2014/09/01 - 2014/09/03
21位(同エリア259件中)
ベームさん
9/1(月)、13日目。9/2(火)、14日目。9/3(水)、15日目。
ライプチヒに2泊して、その間ヴァイマールに行きました。
三日間のライプチヒを一つにまとめました。
ライプチヒはザクセン州でドレスデンとならぶ大都市です。人口52万。よく京都と大阪の関係に対比されます。ドレスデンが芸術・文化の町といわれるのに対しライプチヒは商業の町と謂われますが音楽、出版が盛んな文化の町でもあります。
7世紀頃にはスラヴ人の集落があり、1015年には文献に登場します。ヨーロッパの東西南北を貫く通商路の交差点に位置し交易都市として発展。1170年には大市(定期市)が始まり、それが発展し1895年に今世界有数の国際見本市となった見本市が開設されました。
1409年ドイツで2番目に古いライプチヒ大学設立、1650年世界最初の日刊新聞発行、レクラム文庫など印刷、出版物の刊行、1743年民間最初のオーケストラ、ゲヴァントハウスの設立など文化面でも特筆すべきものがあります。
歴史面でもライプチヒは大きな場面に立ち会っています。
1519年、マルチン・ルターとエックによるライプチヒ論争。
1632年、ドイツ30年戦争時ライプチヒ近郊でスエーデン軍と神聖ローマ帝国皇帝軍の戦いがありました。スエーデン軍の勝利でしたが国王グスタフ・アドルフは戦死、皇帝軍の隊長がシラーの戯曲「ヴァレンシュタイン」で有名な英雄ヴァレンシュタインでした。
1813年、この地でナポレオン軍とプロイセン、ロシア、オーストリアなどの同盟国軍が戦い、同盟国軍の勝利、ナポレオンはライン川の西に撤退することになります。諸国民戦争/ライプチヒの戦いといわれます。
1989年10月9日、聖ニコライ教会から始まった月曜デモがベルリンの壁崩壊の大きな原動力になりました。等々。
前置きが長くなりました。では街歩きに出発。
写真はメンデルスゾーンの絵。メンデルスゾーン・ハウス蔵。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9/1(月)、13日目。
ベルリンHbf構内。
ベルリン16:52のICEでライプチヒに向かいました。ライプチヒ到着予定18:04。 -
新しい大きな駅です。エスカレーターでやたらと移動しました。
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チェコの列車、多分ドレスデンを経由してプラハまで行くのでしょう。
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ICEはヴィッテンベルク経由です。
すでに15分遅れ。 -
ライプチヒHbf。
構内には吹き抜けの大きなショッピング街があります。 -
ホテルは駅横のベスト・ウエスタン・ライプチヒ。
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小憩後食事をしに街へ。
旧市庁舎。 -
メドラー・パッサージュの入り口。
ライプチヒに幾つかあるパッサージュで一番大きい。 -
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目指すはアウアーバッハス・ケラー。
ライプチヒでおそらく一番有名なレストランでしょう。1525年創業といいます。店の名前の由来は、創業者がアウアーバッハという町の出身だったからとか。
パッサージュの入り口からすぐ。 -
レストランに入り口にはファウスト博士と悪魔メフィストフェレス。
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メフィストフェレスに騙されて怒る学生たち。
ゲーテ「ファウスト」の一場面です。
ライプチヒ大学で法学を学んでいた若き日のゲーテはこの酒場の年上の娘に恋をして振られ、それが原因がどうかは分かりませんが学途中で病を得てフランクフルトの親元に帰りました。 -
重厚ながら華やかな店内です。
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見逃してならないのが壁に掛けられている森鴎外の絵です。
右の羽織袴姿が森鴎外、真ん中の人物は哲学者井上哲次郎。
森鴎外がゲーテの「ファウスト」の日本における最初の翻訳者ということに敬意を表して2009年に掲げられました。まだ新しいのです。
鴎外は1884~1888年の4年間ドイツに留学しましたが、その最初の留学地がライプチヒでした。1885年のクリスマスの晩、鷗外はやはりドイツにいた井上とアウアーバッハスケラーで会いました。その時井上は鷗外に”ファウスト”の翻訳を勧めたのです。 -
他にも「ファウスト」の場面を描いた絵が掛けられています。
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ナプキンを貰ってきました。
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聖トーマス教会のライトアップ。
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旧市庁舎の夜景を観ながらホテルに帰りました。
明日はヴァイマールに日帰りで行きます。 -
9/2(火)、14日目。ヴァイマールから帰ってきて。
カフェ・バウムで夕食を摂りました。旧市庁舎前の広場からちょっと入った所にあります。
創業1720年、ドイツで一番、ヨーロッパで二番目に古いカフェだそうです。客の老人が私たちに教えてくれました。 -
壁にはこのカフェに来た音楽家の写真が貼ってありました。
左マーラー。 -
上リスト、下グリーク。
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シューマン。
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ヴァーグナー。
ライプチヒ生まれです。 -
メンデルスゾーン。
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ロベルト・シューマンの指定席。
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「1833~1840年の間シューマンは毎晩のようにこの場所に来た」。
シューマンの妻クララ・ヴィークはライプチヒの生まれです。 -
めいめい適当に一品料理。
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ここでのコーヒーは欠かせません。なにしろ世界で最も古いコーヒー店の一つですから。
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豪華な張出し窓のある建物。富の象徴です。
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9/3(水)、15日目。
朝の駅前。
ドレスデンに行く前にライプチヒ散策です。 -
旧市庁舎/市歴史博物館。
裏側/ナッシュ広場側。 -
旧証券取引所。
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ナッシュ広場。
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旧市庁舎の裏に建つ若き日のゲーテ像。
1765年16歳から1768年19歳までライプチヒ大学で法学を学びました。 -
マルクト広場の旧市庁舎、現ライプチヒ歴史博物館。
当初1556年、先の大戦で破壊され再建されました。 -
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朝早くほとんど人は居ません。
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聖トーマス教会。
創設は13世紀。 -
バッハが1723~1750年までここのオルガン奏者兼合唱団の指揮者として働きました。その間にバッハの代表作「ヨハネ受難曲」、「マタイ受難曲」、「クリスマスオラトリオ」などが作られています。
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聖トーマス少年合唱団は有名、1212年からの伝統があるそうです。
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バッハの墓。
バッハは1750年この地で亡くなりました。65歳。 -
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メンデルスゾーン。
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マルチン・ルター。
1519年、マルチン・ルターが今の新市庁舎のあるプライセン城でインゴールシュタット大学の教授エックと有名なライプチヒ論争を行ったときここで説教をしたといわれます。 -
バッハ。
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説教壇。
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教会の横のバッハ像。
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後ろ側。
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教会の後ろにはメンデルスゾーンの像もありました。
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コメルツバンク。
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モーリッツ要塞跡。
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ツバメの巣入り口。
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ゲヴァントハウス。
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ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地。
1981年再建。 -
1743年、世界で初めての民間人により設立されたオーケストラです。
それまで楽団といえば王侯貴族のお抱えものでした。
ゲヴァントハウスの過去の楽長にはメンデルスゾーン、ニキシュ、フルトヴェングラー、ワルターら錚々たる名前があります。 -
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マルク・ミンコフスキの指揮でベルリオーズとメンデルスゾーンのコンサートがあるようです。
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パノラマタワー。
142m。ライプチヒ大学が入っています。 -
ライプチヒ大学。
1409年設立でドイツではハイデルベルク大学に次ぎ古い。
この大学に学んだひとに、ゲーテ、ニーチェ、レッシング、ケストナー、近くではドイツ首相メルケルなど。 -
パノラマタワーとライプチヒ大学。
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アウグストゥス広場のライプチヒ歌劇場。
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メンデルスゾーン・ハウス。
メンデルスゾーン(1809~1847年)はこの家で亡くなりました。
メンデルスゾーンのライプチヒでの音楽活動の一つに1843年に設立したドイツ最初の音楽学校「ライプチヒ音楽院」があります。滝廉太郎もそこに学びました。
この建物が取り壊しになりかけたとき日本人の募金により免れて今があるということです。 -
1847年11月4日、この家でフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ死す。
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館内に入ります。
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ゆかりの人たちの写真とか、
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楽譜、
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当時のままの家具などが陳列されていました。
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多分愛用のピアノ。
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自筆の手紙。
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付随音楽「アンティゴネ」。
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オラトリオ「聖パウロ」。
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デスマスク。
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メンデルスゾーンと夫人セシル。
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メンデルスゾーン夫人。
旧姓セシル・ゾフィー・シャルロッテ・ジャンルノー。1817~1853年。
二人は1837年結婚、5人の子供をもうけました。 -
左:セシル・メンデルスゾーン・バルトルディ/メンデルスゾーン夫人。
右:メンデルスゾーンの子、カールとマリー。 -
家系図。
下から2段目、左から二人目がフェリックス・メンデルスゾーン。
下の段がメンデルスゾーンの5人の子供。 -
「メンデルスゾーンは子供の頃正式に絵を学んだ。彼は主な旅行にはスケッチブックを携えて行った。彼はスイスに4回旅行しており、スイス・アルプス、とりわけベルナール・オーバーランドに魅せられた。その画帳は今も残っている」。
メンデルスゾーンは絵をよくしたのですね、知らなかった。 -
メンデルスゾーンの描いた絵が飾られています。
ルツェルン。1847年。
四森林州湖とホーフ教会、後ろは多分リギ山でしょう。 -
ザイデルホーンの峰。
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ラウターブルンネン渓谷のミューレン。
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インターラーケンの旧市街地ウンターゼーン。
マルクト広場です。 -
インターラーケン。
アーレ川の風景。 -
インターラーケン。
1847年。 -
トゥーン湖。シュピーツ付近だと思います。
淡い色使いの絵が多く、目と心が癒されます。 -
コマー湖の畔のカデナッビア。
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展示風景。
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皿絵もありました。
1842年、ロンドン。弟パウルへの手紙。
「昨晩私はヴィクトリア女王とアルバート公と共に過ごした。公は自らピアノを演奏した」。 -
結婚する前の年のセシル。
1836年、フランクフルト。母宛の手紙。
「フランクフルトでの彼女のそばにいる日々はとても楽しいです」。 -
1831年、パリ。両親への手紙。
「ここでの生活は家具なども調えてとてもおちついています、そしてパリを十分に楽しんでいます」。 -
スイス、1831年。
エンゲルベルク渓谷。 -
ミュンヘン、1831年。
デルフィーヌという女流ピアニストに感銘を受けたようです。 -
エジンバラ、1829年。両親への手紙。
「今日深い夕闇の中私たちはメアリー女王が住み、愛した宮殿に行きました。そしてスコットランド交響曲のとっかかりを見つけたように思います」。 -
パリ、1825年。
パリで親交を結んだ音楽家たち。ロッシーニ、クロイツェル、カルクブレンナー、ケルビーニ。 -
ヴァイマール、1821年。
ゲーテに会う。メンデルスゾーン12歳、ゲーテ72歳。
右に立っているのはゲーテ、ピアノを弾いているのがメンデルスゾーン。 -
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ニコライ通り?。
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違うようです。なに通りか忘れました。
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最後に聖ニコライ教会に寄りました。
ライプチヒで最も大きく古い教会です。創設は1165年。
商業の守護聖人聖ニコラウスに捧げられた聖ニコライ教会は商業の町ライプチヒの人たちの中心教会です。 -
この教会の名を世界的に有名にしたのが「月曜デモ」でした。
冷戦下東ドイツだったライプチヒのこの教会で1982年から毎週月曜日にミサが行われた。ミサが終わると参加者は「平和の祈り」を唱えながら静かに街をデモ行進した。
1989年東欧革命とかソビエトのペレストロイカなど民主化の機運が高まる中、10月9日のデモ参加者は7万人に達した。治安当局はもはや阻止できなかった。これがベルリンの壁崩壊の決定的なインパクトになった。
11月9日、ベルリンの壁の検問所が開かれ、壁は崩壊した。 -
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柱頭の棕櫚の形が特徴的です。
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聖ニコライ教会と広場を挟んで旧ニコライ学校が建っています。1746年改築。
1512年設立の学校で、ライプチヒに生まれたヴァーグナーが1828~1830年の間この学校で学んでいます。ヴァーグナー15、6歳の頃で今でいう高等学校みたいなものでしょうか。
ホテルで荷物を受け取りドレスデンに向かいます。
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この旅行記へのコメント (6)
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- frau.himmelさん 2020/04/08 11:37:38
- やはりベーム様さまです
- ベームさん、こんにちは。
ライプチヒ、ベームさんもいらっしたはずだと思い旅行記にお邪魔しました。
すみません、拝見しておりませんでした。
そしてやはり奥深い・・・!上っ面の観光だけしかしていない身が恥ずかしい。
次の旅行記を書くのにカフェ・バウムのシューマンコーナーにあった音楽家の名前を調べていました。
さんざん調べたのに判らず。ところがベームさんのところで判明するとは、やはり私にとってはベーム様さまです。
メンデルスゾーンの家にも行ったのに、時間が遅くて中に入れず。
素晴らしい展示物がありましたね。特にメンデルスゾーンは音楽でなく絵画まで天才とは。
大変興味深く拝見しました。
最近新しい旅行記を投稿していらっしゃいませんが、ベームさんの古い旅行記、まだまだお宝が隠されているようです。
コロナウィルスで非常事態宣言が出された今、旅に出ることも叶わなくなりましたが、楽しみを見つけた思いがしました。
またお邪魔します。
himmel
- ベームさん からの返信 2020/04/08 17:30:22
- Re: やはりベーム様さまです
- himmelさん、
なにか書き込みが行き違ったようですね。
余りおだててもらっては困ります。これから先旅行記を書く足枷になってしまいます。
アウアーバッハスケラーの写真はとても懐かしかったです。私はライプチヒには2回しか訪れていませんが(ゲーテの足跡を訪ねた一人旅と、ドイツ語仲間との旅)、そのどちらもそこで食事しました。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」は斎藤緑雨の作った言葉のようです。以前街歩きで千駄木、駒込方面を歩き、向ヶ丘の大円寺に斎藤緑雨の墓を訪ねた際にいろいろ調べていたらそういう記事に出会いました。
ライプチヒはドレスデンほど華やかな名所旧跡はありませんが、文化的にも奥深い町だと思います。時間がなくてメンデルスゾーン博物館に行けなかったのは残念でしたね。水彩画はなかなかのものでした。ヘッセの絵もそうですが、素人の余技を超えていると思います。
今はお互い、というよりも全国民我慢の時です。中世ヨーロッパを襲ったペストなどは国民の三分の一とも半分が死んだとも言われています。当時に比べ比較にならないほど進んだ医学と、人智(これは?付きです)で必ず克服できる日が来るでしょう。それまで辛抱ですね。 ベーム
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- dankeさん 2014/10/31 00:54:04
- ぜーゼンハイムのベームさんの旅行記を思い出しました
- こんばんは ベームさん、
ライプチヒも見所がたくさんあるのですね。ベームさんはゲーテがお好きなのですよね。ですからゼーゼンハイムにも行きあの旅行記を書かれたのと思いますが、妙に私の心に残っているのです。
ところでライプチヒ(舌を噛みそうです)何も文学だけでなく、勿論音楽も有名なすばらしいところですね。
あの時代にここに留学してゲーテの翻訳を日本人で初めてした、という偉業。。。ドイツにたどり着くのも大変だったでしょうし、今のようにパソコンや翻訳サイトやなんちゃら無い時代ですし、昔の人は本当にすごいですね。
ドイツのバンドScorpionsが東京でコンサートを祭にも滝廉太郎の荒城の月を歌っていたのをネットで見ました。
あの大学は見た目もかっこいいし、著名な方たちが卒業されたのですね。日本の首相が卒業した大学も日本人にとって「誇り」のように語ることができるのか否か。。。うーん。
- ベームさん からの返信 2014/10/31 11:54:54
- RE: ぜーゼンハイムのベームさんの旅行記を思い出しました
- dankeさん、
こんにちは。
ゼーゼンハイムの旅行記も見て頂いたのですか、有難うございます。
ゲーテは好きでして、2009年にはフランクフルトからライプチヒまでその足跡を辿って歩きました。
仰るように、情報の無い時代に異国で学ぶ先人の努力には頭が下がります。
日本みたいに一部の大学に頭の良い人が集中するのではなく、ドイツでは各地に歴史と特色ある大学があり、学生は原則好きな大学、好きな教授がいる大学で学べます。それで地方の大学でも後世立派な功績を遺す人が出るのでしょうね。
ベーム
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- bergkristerさん 2014/10/28 12:06:01
- ライプチッヒの旅、拝見いたしました。
- ベームさま
ライプチッヒの旅、奥深い旅情報を有難うございました。アウエルバッハ・ケラー店内の様子を初めて知る事が出来ましたし、メンデルスゾーンに絵の才能もあったことも初めて知る事が出来ました。
その絵のことですが、ザイデルホーン、ウンターゼーン、この2つの山の場所を教えて下さい。
良い旅をなさいました。
bergkrister より
- ベームさん からの返信 2014/10/28 21:04:06
- RE: ライプチッヒの旅、拝見いたしました。
- bergkrister様、
いつも旅行記に訪問いただき有難うございます。
メンデルスゾーンの絵は小品ですが本当に美しい物でした。
ウンターゼーン/Unterseenはインターラーケンの一部、または近郊、アーレ川沿いの町のようです。
ザイデルホーン/Seidelhornはスイスアルプスの一つかもしれませんが何処に在るか分かりません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
ベーム
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