ロカ岬旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて<br />ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを<br />船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。<br />高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。<br />乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。<br /> 観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、<br />平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。<br /> そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。<br /><br /> 昭和49年(74年)11月26日、北緯38度47分、西経9度30分、海抜150mの地の果てヨーロッパ最西端のポルトガル・ロカ岬にたどり着いた。<br />横浜を出港してシベリア鉄道を経由して127日目、3万2千キロの旅であった。<br /> その日の事は40年経った今も昨日の事のように鮮明に憶えている。<br />中世の頃、ヨーロッパの人たちは、ロカ岬を地の果てであると信じ、海は大滝となって地獄の奈落へ轟音をあげて流れ落ちると信じていたのである。<br />そしてその先は地獄の世界であるとして足を踏み込もうとする者は誰もいなかったのである。<br /> 今はここを訪れた記念に証明書を発行してくれるのである。<br />その時、私が初めての日本人だと云われたのである。<br />このサイトでも私より古い証明書を持つ人を探したが未だに現われないので、訪れた最初の日本人だと信じているのである。<br /> 地球一周の船旅で2006年5月15日、ロカ岬沖を通過したが、32年振りの岬は天候が悪く全く見えなかったのが実に心残りである。<br />

青年は荒野をめざす Vol.34 ポルトガル リスボン ロカ岬 地の果て証明書 日本人第1号は私です。

36いいね!

1974/11/25 - 1974/11/30

28位(同エリア220件中)

2

45

ノスタルジア

ノスタルジアさん

 今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
 観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
 そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。

昭和49年(74年)11月26日、北緯38度47分、西経9度30分、海抜150mの地の果てヨーロッパ最西端のポルトガル・ロカ岬にたどり着いた。
横浜を出港してシベリア鉄道を経由して127日目、3万2千キロの旅であった。
 その日の事は40年経った今も昨日の事のように鮮明に憶えている。
中世の頃、ヨーロッパの人たちは、ロカ岬を地の果てであると信じ、海は大滝となって地獄の奈落へ轟音をあげて流れ落ちると信じていたのである。
そしてその先は地獄の世界であるとして足を踏み込もうとする者は誰もいなかったのである。
 今はここを訪れた記念に証明書を発行してくれるのである。
その時、私が初めての日本人だと云われたのである。
このサイトでも私より古い証明書を持つ人を探したが未だに現われないので、訪れた最初の日本人だと信じているのである。
 地球一周の船旅で2006年5月15日、ロカ岬沖を通過したが、32年振りの岬は天候が悪く全く見えなかったのが実に心残りである。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス ヒッチハイク
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 旅行記の周辺地図<br />昭和49年11月25日<br />〜リスボン<br />11月26日<br />ロカ岬〜シントラ<br />11月27日<br />リスボン市内観光<br />11月28日<br />リスボン市内観光〜ロカ岬<br />11月29日<br />風邪の為ユースホステルで1日中寝てた。<br />11月30日<br />リスボン〜マドリード<br />

    旅行記の周辺地図
    昭和49年11月25日
    〜リスボン
    11月26日
    ロカ岬〜シントラ
    11月27日
    リスボン市内観光
    11月28日
    リスボン市内観光〜ロカ岬
    11月29日
    風邪の為ユースホステルで1日中寝てた。
    11月30日
    リスボン〜マドリード

  • 昭和49年11月24日<br />マドリード22時30分発リスボン行<br />列車予約券

    昭和49年11月24日
    マドリード22時30分発リスボン行
    列車予約券

  • 昭和49年11月25日<br />リスボン駅の銀行で30ドル(8,550円)を両替<br />1ESC=11.49円<br />

    昭和49年11月25日
    リスボン駅の銀行で30ドル(8,550円)を両替
    1ESC=11.49円

  • 昭和49年11月25日<br />レストラン コンチネンタルで食事<br />67.50ESC=776円

    昭和49年11月25日
    レストラン コンチネンタルで食事
    67.50ESC=776円

  • 昭和49年11月25日<br />レストラン コンチネンタルでコーヒー<br />5.00ESC=57円

    昭和49年11月25日
    レストラン コンチネンタルでコーヒー
    5.00ESC=57円

  • 昭和49年11月25日<br />レストラン コンチネンタルで食事<br />56.50ESC=649円

    昭和49年11月25日
    レストラン コンチネンタルで食事
    56.50ESC=649円

  • 昭和49年11月25日<br />ユースホステル前で<br /><br /> 夜行でリスボンにやって来た。今はオエラスにあるユースホステルにいる。<br />明日はいよいよ地の果てロカ岬、ヨーロッパ最西端である。<br />友人たちに絵葉書を送ろう。<br /> 今日1日は暖かった。日本の春並みである。久しぶりに汗をかいた。<br />今までの寒さが信じられないくらいである。<br /> リスボンの印象は、吊り橋は実に美しいが、街全体乾燥していて埃っぽい感じ。<br />でもここに来て良かったと思っている。(日記より)

    昭和49年11月25日
    ユースホステル前で

     夜行でリスボンにやって来た。今はオエラスにあるユースホステルにいる。
    明日はいよいよ地の果てロカ岬、ヨーロッパ最西端である。
    友人たちに絵葉書を送ろう。
     今日1日は暖かった。日本の春並みである。久しぶりに汗をかいた。
    今までの寒さが信じられないくらいである。
     リスボンの印象は、吊り橋は実に美しいが、街全体乾燥していて埃っぽい感じ。
    でもここに来て良かったと思っている。(日記より)

  • 昭和49年11月25日<br />ユースホステル前で近所の子供たちと

    昭和49年11月25日
    ユースホステル前で近所の子供たちと

  • 貧乏旅行必携の国際ユースホステルハンドバッグ 1974年版

    貧乏旅行必携の国際ユースホステルハンドバッグ 1974年版

  • 11月25日から5泊したリスボン郊外のユースホステル

    11月25日から5泊したリスボン郊外のユースホステル

  • 昭和49年11月26日<br />リスボンユースホステル ベッド8番<br />1泊2食付で20ESCで230円 <br /><br />ここのユースホステルは良かった。<br />海に面していて、朝陽、日の出、星空も美しく、<br />何といっても食事が豪華であった。<br />何しろ夕食にはワインのボトルが付いているのである。

    昭和49年11月26日
    リスボンユースホステル ベッド8番
    1泊2食付で20ESCで230円 

    ここのユースホステルは良かった。
    海に面していて、朝陽、日の出、星空も美しく、
    何といっても食事が豪華であった。
    何しろ夕食にはワインのボトルが付いているのである。

  •  昭和49年11月26日<br /> 夜明け前、ユースホステル前から当方を見ると<br />水平線あたりから黄金色、真紅、紫色、そして群青色に空と海が染まり<br />この世の風景とは思えない程の美しさで私を圧倒した。<br /><br />日記より

     昭和49年11月26日
     夜明け前、ユースホステル前から当方を見ると
    水平線あたりから黄金色、真紅、紫色、そして群青色に空と海が染まり
    この世の風景とは思えない程の美しさで私を圧倒した。

    日記より

  •  昭和49年11月26日<br /> 漁を終えた漁船がゆっくりと帰って来た。

     昭和49年11月26日
     漁を終えた漁船がゆっくりと帰って来た。

  •  昭和49年11月26日<br />ユースホステルからロカ岬までのバス切符<br /> 10.5ESCで121円

     昭和49年11月26日
    ユースホステルからロカ岬までのバス切符
     10.5ESCで121円

  • 昭和49年11月26日<br />ロカ岬からシントラまでのバス切符<br /> 10.5ESCで121円

    昭和49年11月26日
    ロカ岬からシントラまでのバス切符
     10.5ESCで121円

  • 昭和49年11月26日<br />エデンの園 シントラ<br /><br /> シントラ山系の麓、標高205mの小高い場所を占め、<br />美しい自然の懐に抱かれて景観を欲しいままにしている。<br /> この山系は火山系なので温泉にも恵まれている。<br /> イギリスの詩人バイロンは、ここシントラを「エデンの園」と<br />形容したほどで有数の自然美を誇っている。

    昭和49年11月26日
    エデンの園 シントラ

     シントラ山系の麓、標高205mの小高い場所を占め、
    美しい自然の懐に抱かれて景観を欲しいままにしている。
     この山系は火山系なので温泉にも恵まれている。
     イギリスの詩人バイロンは、ここシントラを「エデンの園」と
    形容したほどで有数の自然美を誇っている。

  • 昭和49年(1974年)11月26日<br />シントラ周辺の地図、案内所で入手

    昭和49年(1974年)11月26日
    シントラ周辺の地図、案内所で入手

  •  昭和49年(1974年)11月26日、<br /> 俺はついに地の果て、北緯38度47分、西経9度30分、海抜150mの地の果てヨーロッパ最西端のポルトガル・ロカ岬にやって来た。<br />横浜を出港してシベリア鉄道を経由して127日目、3万2千キロの旅であった。<br /> これからも旅も果てしなく続く。<br /><br />日記より<br />

     昭和49年(1974年)11月26日、
     俺はついに地の果て、北緯38度47分、西経9度30分、海抜150mの地の果てヨーロッパ最西端のポルトガル・ロカ岬にやって来た。
    横浜を出港してシベリア鉄道を経由して127日目、3万2千キロの旅であった。
     これからも旅も果てしなく続く。

    日記より

    ロカ岬 海岸・海

  •  今はここを訪れた記念に証明書を発行してくれるのである。<br />その時、私が初めての日本人だと云われたのである。<br />ネットで私より古い証明書を持つ人を探したが未だに現われないので、最初の日本人だと信じているのである。

     今はここを訪れた記念に証明書を発行してくれるのである。
    その時、私が初めての日本人だと云われたのである。
    ネットで私より古い証明書を持つ人を探したが未だに現われないので、最初の日本人だと信じているのである。

  •  地球一周の船旅で2006年5月15日、ロカ岬沖を通過したが、32年振りの岬は天候が悪く全く見えなかったのが実に心残りである。<br />

     地球一周の船旅で2006年5月15日、ロカ岬沖を通過したが、32年振りの岬は天候が悪く全く見えなかったのが実に心残りである。

  •  「中世の頃、ヨーロッパの人たちは、ロカ岬を地の果てであると信じ、<br />海は大滝となって地獄の奈落へ轟音をあげて流れ落ちると信じていたのである。<br /> そしてその先は地獄の世界であるとして足を踏み込もうとする者は誰もいなかったのである。<br />中世の探検家達はこの大西洋を渡って出発した。あの水平線の彼方に何があるのか、彼らは全く知らなかった。<br /> そこは世界の果てだ。無限の奈落が待ち受けているかも知れない。<br />それに挑んだ当時の連中は大した男たちだった。<br />男たちは常に終りなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、<br /> 或る日、突然背を向けて荒野をめざす。」<br /><br /> 五木寛之著「青年は荒野をめざす」より引用<br />

     「中世の頃、ヨーロッパの人たちは、ロカ岬を地の果てであると信じ、
    海は大滝となって地獄の奈落へ轟音をあげて流れ落ちると信じていたのである。
     そしてその先は地獄の世界であるとして足を踏み込もうとする者は誰もいなかったのである。
    中世の探検家達はこの大西洋を渡って出発した。あの水平線の彼方に何があるのか、彼らは全く知らなかった。
     そこは世界の果てだ。無限の奈落が待ち受けているかも知れない。
    それに挑んだ当時の連中は大した男たちだった。
    男たちは常に終りなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、
     或る日、突然背を向けて荒野をめざす。」

     五木寛之著「青年は荒野をめざす」より引用

  •  高さ150mの断崖絶壁の上から果てしなく続く大海原を越えて行く船を眺めていると、彼らの気持ちがよく分かる様な気がした。

     高さ150mの断崖絶壁の上から果てしなく続く大海原を越えて行く船を眺めていると、彼らの気持ちがよく分かる様な気がした。

  •  小説の主人公「ジュン」になりきっていたら後ろから突然、<br />声を掛けられた。<br />アメリカからやって来たと云い、そして「この海の向こうはアメリカ大陸だ。」と誇らしげに云うので<br />「その向こうは日本だ。」と負けずに叫ぶと「それは負けた。」と云いお互い笑い出した。<br /> リスボンに戻る最終便のバスが来たがどうしても海に沈む夕陽が見たくて乗らなかった。 <br /><br />画像は地の果て証明書

     小説の主人公「ジュン」になりきっていたら後ろから突然、
    声を掛けられた。
    アメリカからやって来たと云い、そして「この海の向こうはアメリカ大陸だ。」と誇らしげに云うので
    「その向こうは日本だ。」と負けずに叫ぶと「それは負けた。」と云いお互い笑い出した。
     リスボンに戻る最終便のバスが来たがどうしても海に沈む夕陽が見たくて乗らなかった。

    画像は地の果て証明書

  •  誰もいなくなりタクシーも無く、帰りが心配だったが、<br />こんな風光明美な所、恋人同士ならきっと夕陽を見に来るだろう、と<br />期待していたら案の定、来たのである。<br /> 3人で沈みゆく夕陽に感動した後、リスボンまで快く送って貰った。<br />2日後、見納めだと思ってまたロカ岬に行った。<br /><br /> 画像は地の果て証明書 裏面で43918が日本人最初の証明書です。<br />これより古い証明書をお持ちの方お知らせ願います。

     誰もいなくなりタクシーも無く、帰りが心配だったが、
    こんな風光明美な所、恋人同士ならきっと夕陽を見に来るだろう、と
    期待していたら案の定、来たのである。
     3人で沈みゆく夕陽に感動した後、リスボンまで快く送って貰った。
    2日後、見納めだと思ってまたロカ岬に行った。

     画像は地の果て証明書 裏面で43918が日本人最初の証明書です。
    これより古い証明書をお持ちの方お知らせ願います。

  •  地の果て証明書の申請書

     地の果て証明書の申請書

  •  地の果て証明書を発行する郵便局で<br />パスポートのビザ頁に記念スタンプを押して貰った。<br />帰国した時に税関で「この国は何処ですか?」と問われて<br />「ポルトガルのシントラ王国のロカ岬です。」<br />「観光地ですか?」<br />「そうです。日本の観光地によくある記念スタンプの類いです。」<br />「そんな物、こんな所に押さないでください。」と<br />きつく叱られた。いいスタンプ帳だったのに。

     地の果て証明書を発行する郵便局で
    パスポートのビザ頁に記念スタンプを押して貰った。
    帰国した時に税関で「この国は何処ですか?」と問われて
    「ポルトガルのシントラ王国のロカ岬です。」
    「観光地ですか?」
    「そうです。日本の観光地によくある記念スタンプの類いです。」
    「そんな物、こんな所に押さないでください。」と
    きつく叱られた。いいスタンプ帳だったのに。

  • 昭和49年11月27日<br />リスボン市内電車切符<br />コメルシオ広場からベレムの塔まで乗車。<br />2ESCで23円

    昭和49年11月27日
    リスボン市内電車切符
    コメルシオ広場からベレムの塔まで乗車。
    2ESCで23円

  • 昭和49年11月27日<br />ヨーロッパの姫君 リスボン<br /><br /> リスボンはテージョ川に連なる深い入り江の奥にあり、<br />前1200年頃から既にフェニキアの商船が出入りしていた。<br /> 中世にはずっとムーア人の根拠地であり、その頃からの<br />古い街は今なおサン・ジョルジュ城下の複雑な坂道を巡る<br />アルファマ地区に残っている。<br /> 1147年、アフォンソン王によってキリスト教徒の手に奪回され<br />1255年からポルトガルの首都となり、ポルトガルがインド航路と<br />東洋貿易を独占していた頃は、東洋の富を満載して帰って来る船と<br />それを買受けようとするヨーロッパの船でテージョ河岸は大変な<br />賑わいを呈しリスボンは「ヨーロッパの姫君」と歌われた。

    昭和49年11月27日
    ヨーロッパの姫君 リスボン

     リスボンはテージョ川に連なる深い入り江の奥にあり、
    前1200年頃から既にフェニキアの商船が出入りしていた。
     中世にはずっとムーア人の根拠地であり、その頃からの
    古い街は今なおサン・ジョルジュ城下の複雑な坂道を巡る
    アルファマ地区に残っている。
     1147年、アフォンソン王によってキリスト教徒の手に奪回され
    1255年からポルトガルの首都となり、ポルトガルがインド航路と
    東洋貿易を独占していた頃は、東洋の富を満載して帰って来る船と
    それを買受けようとするヨーロッパの船でテージョ河岸は大変な
    賑わいを呈しリスボンは「ヨーロッパの姫君」と歌われた。

  • 昭和49年11月27日<br />リスボン アルファマ地区<br /><br /> リスボン一の古さを誇っている地区で1755年の大地震の時も<br />この地の再建には手を付けられなかったというリスボンのカスバである。<br /> 狭い石畳の坂道は、人がやっとすれ違う事が出来る幅で、<br />この小道が複雑に入り組んでいるのである。

    昭和49年11月27日
    リスボン アルファマ地区

     リスボン一の古さを誇っている地区で1755年の大地震の時も
    この地の再建には手を付けられなかったというリスボンのカスバである。
     狭い石畳の坂道は、人がやっとすれ違う事が出来る幅で、
    この小道が複雑に入り組んでいるのである。

  • 昭和49年11月27日<br />リスボン アルファマ地区

    昭和49年11月27日
    リスボン アルファマ地区

  • 昭和49年11月27日<br />リスボン コメルシオ広場<br /><br /> 広場に一歩踏み入れるとぐっと視界が開けた。<br />三方を同じ高さの官公庁の長い建物で囲まれた<br />この広場は一方をきらきらに輝くテージョ河に<br />開き、ヨーロッパでも指折りの美しい広場として<br />有名である。

    昭和49年11月27日
    リスボン コメルシオ広場

     広場に一歩踏み入れるとぐっと視界が開けた。
    三方を同じ高さの官公庁の長い建物で囲まれた
    この広場は一方をきらきらに輝くテージョ河に
    開き、ヨーロッパでも指折りの美しい広場として
    有名である。

  • 昭和49年11月27日<br />テージョ河とサルザール橋<br /><br /> サルザール橋は1966年に開通した当時ヨーロッパ最長の<br />吊り橋で全長2.4km、橋脚間1013m、水面からの高さ70m。

    昭和49年11月27日
    テージョ河とサルザール橋

     サルザール橋は1966年に開通した当時ヨーロッパ最長の
    吊り橋で全長2.4km、橋脚間1013m、水面からの高さ70m。

  • 昭和49年11月27日<br />ジェロニモス修道院<br /><br /> リスボンの西はずれ、ベレムにあるテージョ河に面した公園<br />インペリオ公園に16世紀ポルトガルの栄光を<br />今に伝える白亜のゴシック風大建築ジェロニモス修道院が残されている。<br /> エンリケ航海王子によって創建された大寺院跡にエマヌエル1世が<br />巨万の富を使って建てたのである。<br /> 礎石が置かれたのは1502年で工事は16世紀末まで続けられ、<br />19世紀に入ってからも修復が行われた。<br /> クリスチャンの聖人像に混ざって熱帯食物、果物、海岸風景なども<br />彫刻され、ポルトガル独特の複雑華麗なマヌエル様式代表とされる。<br /> 二層の柱廊に囲まれた中庭を持つ僧院は特に美しい。

    昭和49年11月27日
    ジェロニモス修道院

     リスボンの西はずれ、ベレムにあるテージョ河に面した公園
    インペリオ公園に16世紀ポルトガルの栄光を
    今に伝える白亜のゴシック風大建築ジェロニモス修道院が残されている。
     エンリケ航海王子によって創建された大寺院跡にエマヌエル1世が
    巨万の富を使って建てたのである。
     礎石が置かれたのは1502年で工事は16世紀末まで続けられ、
    19世紀に入ってからも修復が行われた。
     クリスチャンの聖人像に混ざって熱帯食物、果物、海岸風景なども
    彫刻され、ポルトガル独特の複雑華麗なマヌエル様式代表とされる。
     二層の柱廊に囲まれた中庭を持つ僧院は特に美しい。

  • 昭和49年11月27日<br />エンリケ航海王子記念碑<br /><br /> この国にも再び黄金時代がやってくることがあるのだろうか。<br />かっての栄華の跡が街のあちこちに偲ばれるだけに、<br />過去の街という物哀しさが立ち込めているのが感じられたのである。

    昭和49年11月27日
    エンリケ航海王子記念碑

     この国にも再び黄金時代がやってくることがあるのだろうか。
    かっての栄華の跡が街のあちこちに偲ばれるだけに、
    過去の街という物哀しさが立ち込めているのが感じられたのである。

  • 昭和49年11月27日<br />エンリケ航海王子記念碑<br />赤○の中に小さく私が写っています。<br /><br />バスコ・ダ・ガマがインドに向けて船出したという歴史的なこの場所に<br />大きな帆船を象った石造りのエンリケ航海王子記念碑があり、<br />航海王子の死後500年を記念し、1960年に造られた。<br /><br /> 舳先に立つ王子が遠く南の彼方、アフリカを廻るインド航路の行く手を<br />指し示し、宝珠を持つマヌエル1世、王妃、要職者、バスコ・ダ・ガマなどの<br />航海者、士官や兵士達がそれに続いている。<br /><br /> 私も彼らに続かんとばかり、碑に登ってへばり付いた。<br /><br /> この時の写真は、上の写真右下の赤○の中にに小さく写っているアメリカ人老婦人に撮って貰ったが、その時、老婦人と近くにいた係員から「もっと先へ登れ!」<br />と云われたが足元が狭いのと高所恐怖症の為ここまでが精一杯だった。<br /> 今は本当に良き思い出となっている。

    昭和49年11月27日
    エンリケ航海王子記念碑
    赤○の中に小さく私が写っています。

    バスコ・ダ・ガマがインドに向けて船出したという歴史的なこの場所に
    大きな帆船を象った石造りのエンリケ航海王子記念碑があり、
    航海王子の死後500年を記念し、1960年に造られた。

     舳先に立つ王子が遠く南の彼方、アフリカを廻るインド航路の行く手を
    指し示し、宝珠を持つマヌエル1世、王妃、要職者、バスコ・ダ・ガマなどの
    航海者、士官や兵士達がそれに続いている。

     私も彼らに続かんとばかり、碑に登ってへばり付いた。

     この時の写真は、上の写真右下の赤○の中にに小さく写っているアメリカ人老婦人に撮って貰ったが、その時、老婦人と近くにいた係員から「もっと先へ登れ!」
    と云われたが足元が狭いのと高所恐怖症の為ここまでが精一杯だった。
     今は本当に良き思い出となっている。

  • 昭和49年11月27日<br />エンリケ航海王子記念碑とサルザール橋。

    昭和49年11月27日
    エンリケ航海王子記念碑とサルザール橋。

  • 昭和49年11月27日<br />エンリケ航海王子記念碑

    昭和49年11月27日
    エンリケ航海王子記念碑

  • 昭和49年11月27日<br />エンリケ航海王子記念碑の傍で

    昭和49年11月27日
    エンリケ航海王子記念碑の傍で

  • 昭和49年11月27日<br />ベルムの塔 入場券 2.50ESCで29円<br /><br /> ベルムの塔は16世紀初に河中に築かれた砲台で、<br />今は河岸に土砂が堆積してほとんど陸地と繋がっている。<br /> 当時、テージョ河岸には砲台が幾つも並んでいて、<br />中でもベルムの塔は司令塔とも云うべく、5層造りの王の<br />座所があった。<br /> その後、他の砲台は壊れるに任されたが、このベルムの塔は、<br />砲台とは云えない程ゴシック様式やムーア人の建築様式をも取り入れ、<br />一層独特の厳しい美しさを持つ建造物であるため、今に至るまでリスボンの<br />象徴のように保存されている。

    昭和49年11月27日
    ベルムの塔 入場券 2.50ESCで29円

     ベルムの塔は16世紀初に河中に築かれた砲台で、
    今は河岸に土砂が堆積してほとんど陸地と繋がっている。
     当時、テージョ河岸には砲台が幾つも並んでいて、
    中でもベルムの塔は司令塔とも云うべく、5層造りの王の
    座所があった。
     その後、他の砲台は壊れるに任されたが、このベルムの塔は、
    砲台とは云えない程ゴシック様式やムーア人の建築様式をも取り入れ、
    一層独特の厳しい美しさを持つ建造物であるため、今に至るまでリスボンの
    象徴のように保存されている。

  •  昭和49年11月28日<br />ユースホステルからロカ岬までのバス切符<br /> 10.5ESCで121円<br /><br />見納めだと思ってまたロカ岬へ行った。

     昭和49年11月28日
    ユースホステルからロカ岬までのバス切符
     10.5ESCで121円

    見納めだと思ってまたロカ岬へ行った。

  •  昭和49年11月28日<br />リゾート地 カスカイス<br /><br /> カスカイスは1930年代までは小漁村であったが、<br />その後、王室関係者、芸術家、作家の気候温暖なリゾート地として<br />世界的に知られるようになった。

     昭和49年11月28日
    リゾート地 カスカイス

     カスカイスは1930年代までは小漁村であったが、
    その後、王室関係者、芸術家、作家の気候温暖なリゾート地として
    世界的に知られるようになった。

  • 昭和49年11月28日<br />リスボンユースホステル ベッド8番<br />1泊2食付で20ESCで230円 <br /><br />嬉しい事に今日も快晴。午前中はエストリアルの海沿いを散歩。<br />非常に暖かった。それなのにどうも風邪を引いたようだ。<br /> 今、ユースの窓から見えるサルザール橋にかかる満月が美しい。<br />明日はナザレに行く。<br /><br />日記より

    昭和49年11月28日
    リスボンユースホステル ベッド8番
    1泊2食付で20ESCで230円 

    嬉しい事に今日も快晴。午前中はエストリアルの海沿いを散歩。
    非常に暖かった。それなのにどうも風邪を引いたようだ。
     今、ユースの窓から見えるサルザール橋にかかる満月が美しい。
    明日はナザレに行く。

    日記より

  • 昭和49年11月29日<br />リスボンユースホステル ベッド8番<br />1泊2食付で20ESCで230円<br /><br /> 朝、目覚めると体調がおかしい。頭、体、手足がバラバラ、<br />特に頭が宙に浮いている様な感じで、熱もありそう。<br />昨晩、よく寝れたと云う事は睡眠不足からの風邪?<br />それとも昨日のロカ岬での冷たい海風のせい、<br />旅してから3回目の風邪だがこんなに重いのは初めて。<br />ナザレ行きを中止して良かった。行っていたら大変な事になっていただろう。<br /><br />日記より<br /><br />昭和49年11月30日<br /><br />やはり体調が回復しないのでマドリードのホステル アマデオに戻る事にした。<br />ここは多くの日本人の常宿で知り合った日本人も多いから<br />安心出来るだろうと思った。<br /><br />マドリード行き8時30分発に乗るのに6時に起きた。<br />ところがドアが開かない、何と外側から施錠されているのである。<br />ドアを強く叩くが重厚で管理人のおじいちゃんには音が届かないみたい、<br />焦りだして、気力、体力を振り絞って大声とドアを叩いたら、<br />やっと開けてくれた。<br />そこには実に不機嫌そうなおじいちゃんが立っていて文句を言っていた。<br />身振り、手振りで事情を説明してユースを後にした。<br />外は灯りは無く真っ暗で、西に傾いた月明かりだけが頼りだった。<br />寒さで身体が痛く大変であった。<br />しばらく歩くと広い通りに出て、駅に向かっているとタクシーが来たので<br />一息ついた。<br />列車内では車窓からの風景も見ることなくひたすら眠った。<br />自分でも不思議なくらい眠れた。やはり疲労から来たのだろう。<br />19時頃、ペンションに着いた時はほっとした。<br /><br />日記より

    昭和49年11月29日
    リスボンユースホステル ベッド8番
    1泊2食付で20ESCで230円

     朝、目覚めると体調がおかしい。頭、体、手足がバラバラ、
    特に頭が宙に浮いている様な感じで、熱もありそう。
    昨晩、よく寝れたと云う事は睡眠不足からの風邪?
    それとも昨日のロカ岬での冷たい海風のせい、
    旅してから3回目の風邪だがこんなに重いのは初めて。
    ナザレ行きを中止して良かった。行っていたら大変な事になっていただろう。

    日記より

    昭和49年11月30日

    やはり体調が回復しないのでマドリードのホステル アマデオに戻る事にした。
    ここは多くの日本人の常宿で知り合った日本人も多いから
    安心出来るだろうと思った。

    マドリード行き8時30分発に乗るのに6時に起きた。
    ところがドアが開かない、何と外側から施錠されているのである。
    ドアを強く叩くが重厚で管理人のおじいちゃんには音が届かないみたい、
    焦りだして、気力、体力を振り絞って大声とドアを叩いたら、
    やっと開けてくれた。
    そこには実に不機嫌そうなおじいちゃんが立っていて文句を言っていた。
    身振り、手振りで事情を説明してユースを後にした。
    外は灯りは無く真っ暗で、西に傾いた月明かりだけが頼りだった。
    寒さで身体が痛く大変であった。
    しばらく歩くと広い通りに出て、駅に向かっているとタクシーが来たので
    一息ついた。
    列車内では車窓からの風景も見ることなくひたすら眠った。
    自分でも不思議なくらい眠れた。やはり疲労から来たのだろう。
    19時頃、ペンションに着いた時はほっとした。

    日記より

  • リスボンで知り合った二人連れスイス人からの便りが<br />昭和50年(1975年)3月に届いた。

    リスボンで知り合った二人連れスイス人からの便りが
    昭和50年(1975年)3月に届いた。

  •  リスボンで知り合った二人連れスイス人からの便りの切手 <br />消印1975年3月17日

     リスボンで知り合った二人連れスイス人からの便りの切手 
    消印1975年3月17日

この旅行記のタグ

36いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • メビウスさん 2016/06/21 12:34:37
    日本人第1号とは!!凄いです!!
    ノスタルジアさん、こんにちは。
    【青年は荒野をめざす】シリーズ、ようやく私も訪れた事のある地の章になり楽しく拝読しています!

    2014年11月、私もユーラシア最西端に立ち、証明書を貰ってきました。
    日本人第1号の大先輩にお会いできるとは・・・感激です!笑

    ロカ岬の崖っぷちに立った時、遠くまで来たなーとか世界は広いなーとか、あまりにも当たり前で単純なキーワードしか浮かんでこないほど、地そのものに圧倒されたような、現実を受け入れられないような、そんな気持ちになりましたね。

    発見のモニュメントも既に健在していたのですねー。
    しかも、よじ登って良かったとは・・・
    でもひょっとしたら、今だったら怒られてしまうかもですね笑

    私は「青年は荒野をめざす」を読んだ事がないのですが・・・
    「リスボンへの夜行列車」を読了してポルトガルに挑んだので、主人公のグレゴリウスになりきって、登場人物アマデウの軌跡を辿るような、そんな想いでした。

    引き続き読ませて頂きます!

    メビウス

    ノスタルジア

    ノスタルジアさん からの返信 2016/06/21 16:19:05
    RE: 日本人第1号とは!!凄いです!!
    多くのいいねの投票有難うございます。
    日本人第一号証明書、これだけが私の自慢です。
    エンリケ航海王子の記念碑、今だったらとんでもない事です。あの時は若気の至りでした。あの写真気に入ってます。
    > ノスタルジアさん、こんにちは。
    > 【青年は荒野をめざす】シリーズ、ようやく私も訪れた事のある地の章になり楽しく拝読しています!
    >
    > 2014年11月、私もユーラシア最西端に立ち、証明書を貰ってきました。
    > 日本人第1号の大先輩にお会いできるとは・・・感激です!笑
    >
    > ロカ岬の崖っぷちに立った時、遠くまで来たなーとか世界は広いなーとか、あまりにも当たり前で単純なキーワードしか浮かんでこないほど、地そのものに圧倒されたような、現実を受け入れられないような、そんな気持ちになりましたね。
    >
    > 発見のモニュメントも既に健在していたのですねー。
    > しかも、よじ登って良かったとは・・・
    > でもひょっとしたら、今だったら怒られてしまうかもですね笑
    >
    > 私は「青年は荒野をめざす」を読んだ事がないのですが・・・
    > 「リスボンへの夜行列車」を読了してポルトガルに挑んだので、主人公のグレゴリウスになりきって、登場人物アマデウの軌跡を辿るような、そんな想いでした。
    >
    > 引き続き読ませて頂きます!
    >
    > メビウス
    >
    >

ノスタルジアさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ポルトガルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ポルトガル最安 487円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ポルトガルの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP