2014/09/14 - 2014/09/14
834位(同エリア1695件中)
jiuさん
蝉の声もだいぶおとなしくなってきた9月半ばの日曜に、小田原(小田原城と板橋地区)を訪れました。
秀吉の小田原攻めの舞台となった小田原城は、明治3年に廃城となり解体されましたが、昭和35年の天守閣を皮切りに徐々に復元が進んでいます。板橋地区は古くから職人町として知られ、また、明治以降の政財界の大物の旧邸宅が散在しています。
- 交通手段
- 私鉄
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小田原駅東口を出て、お堀端通りを南へ。朱塗りの橋があったので、ここから城へ向かいました。城の正面入り口にあたる馬出門はもう少し先で、結局、行きも帰りも馬出門は通らずじまい。
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小田原城歴史見聞館
天守閣との共通券(600円)を購入しました。
館内はいくつかのゾーンに分かれていますが、やはり北条早雲から始まる北条五代ゾーンが一番充実しています。実は北条氏のことをほとんど知らなかったので、天守閣に登る前にここでにわか仕込み! -
常盤木門(ときわぎもん)
本丸の正門にあたります。 -
常盤木門
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天守閣
江戸時代の天守閣を復元したもの。内部にはいろんな武具や資料が展示されています。 -
最上階から相模湾が見渡せます。海が見える城ってありそうで案外少ないように思います。晴れた日は気持ちいいな〜。
右手には伊豆半島も見えますが、逆光なのでうまく撮れませんでした。 -
小田原駅方面。後方の山は丹沢山地かな?
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銅門(あかがねもん)
二の丸と馬屋曲輪(うまやくるわ)を結ぶ門。 -
銅門
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馬屋曲輪に出て振り返ると、お城らしい白壁に思わずパチリ。
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馬屋曲輪 切石敷の井戸
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本丸以外で天守閣が見える場所は意外に少ないようです。馬屋曲輪からも天守閣が見通せる場所は限られています。
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小田原城の南側(当時は三の丸外郭土塁の南向き傾斜地)にある清閑亭。明治39年(1906年)に黒田長成(しげなり)侯爵の別邸として建造。黒田長成は今年の大河ドラマ・黒田官兵衛の直系にあたります。
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板橋地区の旧東海道沿いに建つ内野邸。明治36年(1902年)に内野種三郎氏が「武功醤油」の醸造を始めた際、店舗兼住宅として建てたもの。入館料150円。
ボランティアの熱心な説明を聞いていたら邸内の写真撮るのを忘れていました。川越の大火を教訓に徹底的な防火対策が施されたそうです。内部は天井が高く、採光と風通しを工夫した開放的な造りになっています。
今回訪れた中では一番おすすめスポットです。ただし、公開日が不規則なので、板橋まちなみファクトリーのHPで事前にご確認を。
http://www9.ocn.ne.jp/~mfactory/ -
醤油づくりは昭和55年(1980年)で廃業となりましたが、敷地の奥の工場跡には当時の大樽が残っています。
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こちらは圧搾用の機械
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松永記念館
内野邸から徒歩数分。昭和の電力王・松永安左エ門の記念館と聞いて来てみたものの、本館は改修中でクローズ、別館は展示品が少なく肩透かしを食らった気分。(-_-)
出身地・壱岐の記念館の方が見応えがありました。 -
安左ヱ門が晩年を過ごした老欅荘(ろうきょそう)は敷地内の奥にあり、途中に邸宅の名前の由来となったケヤキの大木がドーンと立っています。
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老欅荘
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老欅荘
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古稀庵(こきあん)
かつて山縣有朋が別邸を建てて晩年を過ごしたところですが、今は保険会社の研修所になっていて、日曜のみ庭園が公開されています。 -
実際には庭園というより木々が鬱蒼と茂っている中を歩く感じでした。(たぶん人工的に)水が流れていて涼しげですが、時節柄、蚊に刺されないか心配しながら歩いていました。
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帰りは小田原駅まで歩いて戻る元気はなく、箱根板橋駅から電車に乗りました。小田原駅までひと駅です。
板橋地区へ直行する場合は、この駅まで電車利用すると楽ちんです。
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