止められているようです。フィンランドという国が背負わされてきた悲しみと怒りとやるせなさとを、この記念碑は象徴しているかのようです。

    ハカニエミ マーケット広場、屋内マーケット ショッピングセンター

  • 上から見たハカニエミ駅のプラットホームと停車中のヘルシンキ市営地下鉄の車両です!<br />カリオ地区教会の聖堂を見学した後、ヘルシンキ市営地下鉄の最寄りの駅まで歩いて来ました。それがハカニエミ駅でした。ここからヘルシンキ中央駅まで地下鉄で移動します。

    上から見たハカニエミ駅のプラットホームと停車中のヘルシンキ市営地下鉄の車両です!
    カリオ地区教会の聖堂を見学した後、ヘルシンキ市営地下鉄の最寄りの駅まで歩いて来ました。それがハカニエミ駅でした。ここからヘルシンキ中央駅まで地下鉄で移動します。

    ハカニエミ マーケット広場、屋内マーケット ショッピングセンター

  • ハカニエミ駅に停車中のヘルシンキ市営地下鉄の車両です!<br />赤い車両でした。少し違いますが、なんだか昔の丸ノ内線みたいです。

    ハカニエミ駅に停車中のヘルシンキ市営地下鉄の車両です!
    赤い車両でした。少し違いますが、なんだか昔の丸ノ内線みたいです。

    ハカニエミ マーケット広場、屋内マーケット ショッピングセンター

  • プラットホームから見たハカニエミ駅の駅名表示板です!<br />その下には地下鉄の路線図が描かれています。<br />あの分岐点は中野坂上?ではありません。<br />Ostra centrumと書かれていますので、おそらくヘルシンキ市の東の副都心ではないかと思います。東部センターとでも訳すのが良いのかもしれません。

    プラットホームから見たハカニエミ駅の駅名表示板です!
    その下には地下鉄の路線図が描かれています。
    あの分岐点は中野坂上?ではありません。
    Ostra centrumと書かれていますので、おそらくヘルシンキ市の東の副都心ではないかと思います。東部センターとでも訳すのが良いのかもしれません。

    ハカニエミ マーケット広場、屋内マーケット ショッピングセンター

  • ヘルシンキ市営地下鉄車両の内部です!<br />車両の内部はきれいに使われていました。

    ヘルシンキ市営地下鉄車両の内部です!
    車両の内部はきれいに使われていました。

    ハカニエミ マーケット広場、屋内マーケット ショッピングセンター

  • ヘルシンキ市営地下鉄地下鉄ヘルシンキ中央駅です!<br />ここで降りて、テンペリアオキオ教会まで歩くこととしました。

    ヘルシンキ市営地下鉄地下鉄ヘルシンキ中央駅です!
    ここで降りて、テンペリアオキオ教会まで歩くこととしました。

    ヘルシンキ中央駅

  • アテネウム美術館です!ヘルシンキ中央駅の近くにあります。

    アテネウム美術館です!ヘルシンキ中央駅の近くにあります。

    アテネウム美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 自然史博物館です!<br />やはりテンペリアオキオ教会に行く途中にありました。

    自然史博物館です!
    やはりテンペリアオキオ教会に行く途中にありました。

    ヘルシンキ自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • テンペリアオキオ教会の入口です!<br />地図で探してここまでやって来たのですが、地上に立派な建物は見えません。石と岩とで造られた壁面の下部にコンクリートで造られた入口のある場所がありました。もしかして…と入ってみると、当にここがテンペリアオキオ教会でした。なんとかたどり着けて良かったです。しかし、外から見ると、教会堂というよりはなんだか塹壕という感じのようにも見えます。ドイツやスウェーデン、ロシアからいかに攻撃されようと、フィンランド人の心と信仰とだけは守るぞという意気込みを感じるような気がします。<br />テンペリアオキオ教会は、フィンランドがドイツ、スウェーデン、ロシアとの間に挟まれ、甘受せざるを得なかった苦難の歴史と、フィンランド人の不屈の精神とを表しているかのようです。テンペリアオキオ教会は、本当に個性的な建物ですが、いろんなことを感じさせてくれる建造物でもあると思います。

    テンペリアオキオ教会の入口です!
    地図で探してここまでやって来たのですが、地上に立派な建物は見えません。石と岩とで造られた壁面の下部にコンクリートで造られた入口のある場所がありました。もしかして…と入ってみると、当にここがテンペリアオキオ教会でした。なんとかたどり着けて良かったです。しかし、外から見ると、教会堂というよりはなんだか塹壕という感じのようにも見えます。ドイツやスウェーデン、ロシアからいかに攻撃されようと、フィンランド人の心と信仰とだけは守るぞという意気込みを感じるような気がします。
    テンペリアオキオ教会は、フィンランドがドイツ、スウェーデン、ロシアとの間に挟まれ、甘受せざるを得なかった苦難の歴史と、フィンランド人の不屈の精神とを表しているかのようです。テンペリアオキオ教会は、本当に個性的な建物ですが、いろんなことを感じさせてくれる建造物でもあると思います。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の内部の様子です!<br />テンペリアオキオ教会は、石と岩とで造られた、半地下の教会です。別名、「岩の教会」です。この独特の教会建築が見たいがために、わざわざヘルシンキまで足を運びました。実際に目にすることができて満足です。この画像は、二階席から撮影しました。<br />岩を刳り貫いて造られた教会のように見えます。床の周囲から立ち上がっている岩の壁の上には、石積みで造られた壁が続き、更に上へと立ち上がっています。鉄骨のフレームとガラスとでできた空間は、外部からの採光を考えて設けられた窓であったのだということが、二階席から見ると良く解ります。<br />この窓が、天井を除いて地上に出ている主要な部分であり、テンペリアオキオ教会が岩を刳り貫き、石を積み上げて造った半地下の教会堂であったことを、窓から差し込んでくれる陽の光は思い出させてくれます。<br />画像中央の祭壇はとても簡素なものでした。刳り貫かれた岩と積み上げられた石の壁と、美しい絵画や高価な装飾品の無い室内の調度品は、この教会が福音主義教会に属するものであることと、フィンランド人の不屈の精神とを語ってくれているかのように感じました。

    テンペリアオキオ教会の内部の様子です!
    テンペリアオキオ教会は、石と岩とで造られた、半地下の教会です。別名、「岩の教会」です。この独特の教会建築が見たいがために、わざわざヘルシンキまで足を運びました。実際に目にすることができて満足です。この画像は、二階席から撮影しました。
    岩を刳り貫いて造られた教会のように見えます。床の周囲から立ち上がっている岩の壁の上には、石積みで造られた壁が続き、更に上へと立ち上がっています。鉄骨のフレームとガラスとでできた空間は、外部からの採光を考えて設けられた窓であったのだということが、二階席から見ると良く解ります。
    この窓が、天井を除いて地上に出ている主要な部分であり、テンペリアオキオ教会が岩を刳り貫き、石を積み上げて造った半地下の教会堂であったことを、窓から差し込んでくれる陽の光は思い出させてくれます。
    画像中央の祭壇はとても簡素なものでした。刳り貫かれた岩と積み上げられた石の壁と、美しい絵画や高価な装飾品の無い室内の調度品は、この教会が福音主義教会に属するものであることと、フィンランド人の不屈の精神とを語ってくれているかのように感じました。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の天井とです!<br />天井には銅板が貼られていました。外から見たら、その内側、天上がまさかこんなことになっていようとは思いもしませんでした。<br />テンペリアオキオ教会は、上でも書きましたが、石と岩とで造られた、半地下の教会です。他に類を見ない非常に強烈な個性で、そこに入った者に何かを訴えかけて来る存在ではありますが、これは自然の造形物、若しくは自然のものをそのまま利用した造形物であり、過度な装飾の施されたスイスのザンクト・ガレン大聖堂等とは全く異なる、異質な存在です。であればこそ、このテンペリアオキオ教会の見る者に与えるインパクトは凄いものがあるように思います。

    テンペリアオキオ教会の天井とです!
    天井には銅板が貼られていました。外から見たら、その内側、天上がまさかこんなことになっていようとは思いもしませんでした。
    テンペリアオキオ教会は、上でも書きましたが、石と岩とで造られた、半地下の教会です。他に類を見ない非常に強烈な個性で、そこに入った者に何かを訴えかけて来る存在ではありますが、これは自然の造形物、若しくは自然のものをそのまま利用した造形物であり、過度な装飾の施されたスイスのザンクト・ガレン大聖堂等とは全く異なる、異質な存在です。であればこそ、このテンペリアオキオ教会の見る者に与えるインパクトは凄いものがあるように思います。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の祭壇と説教壇です!<br />祭壇とそこに設置されている十字架がとても小ささがとても印象的です。<br />やはり福音主義教会の教会であるなあと感じます。

    テンペリアオキオ教会の祭壇と説教壇です!
    祭壇とそこに設置されている十字架がとても小ささがとても印象的です。
    やはり福音主義教会の教会であるなあと感じます。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の祭壇とその前のオーナメントです!<br />私がテンペリアオキオ教会を訪れたのは1月4日のことですが、まだクリスマスのオーナメントが飾られていました。画像右に見えるラクダは、それに乗ってキリストの生誕を祝うためにやって来た東方の三賢者を象徴しているようです。<br />カリオ地区教会にもイエスの生誕を祝するオーナメント、プレセピオが飾ってありましたが、ここテンペリアオキオ教会にもプレセピオはありました。<br />画像中央の祭壇には十字架が見えています。十字架が小さいのは、福音主義教会ルター派の教会だからでしょうか。

    テンペリアオキオ教会の祭壇とその前のオーナメントです!
    私がテンペリアオキオ教会を訪れたのは1月4日のことですが、まだクリスマスのオーナメントが飾られていました。画像右に見えるラクダは、それに乗ってキリストの生誕を祝うためにやって来た東方の三賢者を象徴しているようです。
    カリオ地区教会にもイエスの生誕を祝するオーナメント、プレセピオが飾ってありましたが、ここテンペリアオキオ教会にもプレセピオはありました。
    画像中央の祭壇には十字架が見えています。十字架が小さいのは、福音主義教会ルター派の教会だからでしょうか。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • 幼子イエスです!<br />クリスマスのオーナメントに向かって歩みを進めました。空を照らす星々に包まれて、幼子イエスが、紅と緑の植物に包まれ、祝福されて、籠の中ににいました。

    幼子イエスです!
    クリスマスのオーナメントに向かって歩みを進めました。空を照らす星々に包まれて、幼子イエスが、紅と緑の植物に包まれ、祝福されて、籠の中ににいました。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の供物台?です!<br />ひょっとして聖体拝領の際に使われるものであろうかと思い、画像だけは納めておくことにしました。

    テンペリアオキオ教会の供物台?です!
    ひょっとして聖体拝領の際に使われるものであろうかと思い、画像だけは納めておくことにしました。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会のクリスマス・ツリーです!<br />クリスマス・ツリーは、アダムとイヴとが天国の楽園から追放される原因となった、知恵の実の成る知恵の樹を象徴していると言われています。枝にボールが吊され、装飾されたクリスマスツリーを見かけますが、このボールは、知恵の樹の木の実を現しています。ということは、具体的にはリンゴということではないかと思います。<br />かって根強い樹木信仰を有していた古代ゲルマン民族が、当寺、冬至の祭りの際に樫の樹を用いて祭典を開いていたのを、樫の樹から樅の樹にすり替える中で、ゲルマン民族のキリスト教徒化が行われていったキリスト教の布教活動の名残といえるもの、それが実はクリスマス・ツリーの実態であるとも言われています。<br />そう考えると、なんだか不思議です。

    テンペリアオキオ教会のクリスマス・ツリーです!
    クリスマス・ツリーは、アダムとイヴとが天国の楽園から追放される原因となった、知恵の実の成る知恵の樹を象徴していると言われています。枝にボールが吊され、装飾されたクリスマスツリーを見かけますが、このボールは、知恵の樹の木の実を現しています。ということは、具体的にはリンゴということではないかと思います。
    かって根強い樹木信仰を有していた古代ゲルマン民族が、当寺、冬至の祭りの際に樫の樹を用いて祭典を開いていたのを、樫の樹から樅の樹にすり替える中で、ゲルマン民族のキリスト教徒化が行われていったキリスト教の布教活動の名残といえるもの、それが実はクリスマス・ツリーの実態であるとも言われています。
    そう考えると、なんだか不思議です。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • テンペリアオキオ教会の祭壇と礼拝席です!<br />小さな十字架が設置された祭壇の周りには、肘をかけ、もたれるための手摺、ひざまづくための膝を乗せる台が設置されていました。ここが信仰の場であることを改めて意識させられます。

    テンペリアオキオ教会の祭壇と礼拝席です!
    小さな十字架が設置された祭壇の周りには、肘をかけ、もたれるための手摺、ひざまづくための膝を乗せる台が設置されていました。ここが信仰の場であることを改めて意識させられます。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • 一階の礼拝席から見た二階席と天上です!<br />最初、中に入った時、一階席しか無いのかと思いました。<br />わずかではありますがしっかりと二階席もあります。<br />しかし、内部に柱の無い空間を覆う、銅色に輝く天上は圧巻です。なんだかUFOを下から見上げているかのようです。

    一階の礼拝席から見た二階席と天上です!
    最初、中に入った時、一階席しか無いのかと思いました。
    わずかではありますがしっかりと二階席もあります。
    しかし、内部に柱の無い空間を覆う、銅色に輝く天上は圧巻です。なんだかUFOを下から見上げているかのようです。

    テンペリアウキオ教会 寺院・教会

  • フィンランド国立博物館です!<br />教会堂のように見えるこの博物館の建物も一度見てみたいと思っていました。<br />テンペリアオキオ教会からここまでは、歩いてきました。<br />時間の関係で中には入れませんでしたが、外からだけでも見れて満足です。

    フィンランド国立博物館です!
    教会堂のように見えるこの博物館の建物も一度見てみたいと思っていました。
    テンペリアオキオ教会からここまでは、歩いてきました。
    時間の関係で中には入れませんでしたが、外からだけでも見れて満足です。

    フィンランド国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • キョースティ・カリオの銅像です!<br />銅像の背後には、フィンランド国立博物館が見えています。私はエドゥスクンタへと向かって歩いている途中でこの銅像に出会いました。<br />キョースティ・カリオは、フィンランドの第4代大統領です。エドゥスクンタ(国会)の議長も務めています。農協の重鎮でもありました。キョースティ・カリオはスターリンが支配するソヴィエト連邦とフィンランドとが戦った冬戦争の際の大統領として知られています。<br />やはりロシア/ソヴィエト連邦は大国です。フィンランド軍は、保有する兵器の数及び質において、また兵士の人数においても圧倒的に不利な状況下で戦わざるをえませんでした。雪と氷の大地という特異な戦場において、地の利を得る者にとって唯一利点を得られるゲリラ戦に徹することで、敗戦必定の困難な戦局を打開し、フィンランンド軍はソ連軍に致命的なダメージを与えました。しかし、実際には多勢に無勢で、停戦後には圧倒的に不利な条件で講和条約を結ばされます。その際のフィンランド側の代表者が、その当時のフィンランド共和国大統領、キョースティ・カリオでした。やれるだけのことを誠実にやって祖国を守った英雄、勇気ある政治家ということで、エドゥスクンタ近くの路上にキョースティ・カリオの銅像が設置されているのかもしれません。フィンランドという国の抱える、苦悩・怒りと、フィンランド国民のキョースティ・カリオへの感謝とを感じます。<br />海を介してではありますが、アメリカ、ロシア、中国といった大国と国境を接し、国政の難しい舵取りを続けていかなければならないこの日本という国に生まれた私にとっては、キョースティ・カリオの人生には、やはりなんらかの少し感じるざるをえないものがありました。

    キョースティ・カリオの銅像です!
    銅像の背後には、フィンランド国立博物館が見えています。私はエドゥスクンタへと向かって歩いている途中でこの銅像に出会いました。
    キョースティ・カリオは、フィンランドの第4代大統領です。エドゥスクンタ(国会)の議長も務めています。農協の重鎮でもありました。キョースティ・カリオはスターリンが支配するソヴィエト連邦とフィンランドとが戦った冬戦争の際の大統領として知られています。
    やはりロシア/ソヴィエト連邦は大国です。フィンランド軍は、保有する兵器の数及び質において、また兵士の人数においても圧倒的に不利な状況下で戦わざるをえませんでした。雪と氷の大地という特異な戦場において、地の利を得る者にとって唯一利点を得られるゲリラ戦に徹することで、敗戦必定の困難な戦局を打開し、フィンランンド軍はソ連軍に致命的なダメージを与えました。しかし、実際には多勢に無勢で、停戦後には圧倒的に不利な条件で講和条約を結ばされます。その際のフィンランド側の代表者が、その当時のフィンランド共和国大統領、キョースティ・カリオでした。やれるだけのことを誠実にやって祖国を守った英雄、勇気ある政治家ということで、エドゥスクンタ近くの路上にキョースティ・カリオの銅像が設置されているのかもしれません。フィンランドという国の抱える、苦悩・怒りと、フィンランド国民のキョースティ・カリオへの感謝とを感じます。
    海を介してではありますが、アメリカ、ロシア、中国といった大国と国境を接し、国政の難しい舵取りを続けていかなければならないこの日本という国に生まれた私にとっては、キョースティ・カリオの人生には、やはりなんらかの少し感じるざるをえないものがありました。

    国会議事堂(エドゥスクンタ) 現代・近代建築

  • エドゥスクンタ/フィンランド国会です!<br />日本では、国会は国権の最高機関ですが、フィンランドのエドゥスクンタには日本の国会ほどの権限は無いようです。そこで、あえてフィンランド国会とは表記せず、エドゥスクンタとそのまま音訳したものを名称として利用される場合があるようです。大統領にある程度権限を集中させて、非常時に備えているような国家システムのようにも見えます。ロシアの隣国でああらねばならないフィンランドの悲哀を感じます。それに比べると、ロシア、中国、韓国と国境を接している我が日本国には、もう一つ安全保障の面についての緊張感と切迫感とが欠けているようにも思えるのですが。でも安全で自由な生活が保障されているこの日本という国に住むでいると、やはり日本は、神に祝福され、恵まれた良い国なのかなあとも思います。

    エドゥスクンタ/フィンランド国会です!
    日本では、国会は国権の最高機関ですが、フィンランドのエドゥスクンタには日本の国会ほどの権限は無いようです。そこで、あえてフィンランド国会とは表記せず、エドゥスクンタとそのまま音訳したものを名称として利用される場合があるようです。大統領にある程度権限を集中させて、非常時に備えているような国家システムのようにも見えます。ロシアの隣国でああらねばならないフィンランドの悲哀を感じます。それに比べると、ロシア、中国、韓国と国境を接している我が日本国には、もう一つ安全保障の面についての緊張感と切迫感とが欠けているようにも思えるのですが。でも安全で自由な生活が保障されているこの日本という国に住むでいると、やはり日本は、神に祝福され、恵まれた良い国なのかなあとも思います。

    国会議事堂(エドゥスクンタ) 現代・近代建築

  • キアスマ国立現代美術館です!<br />この建物も非常に個性的な建物です。時間が許せば、中に入って作品をゆっくり観賞してみたいです。このキアスマ国立現代美術館もフィンランド国立博物館からホテルに戻る途中にありました。

    キアスマ国立現代美術館です!
    この建物も非常に個性的な建物です。時間が許せば、中に入って作品をゆっくり観賞してみたいです。このキアスマ国立現代美術館もフィンランド国立博物館からホテルに戻る途中にありました。

    ヘルシンキ現代美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ヘルシンキの街角のイルミネーション1です!<br />ヘルシンキ中央駅の界隈まで帰ってきました。空港行きのバスの時間まではもう少し時間があるので、ホテルに戻って荷物をピックアップする前にもう少し街中を散策です。暗くなり始めたヘルシンキの街には灯りがともり、きれいです。

    ヘルシンキの街角のイルミネーション1です!
    ヘルシンキ中央駅の界隈まで帰ってきました。空港行きのバスの時間まではもう少し時間があるので、ホテルに戻って荷物をピックアップする前にもう少し街中を散策です。暗くなり始めたヘルシンキの街には灯りがともり、きれいです。

  • ヘルシンキの街角のイルミネーション2です!<br />気のせいかもしれませんが、ヘルシンキの街では、日中よりも暗くなり始めてからの方が人出が多いような気がします。朝、起きてヘルシンキの街中を散策し始めた時、空港からヘルシンキ中央駅に到着して街を歩き始めた時よりも人出が少ないような気がしました。冬の長い国であればこそかもしれません。

    ヘルシンキの街角のイルミネーション2です!
    気のせいかもしれませんが、ヘルシンキの街では、日中よりも暗くなり始めてからの方が人出が多いような気がします。朝、起きてヘルシンキの街中を散策し始めた時、空港からヘルシンキ中央駅に到着して街を歩き始めた時よりも人出が少ないような気がしました。冬の長い国であればこそかもしれません。

  • ヘルシンキの街角のイルミネーション3です!<br />建物と建物との間に渡されたガラスの屋根の下(これもアーケードの一種でしょうか?)にもきれいなイルミネーションが施されていました。<br />雪と氷の国ですから、こうしたインドア空間の整備が十分に為されているのかもしれません。24時間に満たない滞在時間でのヘルシンキ訪問ですので、総て表面的にしか見ることはできませんでしたが、本当にとても面白い国だと思います。

    ヘルシンキの街角のイルミネーション3です!
    建物と建物との間に渡されたガラスの屋根の下(これもアーケードの一種でしょうか?)にもきれいなイルミネーションが施されていました。
    雪と氷の国ですから、こうしたインドア空間の整備が十分に為されているのかもしれません。24時間に満たない滞在時間でのヘルシンキ訪問ですので、総て表面的にしか見ることはできませんでしたが、本当にとても面白い国だと思います。

  • 建物の中のイルミネーションです!<br />雪の結晶をあしらったイルミネーションでしょうか?暗く長い冬の続く国、フィンランドらしく、広大な空間の中にイルミネーションが蒼く、美しく輝いていました。

    建物の中のイルミネーションです!
    雪の結晶をあしらったイルミネーションでしょうか?暗く長い冬の続く国、フィンランドらしく、広大な空間の中にイルミネーションが蒼く、美しく輝いていました。

  • ヘルシンキの寿司屋「一番」の案内板です!<br />一番手前の案内板は歯医者さんのようです。ということはこのビルは雑居ビルということでしょうか。「一番」の案内板は画像中央、歯科医院の案内板の画像下に見えています。<br />寿司屋の案内板が出ていたので、お店を見に行ってみることにしました。これから飛行機に乗れば、当然、機内食も出るので、実際にお寿司を食べるつもりまではありませんでしたが、やはりどんなお店か見てみたいと思ったからです。案内表示に従って上の階に上がってみることにしました。

    ヘルシンキの寿司屋「一番」の案内板です!
    一番手前の案内板は歯医者さんのようです。ということはこのビルは雑居ビルということでしょうか。「一番」の案内板は画像中央、歯科医院の案内板の画像下に見えています。
    寿司屋の案内板が出ていたので、お店を見に行ってみることにしました。これから飛行機に乗れば、当然、機内食も出るので、実際にお寿司を食べるつもりまではありませんでしたが、やはりどんなお店か見てみたいと思ったからです。案内表示に従って上の階に上がってみることにしました。

  • ヘルシンキの寿司屋「一番」です!<br />立派な店構えです。「オー! 本当に寿司屋だ!」と思いました。<br />看板の表示を見ると、キリンのラガーのラベルの画像の表示がありました。「やっぱり、寿司にはスーパー・ドライじゃなくてラガーでしょう!」とか言いながら、日本食の通を気取って、フィンランド人も寿司を食べているんだろうかと思いました。

    ヘルシンキの寿司屋「一番」です!
    立派な店構えです。「オー! 本当に寿司屋だ!」と思いました。
    看板の表示を見ると、キリンのラガーのラベルの画像の表示がありました。「やっぱり、寿司にはスーパー・ドライじゃなくてラガーでしょう!」とか言いながら、日本食の通を気取って、フィンランド人も寿司を食べているんだろうかと思いました。

  • ヘルシンキの寿司屋「ティラウス・カサルタ」です!<br />「寿司ってのはカウンターに座って、時にはガリをかじりながら食べるものさ。」とか言いながら、お寿司を食べてるのかなあと思いました。

    ヘルシンキの寿司屋「ティラウス・カサルタ」です!
    「寿司ってのはカウンターに座って、時にはガリをかじりながら食べるものさ。」とか言いながら、お寿司を食べてるのかなあと思いました。

  • ヘルシンキの寿司屋「ティラウス・カサルタ」のメニューです!<br />やっぱりご当地で獲れる食材を利用した寿司、サーモンの寿司が一番メジャーなようです。

    ヘルシンキの寿司屋「ティラウス・カサルタ」のメニューです!
    やっぱりご当地で獲れる食材を利用した寿司、サーモンの寿司が一番メジャーなようです。

  • ヘルシンキの寿司屋「板前」です!<br />本当に、ヘルシンキの街には寿司屋がたくさんあります。<br />フィンランドには、ロシアのバルティック艦隊を撃破した東郷元帥を讃えて造られたビールがあるというのは聞いたことがありました。今回、フィンランドの人と会話をする機会はあまり無かったので、断定はできませんが、これだけお寿司屋さんを目にすると、フィンランドの人は日本に幾ばくかの好意を抱いてくれているのではないかと思いました。今度はもう少し長く滞在して、地元の人達とも、もう少し会話を楽しんでみたいです。

    ヘルシンキの寿司屋「板前」です!
    本当に、ヘルシンキの街には寿司屋がたくさんあります。
    フィンランドには、ロシアのバルティック艦隊を撃破した東郷元帥を讃えて造られたビールがあるというのは聞いたことがありました。今回、フィンランドの人と会話をする機会はあまり無かったので、断定はできませんが、これだけお寿司屋さんを目にすると、フィンランドの人は日本に幾ばくかの好意を抱いてくれているのではないかと思いました。今度はもう少し長く滞在して、地元の人達とも、もう少し会話を楽しんでみたいです。

  • ヘルシンキの寿司屋「板前」のメニューです!<br />しかし白身魚のお寿司がメニューの中に見えないと、少し寂しい気がします。

    ヘルシンキの寿司屋「板前」のメニューです!
    しかし白身魚のお寿司がメニューの中に見えないと、少し寂しい気がします。

  • フィン・エアーのエアポート・リムジン・バスです!<br />行きと同様、帰りもヘルシンキ・ヴァンター空港にやって来るのにこのバスを利用しました。ヘルシンキ中央駅のすぐ横から乗降車できるので便利です。

    フィン・エアーのエアポート・リムジン・バスです!
    行きと同様、帰りもヘルシンキ・ヴァンター空港にやって来るのにこのバスを利用しました。ヘルシンキ中央駅のすぐ横から乗降車できるので便利です。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ・ヴァンター空港の車寄せです!<br />空港の屋根の先もイルミネートされています。屋根から氷柱が下がっている感じをイメージさせるためのものでしょうか。いい感じです。

    ヘルシンキ・ヴァンター空港の車寄せです!
    空港の屋根の先もイルミネートされています。屋根から氷柱が下がっている感じをイメージさせるためのものでしょうか。いい感じです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • クマの形のポール立てです!<br />エアポート・リムジン・バスの乗降者場の位置を示すポールをこのクマが支えていました。さすがデザインの国です。<br />

    クマの形のポール立てです!
    エアポート・リムジン・バスの乗降者場の位置を示すポールをこのクマが支えていました。さすがデザインの国です。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ・ヴァンター空港のコンコースです!<br />画像左手には免税店が広がっているのが見えています。<br />今回は何も買いませんでしたが、機会があれば、またのぞいてみたいです。<br />

    ヘルシンキ・ヴァンター空港のコンコースです!
    画像左手には免税店が広がっているのが見えています。
    今回は何も買いませんでしたが、機会があれば、またのぞいてみたいです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ空港の搭乗ロビーです1<br />天上付近には、模型の飛行機が飛んでいます。といっても、実際に飛行しているわけではなく、宙吊りになっているだけですが。ただ、このようなオーナメントがあると、ここは空港であったなあと思います。<br />フィンランドの通貨はユーロです。ユーロだと「使い切ってしまわないと!」と思って残ったお金を総てお土産につぎ込むという気にあまりならないなあと思いながら、お店をすこしひやかしました。何も買わないのは少し寂しいので、結局ムーミンのマグネットを三つほど購入しました。決め手の一つは、フィンランド国旗があしらってあったことです。これであれば、だれも「日本で買ったんじないの?」とは言わないであろうと思ったからです。いつかムーミン谷のテーマパークを訪れてみたいです。

    ヘルシンキ空港の搭乗ロビーです1
    天上付近には、模型の飛行機が飛んでいます。といっても、実際に飛行しているわけではなく、宙吊りになっているだけですが。ただ、このようなオーナメントがあると、ここは空港であったなあと思います。
    フィンランドの通貨はユーロです。ユーロだと「使い切ってしまわないと!」と思って残ったお金を総てお土産につぎ込むという気にあまりならないなあと思いながら、お店をすこしひやかしました。何も買わないのは少し寂しいので、結局ムーミンのマグネットを三つほど購入しました。決め手の一つは、フィンランド国旗があしらってあったことです。これであれば、だれも「日本で買ったんじないの?」とは言わないであろうと思ったからです。いつかムーミン谷のテーマパークを訪れてみたいです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その1です!<br />といっても、買ったのはムーミンのマグネットばかり3枚ほど。<br />かさばらず、フィンランド〜なものを求めてこれにしました。<br />手を取り合って滑っているムーミンパパとムーミンママを中心に、一緒に登場しているスニフ、ミー、ムーミンがそれぞれのキャラクターをいかんなく発揮しています。ミーは元気に回転していますし、スニフは氷の上にしりもちをついて目を回しています。ムーミンは楽しそうに静かに滑っています。<br />このマグネットを買おうと思った理由の一つは、フィンランドの国旗と「フィンランド」という国名が入っていたからでした。やはり私も、フィンランドまでやって来た証しが何か欲しかったのかなあと思います。

    ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その1です!
    といっても、買ったのはムーミンのマグネットばかり3枚ほど。
    かさばらず、フィンランド〜なものを求めてこれにしました。
    手を取り合って滑っているムーミンパパとムーミンママを中心に、一緒に登場しているスニフ、ミー、ムーミンがそれぞれのキャラクターをいかんなく発揮しています。ミーは元気に回転していますし、スニフは氷の上にしりもちをついて目を回しています。ムーミンは楽しそうに静かに滑っています。
    このマグネットを買おうと思った理由の一つは、フィンランドの国旗と「フィンランド」という国名が入っていたからでした。やはり私も、フィンランドまでやって来た証しが何か欲しかったのかなあと思います。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その2です!<br />ムーミンのマグネットです。このマグネットにもフィンランドの国旗と国名とがあしらわれています。<br />フローレンスがお菓子でムーミン・ハウスを造っているようです。フローレンスの横で嬉しそうにしているスニフが抱えている壷の中に入っているのはストロベリーのクリームでしょうか?ムーミンパパとムーミンママはやさしくフローレンスを見守っているようです。ミーはお菓子の臭いをかいで嬉しそうです。<br />このマグネットを買ったからではありませんが、日本に帰ってから、目に入った通販のムーミンハウスのドールハウスをつい買ってしまいました。反省です。<br />いつかトゥルク郊外のナーンタリにあるムーミン村に行ってみたいです。

    ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その2です!
    ムーミンのマグネットです。このマグネットにもフィンランドの国旗と国名とがあしらわれています。
    フローレンスがお菓子でムーミン・ハウスを造っているようです。フローレンスの横で嬉しそうにしているスニフが抱えている壷の中に入っているのはストロベリーのクリームでしょうか?ムーミンパパとムーミンママはやさしくフローレンスを見守っているようです。ミーはお菓子の臭いをかいで嬉しそうです。
    このマグネットを買ったからではありませんが、日本に帰ってから、目に入った通販のムーミンハウスのドールハウスをつい買ってしまいました。反省です。
    いつかトゥルク郊外のナーンタリにあるムーミン村に行ってみたいです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その3です!<br />フィンランド国旗の入ったマグネットばかりを買うのも能が無いと思い、フィンランド国旗の入っていないマグネットも買ってみました。<br />フィンランドというと、森と湖の国というイメージを持っていましたが、ヘルシンキを訪ねると、海の国という要素も多分にあったのだということがよく解りました。<br />船の上のムーミン・ファミリーは、少し不安と緊張の面持ちをしているように見えます。元気一杯のミーと、懐かしそうに海を見ているスナフキンとは対照的です。<br />フィンランドという国の航海、進むべき道が、穏やかで安定したものであれば良いなあと思います。<br />このムーミンですが、ムーミン・トロールという生き物のようです。トロールと言えば、ハリー・ポッター等で出てくる姿を見ると、太った巨体をしていて、知能は低く、凶暴で醜い要請を思い浮かべがちです。しかしこのムーミン・トロールは、とても愛くるしい姿、人間と同じような知能を持ち、人間的な豊かで暖かい感情を持った生き物として描かれています。<br />一神教であるキリスト教がやって来て支配する以前は、北欧の地にも様々な神々や精霊がおり、そこに住む民によって敬われ、信仰されていました。キリスト教が支配するようになって、かってあった神々や妖精は悪魔やそれに類する者の地位に貶められるということが多々起きました。福音主義教会ルター派が人々の心の多くを支配するフィンランドの地において、トロールの物語が愛すべき物語として語られていることはすごいことであると思います。<br />2007年に劇場公開された「ライラの冒険 〜黄金の羅針盤〜」は、見方によれば、カトリック教会を揶揄するものとして捉えることが可能であったからでしょうか、本来三部作であったはずのものが、カトリック教会の批判・妨害に遭い、結局2作目以降は制作・公開を断念するというかたちになっています。残念です。<br />キリスト教はイスラム教、ユダヤ教と同じく一神教です。一神教であるが故の排他性によって、キリスト教が排除してきたものは数多くあるように思います。今のところ、ムーミンの物語は排除されてはいないようですが、今後とも排除されないようにしていただきたいものです。

    ヘルシンキ・ヴァンター空港で買ったお土産その3です!
    フィンランド国旗の入ったマグネットばかりを買うのも能が無いと思い、フィンランド国旗の入っていないマグネットも買ってみました。
    フィンランドというと、森と湖の国というイメージを持っていましたが、ヘルシンキを訪ねると、海の国という要素も多分にあったのだということがよく解りました。
    船の上のムーミン・ファミリーは、少し不安と緊張の面持ちをしているように見えます。元気一杯のミーと、懐かしそうに海を見ているスナフキンとは対照的です。
    フィンランドという国の航海、進むべき道が、穏やかで安定したものであれば良いなあと思います。
    このムーミンですが、ムーミン・トロールという生き物のようです。トロールと言えば、ハリー・ポッター等で出てくる姿を見ると、太った巨体をしていて、知能は低く、凶暴で醜い要請を思い浮かべがちです。しかしこのムーミン・トロールは、とても愛くるしい姿、人間と同じような知能を持ち、人間的な豊かで暖かい感情を持った生き物として描かれています。
    一神教であるキリスト教がやって来て支配する以前は、北欧の地にも様々な神々や精霊がおり、そこに住む民によって敬われ、信仰されていました。キリスト教が支配するようになって、かってあった神々や妖精は悪魔やそれに類する者の地位に貶められるということが多々起きました。福音主義教会ルター派が人々の心の多くを支配するフィンランドの地において、トロールの物語が愛すべき物語として語られていることはすごいことであると思います。
    2007年に劇場公開された「ライラの冒険 〜黄金の羅針盤〜」は、見方によれば、カトリック教会を揶揄するものとして捉えることが可能であったからでしょうか、本来三部作であったはずのものが、カトリック教会の批判・妨害に遭い、結局2作目以降は制作・公開を断念するというかたちになっています。残念です。
    キリスト教はイスラム教、ユダヤ教と同じく一神教です。一神教であるが故の排他性によって、キリスト教が排除してきたものは数多くあるように思います。今のところ、ムーミンの物語は排除されてはいないようですが、今後とも排除されないようにしていただきたいものです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • フィンランド航空のシェンゲン協定国ゾーンのラウンジです!<br />搭乗ロビーより少し高い位置にこのラウンジはありました。<br />決して豪華なラウンジではありませんでしたが、少しオシャレで、くつろぎやすい雰囲気がこのラウンジには漂っていました。

    フィンランド航空のシェンゲン協定国ゾーンのラウンジです!
    搭乗ロビーより少し高い位置にこのラウンジはありました。
    決して豪華なラウンジではありませんでしたが、少しオシャレで、くつろぎやすい雰囲気がこのラウンジには漂っていました。

    フィンエアーラウンジ 空港ラウンジ

  • ヘルシンキ空港の出発ロビーの空を飛ぶ飛行機です!<br />ヘルシンキ空港のフィンランド航空ラウンジの窓から撮影しました。フィンランド航空ラウンジは、搭乗ロビーよりも1階分高い位置にありますので、飛んでいる模型の飛行機がよく見えます。

    ヘルシンキ空港の出発ロビーの空を飛ぶ飛行機です!
    ヘルシンキ空港のフィンランド航空ラウンジの窓から撮影しました。フィンランド航空ラウンジは、搭乗ロビーよりも1階分高い位置にありますので、飛んでいる模型の飛行機がよく見えます。

    フィンエアーラウンジ 空港ラウンジ

  • ヘルシンキ空港のフィンランド航空のラウンジのイスです!<br />オシャレです。<br />私もソフトドリンクとなにがしか食べるものを持ってきてここで少し時間を過ごしました。

    ヘルシンキ空港のフィンランド航空のラウンジのイスです!
    オシャレです。
    私もソフトドリンクとなにがしか食べるものを持ってきてここで少し時間を過ごしました。

    フィンエアーラウンジ 空港ラウンジ

  • 日本航空のB787-8型機です!<br />乗ることができて嬉しかったです。いい機材なのですが、窓のシャッターが手動式のハードなものではなく、電子ブラインド式を採用しているので、窓から撮影をしようとするとなかなかうまくいかないのがこの機材を利用した際に感じるデメリットです。本当にこの窓だけはなんとかして欲しいです。

    日本航空のB787-8型機です!
    乗ることができて嬉しかったです。いい機材なのですが、窓のシャッターが手動式のハードなものではなく、電子ブラインド式を採用しているので、窓から撮影をしようとするとなかなかうまくいかないのがこの機材を利用した際に感じるデメリットです。本当にこの窓だけはなんとかして欲しいです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • タラップの上から振り返って見たヘルシンキ空港です!<br />これでヘルシンキも見納めです。

    タラップの上から振り返って見たヘルシンキ空港です!
    これでヘルシンキも見納めです。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • 日本航空のB787-8型機のビジネスクラス・シートです!<br />日本航空のB787-8型機にはファーストクラスはありません。最近、この機材にも、JAL SKY SUITEのシート群が導入されたようです。最新の機内設備であれば、ビジネスクラスでもフルフラットな状態で眠れるようになるので、とても良いことだと思います。しかし可能であれば、B787-8型機にもファーストクラスの設定をしてもらえると嬉しいなあと思います。

    日本航空のB787-8型機のビジネスクラス・シートです!
    日本航空のB787-8型機にはファーストクラスはありません。最近、この機材にも、JAL SKY SUITEのシート群が導入されたようです。最新の機内設備であれば、ビジネスクラスでもフルフラットな状態で眠れるようになるので、とても良いことだと思います。しかし可能であれば、B787-8型機にもファーストクラスの設定をしてもらえると嬉しいなあと思います。

    ヘルシンキヴァンター国際空港 (HEL) 空港

  • オーロラ?<br />「もしオーロラが見えたらおしえていただけないでしょうか?」というお願いを聞き届けて、キャビン・アテンダントさんが、「機長によると、薄らとですがオーロラが見えているようです。」と教えてくれました。そこで機窓から撮影してみました。<br />赤いものが見えていますが、これがオーロラかもしれません。もし、これがオーロラであれば、一応オーロラも見れたということで、私の今回の旅の課題はクリアしたことになるのですが。<br />いつか良い形でオーロラを見てみたいと思います。

    オーロラ?
    「もしオーロラが見えたらおしえていただけないでしょうか?」というお願いを聞き届けて、キャビン・アテンダントさんが、「機長によると、薄らとですがオーロラが見えているようです。」と教えてくれました。そこで機窓から撮影してみました。
    赤いものが見えていますが、これがオーロラかもしれません。もし、これがオーロラであれば、一応オーロラも見れたということで、私の今回の旅の課題はクリアしたことになるのですが。
    いつか良い形でオーロラを見てみたいと思います。

  • 日本航空B787-8型機のビジネス・クラス・シート用のモニターです!<br />ちょうど、この時、公開前の「Dr.グルーのミニオン危機一発」を上映していたので、私も3回ほど繰り返して見てしまいました。確かに公開前の映画を機内で見ることができると少し得をした気分になります。

    日本航空B787-8型機のビジネス・クラス・シート用のモニターです!
    ちょうど、この時、公開前の「Dr.グルーのミニオン危機一発」を上映していたので、私も3回ほど繰り返して見てしまいました。確かに公開前の映画を機内で見ることができると少し得をした気分になります。

  • 日本航空の機内食のカレーです!<br />日本航空の国際線に乗ると、これを食べないと降機できあにような気がします。<br />帰りの飛行機の機内でもまたカレーを食べてしまいました。<br />カレーを食べて、もう一眠りすると日本でした。あっという間のフィンランド、ヘルシンキです。

    日本航空の機内食のカレーです!
    日本航空の国際線に乗ると、これを食べないと降機できあにような気がします。
    帰りの飛行機の機内でもまたカレーを食べてしまいました。
    カレーを食べて、もう一眠りすると日本でした。あっという間のフィンランド、ヘルシンキです。

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