2014/09/21 - 2014/09/25
163位(同エリア356件中)
孝遊子さん
小中学校時代の古希の集いが開催されるので故郷愛媛を訪ねてきた。
9月17日から、北アルプス穂高連峰;北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳・前穂高岳踏破し、21日成田経由で松山まで飛んだ。
22日は、今治からしまなみ海道をサイクリングで楽しみ、翌23日故郷大洲市で古希の集いに出席、24日は松山市のヒガンバナ群生地や高校時代の恩師を訪ね、夜は高校時代の無親友と恩師とで会食。
25日帰着した。
当初、石鎚山登山、古希の集い、しまなみ海道サイクリングの予定であったが、台風16号が直撃しそうだと言うことで急遽予定変更したが、お蔭で旧交を深める旅となった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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〔しまなみ海道:来島海峡大橋〕
故郷愛媛で古希の集いがあるとのことで帰省することにし、一応21日から25日までと予定した。22日は石鎚山登山、23日古希の集いまでは決まっていたが、24日は空白であった。そんな折、偶々、テレビでしまなみ海道のサイクリングが取り上げられていたのを観、「これだ!」と飛びついた。
が、24日は台風の影響で、良くても雨模様、悪くすると台風16号の直撃と言う予想に、石鎚山には何度も登っているのでしまなみ海道サイクリングを最優先し、22日に持ってきた。
今治市のサイクリングターミナル「サンライズ糸山」で1日500円のレンタサイクルを借りて出発。
最初に渡ったのが来島海峡第三大橋(1575m)、来島海峡第二大橋(960m)、来島海峡第一大橋(1515m)からなる世界初の三連吊橋である。橋高100m余、総延長4?余の直線は真に爽快、時期が良ければ日本三大急潮の渦潮が見られると言う。 -
〔しまなみ海道:伯方・大島大橋〕
来島海峡大橋を渡ると大島である。
ここには、道の駅「よしうみいきいき館」があり、新鮮な魚を炭火七輪でバーベキューが楽しめたり、土・日祝日には、じゃこ天の実演販売があったり、渦潮観潮船も出ている。
が、サイクリングをする際、念頭に入れておかなければならないのは、しまなみ海道はあくまでも自動車道であり、自転車で走れるのは橋の部分のみ。他は一般道の走行となる。したがって、橋の前後や、峠道など結構なアップダウンがあると言うことである。
中でも、大島内には最大の難所があって、7段ギヤの自電車をもってしても押して歩かなければならなかったほどである。
で、2番目に渡るのが伯方・大島大橋で、名前の通り大島とテレビコマーシャル「伯方の塩」で有名な伯方島を結んでいる。
この橋は、桁橋の伯方橋(840m)と吊り橋の大島大橋(325m)で構成されている。
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〔しまなみ海道:三島大橋〕
次に渡るのが大三島と伯方島間の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋:大三島大橋(328m)で、本州四国連絡橋の中で最初の橋として着工され、開通当時は、我が国最長のアーチ橋でした。
大三島には、2つの道の駅:「多々羅しまなみ公園サイクリングターミナル」「しまなみの駅御島」、2つの温泉:多々羅温泉・海洋温泉施設マーレ・グラッシア大三島、国宝・重要文化財の武具甲冑類が多数収められた大山祇神社など、見どころ満載である。 -
〔しまなみ海道:多々羅大橋〕
次は、大三島と生口島の間の県境に架かる世界最長(建設当時)の斜張橋多々羅大橋である。。鳥が羽を広げたようなフォルムと形容され、非常に美しい橋である。また、同じ斜張橋のノルマンディー橋(フランス)と姉妹橋縁組を結んでいると言う。
当初計画では、尾道まで走り、自転車を乗り捨ててバスで今治に帰る予定であったが、レンタサイクルターミナルとバス停間のアクセスが悪く、時間も経費もかさみそうなので、多々羅大橋から引き返してきた。
結果、今治〜尾道は70?弱であるが、今治〜生口島往復たでは80?余となってしまい、帰路に余力を残しておく必要がある。 -
〔故郷の風景:ライオン岩〕
わが故郷(生育地)は、瀬戸内海に面した愛媛県大洲市長浜町である。
瀬戸内海の景観と言うと白砂青松で形容されるが、わが故郷は三波川変成帯に位置し、石英片岩を伴う緑色片岩で構成されている。この緑色片岩は「伊予の青石」として珍重される。
写真の岩も、伊予の青石で形成されたもので、謂わば、自然の作り出した芸術作品である。 -
〔松山市近郊のヒガンバナ群生地〕
台風の直撃と言う最悪の事態は免れたが、予定は大幅に変更となった。
空白となった24日、出発前にブログで見ていたヒガンバナの群生地が近くにあると情報を得ていたので見に行った。
丁度最盛期で、真っ赤な絨毯を敷き詰めたように咲きそろった様は見事であった。
また、途中、畑仕事をしている老夫妻に道を尋ねると親切に教えてくれた上、「丁度今頃が見頃ですけん」とお国ことばで付け加えられた一言に温かさを感じたものである。 -
〔道後温泉本館〕
ヒガンバナの群生地を訪ねた後、近くに高校時代の恩師が在住しているので連絡してみるとご在宅で、ウン十年振りの再会を果たせ、懐かしい思い出話に花を咲かせた。
夜、高校時代の親友も交えて3人で会食をすることとなった。
宿泊地の道後温泉から会場まで路面電車で行こうかと市電の道後温泉駅までブラブラと歩いて、同温泉本館前に差し掛かると、折から団体客が来たところで、行列ができていた。
学生時代、朝早く目覚めた時には贅沢にもここで朝風呂に浸かってから講義に出たものである。
因みに、私が学生時代の松山市民の夢は、「軒下から松山城が眺められ、道後温泉の朝風呂に入れるところに住むこと」だそうである。 -
〔坊ちゃん列車:14号機関車〕
駅まで行くと、丁度坊ちゃん列車が入線し、発車すると言う。それに乗って行こうかと思ったが、それでは約束の1時間も前についてしまう。
で、歩いていくことにして歩いていると、「坊ちゃん列車」が後方から私を追い抜いて行き、しばらくすると前方から別の列車がやってきた。初めの列車は客車を1両だけ牽引し、後のそれは2両牽引していた。後で調べてみると、前者は明治41年製の14号機関車、後者は明治21年製の1号機関車のレプリカだと判った。
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〔坊ちゃん列車:1号機関車〕
漱石の小説、「坊ちゃん」で、高浜港に着いた坊ちゃんが乗ったのが「マッチ箱のような汽車」で、それが命名の由来となっている。小説では、「切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」と書かれているが、高浜港から松山まではとても5分で着ける距離ではなく、そこが小説の小説たるところかなと思ったものである。
私が大学に入ったころには、高浜港〜松山市内間は電化されて坊ちゃん列車は走っていなかったが、横河原線ではまだ走っていて、何度か乗ったことがある懐かしい列車である。
因みに、現在路面電車として松山駅〜道後温泉間を走っているのはディーゼル機関車である。 -
〔松山城〕
松山は私が大学4年間を過ごした地である。
松山城は道後平野のほぼ真ん中に位置する勝山に建てられた平山城で、ロープウェイやリフトも設置されているが、歩いても20分ほどの丁度良い散歩コースである。
近くに住む市民の中には毎朝城山に登ることを日課にしている方も多く、以前、早朝に登った際には多くの人に出会い、見知らぬ私にも気持ちの良い挨拶をされたものである。
松山城は、元々残っていた天守閣のほか、小天守や櫓等、総檜で再建されていて、風格ある趣を呈して、堂々と建っていた。
天守を仰ぎ見ると、当時の思い出も蘇り、「流れる雲よ 城山に 登れば見える君の家 明かりが窓に灯るまで 見つめていたっけ 会いたくて〜♪」と、思わず口遊む私がいたのであった。
わが青春の松山城は、昔と変わらぬ佇まいであった。
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