2014/10/18 - 2014/10/18
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entetsuさん
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通勤途中、京急線の吊広告を見ていると、大田区・川崎市主催、川崎区・京急共催の「大田・川崎 旧東海道ウォーク」の広告が目についた。
京急「大森海岸」駅スタートで、旧東海道を西に進み、ゴール地点は私の住居の最寄駅「八丁畷」駅!
これは、参加するしかないということで、秋シーズン初のウォーキングです。
多摩川を渡り、神奈川県・川崎市に入りました。
①大田区編(大森海岸~梅屋敷~京急蒲田~多摩川)
http://4travel.jp/travelogue/10941641
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ここまでスタートしてから約8?を割合ゆっくり、2時間40分ほどかけて歩いてきました。途中、雑色の「トマトランタン」でお茶休憩もしましたしー。
実際は、神社の中をうろうろしたりしているので、もっと歩いている筈ですが・・・。
ウォーク全長は約12?。
あと4?ほど、頑張ろう。 -
イチオシ
国道15号線にかかる六郷橋を渡っています。
多摩川のほぼ中央が、東京都と神奈川県の県境です。
川崎市に入りました。六郷橋 名所・史跡
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下流方向を眺めています。
この日は風もなく、雲ひとつない絶好のウォーキング日和。
多摩川も穏やかですね。 -
イチオシ
六郷の渡し跡(川崎側)のあったところです。
橋柱には、六郷の渡し舟をデザインしたオブジェが乗っていました。
江戸時代の多摩川といえば「渡し」が有名ですが、実は初期には「橋」はあったのです。
慶長5年(1600)、徳川家康は西国との往来のため「六郷大橋」を建造します。
ところが度重なる洪水の度に修復や架け直しを繰り返し、やがて貞享5年(1688)7月の大洪水による大橋の流失をきっかけに幕府は架橋をあきらめ、以後「渡し」によるしか多摩川を渡る事ができなくなります。
江戸の街への往来を制限する狙いもあったと思われます。「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で立寄りました by entetsuさん六郷の渡し跡 名所・史跡
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明治元年(1868)の明治天皇の渡御の際には23隻による舟橋が架けられたと伝わり、「明治天皇六郷渡御碑」が建てられています。
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明治天皇の渡御のご様子。
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「長十郎梨のふるさと」の碑。
今では、殆ど市場に出回らない長十郎ですが、この地が発祥の地とされています。
川崎市で、なしの栽培が始まったのは、江戸時代。
多摩川の近くは水はけがよく、なしの栽培に適していたからといわれています。
大師河原(今の川崎大師の辺り)で盛んに栽培されていました。
明治に入り、「当麻辰次郎」という人が品種改良して作った「長十郎」は、開発されたころは注目されていませんでしたが、明治30年に流行した黒星病により、他の品種が大きな被害にあったのに対して、ほとんど被害がなかったことに加え、面積当りの収穫量が多く、甘みも強かったので、注目されます。
一時期は全国の栽培面積の8割を長十郎で占めるほどでしたが、多くの早生種を含む優良品種が多数発見され、盛んに品種改良が行われていきます。
戦後になり、1959年に幸水、1965年に新水、1972年に豊水の3品種(この3品種をまとめて「三水」と呼ぶのだそうです)が登場し普及し、現在では長十郎の生産は殆どみられなくなりました。
スーパーなんかで見てみると、最近は大型の「新高(にいたか)」が多い気がします。
高知県の新高梨は、赤ん坊の頭ぐらいの大きさのものがあります。長十郎梨のふるさと 名所・史跡
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「川崎大師燈篭」。
川崎大師は、今でも全国有数の参拝客を集めるお寺ですが、実は江戸時代から賑わいを見せ、江戸から一泊で来たり、日の出前に江戸を発ち大師での参拝を済ませ、大師の門前で一杯やるというのが大ブームだったらしい。
この燈篭は、後日据えられたものと考えられますが、その大師と多摩川の渡しとの関係を物語る燈篭です。 -
左が多摩川、右は京浜急行電鉄大師線の架線です。
京急の前身、「大師電気鉄道株式会社」は1899年(明治32年)開業しますが、川崎大師への参拝客の運搬を最大の目的として開通します。
最初に営業開始したのは、六郷橋〜大師間の約2.0?で、六郷橋の駅舎はこの辺りにあったとされます。 -
「川崎稲荷社」。
「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で立寄りました。人がこんなに居たのは初めて~。 by entetsuさん川崎稲荷社 寺・神社・教会
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社殿・鳥居は昭和26年頃再建されているそうです。
享保元(1716)年紀州藩主だった吉宗が、八代将軍になるために江戸へ向う途中、この境内で休息したと言われています。
吉宗といえば、松平健さんの「暴れん坊将軍」! -
ここから運営は、川崎市と川崎区に移ります。
川崎地区は、別途「歩こう東海道川崎宿スタンプラリー」というイベントをやっていて、我々のように大田区から歩いて来た組とは別に、川崎だけ歩く人もいるみたい。
なんか、ややこしいけど、スタンプラリーにも乗っかってみます(笑)。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で歩きました by entetsuさん川崎宿 名所・史跡
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この交差点の先が、旧東海道です。
「川崎宿」は、東海道の成立時点では正式な宿場となっていなかったのですが、品川宿〜神奈川宿間が往復十里と長く、伝馬の負担が重かったために、1623年(元和9年)に設置されたとされています。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で歩きました by entetsuさん川崎宿 名所・史跡
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交差点から左側(海側)を見ると、「川崎競馬場」があります。
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川崎稲荷社の次のラリーポイント、「田中本陣跡」です。
先に書きましたが、1688年7月の大洪水による六郷橋の流失をきっかけに幕府は架橋をあきらめ、その後明治初めの左内橋の架橋に至るまでの約190年もの間、渡し船による渡河が続くことになります。田中本陣跡 名所・史跡
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当初、渡し船は江戸の町人が請け負っていましたが、宝永6年(1709)、田中休愚の働きで川崎宿が請け負うことになり、その収入が川崎宿の財政を大きく支えていきます。
宿場にあって「本陣」は、主に大名、公家、旗本などが宿泊する施設で、ここにあったとされる「田中本陣」は門構え、玄関付、延231坪の堂々たる建物だったのだそうです。
本陣家の主人である田中休愚は、本陣、名主、問屋の三役を兼務し、六郷の渡船権を譲り受けて、宿場の財政を立て直し、幕府の勘定支配格(大名並み)に登用されました。
今は当時を偲ばせるものは何もなく、医院になっています。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で歩きました by entetsuさん川崎宿 名所・史跡
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イチオシ
「東海道かわさき宿交流館」。
ここも、スタンプラリーのポイント地点でした。
東海道川崎宿の歴史・文化を学び、それを後世に伝え、地域活動・地域交流の拠点となることをめざした施設で、開館は、平成25年10月1日です。
「川崎宿」と書かれた日除け暖簾と暖簾の色が、紺色に変わりました。
以前は、グリーンというか、もえぎ色?でした。 -
次のポイントは、「宗三寺」です。
ここでもスタンプを押します。 -
宗三寺は、曹洞宗の寺院で、創建年代は不詳ですが、鎌倉時代にあった禅宗勝福寺を起源とするものと伝えられています。
本堂は工事中でした。
京急線の「京急川崎」駅ホームのすぐ裏手に当ります。 -
「一行寺」にやって来ました。
2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で訪れました。閻魔様、拝めました。 by entetsuさん一行寺 寺・神社・教会
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ここもチェックポイントです。
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別名「閻魔寺」と言われ、閻魔大王像があります。
普段は拝む事ができませんが、この日はイベントですので特別にでしょうか、拝む事が出来ました。
境内には、川崎最初の寺子屋を開いた浅井忠良の墓と、富士講の西川満翁の墓があるそうですが、どれだか分かりませんでした。 -
「稲毛神社」にやってきました。
稲毛神社の創建年代は詳らかではありませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、当地の古社であることがわかるのだそうです。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で訪れました by entetsuさん稲毛神社 寺・神社・教会
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ここもチェックポイントで、スタンプを押してもらう人が数人並んでいます。
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イチオシ
「大鳥居」。
社殿前の石の鳥居の台座には、江戸時代の川崎宿の有力な旅籠や商人の名が刻まれており、歴史的価値の極めて高いとか。 -
拝殿も立派です。
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「天地睨みの狛犬」。
川崎稲毛神社の見どころの一つ。
平成3年御大典記念として建立された、青銅像。籔内左斗司作。 -
狛犬は左右が阿吽の呼吸をもって鋭い眼光で厄魔を祓うと伝えられています。
右(この写真)が天を祓い、左が地を祓うという意味が込められているのだとか。
「上半身についてお願い事のある方は右の狛犬を、下半身についてお願い事のある方は左の狛犬を撫でてから御参拝ください」と記されていました。 -
「御神木大銀杏」
樹齢一千年以上といわれ、稲毛神社の長い歴史と尊い由緒を物語っているのだとか。
江戸時代には、東海道を旅するものに「山王様の大銀杏」として知られ、安藤広重の「武相名所旅絵日記」などに当時の神々しい姿が描かれているそうです。
戦前は神奈川県指定の天然記念物でしたが、惜しくも昭和20年の戦火により大きく損傷してしまいました。
しかし、年とともに蘇り、その生命力の強さは御神霊のなせるわざと、人々の篤い信仰を寄せています。 -
「川崎砂子の里資料館」。
江戸風白壁となまこ壁、瓦屋根の飾りが美しい資料館ですが、実は私立の美術館です。
日曜日休館。
入場は無料です。
今回は、先を急ぐので外観のみでした。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」の協力団体でもありました by entetsuさん川崎 砂子の里資料館 美術館・博物館
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川崎信用金庫・本店前です。
川崎宿には2つの本陣(当初は3つ)があったと伝わりますが、この辺りに「佐藤本陣」があったとされています。
イベントで、女性歌手が歌っていました。
小浜里砂さん。
1990年6月26日生まれ、東京都町田市出身だそうです。 -
「佐藤本陣」は別名、「惣左衛門本陣」又は「上の本陣」といわれ、門構え、玄関付、181坪の建物だったそうです。
幕末には14代将軍家茂が京に上る際に宿泊したと伝わります。
明治23(1890)年、詩人佐藤惣之助がこの家で生まれ、大正から戦前にかけて活躍し、「六甲おろし」「青い背広で」「人生劇場」などの多くの人に親しまれている歌の作詞をしました。
さっきの歌手の人とは別の女性ディオ。
このイベントは、旧東海道のこの辺りの呼び名「いさご通り」のイベント。
大田区からのウォーク、川崎のウォーキング、いさごのイベント・・・。
イベントが錯綜して大混雑でした。
ラリーのスタンプを押し漏らすところでした(笑)。 -
「小土呂橋跡」。
目立ちませんが、川崎を語る史跡の一つです by entetsuさん小土呂橋跡 名所・史跡
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東海道が新川掘という排水路を横断するところにかかっていた橋で、昭和6〜8(1931〜1933)年に埋め立てられたため、橋の欄干の親柱だけが交差点脇の歩道に保存されています。
約280年前、ベトナムからきたゾウが、この橋を渡って江戸に行ったという話が残っています。 -
次なるチェックポイントは、「教安寺」。
飲み物と飴の接待がありました。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で訪れました by entetsuさん教安寺 寺・神社・教会
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「教安寺」は浄土宗の寺院です。
本堂は立派ですね。 -
墓地経営は上手なようです。
京急線の車内からよく見えます。
川崎駅近辺を過ぎ、ゴールの八丁畷に向かいます。 -
八丁畷エリアのチェックポイントは2ヵ所。
1つ目は、「松尾芭蕉の句碑」。
京急線の線路沿いにあります。川崎宿をはずれ、京急「八丁畷」駅に程近い所にあります by entetsuさん松尾芭蕉の句碑 名所・史跡
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「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは元禄2年(1689年)3月20日とされます。45歳の時でした。江戸を発ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した約600里(2400km)の旅を終えたのは約5ヶ月後のことでした。その後、伊勢神宮に向かったり故郷伊賀上野、京都、近江などを回り江戸に戻り、紀行文「おくのほそ道」を完成させます。
しかし、この頃から次第に体調を崩し、元禄7(1694)年5月、故郷伊賀上野に向かうことにします。
芭蕉との別れを惜しむ江戸の門人達は、多摩川を渡り川崎宿まで見送りにきて八丁畷の榎だんごという店で最後の別れを交わします。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」は、芭蕉が見送りにきた門人との別れを惜しみ詠んだ句とされます。
芭蕉は、同じ年の9月に奈良〜大坂へ赴きますが、体調を崩します。
関西の門人たちの看病の甲斐もなく10月5日に亡くなります。
辞世の句は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」とされます。
享年50歳でした。 -
イチオシ
京急「八丁畷」駅前ゴール地点です。
約12?、といっても神社内などうろうろしたので、もっと歩いたかな〜。
歩数は22,00歩程でした。
股関節のところが痛い・・・(笑)。
ゴール地点では、完歩賞を頂けます。 -
ややこしいのは、こっちは川崎地区のゴール地点。
こっちでは、スタンプラリー完成賞をいただけました。 -
スタンプラリー。
子供みたいですが、嬉々として・・・(笑)。 -
テントでは、グッズ類の販売コーナーやコーヒーの接待がありました。
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八丁畷は、私の自宅最寄り駅ですので、見慣れた景色。
駅のすぐ真ん前の大きいマンションは「川崎サイトシティ」。 -
京急「八丁畷」駅。
各駅停車の「普通」しか停車しませんが、横浜に向かって快特・特急停車駅「京急川崎」駅の次の駅ですので、案外便利です。
また、大都市「川崎」まで徒歩圏でもあるので便利、便利。2014.10「大田・川崎 旧東海道ウォーク」のゴール地点でした by entetsuさん八丁畷駅 駅
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川崎宿最後のポイントの写真を撮り忘れるところでした。
「八丁畷の無縁塚」。
江戸時代、災害や飢餓などで亡くなった身元不明の遺体を埋葬したのではないかといわれています。これら無縁仏の供養のため「供養塔」が建てられました。
八丁畷駅西口を出てすぐ西側に無縁塚があります。
道路工事の折りなどにこの付近で多くの人骨が、度々掘り出されています。その数は十数体。
東京大学で鑑定したところ、江戸時代のものであると判明。
大火や洪水、飢饉などの災害で落命し身元の分からない人々を川崎宿の外れに埋葬し弔ったのではないかと推察されています。
昭和9年(1934年)に、地元地域と川崎市の計らいで慰霊碑が建てられています。 -
無縁仏と八丁畷の由来についての記載があります。
川崎宿(現在の川崎区小川町付近)から市場村(現在の鶴見区市場本町)まで、たんぼ道がまっすぐ八丁(約800m)ほど続いていたので八丁畷と呼ばれていたそうです。
「畷」とは田の中の細道、あぜ道のこと。
そういえば大阪には、四条畷という地名もありますね。
以上で、「大田・川崎 旧東海道ウォーク」お終いです。
秋ウォーキングシーズン到来、また何処かさがして歩きたいものです。
おつきあい下さり、有難うございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- キラキラcmさん 2014/12/18 21:27:29
- こんばんは!
- entetsuさん、私の旅行記に投票ありがとうございました。
いつも見て下さって嬉しく思ってます。
大田・川崎 旧東海道ウォーク、当日参加OKっていいですね。それにお天気も良くて気持ち良さそうです。
こうやって歩くと普段気づかない場所も足を止めて眺めることが出来て、やっぱりウォーキングは楽しいですね。
雑色にあるトマトランタン、以前は目黒通りにあったんですよ。私も大好きでした。
良心的なお値段だししかも美味しいですよね。
我が家は誕生日ケーキもよく買ってました。
また食べてみたいなぁ。
食べることばっかりですみません。
関東もだいぶ寒いですね。
風邪などお気をつけ下さいね。
それでは、また。
- entetsuさん からの返信 2014/12/19 10:02:40
- いつも投票&コメント有難うございます!
- キラキラcmさん、こんにちは!
毎回、旅行記に投票・コメントをいただきありがとうございます。
私など、キラキラcmさんの旅行記、見放しでした。
スミマセンでした。
「シャングリ・ラ」。
勤務先からは徒歩10分ほどではありますが、もちろん行ったことない〜(笑)。
そもそも、アフタヌーンティというもの自体、味わったことが無い・・・。
ティというからお茶かコーヒーなんですよね。
アルコールはあるんでしょうか?
「シャングリ・ラ」だと、失礼ながら、高いのでしょう??
まぁ、キラキラcmさんなら似合う。
私など、大田区や川崎を歩くのが関の山です(笑)。
実は、先週もウォークの予定があったのですが(東京メトロ主催でレインボーブリッジを渡るとかいうコース)、当日強風と、やや体がだるかったので参加する前にリタイヤ・・・。
「トマトランタン」。
本店は田園調布にあるようです。
目黒通りにあったんですね。
家内のパート先が、雑色で、彼女に教えて貰いました。
安くて美味い。
しかも空いている〜。
最高です。
大寒波襲来で、寒いですね。
それでも今日はまだましですが・・・。
風邪などひかないよう、ご自愛下さい。
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旅行記グループ 「大田・川崎 旧東海道ウォーク」に参加してみた~。
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