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山寺から戻り、そのまま仙山線を北仙台で下車。<br /><br />てくてく歩いて、青葉神社に参拝です。<br /><br />おお!震災で壊れた鳥居が再建されておる!!<br /><br />そろそろ、お空も泣き出し始めた午後二時半。<br />傘はなくとも、近くにコンビニがあるからいーや!と、そのまんま気にせず石段をのぼる。<br />すると、社殿が見えてきます。<br />こちらに参るのも二年ぶり。<br />境内の崩れた灯籠も、きれいに直されておりました。<br /><br />此の神社は、武振彦命こと、伊達政宗公をお祀りしています。<br />お仕えする神職は、片倉小十郎家。<br />宮司さんは、16代目のご当主です。<br /><br />境内は閑散。<br />そのため、御朱印をいただきつつ少しお話をさせていただきました。<br /><br />御朱印帳をみた宮司さんから、白石のお祭りに行ったんだね、と言われたそこからスタート。<br /><br /><br />今はブームだし、もともと皆、戦の派手さばかりに目がいくけれど、<br />本当は誰しも戦をしたかったわけじゃないんだよ。<br />みんな、戦には行きたくなかったと思う。<br />戦に農民はかり出されるし、畑で作物がとれなくなるし、<br />国がたちゆかなくなる。<br />費用はかかるし、兵糧の準備も大変だ。<br />だから政略結婚をするんだよね。<br />味方なら、戦わずに済むからね。<br />戦うときは、本当にやむを得ない時だよね。<br /><br />それでも戦になって、たくさんの人殺して。<br /><br />片倉の家に生まれて辛いことも多かったですよ。<br />怨念に囲まれているというのかね。<br />中学高校の頃まで、自分を表に出せなかった。<br />私は見えないが、カルマという物はあると思うね。<br />先祖のそれを償うことをするようになって、楽になってきたけれども…<br /><br />それを聞いていたら、涙が…<br /><br />見えなくても感じる怨念…<br />それや、遺された者の嘆きやら、思いをすべて負う…<br />何千、何万…その重さたるや、どれほどになるのか………<br /><br />穏やかな風貌の下に、芯の強さを秘めていらっしゃる方でした。<br /><br />ほかにも、<br />戦で何が大変って、トイレの確保が最大の問題、とか、<br />徒歩行軍で京まで何日かかるというのか、<br />今でこそ車ですぐだが、当時の道の悪さを考えると、どれだけ大変か…等々、<br />史料に残らないが故に、表に出ないことを考えると、戦なんてそう簡単にできるもんじゃないんだよ。<br /><br />そういうところにも目を向けてほしいね。<br /><br />そんなお話を伺いました。<br />機会があれば、もっともっといろいろなお話をうかがいたいと思います。<br />本当にそうなのです。<br />史料に残るのは、特別なことや、子孫に引き継がねばならないことだけ。<br />当たり前のことは、書き残すなんてしませんから…<br /><br />だけど、その当たり前がわからなくて、知りたくて。<br />必死になっているのが研究者なのです。<br /><br /><br /><br />さて、<br />私個人が片倉小十郎景綱という人に興味を持ったのは、その後、高校生になってから。<br />仙台市博物館の、当時副館長だった佐藤憲一さんの本「伊達政宗の手紙」がきっかけでした。<br />身内同然に遇される家臣…一体何者なの!?<br /><br />後年、日本史好きが高じ、専攻も日本中世史を選ぶ私にとって、政宗公の手紙から様々なことを読み解いていく此の本は本当に面白かった。<br />政宗公の肉声が聞こえてくるよ<br />うで。<br /><br /><br />政宗公の治世の前半に於いて、執政と名高い小十郎景綱公。<br />彼の子孫が、今なお政宗公に仕えているという事実に不思議さというか、巡り合わせというか、何とも言い表しがたいものを感じた一時でした。<br /><br />

戦国武将の末裔に生まれて

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2014/10/05 - 2014/10/05

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高萩景史/奈波千景

高萩景史/奈波千景さん

山寺から戻り、そのまま仙山線を北仙台で下車。

てくてく歩いて、青葉神社に参拝です。

おお!震災で壊れた鳥居が再建されておる!!

そろそろ、お空も泣き出し始めた午後二時半。
傘はなくとも、近くにコンビニがあるからいーや!と、そのまんま気にせず石段をのぼる。
すると、社殿が見えてきます。
こちらに参るのも二年ぶり。
境内の崩れた灯籠も、きれいに直されておりました。

此の神社は、武振彦命こと、伊達政宗公をお祀りしています。
お仕えする神職は、片倉小十郎家。
宮司さんは、16代目のご当主です。

境内は閑散。
そのため、御朱印をいただきつつ少しお話をさせていただきました。

御朱印帳をみた宮司さんから、白石のお祭りに行ったんだね、と言われたそこからスタート。


今はブームだし、もともと皆、戦の派手さばかりに目がいくけれど、
本当は誰しも戦をしたかったわけじゃないんだよ。
みんな、戦には行きたくなかったと思う。
戦に農民はかり出されるし、畑で作物がとれなくなるし、
国がたちゆかなくなる。
費用はかかるし、兵糧の準備も大変だ。
だから政略結婚をするんだよね。
味方なら、戦わずに済むからね。
戦うときは、本当にやむを得ない時だよね。

それでも戦になって、たくさんの人殺して。

片倉の家に生まれて辛いことも多かったですよ。
怨念に囲まれているというのかね。
中学高校の頃まで、自分を表に出せなかった。
私は見えないが、カルマという物はあると思うね。
先祖のそれを償うことをするようになって、楽になってきたけれども…

それを聞いていたら、涙が…

見えなくても感じる怨念…
それや、遺された者の嘆きやら、思いをすべて負う…
何千、何万…その重さたるや、どれほどになるのか………

穏やかな風貌の下に、芯の強さを秘めていらっしゃる方でした。

ほかにも、
戦で何が大変って、トイレの確保が最大の問題、とか、
徒歩行軍で京まで何日かかるというのか、
今でこそ車ですぐだが、当時の道の悪さを考えると、どれだけ大変か…等々、
史料に残らないが故に、表に出ないことを考えると、戦なんてそう簡単にできるもんじゃないんだよ。

そういうところにも目を向けてほしいね。

そんなお話を伺いました。
機会があれば、もっともっといろいろなお話をうかがいたいと思います。
本当にそうなのです。
史料に残るのは、特別なことや、子孫に引き継がねばならないことだけ。
当たり前のことは、書き残すなんてしませんから…

だけど、その当たり前がわからなくて、知りたくて。
必死になっているのが研究者なのです。



さて、
私個人が片倉小十郎景綱という人に興味を持ったのは、その後、高校生になってから。
仙台市博物館の、当時副館長だった佐藤憲一さんの本「伊達政宗の手紙」がきっかけでした。
身内同然に遇される家臣…一体何者なの!?

後年、日本史好きが高じ、専攻も日本中世史を選ぶ私にとって、政宗公の手紙から様々なことを読み解いていく此の本は本当に面白かった。
政宗公の肉声が聞こえてくるよ
うで。


政宗公の治世の前半に於いて、執政と名高い小十郎景綱公。
彼の子孫が、今なお政宗公に仕えているという事実に不思議さというか、巡り合わせというか、何とも言い表しがたいものを感じた一時でした。

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