2014/09/02 - 2014/09/02
12位(同エリア100件中)
ベームさん
9/2(火)、14日目。
今日はライプチヒから日帰りでヴァイマールです。
ヴァイマール(ワイマール)。チューリンゲン州の町で人口6万5千人。
ザクセン・ヴァイマール公国、ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公国の首都でした。ドイツの文化、政治を語るに欠かせない都市です。
文化的には、18世紀から19世紀にかけ綺羅星のごとく知識人が集まり文化の花が咲き、今もなお芸術、文化の薫り高い町です。バッハ、ヴィーラント、ヘルダー、ゲーテ、シラー、リスト、ニーチェ、グロビウス、遡ればクラーナハなど。特にゲーテ、シラーの活動はドイツ古典主義運動の頂点をなすものでした。
これには公国を治めた公妃アンア・アマーリア、息子の大公カール・アウグストの理解と庇護も大い力となりました。
ゲーテ:1749~1832年。1776年27歳のゲーテはヴァイマール大公カール・アウグストの招きによりヴァイマールに赴き1832年の死まで人生の大半をここで過ごす。
シラー:1759~1805年。1799年ゲーテの招きでヴァイマールに移り、1805年この地で死去。
お互い励ましあい創作活動に励みました。
二人の友情は死しても断たれずいまも仲良く大公墓地に隣り合わせで眠っています。
政治的には、1919年第1次世界大戦の敗戦を受けここの国民劇場でヴァイマール憲法が制定され1933年まで続くヴァイマール共和国が発足しました。負の遺産として近くにナチスのブーフェンヴァルト強制収容所がありユダヤ人ほか多くの反ナチス政治犯が殺されました。
写真は国民劇場の前に建つゲーテとシラー像。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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乗換駅ヴァイセンフェルス。
ライプチヒ発9:47のRB/普通列車でヴァイセンフェルス乗り換え。
切符はザクセン・チケットです。5人と3人用計8人で68ユーロ、一人8ユーロちょっとです。これでヴァイマール往復、気が向けば1日中ザクセン州内乗り放題です。
出発が遅いのはこのチケット、平日は午前9時から有効なんです。 -
ヴァイセンフェルス駅。
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駅の前をザーレ川が流れています。
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乗り換え時間20分ちょっとありましたので駅付近を散歩。
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橋を渡ると市街地。
バッハがこの地のお城で「狩りのカンタータ」を初演したそうです。またバッハの二度目の妻アンナ・マグダレーナの生地です。 -
紅葉が始まっていました。
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なんの実でしょうか。
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駅の構内にノヴァーリスについての説明がありました。
ノヴァーリス:ドイツ・ロマン派の詩人。1772~1801年。この地で亡くなっています。 -
文化の駅ヴァイマール11:36着。
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ヴァイマール駅。
駅前は大きな建物もなく広々としています。 -
ヴァイマール新美術館。
駅から旧市街地に向かってカール・アウグスト・アレーを真っ直ぐに歩きました。 -
リープクネヒト通りの市立博物館。
地方の町にも美術館、博物館、劇場の類は整っています。 -
ゲーテ広場にやって来ました。
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立派な郵便局。
ドイツの郵便局は古い歴史ある建物に入っていることが多いです。 -
市庁舎、シラーハウス、ゲーテハウス、国民劇場は右。
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文化都市ヴァイマールのシンボル国民劇場です。
起源は1780年の宮廷劇場、ゲーテが劇場監督を務めました。
ゲーテの「ファウスト」、シラーの「ウイリアムテル」、ヴァーグナーの「ローエングリン」の初演が行われています。
今の形になったのは1907年ですが先の大戦で破壊され1948年再建。その時こけら落としに上演されたのも「ファウスト」でした。 -
1919年、第1次世界大戦の敗戦後ここで議会が開かれ「ヴァイマール憲法」を採択、ヴァイマール共和国が発足しましたが、1933年ヒトラー政権の誕生で崩壊しました。
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劇場の前に建つゲーテとシラー像。
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この二人のヴァイマールでの文学的活動はドイツ古典主義の頂点をなすものでした。
もっとも古典主義は文学だけでなく、絵画、彫刻、音楽でも行われました。 -
演劇の2014~2015シーズンの出し物。
メフィスト、ヴァイマールのロッテ、ヴァレンシュタインなど。 -
歌劇の方は、
ラ・ボエーム、バラの騎士、群盗、魔笛、ローラ・レントなど。 -
マスネ「ヴェルテル」。
やはりゲーテ、シラーがらみが多いです。 -
劇場広場。
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国民劇場の前にバウハウス博物館。
グロビウスが1919年設立した芸術造形学校。
ヴァイマールにはバウハウス大学もあります。 -
ヴィトムス宮殿。
公妃アンナ・アマーリア(1739~1807)が住んだ宮殿。多くの文化人が集い華やかなサロンだったそうです。 -
シラー通り。
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ゲーテさんがヴァイマール・ハウスの呼び込みをしています。
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シラーの家。
休館中でした。
シラー(1759~1805年)は1802年から死までこの家に住んでいました。ここで代表的戯曲「マリア・スチュアルト/メリー・スチュアート」、「ウイリアム・テル」が書かれました。
墓はゲーテと一緒にヴァイマールの大公家の墓所にあります。 -
中を覗き込む観光客。
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シラー通り。
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シラー通りの先を左に入るとマルクト広場です。
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市庁舎。
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向かい合ってクラーナハの家があります。
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クラーナハの家。
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「この家に父ルーカス・クラーナハは1552年から1553年10月16日の死まで住んだ」。
クラーナハ(1472~1553年)はヴィッテンベルクからヴァイマールに移り、ここで亡くなっているのですね。 -
隣の観光案内所。
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由緒あるホテル・エレファント。
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メンデルスゾーン、バッハ、トーマス・マン、「若きヴェルテルの悩み」のロッテことシャルロッテ・ブフなどが止宿しています。
ベランダに立つのはどうやらトーマス・マンのようだ。 -
ヴァイマール公の宮殿。
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一度焼失しましたがゲーテの監修のもと再建されます。
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昼食をとったギャラリー、カフェ・レストランACC。
観光案内所の先の小さな路地にあったと思います。 -
1776~1777年ゲーテがヴァイマールに来た時の最初の住まいがここだったという由緒ある建物です。
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田舎風のレストラン。
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紅茶が鉄瓶で出てきました。
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トイレに行くと「男」の文字。
鉄瓶といいこの文字といい何やら日本ムードが漂います。
店のウエイトレスにここのオーナーは日本と関係があるのか訊いたが知らないとの返事。 -
ホテル・エレファントの建物の左端に、
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エレファントの横の壁にプレートが掲げられています。
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「ここにJ・S・バッハが1708~1717年のあいだ住んだ家が建っていた。
フリーデマン・バッハ1710・11・22、エマヌエル・バッハ1714・3・8
ここで生まれた」。
バッハはミュールハウゼンの聖ブラジイ教会のオルガニストからこの地に移り宮廷オルガニスト、楽士長を務めています。 -
リスト音楽院高等学校。
リスト(1811~1886年)は1842~1859年ヴァイマールの宮廷楽士長を務めました。晩年ヴァイマールに戻り死ぬまで生活します。亡くなったのは旅先のバイロイト。墓もバイロイトにあります。 -
カール・アウグストの騎馬像。
カール・アウグスト:ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公。1757~1828年。ゲーテをヴァイマールに招聘、終生その保護者だった。 -
城館が見えます。
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アンナ・アマーリア大公妃図書館。
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リスト音楽院学校の隣にあるアンナ・アマーリア大公妃図書館。
アンナ・アマーリアが設立した図書館、85万冊の蔵書がありました。 -
ところが2004年火災が発生、多くの貴重な蔵書が焼けてしまいます。
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この図書館を再建しようと世界中から募金が集まります。
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2007年再開にこぎつけました。
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一地方図書館に世界中から募金が集まるなんて稀有なことで、いかにこの図書館が貴重な存在だったかが分かります。
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焼け焦げた本。
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アンナ・アマーリア。
エルンスト・アウグスト公妃。1739~1807年。
結婚僅か2年で夫と死に別れ長子カール・アウグストの成人まで摂政を務める。芸術、文化を奨励しヘルダー、ヴィーラント、ゲーテ、シラーなどをヴァイマールに招聘した。母はプロイセン王国フリードリヒ大王の妹。 -
図書館脇の公園の中にプーシキン像。
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シュタイン夫人の家。
夫は宮廷の高級官吏。教養豊かな婦人でゲーテより7歳年上でしたが二人は深い友情に結ばれていました。ゲーテから夫人に1000通ほどの手紙が寄せられたいます。
ゲーテが他の女性と同棲したことで(後に正式に結婚)二人の友情は終わりをつげ、夫人はゲーテからの手紙をすべて焼き捨てたといいます。 -
イルム川に沿う公園。
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街の東を流れるイルム川。
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小さな橋を渡った先に白い家が見えます。
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ゲーテ山荘/ガルテンハウスです。
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ゲーテが1782年まで住んだ家です。
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ゲーテは草花をこよなく愛していました。家の周りに自分で沢山の花を植えていたそうです。街中の大きな家に移ってからもよくここを訪れたといいます。
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橋を戻ります。
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ゲーテの家。
カール・アウグストから賜り1782年から1832年まで住み、ここで息を引き取りました。
左右の大きな門、ここから直接馬車が出入りしました。 -
前に来た時は撮影禁止でしたが今回OKでした。
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部屋の入り口の文字。
ラテン語で「ようこそ」の意味だそうです。 -
ゲーテ唯一の正妻、クリスチアーネ・ヴルピウス。ゲーテとの間の子アウグスト。
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クリスチアーネ。
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部屋数20ほどもある大きな家です。
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この部屋でゲーテは”もっと光を”の言葉を残して亡くなりました。
この言葉についていろいろ解釈があるようですが、単に部屋が暗いからもっと明るくしてくれ、と言ったらしいです。
息を引き取ったのはベッドではなく奥の椅子の上でした。 -
家の裏の庭。
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ゲーテ・ハウスの横にあるレストラン白鳥亭。
ゲーテがよく通ったといいます。 -
ヘルダー教会。
1500年。有名なクラーナハの祭壇画があります。
正式には聖ペーター・ポール市教会。
哲学者ヘルダーがここに葬られたのでこう呼ばれます。 -
教会の前にゴットフリート・フォン・ヘルダーの像。
「1744年8月25日モールンゲンで生まれる。1803年12月18日ヴァイマールで死去」。
哲学者、詩人、神学者。シュトルム・ウント・ドランク運動や若き日のゲーテに大きな影響を与えました。ゲーテはストラスブールの学生時代にヘルダーに逢って教えを受けています。 -
中央、有名なクラーナハの祭壇画は修復中。
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クラーナハ親子の祭壇画。
修復中で、横にパネル写真がありました。 -
WEBより。
右端にいるのはマルチン・ルター、その隣がクラーナハ自身。 -
レーヴェン・アポテーケ/獅子薬局。
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ヴァイマールゆかりの人たち。
左から
上段:カール・アウグスト公、ゲーテ、シラー。
中段:ヴィーラント、ヘルダー、リスト。
下段:ニーチェ、ケッセラー、グローピウス。 -
大公家の墓所に納められている左ゲーテ、右シラーの棺。
今回行けなかったので2009年の写真を持ってきました。
16:19発でライプチヒに戻りました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- dankeさん 2014/11/08 22:18:27
- ヴァイマール
- ベームさん こんばんは!
ヴァイマールをこのようにして旅行記で初めて拝見しました。古典主義の宝庫なんですか。ゲーテ通のベームさんは彼の最後のことばの解釈も予想?なされるほどお詳しいのですね。色々な解釈があると書かれていますが、そのお部屋を訪問し、当時に思いを馳せることができたのは貴重な体験ですね。あ、でも2009年にもゲーテをテーマにして旅行されたとあったので、もしかしてヴァイマール訪問は初めてではないのでしょうか。
街中に出ていた看板だらけのポール、ドイツっぽいのかなぁ、と思いました。ちょっとアングルを変えたりして方面を指したりする几帳面なところとか。Goethes wohnhausはゲーテの生家ですよね、ザルツブルグでモーツアルトの生家に同じ文字が書いてあったので覚えています。少しでも言葉がわかるとそれだけで世界が広がりますよね。ベームさんの堪能なドイツ語は世界観をより広げてくれているのではないでしょうか。
お昼に寄られたレストランも可愛いですね。私もストラスブールとパリでも紅茶を頼んだら鉄瓶でお湯が出てきました。日本だと鉄瓶でお湯を沸かすようですが私の行ったパリのレストランでは別に沸かしたお湯を鉄瓶にいれていただけなので、余り意味がないような気がしました。ハハハ
- ベームさん からの返信 2014/11/09 10:41:20
- RE: ヴァイマール
- dankeさん、
お早うございます。
コメント有難うございます。
優雅なオーストリアを楽しんでいらっしゃいますね、親孝行も兼ねていらっしゃったのですか。
ヴァイマールは2回目でしたが落ち着いたいかにも文化の町といった風情のある街でした。”もっと光を”は難しく考えるのではなく、”もっと明るくして”と極めて単純な解釈があうのではないかと思います。
Wohnhausは住まいで、Geburtshausが生家です。ザルツブルクにはモーツアルトの両方の家がありましたね。
dankeさんも鉄瓶を経験されましたか。ヨーロッパでああいった日本文化が人気になっているのでしょうね。
ベーム
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