2014/08/21 - 2014/08/21
3位(同エリア18件中)
ベームさん
8/21(木)、2日目。
シュパイヤーからヴォルムスに来ました。
マインツの南50キロ、紀元前にはケルト人が居住していたライン川左岸の古い町です。人口8万人強。プファルツ地方のワイン産地の一つで、ワイン:リープフラウ・ミルヒは当地の名産。
シュパイヤー同様中世ドイツ史の中でたびたび名前が出てくる重要な都市です。
アウグストス帝の時代ローマ軍の駐屯地となり、413~436年の間はブルグント王国の首都でした。この時のブルグント王国の興亡が13世紀の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に描かれています。のちフランク王国の領土となり、カール大帝シャルルマーニュの時には王宮の一つが置かれていました。
神聖ローマ帝国時代100回を超える帝国会議がこの町で開かれました。
1521年に開かれた会議はとくに重要で、皇帝カール5世がマルチン・ルターを会議に召喚しルターの言説(宗教改革運動、ローマ教皇の権威否定など)の撤回を求めたがルターはこれを拒否した。教皇はルターを破門し、皇帝はルターを帝国追放刑に処した。
法の保護の権利をはく奪されたルターを庇護したのがザクセン選帝侯フリートリヒ賢公でした。ヴァルトブルク城で新約聖書のドイツ語訳を完成し、聖書が広く民衆にも読まれるようになり宗教改革運動は大きな広がりを見せることになりました。
もう一つ重要なのがヴォルムス協約です。
皇帝とローマ教皇との間で長年争われてきた聖職者(司教、修道院長など高位聖職者)叙任権闘争、1077年のカノッサの屈辱事件など、が1122年、ヴォルムス協約により一応決着したのです。叙任権は教皇側にあり、という内容です。
ドイツ30年戦争、プファルツ継承戦争で町が荒廃したのもシュパイヤーに似ています。
写真はヴォルムス大聖堂。絵葉書です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マインツ~シュパイヤー~ヴォルムス~マインツ。
ライン川沿いに並ぶ三つの都市。 -
14:02シュパイヤー発でヴォルムスに向かいました。
途中マンハイムで乗り換え。
マンハイム駅で憎っくきフランスのTGVを発見。何故かというと先のフランス旅行でフランス国鉄SNCFに散々な目に遭ったから。 -
ヴォルムス着15:14。
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ラインゴルト薬局発見。
名前はこの町を舞台にした中世叙事詩「ニーベルンゲンの歌」のラインの黄金からとったのでしょう。 -
駅前から続くヴィルヘルム・ロイシュナー通り。
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通りの先を右に曲がりルターリンク通りに出るとルター・デンクマール/ルター記念碑があります。
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マルチン・ルターはじめ宗教改革運動の推進者の像が立ち並んでいます。
1868年。 -
マルチン・ルター。
宗教改革最大の指導者。1483~1546年。
1517年、ヴィッテンベルクで贖宥状問題に関して「95か条の論題」を掲げてマインツ大司教を難詰した。これがあのような大きな宗教改革の流れに発展していくことにルター自身思ってもいなかったのでは。 -
1521年ローマ教皇により破門され、同年ヴォルムスでの皇帝カール5世の帝国会議で自説の撤回を求められたが拒否。帝国追放刑を受ける。
会議でのルターの弁明の言葉。「われここに立つ。それ以外の事は出来ない。神よ我を助けたまえ!。アーメン!」。像の足元に刻まれています。
ヴィッテンベルクへの帰途ザクセン選帝侯フリートリヒによりアイゼナハのヴァルトブルク城にかくまわれ、ラテン語の新約聖書をドイツ語に翻訳しました。 -
ザクセン選帝侯フリートリヒ・デア・ヴァイゼ/フリートリヒ賢公。
ルターの庇護者。アイゼナハのヴァルトブルク城にルターをかくまい新約聖書のドイツ語訳を完成させた。カール5世やローマ教皇も諸般の政治情勢から賢公には手を出せなかったようです。1463~1525年。
賢公の死後も後を継いだザクセン公はルターの庇護を続けました。代々のザクセン公がなくば法の庇護をはく奪されたルターはその命を全うすることなく、おそらく宗教改革運動も挫折していたでしょう。すると宗教改革最大の功労者はザクセン公ということになるかも。 -
ヘッセン方伯フィリップ寛大公。
ヘッセン伯領の宗派をプロテスタントに改宗。シュマルカルデン同盟主導者としてカール5世に対抗。1504~1567年。
当時領民の信奉すべき宗教は領主が決めました。 -
フィリップ・メランヒトン。
神学者。ルターと協力して宗教改革を推進。1497~1560年。 -
ヒエロニムス・サヴォナローラ。
イタリアの修道士。ローマ教皇を批判し破門され1498年処刑される。宗教改革の先駆者の一人。1452~1498年。 -
ヨハン・フス。
ボヘミアの宗教思想家。宗教改革の先駆者。彼の著書はルターに多大な影響を与えた。1415年、コンスタンツ公会議で有罪となり火刑に処せられた。1369~1415年。 -
プロテスタントに改宗した諸都市。
アンハルト。ブランデンブルク。 -
ヘッセン。ブラウンシュヴァイクーリューネブルク。
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マールブルク。メミンゲン。ネルトリンゲン。
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シュヴェービッシュハル。ハンブルク。ハイルブロン。イェナ。
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ブレーメン。コンスタンツ。アイゼナハ。
フスが火刑になった都市コンスタンツがカトリックからプロテスタントに改宗しているのですね。 -
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ヘイルスホーフ美術館。
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しばらく歩くとヨーロッパで一番古いユダヤ人墓地があります。
「昔のユダヤ人墓地。ヴォルムスのユダヤ人の「聖なる砂地」。ここには9世紀来のユダヤの名のある宗教者、殉教者、高潔な人たちが眠っている。全世界のユダヤ人にとり重要な場所。ヨーロッパで最も古いユダヤ人墓地」 -
ユダヤ人墓地。
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ドイツ各地でユダヤ人墓地をよく見かけます。いずれも囲いもなく放置されたようなところばかりでしたが、ここのは塀に囲われており大きく、きれいに手入れされています。
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約2000基の墓があり、最も古いのは1058年と記されています。
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ただ墓石の配置がばらばらなのはどこも同じです。
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ヴォルムス大聖堂。
墓地から少しルターリンクを戻ると右手に堂々とそびえています。 -
ザンクト・ペーター大聖堂。西側。
マインツ、シュパイヤーの大聖堂と共にライン川沿いにあるロマネスク建築の3大大聖堂の一つです。
創建は7世紀頃のようですが、現在のは1181年完成のものです。
全長110m、幅27m、身廊の高さ26mと、シュパイヤー大聖堂よりは一回り小さいですがそばで見ると圧倒されます。 -
周りを歩いてみます。
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南側。
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建物の真ん中に小さく見えているのが入り口です。
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東側の塔。東西四隅に4本の塔があります。
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堂内に入ります。
身廊。 -
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内陣主祭壇。
バルタザール・ノイマン作。1740年。 -
側廊。
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西側のバラ窓。
大きいのが一つ、小さいのが三つ、珍しい配置です。 -
大きいの。
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側廊。
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受胎告知のレリーフ。
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馬小屋でのイエスの誕生。
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十字架から降ろされたキリスト。哀悼するマリアたち。
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キリストの復活。
白い十字の旗は復活の象徴。 -
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マリアと幼子イエス。
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18世紀初めの説教壇。
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このステンドグラスにはヴォルムスの歴史に登場する人物が描かれています。
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上から2段目、中央二つの拡大。
左カール5世。右マルチン・ルター。
1521年ヴォルムスでの帝国会議の主役の二人。 -
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地下クリプタの入り口。
ザリエル家の墓。コンラート2世の先祖たち。 -
コンラート・デア・ローテ公、ハインリヒ伯、王女ユーディット、コンラート・フォン・ケルンテン公、マチルデ・フォン・ケルンテン公妃の名が見られます。
まだ王位には就いていません。ザリエル家が王位につくのはコンラート2世からです。
シュパイヤーのクリプタに眠る主人たちより年代が古いです。 -
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クリプタ。
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王侯たちの棺。
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大聖堂の南にユーゲントヘアベルゲ/ユースホステル。
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マグヌス教会。
8世紀の創設。第2次世界大戦後再建。南西ドイツのエヴァンゲリッシュ教会としては最古。 -
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マグヌス教会。
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マグヌス教会。
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洗礼盤。
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オルガン。
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元アンドレアス教会。
現市博物館。 -
マルクト広場。
中央に小さくジークフリーの泉と奥に三位一体教会。 -
ジークフリートの泉。
13世紀初めころ創られた中世英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の主人公ジークフリート。
ニーベルンゲンの歌:ネーデルラントの王子ジークフリートとブルグント王国の王妹クリームヒルト、その兄でブルグント国王グンテルとアイスランドの王女プリュンヒルトとの愛憎、ライン川に沈められた黄金・ラインの黄金などを巡っての壮大な大活劇。ヴァーグナーはそれを題材に楽劇「ニーベルングの指輪」を作曲しています。 -
三位一体教会。
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1725年。
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入り口扉上の美しい紋様。
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ルターの胸像。
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祭壇。
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祭壇の後ろの美しいステンドグラス。
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市庁舎。
本来市庁舎はマルクト広場の真中にあるのが普通ですがここのは三位一体教会の裏に隠れるように立っていました。 -
市庁舎の時計。
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市庁舎。
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マルクト広場から大聖堂。
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市庁舎前の泉。
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パウルス教会。
パウルス通り。 -
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パウルス教会。
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フリートリヒ教会。
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ルートヴィヒ広場。
マルティン教会。 -
広場では書籍の割引販売が行われていました。
ドイツでは再販制度はないのでしょうか。 -
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マルティン教会。
991年皇帝オットー3世がこの場所に聖マルティン皇帝教会を建てた歴史のあるものだそうです。
戦後1965年再建。 -
ルートヴィヒ大公顕彰碑。
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ヘッセン大公ルートヴィヒ4世。
1837?1892年。
ダルムシュタットのマチルダの丘を造ったエルンスト・ルートヴィヒ大公の父。 -
カルメリター薬局。
駅前通りヴィルヘルム・ロイシュナー通りに戻ってきました。 -
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映画館。
本日上映中。 -
「ニーベルンゲンの歌」の場面のオブジェ。
一番上は不死身の英雄ジークフリートが唯一の欠陥背中をハーゲンの槍で刺されて死ぬ場面。 -
ヴォルムス駅。
マインツまでは代行バスが出ており、列車ではなくバスで帰りました。マインツまで1時間20分、電車とほとんどと変わりません。バスはマインツ・レーミッシュ・テアーター駅のそばを通りマインツHbfまで行きます。
シュパイヤー、ヴォルムスとライン川河畔の古都を回った1日でした。
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