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2014年10月13日から15日まで倉敷を散策。16日帰る前に日本三名園の一つ岡山後楽園を訪ねて見ました。50年前学生時代に一度訪れた事がありますが、芝生の広い庭園と言うイメージでした。今回訪れてみるとまさに芝庭の庭園。見応えあります。写真は岡山城を「沢の池」越しに望む撮影の定番スポット。<br />倉敷の町並みは以下のページで。<br />http://4travel.jp/travelogue/10942096

岡山後楽園(日本三名園の一つ)を訪ねる。

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2014/10/13 - 2014/10/16

824位(同エリア1847件中)

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kenichi291

kenichi291さん

2014年10月13日から15日まで倉敷を散策。16日帰る前に日本三名園の一つ岡山後楽園を訪ねて見ました。50年前学生時代に一度訪れた事がありますが、芝生の広い庭園と言うイメージでした。今回訪れてみるとまさに芝庭の庭園。見応えあります。写真は岡山城を「沢の池」越しに望む撮影の定番スポット。
倉敷の町並みは以下のページで。
http://4travel.jp/travelogue/10942096

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス JALグループ ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 岡山駅から路線バスで後楽園に向かいます。

    岡山駅から路線バスで後楽園に向かいます。

  • 入口の松。

    入口の松。

  • 二色が岡(にしきがおか) この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でした。 今は杉が中心となり、市街地にありながら、野鳥の飛来する静かな林となっています。 ここには茂松庵(もしょうあん)、四天王堂(してんのうどう)、地蔵堂(じぞうどう)があります。

    二色が岡(にしきがおか) この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でした。 今は杉が中心となり、市街地にありながら、野鳥の飛来する静かな林となっています。 ここには茂松庵(もしょうあん)、四天王堂(してんのうどう)、地蔵堂(じぞうどう)があります。

  • 松手入れの真っ最中。7人で一本の松を手入れしていました。

    松手入れの真っ最中。7人で一本の松を手入れしていました。

  • 椿の標本木だそうです。靖国神社の桜の標本木は良く知られていますが、この木はなんの指標に成るんでしょうか。

    椿の標本木だそうです。靖国神社の桜の標本木は良く知られていますが、この木はなんの指標に成るんでしょうか。

  • 五十三次腰掛茶屋。

    五十三次腰掛茶屋。

  • 慈眼堂(じげんどう) 池田綱政(いけだつなまさ)が元禄十年(1697年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空堂となっています。 境内(けいだい)には、花崗岩(かこうがん)を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)、門、板張の腰掛などが残っています。

    慈眼堂(じげんどう) 池田綱政(いけだつなまさ)が元禄十年(1697年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空堂となっています。 境内(けいだい)には、花崗岩(かこうがん)を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)、門、板張の腰掛などが残っています。

  • 沢の池 園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。 中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。

    沢の池 園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。 中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。

  • 茶畑(ちゃばたけ) 築庭当時からこの位置にあり背景のゆるやかな曲線を描く土手山と調和しています。 江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主がふだんに飲むお茶として使われました。 毎年五月の第三日曜日には、茶つみ祭を行っています。

    茶畑(ちゃばたけ) 築庭当時からこの位置にあり背景のゆるやかな曲線を描く土手山と調和しています。 江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主がふだんに飲むお茶として使われました。 毎年五月の第三日曜日には、茶つみ祭を行っています。

  • 井田(せいでん) 昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。 井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。 毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っています。

    井田(せいでん) 昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。 井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。 毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っています。

  • お茶席が設けられています。

    お茶席が設けられています。

  • 唯心山(ゆいしんざん) 唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には唯心堂(ゆいしんどう)があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。

    唯心山(ゆいしんざん) 唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には唯心堂(ゆいしんどう)があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。

  • 唯心山からの眺め。

    唯心山からの眺め。

  • 流店(りゅうてん) 中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。 戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。

    流店(りゅうてん) 中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。 戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。

  • 花菖蒲畑・八橋(はなしょうぶばたけ・やつはし) 六月上旬には白や紫などの見事な花を咲かせ、梅雨の季節に趣があります。 曲水に板を渡した八橋(やつはし)のそばには杜若(かきつばた)があります。 『伊勢物語(いせものがたり)』の「東下り(あずまくだり)」の段にちなんだ、風雅な情景となっています。

    花菖蒲畑・八橋(はなしょうぶばたけ・やつはし) 六月上旬には白や紫などの見事な花を咲かせ、梅雨の季節に趣があります。 曲水に板を渡した八橋(やつはし)のそばには杜若(かきつばた)があります。 『伊勢物語(いせものがたり)』の「東下り(あずまくだり)」の段にちなんだ、風雅な情景となっています。

  • 蘇鉄の植込みと藤棚。

    蘇鉄の植込みと藤棚。

  • 廉池軒(れんちけん) 戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。

    廉池軒(れんちけん) 戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。

  • 延養亭(えんようてい) 藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。 現在もこの景観の保全につとめています。

    延養亭(えんようてい) 藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。 現在もこの景観の保全につとめています。

  • 能舞台・栄唱の間(のうぶたい・えいしょうのま) 能舞台の周囲の座敷は、能の見所(けんしょ)や接待の場として使われました。 築庭した池田綱政(いけだつなまさ)は、家臣や領民にも能を見せました。 次の藩主継政(つぐまさ)の時に改築され、戦災で焼失後、その間取りが復元されました。

    能舞台・栄唱の間(のうぶたい・えいしょうのま) 能舞台の周囲の座敷は、能の見所(けんしょ)や接待の場として使われました。 築庭した池田綱政(いけだつなまさ)は、家臣や領民にも能を見せました。 次の藩主継政(つぐまさ)の時に改築され、戦災で焼失後、その間取りが復元されました。

  • 花葉の池(かようのいけ) この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。 池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。

    花葉の池(かようのいけ) この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。 池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。

  • 天守閣 宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

    天守閣 宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

  • 石垣 岡山城は豊臣時代の城が、増改築をされて江戸時代にも引き続いて使用されたため、石垣に構築技法の発達の様相が示されています。築城時の「野面積(のづらづみ)」から江戸時代初頭「打込ハギ(うちこみはぎ)」、その後の「切込ハギ(きりこみはぎ)」と各時期の石積みが観察できます。特に本丸本段の野面積による高石垣は、この時期の全国有数の遺構といえます。

    石垣 岡山城は豊臣時代の城が、増改築をされて江戸時代にも引き続いて使用されたため、石垣に構築技法の発達の様相が示されています。築城時の「野面積(のづらづみ)」から江戸時代初頭「打込ハギ(うちこみはぎ)」、その後の「切込ハギ(きりこみはぎ)」と各時期の石積みが観察できます。特に本丸本段の野面積による高石垣は、この時期の全国有数の遺構といえます。

  • 廊下門 二代目藩主池田忠雄の代に完成を見た岡山城は、全域が32棟の城門で守られていましたが、明治維新後の廃城で石山門1棟を残すだけとなりました。城の建物は、天守閣・塩蔵・月見櫓・西手櫓・石山門の5棟が残っていましたが、空襲で天守閣・塩蔵・石山門が焼失しました。本丸跡に建っている不明門と廊下門は、天守閣と同時の再建です。

    廊下門 二代目藩主池田忠雄の代に完成を見た岡山城は、全域が32棟の城門で守られていましたが、明治維新後の廃城で石山門1棟を残すだけとなりました。城の建物は、天守閣・塩蔵・月見櫓・西手櫓・石山門の5棟が残っていましたが、空襲で天守閣・塩蔵・石山門が焼失しました。本丸跡に建っている不明門と廊下門は、天守閣と同時の再建です。

  • 鯱瓦。

    鯱瓦。

  • 月見櫓 代目藩主の池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常の生活にも使用できるような構造となっていて、名前のとおり月見にも適していました。二棟しか残っていない当時の建物の一つで、重要文化財です。

    月見櫓 代目藩主の池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常の生活にも使用できるような構造となっていて、名前のとおり月見にも適していました。二棟しか残っていない当時の建物の一つで、重要文化財です。

  • 表書院 岡山城の本丸は、東側の天守閣の建つ最上段の本段、その西側に一段下がった中の段、 この両段を南側から西側に取り囲む平地の下段の、三段構えとなっていています。本段が城主(藩主)の生活の場(勝手方)で、中の段は城主の御座所と藩政を行う表書院が建ち並ぶ政庁の場(公事方)でした。今日の中の段には、多数の部屋や茶室や台所さらには土間・板の間・廊下などの間取りの表示と、泉水が復元整備されています。

    表書院 岡山城の本丸は、東側の天守閣の建つ最上段の本段、その西側に一段下がった中の段、 この両段を南側から西側に取り囲む平地の下段の、三段構えとなっていています。本段が城主(藩主)の生活の場(勝手方)で、中の段は城主の御座所と藩政を行う表書院が建ち並ぶ政庁の場(公事方)でした。今日の中の段には、多数の部屋や茶室や台所さらには土間・板の間・廊下などの間取りの表示と、泉水が復元整備されています。

  • 宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

    宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

  • 着陸の20分位前に、左手に雪化粧した富士山が見えました。今日10月16日が2014年の初冠雪だそうです。平年より16日遅く、昨年より3日早いのだそうです。

    着陸の20分位前に、左手に雪化粧した富士山が見えました。今日10月16日が2014年の初冠雪だそうです。平年より16日遅く、昨年より3日早いのだそうです。

  • まさしく「紅の翼」。

    まさしく「紅の翼」。

  • このあと最終着陸態勢に。気流が悪くエアポケットに入り、体が飛び上がる。機体が急に落下と言うべきかな。問題なく着陸楽しい旅も無事終り。

    このあと最終着陸態勢に。気流が悪くエアポケットに入り、体が飛び上がる。機体が急に落下と言うべきかな。問題なく着陸楽しい旅も無事終り。

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