2014/11/11 - 2014/11/27
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eimeiさん
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サハラ以南のブラックアフリカの紹介は、自然公園のキリン・ゾウ・ライオンなどは美しく、そこに住んでいる人間は汚く貧しく不幸な人々として、テレビや新聞や雑誌で紹介されている。本当にそうだろうか?それは、先進国が作り上げたイメージではないか?
また、経済的には、地球上で資本主義の「最後のフロンティア」と言われているが、本当だろうか?
そのことをこの目で確かめたい。
その考えのベースになった写真と本4冊紹介してから、ケニア・タンザニアからブログを始める。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 自転車 徒歩 飛行機
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ネットから拝借した「チャイルドスポンサー」募集広告。
何年か前までは、東南アジアの子供も使われていたが、アジアが豊かになったので、最近は、黒人の子供しか使われていない。昔から先進国では、黒人=貧困・飢餓=援助ということが刷り込まれてきたが、本当だろうか? -
「クライシスキャラバン」(リンダ ポルマン 著)
泣き叫ぶ赤ちゃん 痩せこけた子供たち 10万人ぽっちが飢餓で死んだ程度では お金(募金)は集まらない もっとメディアが注目するような絵を… 生きたまま手足切断したり 赤ちゃんを燃え盛る火にくべるなど さらに悲惨な絵を自ら作り出す。
オランダ人女性ジャーナリストが、援助ビジネスの暗部を取材したルポ。 -
「インパラの朝」(中村安希 著)
アフリカで予想していた「貧困」が見つからなかった。想像していたほど、アフリカの人々は不幸な顔をしていなかった。
青年海外協力隊の1人の感想、「僕たちはできるだけ波風を立てずに静かに過ごして、どうにか2年の任期を終えて、さっさと国へ帰ることを上から求められている。前任者との引き継ぎもない。延長もない。地域にしっかり足を下ろして何かにじっくり取り組むことなど、そもそも求められていない。なぜなら一番大切なのは、派遣された隊員数と援助する予算額を国連で競うことだから。要するに僕たちは、安全保障理事会の常任理事国になるためのポイント稼ぎをやっているんです。」 -
「我が志アフリカにあり」 (島岡由美子 著)
タンザニアのザンジバルで25年。援助ではなく、真のアフリカ独立・自立をめざして、漁業、運送業、製品輸出、文化振興、そして柔道普及を着実に実践する日本人夫婦の思想と活動を描くノンフィクション。続編も発刊されている。 -
「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫 著)
資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。世界史上、極めて稀な長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても、利潤の出ない資本主義の「死」だ。他の先進国でも日本化は進み、近代を支えてきた資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしている。目を世界に転じても、資本を投資して利益の上がる地域自体が、地球上にほとんど残されていない。このままでは、金融市場という仮想市場だけが肥大化し、一部の資産家だけが、ますます金持ちになって、バブルを繰り返すだけ。
日本がどの国より早く資本主義を卒業して、次の社会システムへ移行しなければいけないと著者は説く。 -
≪東アフリカ予定ルート≫
ルクソールからナイロビまで飛行機で飛んでしまうので、ナイロビからケープタウンまでのコースを、以下のように決めた。治安もよさそうだし、ビザも簡単に取れ、宿も何とかなりそうだ。
ナイロビ(ケニア)→モンパサ(ケニア)→モシ(タンザニア) →ダルエスサラーム(タンザニア) →ザンジバル(タンザニア) →ダルエスサラーム(タンザニア)→《タンザン鉄道 2泊3日》→カピリムポシ(ザンビア) →ルサカ(ザンビア) →ビクトリアの滝の町《リビングストン(ザンビア)・ビクトリアフォールズ(ジンバブエ)・カサネ(ボツワナ)》 →マウン(ボツワナ)→ウィントフック(ナミビア) →スワコップムント(ナミビア) →ウィントフック(ナミビア) →アピントン(南アフリカ) →ケープタウン(南アフリカ)
※ケープタウンに着き、帰国便の12月25日まで時間に余裕があれば、南アの小旅行を予定。
【赤線がバス・列車、青点線が飛行機】 -
【ケニア・タンザニアのブログ開始】
ケニアは周辺のタンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジの5カ国と「東アフリカ共同体(EAC)」を結成、将来的な経済統合を目指し、域内協力を進めている。5カ国の人口は1億4862万人で、その中心がナイロビになっていくだろう。
ナイロビは、ラゴス・ヨハネスブルグとともに「治安の悪いアフリカ三大都市」と言われている。「地球の歩き方」にも、題名に反して「ナイロビは歩かないで!」と書いてあるが、街の中心街が昼間でも危ないの?
宿はナイロビの有名な「ジャングルジャンクション」にして、アフリカ縦断ライダーに会い、情報を集めたい。ケニアでは、サファリなどの観光をする予定はなく、黒人社会を体験し、慣れたい。
タンザニアでは、キリマンジャロ山、ティンガティンガ(絵画)、ザンジバル、タンザン鉄道と忙しい。 -
11月11日、ナイル川西川岸のホテルから東川岸へ渡り、タクシーでルクソール空港へいった。一応、国際空港になっているが、カタール航空のドバイ行1本しかないし、国内便もカイロ行3本の合計4本しかない。
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従って、空港内はこんな状態。それと、乗客は湾岸地域へのエジプトからの出稼ぎ者でほぼ満席。明らかな観光客は、私を含め2名。まるで「出稼ぎ便」。そのため空港内の免税店で1カートン7$のエジプト製タバコだけが飛ぶように売れていた。
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夕方、カタール空港に着いたが、4時間半も待ち時間があるので、空港を散策してみた。
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さすが産油国だけあり、先進国の空港以上の設備で、無料の仮眠室まである。
ただ、清掃などの下働きをしているのは、すべて外国人。
ドルがそのまま使えない上、ハンバーガーセットで1000円近くするので、携帯電熱器でコーヒーをつくり、エジプトから持ってきたパンをかじって暇を潰した。
ドーハ→ナイロビ便は、3割ほどしか乗客がおらず、かわいそうなぐらいガラガラ。おかげで、ゆったり移動できた。 -
11月12日深夜、ナイロビ空港へ着き、入国カードとビザ申請書を書き、50$払い、ビザシールをパスポートに貼ってもらい、入国完了。滞在を3週間としたため、一ヵ月ビザ。滞在を長くすれば、同料金で3ヵ月ビザまでとれるはず。朝まで空港で仮眠をとり、タクシーで目的の宿「ジャングル・ジャンクション」へ向かった。
しかし、いくらチャイムを押しても返事がない。近くの人に聞いたら、「もう営業していない」と言われた。
東アフリカを縦断する二輪・四輪のライダーが、必ず立ち寄る場所として有名だったが、二輪・四輪でエジプトへ渡る方法がなくなったので、「ジャングル・ジャンクション」にお客が来なくなったのではないか。 -
仕方ないので、Booking.comで調べておいた第二候補の宿「MANYATTA BACKPACKERS」へタクシーで行った。
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塀の中はこんな感じで、施設は古く、ドミトリー上、朝食なしで1泊15$もする。ただ、清掃はきちんとしてあるので、不潔感はない。さしあたって3泊する。施設・サービスに天と地ぐらいの差があるのに、ルクソールのアルハンブラホテルと同程度の料金。
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午前中、仮眠をとり、午後、「地球の歩き方」には、「危険だから1人で歩かないで!」と書かれているナイロビ中心街へ1人で歩いて向かった。ただ、貴重品は、宿のセーフティボックスに預け、貴重品を少なくして歩いた。
なかなか綺麗な街ではないか。 -
実際、中心街を1人で歩いてみても、危険な感じはしなかった。ファッショナブルな女性も一人で歩いている。360度見渡しても黒人の人ばかりだが、肌の色が違うだけで普通の人々。当然と言えば当然か。
ネクタイをしたビジネスマンも多く見かける。
エジプトに比べ、女性は生き生きしているように感じる。
言葉は、スワヒリ語も話されているようだが、他にも部族語が多くあるので、普通に英語が話されている。 -
ナイロビのシンボル的な建物のケニヤッタ・インターナショナル・コンファレンスセンター。
しかし、観光客をほとんど見かけないなか、中国人だけは、住人らしき人と観光客を見かけた。アフリカに中国人が百万人いると言われているので、当然か。
遅い昼食を取ろうと、マック・ケンタを探したが、見つけれなかった(進出していない?)ので、サブウェーでサンドイッチを食べた。店員は女性が多く、値段は日本と同じぐらい。 -
次に、アメリカ大使館跡へ行ったが、今は小さな公園になっており、中央に多くの名前の書いた碑がある。少額の入場料が必要。
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碑の中央をアップしてみた。
1998年8月7日に起こったアメリカ大使館爆発テロ事件で多くの人が亡くなった。その人々の名前が碑に刻んである。
その後、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件へとつながっていく。 -
銀行内のATMで現金をおろし、スーパーで買い物をし、帰りに、「地球の歩き方」には、「絶対1人で歩いてはいけない」と書かれている「セントラルパーク」を歩いてみたが、何も危険な雰囲気はなかった。
物乞い、ごみ箱漁りの人をたまに見かけるが、東欧と同じぐらいの頻度。 -
ガソリンは110シリング(140円ほど)する。ケニアの一般人からすると非常に高い。
車は右ハンドル、左側通行で日本と同じで、7割〜8割ほどが日本車。従って、日本国内仕様の車がそのまま走っており、車名も日本と同じ。日本から輸入した中古車と新車の両方が走っているが、区別できない。
公共交通機関が、ボロいバスしかないので、朝夕は自動車とバイクとバスですごいラッシュ。早く、地下鉄をつくる必要がある。 -
バイクはエジプト同様、中国製が中心だが、皆ヘルメットをかぶっている。交通ルールもよく守り、整然としている。
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宿近くの排水溝を利用した絵。
ケニヤは、今、雨季なので、夜から雨が断続的に降ってきた。これからは天気予報を見ながらの移動になりそう。
ナイロビは、海抜1600mの高地にあるので、昼間は30°を超えることはなく、朝方は寒いぐらい。 -
11月13日、ナイロビからモンバサ(インド洋沿いのケニア第2の町)へ移動する予定で、鉄道駅へ寝台列車の切符を買いに行った。窓口で、「明日、金曜日の列車は満員で、来週の月曜日の列車なら予約できます」と言われた。日本では考えられないが、月・水・金曜日の3本しか列車がない。次にバスを見に行った。
鉄道駅を出て、駅の写真を撮ったら、警備している警察官に呼ばれ、写真を消されたので、遠く離れてから望遠で撮り直した。 -
地元の人に聞きながら、モンバサへのバスを見に行ったら、ボロいバスで、これで10時間は無理。モンバサは諦め、宿にもう1泊して、土曜日に国境を越え、タンザニアのアルージャへ移動することに予定変更。
バス乗り場は、路上で、看板もなく、地元の人しかわからない。バスの排気ガスで喉が痛い。秩序立っているのは、ナイロビの中心街のみ? -
帰りに、薬局に寄り、ハマダラ蚊(通称、ハマちゃん)に刺され、マラリアにかかってからの薬をゲット。12錠入りで、3000円もした。多分、気を付けていれば、薬を使わないので、一種の保険料だね。ちなみに、ナイロビは涼しいので、ハマちゃんはほとんどいません。
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11月15日朝方、ナイロビは土砂降りの雨。天気予報が当てにならない。雨が止むのを待って、10時過ぎに、タクシーで小型バス乗り場まで行って、ナマンガ(国境の町)行きに乗った。途中でパンク。
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タイヤ交換をしている間に、サバンナの写真を撮った。
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アリ塚もいくつもあったので、近くのアリ塚を見にいった。
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同じ車に乗っていたアルーシャへ行くタンザニアの若者の後について、ケニアを出国し、国境を越え、タンザニアに入国した。ただ、私はビザ代金50$を払い、イエローカードの提示を求められた。タンザニア側のミニバスに乗場からイミグレーションを望遠で撮った。山羊が歩いており、のんびりしている。
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本当は、この道をバイクで走りたかったのに!
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午後4時頃、アルーシャのバスターミナルに着き、若者にお礼を言って別れた。ガイドブックに載っているホテルペリカンの客引きに連れられ、ホテルペリカンへ。個室、朝食付きで25$。ちょっと高いけど問題ないホテルなので、決定。
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荷物を置いて、両替・買物がてらアルーシャの街を散策。「ジャンボ」と挨拶してくれる。
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登山の季節外れで、観光客もいないし、何も見るべきものがない普通の町。ただ、標高は1300mほどあり涼しい。
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街中で、衣類の叩き売りをしていた。安いのか、どんどん競り落とされていた。
明日、キリマンジャロの麓の町モシに移動する予定。雨季なので、キリマンジャロが奇麗に見れないだろう。登山するつもりは全くない。 -
11月16日、早朝からアザーン(モスクからのお祈り時間の知らせ)の声で起こされ、それ以後、眠れず。
やることもないので、アルーシャの街の散策へ出かけ、モスクの写真を撮ってきた。また、日曜日のせいかもしれないが、お茶を飲みながら、ボーとしている男、お喋りしている男ばかりが、目につく。大した産業もなく、男の失業者が相当多い感じがする。そのような男たちをイスラム教に入信させ、アフリカ、アジアは言うに及ばず、先進国にもイスラム教が広がってきている。世界の二極化が、イスラム教の布教には、またとないチャンスになっているように思われる。その中の過激な集団が、「我々が悲惨なのは、欧米のせいだ!」と過激な行動に出て、結束を高めようとする。まるで、日本の戦時中、「鬼畜米英!」と唱え、国民を結束させようとしたように。 -
9時過ぎにホテルをチェックアウトし、バスターミナルから大型バスに乗り、昼頃、キリマンジャロの麓の町モシのバスターミナルに着いた。黒人に囲まれて、旅するのも慣れてきた。キリマンジャロは完全に雲に隠れ、どこにあるのかもわからない。
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宿は予定通り、YMCAに滞在。1泊15$、個室(共用バス・トイレ)で朝食付き。部屋に聖書付き。
ただし、WiFiは、有料で、1日7$と高い。 -
施設は大きいが、シーズンオフで、宿泊客は少なく、ガラガラ。プールがあり、宿泊客は無料。
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早速、荷物を置いて、散策。YMCAの近くの大きな教会。どうも寄宿舎付きの学校を併設を併設しているようで、子供が制服で遊んでいた。
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バスターミナル近くのモスク。今後の経済状態によっては、イスラム教が主流になるかもしれない。
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ロータリーの中にあるクロックタワー。その近くで記念撮影をしているようだ。
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一緒に写真を撮らせてもらった。なかなか様になっているではないか。
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座っているポーズ。
先進国にいる黒人より目が優しく、怖い感じは全くしない。先進国で差別され、ギリギリの生活をしていると眼付、人相まで怖くなるのかもしれない。 -
ガソリンは日本円で150円ほどするので、庶民では車に乗れない。しかし、先進国に比べ、物質的には恵まれていないが、決して貧しくない。
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モシの街の中心から少し離れたところに、大ショッピングセンターを建設中。果たして、テナントが入るか、入っても維持できるか、未知数。
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宿への帰りに、スーパーNAKUMATTに寄り、お買物。街中ではあまり見かけなかった観光客が、何人も買物をしていた。
明日、早起きして、キリマンジャロを見たいが、見えるかな? -
11月17日、朝早く起きて、キリマンジャロ方面を見たが、裾野しか見えなく、ガックリ。
YMCAは、インターネットが1日7$もするので、ネットカフェへ出かけた。1時間1$しかかからない。お腹が空いたので、レストランでチャーハンを2$で食べた。
そのレストランの近くに「ティンガティンガ」の絵のショップも何軒かあった。本場は、首都ダルエスサラーム郊外。 -
スーパーで買物をし、ATMでタンザニアシリング(TZS)をおろし、YMCAへ帰った。途中で、街からキリマンジャロの方向を見ても、麓しか見えない。
長距離移動に備え、YMCAにもう1泊宿泊することにした。 -
まだ日が高いので、水着に着替え、プールへ行った。タンザニアの若者2人がおり、私が泳ぎ終わったら、2人が「泳ぎを教えてほしい」と言いにきた。仕方ないので、クロールのバタ足から教えた。1時間近くもコーチしてフラフラ。まだ泳げるレベルまでいかなかったが、クロールと平泳ぎのコツだけは理解したようだ。海は遠いし、学校にプールがないので、泳げる人が町にいない。当然、水泳を教えることができる人もいない。
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夕方、宿からキリマンジャロの山頂だけが雲の間から見えた。
明日は、キリマンジャロの全体がみえるかな?
19日(水)にチェックアウトし、バスで首都ダルエスサラームへ向かう予定。 -
11月18日、宿の隣が学校なので、休み時間に、男の子はサッカー、女の子はドッジボールのようなことをして遊んでいた。運動したくない子は、男女別に固まっておしゃべり。どこの国にもある普通の学校の風景。
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昼過ぎ、ネットをするために街に出かけた。いつもと別の道を歩いていたら、ヒンズー寺院があり、その横をこぎれいな格好をしたインドの子供たちが、学校から帰宅していた。この近くにインド人が固まって住んでいるようだ。
「インパラの朝」(中村安希 著)の一節「そもそも金を儲けているのは、インド人か中国人さ。彼らはこっちの社会に溶け込むつもりなんか全然ないね。境界線をピシーッと引いて、高級住宅街に住んで、貿易や鉱物ビジネスを自分たちだけで牛耳るのさ。彼らの資産やビジネスは一族の中で継承され、黒人社会の俺たちは、永遠に蚊帳の外にいるんだ。植民地からやっと独立して、白人が去ったと思ったら、今度はインド人や中国人だ。」を思い出した。
その近くの大通りでは、タンザニア人が、安易に始められるバイクタクシーや露店をし、僅かばかりの日銭を稼いでいる。 -
やっとカラフルなトカゲ゛の写真が撮れた。何回も見かけたが、いつも逃げられてばかりだった。大きさは、20cmほどあり、すばしっこい。どういう訳か、猫や犬はほとんど見かけない。
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遅い昼食をとり、宿へ帰ると、白人のねえちゃん2人がプールで日光浴をしているではないか。当然、遠くから望遠で、プールスナップをパチリ。
そういえば、今年の夏、愛知県の高校教員が、ビーチスナップを遠隔操作で盗撮して、軽犯罪で捕まったらしい。下手な小細工せずに、堂々と超望遠で撮ればよいのに。
キリマンジャロの全貌を見れなかったが、明日、早朝のバスで、首都ダルエスサラームへ向かう予定。 -
11月19日、朝5時に起き、モシのバスターミナルへ歩いて行き、良さそうなダルエスサラーム行きのバスに乗った。多分、中国製だが、まだ新しい。ただ運賃が20$弱もした。
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1時間ほど走ると、ジュート(麻の原料)畑が続く。一般道を時速100Kmで飛ばす。乗客は全員シートベルト着用。
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パオパブの木もたくさんあるが、マダガスカルのように立派でないし、密集していない。
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村がパラパラとあり、このような住居が多い。高度が下がるに従って、ヤシの木が多くなる。
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まるで東南アジアのような風景。
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バスが停車すると、物売りがバスへ向けて突進してくる。村には、男の仕事が少ない証拠。
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早朝から9時間半もかかり、ダルエスサラームのバスターミナルに着いたが、中心街まで数キロあるので、タクシーでYWCAへ行き、チェックイン。個室(バストイレ共用)、朝食付で、1泊10$弱。クーラーもなく、名古屋の真夏並み。
滞在中に、タンザン鉄道(タンザニア→ザンビア)の切符を買うこと、ティンガティンガ村へ行くことを予定しているが、明日から。今日は疲れて、ダウン。 -
11月20日、今日は、タンザン鉄道のチケットを買うために、9時半ごろ、宿を出た。
宿の近くにも高層ビルが何棟も建っている。 -
ザンジバルへのフェリー乗場近くの海岸沿いにも高層ビルがニョキニョキ。
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街の中心のクロックタワーと言っても、この程度。ロータリーになっている。
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もう少し歩いて、ダラダラ(小型バス)に乗り、タンザン鉄道の始発駅TAZARA駅へ向かった。
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ほとんど人影がない。中国が一生懸命造ったのに、ほとんど利用されていない。駅内もメンテナンスがされておらず、ガタがきている。
中国にとっては、それ以上の見返りを手に入れたのでよいか。 -
中国の要人が何人も訪れているらしい。その写真が駅構内に展示してある。
切符は、11月28日(金)発の一等寝台切符(2泊3日)を買かうことができた。値段は86500TZS(50$ほど)した。 -
再び、ダラダラでダラダラと、ダルエスサラームの中心街へ帰ってきた。植民地時代の建物と新しい建物が混在しているのが、今のダルエスサラームの中心街。
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日本の軽トラがタンザニアでは大活躍している。3台も連なって駐車してあった。ほとんどが旧型のスズキキャリー。
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唯一、バイクらしいバイクに出会った。ヤマハXT660で、タイヤをオフ用に換え、乗ってみたいな。
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今日の昼食はKFCへ行ったが、ハンバーガーセットが6$もする。サブウェーはあるが、マックは、まだ進出していないようだ。
予定を早めて、明日、船でザンジバル島へ渡る予定。 -
11月21日、昨日、「我が志アフリカにあり」の著者 島岡由美子さんにメールし、レストランで食事をしながら話をお聞きしたいとのお願いをしたところ、22日(土)の夕食に自宅へ来てくださいとのメールが返ってきた。早速、了解のメールを送った。
なお、島岡由美子さんは、名古屋出身の方で、県立大を出て、幼稚園の先生をしている時、今の旦那さんと知り合い、アフリカへ来ることとなり、今では、各方面で活躍されている方です。
そのメールをやり取りしたインターネットカフェの近くで、中国企業が建設中のビル。 -
宿へ帰り、チェックアウトし、ザンジバルへのフェリー乗り場へ行った。フェリー25$、高速艇35$なので、迷ったが、昼過ぎの高速艇に乗った。
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ダルエスサラームの街が遠ざかっていく。時速60Kmほどでザンジバルへ向かう。
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1時間半ほどでザンジバル島のストーンタウン(世界遺産)に到着した。ザンジバル島は、タンザニアの中でも特別自治区なので、入国審査がある。ただ、ビザはタンザニアビザでOK。入国審査以上にエボラチェックが厳しかった。
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宿は、港近くの迷路を歩きながら、「パールゲストハウス」に辿り着き、まず3泊分払った。個室素泊まり1泊13$。典型的な安宿といった感じの宿。
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荷物を置き、買物がてら街の散策へ出かけた。チェーンで繋がれ、野天で放置されたままのバイク。密輸か違反で取り上げられたバイクだろう。一番左はドカティー、右から2番目は、私が乗っているのと同じホンダCRF250Lではないか。もったいない!
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アフリカ本土はほとんどが中国製バイクだが、ザンジバルはタイから輸入したホンダの製品が多い。XR250に乗っていた若者がいたので、写真を撮らせてもらった。
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海に近く、漁業も盛んなためか、猫がそこら中におり、猫密度は非常に高い。「世界猫歩き」の岩合さん状態になりそう。
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飼い猫は、ほとんどいないので、あまり綺麗ではない。
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小さな個人店ばかりなので、地元の人に聞きながら、住宅街でスーパーを探していたら、トラックに乗るところを偶然、島岡夫妻に会うことができた。挨拶をし、明日の夕食の招待のお礼を言い、別れた。
このアパートの最上階の部屋に住まわれている。
ザンジバルは海抜0mで、蒸し暑く、名古屋の真夏並みの暑さ。 -
11月22日、宿の屋上から見たザンジバルの町の一部。大きな教会がローマカトリック教会。すぐ近くにモスクがあり、教会とモスクが混在している。
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午前中、洗濯などをして、昼前に奴隷市場のあった所に建てられた大聖堂へ行った。入場料5$。
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奴隷市場の跡はなく、モニュメントがあっただけ。
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モニュメントのアップ。他に何もない。入場料5$はぼったくり。
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そこから世界遺産になっている街の迷路を迷いながら歩いた。
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海岸に出た。一瞬、フィリピンのセブを想い出した。
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ボートの後ろに見えるのは、プリズン島?
海岸沿いは、豪華なホテルが並んでいる。私の泊っている宿とは天と地ほどの差。 -
夕方、島岡宅へ向かう途中の商店街の様子。本当にゴミだらけ。後で、カクメイジさんは、「明朝、掃除するのでいいではないか」と言われたが、それでよいの?
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島岡宅にお邪魔して、青年海外協力隊の2名も加わり、夕食を頂きながら、話をした。
一番圧倒されたのは、カクメイジこと島岡強さん。「アフリカから世界へ輸出できるものを創り出し、アフリカの真の独立を目指す」という軸は25年間全くぶれていない。どんどん事業を興し、会社が軌道に乗れば、それに携わった地元の人に任せていく。こうして事業を広げていき、まず、タンザニアを変えたい。私が「なぜリスクを背負いながら、こんなに無欲でいられるのか?」と聞いたら、「革命家だから」と言い、私が「輸入を手掛けないのですか?」と聞いたら、「この国のために役立たないし、安易すぎる」と言い、全くブレない。
私のような強欲な凡人なら、全部自分の企業グループにし、更に、輸入も手掛け、タンザニアの有名な企業家になろうとするのに。
明日は柔道の試合、また、近々9隻目の漁船が進水するそうで、意気揚揚としてみえます。
奥さんには、ティンガティンガの話と来年4月発売のティンガティンガの絵本の話を聞いた。
協力隊は1名が理学療法士で、もう1名は体育の先生としてザンジバルに来ており、自然体で活動している青年2人に好感がもてた。
最後に、少しでも食事代を払おうとしたら、「ここはレストランではない!」と叱られた。
最後まで、圧倒されっぱなしの夕食会でした。
【写真はネット上のものを拝借しました】 -
11月23日、昼食がてら、散歩。フェリーターミナル近くの海には、船が多く停泊していた。
海の青と空の青のコントラストが美しい。 -
手前がアラブ砦で奥が驚嘆の家。一応、ザンジバルの観光施設の一部だが、昨日の大聖堂のボッタクリに懲りて、入場せず。観光地として大して見るべきものがないのに、なぜ有名な観光地なのだろう。美しい海なら、他にもいくらでもある。
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11月24日、街を散策し、綺麗なモスクがあったのでパチリ。
街で見かける外国人は、欧米人は観光、インド人は仕事、中国人は仕事と観光が半々、日本人や韓国人は観光という感じ。 -
ランチタイムになったので、中華レストランへ入り、フライドヌードルを食べた。中華レストランは安く、味・サービスがよいので、中国人も何人もランチを食べに来ていた。私より品数が多く、リッチ。
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ランチ後、海岸沿いを散策。美しい風景に出合う度にパチリ。
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昨日、前で写真を撮ったアラブ砦へ寄ってみた。入場無料で、中にはお土産物屋が入っている。しかし、観光客は皆無で閑散としている。
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猫が木陰で休んでいたので、パチリ。
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平日の昼間なのに、公園で、オジサン2人がオセロゲームのようなことをしていて、それを取り囲んで見ている暇なオジサンたちを遠くからパチリ。まったく、フィリピンの田舎と同じ。また、その近くにも、日陰の椅子に座って、ボーとしている男が十数人いた。要は、仕事がない。
この公園にも無料WiFiが飛んでいるので、すぐブログにアップ。
明日、ダルエスサラームへフェリーで移動し、YWCAに3泊宿泊予定。 -
11月26日、バスと徒歩でティンガティンガ村へ向かった。バス停の向かいには、CASINOがあり、スロットか何かで新車が当たるらしく、新車が2台展示してあった。この国にも、カジノをやれるほどの余裕のある人が多くなってきたのかな。
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バスに乗り、グーグルマップを見ながら、近そうなバス停で降り、歩いていたら、真っ白な教会があった。
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縁の方には、元画とは全くレベルが違うが、「最後の晩餐」の絵があった。
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更に、歩くと、高級住宅街になり、写真のような住宅が何軒もあった。塀の中には1台何百万円もする車が何台も駐車してあるし、庭などを使用人が手入れをしていた。
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やっと11時過ぎに、ティンガティンガ村に到着。多くの画家が集まり、絵を描いて販売している場所をティンガティンガ村と呼んでいる。
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奥へ入っていくと、何人もの画家が絵を描いている。その横で絵などを販売している。
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前々から、目を付けていた若手のSefuの絵2枚と別の画家のプレート2枚を合計60000TZS(35$)ほどで買った。本人には会えず、同じ画家であるお父さんが見えたので、少しお話をした。絵は筒に入れて密封してしまったので、似たような感じの絵の写真。
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2枚のプレートはこんな感じ。
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帰りのバス停の横には、立派なパオパブの木があった。
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11月27日、昨日バスから海岸にフラミンゴらしき鳥がいたので、カメラを持って散策に出かけた。
海沿いに歩いていたら、高級マンションが海沿いに何棟もあり、建設中の高級マンションもあった。「For Rent」と書いてあったので、裕福な人(外国人も)が部屋単位で買い、貸し出しているものと思われる。多分、1部屋1千万円以下で買えるので、入室者さえいれば、数年で元が取れる。 -
沖の方に、掘削船が停泊していた。そこで海底を掘削しているのか、ただ、停泊しているかは不明。
アフリカの沖の資源探査はこれからなので、中国筆頭に、資源探索競争になっている。 -
やっと、干潟に到着。遠くにいる鳥は、フラミンゴ?
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望遠で撮ってみると、確かにフラミンゴ。全部で数十羽いる。
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石を遠投して、フラミンゴを飛ばしてみた。羽根にピンクが入り、美しい。
ケニア・タンザニアの一部しか旅をできなかったが、物価は案外高く、東欧とほぼ同レベル。内容は当然、東欧の方が上だが。
訪れた街のうち一番滞在しやすかったのは、タンザニアのモシ。街はコンパクトだし、気候はちょうど良く、物価も安い。モシなら1ヵ月ぐらいの滞在は楽勝。
マスコミなどでよく報道されるアフリカの「貧困」を目にすることはなかったし、今後も目にすることはないような気がする。
黒人以外では、インド人と中国人と白人をよく見かけたが、中国国内の成長が鈍ってきたので、中国人がこれから急激に増えると思われる。戦前、日本国内が行き詰ったら、南米や満州へ移民をさせたように。
★いよいよ明日からタンザン鉄道でザンビアへ移動するので、「じじいの東アフリカ一人旅 23 (ザンビア・ジンバブエ・ボツワナ 編) へ移る。
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